「ほぼ」身内用。ここをじっくり見て興味出たら探して入ってみてくれてもいいです。編集などご自由に。不備や質問は米でもいいですが管理人のこと知ってたら直接だと対応が早い&内緒でもおk

完全な正円は、どこにある?
完璧な正球は、どこにある?
人が作るには、あまりに不正確
月も太陽も、グラヴィティを感じている
全銀河から離反しよう
全凹凸へと反抗しよう

回転する、移動せよ、衝突した
さあ、バーチャルリアリティの世界へ
不可能は不可能、それすら不可能
だからこそ、円周率を求め続ける
最多のエイトオクロック
最小のシックスオクロック
サンテンイチヨンイチゴウ
キュウニイロクゴウサンゴウ……


「おじさんのポケット、なんだか、かたい冷たいものがはいってるね。これなに?」
「なんだと思う」
「かねでできてるね……大きいね……なにか、ねじみたいなもんがついてるね」
 するとふいに、男の人のポケットから美しい音楽が流れだしたので、ふたりはびっくりした。男の人はあわてて、ポケットを上からおさえた。しかし、音楽はとまらなかった。それから男の人は、あたりを見まわして、少年のほかにはだれも人がいないことを知ると、ほっとしたようすであった。天国で小鳥がうたってでもいるような美しい音楽は、まだつづいていた。
「おじさん、わかった、これ時計だろう」

(うた時計/新美南吉)

<サークル瞬間泥棒の人々>
乙瀬 香成(オトゼ カナル)……………メディアカメラマン
二タ村 乃里(フタムラ アイリ)………戦場カメラマン
圓窓 風兎太(エンソウ フウタ)………写真家
相陽 椋(ソウヨウ ムク)…………………金剛の専属モデル

<時館の人々>
伊都見 日登美(イツミ ヒトミ)………最上階に住む女性、資本家
錬堂 伊井助(レンドウ イイスケ)……6階に住む男性、資本家
エイブリー・フェニックス…………………6階に住む女性、画家
安齋 燈馬(アンザイ トウマ)…………5階に住む男性、映画監督
久里浜 和賀(クリハマ ワカ)…………3階に住む女性、書道家
谷戸 レイチェル(ヤト レイチェル)…3階に住む女性、スペースデザイナー
美濃島 直斗(ミノシマ ナオト)………2階に住む男性、工芸家
葛西 鵜木(カサイ ウキ)………………時館の大家、時計マニア

<客人でない人々>
安齋 凰(アンザイ オウ)………………安齋燈馬の兄、撮影監督
萩平 陽平(ハギヒラ ヨウヘイ)………刑事

1.長針 Murder

 ふたりは大きな池のはたに出た。むこう岸の近くに、黒く二、三ばの水鳥がうかんでいるのが見えた。それを見ると少年は、男の人のポケットから手をぬいて、両手をうちあわせながらうたった。
「ひィよめ、
 ひよめ、
 だんご、やァるに
 くウぐウれッ」
 少年のうたうのを聞いて、男の人がいった。
「いまでもその歌をうたうのかい?」
「うん、おじさんも知っているの?」
「おじさんも子どものじぶん、そういって、ひよめにからかったものさ」

     1

 二タ村乃里はシャッターを切った。珍しく、彼女はある女性とシェアハウスをしている自分の家に帰ってきていた。どれくらい珍しいかというと、月に1回あるか無いか、ぐらいの確率だ。また、彼女の場合自分の家に帰ってきた、という表現は日本に帰ってきた、と同じ意味である。職が戦場カメラマンである彼女は、一年のほとんどを外国で過ごす。今日、帰ってきたのは今日が特別な日で、目の前の(カメラのレンズ越しであるが)乙瀬香成からパーティの誘いを受けたからである。数カ月に香成が出した手紙が、先週やっと乃里の元に届いた。戦場地への郵便はとても厳しいものがあり、仕方ないとはいえ後一週間ほど遅れて居たら大切な友人、かつシェアハウスを共にしている香成からの誘いを無下にしてしまう所だった。このために、わざわざ滅多に買わないパーティドレスを買ってきたほどに。間に合った事と、珍しい光景を写真に収める機会が巡ってきた二つの喜びを心に潜め、出来るだけこたつに入りながら就寝中の香成を起こさないように、またシャッターを切る。彼女もドレスを着ているのに、こたつの中に入ってきているのが、かなりアンバランスだった。かれこれ、11枚あどけない寝顔の香成を写真に収めていた。そして、12枚目を撮る直前に香成が目を開けた。急いで乃里は指を画面にタップし、12枚目の写真を見ると、そこには何とも情けの無い香成の顔が映っており、大笑いしてしまった。
「ちょっと、乃里!」
香成が大声を出す。目の前には、カメラとお腹を抱えて下品に笑う乃里の姿。そこから考察するに、今まで起きていた事の流れを把握する。
「だって、だって。あっはっはっ」
未だに笑い続ける乃里へと、香成が眉を吊り上げて近寄る。その時に、間抜けなチャイム音が鳴った。乃里はその音を聞いて、さきほど撮った12枚目を連想させる。
「ちっ……はあい!今行きます!」
頭を乱雑に掻きながら、香成が玄関へと向かう。その間に乃里が、こたつに下半身を潜らせる。そこは丁度、香成の寝ていた所だった。しばらく電源がオンになっていたため、当然暖かいのだが、より暖かく乃里は感じた。久しぶりにこたつの中に入ったからだろうか、それとも……。
 玄関から、香成が二人のスーツ姿の青年を引き連れてやって来る。一人は、圓窓風兎太。もう一人は、相陽椋。二人の関係は、写真家とその専属モデル。写真家とはつまり、芸術家でもあり、写真を光のアートとして捉える。戦場カメラマンも、ほとんど芸術家に近いと乃里は考えていた。世界で今も尚、起こる戦争を撮り続ける。戦争という、強いメッセージ性のある事象を撮る行為は芸術に似ている。芸術と似て非なる箇所は、客観的思考を持ち合わせなければならないこと。しかし戦場カメラマンになるには命を擦り減らしても構わないと思えるほどの主観的思考、動機が必要だ。しかし、矛盾点などない。客観というのは、主観により生まれる。元より完璧な第三者視点など無い。この四人の関係は写真に関するサークル、である。その名も瞬間泥棒。このグループをサークルと言うのかどうか微妙だが、香成はサークルという表現を好み、使用していたので自然と他の三人の中でもサークルと呼ばれるようになった。写真に関する、というと抽象的になってしまうが、カメラと写真があって写真だと考える派と、カメラはカメラ、写真は写真だとハッキリ分ける派が居るので区別しないために曖昧な説明にしている。派といっても、前者は圓窓風兎太一人だけで、後者も二タ村乃里の一人だけなのだが。後の二人は、どちらでも良いと考えている派である。正四角錐を途中で切ったような形をしているこたつの中に、既に居た乃里以外の三人が入る。一度、香成が乃里を睨みつけてから白い招待状を取り出した。同じものを、何秒か後に風兎太も取り出した。
「へえ、パーティってこれのこと」思わず、ほう、と期待のため息を漏らす乃里。
「そう、なぜか偶々、私と風兎太くんで同じ招待状をもらっていたから」機嫌の良さそうに香成が口角を上げる。
「本当に偶々かしら?」乃里がわざとらしい口調と共に首を傾げてみせる。
「偶然が二つだから、偶々よ。招待した人も違うし、ほら、私は久里浜和賀さんから。で、風兎太くんは安齋燈馬さんから。」
「その二人、誰なの?」興味が有るように椋が質問する。
「和賀さんはね、仕事で知り合った、書道家の人」さらりと言い、付け足す。「綺麗よ」
「えっと、安齋さんは……映画監督、の人かな。有名だよ、うん」
「なんか、怪しいな」椋が風兎太の方をジッと見る。
「確かに、自分を弁明しているみたい」乃里も風兎太に顔を向ける。
「うえぇ? 本当にそうなんだけどなぁ」困ったように顔つきを変化させる風兎太。
「まあ、まあ、風兎太くんとその映画監督さんとの怪しい関係はともかく……」
「ちょっと、香成さん!」ストップをかけるように呼ばれた香成だが、それをスルーした。
「折角誘われたのだから行きましょう。きっと、食べ放題の飲み放題ね」香成は手を伸ばし、こたつの電源を切った。乃里はこの、香成が見せる俗物的な面を人間らしく感じ、彼女の魅力だと想った。
窓の鍵を施錠し、玄関に向かうと椋が扉を開けたまま待機していた。吹いてくる風の冷たさより暖かい心を持っている青年に、素直に感心する。久しく仕舞い込んでいたパーティ用の黒いパンプスを履くのに苦労し、腰を折り曲げて履いていると椋が躊躇いながらも、声を掛けた。
「あの、跡、付いてます」
「え?後、着いてきます?」
「首の、後ろ」
「嘘」香成は思わず背筋を伸ばし、首の後ろに手をあてる。
 手に何かが付着した感覚。
 そのまま手を運ぶ。
 そこに、薄い桃色がかった赤い口紅の跡がついていた。

