人間が動物、獣人、モンスターなどに変身する描写(獣化)を含んだ小説を公開したり、作品を紹介したりするサイトです。

 初めて会ったのは、6歳のとき。入学してすぐ、同じクラスに物静かで、何処か暗い雰囲気のある女の子がいることに気付いた。赤茶けた短い髪と、かわいらしい顔をした女の子は、だけどまるで自分の居場所がここではないような、どこか居づらさを感じているような表情をしていた。
 彼女に特別な何かを感じたわけじゃなかった。運命的な出会いだなんて思ってなかったし、学校に入ったらたくさん友達がほしかったし、ただただ、友人がほしくていろいろみんなに声をかけていただけだった。

「ルルちゃん、何だかいつもさみしそうな顔してるよね? 学校が嫌いなの?」

 ある時、何気なく聞いたことがある。本当に、何か深い意味があったわけじゃなくて、ただ純粋に彼女の様子を心配して、疑問に思ったから聞いた言葉だった。

「そんな顔、してるかな?」

 ルルの返事を聞いて、マオが感じた素直な感想は「私が守らなきゃ」だった。
 あまりに飛躍した思考だったが、マオ自身はそのことに違和感を感じてはいなかった。むしろ、誰からも守られていない子が、目の前にいる。その事実を目の当たりにしたときに、誰かが守らなければいけないと思ったし、それは自分だと疑わなかった。
 自意識過剰だとか、余計なお世話だとか、もっと言えばただの偽善だとか、そういう風に思われるかもしれないが、マオはただ純粋に、ルルを守らなきゃいけないと、その時確かに思ったのだ。
 だから、ルルの抱える出自のことなんて二の次で、まずは彼女を自分の友達に次々紹介して、友達のグループを作った。年齢が上がるにつれてルルの出自を周りが理解し始めて、徐々にルルから離れ始めても、マオは絶対に離れることはなかったし、偏見を持たない新たな友達を作って、ルルを孤立させないようにしていた。
 だから、マオは今この瞬間、自分自身に対して大きく失望していた。
 ずっと守ると、ずっとそばにいると決めていたルルのことを、一番目を離してはいけない時に、目を離してしまった。そのことは悔やんでも悔やみきれなかった。
 不意に、さっき風呂場でルルが話した言葉が頭をよぎった。

――もし私が身も心も魔物になっちゃったら――

 ぎり、と歯が軋む音を聞きながら、マオは青く光る瞳でしっかりと前を向き、走り続ける。
 その時、マオの真正面からぶわっと強い風が吹き付けてきた。マオは一瞬身構えて、風が少し弱まるのを待って、再び前を見据える。その視線の先に、何かに飛び掛かろうとする白い魔物を見つけたのはすぐだった。

「ルルッ!」

 有翼の巨狼を見て、マオは迷わず駆け寄った。しかし、ほどなく足を止める。マオの呼びかけを聞いた瞬間、天狼の動きは先ほどまであれほど荒々しく躍動していたのが嘘のように止まり、おとなしくなる。やがてゆっくりと視線を落とし、自分の前足を上げる。そして「グルゥッ」と一つ喉を鳴らした。
 悲しい鳴き声に、マオには聞こえた。
 マオの存在に気付き、天狼が振り返る。その瞳を見たときに、マオは気づいた。その瞳は、ルルのものだ。真紅の瞳は、人間のものではないけれど、あの猛々しい、理性を持たない獣の目ではない。優しく、つらい、ルルの目だ。
 その事実をマオはどう受け止めるべきか咄嗟に判断できなかった。今、目の前の天狼はルルの心を、取り戻した。その魔物の体のままでだ。辛うじて、心を引きもどせたとして、体は昨日のように、簡単に戻せるのだろうか。安易に呼びかけて、ルルの心を取り戻させてしまったことは、実は取り返しのつかないことをしでかしてしまったのではないか。マオは不安に駆られた。

