1.西行寺幽々子、あるいは西行娘
「死してなお生きる者は死を資して、
白妙の雲の帳に透き見える福慈(ふじ)が燃ゆれば藤は萌えずに」
風になびく富士の煙の空に消えてゆくへも知らぬ我が思ひかな
西行法師
田子の浦ゆうち出でて見れば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける
此の山の高きこと、雲表を極めて、幾丈といふことを知らず
駿河の国にあるなる山なむ、この都も近く、天も近くはべる
山部赤人、都良香、竹取物語など、様々な者が福慈、富士の山を言継ぎ、語り継いでいった。古来より神の山とされ、この国で最も高き尊き山。
私は詠も、その山も嫌いだった。富士の山の詠が、私の家、西行寺の中で誰かが詠う度に耳も心も塞いだ。
なぜ、その二つを嫌うかというと、私は父が憎かったからである。父は己の思念を富士の煙に例えた。そのせいで西行寺では幾度も幾度も富士が詠まれた。詠は嫌いだ、景色や心情をどうして言葉で表せようものか。絵こそ風光明媚な自然の姿を在りありと表せるでは無いか。富士の山は嫌いだ、今でこそ落ち着いたものの、何十もの噴火を繰り返すあの山を敬虔する理由など無い。むしろ、忌々しいものに他ならない。
父だって、嫌いだ。
美しく、詠も武道も上手く、藤原の血筋と何もかも完璧な父。だが、娘の私に愛情を注ぐことはなかった。
父が私の前から去ったことを、今でも鮮明に思い出せる。幼少期の私が、自分の隣に留めたいと旅に行く度に父の袖を引いた。いつも父は私を宥めてから出かけていたが、そうでない日が一日だけあった。父が旅に行くと侍女から聴き、庇の間に居た父を引き止めた時に、彼は私を蹴り飛ばした。屋敷から乾燥した硬い土の上を跳ね、私の数十倍大きい桜の木の幹に背中を打っても、私は痛みを感じなかった。何が起こったのか幼い私の頭では分からず、ただ僅かに舞い上がった土埃と私から顔を背ける父に本能的な不快を覚えた。
その日を最後に、父は二度と私の前に姿を現さず、私を置いて行った(老いて逝った)。
父が私の前から消えてしばらくが経ち、私は父の詠がどんなものだったのか気になり西行寺の者に聴いてみた。聴いて、知って、後悔した。あの男が私を放り出したのが、益々許せなくなった。
世を捨つる人はまことに捨つるかは捨てぬ人をぞ捨つるとはいふ
世を捨てるというのは、私や貴方の妻を捨てることなのか?
葉隠れに散りとどまれる花のみぞしのびし人に逢ふ心ちする
聞きたくない、聴きたくない、聽きたくない……。
*
私が成長するにつれ、周りから容貌のことをとやかく言われた。そのほとんどが父の面立ちと似てる、だとか、やはり血は争えない、だとかで私は次第に詠どころか言葉さえ嫌になってしまうところだった。
そんな私に、詠と言葉の面白さを教えてくれた友人が一人いた。八雲立つの八雲に、紫式部の紫でヤクモユカリと名乗る彼女は、西行寺に居る者と違って巧みに、操るような言葉の使い方で喋った。時には声色や拍で魅力させ、詠に重ねられた想いの真髄や詠だからこそ表現できる自然の姿や人の心情に心を揺り動かされた。人格がなんだか不透明、あるいは雲がかっていて、私の他に誰かが居ると姿を現さないのが怪しかったが、別に怪しいから悪いとは思わなかった。むしろ、変に合わせてくる周囲の者よりはずっと好感を持つことができた。
会話を重ねる度に、私は紫と親しくなった。ただ、一つ気掛かりなのがどうして私に仲良くするのかが分からなかった。ある日、私は環境が変わる事となり、それが私に決心をさせたのか紫に問うことにした。
「ねぇ」
「何かしら」紫が僅かに首を傾げる。
「どうして私と、こうやって、お話してくれるのかなって……」
「何よ、幽々子、いきなり」紫がくすくす私を見て笑う。私はなんだか気恥ずかしくなり、もじもじしながら応えた。