     2

 風兎太が運転席に座り、乃里が助手席に座った。二人とも、いつもの席である。その風兎太の後ろに香成、乃里の後ろに椋が座る。
 少し経ってから椋がやってきて、風兎太が声をかけた。
「香成さん、どうしたの?」
「いや、ちょっと……」椋が返事を濁したことを不審に思ったのか、顔をやや顰める。乃里は遅い理由を察し、クスリと笑った。
 それから、数分後に香成の姿が見え、首に時代遅れなデザインの黄色いスカーフを巻いてきた。乃里は出来るだけその姿を見ないようにしたものの、どうしても口端があがり、それを片手で覆って隠す。
 飄々と香成が車に乗り込む。そして、助手席の乃里に手を伸ばし、首の皮を爪で抓った。
「いっ」
「ん?」風兎太が乃里の方を向く。
「ごめんなさい、遅くなって。行きましょう。もう8時前です」
 パーティのメイン、時計館の大時計のお披露目は9時に行われる。それまでには間に合わなければならない。
「ですね。あ、香成さん、スカーフしてる。珍しいな」
「どう?」
「お似合いです」
風兎太から見て、香成は美人だと言える。モデルのようではなく、質素なイメージを浮かばせる、奥ゆかしさのある日本人らしい美人だ。
 ここから招待された時館という館まで、約50分。時館は周りを自然で囲まれているが、香成と乃里のシェアハウスも都会からはある程度距離があった。飛ばす必要はなく、いつものスピードで運転したら大丈夫だろうと風兎太は予測した。後ろと横の席から聞こえてくる三人の談話を聞き流し、ドライブ中に以前のことを思い出す。監督、安齋燈馬と出会った時のことだ。

     3

 カメラマンとキャメラマンは違う。というのは、カメラに関わる仕事だが、役割が少し異なるためカメラマンとキャメラマンという名前で区別している。前者はスチールなど静止画を撮り、後者は動画や映像を撮るものである。映画の制作現場では混同させないために名前で区別させてある。そして映画の現場では、もう一人キャメラマンと呼ばれる職業がある。映画カメラマン、また撮影監督といい、フィルムを映像化する仕事を担当している。抽象的な説明なのは、具体的に説明するとあまりに量が多すぎるからだ。カメラやレンズなどの機材の選択、撮影時のポジションやアングル、カメラワーク、光の強弱や色彩調整、またカット割など枚挙にいとまがない。それから、美術また照明など他のスタッフとの打ち合わせも欠かせない仕事で、さらにそういった選択を監督と話し合って決定する。監督のイメージの映像化を理解し、その実現を目指すのが映画監督で、時に監督の女房ともキャメラマンとも呼ばれる。ただ、目の前の撮影監督の女房と呼ぶことに風兎太は嫌悪を感じた。目の前に居る45歳前後の男性の二人の片方は安齋燈馬、映画監督である。そしてその横で燈馬の腰に手を回しているのは安齋凰。二人の関係が兄弟であるのは一目瞭然であり、恐らく安齋凰の方が兄なのだろう。会議室の中に居る三人は、『結魂』という映画の製作のために集まっていた。写真家である風兎太が呼ばれたのは、風兎太が出版しているある写真集のシリーズに起因した。自然の景色、あるいは人工の景色などをそれぞれのテーマに沿って撮り、写真集をまとめそれを出版するのが風兎太の主な写真家としての仕事だ。ただ、例外と言っても良い写真集があり、それだけがシリーズ物で、タイトルは無くvol.と数字で書かれた号数だけがある。シリーズの内容は、風兎太の専属モデルである相陽椋を被写体にしたものだ。風兎太には自分でそのシリーズを出版していて分からないことが2つあった。どうしてタイトルを自分でつけることができないのか、このシリーズを出版して何を伝えたいのかが曖昧でぼんやりしたものでしか分からなかった。撮影者自身解釈をしていなかった作品で、だからこそ様々な解釈が出来るのかもしれない。そう風兎太が思ったのは彼らが自分達の気風とこの作品を非常にマッチしていると考え、風兎太をここに呼んだからである。
「ねえ、見て。これ、見て、情熱あふれる姿だわあ」
凰が風兎太の写真に映る椋のフォルムを指でなぞる。夕陽をバックにしていて、椋の姿は影に染まっており、ふちの部分にだけ人間のパーツの特徴や節目を認識することができた。ゴテゴテとした銀色の大小のビーズが乗せられたショッキングピンクのネイルが施された爪が椋の姿をまたなぞる、その度に写真を削られているかのような胸騒ぎを風兎太は覚えた。何か言いたいことはあるのだが、何を言いたいのか分からない。相手が表面上でしか理解してないと言おうと思ったが、自分だって表面上にしかこの写真の良さを理解できていない。だから、何も言えなかった。
「俺が見つけたのだが、良い青年だろう?」燈馬が風兎太に視線を送ってから、凰に視線を戻す。
「うん、うん、なるほどねぇ。この写真を見て思ったのだけど、夕陽の光を受けるシーン、入れてみない?私、友情ってきくとオレンジ色を連想させるのよねぇ」
「ああ、それもいいな」
兄はオマージュしているだけで、弟も鵜呑みにしているだけじゃないか。と胸の中で風兎太は悪態をつく。その悪態が胸の中で口から出られないから、一生懸命出ようと胸を刺しているような想像をした。
 安齋兄弟の製作する映画のほとんど決まっていて、世間的な評価を用いれば熱い男同士の関係だろう。一作目の草野球の映画がヒットし、それから発表していった作品もほとんどがヒットしていった。対象としている層は男性なのだが、やはり年齢が絞られ、やはりそっち系が多く集まる。だから若者にもウケるような作品を出すために、若手で男同士の熱情を理解している風兎太を選んだ。という、主観客観織り交ぜられた旨を伝えられたが、風兎太は大したアピールにはならないと思った。自分はそれほど有名なクリエイターでもなく、また自分は男同士の熱情などをテーマに取り扱ったことはない。だけど、名の知られている者の誘いを断るのは世間的に気が引ける。作品の評価のために作品を出版するのは不本意ではある、しかしそうしなければ作品を撮り続けるのは難しい。美しい風景を撮りたい、見たいと思っても費用が無くては不可能だ。そのためにも、ある程度安定した収入は必須だった。
 「風兎太くんには静止画の方に助言を貰いたいんだけど、どうせだから見学していってくれないかい?」と燈馬から言われ、断る術もなく撮影現場へと着いて行った。最初は男同士のくだらない会話を撮影していて、そのシーンの区切り目には照明やカメラが随時細かく調整され、風兎太はかったるく感じていた。雨の降るシーンではカメラが映っている所だけホースで水をまき、俳優達も傘も何も持たずずぶぬれになって演技する。様々な人が役割を担い、そして完成されるまでの過程を無しに映画は成立しない。そういう価値観の視点は分かる、だけど風兎太には理解は出来ても同調までは至らなかった。
 「ねえ、やっぱり入れましょう。夕陽のシーン」
「えっ、本当に入れるつもりだったのか?」燈馬が驚いた表情をする。
「やっぱり必要よ。大丈夫、無駄にはさせないから……」
そのまま兄弟の議論が繰り広げられ、結果としては夕陽のシーンを急遽入れることになった。戸惑いのただよう現場で、俳優、照明、他様々なスタッフとの緊急の打ち合わせが行われた。風兎太はその輪から外れ、長引くことを心配していたが、突然入れることになったシーンのためセリフ量も時間も約2分と少ないようだった。時間はちょうど夕焼けの良い頃合いである、ただ、夜になるまでそう長くはない。移動時間を差し引いて20分がタイムリミットだった。
 風兎太を含める映画製作チームは付近の坂の上に向かった。すでに上空は薄紫色に染まっており、それは徐々に空を侵食していく。それに負けじと太陽が、昼には見せない柔らかく、力強く、胸の中に熱を宿らせてくれるように佇む。俳優が二人並び、一回目の撮影が行われた。悪くない出来だった、しかし、凰は満足しきっていないようで風兎太の方に振り向いて助言を求めた。
「ねえ、風兎太くん。何か良い演出、思い浮かばない?あれはあれで、充分映像として使えると想うんだけど……」
「えっ、と、そうですね……カメラを前から後に動かすとか」
「ナイスアイデア!」凰が手を叩き、大げさなリアクションをする。
風兎太の言った通りの演出をするために、道に小さな線路のようなものが敷かれた。その上にカメラが乗せられ、移動できるようになっている。そうか、こうやって演出が出来るんだ。と風兎太はインタレスティングな面白さを感じる。これは風兎太が後から聞いた話だが、カメラのズームでは遠近感が平面的になるデメリットがあるらしい。
 二回目の撮影が終わり、今度は風兎太から言葉が発された。
「カメラを動かすのをもっと遅く、それと、照明を暗くしてください。夕陽だけの光に見えるようにしましょう」
三回目の撮影が終了して、その日の映画製作も終わった。片付けが始まる中、安齋兄弟が風兎太に寄って来た。
「すごいじゃなあい!風兎太くん、途中からは監督みたいだったわ!」
「いえ、そんな……」
「うん、すごかったよ。将来有望だね、今ももちろん、有望だけど」
「ねえ、どうだった?今日」
そう尋ねられ、風兎太は困惑した。当初なら悪いと思っていたことを、良いとはとても言いづらい。失礼にあたるかもしれないが、自分自身にとって一番適切だと想う言葉を選んだ。
「そうですね……その、悪くなかったです」
 それから数日後、風兎太の元に招待状が届く。その招待状に書かれている安齋燈馬という文字を見て、どうにも断ることが出来なかった。

