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「こちらは腕を落とす怪我をしているというのに、招集とは何事でしょうか」
「来られたか、ジレ執政官」

 長机がいくつも並べられ、その周りにはいかにも偉そうな壮年の男たちがずらりと座っているのを見ながら、ジレは露骨に眉をひそめた。ザザに連れられて医療機関で応急処置を受けてままならないというのに、数時間ですぐに自分を呼び寄せた上層部の行動に正直辟易としていた。

「君ならば、腕の一本など大したものではないだろう?」
「しかし、仕事はできないのですよ。片腕では」
「口は動くだろう? ならば問題はない」

 ジレは残った腕で髪をかき上げながら、上層部の面々を舐めるように一通り確認する。そして一番奥に鎮座する、一際穏やかな表情で、一際威厳を放つ老人を見ながらジレは問いかける。

「アジ神官、これは何の会でございましょうか。今、私がこの面々を前に、何を申し上げればよいと仰るのです?」
「ジレ執政官。現場のことはあなたに任せています。ただ、任せるということは、信頼に報いよということであり、好き勝手やってよいという免罪符ではない」
「……仰りたいことがよく分かりませんが? 私は今、何を申し上げればよいのかと問うたのです。そのお答え、お聞かせ願えませんかね?」

 言葉こそへりくだりはしているものの、尊大な態度を見せるジレに、壮年の男たちはそろっていらだった表情を浮かべる。しかしなお、神官であるアジだけは落ち着いた穏やかな表情を浮かべていた。

「では聞きましょう、ジレ執政官。あなたは、忌むべき魔物の情報を得て、その真偽の確認に向かった。そしてあなたは確かに情報通り、魔物グリフォンを見つけ出し、その存在を証明した。……それは確かにあなたのすべきことですし、結果成し遂げた」
「では、何を咎めるのです?」
「問題は、あなたが魔物をおびき出すために、神の徒を使役した。そしてそれを何も顧みず、大衆の面前に晒し、白昼堂々戦いを仕掛けたことにあります」

 アジはそういうと、そばにいた従者に何か小声で言葉をかけた。すぐに従者は大きな投影装置を用意し、ある映像を流し始める。

「当然、突然として現れた神話時代の異形に、世間の注目は集まり、話題はそれで持ちきりになります。そして、それは瞬く間に話が広がり、そして、報道機関が大々的に報じ、世間が知ることとなる。それも、『魔物と神の徒』としてではなく、『白い魔物と黒い魔物』として」
「報道機関は勿論そう報じますでしょう。なぜならば」
「そう、なぜならば報道機関のほとんどは、ヴァイス家の息がかかっている」

 投影装置から映されるのは、各報道機関が報じている白の魔物と黒の魔物が戦っている場面だった。

「ヴァイス家は心得ているのです。本来なら彼らが望めば白を正義とし、黒を悪とする報道をすることなど造作もない」
「……何れも報道は、一見すれば中立であるかのような語り口」
「報道機関が黒の魔物を批判し、我々政府との関連付けを公表するのであれば、我々は速やかに反論を出す用意が常にあります。それを分かっているから、彼らは仕掛けてこない。我々が仕掛けるのを待っているのです」
「ヴァイス家らしい、いやらしいやり口かとは思います」

 ジレは投影される映像の数々を一応見てはいるが、まるで他人事のように受け答えをする。その様子にいよいよ堪忍袋の緒が切れたのか、座っていた壮年の男性の一人が机を一度強くどんと叩き付け、急に立ち上がり大きな声でまくしたてた。

「いい加減にしろよ貴様! 誰の御前だと思っている! 貴様、しでかしたことの重要さを分かっているのか!? 貴様が独断で神の徒を出したことで街は混乱! ヴァイスに切り札を与え、しかも貴重で強力な神の徒であるドラゴンをみすみすと失って! しかも、今朝には一般市民まで許可なく神の徒に変えたそうじゃないか! 神務省はどういうつもりかね! 立場をわきまえた行動はとれんのか!?」
「……立場、でございますか」

 ジレは男の言葉を黙って聞いていたが、相手がひとしきり喋り終え、しんと静まり返ったのを確認すると、片目で男をギラリと睨み付けながら、幽かに口角を上げた。

「勿論、立場はわきまえなければなりませんね。立場は。……そう、お互いに」

 それを見て、さっきまで大声で怒鳴っていた男は急に萎縮して、口を無駄に開閉しながら、幽かに震えながら自分の椅子に再び着席した。ジレは瞬きを一つすると、今度は司祭を見ながら説明を始めた。