「ガゥ……ガルルゥ……!?」

 そしてマオの不安は、概ね的中していた。天狼は、今自分の人ならざる異形の体が、自分の心に存外馴染んでいることに戸惑っていた。
 ものを持てない前足。
 二足で立てない後足。
 ものを話せない喉と口と舌。
 それまで生えていなかった尻尾と翼。
 そのどれもが、まるで生まれてからずっと自分の体であったかのように、自分に馴染んでいる。その事実にルルは怯えた。先ほどまで、我を忘れ暴れまわっていた記憶はかすかに残っている。自分の意識を手放している間に、ルルの体は、もはや天狼の姿であることの方が自然だった。
 ルルの心を、絶望が去来していた。いや、これはルル自身が臨んだことだ。マオとフィアを守るためなら、魔物にでも何にでもなってやる、そう願ったのはルル自身だ。だとしても。
 ここまで、体が魔物のものに馴染んだ今、簡単にはもう人間には戻れないかもしれない。もしかしたら、二度と。ずっと、この有翼の巨狼の姿で、一生を終えるまで、過ごさなければいけないかもしれない。11歳の、普通の女の子の心は、もう今にも押しつぶされそうだった。恐ろしい狼の顔が、不安と悲しさで、歪んだ。

「ルル……ルルなんでしょ……!? 答えて、ルル……!」

 再びマオはゆっくりとルルに近づき始める。ルルは、答えない。答えられる自信が無かった。身も、心も、ただの魔物と化した今の自分が、本当にルルだと言えるのか、分からなかった。

「……また、そうやってつらそうな顔をしないで」
「ッ……! ……グルゥ……」
「ルルは、ルルだから。だから、そうやってつらそうな顔をするの。でも、私、もう、ルルから離れないから。ルルが、何になったって、私は……私の想いは、変わらないから、だから、ルル……」
「ガゥ……」

 恐ろしい狼の顔が、はっとした表情を浮かべた。自分を見失いかけた。ルルには、マオがいてくれるのだ。それがどれほどの幸せなのか、ルルはまた理解した。
 その様子を見て、マオはルルの元に駈け出した。ルルもまた、今すぐマオを抱きしめたかった。ありがとうって言いたかった。この前足では、もう、マオを抱きしめられないけど。この喉ではもう何も話せないけど。だから、精一杯の愛情表現を、この体でできることを、今すぐ駆け寄ってしようとした。
 だが、それより先にマオに飛び掛かる影があった。黒いスライムが、マオを包み込もうとしてきた。

「……まさかっ……!?」

 その様子を目の前で見ていた天狼は、再びスライムがルルを襲おうとしているのだと感じ取った。故にまた、ルルの瞳から理性が消えた。目の前で友人が、得体の知れない魔物に襲われている。守るためには、やるべきことは一つだった。考えるよりも先に、体が動いた。

「ルル、だめ! これは、この人は!」

 マオは、天狼に襲われ傷ついたこのスライムが今、なぜ自分に飛び掛かってきたのか咄嗟に理解した。いや、全てを理解した。
 混乱から、理性を度々失っているルルと違って、マオは今この時点でまだ冷静でもあった。だから、気づいてしまった。この黒いスライムが、フィアと共にいなくなったのは、目の前に現れた白い魔物からフィアを守るために連れ去ったのだということを。
 そして、今自分に飛び掛かろうとしたのは、マオの存在に気付いて、襲い掛かろうとする魔物から、ルルの親友であるマオを守るためだということを。
 スライムは、既に施設の職員としての自我を取り戻していたのだ。いや、何処まで取り戻せていたのかは、顔も体も区別がつかないスライムの姿でははかり知ることは出来ないが、しかし、少なくても、守るべきものを守ろうとして、動いているのは確かだった。

「ダメェッ!」

 マオの呼びかけも、今回は届かなかった。天狼の鋭い爪は弱っていたスライムを切り裂く。不定の体は無数に飛び散った後、さらに霧散し、跡形もなく消えていく。形も、声も、匂いも、何も残さず。
 ただ、無自覚のままに育ての親をその手にかけた、無垢で獰猛な獣をそこに残して。