     4

 「あ、月だ」乃里が助手席から声をあげた。
他の三人も空を窺うと、月が夜空に浮いていた。見事にまんまるの月で、昨日か今日、明日のいずれかが満月の日なのだろう。
「風流だね」
「うわあ、風兎太くんから風流なんて言葉が」運転手の風兎太の言葉に乃里がオーバーなリアクションをする。
「どういう意味だよ!」
「仕事と人柄がマッチしてない」椋が意見を出した。
「お前ら覚えとけよ」急に風兎太がハンドルを切る。月は高層ビル群に隠れ、見えなくなってしまった。
「正円って、あるのかな」ビルの隙間から時々見える月を見ながら椋が言った。
「声援?俺の運転を応援してくれるのか?」
「地球はかぼちゃの形をしている、って言うよね」乃里も月を眼で追いかけていた。
「円というより球のテーマになってる、乃里ちゃん」
「観測されている中なら、太陽が一番近いけど、それでも、完璧な球じゃないわね」香成が口を挟んだ。「まず、銀河系に存在する時点で可能性は限りなく低い」
「何かしらのエネルギーとか、力とか、受けちゃうんだ」乃里が後部座席に居る香成へと振り返る。
「そういう感じ。イデア界、思考の世界の存在だもの。正方形や正三角形、そもそも四角形や三角形すら難しい。正確な直線、正確な頂点が本当にあるのか。そして、正確な計測があるのか」
「すっごく小さい単位でもズレたら、その時点で正しい計り方じゃないのね」乃里が床に視線を落とす、香成が履いている黒いパンプスと白い足の組み合わせが艶かしかった。
「可能性は限りなく低いって、可能性があるの?」椋は月を見るのをやめて、香成の方を見た。
「もしかしたら、あるかもしれない。私達が観測するという条件の中で、奇跡的な確率で、ある物が球として存在すると認識できるかもしれない。でも、きっと、たった一瞬のことで……宇宙が生まれ、今の今までで一回ぐらいだとおもう」
「じゃあ……」乃里が喋る中、車がカーブして速度が落ちる。方向が変わって、月が見えるようになった。
「今日の月は、完全な球?」
「かもしれない。完全な球や円ってね、浮いているんだよ」
「どういうこと?」今度は椋がきいた。
「円には接点がある。だけど、その接点の面積を定義することはできない。面積があれば、そこは平面だから」
「ああ、頭痛くなってきた。香成さんって博識すぎる」乃里が車窓を下げる。
「難しいことじゃないと思うけど、うーん」
「おい、もう着くんだから下げとけよ。寒いだろ!」
「はいはい、降りる時に下げておきます」風兎太に突っ込まれ、ぶっきらぼうに返事をする。
 新鮮な風が車の中に流れ込む。風の冷たさがより新鮮味を増させているのかもしれない、風を感じて、脳内がクリアになったように思える。都会に比べ街灯が少なく、建物の数も減ってきた。月を隠す高層ビルは勿論ある訳がなく、空を見上げれば簡単に月を観測することが出来た。今見ている世界の中で、最も眩しい光源がそこに浮かんでいる。何世紀も昔から、月見は日本で行われてきていた。月は美しいと乃里は想う。いや、そんなことは無いかもしれない。自分は月のどこが美しいのか、具体的に説明することが出来ない。
 昔、花が嫌いな知り合いが居た。花のどこが嫌いなのか、という問いに知り合いは形状と、生きている事の組み合わせが嫌いなのだと言った。人間味の無い、生物の雰囲気を感じさせない形状なのに、生きている。まるで生きていないような姿なのに、生命が宿っている。そこに、一種の恐怖を覚える。その答えに、意見できなかった。
 どうして、自分は花が、月が綺麗だと想うのだろう。なぜ……。
 乃里は思い立った。
 言葉から、一部の現象が生まれた。
 花が綺麗だと、多くの人が言う言葉に共鳴するように、花が綺麗だと感じる。
 古くより月が綺麗だと伝えられてきたから、月が綺麗だと感じる。
 円も、球も同じだ。
 言葉から、存在が生まれる。
 どこにもないであろう円が生まれたのは、言葉が出来て、その存在が出来たから。
 こういう言葉を、文化と言うのかもしれない。
 言葉があって、存在したもの。
 存在して、言葉ができたもの。
 万物の成り立ちには、この2通りしかない。
 前者は、人間が作ったもの。
 後者は、元々あったもの。
 この2つに、それぞれ異なる感情を抱く。
 無機物的、シャープなイメージ。
 有機物的、風流な風合い。
 人に対する感情は、どちらだろう。
 どちらでも無い気がする。
 両方があるのかもしれない。
 ある意味で人が所有する、人自身の外見に、生物感を覚える。
 人の内面には、感情に対して生を印象づけながら、動きや感情を言葉に収容し、規則性を捉える無機物性を感じさせる。
 いや、2つに違いなど無いのかもしれない。
 工場で何かの製品をロボットが生産し続けている姿と、春夏秋冬が一年の中で巡る光景がリンクする。
 程度の問題なのかもしれない。
 大きな力を持つ自然と、それに比べて小さい機械の力の違い。
 どうしてこんなに、色んなことを考えているのだろう。
 と、乃里は自分で自分のことを考えた。
 きっと、他にもっと、考えたいことがある。
 抽象的なことではなく、一つの座標、ポイントのような、具体的な対象。
 考えたくないことだ。
 考えたら、止まらなくなる。
 考えるのには、あまりにも自分の中を整理できていない。
 あまりにも理性をコントロールできていない。
 故障していると言っても良い。
 故障しながら、生きている。
 生きている事自体、故障なのかもしれない。
 それなら一番正常なのは、生まれる前だ。
 時間が経つに連れ、複雑になっていく。
 それを成長というのは強引すぎる。
 だからもっとシンプルで良い、シンプルなのが至高だ。
 乃里は車が止まるまで、本当に考えたかったことを考え始めた。
 このまま車が、止まらなければ良いのに……。

