5-423 近づく予感―4

「あ、あの…」
「あん?」
修也が渚の声に振り返る。
「あ、えっと…、やっぱり何でもない…」
「………」
しばらくの沈黙の後、どちらともなく再び歩き出す。
ポケットに手を突っ込んだままの修也に、半歩後ろから渚が付いていくような格好だ。
(ったく…)
公園を出てから、先ほどのやりとりを何度繰り返しただろうか。
何かを言おうとするが結局諦める渚の姿は、あの二人を必死で応援する昼間のそれとはまるで別人だった。
ちらちらと修也に視線を送る渚。修也には後ろを見ずともその様子が手に取るようにわかった。
(なんで自分のことってなるとこうなるのかねぇ)
軽くため息をつく修也。そしてポケットから手を出すと、素早く渚の手をつかんだ。
「あ…、え?」
「これで満足か?」
少し後ろを振り向きながら、渚にそう尋ねてみる。
「あ…、う…」
渚の顔が赤っぽくなっているのは、夕焼けのせいだけではないとわかった。
「うん…」
しぼるような声で小さく頷くと、渚は恥ずかしさからか俯いてしまった。
修也は歩きながらも、渚の握る力が少しだけ強くなったのが感じられた。

渚は落胆していた。
公園を出てから、何度も『手を繋ぎたい』という言葉を修也に伝えようと試みた。
けれども、あと一歩のところでそれを飲み込んでしまう。そんな自分のふがいなさにひどく落ち込んでいた。
(どうして自分のことになるとこんなにも弱いのかしら…)
渚は俯いたままそう思った。
ふと浮かんでくるのは、手を繋いで公園を出ていったあの二人。
別に付き合っているわけでもないのに、自然にそういうことが出来てしまっているのだろう。
渚にはそれがうらやましくもあり、また悔しくもあった。
(一緒にいる時間が長いとそうなるのかしら? それとも…)
どうしたらそうなるのか、必死に考えていると、
「おい」
「ひゃ!?」
気が付くと、修也が渚の方を見ながら声をかけていた。
「聞いてんのか?」
「ゴ、ゴメン、聞いてなかった…」
はぁ〜っとため息をつく修也。
「映画でもいいかって聞いたんだが」
「あ、うん、何でもいいよ」
それを聞いた修也は、渚の手をつかんだまま前を進んでいく。
一方の渚は『修也君と一緒なら…』という言葉を飲み込んだ自分に対して、またへこんでいた。


   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

平日ということもあり、席はあまり埋まっていなかった。
ラッキーと思いながら、修也はわりかし見やすそうな場所に腰掛ける。続いて渚も隣に座る。
あまり大きくはない映画館。二人で来るのはこれが初めてのことだった。
「そういえば、これはどんな映画なの?」
「ん」
修也は横にいる渚にパンフレットを手渡した。渚はそこに書かれたタイトルを見て、
「え、えっと、これって…」
「ん? ようわからんが、洋物のホラー映画みてぇだな」
「ホ、ホラー…?」
パンフレットを手にしたまま固まった。
「今はこれしかやってねぇらしいからな」
「ホラー…、ホラー…」
修也の声を無視して、呟くように同じ言葉を繰り返す渚。
そんな渚に気付いた修也が声をかける。
「あー、もしかしてホラーって苦手だったっけか?」
「えっ、あ、そういう訳じゃ…」

ビー…。

始まりを告げるブザーが鳴り、照明が暗くなっていく。
周囲が静かに上映を待つ中で、二人はこれ以上何もしゃべることが出来なくなった。
仕方なくスクリーンに目を向ける修也。程なくして他の映画の宣伝がスクリーンに映し出されはじめた。
(ん?)
ふと横を見ると、目をしっかりと閉じた渚の姿が見えた。身を丸く縮こませて、ぷるぷると震えている。
(そんなに苦手なのかよ…。つーか、まだ早いだろ)
ちなみに現在、画面に映っているのはコメディ映画の宣伝である。
声をかけても気づきそうにないので渚の肩をトントンと叩いてみる。
すると渚はそれに驚いたのか、ビクッとして全身を震わせた。
「おい、大丈夫かよ?」
「う、うん…。だ、だ、大丈夫…」
修也を心配させまいと思っているのか、かすかに笑顔を見せる渚。
「だ、大丈夫…、大丈夫だ…から…」
渚はそう言っているが、修也にしてみれば明らかに大丈夫ではない様子だった。
(やれやれ、しょうがねぇな)
無理だと判断して、修也は立ち上がろうとした。

