1-11 無題

「そんじゃ、夜電話します」
 と、先輩に手を振る。が、
「おい」
 の一言で、足がストップ。振り返ればそこにはまだ先輩が。
「明日、予定ある?」
 明日? 土曜日?
「いや、特にな──」
「じゃあ明日一日空けて。朝九時、わたしの家。アレ、使うから」
 と一気に仰った先輩は、言葉の勢いそのままに、スタスタと駅前の人混みの中へ消えていった。
 アレ、か。
 一週間前ほどに先輩とやったカード。負けたほうは勝ったほうのお願いを、ってオマケつきだった。オマケを手に入れたのは先輩だけど、お願いの権利──先輩の言ったアレ──は行使されず保留にされてたっけ。
 今思えば、いつもポーカーフェイスの先輩とカードで勝負ってのは、最初から不利だったけど。まぁ先輩のことだから、無茶なことは言ってこないだろう。
 そして実際、無茶なことは言われなかった。その代わりに、ちょっとした驚きが待っていた。



「コーヒーかオレンジジュース」
「ん〜、じゃコーヒーで」
 ちょこちょこお邪魔している先輩の家だから、変な遠慮はしない。先輩が飲み物を取りに行っている間、手持ち無沙汰なおれは、立ったまま先輩の部屋を視線だけで物色。あ、このCD買ったんだ、帰りに借りていこう。
 そんなことをしてると、両手にカップを持った先輩が戻ってきた。
「ん」
「あ、いただきま〜す」
 コーヒーの香りを楽しみたいところなんだけど、何だかんだでアレの内容が気になる。なので単刀直入に訊いた。
「それで、おれは何をすれば?」
 カップを口元に運ぼうとしていた先輩の動きが、一瞬止まった。
「……うん。まず、座れ」
 そうだ、二人とも立ったままだった。おれはカップをテーブルに置き、薄いピンクのカーペットの上に胡座をかいた。
「違う、そっち」
 そっち? ベッド? ベッドに座ったほうがいいの?
 よく分からないまま、先輩の言うとおりにベッドの端に腰を下ろす。
「で、何を──」
「今日は一緒にいる」
 いや、すでに一緒にいるわけで。その上で何をすればいいのかってのが知りたいのです。
 しかし、そこからの先輩の行動は、なんというか、早かった。
 カーペットが引いてあるにもかかわらず、ズンズンと音を立てながらおれに近寄ってくる。行儀悪く投げ出していたおれの両脚の間、というか両太腿の間にまで。そこでクルッと回れ右をすると、そのまま先輩もベッドに腰を下ろした。先輩の小さな背中がおれの胸に密着する。
 さらに先輩は、何をするでもなくベッドの上に置かれていたおれの左右の手を取ると、自分の胸の下あたりで、おれが後ろから先輩をギュッと抱く形になるように、交差させたのだった。
 たぶん、これ全部で5秒くらい。
「今日は、ずっとこうしてる。」
 へ?



「これが、アレ?」
 すぐ目の前で、先輩の頭がコクンと動いた。
 う〜んと、あの、嫌じゃないよ。ないけど……。
「あの、つまり、なんていうか、所謂、イチャイチャ──」
「恥ずかしいから、言うな」
 ボソッとした声。そして、あまりに近過ぎて気がつかなかったけど、先輩の耳、真っ赤。
「それと、笑ったら、殺す」
 いや、殺すって……。驚きはしたけど笑ったりなんかしない。
「あの、こういうの、あんまり好きじゃないのかと」
「……」
「ホントはこういうのずっとしたかった、とか?」
 再び、コクン。
 それを見たおれは、なんか急に悪いことした気がしてきた。思えば二人でいるとき、出たがりなおれのせいで、外で遊んでいる時間のほうが多かった気がするし。もちろんベッドに入っているときは除くけど。
「そっか。あ、でもそれなら、おれも先輩とこうしてるの普通に好きだし。だから、アレは他の何か──」
「いい」
 おれの腕の中で先輩が身体をねじり、顔をこちらに向けようとする。
「こうしていられれば、それでいいから」
 あ、ダメだ。おれにとって先輩はもちろん可愛い人なんだけど、今日のこれは、もう……。
 おれは先輩の胸の下で組まされていた腕を解いた。片腕はそのまま上半身を抱き、もう片方の手を先輩の両膝の裏に潜り込ませる。
「あ、なに」
 それには答えず、先輩の両脚を持ち上げる。そして、先輩の身体全体をその場で90度回転させた。結果出来上がったのは、座った状態でのお姫様抱っこ。
「やっぱ顔が見れないと」
 そう言って先輩の顔を覗き込む。一瞬、どんな顔をすればいいのか、そんな感じの困った表情が見えたけど、先輩はすぐに真っ赤になったほっぺたをおれの胸に押し付けてきた。小さな手の片方は、その赤い顔のすぐ横で、おれの着ているTシャツをギュッと掴んでいる。
 あ、そんなに掴んだら伸びちゃう、などとは思わず、しがみついてくるかのような先輩の姿の可愛さと、腕の中から漂ってくる甘い匂いに誘われるように、おれは自然と先輩に顔を近づけていった。
 唇同士が触れ合い、Tシャツを掴んでいる先輩の手にはさらに力が入る。
 今まで何度も先輩とキスをしたけど、今回のが間違いなくもっとも痺れたキス。
「……はぁ」
 先輩の吐息が熱い。
 けど、そのすぐ後、先輩の口から聞こえてきた一言は、シンプルだけど、さらに熱かった。
「すき」



おしまい
2008年07月20日(日) 12:42:20 Modified by amae_girl




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