「……魔物の復活を証明するには、神の徒を差し向けることは遅かれ早かれ必要なことでした」
「しかし、神の徒を繰り出せば、ヴァイス家はこういうやり方で我々を追い込もうとする。それは想像できなかったのですか?」
「……むしろ私が皆様方に問いたいのは、ヴァイス家を侮っているのはむしろ皆様方ではないかということです」

 ジレのその言葉に男たちは俄かにざわつき始める。

「その真意を、話してくれませんか? ジレ執政官」
「……では、述べますが。まず、結論を言えば、忌むべき魔物の情報を我々の側に渡してきたのは、おそらくヴァイス家でしょう」

 ジレとアジの会話に、周囲は一層ざわつく。顔色を変えてうろたえる者、だから言っていたではないかと大きな態度をとる者、それぞれがそれぞれの態度をとる。

「我々は、ヴァイス家の手のひらで転がされていると?」
「事態はすでに、ヴァイス家の思惑の中で動いています。我々がいかなる手を打つかを見極めて動く余裕があり、そして多くの場合我々の打つ手は彼らの誘導に則した範囲でしかありません。万が一我々の行動がヴァイス家の想定を上回っても、ヴァイス家はそれを利用して自らを優位にする手法を知っている。彼らはそういう家系です」
「それを分かっていて、彼らの手のひらに乗ることを、なぜ選んだのです」

 穏やかだったアジの目は鋭く光り、ジレに向けられる。ジレはそれでもなお、態度を改めることなく、強い声で答える。

「我々のすべきことは、忌むべき魔物をあぶり出し、今度こそ全て駆逐することと考えています。そのための餌を、彼奴らは自らまき散らしてくれている。喜ばしいことだとお思いになりませんか」
「だが、そのために犠牲が払われた」
「尊い犠牲です。そのおかげで、魔物の身元が概ね割り出せました」

 不敵に笑うジレは、横にいた従者に声をかけ、投影装置からいくつかの資料を映し出した。

「昨日今日、私は調査の中で魔物と交戦しました。まずは最初に現れた【惑わすもの】グリフィン。彼の出現はある者から……つまり、ヴァイス家から提供されたと思われる情報から導き出されたものです。おそらく、グリフィンは、ヴァイス家と深くかかわりのある存在なのでしょうが……証左はまだ得られていない以上、彼らへの追及はまだ控えるべきでしょう」
「焦って家宅捜索などしても、何も得られないでしょうな」

 どこで映していたのか、投影装置からは白いグリフィンと黒いドラゴンが交戦する様子が映し出されている。

「次に現れたのは【魔物の仔】の保護施設。私はそこに乗り込み、更なる魔物のあぶり出しを試みました。グリフィンは結局、その所在を突き止めるには至らなかった。しかし、魔物の仔をあぶりだせば、グリフィンか、あるいは新たな魔物と出会えるであろうことを確信しておりました」

 そして映し出されるのは、一人の少女だった。赤茶けた髪の少女がうなだれた様子から、ゆらりと立ち上がりだし、にわかに全身が震えたかと思うとその体が瞬く間に肥大し、純白の毛に包まれて、人狼と化して、映像の中のジレに襲い掛かった。その様子に、男たちはまたしても口々に話を始める。

「資料と照合したところ、彼女はルルと名付けられここで育てられた【魔物の仔】。彼女の存在はある事実を指し示します。魔物たちは人間の姿になって人間社会に紛れ込むことができる。そして、一たびその魔物の力を解放すれば」

 次に映し出されたのは、人狼がさらに変化をし、有翼の巨狼と化した瞬間だった。その荘厳で、威圧感のある姿に、ざわついていた男たちは今度は息をのんで黙り込んだ。

「解放すれば……ご覧の有様です」

 ジレは失われた腕を、なぜだか嬉しそうに、誇らしげに見せつけた。狂気を孕んだその様子に、所詮ただの人間でしかない壮年の男たちはただただ開いた口が塞がらなかった。

「【魔物の仔】の施設は、政府が常時【魔物の仔】を監視下に置けるよう設置した機関ではありましたが、結局水面下ではヴァイス家の息がかかっていました。そもそも、監視下に置くなどという名目で、【魔物の仔】らを殺さずに保護するなどという発想がすでに、彼らのやり口だったと考えれば合点はいくわけですが」
「……40年前から着々と……あるいは、あの事件で負けることも見越してその前から準備を進めていた、そういう風さえ考えられますな」
「アジ神官。すでに我々は苦境に立たされているという自覚が必要なのではございませんでしょうか。40年前、彼らをかの地に追いやることができたという慢心が、我々の腰を重くはしてませんでしょうかね?」