2.撃針 Striker

 少年はひとりになると、じぶんのポケットに手をつっこんで、ぴょこんぴょこんはねながらいった。
「坊ゥ……ちょっと待てよォ」
 遠くから男の人がよんだ。少年はけろんと立ちどまって、そっちを見たが、男の人がしきりに手をふっているので、またもどっていった。
「ちょっとな、坊」
 男の人は、少年がそばにくると、すこしきまりのわるいような顔をしていった。
「じつはな、坊、おじさんはゆうべ、その薬屋のうちでとめてもらったのさ。ところがけさ出るとき、あわてたもんだから、まちがえて、薬屋の時計を持ってきてしまったんだ」
「…………」

     1

 四人は車を私設の駐車場に停めてから、時館へ向かった。館には入り口以外にブルーシートがかけられていて、下から覗いても見れないようになっている。何より気になったのは、音だった。館からきこえてくるガチガチにもゴトゴトにも似た音がずっと聞こえてくる。それが少し、四人に不気味な印象を与えた。
 香成は館の前に人影を見つけた。その人影は小走りでこちらに向かってくる。香成はその姿を近くで見て、ようやく誰なのかを把握した。香成をこの建物に招待した、書道家の久里浜和賀だった。若い頃の彼女を取材したのがきっかけで、女性特有の悩みを打ち明け、今の親しい仲になった。幼い頃からメディアに多く取り上げられた彼女はテレビや雑誌に名前を載せているせいか友達が少ないという。香成も彼女を観察していて、自立心は宿っているがコミュニケーション自体の経験不足、不慣れな様子が目に取れ、老婆心で取材終了に記事に載せない約束をしてから和賀の相談を受け持った。
「お久しぶりです、香成さん」
「どうも、お久しぶり。和賀さん」
「来てくださって嬉しいです。でも、ごめんなさい。少しゴタゴタしていて、私の部屋も展示をやっているので良かったら見に行ってくださいね。じゃあ……」
早口で香成に伝え、和賀は館に駆けていった。招待状と共に香成に届いた手紙によれば、成人して一人暮らしを認められ、あの館に住むようになったようだ。今ではそこの住人と親しくなり、人と関わり交わる楽しみを感じたようだ。香成は一般的に、成人してから受ける刺激と、学生時代の刺激では圧倒的に後者の方が強いと思っている。しかし、この館内の住人は一般的な法則では語れない。自然に囲まれ、優れた環境に居る中では大々的ではないにしろ、豊かな関係が築ける筈だと予想した。実際、彼女は前よりもいくらかしゃべり上手になったようだ。
「うわあ、かわいいな」
「あら、風兎太くんのタイプ?」風兎太の横に居た乃里が口を出した
「いやあ、ちょっと幼めかな」考えるように風兎太は口元を抑える。それを見て乃里が呆れたような表情をした。
 「きゃっ!」
突然、女性の声が上からきこえ、その後遅れてワイングラスが床に落ち、辺りに破片が散々する。離れた所に落ちたが、ガラスはかなり広範囲に飛び散っており、後数歩進んでいたら足に刺さっていたかもしれない。瞬間的なことで四人は確認できなかったが、どうやら中には液体が入っていたらしくアスファルトに無色透明な液体なアメーバ状に広がる。
「大丈夫ですか!?」
約十秒後、中からかけつけてきた男性がこちらへ駆け寄ってきた。乃里はしばし戸惑いながらも答えた。
「ええ、まあ」
「あ、もしかして、かなり上の階から落ちました?」
「さあ、どうだったかしら」
「うん、少なくとも2、3階じゃないね。この飛び散り具合」椋が上を見上げ、何階まであるか眼で数えて告げた。「7階だね」
「きっと7階に住んでいる伊都見さんだな……あの人、この前の停電の時にもガヤガヤいって。あ、ごめんなさい。今のは、聞かなかったことにしてくださいね」
男性は爽やかなマスクのままスマイルを浮かべ、ウェイトレスを呼んでくると伝えてから駆け足気味に時館の中へ入っていった。恐らく、
 「素敵なスカーフですね」
香成と乃里は、後ろから男性に声をかけられ呼び止められた。二人が後ろを振り向くと、銀色の縁の眼鏡をしたスーツ姿の男性がそこにいた。ブランド会社のスーツだと分かったが、香成はそのスーツのデザインに斬新さを覚え、外国製なのだろうと考えた。
「失礼、私は葛西鵜木と申します。この時館の大家です」香成はその名前に聞き覚えがあり、鵜木の腕に視線を落とすと、やはり最高峰ブランドの腕時計をしていた。「すみません、今、美濃島さんが呼んでいらしたウェイトレスがこちらに来ると思いますので……」
「ルイ・モネ、ですね」
「ええ……お詳しいんですか?」
「エレガント、それに独創的だわ」香成は口元に手をあて、その腕時計をまじまじと見る。恐らく、本物だろうと判断した。例え偽物であったとしても、それなりの価値があるだろうとも。
鵜木は香成の感想に好意を抱いたようで、少し離れた所に二人は案内された。その間に、乃里は前を先導する鵜木に聞こえないようにして香成の耳元で尋ねる。
「ねえ、あれ、何千万するの?」
「何千万?」香成は聞き返す。
「あれ、千万もしないの?」
「そうね……」言葉に考えている最中であるかのような余韻を残す。思い出している、というよりは頭の中で計算しているように見えた。「五千万ドル、かな」
「五千万ドル?……え?五億円ぐらいってこと?」まさか、と乃里は思った。
「うん」あっさりと香成が頷いた。
二の句が継げないまま、乃里がトボトボと先を行く二人の後ろを歩く。ある所で三人は立ち止まる、ゴチゴチという音はそこからでも聞こえた。どんな時計なのかと香成も楽しみで、ブルーシートがかかったままの時館を眺めている。
「さあ、もうすぐだ」鵜木が自分の腕時計をチェックして二人に報せる。
はらり、ばさり、ブルーシートが徐々に下に舞い降りる。その動きを見て乃里は、秒速1cmの速さで動く点Pを思い出した。ついにブルーシートが完全に床に落ち、片側に引き寄せられ回収される。時館がその全貌を現した。真正面にある壁一面が全て大時計だった。1から12までの数字は無く、代わりに建物の部屋ごとにあるベランダが数字の代わりになっていた。鋭い長針が大時計をシンメトリーにする(二本の針を取り除けた場合)縦軸の線に対して左側に伸びて直角を作り、丸みを帯びている短針が上側に伸び、Y軸の線に沿っていた。9時を指しているのだろう。何と言っても、その中央に二つの特殊な、丸く美しい機構があった。これも左右対称に存在し、2つの集合体が重なり合うベン図のような、二つの円が重なり合った場所のフォルムも滑らかな曲線を描いており明媚だった。何よりも美しいのは、その機構の動作だった。機構の奥にある振り子細工が何度も往復し、その前の部品がクルクルと歯車のような動きを見せる。
「素晴らしい」香成が感銘する。
「ええ、そうでしょうとも」
「フライングダブルトゥールビヨンですね」
「ええ」鵜木自身もこの光景に見惚れているようだった。
「フライングダブル……その、何とかって?」乃里が香成に尋ねた。
「構造美と機能美を併せ持つ、最高のムーブメント」香成のうっとりとした眼が、大時計を見つめ続けている。「まず、トゥールビヨンというのは、中心に2つある円形の中の構造。2つあるから、ダブルトゥールビヨン。フライングというのは、キャリッジをより美しく見せるために文字盤側の受けを外して見やすくしたの。時計の精度を飛躍的に上昇させるもので、時計の精度を上げる、というナショナルな課題に時計の精度の一番の敵である姿勢差を解消させる事でクリアしたの」説明を続けながら、彼女はフライングダブルトゥールビヨンという機構に向けて指をさす。「貴女も、ずっと同じ姿勢で居ると疲れてしまうでしょう。姿勢差というのは、それと一緒。重力の影響で、下にたわんでしまう。この時計塔は関係が無いけど、腕時計などの場合はどこを上に向けるかで進度がどうしても異なってしまう。だから、それらを防ぐために構造を回転させて重力による影響を消したの」
「今でこそ、クォーツ時計が普及し、最も正確な原子時計や電波時計があります。もちろん、それらも美しい」この言葉には、あえて同調することによって、圧力をかけているような口調だと乃里は感じた。「しかし、何と言いましょう。時計と言えば、やはり歯車で動く時計なのです。天文時計や、砂時計も美しい。だが、我々に最もオリジンだと感じさせるのは、このような機械式時計なのです」
「でも、一部は電気を使っている。トゥールビヨンがそうです。しかも無理な構造、そこだけが難点。つける時にかなりの電力を消費するでしょう」
「よくおわかりで」
「悪く言えば、定着した先入観。良く言えば、認知バイアス」
「悪いことだから、そう仰るのですか」鵜木が苦笑いを浮かべる。
「いいえ」香成は即答した。「私にも、その美学は理解できます。貴男と同じ観察が出来るからです。決して誤りを引き起こすだけのものではないわ。理解の為の手段、あるいは信号」
「貴女は素晴らしい。そうだ、今度、私の時計のコレクションを」
「嬉しくないわ」出来るだけ攻撃的にせず、かつ軽やかに香成は返した。
「パーティに戻ります。乃里、会場に行きましょう。きっと風兎太くん、たくさん食べている」
「あ、うん……」少し戸惑いながら、乃里は後ろをチラリと見た。鵜木が、時館の中央にあるあの機構を見ていた。まるで視線が吸い寄せられているかのようだった。「良いの?取材のチャンスだったんじゃ?」
「貴女は、誰かに撮ってほしいと依頼されるから撮るの?」二人は会場までの道を歩きながら、会話を小さく繰り広げる。
「違う」乃里はハッキリと答えた。「私は、メッセージを世界に届けたいの。特に、この日本で」
「ええ……そうだと想う。命を磨り減らしてまで、伝えるべき光景がそこにあるのでしょう。私はそこまで及ばない、少し遊んでいるような感覚だって混じっているかもしれない。でも本質は変わりません。自分が伝えるべきだと想ったことを、伝える」
「つまり?」香成の言葉に何か遠回しにメッセージを乗せている感覚を受けた乃里は、要約を促した。
「興味が無いの、ああいう男の人に」子供のような笑みを浮かべて、香成が乃里以外に聞こえないように囁いた。

