5-289 近づく予感―3

「う、うーん…」
布団の中でごろんと寝返りをうってみる。それでも眠ることができない。
これが何十回目の寝返りなのだろうか。深い眠りに入ることが出来ない自分に苛立ちを覚える。
意識が遠のく時間帯もあるにはあるが、すぐに目が覚めてしまうという全く疲れの抜けない睡眠。
ここまで寝付けない夜というのは、俺にとって生まれて初めてのことだった。
(くっそー、なんで寝られないんだよ)
自分で自分に質問するが、その原因はわかっていた。
千草が『もし俺と付き合うことになったら』という妄想をしていたことが、とても気になっていたのだ。
あの時は周囲の誤解を解くことで手一杯だったし、放課後には千草を元気にすることしか考えていなかった。
だが、家で落ち着いてからそのことを考えると、急に不思議な感情が押し寄せ始めた。
嬉しいような、恥ずかしいような、複雑なような、そんな感情。
別のことを考えようとしてもその感情は残り続け、今でも心の中で入り混じっていた。
(もしも千草と付き合うことになったら、か…)
それは予想だにしない発想であった。
俺にとって千草はいつも近くにいる『幼なじみ』であり、またそれが当たり前のようになっていた。
だから今まで千草と付き合うなんて、考えたり想像したりすることもなかったのである。
けれど…、だけど…、果たしてどうなのだろうか。
改めて考えてみる。千草は俺のことをどう思っているのだろうか。俺は千草のことをどう思っているのだろうか。
そして、俺と千草が付き合うことになったら一体どうなるのだろうか。
ここでふと思う。そもそも付き合うって一般的にどうすればいいのだろうか。
定番なのは一緒に登下校とか、御飯を一緒に食べたりとか、週末にどこかへ出かけるとかだろうか。
(って、あれ? 今と全然変わってないぞ?)
修也と渚は「お前らが付き合ってもそんなに変わりはしない」とは言っていたが、それもあながち間違いでは…。
いやいや、そんなはずはない。もっとこう何かがあるはずだ、例えば…。
(って、おいおいおい! ダメだダメだ、こんなことを考えちゃ!)
これでは千草のしていた妄想となんら変わりがない。俺も人のことが言えなくなってしまうではないか。
「う、うーん…」
気持ちを切り替えようとごろんと寝返りをうつ。さっきからずっとこの繰り返しだった。
(いい加減に寝ないとまずいな)
布団の中でそう思いながら、自分の気持ちを落ち着かせる。
このまま睡眠不足の状態で朝を迎えてしまったら、色々と影響が出てしまうだろう。
考えたいことはたくさんあるが、今は何も考えずに睡眠に徹することにした。
寝ることだけに精神を集中させていく。すると徐々に意識が遠のいていくのがわかった。

コンコンコン。

「とし君、朝だよ〜♪」
「………」
がちゃりとドアが開いて、睡眠不足の元凶が室内に入ってきた。
「朝だよ〜、起きて〜」
「………」
千草の声で休みかけていた脳が一気に目を覚ましたが、全く起きる気がしなかった。
このまま起きるのは何だか嫌だし面倒だし、なによりも眠い。

「お〜い、起きて〜」

ぺちぺち。

頬を軽く叩かれた。千草の奴、いつもこんな風に俺を起こしていたのかコノヤロー。
けれども普段どのような起こし方をしているのかに興味が湧いてきたので、このまま狸寝入りを続けることにした。
「ふふ、寝顔か〜わい〜い♪」
見られているこっちとしてはだいぶ恥ずかしい。けれどもどうせ毎日見られているのだからまぁ良しとする。
「今日も一生懸命お弁当を作ったんだぞ〜」
それはありがたいことだ。遠慮なく頂くことにしよう。
「ちゃんと起きないとお弁当あげないぞ〜?」
そう言いつつもいつもちゃんと貰っている訳だから、ここはスルーで。
「おっきろ♪ おっきろ♪ おっきっろ♪ と〜しくんおっきっろ〜♪ ヘイ♪」
毎日隣でこんなへんちくりんな歌を歌われても、全然気付かず眠っている俺にちょっと感心した。
「とし君、起きてよ〜」
「………」
「うぅ〜」
人の隣で好き勝手にやっていた千草が、さすがにじれったくなったのか唸り声を上げ始めた。
けれどももう少しだけ千草が困る様子を見ていたいので、ほうっておく。
「お〜い、としく〜ん?」
「………」
「むぅ〜、しょうがないな〜」
どさっと鞄が置かれる音が聞こえたと思ったら、
「私もとし君と一緒に寝ちゃえ〜」
(…はぁ?)
千草がそう言って、何の躊躇もなしに俺の布団に入り込んできた。
「う〜、あったか〜い」
もぞもぞと隣で動く千草に対し、何も出来ずにただただ寝たふりを続ける俺。
千草が毎日俺の布団で寝ているんだから、こうやって入り込んでくるのは普通に考えればわかることである。
だが今は妙に千草のことを意識してしまい、どうすればいいのかがわからなくなってしまったのだ。
「ん〜、とし君の匂い〜」
そんな俺をよそに、千草はくんかくんかと布団の匂いを嗅いでいる。
「はぁ〜、とし君と一緒のお布団だとやっぱり気持ちい〜な〜♪」
(恥ずかしいからそういうことを言うな!)
「えへへ〜、じゃあ私もとし君と一緒に寝るね?」
何もしゃべらない俺に小声でそう尋ねてから、千草はそのまま寝る体制に入り始めたようである。
嬉しそうなのは大変結構なことなのだが、そろそろ何とかしないと俺の精神状態がどうにかなりそうだ。
いい加減に狸寝入りを止めて起きようとした時、千草が消え入りそうな声で何かを呟いた。