 今度はジレの鋭い視線がアジに向けられる。アジは一つ深呼吸をして何かを言いかけるが、それを遮るように別の男が声を上げた。

「ところで、この天狼だがね、ジレ執政官。君はなぜ始末をつけなかったのかね? いや、あるいはグリフィンもそうだ」
「……私の目的は、魔物の正体を探ることまでにございます。始末しろ、などということは、任務には含まれてませんから」
「任務のためにはあらゆる規則も規範も蔑ろにするが、任務そのものは頑なに守る。……柔軟な対応は出来んのかね? 魔物どもを放置して、市民に被害が広がれば、どうするつもりかね」
「それは私の知ったところではありません。仮に、始末していればしていたらで、どうせ私を糾弾なさったでしょうに。あなた方お偉い様が何のために存在しているのですか」
「そう、何のために我々が存在しているか。君の尻拭いではないのだよ。ジレ執政官」

 ジレはどこか自信ありげにしゃべるこの男が何者なのか、知っていた。この国の警吏組織を事実上束ねている、警吏副総監だった。隣には国防隊の将校である男も座っていた。ジレはむしろ奥のその将校の方に目を向けていたが、将校は退屈そうにしたまま微動だにしなかった。

「君が取り逃がした天狼だがね、我々警吏と国防隊が総力を挙げて確保に取り掛かり、そして一切の被害無く速やかに確保に成功したのだよ」
「それはそれは、さすがでございますね」
「……バカにしているかね?」
「いえ、現場には優秀な者が多いと聞きますから。現場には」
「貴様、私を侮辱するか!?」

 警吏副総監は怒りの表情を浮かべて怒鳴ったが、次の瞬間、部屋に若い警吏が転がるように入ってきて、警吏副総監の横まで駆け寄り、何かを耳打ちする。

「……襲われてる!? 研究所が!?」

 警吏副総監は伝え聞いた言葉を思わず叫んでしまい、はっとした表情で周囲を見回した。そしてひとつ咳払いをし、アジに向かって敬礼をすると早口で伝えた。

「こ、これより緊急の事件発生のため、至急指揮に当たります! 申し訳ありませんがこの場はこれにて!」
「検討を祈るよ」
「幕僚長も! ご同行願いたい!」
「……ったく、警吏どもよりも連絡が遅いたぁ、うちの指揮系統はどうなってるってんかね……」

 警吏副総監が慌てて部屋を退室していくのに対して、隣にいた国防隊の幕僚長はゆったりとした動きで部屋の外へと向かっていくが、ジレとのすれ違う瞬間、一瞬足を止めて声をかける。

「ここの爺どもをからかうのも、ほどほどにしておけよ? やりづらくなるだけだ」
「お心遣い感謝いたします。大佐」
「大佐はやめろっつってるだろ。今は大将だ」

 屈強な男が似合わない苦笑いを浮かべながら、ジレの肩をポンと叩くと彼もまた部屋の外へと出ていった。

「……では、捕獲した天狼が、逃げられた場合の話からした方がよいのですかね?」
「いや、いったんこの場はこれで解散しましょう。ジレ執政官。……しかし、執政官という肩書のあなたが、現場に赴いて、勝手すぎる行動をとっていることは、今後改めて然るべき処遇を検討します」

 アジの言葉を受けて、集まった男たちはばらばらと部屋を後にしていった。

「ジレ執政官」

 男たちが一通り退室する様子を見届けた後、アジが従者に体を支えられながらジレのそばによって声をかけてきた。

「率直に言えば、【右目】を有するあなたが、現場に赴く理由を理解しないわけではありません。【右目】の力は前線でこそ、意味を成す」
「ならばなぜ、私に……代々【右目】の保有者に執政官などという、しがらみのような役目をお与えになったのです?」
「その問いに、答えが含まれているではありませんか。それ以上、言う必要はありますか?」

