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(前作-春香編-)

Woundsシリーズに関する注意事項
以下のような描写が存在します。
・プロデューサーによるアイドルに対しての薬物使用
・プロデューサーによるアイドルに対する変態的行為とその強要、昏睡レイプ、レイプ等とそれらの撮影行為
・秋月涼による765アイドルのハーレム状態
また、直接に作中にこれらの描写が存在しない場合でも、背景としてこれらの事情を抱えるアイドルが登場することになります。

以上の事柄について嫌悪感、忌避感を持たれる場合には読まれないことをお薦めします。



 1.

「はあっ……あう……あああっ! 涼! 涼!!」
 抑えようとして抑えきれない喘ぎが、女の喉から迸ります。彼女は裸にそれまで着ていた衣服をひっかけている、というような姿でダイニングテーブルにその身を伏せ、大きく脚を広げています。
 服を着けていてもその存在を主張している豊かな胸をいまやさらけだした彼女は、その胸を押しつぶすようにして身もだえ、なにかを求めるかのような様子で腕を蠢かし、体の内からわき出る快楽を表現しています。
 その姿は実に扇情的です。同性であるわたくしでも、息を呑むほどに。
 しかも、彼女は日本中をわかせたトップアイドルだった人なのですから。
 しかし、わたくしにとってそれ以上に衝撃的なのは、彼女の脚の間に身を屈めている青年であり、その動きでした。
 彼は舌と指でもって彼女の秘密の場所を思うさまいじくりまわしているようでした。あえて彼女に聞かせるつもりなのか、時折、なにか水音のようなものがわたくしのところまで響いてきます。
「だめだよ、律子姉ちゃん」
 言いながら彼が彼女の股間から顔を離します。その間も彼の指は彼女のその場所と周辺を愛撫し続け、彼女に快楽のうめきを強いていました。
「声を抑えてくれないと。ただでさえ僕らは声が通るのに」
「で、でも……ひゃふっ! そ、そ、そこ! そこがいいの、いいのぉ……。りょ、涼が気持ちよくしてくれる……から、どうしても声……でちゃ……」
 懸命に声を低くしているのは秋月律子。
 わたくしの友であり、かつてのトップアイドル。そして、共にアイドルの頂へと立つために戦う盟友……そう、わたくしのプロデューサーです。
「僕のことを感じてくれるのは嬉しいけどさ」
 一方、彼女に覆い被さり、その耳元で言葉を口にする度、彼女の顔に狂おしいほどの愛情と快楽の色を浮かべさせる人物は、秋月涼。
 律子の従弟であり、わたくしと共に律子のプロデュースを受けるアイドルであり、この半年ほどはわたくしを支えてくれた、大事なパートナーでもあります。
「貴音さんが起きちゃったらどうするの」
 どきりとしました。
 わたくし、四条貴音の名が呼ばれたのもさることながら、涼の声音がこれまでよりさらに意地悪く、さらに甘くなったために。
 近しくつきあってきたはずなのに、一度もあんな声を聞いたことはありません。なんと蠱惑的な声でしょうか。
 あのような調子で耳元で囁かれれば、腰の砕けない女性はいないことでしょう。事実、律子はこれまでよりさらに激しい喘ぎを放っておりました。
「僕たちの仲が知られちゃうのはともかく、こーんな格好は見られたくないでしょう? 僕に組み敷かれて喜んでる律子姉ちゃんの姿なんて」
 その言葉に、律子はいやいやするように首を振ります。
「でしょ?」
 涼が言うのに、彼女はさらに首を振りました。
「違う」
「え?」
「別に……構わない。これまでの外面が崩れたって、それはいいの。だって……涼が、わた、私のこと求めて……んぅっ……くれた、あの日から、私は、涼のものだもの。で、でも、単純に、恥ずかしい……んん! いきなりぃいっ!」
 ひときわ大きくなる律子の声。その体が、びくんと大きく跳ねました。まるで、覆い被さる涼をはねのけんばかりの勢いで。
 しかし、涼は彼女の体から離れることはありませんでした。その腰をがっちりとつかみ、己の体を打ち付ける様を見て、わたくしは理解いたしました。律子の体が大きく反応したその理由を。
 彼の陽根がしっかりと彼女の中に打ち込まれている現状を。
「涼! 涼! すごい、すごいよぉ……!」
「律子姉ちゃん、本当にまずいってば」
 ほとんどすすり泣くようにして歓びの声をあげる律子は、涼の注意を聞いて、もはや自らの手を重ねて口を塞ぐしかありませんでした。意思の力では抑制は不可能だと悟ったのでしょう。
 それだけの快感が、彼女の中でうねくっているのです。わたくしが想像だにしなかったような甘い吐息を漏らし、お尻をくねらせ、体中から歓喜の光輝を放っているかのよう。
 誤解を恐れずに言うならば、この時、わたくしは律子の乱れる姿を本当に美しいと思いました。それほどに幸福を感じさせる姿でありました。
 愛する人に貫かれる喜びというのは、それほどのものなのでしょうか。
 わたくしには……わかりません。
 廊下の床に座り込み、扉がわずかに開いた隙間から二人の痴態をのぞき見ているわたくしには、想像すら困難な悦楽です。
 わかるのは、二人の間にある情感――それは性感だけでありません――の豊かさと、それに心の底から嫉妬するわたくしのあさましさ。
 そして……
 律子の体に生じているであろう快感を少しでも味わってみたいと、涼の動きを真似て自らの体を慰めているわたくしの両の手の感触だけ。
 寝間着をはだけ、下着の中に手を入れ、二人の絡み合う姿に欲情するはしたないわたくしの姿。
 それは、実にみだらである一方、アイドルとしても、一人の女としても、情けない情景でありました。

 2.