「…ぃすき…だょ…」

「………」
「くー…、くー…」
「………」

(えっ…、えええええええええ!?)
気持ちよさそうに寝息を立て始める千草。きっといつもみたいに幸せそうな表情をしているのだろう。
一方、聞いてはいけない一言を聞いてしまった俺は体中に熱が溜まっていき、頭がパニック状態になっていった。
(ど、どうしよう…)
目の前で千草が眠っているこの状況下で、俺は目を開けることができなかった。開けるのが怖かった。
そう、俺は完全に起きるタイミングを失ったのである。

   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

「まったく、二人して何を遅刻してるのよ?」
「あ、いや…、その…」
教室に入り込んだ俺と千草を出迎えてくれたのは、渚のあきれたような顔とその他クラスメイトのひそひそ話。
周りの奴らがこちらをちらちら見ているのは、昨日のことが少なからず影響しているのかもしれない。
「いや、ちょっと寝過ごしちゃって…」
本当は目を開けるのが怖くて、起きるタイミングがわからなくなってしまっただけであるが。
「ふーん、珍しいわね。二人とも同じ日に寝過ごすなんて」
「う…」
渚の鋭い指摘に一瞬言葉が詰まってしまった。
まさか毎朝千草が俺の布団に入り込んで来て(以下略)なんて、口が裂けても言えないだろう。
「そ、それより授業は?」
苦肉の策で、都合の悪い話から話題を変えてみる。
「一時間目は先生が風邪で急遽自習。ラッキーだったわね」
「そ、そうか」
「ふぇ〜。よかったぁ〜」
俺と千草は思わずへなへなとへたり込んでしまった。
『ラッキー』という思いと、『無駄走りかよ』という思いが頭の中で交錯する。
「でも、登校でこれだけ早く走ってきたのはいつ以来だろうね〜?」
額の汗をハンドタオルで拭いながら、千草は俺に尋ねてくる。
「さ、さあな」
そんな千草を俺は直視できなかった。
あの言葉は「俺の布団の中で寝るのが『…ぃすき…だょ…』」という意味で言ったのだろうとか、
千草が何かを妄想していて無意識に発してしまった言葉なのだろうとか、そもそも俺の聞き違いかもしれないとか、
布団の中で散々都合のいいように解釈してきたつもりなのだが、それでもやっぱり千草のことを意識してしまう。
「どうでもいいけどさ」
俺が千草から顔を逸らしていると、渚が目の前で深くため息をついた。
「アンタ達、いい加減に手を離せば?」
「ふぇ? あ…」
「わ、わわわ!」
そう言われて、登校中に無意識に繋いでいた手を、俺と千草はあわてて振りほどいた。
「わ、悪い千草」
「う、うん、私のほうこそゴメンね」
俺と千草がお互いに謝っている間にも、クラス内のひそひそという声がより大きくなっていった。そんな中で、
「やっぱ、昨日と違うよなぁ…」
自分の席で修也が小さく呟いたこの一言。何故かこれが俺の耳から離れなかった。




糖化終了
前回のを見返したら誤字脱字・文法ミスが多々あったので、多分今回もあると思いますorz
一生懸命見返しましたが、ご了承下さい
2009年04月30日(木) 00:33:22 Modified by amae_girl




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