「……ぁぁ……あああ……!」

 目の前で膝から崩れ落ちるマオを見て、ルルは再び自分を取り戻した。マオの無事に気づき、スライムがこの場からいなくなったことに気付き、そして少し間を空けてから、前足に残る、スライムを切り裂いた感触で、全てを悟った。

「ガゥ……!? グウォゥ……!?」

 ただ、マオを守りたかった。フィアを守りたかった。ただそれだけのためだった。そのためなら、自分が魔物になっても構わないと、確かにそう願った。
 しかし、その願いの果てが、この結末だなんて。

(私が……私は、取り返しのつかないことを……!)

 ルルはごく普通に育って、ごく普通に暮らした、普通の11歳の女の子だ。だが、【魔物の仔】であるルルが普通であれたのは、支えてくれた職員のおかげも大きかった。
 本当の親子のようにはなれなかったけど、それでも、大切な存在だった。
 その大切な存在を切り刻んだ感触が、爪に、指に、こびりついて離れない。
 大切な存在は、もう帰ってこない。
 殺したのだ。
 ルルが、殺したのだ。

「グウォォォォォォォゥッッッ!」

 天狼は、赤い瞳を潤ませながら悲しげに遠吠えした。その余りにも辛そうな咆哮は、目の前にいたマオの体を、心を、そして、マオの中にいる何かを、強く強く震わせた。
 そして天狼はその場から不意に駆け出し、翼を広げた。

「ル……ダメ、ルル待って!」

 マオの呼び止めも、ルルには届かない。自我は取り戻している。だが、理性はもう、なかった。罪悪感だけがルルを支配していた。もはや完全に馴染んだ魔物の体で、翼をはためかせて空に飛びあがった。
 逃げ出したかった。どこに逃げたって、罪悪感から逃げられるはずなどないのに。それでも、ただ、逃げ出したかった。

「待って、ルル……私が、守るから……待ってよ……ルルーーー!」

 ルルを守る。ルルから離れない。あれほど強く誓ったことが、自分でも薄っぺらで軽いものに思えた。結局、マオは何も守れなかった。
 ルルのことも、フィアのことも、職員のことも、そして、人間としてのマオ自身のことも。

「ガッ……グゥ……ル、ル……!」

 皮肉かもしれない。ルルが最後に放った咆哮は、マオの中でくすぶっていた魔物を完全に呼び起こしてしまった。眼帯の女ジレに撃たれた手の傷はすでに治り、しかし代わりに獣の白い毛がマオの手の甲を覆っていた。
 全身が軋み、歪み、作り変えられていく。全身を毛が覆い、指は短くなり、尻尾が生え、体は小さくなり、鼻先が尖っていく。自分が人間ではなくなっていく様子を、マオは感じていた。

(これが……ルルの感じていた、人間じゃなくなる恐怖……絶望……)

 自分への怒りと悲しみの中で、マオは狼になってしまったルルと初めて対峙した昨日のことを思い出した。こんな絶望を、ルルは感じていたのか。

(……違う、ルルはもっと、今もっと、悲しいのに……私は……私は……何もできずに……!)

 無力感がマオを襲う。そしてそれが、マオの悲しみを、変化を加速させる。ましてマオには今、昨日のルルにとってのマオのように、変化を抑えてくれる存在など、いない。

(ルル、ごめん……ごめんね……)

 完全に変化が終わり、自分が着ていた服の中で、すすり泣く小さな獣の姿がそこにはあった。
 誰もいなくなった場所で。
 いや、一人いた。マオの変化の一部始終を、だけではない、その前の全てを目に焼き付けていた人間が、一人だけここにいた。
 フラフラとした足取りで、小さな獣に近づくと、すっとその幼い手を伸ばした。

「行こう」

 すべてを見ていた少女、フィアは無表情で小さくそう呼びかけた。小さな獣が顔を上げて、フィアを見上げて、そしてあることに気付いた。フィアの瞳が、黄色に輝いていることを。