 わたくしが、二人の大切な友人の情事をのぞき見るに至った経緯を語るには、どれほど遡るのが適当でしょうか。
 秋月律子率いるユニットに敗れ、961プロから765プロへ移籍して再デビューしたあたり?
 あるいは、その765も離れ、律子が起ち上げた新たな事務所に所属することとなった時期?
 それとも、その事務所の社長である人物が律子との婚儀の一月半ほど前、伊織の誕生日という最悪の時機に亡くなった折?
 彼の穴を埋めようと頑張りすぎた律子が倒れたことで、伊織がアイドル活動を休止して社長業を始め、涼がわたくしのパートナーとなったあの日?
 いえ、やはり、あの時がふさわしいでしょう。
 社長室で、わたくしの名を記した『でぃすく』を見つけたあの時こそが。
 秋月律子というアイドルをトップにまで育て上げ、他にも様々なアイドルを担当した――その中にはわたくしや伊織、真もおります――プロデューサーであり、律子の公私に亘るパートナーであった人物が亡くなって以来、秋月事務所の社長室は、一種の開かずの間と化していました。
 律子は代表権を持ちつつも社長の職には就かず、伊織は社長職を担ったものの、社長室は使わずに事務所に詰めておりましたから。
 ですが、わたくしは度々社長室に入っておりました。前社長が集めた資料、殊に世界各地の楽曲や映像を活用したかったのです。あるいは、それが出来たのは、前の二人よりは彼に対する思い入れが薄かったせいもあるかもしれません。あくまで比較すれば、という話ではあるのですが。
 いずれにせよ、わたくしは他の者たちより彼の遺したものに触れる機会が多かったと言えるでしょう。掘り返すべきではなかったものに触れてしまうことも……。
 その日、わたくしは新曲に関する工夫を考えるために、普段は馴染みの薄い地域の楽曲を収めたCDを借りていくつもりでした。
 ですが、探している内に、とあるものを見つけてしまったのです。
 題名のない、おそらくは市販品ではない一群、その中の一枚。白い盤面に見慣れた文字が記されたそれを。
「これは……なんでしょう」
 なんだかわくわくしながら、わたくしはそれを持ち帰りました。わたくしの名前――四条貴音とだけ記されたその盤の存在を律子たちに詳らかにしなかったのは、ちょっとした悪戯心に過ぎません。
 好奇心、猫をも殺すと申します。
 わたくしは、この時、まさにその罠にはまっていたのでした。


 自宅に戻り、以前に律子に据え付けてもらったぱそこんを起ち上げます。再生機器は他にもありましたが、これは一般に流通しているCDとは違うとわかっていたために、そちらには向かいませんでした。仮歌や、振り付けを録画したものを記録しておく、そんな媒体のはずです。あーる……なんとか言いましたか。
 また、音声のみか、映像も入っているのか、それもよくわからない以上、このぱそこんに入れてみるのが早道のはずです。律子が『いまある規格なら、まあ、たいていのものはこのドライブに突っ込めば再生してくれるわ』と請け合ってくれたものですから間違いありません。
 わたくしは彼の人が残したものがなんであるか、期待に心躍らせながら、それを投入しました。
 回転の高まる音が聞こえ、画面の中に窓が開いて、再生が始まります。
 ですが、そこに映し出されたのは、あまりにも予想外の光景でした。
「……わたくし?」
 そう、そこに大きく映されたのは、わたくし自身の姿でした。どこか……おそらくは長椅子に寝そべっている四条貴音。その姿が、映し出されています。ただし、眼は固く瞑られ、意識はないように見えました。
「これは不覚」
 くすくすとわたくしは笑い出します。仕事の後か、あるいは合間か、疲れて寝入ってしまったわたくしを、前社長……いえ、当時のプロデューサーが隠れて撮影していたのだと予想したために。
 ですが、わたくしの笑みはすぐに強張りました。
「……なにを?」
 眠っているわたくしの全身像を一通り映し出した後で、映像の中心はわたくしの上半身に向かいました。その画面に、撮影者とおぼしき男性の腕が入ってきます。もちろん、プロデューサーのものでしょう。
 ですが、なぜ、それはわたくしの頬や肩ではなく、まっすぐ胸へと向かうのでしょう。
 それでも、わたくしは、それが直前で止まるものだとわずかな望みを持っていました。きっと、わたくしに見せて、怒り心頭のわたくしをからかうつもりだったのだろうと。性質の悪い冗談ではありますが、まだそのほうがましだったことでしょう。
 わたくしの願いをあざ笑うように、手はそのままわたくしの胸をわしづかみにしました。
 下卑た眼を向けられこともあります。冗談めかして性的なほのめかしを受けたこともあります。手を触れようとする者も、皆無ではありませんでした。
 しかし、その全てから守ると、なにかあれば自分が全てをはねのけてみせると誓ってくれたのは、あなただったではないですか!
 そのあなたが、なぜこのような惨い真似をなさるのでしょう。
 混乱するわたくしの眼に、その映像は焼き付きます。下着をつけているというのに乳房が変形するのがわかるほどの勢いで、彼はそれを揉みしだきます。
『ん……むぅ……』
 痛みからでしょう。映像の中のわたくしが軽いうめき声をあげます。その声に、彼の動きが止まりました。
 ああ、一時の過ちであったのだ、とわたくしは安堵のため息をつきそうになりました。たとえどうしようもなく下劣な、裏切りとも言える行為であったとしても、これだけなら忘れてしまえると、そう思ったのです。
 けれど。
 彼が動きを止めたのは、確かにわたくしの体から離れるためではあったものの、それは、事前に用意されていたとおぼしき場所――おそらくは三脚の上――へカメラを据え付けるためのものでした。
