3-739 彼女は甘えんぼうのお嬢様 〜午前〜

「えへへ…」

肌寒い季節になった。
ポケットに手を入れて歩いている人も増えてきたように思える。
僕も寒さに対しては誰にも負けないくらい弱いという自負があるほど、冬が苦手だ。
いっそ冬が無くなればいいのにと思うこともある。
今日も、登校するのが面倒くさいと思うほどの低い気温だったのだが…。

しかし今日の僕は、全然寒さが感じられなかった。
その原因は、大きく分けて2つある。

まず一つは、直接的要因。
いくら厚着とはいえ、誰かと腕を組んでいれば自然とその人の体温が伝わる。
そのため、僕の腕を組まれている側の体はとてもあたたかかった。

もう一つは、間接的要因。
僕は現在、非常に緊張しているため、寒さを感じるほどの余裕がなかったのだ。
恋愛経験の疎い僕にとって、異性と腕を組んでいることに対しての緊張ももちろんあった。
だが、ここで僕が言っている「緊張」とは、もっと違うものであった。

想像してみてほしい。
例えば、目の前に腕を組んで歩いている男女のカップルがいたら、どう思うだろうか。
僕がその現場に遭遇したら、きっとうらやましく思うだろう。

では、その女性が非常にかわいくて、一方の男性が平々凡々だとしたら、どう思うだろうか。
おそらく僕は、その男性に嫉妬する、あるいは腹が立つなどの感情を持つだろう。
女性の人でも「え、なんで?」などと言った感情を持つのではないだろうか。

現在そういった、あるいはそれよりもさらに感情の入った視線が僕に向かって集中砲火されているのだ。
ましてや、隣にいる女性は学校内では超がつくほどの有名人。集中砲火に拍車がかかる。
これで緊張するな、と言う方がおかしいだろう。嫌な冷や汗が、僕の体からにじみ出ていた。

「ふふ…」

そんな僕とは対照的に、僕の腕を組んでいる女性・一ノ瀬 今日子はとても幸せそうな表情をしていた。
いつの間にか腕だけでなく体まで僕に密着させていた彼女は、周りのことなど目に入っていないようだった。
時々「幸せだなぁ…」などと、彼女自身が思っていることを無意識の内に口に出してさえいた。

そんな彼女の表情を見てしまった僕は、どうすることもできなかった。
ただただ、見慣れた制服姿の人たちと絶対に目を合わせない。それだけを必死に考えていた。

今日は、登校時間が永遠に感じられた。

ようやくの思いで、僕と彼女は校門前にたどり着いた。
そのとき彼女は何かに気がついたようで、「あっ」と言って僕の肩から顔を離した。
僕も彼女の目線を追っていくと、校門の脇に立っている大人びた風貌の女性の姿が目に入った。
その女性もこちらに気がついたようで、僕と彼女に近づいて挨拶をした。

「お早うございます。今日子お嬢様、和秀様」
「椿さん、お早うございます」

椿(つばき)さんと言う女性から挨拶を受けた彼女は、お辞儀をしてそれに応えた。
しかし、その最中も彼女の腕は僕の腕にかかったままだったので、自然と僕も対面の女性に一礼する形になってしまった。

改めて椿さんという女性を眺めると、どこかで見たような気がした。
おそらく、昨日の「引っ越し」の際にいた一人だったかもしれない。
そう考えていると、椿さんはなにやら彼女に伝え始めた。

「今日子お嬢様、昨日お嬢様からお願いされていた件なのですが…」
「あ、はい。」
「旦那様にお話したところ、お許しが出ましたので、本日より変更できるよう手はずを整えました」
「よかった。ありがとうございます」

(一体、何の話をしているんだ…?)

「それから本日のお昼休みの件も、すべての生徒会役員ならびに部活動に対して連絡を致しました」
「何から何までありがとうございます、椿さん。本当に助かります」
「いえいえ。私からの報告は以上です。また何かありましたら私にご連絡ください」
「はい、椿さん。失礼します」

彼女は再び椿さんにお辞儀をした。僕もまた自然と、彼女に合わせて椿さんに一礼した。
そして彼女は、何が何だかわからないといった僕に、「さぁ、行きましょう」と促した。
場の流れに身を任せて、僕は彼女と腕を組みながら校舎へと向かう。
ふと振り返ると、椿さんは穏やかな表情でこちらをずっと眺めていた。