    2

 「風兎太くんと椋くん、いる?」
「うーん、見当たらないですね」乃里が首を左右に振った。
香成と乃里の二人は鵜木とわかれた後、時館に向かった。1階のほとんどをパーティーの会場にしているようであり、そのだだっ広さはグランドホテルの比ではない。しかし、その広さの割に集まっている人数はかなり少ない。自分達をふくめても10人も居ないだろう。香成を誘った書道家から聞いた話に寄ると、この建物に住む人のほとんどは芸術家であり、後は資産家が住んでいるという。芸術家の一部には自分の部屋を展示ルームにしている人もいるとのこと。これを思い出した香成は、芸術家の部屋にお邪魔しているのかもしれない。と類推した。それを乃里に説明しようと思っていたのだが、とうの彼女は選り取り見取りでハイブランドな食べ物に無我夢中であった。
「ごきげんよう」近くに居たシャンパンを飲んでいる女性に香成は声をかけた。
「ええ、こんばんは」女性はシャンパンを口から離し、香成に振り向く。
有名な資産家、伊都見日登美であり有名な携帯会社の現代表取締役社長だ。創業者の父の伊都見睦彦から社長を引き継ぎ、純資産は5億ドルぐらいだと記憶している。
「ここにお住まいで?」
「ええ……」
「さっき、グラスを割ったでしょう」
「ごめんなさいね」日登美が髪をかきあげる、不満が表情にあらわれていた。
「落としたグラスがどうなったのか見に来た」香成は皮肉を込めて言い終えてから付け足した。「いえ、些末なことです。それより、二人の男性を見ました?若い男性のペアです」
「さあ。あなたの予想通り、今来た所だから見てない。じゃあ」
軽い反応を返した日登美は背中を向け、エレベーターの方向へと向かっていく。その後、後ろから先程会った和賀が入れ替わりになるように寄ってきた。和賀の隣には知らない女性が二人そこに居た。
「和賀さんはさっきぶり」香成は氷水に浸かっていたシャンパンの蓋を開け、細長いグラスに注いで和賀の方を見た。
「ごめんなさい。ちょっと立て込んでいて。こちらは谷戸レイチェルさん。あ、この方はね。乙瀬香成さんって言うんだよ」
「ごきげんよう、香成さん。スペースデザイナーをやっております、谷戸レイチェルです。知っているかしら?」
「この間、展示会を開かれていましたね。インスタレーションの作品だったかしら」
ふうん、と返し、香成はグラスを傾けシャンパンを一口含むと高品質なアルコールの味が口に広がった。時々、カルパッチョや果物をつまみながら四人は話を繰り広げる。途中でオーブリーはこの建物に住む姉に挨拶をしてから帰ることになり、話は三人ですることになった。最初は和賀と香成の昔話が中心だったが、そのうち三人に共通するこの建物がテーマとなった。そこに長い金髪の女性が通りかかる。カートに乗った山盛りの料理を運んでいた。
「あら、エイブリー?」レイチェルがその女性の方を見た。残りの二人も同じ方向を向く。
「ワサップ?」レイチェルがカートに乗った料理を指差す。
「イッツ・ノット・マイ・フェイバリット・フレーバー」
眉が下がり、妙な笑顔になってしまっているエイブリーが調理室へと向かっていく。
「味付けが気に入らないみたい、作りなおしてくるのかしら」
 エイブリーが去り、しばらくして落ち着いてきた所で無機質なアナウンスが室内に響いた。香成はその声が先程あった時館の大家、葛西鵜木だと勘付く。
「みなさま、ようこそおいでくださいました。お食事はお楽しみになれましたでしょうか。さて、パーティのメインイベントといたしまして、この時館の大時計の構造のお披露目をさせていただきます。興味のある方はどうぞ1階、また7階にあります紫の扉より……」
 