 わたくしの横たわる体を斜め上から撮るような形になった画面。その中を、これまでは見えなかった撮影者が横切ります。それは、紛れもなくいまはこの世にはいない、あの方の姿。
 そして、その口元に刻まれた卑しい笑み。
 それを認めた瞬間、わたくしの感情の機能が全て停止いたしました。
 怒りも、悲しみも、裏切られたことへの悔しさも、なに一つ存在しない、そう、絶望すらもどこかへ消え去り、ただただ乾燥した空虚な感覚がそこにありました。
 あるいはそれは、わたくしの心に備わった防衛機構であったのかもしれません。あまりに無惨な現実を受け入れることを拒んだ脳が、情感を凍結してしまったのでしょう。
 感情が死んだようになっているわたくしの頭は、画面の中で展開されることを事実としてではなく、情報として受け取ります。
 あの方は……いえ、あの男は、意識のない『貴音』の体を持ち上げ、ソファと『貴音』の間にその身を入れました。男の体の上に『貴音』が乗っかっている状況です。
 自らの体にかかる重みを楽しむようにしながら、男は『貴音』を玩びます。服をはだけさせ、スカートをめくり、下から腰を持ち上げて、下着に包まれた『貴音』の股間をカメラに見せつけ、嬉しげに笑い声をたてる男。それは冷静に見ると、なんとも滑稽な光景です。
 しかし事を急ごうともせず、『貴音』で遊んでいる男の姿を見て、疑問を抱かずにはいられませんでした。
 なぜ、こうまでされて、『貴音』は眼を醒まそうとしないのか。そして、どうしてこの男はここまで余裕があるのか。
 まるで、『貴音』が意識を取り戻すことなどないと確信しているかのように……。
 男は嘲弄するような表情で、『貴音』の服に手をかけます。一つ一つ釦を外し、服をはぎ取っていきます。
 と、『貴音』の眼がわずかに開きました。覚醒かと思われたそれは、しかし、すぐに閉じられました。
 ですが、その一瞬で十分。
 まるで焦点のあっていないそれを見たわたくしは、一つの結論に至っていました。
「一服……盛られて……」
 いかに無体なことをされても眼を醒まさないのも、男が焦らないのも道理。
 『貴音』はなにか薬物で眠らされているのです。そして、わたくしがこのことを覚えていない理由もそこにあるのでしょう。
 『貴音』が下着姿になったところで男は身を起こし、座る己の体に『貴音』をもたれさせました。まるで、恋人に寄り添って眠っているかのような姿勢で。
 白い肌、桜色の下着、そこにかかる銀の髪。
 そこに映し出されているものが、最初から意思も生命も持たぬ人形であったならば、それはいっそ美しいと言える光景であったのかもしれません。
 ですが、男が次に取った行動は、いかなる観点から見ても、軽侮すべきものでありました。
 彼は、『貴音』の顎を持ち上げると、顔全体をカメラに向け、そして、その唇の両端を指で持ち上げたのです。
 そう、笑みの形に。
 絶望にもさらなる深みというものはあるものなのですね。虚無を覗き込むかの如く凍りついた心身で、わたくしはそれをじっと見つめていました。
 ついに裸身を露わにした『貴音』の体を丹念に、実に丹念に、ありとあらゆる場所をなめ回し、しゃぶりつくす男。自らの唾液でてらてらと光る貴音の膚の各所を、いちいちカメラに示してみせる彼は、まるで誇るようです。
 全てが穢されていきました。男の赤い舌が、『貴音』の顔貌も、腕も、脚も、胸も、そして、開かれるべきではない股間の翳りのその奥も。
 なんという執念か、それはそれは念入りに、男はその舌で『貴音』の膚に唾液を塗り込めていきました。
 それに満足したのか、男は『貴音』から離れ、再びカメラが動かされました。今度は三脚から取り外すことなく、位置とその高さを調節したようです。
 『貴音』の脚がだらしなく広げられ、股間が露わとなる、その場所を正面に撮るように。
 その上で男は長椅子の背に『貴音』の片足をひっかけて、さらにその場所が見えやすいように工夫します。
 そこへ、なにか液体が落とされました。
 それは、なにやらぬらぬらとした粘液のようなものでした。後に得た知識によれば、ろーしょんなる潤滑液なのだそうですが、それを、男は『貴音』の股間に塗り込み始めたのです。
 彼の舌でさんざんに嬲られたその敏感な場所に、今度はぬちゃぬちゃと音を立てて液体が注がれていきます。その音と指の具合から、内側……想像もしたくない場所へもそれは押し込められている様子です。
 男は、何度も何度もろーしょんを注ぎ足しては、『貴音』のその場所をほぐしていきます。閉じていたその場所が開かれるように。
 唇の内側のような桃色の肉が見えるようになるまで、男はろーしょんを塗り続け、ぷちゅぷちゅと泡まみれの液が中から押し出されるのを楽しむように、『貴音』の秘密の場所をいじくり続けました。
 男が三度『貴音』から離れます。衣擦れの音に続いて再び画面内に現れた男は、その身に纏っていた衣服を脱ぎ捨てていました。
 男は『貴音』の体を抱え上げ、再び己の上にそれを乗せました。相変わらず女の部分を見せつけるように。
 ただ、今度はその前に、重なるように見えるものがあります。
 びくびくと震える、肉の器官。その屹立を眼にしたわたくしの喉からおかしな音が漏れました。
 それからのことは、それまでに比べれば時間にしてみれば実に短いものでした。男の手によって、『貴音』のその部分が開かれ、ぐいと棒のような肉塊が押し込められる。なにやら苦労している様子ながら、着実にそれは呑み込まれていきます。
 そして、ろーしょんに別の色の液体が混じりました。
 そこに破瓜の血を認めたとき、わたくしは、胃の中のものを全て吐き戻していました。
 わたくしは、知らぬ間に……。
 何一つ認識せぬ間に処女を奪われていたのでした。