「前から、気になってたのよ。教えてよ」子供っぽい言い方をしてしまった。彼女の前では気が緩みきってしまう。悪い癖だとは想いつつも、紫が咎めないのを良いことに直そうとだなんて一回も思ったことがなかった。
「貴女を知ったのは、貴女のお父様がきっかけ。歌聖と謳われる西行の娘がどうして何も詠わないのか……」紫はそこで一旦、私をじっと見つめる。妖艶な、彼女の名前と同じ紫色の瞳に、私は息を呑み込んだ。「理由までは察せないけど、きっと、詠が嫌いなんだって思った。だから、詠の面白さを貴女に教えたかったのよ」
私は押し黙った。紫が私と仲良くなるきっかけは、父が詠ったからであった。
私の中に、複雑な想いが立ち込み、膨れ上がる。それは半分、善いもので出来ていて、後の半分は、悪いもので出来ている。ぐちゃぐちゃと混ざり合って、きっぱりと二つに分かちがたいもやもや。気体のような、液体のような、個体のような、分からないもの。
この時から、嫌いだった詠や父、富士を単純に嫌いとは言い切れなくなった。好きとも言える訳ではなかった。これらは、言葉に還元するべきではない。言葉だけじゃない。絵だとしても、何だとしても。何物でも表現してはならない。私の中で、表現したくないと想い続ける限りは、放っておくのが一番良い。
自分の感情を、放ったらかすという形ではあったが整え、話題を変えた。
「あのね、私、今度養女になることになったの」
「へえ、おめでたいじゃない!」紫の声は、本心からのものであるとすぐ分かる。ほんとうに、やさしいひと。
「九条家っていうんだけどね」
「まあ、法性寺関白、藤原忠通の! まって、幽々子。なんてこと、あぁ……。えっと、何が必要なのかしら。牛車と、犬筥と、それから白と青と赤の衣装に……」
「紫ったら、それは嫁入りに必要なものでしょ。はしゃぎすぎだわ」
「はしゃがずに居られるものですか……はあ」紫が大きく息を吸い込み肩を上げると同時に、大袈裟に息を吐き出し、肩を下げる。
私のことなのに、まるで自分のことのように喜び、上気した頬の彼女。
ああ、ほんとうに、やさしいひと。
*
私は九条家の令嬢と義理の親子関係を結んでからと言うものの、その令嬢がある家に嫁ぎ、私はその家の侍女となった。紫はそれを、なんて酷い仕打ちなのかと言ったが、私は別段気にしてなど居なかった。西行寺の令嬢だとちやほやされるよりは、下の立場に居る方が落ち着くし、決して紫には言えないが、彼女が心配で、会う頻度が増し、嬉しい。だけども、会う時にいつも私のことで憂う彼女の表情を見ると少し罪悪感を覚えた。
そんな私の心情を天命が推し量ったのか推し量っていないのか、知らない僧侶がなぜか私の扱いに不満を持ったらしく、私は西行寺の屋敷に戻る事と相成った。
「結局、元通りになっちゃった」
「良いのよ、これで」紫の声色がいつにも増して厳しい。「まったく……思い上がった連中というものは」
「案外楽しかったけどね。侍女」
「こら、そういうことを言うんじゃないよ。言葉には言霊が宿っているんだから」
「言霊ね」確かに、言霊は存在する。ある話を聴いて、私はそれを信じるようになった。父の歌だ。
願わくば花の下にて春死なんその如月の望月の頃。
出来ることならば、花の下で死にたい。それも、如月の望月の頃に。
本当に、その通りになったと言う。私はここから一つの疑問を浮かべて、紫に尋ねてみた。
「やはり、詠である方が言霊が籠もるのかしら」私が控えめに言葉を発すると、紫は一瞬曇った表情をした。すぐに、父の遺言めいたあの詠が脳裏を過ぎったのだろう。
「ええ。志貴島の倭の國は言霊の佑はふ國ぞ福くありとぞ。言葉は生きているの。忌むべき言葉は避ける、言葉を用いて偽ってはならない」その後、紫は初めて口にする話題へ広げた。「私の、八雲という姓は和歌から来ているの。知っているかしら」
「えっと……」私はしばらく考え込む。彼女が自分の名前を紹介する時に八雲立つ、という枕詞を出したのを思い出した。「八雲立つ出雲八重垣妻籠八重垣作るその八重垣を?」