     3

 香成は一人で時計塔の中を覗いていた。下には葛西鵜木、圓窓風兎太、相陽椋などを含める十数人が居た。久里浜和賀や谷戸レイチェルの姿も見える。香成は三人で行こう、という和賀とレイチェルの誘いを断り、一人で7階から大時計の構造を見学していた。目の前の歯車が邪魔でその全貌を見るのには適しなかったが、目の前で歯車が回っている姿は壮大である。
 時計塔の構造は機械式時計とほとんど変わらず、そのまま大きくしたといっても過言ではない。香成は透明な繊維強化プラスチックで出来たグレーチングの床につま先を立てて、歯車の裏に隠れているムーブメントを見つめる。脱進機および時計の調速機であるテンプとヒゲゼンマイが回転するキャリッジの中に収納されており、キャリッジは一分をかけて一回転するので秒針のような役割も果たす。この複雑機構は時計製造技術の傑作として最もたるものであり、かけられているコストは遥かなものだろう。その構造上、トゥールビヨンは出来る限り軽くしなければ保持性の面で問題が生じる。恐らくは電気による動力を借りていると香成は予測したが、それを裏付ける構造は上からでは見ることができなかった。香成の祖父はいわゆる、時計マニアだった。香成の時計に関する知識は祖父から得たものである。その祖父でもこの、フライングダブルトゥールビヨンを持っていない。香成は外側にその同様を見せなかったが、内心では非常に心を揺らがせている。
 香成の右手の方にはおもちゃのようなレバーがあった。あまりにも不用心で馬鹿げていると香成は想ったが、どうやらこの時計に電力を送るための電源だ。あまりにも分かりやすすぎて、偽物ではないのか。と勘ぐってしまいそうになったが、本物か偽物かなんて興味に紙切れの価値も無いことに気づき、入ってきた紫色の扉に手をかけ、外に出る。丁度、エレベーターがやってきたようだ。扉が開くと、風兎太がそこに居た。
「あ、香成さん。こっちに居たんですね。椋と安齋監督のところで挨拶しにいってた帰ったら、香成さん居なくて」
「上から見たかったから」
「面白いもの見れました?」
「下から見た方が、素敵だったでしょうね」香成が溜息をつく。
「あららあ」風兎太の返事は慰めとも同情とも言いがたい口調だった。
 香成は二基ある内、風兎太が乗って来た方のエレベーターに乗り込む。風兎太が1Fと書かれたパネルを押し、二人は6から4と減っていく数が表示されている画面を見上げていたが、途中でエレベーター内の光が暗くなり、減速した。画面には階数の下にバッテリー残量が表示されるようになった。
「うわ、なにこれ。実は今から省エネタイム?」
「停電ね。最寄り階まで動いてくれるはずよ」
 画面に3の数字が映り、扉が開く。二人は暗闇に身構え、辺りを見回す。外に街灯などの灯りがほとんど無いため通路はとても暗かったが、奥にある階段の非常灯の緑色の光が見え、二人はそれを頼りに歩く。闇の中にある人工的な緑が酷く不気味で香成も風兎太も少し怖気づいていた。また訪れた静かな空気が流れているのを断ち切るように乱雑にハイヒールが階段を踏み鳴らしながら駆け降りる音が聞こえる。香成は歩みを止め、風兎太をハンドサインで制止させてから下へ行く人影を凝視する。素早く通る者は覗く香成に気づいたようで、スマートフォンの照明を香成の方に向ける。
「フーズ・ゼア?」
「グッド・イブニング」あまり良い夜ではないな、と香成は言いながら思った。
「あ……私はエイブリー、あなたは?」
「私は香成です。あなたは上手に日本語を話しますね」香成は出来る限り分かりやすいように文章を構成した。
「ここで停電が起きていますか、今」
「はい、時間が経てば復旧……明るくなるでしょう」
「夫が、ずっと部屋にいて」エイブリーが携帯機器を操作する、その機器から発せられた音から通話しようとしているのがわかる。その音と重なり、破裂音が館内に響く。その音をきいて、エイブリーが階段をかけのぼる。
「パーティ用のクラッカー?」風兎太が呑気に首を傾げる。
「それなら素敵ね、馬鹿みたい」香成がエイブリーの後を追う、風兎太もそれに続いた。
 6階にあるエイブリーの夫、錬堂伊井助の部屋は鍵がしまっており、風兎太がマスターキーのようなものを取りに行かせている間、エイブリーはインターホンを押す、ドアをノックする、名前を呼ぶなどしてエイブリーが何度も部屋内に居る錬堂伊井助を呼んだが反応が無かった。
 下から数人が階段をのぼる音がきこえ、錬堂伊井助の部屋の前に圓窓風兎太、葛西鵜木がやってきた。鵜木の手にはマスターキーだけでなく、懐中電灯もあった。
 鵜木は扉まで歩き、鍵を錠にさしこむ。
 暗くて室内は分からない。
 鵜木が手首を動かして懐中電灯で部屋の中を照らす。
 誰かが、はっと息を飲み、同時に誰かがあっ、と声をあげた。
 鵜木が懐中電灯を床に落とす、そのまま崩れ落ちるように床に勢い良くしゃがんだ。
 懐中電灯が転がる、それを香成が拾い上げた。
 手首の軸がブレないように、しっかりと懐中電灯を持つ。
 誰かが、壁に座り込んでいる。
 おそらく、錬堂伊井助だと香成は判断した。
 床が血に流れている、その血の臭いに今気づいた。
 錬堂伊井助を見て、誰もが瞬間的に気づいていた。
 生きていないことを。
 死んでいることを。

3.指針 Leader

「廉坊、おまえは村から、ここまできたのか」
「うん」
「そいじゃ、いましがた、村からだれか男の人が出てくるのと、いっしょにならなかったか」
「いっしょだったよ」
「あッ、そ、その時計、おまえはどうして……」
 老人は、少年が手に持っているうた時計と懐中時計に目をとめていった。
「その人がね、おじさんの家でまちがえて持ってきたから、返してくれっていったんだよ」

     1

 香成は懐中電灯を持ったまま部屋の奥へ歩みを進める、鍵がしっかりと施錠されていた。よく目を凝らしても、細工のようなものはない。戻って、死体を正面から照らす。死体の前には超がつくほど小型の拳銃が落ちている、壁に付着している血や、流れる血を辿り、口の中に銃をつっこまれ撃たれたのだと分かった。壁にもたれているため、弾丸が脳を貫通したのか、首を貫通したのかまでは分からない。死体を動かして調べることもできたが、香成はその方面に詳しい訳ではないのでやめておいた。
 それより、香成は気になることがあった。懐中電灯を錬堂伊井助の腕の先へと向ける、見る限り伊井助の手を確認することはできなかった。近づいて観察に集中する、白いブラウスシャツの袖の内側が血で汚れているのが透けて見えた。袖の内側の構造がどうなっているか確認はしなかった。この部屋のどこかに切断された手があるのかを調べるには、あまりに部屋が暗すぎる。
 後の捜査は警察に任せるのが適任だと想った。それと同時に、この事件を記事にするのは問題があるとも。この記事をする時に2パターンがある、自分が関連することを載せるか載せないか。そのどちらにせよ、大きなトラブルが起きるだろう。最も優先すべきは、自分と事件が関連していることを知られないようにすることだ。ただ、それは不要かもしれない。これだけの館を建てるには、葛西鵜木個人ではままならないだろう。世界的な組織が後ろにあり、その組織が支出をしているはずだ。1つ2つの事件をもみ消すのも容易いだろう。
 数十秒の間に結論づけ、部屋から出ようとする。その時に、右側の壁面を見て気づいた。明らかに他の壁と材質が異なっている。その輝きから、金属だと思われたが、なぜ金属製なのかが分からない。
「そっちに何かあるんですか?」風兎太が通路から顔だけ出す。エイブリーと鵜木は通路の奥側に居た。
 香成は後ろに数歩下がる、その壁の全貌を調べようとした。
「これは……」
金属の壁と隣接する壁に、指紋認証の装置があった。
「そうか。風兎太くん、帰るわ。誰かがはいって来られると困るから、鍵をしめて」
「はーい」
香成は考え始めた。どうして手が切られているか、という問題が解決され、次になぜ両手が切られているかの問題が発生した。快楽殺人を否定する根拠があり、その線を打ち消す。その後にやはり考えても無駄だと気づいた。
「香成さん!ストップ!」
「うん?」香成が足をあげたまま止まった。
「何か、踏む所でしたよ」
「ああ、そう……」
そう言われて、次に足を置く所だった場所を見入る。
人の片手がそこにあった。