「ルルには、あなたが必要だから」

 今朝、マオに嫉妬を浮かべていた少女の面影はなかった。マオは、自分の身にも起こった不可思議な心と記憶の変化が、フィアにも起きていることをすぐに理解した。

「だから、行こう。私が、連れていく」

 小さな獣は前足で涙を拭うと、自分の着ていた服から這い出した。そして振り返り、自分の着ていた服と、一糸まとわぬ獣の姿と化した自分の体を見て、一つ大きく深呼吸をした。

「私の体に乗って、ルルのところに連れていく」

 そう言って、小さな獣と化したマオをフィアが抱きかかえようとした時だった。車がすぐ近くで止まる音が聞こえた。しかし、マオもフィアも動じなかった。誰が来たのか、すぐにわかったからだ。

「マオ様、フィア様。お待たせいたしました」

 マオもフィアも、もちろんその相手と面識があった。ヴァイス家につかえる、リグのじいがそこにいた。

「ルル様はヴァイス家が保護し、必ずお連れします。ですから、お二人には先に来ていただきたい場所と、会っていただきたい方がおります」

 フィアは黄色の瞳を光らせて、じいをじっと見つめた。

「ヴァイス家は、信用できない、私の中の私が言ってる」
「少なくとも、今私がお二人に嘘を申し上げるメリットはございません。ヴァイス家は、今はお二人の味方です」
「こんなに都合のいいタイミングで現れる相手を、信用する人間はいない」
「ならば、ヴァイス家を信用いただかなくても構いません。ですが、だとしても、フィア様のすべきことが決まっているのなら、とるべき行動も決まっているはずです」

 じいの言葉の深い意味を、フィアは理解しようと思っていなかった。ただ、信頼できる言葉かどうかだけ、見極めたかった。ヴァイス家を信用できなくても、今は何かに頼るしかない。それに足る言葉かどうかだけ、見極める必要があった。

「すべて、ヴァイス家の思い通りには行くと思ったら、間違い」
「間違いは、人を成長させます。我々も、フィア様も……マオ様も」
「……数日待って、マオを、ルルに会わせられなかったら、自力で探す」
「ご理解いただけて何よりです。お車にお乗りください」

 フィアは自分の足元にいた小さな獣を抱きかかえる。

「大丈夫」

 マオに、自分に言い聞かせるように、フィアは小さくつぶやいた。そしてフィアは小さな獣を抱えたまま、じいの運転する車に乗り込んだ。獣となったマオは、フィアに抱きかかえられたまま、窓の外を見る。自分の瞳のように、鮮やかな青空が広がっている。この空のどこかを、今ルルが飛んでいる。そう思うと、胸が締め付けられた。

(もっと、強くならなきゃ……心も……ルルを、守れるように……!)

 小さな体で、マオは強くそう誓った。そして、強く願った。

(だからルル、戻ってきて――!)

 マオの願いはしかし、今のルルには届かなかった。

(私が、殺した。私が、殺してしまった。私が、私が――!)

 自戒の念が、ルルにまとわりついて離れない。全てから逃げ出すように、でたらめに空を飛び、地をを駆け、また飛び、地に下り、何処ともわからぬ地を巡った。誰に見られることも厭わずに。やがて、見知らぬ山を見つけて降り立つと、深い森の中を駆け抜けた。木々に体が、特に翼がぶつかり、体が傷つくことも気にせず、やみくもに走り続けた。

「ガゥッ!?」

 砂利道になっていた場所で足が滑ってバランスを崩しこけてしまう。天狼の体は砂埃を上げながら少し横滑りをして、ほどなく止まった。純白の美しい毛が、砂で汚れる。横になったまま舌をたらし、そのまま動かなくなる。ただただ飛び回り続けて、息も荒れていた。

(忘れてしまいたい……全て……どうして今、意識が残っているの……今こそ、全てを捨てて、全てを忘れてしまいたいのに……!)