「私と会って、貴女が名前を尋ねた時のこと、思い出してくれたのね」
「まぁ、ね」私は、紫が柔らかく微笑む珍しい姿に心疚しく感じた。
「雲は八重の垣根のように立ち込んでいる。私は妻を護るために、あの雲のような八重の垣根を作ってみせるのだ。それから、出雲は決して天津神に支配されることはなかった。最初の和歌の言霊を、誰も覆すことはできなかったの。幽々子、言霊は貴女にも深く関わりがあるの」
「え? 私に?」
「そう、貴女のお父様が、西行と名前を変えた理由よ。西には浄土があるからね」紫が私から視線を外し、空を見上げる。そちらが西の方角なのか、私には分からない。
「じゃあ、東には地獄があるのかしら」
「地獄よりも、京の方が酷いわよ。ここ、伏見はまだマシだけどね」私は実際に見たことはないが、都の中心には死臭が漂っているらしい。それよりも、私は紫が地獄を知っているのを驚いた。前々から、なんとなく思っていたが紫は人間では無いのかもしれない。
「東方には、何があるのかしら……」紫が向いた、きっと西である方向とは逆を向いてみる。
「この国自体がかなり東にあるけど、そうね。カムチャツカ富士を通って……」
「え? かむ……富士?」紫は時々、海を越えた国の話をする。ただ、今回は異国と富士の話が混ざっていた。
「海東の盛国ね。向こうには、富士に似た山があるのよ」
「へえ……あ、そうか。東方には、富士があるのね」父が去ってから、何日も、何年も過ぎた。もう富士と聴いて嫌な想いをすることはない。私は、それを自分の中で証明したいがために紫にあるお願いをする。「私、富士の山がみたいわ。絵とか持っている?」
「良いわよ。ここは富士と縁のある場所だからね。きっと繋げられるわ」
「え? 繋げる?」
「幽々子、眼を閉じてみて」紫は私の額に手を当て、私が言う通りに眼を閉じると、私の瞼の上に手を滑らせた。紫の手は生温いような、だけど同時に冷めたような不思議な手だ。
次の瞬間、私は、あっと声をあげた。
*
「すごい! すごいわ、紫! ああ、すごい!」私は酷く興奮する。山部赤人が、都良香が、竹取物語が、そして、私の父が見上げたあの山が、ここにあるのだ!
「どう? 幽々子、駿河なる富士の峰よ」紫は後ろに居て、私に声をかける。
「ああ……これが神さびる霊峰なのね」
巨岳の山は、何もかもを圧する。
空を凝縮させたような藍色の富士の山の頂には、空を極限まで広げて薄くなった白が被っている。
胸が高鳴るのすら自覚できなかった。
脈打つの心臓だけではなく、全身ごと。
これは幻か何かなのではないか、そう疑った。
後方に居る紫へ振り向く。
その顔は、嘘をついている顔ではない。
そうだ、言葉を用いて嘘をついてはならないと言ったのは紫じゃないか。
もう一度、富士の山を見る。
浴びせられるような神の山の、重圧、示威、崇高。
「幽々子、もっと、上から見てみましょう?」
富士の霊圧が、私に有無を言わせない。
浮揚。
紫の、また不思議な術で私は空に飛んでいるのだろう。
でも、私は富士の峰の神力がそうさせているのだと解釈してしまいそうになる。
白い雲の隙から見える、平らな頂。
奥には、私が見ていた場所からは見えなかった、海のような森が見える。まるで髪のように見えた。
森が、富士と結合する。
何かに見える。
「雲や雪を被っているでしょう。富士はね、白妙を着ている女神に例えられるの。実際に、女神が居るのだけどね、コノハナサクヤヒメっていう……」
女神?
女?
私の中で、父の詠が記憶から蘇る。
葉隠れに散りとどまれる花のみぞしのびし人に逢ふ心ちする。
葉の影は、あの暗い海の森?
散り残る花は、女の隠喩?
逢いたいと偲んだ人は誰?
富士の女神?
風になびく富士の煙の空に消えてゆくへも知らぬ我が思ひかな
富士の煙は、女の髪のこと?
行方も知らぬ我が思いは、揺れ動く恋心?
空に消えるのは愛?
富士の辺りの群に住む女?