 3.

 破綻は存外すぐに――十日ほどで――訪れました。
「貴音さん」
 それは、とある時代劇の撮影現場でのことでした。わたくしの出番が終わり、出番待ちをしていた若武者姿の涼が声をかけてきたのです。
 しかし、その声は普段よりほんの少し低く、そして、ほんの少しだけ真剣すぎました。
「なんでしょう? 演技に問題でもありましたか?」
「あはは。そうじゃありませんよ」
 微笑んで軽く否定の言を告げながら、涼の瞳は、わたくしを射貫くように鋭いままです。その態度で、おおよそのことは察することが出来ました。
「今日、事務所でミーティングですよね」
「ええ。そうですね」
 そんな予定はありません。
 しかし、彼の言いたいことはわかります。後で話す時間を取れということです。他人のいる場で追求することではありませんから。
 わたくしは小さく頷き、そして、その場は終わりました。
 しかし、その日、わたくしは事務所に戻ることはありませんでした。律子に連絡を入れて、直帰してしまったのです。
 そう、わたくしは逃げたのです。
 わたくしの異変に気づいたであろう涼に問い詰められることから。
 ですが、わたくしは、彼の行動力を侮っておりました。
「貴音さん」
 まさか、自宅までやってくるとは。
 玄関の様子を映し出す携帯電話の画面――わたくしが居住する集合住宅では、そのような連携がなされているのです――を見つめながら、わたくしは己の浅慮を恥じる他ありませんでした。
「入れてもらえますか」
「……いま、開けますので」
 こうなるともはやどうしようもありません。観念したわたくしは彼を部屋に上げました。
「律子姉ちゃんにはちゃんと話して来ましたから」
 開口一番、彼はそう言います。もちろん、その言外の意味もわたくしにはよくわかりました。
「律子もですか」
「それはそうですよ」
 苦笑いを浮かべて見せるのに、涼は生真面目な顔で頷いたものです。
 わたくしは彼を待たせて茶を淹れ、心を落ち着けようとしました。
 しかし、そんなことは出来ませんでした。
 それが出来るならば……そう、涼や律子相手にそれが出来ていたならば、わたくしの変調に気づかれることなどありはしなかったでしょう。
 余人は騙せても、己と彼らは騙せません。
 二人分の茶を淹れて戻り、彼にまっすぐ対します。涼が一口ほうじ茶を含んだところで、わたくしはおもむろに切り出しました。
「眠れないのです」
「え?」
「眠れないのです。このところ、ずっと」
 いきなり核心に切り込むとは思っていなかったのか、あるいはわたくしがあくまで誤魔化すと思っていたのか、涼は一瞬呆気にとられたようになっていましたが、すぐに息を呑み、真剣な表情になりました。
「……それで事務所や移動の時うつらうつらしていたんですか。あれだけの睡眠で、よく……」
 涼が感心したように言うからには、仕事は出来ていたようです。もちろん、自分でもしっかりとこなしているつもりではいましたが。
「おそらく……ですが、この部屋でも、気づいていないわずかな間、眠っていたのでしょう。しかし、最もよく眠れていたのは、涼、あなたと律子の前です」
「え?」
「お二人のいるところでなら眠れました。それ以外の場所では……眠れません。いえ、眠りたくありませんでした」
「眠りたく……ない?」
 そこまで話を進めたところで、わたくしは次の言葉に躊躇しました。
 表層的な理由なら、こうして話すことにそれほどの覚悟はいりません。しかし、不眠という現象の根本原因を語ろうとすれば、わたくしは彼に知られたくないことを明らかにせねばなりません
 彼に、知られたくない?
 ふと、わたくしは己の心の動きになにかひっかかりを覚えました。
 もちろん、あれは秘事中の秘事。
 決して軽々に漏らしていいものであるはずがありません。
 しかし、『男性に』知られたくない、でも、『皆に』知られたくないでもない。
 涼に知られたくないと思うこの気持ちはなんでしょう。
「貴音さん?」
 わたくしの視界に、涼の端正な顔が入ってきます。いつの間にか、わたくしは俯いて黙り込んでいたようです。彼は、わたくしの横に移動して、顔を覗き込んできていたのです。
「……あ……」
 思わず身を仰け反らせていました。それにしても、彼が横につくまで気づかないとは、わたくしはどれほどの間おし黙ってしまっていたのでしょうか。
「ご、ごめんなさい!」
 慌てて後ずさり、とてつもない勢いでぺこぺこと頭を下げる涼。その姿に、わたくしは思わず笑みを浮かべていました。
 そう、わたくしは、その姿に、昔の彼の姿を重ねていたのです。
 昔、と言っても、せいぜい半年ほど前の事。それ以前に――女装をしていた時期の涼に会ったことはありましたが、それは別の事でしょう。
 わたくしと涼との関わりは、やはり、律子が倒れてからのことです。共に過ごした季節にしてもわずか三つ。しかし、実に多くの時を共有してきたように感じます。
 導いてくれる人のいない状況での芸能活動という暗中模索の状況。
 涼はその優しさから、わたくしに対していくつも譲るところがありました。異性のアイドルと活動するとまどいを抱えていたわたくしは、その事にかえっていらだってしまったものです。
 そうして、ついに彼の優しさを優柔不断と受け取ったわたくしの感情が爆発した時、彼は笑顔を崩さずにこう言ったのです。
『僕は僕の夢のためにここにいます。いまはその夢の中で、律子姉ちゃんを助けたいって部分がとても大きくなってます。僕にとって譲れないのはそこだけです。貴音さんには貴音さんの夢や望みがあるでしょう。そのために協力出来ることは協力する。僕らはパートナーなんですから当たり前ですよ』
 真っ直ぐな笑み。けれど、その真っ直ぐさにどこか落ち着かなくもさせる笑み。彼自身は控え目かつ素直な感情を出しているだけのその表情の力強さに、わたくしはそれまでの立腹も忘れて見とれてしまったものです。
 ああ、そうかと思いました。
 思えば、あの時から、既に、わたくしは、目の前の青年にどうしようもなく惹かれていたのです。
 わたくしは、ついに己の中の感情を認めました。
「涼」
「はい?」
 あえて声を硬くして、わたくしは告げます。彼はわたくしから離れ、席に戻ろうとする中途半端な体勢のままこちらを見ました。
「あなた方が感じているであろうわたくしの不調の原因については話しました。わたくしは自らの矜恃にかけて、これを改善するつもりです。同輩としては、これ以上のことを聞く必要はありませんね?」
 感情を遮断したかのような冷たい顔が出来たはずです。わたくしがそうすれば、それなりの迫力を持つことを、重々承知していました。
 ですが、彼の眼は轟々と燃え上がり、わたくしを貫きます。
「貴音さん」
 ああ、わたくしはなんと卑怯なのでしょうか。
 責任感が強く、友を思う気持ちもまた強い涼にあのような言葉をかければ、当然返ってくる反応もまた激しいとわかっているはずですのに。
「貴音さんの事情に立ち入るなというのもわかります。でも、僕と律子姉ちゃんの前では眠れるっていうのなら、僕にも手助けできることがあるはずです。違いますか」
「出来るか否かと問うならば、出来ると応じましょう。なれど……」
 誘いかけるように、駆り立てるように。
「それをするには、わたくしが眠りに就くのを恐怖するに至った、その故を知らねばなりません」
 わたくしは彼に挑戦したのです。
「それを受け止める覚悟があなたにありますか? わたくしの全てを受け止めると誓えるのですか?」
 本当にわたくしは狡い女です。
 このように問いかけられて、怖じ気づくような者は、最初から踏み込んできたりはしないものです。かえって発憤する侠気を、涼は備えていることをわかっていながら、わたくしは……。
 それでも、わたくしにはこうするしかないのです。
 あのような手ひどい裏切りを受けた以上、もはやわたくしが信じられる人物は少なく、そして、その中でも全てをさらけ出してもいいと思える相手は唯一人しかいないのですから。
 そして、涼は、わたくしの予想通りにこう答えるのです。
「たとえなにが待っていても、僕は貴音さんの力になりたい」
 と。