がしっ。

いきなり腕をつかまれる。


「せ、せっかくのデート…だから…、ね?」
そう言って、再び笑う渚。命綱をにぎっているかのように、強い力で修也の腕を持っている。
(本当に大丈夫なのかよ?)
そんな渚の様子に、修也は心配しつつも立ち上がることができなくなってしまった。
しばしの静寂の後、二人の様子をあざ笑うかのように映画の上映が始まった。

   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

「ひっく、ひっく…」
「何つーか、悪かった」
公園のベンチで泣きじゃくる渚と、それをなだめようとする修也。
修也はあれから何度か途中で出ようと言ったものの、渚が激しく拒否したため、結局最後まで見てしまったのである。
そして、上映中にこらえていた渚の涙がここで一気に溢れ出したようだ。
「ふぇぇ…、ひっく…」
「あー、ゴメン。ホントにゴメン」
元はといえば渚がホラー嫌いだというのを知らずに入ったのが悪いので、修也は必死に謝った。
だがその甲斐もむなしく、一向に渚が泣き止む様子はない。
(あー、どうすっかなぁ…)
渚を落ち着かせようとしながら周りを眺めると、自動販売機が視界に入った。
暖かいものを飲めば少しは落ち着くかもしれないと思って、修也は立ち上がろうとした。

がしっ。

再び渚に腕を掴まれた。
「やだやだ、お願いだから離れないでぇ…」
「え…、あ…」
「一人は…ぐすっ、怖いから、一緒に居てぇ…」
そう言って、渚はまた「ふぇぇ〜ん」と泣き出してしまった。
「わ、悪い、渚」
修也はあわててベンチに腰をかけ直すと、すぐに渚の体が修也にもたれかかってきた。
そして渚の腕が修也の背中に回り、ぎゅうっとしがみついてくる。
怖さが抜けないのか、渚はずっと体をぷるぷると震わせながら嗚咽を漏らし続けていた。
「ぐすっ…、ひっく…」
「渚…」
そんな渚を見て、修也は思わず渚の背中を撫でた。暖かい感触が手のひらに伝わってくる。
「ゴメンな、渚…」
渚にそう声をかけて、優しく撫で続けた。
(はぁ〜)
修也は心の中でため息をついた。渚はまだ泣いてはいるが、だいぶ落ち着いてきたようだ。
(恋愛下手だよなぁ。俺もコイツも…。そんでアイツらも…な)
数時間前にここに座っていた二人のことを思い出しながら、修也はそう思った。
ふと空を仰いでみると、星が何個か輝き出していた。


   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

「まったく、二人して何を遅刻してるのよ?」
よく聞き知っている声がして、修也は突っ伏していた顔を上げた。
すると、俊之と千草がぜぇぜぇと息を切らせているのが視界に入った。
(朝っぱらから二人して遅刻たぁ、ようやるよ)
今までの経験からいって、故意に遅刻してきたとは思えない。
だが、だからといって知らない人から見たら誤解を招くような行為であることには変わりないだろう。
現に修也の周りにいる女子たちは自習時間をいいことに「やっぱりあの二人って…」などと話している。
(ん?)
ぼーっと前を眺めていると、修也はあることに気がついた。
(俊之のやつ、なんで平原と顔を合わせねぇんだ?)
千草はいつもの笑顔で俊之に話しかけるのだが、修也には俊之がそれを避けているように感じられた。
あくまで嫌悪感からではなく、恥ずかしい気持ちからきているような避け方ではある。
それでも普段の俊之の様子からしたら、少々不思議な感じだ。
(ま、どうでもいいんだがな)
そう思って、修也はあくびをかみ殺す。
以前から、あの二人の仲を干渉しないと決め込んでいるのだ。昨日、渚にもそう伝えてある。
ずっと手を繋いだままの状態でいるんだからさして問題はないだろう。
(にしても…)
修也がより気になったのは、二人の前に仁王立ちしている渚の方だった。
今の渚と昨日の夕方の渚とではまるで別人のようである。
手を繋ぎたいとなかなか言えない姿も、ホラー映画で震えていた様相も、ベンチで泣いていた面影もそこにはなかった。
クラスメイトの『深浦』と、恋人の『渚』。
どうしてそこまで変われるのか、修也にとってそれは本当に不思議で仕方がなかった。
「やっぱ、昨日と違うよなぁ…」
思わずぽつりと呟いてしまった一言。
修也にとってこの言葉が、俊之の耳に届いていたとは思ってもいなかった。
2009年06月19日(金) 21:05:36 Modified by amae_girl




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