富士が女へ姿を変える。
白い衣を纏い……、
黒い髪は永く……。
いつか私の中にあった、
白と黒が混ざりあった、
善と悪が交じりあった、
混濁と、
交合の、
私の中。
弾けて、
溢れて、
空の中。
「幽々子!」
声。
「まって! 幽々子! きいて!」
聲。
「貴女のための、東の国があるの!」
ほんとうに、やさしいひと。
「それはきっと、貴女を護る八重垣に――!」
ほんとうに。
*
にくい。
あの山が、にくい。
あの女が、にくい。
私は目覚めた。正確に言えば、意識を取り戻した。眠っていないことの証は、ひどい疲労だった。
西行寺は、何もかも死んでしまった。私が殺したからだった。
草も、木も、人も、土も、家も。
きっと、私も。
五感が全く無い。無物の視界、無音の世界、無熱の俗界、無味の限界、無臭の顕界。霊感だけは、あるかもしれない。だって、霊だから。
自嘲。
やつれた髪、着崩れた装束、衰えきった身体、定まらない軸、巡らない血と気。
辺りを見回す。色も形も分からないが、立ち上がり、歩こうとする。何度もよろめいては倒れる。数十回か、あるいは数百回か、数えていないが、その頃にやっと、立ち上がり方と歩き方を覚えた。
直進しているつもりだが、分からない。感覚という感覚が無い。自分ではこうしているつもり、という儚い想像の中が今の世界だった。
転ぶ。
私の世界では、段差はなかったのに。
覚えたての立ち上がり方を、思い出そうとした時。
「あ」ふと、感じる。肌ではなく、心に。まさか、本当に霊感が?
私は、霊感とやらに誘われるがままに、必死で、藻掻くように歩く。
覚束ない、覚えてない、ゆらめいて、ふらついて。
ぶつかった。
痛い。
痛い?
「ぁ、あ」
色は紫、音は風、熱は現、味は甘、臭は死。
私の目の前で、紫に、風に靡く、熱くて、甘い、死の桜。
この桜の幹に当たる感触。
いつか、どこかで……。
そう!
幼い頃、父に蹴り飛ばされて、私がぶつかった、あの桜の木!
「ねぇ、紫!? 紫なの!?」
まさか。
まさか、私は、紫も。
「そんな」
そんな。
「ごめん、なさ」
「幽々子!」
声。
「幽々子、大丈夫!? ああ、なんて姿なのかしら!」
聲。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
ああ。
ほんとうに、やさしいひと……。
*
私は目覚めた。今度は本当に、眠っていたのだろう。永遠の眠りに。
即ち、私は死んだはずだった。
八雲紫、彼女は私を心を司る魂と体を司る魄に分け、西行寺幽々子の魄は西行妖によって封じ込められた。
私は、その魄なのだ。
魂である西行寺幽々子は、全ての記憶を忘れたようだった。だからこそ、私という魄がこの地で鎮められているのも知らずに封印を解こうとしているようだ。
西行妖に、春が集まる。骸であるはずの私に気が巡りだし、桜も後もう少しで花を咲かせるに違いなかった。
私は何としても復活したかった。
あの山を、あの女を殺すために。
私が西行寺の敷地にある全ての万物を殺した動機、復讐を私は完全に思い出した。
魂の彼女は覚えていないが、私は躰に残る記憶がある。この木にぶつかった二度の記憶も、痛覚としてあの時から刻まれている。
私の体を巡る気の速度があがってきたころ、不思議な感触が湧き出した。私の気は、つまり、私が殺した万物が源であるはずだ。なのに、源のさらに原点、中心に、私が殺したものではない何かがあるような気がしてならない。その中心を意識した瞬間、私の気は全てその中心に引き寄せられたことが分かった。
これは……。
それを何か知ろうとした瞬間、なけなしの春を持ち込んだ人間がやってきた。
魂の私は、人間の春を奪おうと霊力で美しい景色を模し、人間達を襲う。
亡郷「亡我郷 -宿罪-」
亡舞「生者必滅の理 -毒蛾-」
華霊「スワローテイルバタフライ」
霊体や幽霊蝶を操る、私の姿。
幽曲「リポジトリ・オブ・ヒロカワ -亡霊-」
何か、思い出すような。
桜符「完全なる墨染の桜 -亡我-」
私の中心が、強く熱を持ち始める。
気の流れが、太く、強いものへと化していく。
その変化に伴い、西行妖は花を開き始めた。私の封印が解けだす。
最後の技を人間に看破された魂の西行寺幽々子の気は散り、魄である私はその散った気を媒介に顕界し得た。
身のうさを思ひしらでややみなましそむくならひのなき世なりせば
私が生きているのは、最も儚い生と死の境である春が集っている。