     2

 「すごいことになったんですねぇ」やや人事のように乃里が言った。二人は1階で、広い部屋の端の壁際にあるソファに座っていた。
「うん、通報はしてあるの?」
香成が暗いパーティー会場を見回した。山奥にあるためか、停電の復旧がとても遅い。人はまばらにパーティー会場に散らばっている。自分の部屋では落ち着かないのだろう。自分の部屋に居て殺されるかもしれない、という不安と他の人と居たい、という寂しさがそうさせているのだと想った。
「ここは電波が届かないからって、何人かの人が車で行きましたよ。ねえ、今から30分前、8時10分に銃声が鳴りましたよね。何があったんですか?」
「錬堂伊井助が殺害された」
「それは、しってます……具体的に何があったのか、聞きたいな」乃里はお願いするように振る舞った。
「そうね。まず、私は最上階から時計塔の構造を見ていた。風兎太くんと合流し、エレベーターに乗った時に停電が起きたわ」
「合流?」乃里が口を挟んだ。
「探しに来たみたい」
「へえ。エレベーター、止まったの?」
「いいえ、非常電源で停電が起きた時の最寄り階の3階に降りたわ。そこで、エイブリーさんと会った」
「エイブリーさんは何をしてたの?」
「夫、つまり錬堂さんが部屋から出てこないことを不安に想って誰かを呼ぼうとしていたみたいね。そこで、銃声が響く」
「急いでそこに向かった、と」
「うん」乃里の言葉に香成は頷く。「風兎太くんに鍵を取りにいってもらって」
「え?撮ったの?」
「採取とかコントロールとか盗むの『トル』もあると思うけど、すっかりカメラ脳?」
「香成さんとはカメラに対する価値観がいつもあいませんわ」わざとらしい乃里の口調である。
「それで」香成が話を戻す「部屋には錬堂伊井助の死体があった」
「死因は?」
「銃殺、口の中に銃を突っ込まれて一発。それから両手を切られていた。右手は転がっていたけど、左手は無かった」
「犯人は?」
「それは……」
「もう、検討がついてる」乃里が卑しく笑った。
「まぁね」同じように香成が笑む。
「言ってよう」
「あなた考えたいんでしょ、言わない」
「はあい……うーん、でも特に解くに値しないわね。ベランダから逃げて、さようなら」
「ベランダには鍵が閉まっていた。それに部屋は6階にある。飛び降りるのは不可能」
「ううむ」乃里は頭をあげて唸る。
 乃里がしばらく考えていると、そこに風兎太と椋がやってた。
「あ、探偵ごっこ中?」風兎太が妙なポーズを決めて尋ねる。
「うん」乃里が上を向いたまま返事をする。
「僕らも。色んな人にきいたんだよ、あと監視カメラのこともきいた」
「停電してるのに監視カメラ、ついてるの?」やっと乃里が頭を戻した。椋は壁面のウィンドウから外を見たまま黙りこんでいた。
「独立した電源を持ってて、それで動いてるからだって」
「なるほど」あまりなってはいない。
「そういえば」突然香成が声を出した。
「うわっ、起きてたんだ」乃里が驚いて香成に振り向く。
「起きてました。錬堂さんの部屋に金属の壁があった」
「金属の壁?」乃里が顔を顰める。
「指紋認証システムがあった、あれは大きな金属だったんでしょうね」
「金庫?指紋認証……あ、だから手を」
「犯人は右手をきって指紋認証させたけど、錬堂さんは左利きだから左手の指紋を登録してた。だから左手をきって、そのまま逃走した!」風兎太は最後の言葉を言い終えると人差し指を立てた。
「そして錬堂さんの左利きを知らないことから、犯人は錬堂さんと親密な関係ではない?」乃里も風兎太と同じことをする。
「それは確定じゃないけどね」初めて椋が喋った。

    3

 時館に、まず少人数の警察がやってきた。その内の一人、薄茶色のコートをやってきた男の刑事は意味ありげな視線を香成に送り、頭を下げた。
「うわ、なあにあれ」乃里が声をあげる。
「やぁらしいぃ」風兎太も続けてそうした。二人は背中を向けてエレベーターへと向かう刑事へ疑惑の視線を向ける。刑事が乗り込んだエレベーターの扉が閉まると、今度はその視線を香成にも向けた。
「知り合い?」一文字一文字に間を空けて乃里が問い詰める。
「知り合い」なんでもない風に香成は答えた。
「ふうん」
 風兎太の誰が見ても納得していない口振りを遮るように、四人の方へと久里浜和賀がやってきた。
「あ、入り口であった人だわ!」
「こんばんは、さっきぶりです」和賀が丁寧にお辞儀をする。それに応えるように皆、頭を一時的に垂れた。
「大変なことになってしまいましたね、錬堂さん」
「僕たち、探偵ごっこやってるんですよ。ちょっと不謹慎ですけど」風兎太が控えめな笑顔を浮かべる。
「ちょっとどころじゃないでしょ」乃里が風兎太を見た。
「探偵ごっこ……やっぱり、エイブリーさんが犯人なんですか?」
「えっ、なんで?愛人……あー、愛してる人なんでしょ?」乃里が飛びつくように反応した。
「部屋に鍵がしまってたってききましたけど、やっぱり合鍵ぐらいもってると思うんです。普通に」
「いや」椋が否定した。「発砲音がした時、誰も部屋に入ってない」
「そうそう、監視カメラに誰も映らなかったんだ。死角も無いよ」風兎太がそれに付け足す。
「じゃあ、ベランダから?でも6階ですよね」
「で、鍵もしまってた」
「うーん」和賀はそのまま口を閉ざした。
 その時ちょうど、エレベーターからさきほど香成を見てきた刑事がやってくる。
「げっ」乃里がそれを見てリアクションした。「あの刑事だわ」
その刑事は近づくと一旦止まり、頭を下げてから香成に手招きをした。その手招きを見て香成はソファから立ち上がり、刑事と共に会場から離れていった。
「うわああ」乃里がたまげる。「これは、もう、確定だわ」
「どう確定なの?」椋が尋ねる。
「ね、久里浜さん。あの人しってる?」乃里が和賀に近寄る。
「いや……どうなんでしょう」
「びっくらこいた……」
「それ、どういう意味?」風兎太が尋ねた。

4.短針 Maker

 少年は老人の手にふたつの時計をわたした。うけとるとき、老人の手はふるえて、うた時計のねじにふれた。すると時計は、また美しくうたいだした。
 老人と少年と、立てられた自転車が、広い枯野かれのの上にかげを落として、しばらく美しい音楽にきき入った。老人は目になみだをうかべた。
 少年は老人から目をそらして、さっき男の人がかくれていった、遠くの、稲積の方をながめていた。
 野のはてに、白い雲がひとつういていた。