 アジはそう言って笑いながら、従者に連れられて部屋を後にした。部屋に一人残されたジレは、誰の気配も感じないことを確認した上で一つため息をついた。

「狸どもめ」

 そうしてジレもまた外へと出る。すると外では赤い髪の少年が、退屈そうに待っていた。

「何をしているのですか」
「何してるって、退屈してるんすよ。あー俺こういう場苦手っす。かわいい動物いないし」

 赤髪の少年はジレの傍によって失われた腕の様子を見る。

「どうすか、腕」
「よくはないですね。魔物に食われたのでございますから。三日は生えてこないでしょう」
「いや生えるんすか。目の力っすか? えげつないすね。てか最早キモイすね」

 少年の素直すぎる言葉に、ジレはまたため息をついた。

「狸もトカゲも、世話は面倒なものでございますね」
「ところで、おっさんたちなんかあわただしく出ていったけど、何かあったんすかね?」
「……そうですね、面白いことが起こっているようですね」

 警吏副総監が受けた報告。研究所というのは多分、あの天狼を捕えている場所のことだろう。そこが襲われている。

「面白いことなら、俺も興味あるすね」
「でしょうね。しかも多分……あの天狼が絡んでいるでしょうし」
「あのわんちゃんすか! 余計に気になるっすね」
「そう言うと思いましたよ。では……我々も行きましょうか。ザザ」
「うぃす」

 ジレと、赤髪の少年ザザはそう言うと並んで廊下を進んでいった。ピリピリとした現場の中で、嬉々とした表情を浮かべる二人の姿は、周囲には異様な光景に映っていた。
 一方ジレが招集された会議が始まるのと同じ頃、遠く離れたとある研究所の周りを、一匹の魔物が大きく旋回をしながら様子をうかがっていた。
 そしてその研究所の地下では、外の様子をまだ把握できていない天狼ルルが、耳飾りを通じて聞こえてくる幼馴染の声に耳を傾けていた。

『今、君が捕えられているらしき建物の近くまで来たんだけど、そこから僕は見えるかい?』

 自分を助けに来た幼馴染、リグの問いに、ルルは答えようとした。しかし、ルルは今、狼である。人の言葉など話せない。さっきは咄嗟に遠吠えで答えてしまったし、実際それを聞いてリグはここを見つけてくれたんだろうけど、今回はそういうわけにはいかない。どう返事すればいいのか分からずルルが黙っていると、追ってルルの声が聞こえてきた。

『僕の声は、君に渡した耳飾りを通じて聞こえているだろう? その耳飾りは、ただの耳飾りじゃない。付けている者同士の間で、何というか、一種のテレパシーのようなものができる代物なんだ』
「きゅぅ……?」
『僕は今、口で喋っているわけじゃなくて、君に話しかけたいと思いながら言葉を思い浮かべることで、君に語りかけている。そして君にも同じことができるんだ。意識してやってみて』

 リグの説明にルルは戸惑いながらも、しかし言われた通りリグのことを思い浮かべてみる。

『……グ……リグ……聞こ……』
『ルル、もっと意識して。僕を、意識するんだ』
『……リグ、聞こえる? 私の声が、聞こえる?』
『……あぁ、聞こえるよ、ルル。君の声が』

 自分の声が、届いた。ルルはぶわっと全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。完全な魔物の姿になってしまって、二度と言葉は話せないと思っていた。二度と、自分の想いを誰にも伝えられないと思っていた。ルルは、諦めていた。だけど今、ルルの言葉はリグに届いた。リグは、ルルの言葉を理解してくれる。ルルの想いを、受け止めてくれる。そうわかった瞬間、ルルの心の底から、一気に言葉が、感情が、湧き上がってきた。

『リグのバカ! 自己中! 思わせぶり! 説明不足! 独りよがり!』
『半日ぶりに会った幼馴染にかける言葉かい?』
『……怖かったんだから……! リグが、いなくなって、私、本当に……心細かったんだから……!』

 そばにマオがいてくれた。マオの心を受け止めた。だからこそ、ひた隠しにしていた感情。抑えていた感情。だけどそれは、リグの声を聞いた瞬間、ルルの心の中では抑えきれなくなって、リグに向かってぶつけられていく。