 ルルであることを捨てて、暴れまわることができれば、どれほど気持ちが楽になるだろう。しかし、天狼の心は、ルルの心を保ったままだった。
 辛い。
 苦しい。
 まるであのスライムのように、ルルの体に、心に、負の感情がまとわりつく。やがて赤い瞳から涙があふれ、白い毛を濡らしていく。

「クゥッ……ァゥゥ……」

 弱弱しい鳴き声が、喉から洩れる。人の言葉を話せなくなってしまった喉から洩れる、獣の呻き声。こんな思いをするなら、いっそあのまま、獰猛な獣のままでいられれば良かったのに。
 重い感情が、体さえも重くするのか、天狼はそこからずっと動けずじっとただただ泣くばかりだった。しかしやがて、天狼の耳が、にわかに周囲が騒がしくなる様子を感じ取った。
 ヘリが空を飛ぶ音。サイレンを鳴らしながら車が走る音。それらの音が徐々に近づいてくる。さらに、拡声器か何かで増幅した大きな声が、天狼の耳に届く。

「この付近で、魔物の目撃情報がありました。住民は直ちに避難してください! 繰り返します。この付近で魔物の目撃情報がありました。直ちに避難を開始してください!」

 天狼はゆっくりとその身を起こす。避難指示が告げている、魔物とは誰のことなのか、天狼はすぐに気付いた。

(私を、捕まえに来たんだ……!)

 天狼は四本の足で、街の方角から遠ざかろうとしたが、その先に人の気配を感じた。神経を集中し四方を探る。すでに自分の場所を把握されてしまっているのか、周囲全て囲まれてしまっているようだった。空を見上げるが、数機
 のヘリが飛び交う様子が見えた。
 逃げ道は全て塞がれていた。そしてすぐに、警吏や国防兵と思われる隊員たちが天狼の周りを取り囲んでいく。その目は、得体の知れない魔物を見る、恐怖と怒りの入り混じった目だった。

「ガウゥッ! グルゥ……」

(待って! 私は人げ……)

 天狼はそう言いかけて、言葉を止めた。思わず喋ろうとしたが、すぐに自分の獣の声を聞いて人の言葉を話せなくなったことを想いだしたし、自分が人間だという主張を、自信をもってできなくなっていた。
 だってそうだ。普通では存在しえない有翼の巨狼を見て、誰がその正体は人間の女の子なのだと分かってくれるだろう。現に目の前の人間たちは獰猛な天狼を捕まえようと、無数の銃を天狼に向けて構えている。
 抵抗すれば、逃げ出すことは出来るかもしれない。だけど、そう思った瞬間に、スライムを切り裂いたあの感覚が前足に蘇ってきて、天狼の体をすくませた。

(もう、誰も傷つけたくない……!)

 天狼は小さく唸り、一歩後ろに後ずさりをするが、それを好機と見たのか、国防兵の指揮官と思われる男が大きな声で叫んだ!

「捕縛用意! はじめ!」

 瞬間、いくつかの銃からネット弾が放たれ、それを避けきれなかった天狼の体にネットが絡みつき、身動きを封じていく。

「ギャウゥッ!?」

 その様子を見てさらにネット弾を数発放って天狼の動きをさらに封じ込めた彼らは、もがく天狼に近づき、銃を突きつけながらあっという間に取り囲んだ。

「魔物、捕縛完了!」
「よし、麻酔を撃て! 効果を確認後、連行する!」

 彼らの言葉を聞きながら、天狼はもう何も抵抗をしなかった。
 ルルは、もう全てを諦めていた。
 ごく普通に育って、ごく普通に暮らした11年は、もう戻ってこない。大切な人を自らの手で殺めて、自らは得体の知れない魔物と化し、そして今魔物として捕えられた。もう、何を望めばいいのか。何を望んでも、何も叶いはしない。何に挑んでも、何も果たせはしない。
 ルルは、天狼は、もう、細く弱弱しい声で鳴くことしかできなかった。
 やがて麻酔は撃たれ、時間がたつにつれ、ルルの意識は混濁していく。