     1

 「なぁ、香成。どう思う?」刑事は香成に顔を寄せる。
「鑑識は?」香成は即答した。
「少し遅れてるみたいなんだ」
「私は警察ではありません、参考にはならないとおもうわ」香成は首を振る。
 しばらく、刑事は悩んだ振りをしていた。香成はこの男、萩原陽平がこんなことで悩むような男ではないと知っていた。おそらく自分に信頼を持たせるための演技だろう。
「お願いだ、君を信頼している」
「それを言われるのは、5回目です。それに、これはきっと不可解な事件ではない」
「それぐらい信頼しているということだ。今のところ、この事件は不可解だと」
「あそう。じゃあ質問をさせてください」
「ああ、どうぞ」刑事は手のひらをさしのべる。
「ベランダから出ることは不可能?」
「恐らく。建物の外側から窓を調べてみる必要もある」
「停電の原因は?」
「まだ分かってないが、パーティーでいつもより電気を使ってるせいか……」
「まさか、そんなことで」信じられない、と香成の顔に表れる。
「君は原因がわかってるのか?」
「そんなもの、一つしかないじゃない」
「教えてくれ」
待て、と香成が陽平を手で制する。「全て順を追って説明するわ、私の予想。監視カメラの記録は確か?」
「銃の鳴る前にエイブリーが部屋から食事を持って出ただけだったよ」
「そう、うん、もういいわ」
「結論から言ってくれ」刑事が急かす。
「犯人は、まだ部屋の中に居る。部屋の……」その後の言葉を、香成は陽平の耳にささやいた。
「え?」
「冗談よ」香成が口角を上げて言った。

     2

 「ドアからは誰も入っていない」乃里が話を切り出した。
 久里浜和賀は今、事情聴取を受けていて席を外していた。会場には思っているよりも警察の人数が少なく、何か道中でトラブルがあったのかもしれないと考えた。館からは出ないように、という指示が出回っていた。辺りは殺人という忌まわしい事件が起きた後のため、閑静に包まれている。離れた所で事情聴取されている会話が小さく聞こえるのみだった。
「じゃあ……あっ!」乃里がソファから飛び退く。
「なにか思いついた?」風兎太が訊く。
「うわあ、ちょっと。待って、だめ」
「ねぇねぇ、きかせてよ」
「静かに、計算中」詰め寄る風兎太を乃里は止めた。
「うう」風兎太がしょぼくれて椋の方へ密着する。「乃里ちゃんに振られちゃったあぁ」
「うっとうしいから、離れて」椋が風兎太を押し返した。風兎太はそのまま崩れ落ちた。
「あぁ、このまま俺は誰からも支えられず、ただ朽ち果てていく……」
「何してるの?」風兎太の後ろから香成が声をかけた。
「うわあっ、帰ってきたんですか?」風兎太が床から立ち上がってズボンをはたく。
「うん。乃里ちゃん、考え中?」
「そうそう、何かアイデアがあるみたいですよ。絶賛構築中」乃里の方へ風兎太が指をさす。
「できた!」乃里が大声を出す。その後、周囲をはばかり声を抑えて言った「わかっちゃった」
「お、起動した」
「この館は時計の数字と対応して部屋のベランダがある。そこがキー。そして、犯人は時計の針を使ったの」香成は顎に手をついて述べた。
「時計の針ぃ?」風兎太が眉を潜める。
「そう、事件が起きたのは8時10分。時計だと短針と長針がちょうど直線になるんだわ」
「難しいと思う」椋がそれに答えた。「長針はともかく、短針はその名の通り短いよ。ベランダにいけない」
「じゃあ、ロープとかを使えば?」乃里が手を広げる。「5m以上あればいけるじゃない」
「というより、そんなアスレチックが出来るほど時計の針が頑丈だとは思えないし」
「椋くんはどう思うの?」
「犯人は、金庫から盗んだものを持ち去らなければいけなかった」
「あ、確かに。でも実際は持ち帰ってないのかも。中だけ見たとか」
「そんな理由で殺人が起きるかな」椋が考えこむ。
「どんな理由でも殺人は起きるわ。起きたことは起きたこと、それに後から理由づけているのは私達。でもね、もし盗み目的で入っていたとした場合の可能性の一つがある」香成は言葉の最後で目を見はった。
「え、どこどこ?」乃里が期待と疑問が交わった視線を送る。
「犯人はね、部屋にまだ隠れているの」
「部屋の、どこに?」
「金庫よ」
「えっ……!そうか、中から金庫をしめれば……鍵は錬堂さんの左手だけなんだから」乃里は自分の片手にもう片方の手を打ち付けて納得する。
「冗談よ。大体ね、銃を撃ってから手を切る暇なんて無いわ。あれは手を切ってから、銃を撃ったの。そして犯人は入ってこれなかった、つまり最終的には自殺よ」
「え、じゃあ、金庫からは何も?」乃里は目を何度か閉じては開いてを繰り返す。「そんな……」
「もともと空っぽかもしれないわね」
「でも、手を切られていたんだぞ」驚いている乃里の横で、風兎太が口を出した。
「舌」言ってから、語弊を無くすために香成が付け足す。「ベロのことよ」
「拳銃を舌で……」乃里がつぶやく。
「かなり小さい銃でした。可能じゃないかしら……拳銃を調べれば舌の繊維が見つかるかもしれないわね」香成は最後に、笑顔を浮かべる。

     3

 香成と乃里のシェアハウスでは、香成と乃里と風兎太の三人がこたつとその上にある鍋を囲んでいた。サークル瞬間泥棒のメンバーの残り一人、椋は台所で野菜を切っていた。その音がこたつで暖をとっている香成らにも聴こえた。
「そういえば、あの事件で停電はどうやって起きたんだろう」乃里がふと浮かんだ疑問を口にした。「後、手はどこに?」
「ああ、時計に電気を流していたのよ。補助だったのね。その電源のレバーを下げた、それだけ。手は銃がなる前でいいならいくらでもチャンスがある。一度1階に来たから、その時かな」言い終えてから、香成がレバーの形を想像して吹き出す。「あれ、おもちゃみたいな形してたわね」
「え?なにそれ、どういうことですか?」
「電気をつける、というアクションが大きな負担となる。蛍光灯とか、そうね。LEDなんかは全く関係ないわ。負担はゼロといって良いぐらい」
「そういうことだったんだ、すごい設計ミスですね」
「館なんかにしていなければ良かっただろうね。俺としては、館の名前のネーミングセンスもどうかと思うけど」風兎太が自分の言葉に頷く。
「それにしても、どうして自殺なんかしたんだろう。お金持ちの人なんですよね」
「泥棒が殺したように見せかけた自殺、そういう遊びだったんだわ。もしかすると、愛人のエイブリーさんに対する奉仕だったかもしれない」
「奉仕、かぁ。自分の手をきられた状態で、さらに自殺」
「あ、俺みたことあるよ。登山していて、落っこちるか何かして手が岩に挟まって、手を切ったってやつ。実際にあったやつ。映画で見たんだけど、手を自分で切るシーンがすごい……スプラッタで……」風兎太が自分で想像して眉を潜める。
「あのさ」いつの間にか椋が居た。大皿には瑞々しい橙や緑、それから魚もあった。「これから食べるんだよ」
 鍋の中に食材がいれられ、転んでいるように鍋の中で動く。その光景を見ながら、乃里は考えた。自分を使ってまでの奉仕を行うのに、躊躇わなかったのだろうか。最も躊躇うべきなのではないのか。いや、最も躊躇うべきだからこそ、価値があるのかもしれない。遊びの方は、どうだろう。そこまでして遊ぶことなのだろうか、これも同じようにそこまでするからこそ、価値があるのかもしれない。いずれにせよ、自分には理解できないことだろう。世の中のことを全て理解出来るだなんておもってはいない。そう割り切る。だけど、そう思えない面もあった。認識できる以上、その価値を理解している。理解できない場合でも、理解できないと理解している。ならば、それを実行に移す場合も……。
「まだ、できてないね」香成が輪切りにされている人参を箸でつっついた。

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