4-414 同居霊

都内のとあるボロアパート。
一番隅にある小さな部屋、204号室。
そこが俺――吉岡 俊也(よしおか しゅんや)の住んでいるところだ。

「ただいま」

玄関を開けて、部屋に入る。
すると目の前には、ひとりの女の子がこちらを向いて立っている。
俺の帰りを今か今かと待ちわびていたのだろう。
俺が玄関を閉めるのと同時に、彼女は俺の胸に飛び込んできた。

「おかえり、俊くん♪」

彼女は俺の胸にほお擦りをするようなしぐさをしはじめる。
とても幸せそうな表情をする彼女。
そんな彼女を見て、俺は思わず苦笑する。

「ただいま、小雪」

改めて彼女――白石 小雪(しらいし こゆき)にそう告げる。
小雪は「うん♪」と返事をして、にっこりと笑った。

小雪がいとおしく感じた俺は、小雪の頭の位置に手を置いて、撫でるふりをする。
気持ちよさそうにして、目を閉じる小雪。
俺が手を動かすたびに、くすぐったそうに身をよじらせる姿が可愛かった。

しばらくの間、俺と小雪はそのままの状態でいた。
お互いのぬくもりを感じるかのように、そして感じたいがために…。

つけっぱなしのテレビの光が、やけにまぶしく感じられた。

   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

俺がここに移り住んでくる前から、小雪はここに住んでいた。
どのくらい住んでいるのか、俺は小雪から聞いていない。
だが、おそらく長いこといるのだろうということは感じている。

当時それに全く気が付かなかった俺は、この204号室を借りて生活することになった。
何も不自由なことはなかったし、他の住人との間にも問題はなかった。
仕事のほうも順調で、会社も上昇気流に乗り始めていた。

すべてが順調すぎるほどの生活。
だがそれは、俺にとって初めてのひとり暮らし。
日を追うごとに、寂しいと感じる時間が多くなっていった。


そんな時に、ある少女がひょっこりと現れた。
「現れた」と言うよりは、「見えるようになった」のほうが適切かもしれない。

整っているが幼さが残る顔立ち。
腰ほどまである長い黒髪。
清楚さが際立つような白い衣服。
奥の景色が見通せるほどにすきとおった肌。

霊感がさして強くはない俺でも、一目でわかった。
少女――白石 小雪は幽霊だった。

幽霊を見るのはこれがはじめてだった。
けれども俺は、そこまで驚かなかったし、怖がらなかった。
小雪が悪い幽霊じゃないと直感でわかったからだ。

俺が小雪を見られるようになったのは、長いこと一緒の部屋にいたからだろうか。
それとも…。

その日から、俺と小雪の同居生活がはじまった。
それは俺にとって新鮮で、楽しい生活になった。
ただいまと言える存在が出来たこと、笑い合える存在が出来たこと、それは俺にとって嬉しいものだった。
寂しさも完全に消え去ってしまっていた。

そしてその後日、俺と小雪は恋人(恋霊?)同士となった。

   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

「今日は何を作るの?」

ふわふわと宙を浮きながら、小雪は俺に聞いてくる。
スーパーの袋から俺は箱を取り出し、小雪に見せる。

「今日は酢豚」
「えっ、酢豚〜!? 私の大好物だよ〜」

きゃあきゃあ言っている小雪を制しつつ、俺は調理に取りかかる。
一人暮らしをはじめてから長いこと料理をしているから、手馴れたものだ。
具材をささっと炒めて、レトルトのあんを絡める。
おいしそうな香りが立ちこめて、部屋中に広がっていく。

小雪はというと「いいなぁ、いいなぁ…」と呟きながら、中華鍋を覗き込んだり、匂いを嗅いだりしていた。
口の中の唾液が飽和状態になり、よだれが今にも中華鍋に流れ込みそうになっている。
我慢できなくなったのか、小雪は俺にねだってくる。