 ぱそこんの前に案内され、わたくしにそれを見せられた涼の反応は、戸惑いから困惑へ、そして、狼狽から怒り……いえ、憤激へと変わっていきました。
「これ以上は……あなたでも想像出来ましょう」
 さすがに下着を脱がされてから後の場面を見せることは不可能でした。わたくし自身が耐えられそうになかったのもありますが、それ以上に、涼のあまりの憤りに恐れを感じたからでもあります。
「……畜生……っ」
 彼の唇の隙間から押し出された言葉にはわたくし自身すら抱かなかったほどの煮えたぎる感情が込められていました。
 あるいは、それでわたくしは冷静になり得たのかもしれません。わたくしはぱそこんの電源を落とし、いまも暗い画面を見つめ続けている涼の脇に立ちました。
「涼」
「なん……ですか」
「噛みしめるのもほどほどになさい。唇を噛みきってしまいますよ」
 彼はその言葉を受けてわたくしをきっと睨みつけ、そして、はっと表情を変えて、詫びるような視線を送ってきました。それに構わず、わたくしは言葉を続けます。止めれば、二度と口を開けないような気がしてなりませんでした。
「ご覧になった通り、わたくしは意識を奪われて、いいように玩ばれました。わたくしが眠れなくなった理由はおわかりでしょう。先日、社長室においてこれを見つけてしまったが為です。ここに記録されている非道を行った人物は既に鬼籍に入っていることは重々承知ながら、眠ってしまえば……わたくしという意識がなくなれば、また穢されてしまうのではないかと……。そう、再び、誰かに好きなようにされてしまうのではないかと、そう恐れるが故です」
「貴音さん」
 声がします。どこか遠くから。わたくしの意識の果てから。
「おかしなことに、いまだに実感がないのです。たしかにわたくしの純潔は奪われ、あの男のおぞましいものがわたくしを襲ったというのに、そのことをわたくしは少しも覚えていないのですから。あるいは夢であったと思い込みたいのかもしれません。あれが夢で、わたくしは、いまも信じたあの方や律子と共に邁進していると。しかし、あちらが夢だというなら、いまこのうつつはなんなのでしょうか。あなたと共にいるこの時間は、果たして、わたくしの……」
「貴音さん!」
 抱きしめられていました。
 ああ、そうです。最初に会ったその日以来の印象が強すぎるために、彼の事を小さな少年と思いがちですが、それは誤りなのです。
 もはや身長もわたくしを超え、こうして抱き留められるその胸も、実に広いものなのですから。
 そして、押しつけられた彼の胸の温もりを感じながら、同時にわたくしは己の頬を流れるものをも感じ取っていました。はらはらと流れ落ちる涙の熱を。
 ぎゅうとわたくしの体を抱きしめて、彼は力強く声を発します。
「僕が、守ります」
 胸の奥がかっと燃え上がりました。わたくしを強く抱きしめる彼の力に応じるように涼の背を掴まえ、そして、顔をあげました。涙に濡れてひどい様になっているであろう顔をわたくしは彼に向けたのです。
「……真ですか?」
「はい。僕たちが、貴方を守ります」
「ああっ」
 ひしとすがりついた、その後のことは長々と語るに及ばないでしょう。
 彼は律子に連絡し、彼女を説得――というほどのことは必要なかったようですが――して、わたくしを彼と律子が暮らす部屋に引き取ったのです。
 件の映像については言及しなかったようですが、律子は原因はともかく、まずは不眠という状態を解消できるならば、と快くわたくしを受け入れてくれました。
 久方ぶりに安心して眠りにつけた喜びを、どう表現すればよいのでしょう。
 寝付けたと思った瞬間に恐怖に跳ね起きる必要のない眠りの貴重さを、どう評価すればよいのでしょう。
 わたくしは、安らぎの場所を手に入れたのです。

 4.

 そして、律子たちとの生活が始まって数日後の夜半。
 厠に立ったわたくしは、居間の灯りがまだ消えていないことに気づきました。
 寝ぼけ頭で思い返してみれば、同室の律子の布団は空でした。なにか仕事でも思い出して、起き出しているのでしょうか。
 そう考えたわたくしは、わずかに開いている扉の隙間から、居間を覗き込んだのです。気配を消してそれを行ったのは律子をわずらわせたくなかったからにすぎません。
 しかし、そこで見たのは、予想外の光景でした。
 律子はいました。ですが、彼女は涼の膝の上にいました。
 椅子に座る涼に抱きかかえられるようにして、律子は彼と口づけを交わしていたのです。
 しかも、それは唇同士を合わせるだけの大人しいものではなく、ここまで水音が聞こえてきそうな、激しいものでした。
 眼鏡の奥でとろける瞳。突き出され、絡み合う舌。
 二人は夢中でお互いを貪っています。
 わたくしは、涼と律子の関係をなんとはなしに察してはいました。共に暮らすことになる以前から、彼女たちには親戚という関係を超えた緊密な関係性があることはわかっておりました。
 だからこそ涼に抱きしめられた時、自らの思慕を黙ったままでいたのです。
 ですが、このような状況……二人の肉体関係については、想像だにしておりませんでした。
 いえ……正直申し上げれば、それをあえて考えないようにしていたのです。
 いま、この胸の中で燃え上がる嫉妬の炎を消しておくために。
 なぜ、あそこで涼の膝に抱かれているのはわたくしではないのでしょう。
 なぜ、くすくす笑い合い、頬を優しくなでられているのはわたくしではないのでしょう。
 なぜ、なぜ、なぜ……。
 心の中で轟々と泣き叫ぶわたくしの恋心。
 けれど、わかっているのです。その理由も。
 わかっているのです。涼が律子を選び、愛しているこということくらい。
 ああ、なんと愚かしい女でしょう、わたくしは。
 律子を羨むのみならず、まるでわたくしが在るべき場所を奪われたかのような思いを抱くとは。
 理性はそう自らを戒めつつ、しかし、心のほうは止まりません。
 涼の手が忍び入る胸元がわたくしのものであったなら。
 涼が脱がしていく衣服がわたくしのそれであったなら。
 涼が口づける膚が、わたくしのものであったなら。
 そう思うだけで、体が熱くなっていきました。わたくしは、己の手を涼のそれに模して、自らの膚の上を這い回らせる、その誘惑に耐えきれませんでした。
 彼らの絡み合いが激しくなるに連れ、わたくしの指は徐々に大胆に、そして、力強く膚の上をこすり続けました。おかげで、二人がついにその体を合わせたときには、わたくしはほとんど脱げかけた服をようやくひっかけているような有様でした。
 床に膝立ちになって、胸をまさぐり、夢中になって股間をいじるわたくしは、律子が涼に貫かれる段に至って、自らの指を己の内側に潜り込ませました。
 ぐじゅりと音を立てたそこは、熱く、そして、あふれ出る蜜液で満たされていました。
 異常な事態です。
 いえ、わたくしの体が肉の悦楽を受け入れるための準備をしていることではなく、指を突き入れる行為が、です。
 一人の女性として、自らを慰めることが無かったとは言いません。しかし、そこに指を差し入れることに関しては、わたくしは恐怖まじりの忌避感を持っておりました。未知が故のことであったかもしれません。
 ですが、この時のわたくしは一切の躊躇いなく、ひたすら自らの快楽を求めておりました。
 そして、秘所に突き立てた指は、たしかにその役割を果たしました。即ち、わたくしの知り得なかった快感をもたらすという。
「ああっ! 涼!」
 二つの言葉が重なります。律子の喜びに溢れた喘ぎと、わたくしの口の中だけで呟かれる切ない呼びかけが。
 指で開かれていくぬめった隧道は、なんとも言えぬ充足感と、浮遊感をくれます。掌で押さえつけられる肉芽は、こすれる度にまぶたの裏を電撃が走る程の強烈な刺激をもたらします。
 いつしかわたくしは肉の快楽に酔っておりました。
 見えるのは涼の姿だけ。
 そこに組み敷かれている女性の姿は、わたくしの認識の中から除かれ、まるでわたくしを用いて涼が快楽を感じてくれているかのような錯覚の中で、喜悦は高まっていきました。
 ですが――。
「律子姉ちゃん!」
 切迫した叫び。それは、わたくしではない、他の者を呼ぶ声。
 そこに込められた快楽と強い愛情に、わたくしの心がすうと冷たくなりました。けれど、高まりきった体は治まることはなく、そして、指の動きも止まることはありませんでした。
 そう、わたくしは、どうしようもない悲しみの中で絶頂に達していたのでした。
 絶頂の波が退き、怒濤のように襲ってくる後悔の念の中、わたくしはがくがくと震える脚を叱咤して立ち去ろうと試みました。
 その時、わたくしは見ました。
 明らかにわたくしを認識して、視線を向ける律子の顔を。
 その顔に浮かんでいた表情が、蔑みや勝ち誇るようなものであったのなら、まだ救われたかもしれません。同じ土俵に立っていると思い込めたかもしれません。
 けれど……ああ、けれど。
 そこに浮かんでいたのは、慈愛すら感じさせるほど透明で、美しい……ただただ美しい笑みでありました。

 5.