『悪かったよ。でも、話は帰ってからしよう。今から僕は君を、助け出す』
『助け出すって……私は……私は、もう……!』
『僕は、君の遠吠えを聞いてここに来たんだよ? 今更、何を言うんだい』
『……どうして……私は、魔物に……こんな、姿に、なっちゃったの……? 私は……どうして……どうして、私は、私は……!』
『言ったよね。話は、帰ってからにしよう。昨日は話せなかったことを、話すよ。諦めるのは、それからでも遅くないんじゃないのかな』

 リグの言葉に、ルルは黙り込む。リグは少し間を開けて、もう一度さっきの質問を問いかける。

『で、どうかな? 僕の姿は見えるかい?』
『……見えない。窓もなくて……壁も、なんか厚そう……牢屋全体が、ひんやりしているというか……』
『なるほどね。じゃあそこは、地下なのかもしれないね。地下だとさすがに僕も簡単には助け出せないな』
『……じゃあ……』
『じゃあ、ルル。君が囚われているその場所からは、自力で脱出して。逃げる手助けは僕がするから』
『……えっ?』

 天狼は、耳を疑って足で耳の裏をかいた。

『え、私が、自力で脱出? む、無理だよ、私!』
『無理じゃないさ。……そうだろう、君の力であれば、枷も、牢も、壁も、関係ないはずだ』
『私は……私は、こんな力なんか……!』
『望んでいないとしても、それは君の力だ。君の力は、純然たる力。とてもシンプルな力だ。望めばいい。望んでいなくても、望めばいい。君の望みが、君の力になる』
『私の……望みが……』

 強く願えるだろうか。自分を諦めてしまった自分に、望みを持つことできるだろうか。ルルは深く悩んでいた。だけど、今は、リグの言葉を信じたかった。望みを、力に変える。ルルの望み。

(諦めたい……こんな状況から、逃げ出したい……でも、私は……マオに会いたい。リグに会いたい。フィアに会いたい。話を聞かなきゃ。話をしなきゃ。お礼を言わなきゃ。謝らなきゃ。やらなきゃいけないこと、私には、まだまだ……たくさんある……だから、私は、諦めちゃ……諦めちゃだめだ!)

 瞬間、天狼の瞳が一層赤く強く光りだす。やらなきゃいけないことがある。だからここから逃げ出したい。ルルの想いが強くなり、そして高まった瞬間、ルルは前足を大きく振り上げる。すると、固い金属の枷がいとも簡単に壊れて砕け散った。そして自由になった前足の感覚を確認する。罪に取りつかれた、忌まわしい前足。それでも、ここから出るためには、この前足で目の前のものを壊し、駆け抜けるしかない。
 天狼はあたりを見渡す。自分のように体の大きい魔物をこんな狭いところに搬送したのだから、どこかに搬入口がある筈だった。

『……あった! 搬入口! 多分、地下倉庫かどこかを改装したんだと思う』
『了解。じゃあ……僕が外でひと暴れする。その混乱に乗じてルルは逃げ出すんだ』
『ひと暴れって……ちょっと、リグ!? 何をする気なの!?』
『心配はいらないよ、ルル。……君だって、本当は薄々気づいているだろう? どうして僕が君を助け出せるなんて言っているのか。どうして君の遠吠えを聞き分けて場所を特定をできたのか。どうしてわずかな時間でここに来られたのか。本当は』
『……話は帰ってから、って言ったのは、リグでしょ』
『そう、だね。そうだ。ルル、一緒に帰ろう』

 リグがそう言ってから数秒後、上の方から急に何か建物が崩れるような激しい音が聞こえてきた。天狼はそれを確認すると、檻の中で短く助走を取り、勢いをつけて体ごと格子に体をぶつけた。金属の格子はひしゃげ、脆くも折れた。体にわずかに痛みはあったが、今朝あのトカゲ男にやられた痛みを考えれば、大したことではなかった。
 天狼は搬入口の扉を確認すると再び助走を取って先ほど同様に思い切り体をぶつける。しかし、こちらの扉は破った瞬間、急にけたたましい警報が建物内に響き渡り始めた。

(まずい、早く脱出しないと……!)