「ねぇ〜、私にも食べさせてよ〜?」
「…それは無理だろ」
「うぅ〜、俊くんのけち」
「そんなこと言われてもな…」
「うぅ〜…」

諦めきれないのか、小雪はうなり出した。
本当に酢豚を食べたいのだろう。
俺だって本当は食べさせてやりたい気持ちだ。

だが、小雪は幽霊なのでこの世界に存在しているものに触れる事が出来ない。
酢豚にだって、中華鍋にだって触れられない。
無論、俺の体にも…。

酢豚と御飯を盛り付けていると、小雪が急に俺の背後から抱きついてきた。
そして顔を肩の位置に持ってきて、口を大きく開けた。

「いいもんだ、私は俊くんを食べるから♪」

そう言って、ガジガジと俺の肩に歯を立てはじめる小雪。
決して俺の肩に痛みが走るわけではないので、ほうっておく。
俺の反応に負けじと、小雪はさらに口を激しく動かす。
そんな小雪を見ていて、俺はほほえましく思った。

抱きつかれる感触も、歯の感触も、小雪自身のぬくもりも決して感じられない。
けれども、小雪は俺にくっついている。
小雪は確かにここにいる。

   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

つけっぱなしのテレビを見ながら、俺は夕食を食べる。
我ながらなかなかの出来ばえだった。
俺が夕食をとっている間、小雪は「うぅ〜…」と唸りながら俺の肩をずっとかじっていた。

夕食を終え、皿洗いを済ませると、俺は小雪と一緒に風呂に入った。
引っ越してきた翌日から、小雪はずっと俺の裸を見ていたようなので気にしない。
手早く体を流し、体を温める。

一応断っておくが、小雪は白装束を着たままである。
「私はお湯に浸かれないんだから脱がなくてもいいじゃない」とは小雪の弁。
俺だけ裸なのは不条理な気がするが、もしかしたら発展途上な胸がコンプレックスなのかもしれない。


風呂を上がり、歯を磨いた俺は、ベッドの上に横になり体を伸ばす。
小雪も俺の隣のところに、横になる(ように浮かぶ)。

しばらくベッドの上で、他愛のない話をするのが日常となっている。
本当に他愛のない話で、すべてが面白い話というわけではない。
現に俺の仕事の話と、小雪の見ていたテレビの話が大部分を占めている。
それでも俺と小雪はお互いの話に笑い合い、喜び合い、頷き合っていた。

ふと気が付くと、時計の日付が変わろうとしていた。
そろそろ寝なければ、明日の仕事に支障が出るだろう。

「それじゃあ、俺はそろそろ寝るわ」
「え、もう寝ちゃうの?」
「だってもうこんな時間だし…」
「そっか…」

名残惜しい声を出す小雪。
小雪には「寝る」という習慣がないので俺が寝ると退屈になってしまうのだ。

「そ、それじゃあ、今日もまた俊くんの寝顔を見続けていい?」

必死になってお願いする小雪に、俺は「ああ」と言って頭を撫でてやる。
けれども小雪の頭の感触ではなく、空気を切る感触が俺の手に伝わってくる。

本当は小雪に触れたいし、触れてやりたい。
きっと小雪も俺に触れたいし、触れてほしいだろう。

それでも、小雪は満面の笑みを浮かべて気持ちよさそうにする。
まるで、俺の手の感触やぬくもりを感じ取っているかのように…。
まるで、俺の手の感触やぬくもりを感じ取ろうとしているかのように…。

俺の手が小雪の顔を通り抜け、枕へと着地する。

「それじゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ…」

俺はまぶたを閉じて、眠りにつきはじめる。
俺の目の前で、小雪が俺の顔を覗き込んでいる気配を感じた。
とても優しく、居心地のいい感じがした。

「俊くん…」

意識が遠くなっていく中で、俺は小雪の静かな声を聞いた。

「ずっと一緒にいてね…」
2009年01月16日(金) 23:11:36 Modified by amae_girl




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