【平安時代】
世界最古のオーケストラに舞踏が加わっている、「雅楽」が日本で開花。
撞久森家の前身、「廿楽氏」が雅楽によって繁栄。
朝廷から寵愛される地位になった廿楽氏は雅楽以外に様々な形で進出。
自分達の繁栄さを表すため、廿楽(つづら)から葛籠(つづら)、そして九十九(つづら)へ名前を変える。
また、分家が生まれ、分家にはどれだけ本家たる九十九と親しいか表す数字を含む名前を与える。
この頃より撞久森家における言霊思想の根幹が発生する。
【平安〜鎌倉時代】
盛者必衰の通り、九十九家が衰退の一途を辿る。
衰退から元に戻るため、東北から沖縄まで文化としてあった、繁栄の象徴となる家の精霊を伝統と取り入れる。
これを九十九の一族は童様と呼ぶ。
この行事に人身御供の要素があるのは、平安時代の日本では人身御供では大して珍しくないことだったため。
座敷童子と根源を同じとするだけで、別段座敷童子に影響を受けた文化ではない。
言霊信仰から、衰退した家柄は自分達の家柄名を変える。
九十九(つづら)→九十九(つくも)→撞久森(つくもり)
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