 焦燥感を掻き立てる警報は、ルルの心を一瞬乱した。特に建物のことを考えないままやみくもに走り出してしまった。これほど大きな施設なのだ。監視カメラぐらい存在するし、リグの襲撃で混乱しているとはいえ、逃げ出そうとしている魔物を再度捕獲するために、人が集まってくることなど冷静になればすぐにわかるはずだ。だから、もっと冷静に五感を最大限に感じて、建物の外につながる通路を探すべきだった。
 ルルは、行き止まりに突き当たってしまい、ようやくそこで後悔した。後ろには、自分を捕えようと武装した人間がすでに集まっていた。

「グルルルル……!」

 喉を鳴らし、威嚇をする。自発的にやったことなんてなくて、自分のその行動が本当に獣そのものだなと悲しく感じながら、天狼は少しずつ目の前の武装した人間たちと距離を詰めていく。

「撃てぇ!」

 相手もまた慌てたのか、中途半端な距離で構えた銃を撃ち始めた。狭い通路では天狼に避け道はなかったが、あまり正確ではない狙いだとすぐに気付き、わずかに後ろに下がり、体を少し屈めて多くの銃弾を避け、唯一自分めがけて飛んできた弾は前足で叩き落とした。その瞬間的な魔物の動きに人間たちは戸惑っていたし、ルルはその隙を見逃さなかった。
 人間の間をうまく掻い潜って、別の通路を探し始める。やがて、上に行ける通路に気付き、そちらに駈け出していった。そして上の階に上がり、外の光が見えてきた。もうすぐ脱出できる。ルルは一瞬そう感じた。しかし、すぐにその希望は打ち砕かれた。ルルの目の前には無数の人間が、武装して立っていた。
 研究所の人間にとって、これほどたやすいことはなかった。脱出できる通路は一つしかなかったのだ。それならば、その通路を封じてしまえばいいのだ。天狼の行動は、その予想の範疇でしかなかった。

(どうすればいい……さっきみたいに掻い潜れば……だめだ、この人数じゃ隙間なんてないし……その前に攻撃されてしまう……それに、この人数を相手に、私が無我夢中で掻い潜れば……大けがでは、済まないかもしれない……もう、だれも、傷つけたくないのに……!)

 天狼は、なす術を思いつけずにいた。ただ時間だけが、むなしく過ぎていく。
 諦めたくない。こんなところで。だけど、天狼には、もう何もできなかった。
 そう、天狼には。

『君にできないなら、僕がやる』

 不意にまた、耳飾りからリグの声が聞こえたと思った瞬間。突然激しい突風が吹き荒れたかと思うと、目の前にいた武装した人間たちがまるで屑のように吹き飛ばされていった。風がやんだ後、天狼は風の正体を確認しようと、じっと前を見た。
 人の倒れた体で築かれた山の向こう側。一つの大きな影が見えた。その姿に、ルルは心当たりがあった。
 獅子に似た下半身。鳥に似た前足と大きな翼。鋭い嘴と、深緑に光る瞳を持つ鳥の頭。そこにいたのは、昨日ルルが遭遇した、あの白い魔物だ。白い鳥の魔物は、天狼の姿を確認するとその鋭い瞳を穏やかに細めて、僅かに首を傾けて、くちばしを開いた。

『お待たせ、ルル』

 その瞬間、天狼の付けた耳飾りからリグの声が聞こえてきた。
 ルルはもう、気づいていた。
 ルルはもう、理解していた。
 だけどまだ、信じられずにいた。
 目の前の白い魔物の頭に生えている耳に付けられた、緑色の耳飾りが、全てを物語っていたけれど。それでもやっぱり、信じられずにいた。

『もう、分かっているだろう? 僕は、君の目の前にいる』
『……リグ、だって……じゃあ、昨日戦っていたのは……!?』
『そう……僕も、君と同じさ……君と同じ。魔物だよ、本当の。……僕はグリフォン……【導く者】グリフォンさ』
『リグが……あの、魔物……リグも、私と同じ……!』

 昨日、黒いドラゴンの戦いの中で行方が分からなくなってしまったリグ。ルルにとって大切な幼馴染。同じ【魔物の仔】であり、その悩みを共有していた存在。
 その相手が今、魔物となって目の前にいる。人間だった面影など何一つ残さない、鳥と獅子を掛け合わせた白き魔物、グリフォンとして。
 そしてルル自身もまた、有翼の巨狼としてここにいる。
 人間として別れ、魔物として再会する。
 変わり果てた自分たちの姿と、運命に、ルルの心と瞳は再会の喜びよりも、不安と悲しみで激しく揺れていた。

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