 じゅぷっ、にちゅ、じゅっぽ。
 リズミカルな音がわたくしの耳朶を打ちます。それはわたくし自身の口が引き起こしているもの。
 口内からわき上がる唾液を硬い肉の部位にからめ、頬の肉と舌によってこすりあげることによって生じる音。
 すなわち口淫による、げに淫蕩なメロディ。
 口腔奉仕――あるいは最近覚えた卑語で言うならば、わたくしの口まんこによるご奉仕――をする度に思うのですが、なぜ殿方というのは、このような行為に喜びを覚えるのでしょうか。
 身を伏せ、股間に顔を埋め、時にえづきと戦いながら頭と口と舌を駆使して奉仕する様が支配欲を満たすというのはわかります。
 舌という、意思によって動かせるもので敏感な部位を刺激されるというのも――わたくしがこれまで存分に味わってきているように――快いものでしょう。
 食事を摂取するための、そして、わたくしたちアイドルが恋の歌を歌い上げ、愛を囁くその場所を性器として用いるという背徳感も理解の内です。
 けれど、本来その用途に供されるべきわたくしのあの場所が切なく嘆くのも事実です。
 この雄々しいものでふさぎ、いえ、広げて、そのものの形として欲しいと。
 腰の奥から発するうずきに耐えかね、あさましくお尻を揺り動かしながら、わたくしは奉仕に力を入れます。
 そうすることが、肉体が欲する行為――すなわち、愛する人との交合への近道だと知るが故に。
 ああ、それにしても、なんと立派なのでしょう、涼のものは。
 ともすればわたくしの喉など突き破ってしまうのではないかと思うほどたくましいそれを、わたくしは口いっぱいで味わいます。
 喉の入り口まで達しているそれをきゅっとしめつけるのは、だいぶ慣れたとはいえ苦しい行為ですが、涼が思わず濡れた声を漏らすのを聞くと、やめられません。
 口内に広がるなんとも言えぬ複雑な味と鼻をつく牡の匂いは、けしておいしいだとかかぐわしいだとか言えるものではないでしょう。けれど、わたくしにとっては……色欲に絡め取られた牝にとっては、それは舐めても舐めても飽きぬ味であり、嗅げば嗅ぐほど体の内側を焼き尽くす炎を燃え上がらせる香りなのです。
 女ではありえないようなこの香り。これがわたくしを狂わせるのです。
 そう、全てをわたくしのものにしたいと思うほど。
 口いっぱいに頬張っているが故に鼻から息を吸う他はありません。そうする度に、わたくし自身の唾液と涼のものからにじみ出る液が混じった香りと、全てを圧するが如き牡の匂いがわたくしの鼻孔から脳天へと抜けていきます。
 ああ、欲しい。この恐ろしいほどの肉の凶器が欲しくてたまりません。
 欲望がわたくしを駆り立て、さらなる動きを呼び起こします。わたくしはまさに夢中で頭を前後させ、目の色を変えて、涼にむしゃぶりつき……。
「貴音さん!」
「はひっ……?」
 ぐいと肩をつかまれ、動きを止められました。ずるりと口内から出て来る肉棒。わたくしのつばでてらてらと光るそれに一瞬目をとられましたが、すぐに涼の顔を見上げました。
「熱中しすぎ。さっきから呼んでたんだよ?」
 ともすれば女性と見紛うような端正な顔に穏やかな表情を浮かべ、涼はそう告げます。
 情欲に塗り込められ、興奮でぼやけた頭に、その言葉の意味が染み渡った途端、背筋を冷たいものが走りました。
「も、申し訳も……」
「聞こえてなかったの?」
 もつれる舌を自ら叱りつけながら、謝罪の言葉を言い終える前に、優しい笑顔で訊ねかけられました。わたくしは涼の股間から立ち上がるものに指を絡め、快楽を送り込むことを続けながら、こくりと頷きました。
 彼の指がわたくしの頬にかかります。つうとあごの先へと滑っていくその指のぬくもりとなめらかな感触に、体の中でぞくりと蠢くものがありました。
「しかたないなあ。貴音さんはたまに我を忘れるよね。初めての時みたいに」
「ご、後生ですからあの時のことは……」
 冗談めかした言葉に目を伏せます。たしかに涼とわたくしのはじめての房事は少々激しいものではありましたが……。
 とはいえ、こうして笑い事として語り合えるようになったこと自体は、歓迎すべき事と言えましょう。なにしろ、あの時は……。
 わたくしは、涼に顔から肩口をなでられ、まるで喉をくすぐられ、ごろごろと機嫌のよい鳴き声をたてる猫のような有様になりながら、しばらく前のことを思い出しておりました。

 6.