 マオにももう会えないな。ずっと、私を人間だって信じてくれたのに、誤ることもできないな。
 フィアもそうだ。ちゃんと話すって約束、果たせないな。
 リグのこと、恨んでなんかいないけど、でもちゃんと話を聞きたかったな。
 私、どうなっちゃうんだろう。得体の知れない大きな狼のこと、人々はどう見て、どうするんだろう。
 化物、でしかないんだろうな。だとすればきっと私は、化け物として……殺されるんだ。
 ……それで、いいのかもしれない。そうすれば、あっちで謝ることができるのだから。
 殺されて、しまえばいい。魔物の私なんて。
 殺される……人間だって……気づいて……もらえずに……。

 捕縛した魔物が、大量の涙で頬の毛を濡らしていたことを、その場にいる人間たちは誰一人気づくことはなかった。ただただ、巨大な獣を起こさぬように慎重に、輸送するためのヘリから垂らされたワイヤーのついたフックを、魔物を包み込むネットに括り付ける作業を、淡々と続けるだけだった。



「さぁ、着きましたぞ」

 じいの言葉を受けて、獣を抱えたフィアは車を降りて、そして目の前にある大きな屋敷を見上げた。

「ヴァイス家には、来たくはなかったが」
「お二人を保護するのに、ここより最適な場所は他にありません」
「だが、さっきも言った通り、ルルを見つけられなければ」
「保護は強制しません。ただ、記憶も力も曖昧なお二人が、それでも外に出たいというのであれば、の話ですが」
「それは、ヴァイス家の意思か、あなたの意思か」
「僭越ながら、私目の言葉にございます」
「なら信用しよう」

 幼い少女とは思えないフィアの口ぶりにも、じいは表情一つ変えることなく受け答えした。

「さぁ、お上がりください。お二人に会わせたい方が、お待ちです」

 じいはそう言いながら、屋敷の大きな扉を開けて、長い廊下を案内していく。フィアは小さな獣となったマオを抱えながらじいについていく。
 やがて廊下が左右に分岐する場所で、フィアの方を振り返って言葉をかける。

「フィア様は、ここで少しお待ちください」
「……会わせたい人がいるのでは」
「言葉が足りず、申し訳ありません。マオ様とフィア様に会わせたい方は、別でございます」

 じいの言葉を受けて、小さな獣は自らを抱きかかえるフィアのことを見上げる。フィアの黄色く光る目と目があい、小さな獣は小さくうなずいた。

「マオ様、こちらにどうぞ」

 フィアは抱きかかえているマオをじいに渡す。じいはフィアに背を向けて、マオを抱きかかえたまま廊下をさらに進んでいく。そして突き当りの扉の前で止まると、じいはマオを抱えたまま扉をたたく。

「お待たせしました。マオ様をお連れしました」

 小さな獣の姿のままのマオを連れて、はっきりとマオを連れてきたと言い放ったことに、しかしマオはあまり驚いていなかった。扉の向こうに誰がいるのか、獣になって研ぎ澄まされた感覚で薄々感づいていた。
 今、会いたくはなかった。しかし、会わなければいけないこともわかっていた。
 じいは扉をゆっくりと扉を開く。そして、マオの予感は確信に変わる。
 しばらく見ることはないと思っていた、自分の顔。いや、自分と同じ顔をした少年が、そこにいた。マオの双子の兄弟、ロンは険しい表情を浮かべながらじいを見ていた。

「……マオは、どこだよ」
「ここにいらっしゃいます」

 じいは抱きかかえていた小さな獣を床におろす。小さな獣はロンを見上げて、そして口を開く。

「……ニャア」

 純白の綺麗な毛と、宝石のように青く輝く綺麗な瞳を持つ小さな猫が、鈴のような綺麗な声で鳴き声を上げた。その変わり果てた姿を、双子の兄弟に見せつけるように。

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