3-311 いつものはじまり

「優太郎くん…、一緒に帰ろう…?」

教室の前で待っていた彼女がそう告げていた。
頬を赤らめながら、おずおずとした様子で対面にいる僕の返答を待っている。

僕は彼女が尋ねてきた唐突な質問の意味も、現在のこの状況もまったく理解できずにいた。

「あの…、優太郎くん…?」

彼女が発してくれたかすかな声のおかげで、僕の記憶がまざまざとよみがえってくる。
ほんの数時間前の出来事だった。




告白。

今日の昼休み、僕は彼女に告白したのだ。
学校の屋上、晴れ渡った空の下で…。

僕の完全な一目惚れだった。まだ会話をしたことすらなかった。
それでも、僕は全力で思いを告げた。
彼女が声を何か発する前に全力ですべてをぶつけた。

僕は君の事が大好きだ、ということを…。
僕は君と付き合いたい、ということを…。
ただそれだけを、全力で…。

全身が熱くなった。彼女の顔も赤くなっていった。
僕と彼女の熱を冷ますかのように、僕と彼女の間を吹き抜ける風。

風が穏やかに消えていくとき、彼女は回れ右をした。
そして、僕に背を向けた状態でこう言ってくれた。初めて聞く、彼女のとても小さな声。

「はい…」

それだけ言い残して、脱兎のごとく走っていってしまった彼女。
屋上に一人取り残された僕。
告白に成功したのか失敗したのかがわからなくなるほど、僕の心臓は高鳴っていた。




「優太郎くん…?」
「は、はい!」

思わず僕は大きな声を出してしまい、彼女がビクッとなってしまった。
彼女の呼びかけで、僕の意識は現実世界に引き戻された。

(そうか…。僕は彼女と付き合うことになったのか…?)
(それで確か、一緒に帰ろうって言ってくれたんだよな…?)

半信半疑で自分自身の記憶をたどりながらも、僕はそういう見解に達する。

「えっと、うん。一緒に帰ろうか?」

質問を質問で返してしまう自分がいる。もはや自分自身が信じられない。

「うん…」

彼女は小さい声でそう頷くと、遠慮がちに僕の隣に並んできた。
少しだけ顔を赤らめながら…。

僕は戸惑いながらも歩を進めはじめる。
彼女も僕に合わせて歩を進めはじめる。
お互いに遠慮しつつも、ゆっくり、ゆっくりと二人で並んで進む。

すれ違う生徒たちはみな、ちらちらとこちらを見ている。
ひそひそという表現が相応しいくらいに内緒話をしている。
僕と彼女のことなのだろうか、そうでないのだろうか。
そんな疑問が浮かび上がっては消えていく。

正直な話、そんなことはどうだってよかった。

僕はちらっと、彼女のほうに目をやる。
彼女は顔を真っ赤にして俯いていた。
けれど、彼女はちゃんと僕の歩調に合わせて、ぴったりと横についてきてくれていた。
僕はこの現実が現実でないような感覚に陥った。




下駄箱で靴を取り替えて、僕と彼女は校舎をでる。
下履きに履き替えてもなお、彼女はずっと俯いたままだった。

校門を抜けて、歩道を歩きはじめる。
それでも彼女は俯いたまま。
さすがに僕はこの状況を何とかしたいと思いはじめるが、打開策がなにも思い浮かばない。

(どうしよう、どうすればいい?)

僕が必死に考えていたその時だった。

ふいに、左袖に違和感を覚える。
クリップが袖に引っ掛かっているような、そんな小さな違和感…。
なんだろうと眺めてみると、そこには手があった。

彼女の右手だった。
彼女の右手が僕の左袖をつかんでいた。
今にも離れてしまうのではないかというくらいに、弱々しく…。
彼女は俯きながら、僕の左袖と彼女の右手を眺めていた。

「えっと…」

僕がそう声を発すると、彼女は僕の顔を見て、ものすごい速さで右手を戻した。
彼女は立ち止まり、顔を僕からそらして真っ赤にさせる。

しばらくの沈黙。

そして、

「ごめ…なさい…」

風が吹けば消えてしまいそうな声で、彼女はそう言った。
僕はこの展開についていくことができない。

「えっと…」

何も言葉が思い浮かばない。それでも、僕は必死に言葉を探す。

「えっと、あの、純…ちゃん?」

思わず呼んでしまった彼女の名前。
恥ずかしい話だがこれが、僕がはじめて彼女の名前を声に出した瞬間だった。

彼女がピクッと反応する。なおも僕は言葉を探し続ける。

「えっと…、その…」

すると、彼女が突然言葉を発してきた。

「純で…」
「え?」

小さいけれども、なぜか強さを感じる彼女の言葉。

「純…ちゃんは…、恥ずかしいから…、純って呼んで…?」

俯いたまま発した小さな声だけれども、僕は彼女の言葉を聞き取ることができた。
が、僕は彼女の言葉を理解するのに、だいぶ時間がかかった。
そして僕は、彼女が「純」と呼んで欲しいことにようやく気が付く。

「えっと、純…」

僕は彼女にそう呼びかけると、彼女はますます顔を真っ赤にさせ、両手で顔を覆ってしまう。
そんな彼女を見ていて、僕の顔もどんどん赤くなっているのがわかった。

(…って、呼び捨てのほうが恥ずかしくないか?)