 あの日……。涼と律子の情事を盗み見てしまった夜の翌日、わたくしは事務所に戻ると、一人でいた涼に話があると申し出ました。
 学校の課題に取りかかっていた涼はプリントを片付けてからわたくしの相手をしてくれました。自分と彼のために紅茶を淹れ、わたくしは彼に対します。
 この時、わたくしは、部屋を出て行くという話を切り出すつもりでした。不眠についての不安はつきまとうものの、これ以上律子と涼の邪魔を……いえ、正直に言いましょう。強く結びついている二人の姿を間近で見ているのにいずれ耐えられなくなることを悟ったためです。
 けれど、口を開こうとした時、別の懸念が頭に浮かんできました。
「貴音さん?」
 唐突に気づいたその可能性に固まってしまったわたくしを心配した涼が、顔を覗き込みます。
「涼」
「はい」
 彼への呼びかけはかすれ、震えていたように思います。
「あの『でぃすく』は一枚だけとは限らないのではありませんか?」
 涼の顔色がさっと変わりました。わたくしの映像を見た時に見せた憤怒がちらと彼の目をよぎります。
「まだ、あると?」
「わかりません。ですが……」
 わたくしたちの視線が、共に一つの扉に向かいました。
「確かめてみないといけませんね」
 そして、わたくしたちは、社長室へと入っていきました。
「こんな……ことが」
 結論から述べれば、それらはあっさりと見つかりました。なんと、二十枚に及ぶでぃすくが出てきたのです。
 しかも、そこに記されているのはわたくしの名前ではありませんでした。
「天海春香、星井美希、菊地真、水瀬伊織……そんな、そんな」
 口にした四人に留まらず、なんと双海亜美、真美の双子のものさえあります。あの年若い友人たちの花すら手折られていると、そう言うのでしょうか。
 あの一枚のでぃすくにさえ、あれほどの惨い光景が記録されていたことを考えれば、四枚も五枚もある春香や伊織たちのものには、どれほどの辛い経験が刻まれているというのでしょうか。
 体の力が全て抜けてしまいました。膝が折れ、ぺたんと床に座り込んでしまう自分をぼんやりと認識します。
「貴音さん!?」
 急にうずくまったわたくしのほうへ、涼が駆け寄ってきます。それが涼であるとたしかに認識できていたというのに、彼の指が肩に触れた途端、わたくしはびくんと体を仰け反らしておりました。上半身全体を使って、彼を振り払おうと。
「いやぁっ!!」
 悲鳴と共に突き出された掌が彼の腹を捉え、涼の、重いとは言えない体の感触が腕に響きます。
「うわっ」
 突き飛ばされ、壁に強くぶつかって、ずるずると床にへたり込む涼。
「あ、あ……あ……」
 なんということを、なんということを、わたくしは!
「いててて……」
 頭を振って立ち上がろうとする涼の元へわたくしは急ぎました。床を這いずるようにして彼に迫り、そして、すがりつきました。ある意味で、床に引きずり戻すような形になっていたかもしれません。
「た、貴音さん?」
「お許し下さい。あなたに見捨てられたら、わたくしは、もう……」
「だ、大丈夫ですよ。ちょっとびっくりしましたけど、混乱するのはわかりますしね……」
「真に、わたくしを見捨てずにいてくださいますか?」
「当たり前じゃないですか。貴音さんの力になるって誓いましたよ、僕」
 そう言って、彼はわたくしに笑いかけます。
 凛々しく、それでいて、全てを包み込むような温かな笑み。
 わたくしの、極度に混乱し、絶望に塗れた心にとって、その笑顔はまるで長い冬の後に見いだした太陽の温もりのようでした。
 それがわたくしを狂わせ、心の中の嵐を呼んだのです。
 涼に泣きながら取りすがり、わけのわからないことをわめきながら、彼の唇を襲ったことは、たしかに覚えています。
 けれど、そこから先はもはや激流の中に押し流されるようで、記憶も曖昧です。実に残念で、真にありがたいことに。
 彼に自らの体を差し出し、いえ、むしろ押し倒すようにして、歓喜と呪いの声を上げながら貫かれたように思います。
 歓喜はもちろん涼に自らを捧げられたことへの、そして、呪いはあの男への。わたくしが愛しい男に抱かれるのを地獄で見ているがいい、とかなんとかわめいたような気もします。
 意識がまともに戻った時には、赤ん坊のように体を丸めて彼の腕の中でむせび泣いておりました。やさしく頭をなでてくれる手の感触がとても心地好く、もうしばらく我を失っている振りをしようかと思ってしまったくらいです。
 ともあれ、わたくしは社長室のデスクの上にある己を認識し、それと同時に、太腿に粘つきながら垂れ落ちるものの感触を感じ取りました。おそらくは、涼がわたくしに放ってくれたものでしょう。
「涼……」
 言いながら、心配そうにこちらを見る彼と見つめ合います。瞳の色で正気を取り戻したと知ったか、彼は少しほっとしたようでした。
「はい」
「わたくしは……」
「謝ったりしたら、怒りますからね」
 先回りされてしまいました。
 それから彼はわたくしをぎゅっと抱きしめました。そして、わたくしをまっすぐ見つめ、こう言ったのです。
「貴音さんに後悔はさせませんよ。僕は、あなたの力になります」
 と。

 7.

 唐突に多くの秘密を抱えたわたくしたちは、当然のように思い悩み、苦しみました。
 わたくしがかつて意識もないままに穢されていたというものだけであれば、涼とわたくしの二人だけで抱え込めもしたでしょうが、さすがに幾人もの仲間が……となればそうもいきません。
 しかし、当事者であるが故に、わたくしはどう動いてよいかわからず、涼が主導してくれなければ、ただただ心が闇に閉ざされるに任せるままであったかもしれません。
 まず、彼はわたくしと共にでぃすく群を確認する作業に取りかかりました。時に取り乱しそうになるわたくしをなだめながらの作業はきっと骨が折れたことでしょう。
 さすがに映像の中身を全て確認するというようなことはせず、最初の数十秒を、音声なしで見てみるという方法をとりましたが、それでも多くのことがわかりました。
 予想通りに、これらはあの男の犯罪記録――あの男のような外道の側から見れば戦利品――とでもいうべきものであること、そして、わたくしと同じように意識を奪われているのが三人、会話などをして撮られていることを自覚している様子である人物が三人いることが把握できました。
「これ……意識ある人たちも、薬を盛られている可能性、高いですよね。あるいは、精神的な支配、いや、脅迫ってこともあるか……」
 涼はゆっくりと喋りながら、自分の考えをまとめようとしています。わたくしは黙って彼の思考が固まっていくのを待ちました。
「そうなると、まず話す相手は、伊織さんをおいて他にはいませんね」
「水瀬伊織ですか」
 現在の秋月事務所の社長であり、欧州に留学中の友人の名を、わたくしは緊張感と共に呼びました。彼女は映像を見る限り意識を保っている側に入っています。
 しかし、あの卑劣な男の事です。アイドルという立場だけではなく、水瀬家の令嬢であるという事実を利用して彼女を縛り上げていた可能性も非常に高いことでしょう。
 いずれにせよ、彼女はわたくしたちより様々な事を知っているかもしれません。
「はい。あの人に話して、それから、律子姉ちゃんに話します」
「そう、ですね。それしかないでしょうね」
 伊織、そして、律子。まずは事務所内でこの問題を共有すること。その必要があるということを涼は主張し、わたくしはそれに納得しました。
 まず律子に話すのではなく、伊織の帰国を待つ――といっても元から半月ほどすれば帰国予定でしたが――という手順を選択したのは、わたくしや、そして、涼自身の気持ちを落ち着ける作用も意識してのことだったでしょう。
 ただし、問題はその間にも生じました。
「涼のこと、お願いね」
 それを告げられたのは、テレビ局から事務所に戻る車中でのことでした。つい先程までは翌日の仕事の予定などを話していた律子が、ふと思い出したかのように言ったのです。
「はい?」
 わたくしは後部座席から、運転する律子のことを見つめました。怜悧な横顔が、実に落ち着いた様子で繰り返します。
「涼のことを頼むって言ったのよ。あなたたち、『そう』なったんでしょ?」
 強調の仕方で、わたくしは悟りました。
 不思議と恐怖も焦りもありません。律子ならば気づかれてもおかしくないと、どこかで感じ取っていたからでしょうか。
「はい。わたくしのわがままにて」
 否定することなく、静かに応じます。そうすることが礼儀だと感じる故に。
「しかし、あれは一夜の夢。そう思うようにしております」
「それでいいの?」
「こちらが問い返したい話です。自らの背の君を譲ろうなどと、なぜ仰います」
「兄じゃあなくて弟だけどね」
 洒落たことを一つ言ってから、律子は流れの遅くなった車列を睨むように見据えます。
「あなたを大事に思う涼の心は本当よ。それを邪魔するわけにはいかないのよ」
 ハンドルを握る手に力がこもっているのがここからも見えます。
「私は涼に救われた。だから、涼の邪魔にはなっちゃいけないの」
 ならば、律子を大事に思う涼の心はどうなるというのでしょう?
 わたくしを思う気持ちが涼にあってくれることはこの上ない喜びですが、それとは比べものにならないほど強い思いが、彼の中にはあるはずなのです。
 しかし、それ以上、わたくしはなにも言うことが出来ませんでした。彼女の決意を穢すようなことを言いたくなかったからです。
 そして、もう一つ。涼の言葉を思い出していたからでもあります。
『僕は、律子姉ちゃんもあいつの被害にあっていたんじゃないかと考えています。こういう映像を残すというのではなく、別の形で』
 おそらく彼の推論は正しいのでしょう。律子はわたくしたちとは違うやり方で、彼の人物になんらかの苦痛を味合わされ、そして、その苦悩を涼が癒やしたのでしょう。
 だとすれば、彼女の思いは痛いほどよくわかります。
 ですから、わたくしは、彼女になにか反論する代わり、こんな歌を思い出し、呟いておりました。
「ゆくへなく月に心のすみすみて、果てはいかにかならんとすらん」
 それを聞いた律子の横顔が、微笑んだ気がしました。