「先ほどの方は、小さい頃から私のお世話をして下さっている方です」

僕が疑問に思っているのを察してか、僕の肩にもたれかかりながら彼女がそう僕にそう答えた。

「あ、そうなんだ…」

僕は、若干あいまいな感じで返答する。
確かに僕の疑問が一つ晴れた訳だけれども、本当に気になるのは先ほどの話の内容の方だった。
聞いてもわからないかも知れなかったが、何か変な予感がしてならなかったからだ。
しかし何故か、僕は彼女にそれを聞くことはできなかった。

校舎の中に入っても、彼女は決して僕の腕を離さなかった。
通学路よりも、僕と彼女に向かう視線が多くなり、密度も濃くなった。
けれど、それを意に介さない彼女と、完全に無視を決めていた僕はずんずんと廊下を進んでいった。
そうして僕と彼女は、僕の教室にたどり着いた。

(よし、これでこの状況から一時的に脱出できる!!)

確かに彼女と一緒いることは幸せだと思う。
これで幸せじゃないと言うほうがおかしい。
けれど、この状況下で彼女とずっといるのは体に悪い気がする。
少なくとも、昨日から続いている混乱を一人で考え直す時間が必要だ。

そう自分に言い聞かして、僕は彼女に告げる。

「えっと、じゃあまた後でね」
「え…、どうしてですか…?」

幸せそうな表情から一転、彼女の顔はすごく寂しそうな表情になった。

「え、だって別のクラスだよね?」

僕の記憶が正しければ、彼女は僕と同じクラスではないはずだ。
僕だってクラスメートくらい全員覚えている。

しかし僕のその質問に対して、彼女は何故かまた幸せそうな表情に戻った。
そして、彼女の口から驚くべき事実が発せられた。

「私も今日から和秀さまと同じクラスですよ?」
「………」

(は?)

「私のお父様がこの学校の理事長でして、私が和秀さまと同じクラスになりたいと、椿さんを通してお父様にお願いをしたんです。
 そうしたらお父様がそれを許してくれまして…。椿さんが今日からクラスを替える手はずを整えてくれたんです」
「………」
「ですので、今日から私も和秀さまと同じクラスなんですよ」

そう言って、彼女はにっこりと微笑む。
しかし、僕はそれどころじゃない。

(え…、どういうこと…?)

僕は、現在の状況を把握しようとするが、全くつかめなかった。

彼女の父親が学校の理事長だということは、学校にいる人なら誰でも知っている。無論、僕も知っている。
しかしその事実を出されても、納得いくことと納得いかないことがある。
まさに今がそれである。

ぼん! ぷしゅー………。

僕の頭は、完全にオーバーヒートした。
頭も体も力を失っていくのがわかった。

そんな僕を彼女は優しく引っ張ってクラスの中に入っていく。
そして僕を席に座らせて、彼女はその隣の席に着く。
どうやら、今日から僕の隣の席は彼女になったらしい。

彼女は椅子ごと僕のほうに近づき、そして座ったまま僕に体を預けてきた。
登校時と同じような幸せな表情を浮かべている。

よく見知っているクラスメイト全員が、僕と彼女に視線を向けていた。
そして、全員困惑の表情を浮かべて、固まっていた。
誰一人として言葉を発さずに、固まっていた。
僕もずっと固まったままだった。

もうクラスメイトになにを思われても構わなかった。
どう思われようがどうでもよかった。
とりあえず僕は冷静になりたかった。

(神様…、僕は幸せです。幸せすぎて申し訳ないくらいです。
 そんな僕にも神様にお願いしたいことがあることを、お許しください。
 どうか、どうかお願いですから…、
 今から10分…、いや5分だけでも、一人で冷静になれる状況を作っていただけないでしょうか)

「和秀さま」

そんな僕の願いをよそに、彼女がすぐ横から僕に呼びかける。
みんなが黙りこくっているこの部屋の空気もまったく意に介していないようだ。
天然なのだろうか、それとも知っててやっているのだろうか…。

「これから、よろしくお願いしますね」

にっこりと微笑む彼女。
裏表が全くないような、悪気のないとてもかわいい笑顔…。

「あ、うん…」

僕はそう答える以外に、なにも言葉が思い浮かばなかった。

ぼや〜っとした頭の中で、一つわかったことがある。
校門前で、椿さんと話していたのはこの事だったのか、と…。
でも、それがわかってもどうにもならなかった。

生まれて初めて神様にお願い事をし、そして無残にもかなわなかった、鈴木 和秀 17歳の午前であった。
2008年12月07日(日) 01:18:37 Modified by amae_girl




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