また、沈黙。

校門を抜けてから10数メートル。顔を真っ赤にさせて、対面している男女が二人。
ぞろぞろと下校する人たちが、こちらを見ながら通り過ぎていく。
僕は、僕と彼女が注目の的になっていることにすら気が付かなかった。




どのくらいの時間が経ったのだろうか。
体に帯びた熱も少しずつ引いてくる。徐々に冷静さを取り戻してはじめてきた。
僕は改めて考える。

(えっと、どうすればいいんだろう?)

しばらく考えた後、意を決して僕は左手を彼女の方向に少し動かす。

「えっと、純?」

僕の呼びかけに、彼女はまたもや体をピクッとさせる。

「その、手…、繋ぐ?」

その言葉に反応した彼女は、真っ赤な顔から両手を外し、少しずつ目線をあげる。
そして、潤んだ瞳を僕の顔に向ける。
しかしすぐに、視線を別の方向に動かす。動かした先は僕の左手だった。
また、ゆっくりと僕の顔に視線を向け、すぐに僕の左手に視線を戻す。

何回か繰り返した後に、彼女の右手がおずおずとこちらに出される。
彼女の右手がゆっくりと、ゆっくりと、僕の左手に向かっていき、そして…、

(…って、あれ?)

僕の左袖をつかんでいた。
またもや、僕の中の戸惑いが増えはじめる。

「えっと、純?」
「あの…、これで…」

彼女はそう言って、僕の左袖をそっとつかみつづけていた。
僕は必死に状況を整理しようと試みる。

(とりあえず、これでいいの、かな?)

予想していなかった展開に僕は少々混乱したが、彼女の「あの…、これで…」を理解しようと努める。

「えっと、うん。じゃあ行こうか」
「うん…」

ずっと固まっていた足を再び動かし、僕と彼女は歩きはじめる。
僕の左袖に、彼女の右手が静かにつながっている。
まわりの人たちがそれを物珍しそうに眺めていく。
手を繋ぐよりももっと恥ずかしいような気がするが、それは気のせいだろうということにする。

ふいに、左側から彼女の声が聞こえてきたような気がした。
かすかだけれども、とても気持ちのこもったような声…。

僕は、彼女のほうを見る。
彼女は顔を赤くしながら俯いている。
でもどこか、ほっとしたような、そんな表情を浮かべて…。

僕と彼女は、ゆっくりと歩を進めていった。
何もしゃべらず、何も考えずに…。
ただただ、僕の左側に彼女がいる。
それを感じ取るだけで十分満足だった。

再び、僕は彼女のほうに目を向ける。
すると彼女も僕のほうに目を向ける。
自然とお互いの目が合う。
恥ずかしくなったけれども、不思議と彼女から目を逸らしたくはなかった。

すると彼女は少しだけ躊躇しながらも、僕に笑顔を送ってくれた。
控えめだけれど、優しくて、柔らかい笑顔…。
そしてこれが、僕に初めて見せてくれた、彼女の笑顔…。

僕も彼女に笑顔を送ってあげる。
僕も彼女の笑顔に応えたくなったから…。
そしてこれが、彼女に初めて見せる、僕の笑顔…。

新しいはじまりを告げる鐘がなったような気がした…。




キーン、コーン、カーン、コーン…

重い瞼が開き、意識が少しずつ覚醒していく。
授業の終わりを告げる鐘が鳴っていた。
教室の中が一気ににぎやかになり、次々と帰り支度をはじめる人たちが増えていく。

どうやら、あの日の夢を見ていたらしい。

ぐっと伸びをして、僕も帰り支度をしはじめる。
少しだけ急いで荷物を整理していく。
教室の前にいてくれている「彼女」を待たせるといけないから…。

あの日以来、僕と純は毎日のように「いつも」を繰り返してきた。
晴れていても、雨が降っていても、「いつも」を繰り返してきた。
僕にとって「いつも」はもはや、なくてはならないくらいの、本当に大切なものになっている。

確かに、その日その日によって「いつも」は少しずつ変わってきている。
天候や季節、そのときの僕の感情や、純の感情も…。
でも、それでも僕は、それを「いつも」と呼んでいる。

「いつも」は少しずつ変わっていく。
でも、「いつも」変わらないものだってある。

僕は、純の恥ずかしがる仕草が大好きだ、ということ。
僕は、純の笑顔が大好きだ、ということ。
僕は、純といる「いつも」が大好きだ、ということ。

僕は、純の事が大好きだ、ということ。

教室を出る。
そこには純がちょこんと僕を待ってくれていた。

あの日から変わることのない「いつも」のはじまり…。

「優太郎くん…、一緒に帰ろう…?」

今日も、僕と純の「いつも」がはじまった…。




続き 3-335 いつも、いつまでも(前編)
2008年12月07日(日) 00:18:36 Modified by ID:9eLw8Qmpsw




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