 8.

「ふふっ」
「どうしたの、くすぐったかった?」
 笑い声をもらしたのに、わたくしを後ろから抱きしめながら、ゆっくりとお腹のあたりを愛撫してくれている涼が訊ねかけてきました。
 すでに三度わたくしの中に放っていながら、彼のものはわたくしのお尻のあたりでその存在を強く主張しています。けれど、わたくしの体が――おそらくは何度も絶頂に導かれたために――敏感になりすぎてしまい、その熱を冷ましている最中のことでした。
 もちろん、わたくしのほうも、彼と膚を触れている限り、冷めきることなどあるわけはないのですが。
「いえ、最初の交わりのことを言われてから、なんとなしに、これまでのことが脳裏に浮かんでは消えしていたのですが」
「うん」
「伊織の申し出は実に痛快なものだった、と思いまして」
「あはは」
 軽やかな笑い。
「でも、僕は伊織さんに……それに、律子姉ちゃんにも貴音さんにも感謝してるよ」
 涼は笑いを収めると、真摯な声でそう続けました。
「伊織さんが僕の恋人に名乗りをあげなきゃ、いまのような関係にはならなかっただろうからね」
 そう、伊織は、わたくしから相談を受け、わたくしが涼と関係を結んだことに思い切り呆れながら、それを上回る衝撃的な行動に出たのです。つまり、自らも涼の恋人として立候補するという。
 彼女曰く、『対立を鼎立に変えて、破局から安定につなげる策よ』ということでしたが、それはあるいは、そのような状況でなければ形にはならなかったであろう淡い思いを結実させるための策であったのかもしれません。
 わたくしに任せて身を退こうとしていた律子と、律子のことを考えて諦めようとしていたわたくしの二人に加え、自らが身を投じて三つ巴の状態を作り上げる。
 よほどの胆力が無ければ出来ない事ですが、それを生み出したのは、きっと、涼への思いだったことでしょう。
 そして、それとは別に律子にあの男の真実が語られ、全員が実にゆゆしき事態に陥っているということを認識しました。
 ここに至り、皆はこう判断するに至るのです。一致団結できる状況を作るべきだと。
 幸い、わたくしたちは涼を愛することでつながりあっておりました。皆が彼の恋人となることで、彼を中心として困難に立ち向かう体制を形作ることが可能でありました。
 そうして、わたくしたちはその道を選び取ったのです。
 そう、いま、こうして涼と膚を重ね合わせていられる幸せな関係を。
「そうでなきゃ、こうして、貴音さんの体を味わうこともできなかっただろうし」
「んっ……そのような……はふっ」
 涼の指がするすると下腹部に下りていく、その感触だけで、わたくしは喘ぎを漏らします。甘い期待を込めた声を。
 右の腕はわたくしの脇腹の下敷きになりつつ、短く刈り込まれた草むらに向かい、左腕は、背中側から、わたくしのまあるいお尻にかかりつつあります。
 その指の動きのなんて精妙なことでしょう。
 わたくし自身すら知らない体のラインが浮き彫りにされていくかのような感覚。わたくしという肉体から、さらに美しいものを作り出してくれるような、なんとも言えぬ快感。
 そして、その先に予感される溺れそうになるほどの快楽。それは、もはやわたくしの体に刻み込まれています。
 ですが……。
「おっと、まだだめかな?」
 ぱっとわたくしの膚から両手を離す涼。男根から伝わる脈動と熱を感じ取りながら、指が去っただけで、わたくしの体は泣き声をあげようとしています。
「……いけず」
 甘えるように呟き、身もだえするわたくしを、涼は実に意地の悪い笑顔で見下ろしていることでしょう。直接に見えなくとも、それくらいはわかります。
 なにしろわたくしは、そんな彼にも惹きつけられているのですから。
「……」
「え?」
 勇気を出して囁いた言葉に聞こえないふりをする涼。
 こうなったら、しかたありません。わたくしは体をひねり、彼から一度体を離しました。向き直り、腕と――そして、実にはしたないことながら――脚を開き、彼を誘います。
「思う存分蹂躙なさいませ、あなた様」
 すべてをさらけだし、無防備となっているわたくしの肢体に、涼が体ごと襲いかかってきます。指が、舌が、こすりつけられる腿や腕の全てが、わたくしの心と体から快楽を引きずり出します。
 わたくしは、愛しさと、そして、彼からもたらされる心地好さをさらに引きつけたくて、手を彼の背に回し、ぎゅうと抱きしめました。
「涼……」
「ん?」
 涼のものがわたくしの入り口にたどり着き、焦らすようにゆっくりこすりあげるのを感じながら、わたくしはわずかに真剣な声を出しました。
 これ以後はもはや嬌声に消えてしまうでしょうから、いま伝えねばなりません。
「あなたは確かにわたくしの力になってくださいました」
 そして、彼の温かな笑みと共に、わたくしは涼を受け入れ、その充足感にため息のような声を漏らすのでした。


(Wounds-貴音編- 了)

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