私は生命の臨界点で、生きているのだった。
やっと、
やっと、私は、父を理解できた。
曖昧にせず、放り投げず、思い込まず、父も、父の詠も。
私の中心、それは歌聖、西行法師だった。
西行寺の全てを殺したのは私ではなく、花の下に死んだ父と、西行妖なのだった。
「反魂蝶 -参分咲-」
千年以上眠っていた、私と、父と、西行妖は、
その千年余りの全てを、
たった六十六秒に、集約させた。
*
西行妖は全て散り、魄の私の気も全て散り、二度と咲くことはなくなった。
しかし、魄の私が消える訳ではなかった。魂の西行寺幽々子、そして西行妖が私を縛り付け、希薄な存在でありながらも私を生き永らえさせていた。
やがて、白玉楼で静かに佇む私に射し込む光があった。それは何とも古めかしい、ほんの僅かな欠けを除いてずっと満ちている、狂える原初の月であり、魂の私は月の異変に気づくと庭師を連れ、永い夜の抄が始まったのだった。
私にはあの月の姿に重ねられるものがあった。
紫に連れてもらった、富士の山が姿を変え、現れ出た黒い髪に白い衣を纏う女。
今や父に卑しいことが無いと分かった為に復讐の気持ちはないが、どうしても、父さえ尊んだ富士の峰を象る女を確認したかった。
明けない夜の中、魂の幽々子と庭師の周辺をついて行く霊の中に気を送り込む。私はあの女の気配がするまで、両目を瞑り、霊力の消費を抑えることにした。
「幽々子さま。見てください、凄い満月ですよ」
庭師の声、それに重なる、あの女の気配。
「これが本当の満月。貴方達は人間でも妖怪でもないみたいね。何でこんな所に迷い込んできたのかしら」
夜に溶けそうな黒い長髪に、惹きつける美貌。それは、私が見たあの山に相違なかった。
しばらく魂の私、庭師、山の女は三人で会話をしている中、私は魂の私を乗っ取った。
「そう、永遠とはそういうこと。ワビの世界よ。実は私、永遠を操る事が出来るの」それを聴いて、あの時のことが腑に落ちた。私が富士の山を殺せなかったのは、この女が永遠を操るからだったのだ。
「ってことは、今夜を止めていたのも貴方かしら?」
「え? 幽々子さま、それはその……」私は頓珍漢なことを聴いてしまった。庭師の様子から、どうやら夜を止めたのは私達らしい。
「そんな酷い事をするのは私じゃないわ。これは信じていいわよ」
「まぁ、どうでもいいわそんなこと。私は、幻想郷に満月が戻ればそれでいいの。朝にはそのうちなるでしょうし」
「良く言いますね」
「妖夢、これは最後の命令よ。目の前の永遠を斬りなさい」
永遠を斬ることは不可能だろう。私でも殺せなかったのだから。
私が本当に斬ろうとしたものは、きっと、私を地に括り付けるしがらみだ。
*
昔、桜というのは桃というより雪のような色だった。
その雪が、夏の白玉楼に降り積もっている。
私はこの世にあるしがらみを全て斬り殺したつもりだったが、西行妖や魂の私のことをすっかり忘れていた。
活動という活動はしないが、静止という運動のまま、西行妖の桜の下で私は眠っている。
夏の雪という異変の中、庭師と魂の西行寺幽々子が話し合っている。
話はもつれだし、彼女らは弾幕勝負を始めた。なぜだか知らないが、以前と違い闘技の要素を取り入れているらしい。
私はその光景を眺めながら、大異変の中の小さな異変に気づく。
西行妖の根本で、突然の変温にあてられ咲いたと思われる藤の花が一輪だけ咲いていた。
私は、藤の音を思い出してはっとする。
付き纏い、縛り付ける、しがらみ。それらは全て『フジ』だった。
藤原の血筋、富士の山、不死の女。
因縁めいた自分の道を辿り、私は、この白玉楼に人間が襲来した時、千年を六十六秒に集約してみせたように、千年を三十一文字で表すことにしたのだった。
「死してなお生きる者より
白妙の雲の帳に透き見える福慈(ふじ)が燃ゆれば藤は萌えずに」 了
2.蓬莱山輝夜、あるいは赫野姫
「死なずして生きぬ者は生を制して、
赫(かかや)ける夜に撚るは陽も紐も終夜(よもすがら)倚(よ)る終日(ひもすがら)干(ひ)る」
3.宮古芳香、あるいは都良香
「死と生を手繰り寄せる者は生を制して、
レフコ・アペカムイトゥリヒ」
4.綿月豊姫、あるいは豊玉姫
「死も生も忌み遠のける者は死を資して、
トゥ・キタルサル・サルキタル/トゥ・ジ・ヲヘヨ/ウィズ・スノードロップ」
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