2009年の身辺雑記(メモ)

◎ 2009年12月23日(水)〜12月29日(火) 今年最後の大仕事・集中講義(山口大学人文学部)を、無事終了。収穫は、「運命論の透明化」というテーマを(これまでやった講義よりも)ずっと明確にすることができたこと、そして、メガラ派の議論とディオドロス・クロノスのマスター・アーギュメントの差異を、よく言われるような「強い/弱い」の差異としてではなくて、「現実の先行性(高階的な最終審級性)」と「時間推移における必然と不可能の重なり」という運命論における二側面として捉える手がかり(アイデア)が得られたこと。

 23日(水)の午後に山口着。夕方、脇條さんと集中講義に関する打ち合わせを済ませた後、夜は辻先生と正宗さんと西京飯店で夕食、その後私が山口時代大好きだった電氣ブランに移動。
 24日(木)は授業後に、ゴールドジム山口中央へ行って、マシンとフリーウェイトで筋トレを1時間・トレッドミルでのランニングを1時間。マシンの種類の多さ、フリーウェイトの重厚さは、ゴールドジムならではで凄い。この日一日のみ、一人の夕食(日本料理・鴨川で)。
 25日(金)の夜は、時間学研究所の忘年会(山口大学前通りのうどん屋・小福で)。辻所長・鎌田さん・青山さん・平田さん・(平田さんの友人の)モンゴル人の女性・新任の明石さんたちと。
 26日(土)の夜は、哲学メンバー(脇條靖弘・古荘真敬・青山拓央・上野修・私)で集まって、心和食まほらで忘年会。予想通り、哲学談義で5時間以上。
 27日(日)は、集中講義は休み。再びゴールドジム山口中央へ行って、マシンとフリーウェイトで筋トレを1時間・トレッドミルでのランニングを1時間。ふだんは使えない種類のマシンをいくつも試してみる。今回のジム通いは、妻の友人である木村さん(山口在住)が会員であるおかげで、2回とも無料で利用することができた。夕方しばらく、上野修さんと二人で「ラセーヌ」にて、近況や哲学の話をした後、夜は、人文学部の学生・院生たちと、脇條さん・上野さん・私で忘年会(お花茶屋)。
 28日(月) 最初の一日を除き、昼は受講生・脇條さん・古荘さん・青山さんたちと、第一学生食堂ボーノで昼食。夕方4時半に山口大学を出て、自宅に帰り着いたのは夜10時半。
 29日(火) 今年最後で1月4日までできないので、ジムに行っていつもより長めにトレーニング。たまっていた事務仕事を片づけるだけで、一日が終わりそう。

 写真を一枚。三男の上で左手を伸ばして眠るキド。


 今日、その三男(高2)と腕相撲をやって負けた。長男と次男が高校生の頃は(それぞれテニス・バスケットをやっていた)、負けたことがなかったのに。もちろん、こちらが年をとって衰えているということもあるが、三男はキックボクシングをやっているので鍛え方が違うのかもしれない。まったく敵わなかった。こればっかりは、いくら筋トレをしても敵いそうにない。これも、今年最後のトピックか。
【2009年12月29日記】

◎ 2009年12月22日(火) 本日の午後〜夜が、青学での年内最後の授業。そして明日から5泊6日で、山口大学人文学部での集中講義へ。アリストテレス・R.テイラー・ダメットの運命論批判や擁護の議論に加えて、今回初めてメガラ派の可能=現実論+ディオドロス・クロノスのマスター・アーギュメントを考察する予定。毎日のように宴会(忘年会)が入っているのが、楽しみであると同時に不安。トレーニングに行かない期間が長くなるのは嫌なので、地元のジムにビジターとして2回は行こうと考えている。【2009年12月22日記】

◎ 2009年12月21日(月) 朝日カルチャー講座「哲学の読書会」メンバー9名による忘年会。夜7時より新宿住友ビル50階『創作和食くう』で鍋の後、いつものように京王プラザ「樹林」に場所を移して11時過ぎまでお茶。幹事・竹下さんの「私は腹筋われてますよ」発言がインパクトがあった。今回は(中島哲学塾のメンバーが二人もいたせいで?)「中島ネタ」が話題の中心だった気がする。構想・執筆中の講談社選書メチエ(運命論の哲学)について、私案の『運命論の透明化』というタイトルについて意見を聞いてみたところ、まずまずの評判。「樹林」では、「先生の大学時代に受けた講義で・・・・」という質問に対して、久しぶりにカント研究者だった故・久保元彦先生のことを、熱く語ってしまう。【2009年12月22日記(帰宅後)】


◎ 2009年12月15日(火) 授業の最後に書いてもらっているコメント・質問票に、こういう風に感じてくれているのは私としても嬉しいというコメント(「哲学的認識論」・聴講生のN君のもの)があったので、ここにメモして残しておきたい。「土曜日の講演は、この授業や朝カルの時と同様大変分かりやすくかつ刺激的でした。先生のギロンで不思議なのは、オープンカーで心地よく高速道路を走っていたはずなのに、いつの間にか空を飛んでいることです。一歩一歩のステップは明快で飛躍がないはずなのに(=高速を走るオープンカー)、最終的には全く予想していなかった地点(=空!)にいることに気付きます。これは本当に不思議な出来事です。」N君に感謝。このコメントに本当の意味でふさわしい授業をしたいものです。【2009年12月16日記】

◎ 2009年12月12日(土)・13日(日)
 立教大学の講演会(「運命論の哲学」)。今回は、90分で予定していた話のほぼ全体をカバーすることができた点では、うまくいった。その分、駆け足で通り過ぎた個所もあるので、置いてきぼりになった聴衆もいたかもしれない。立教大学のキャンパスの建物やその配置等は、青学のそれよりもかなり優れていて(青学の方が優っているのは、キャンパスの「場所」のみ?)、講演をした会議室もとてもいい感じだった。満席盛況だったこともあって、気持ちよくしゃべることができた。
 懇親会では、お世話になった佐々木一也さんをはじめ、時間学研究所の立ち上げ以来お付き合いをしていただいている北山晴一さん、東大駒場のときの同級生の下地秀樹くん、山口大学で同僚だった林文孝くん、湘南高校時代の友人の阿部嘉昭くん、また比較文明の大学院生たちとも、大学の状況や時間論の話などをすることができた。
 二次会では、千石英世さん(アメリカ文学者・文芸評論家)・林文孝くん・阿部嘉昭くん・阿部くんの学生の佐藤くんと私の5人で、池袋の寿司屋で12時まで語り続ける。そのいったんは、以下に引用する阿部くんの日記と私のコメントを参照してください。

 昨日(12日)は、ほぼ最終電車で帰ってきたにもかかわらず、本日(13日)は、吉祥寺・井の頭公園でのランニング初心者のためのレクチャーと5劼鮖愼骸圓箸い辰靴腓冒るセッションに参加。少しずつレベルを上げていくつもり。

<阿部嘉昭くんの日記より>

入不二君、立教で講演 全体に公開

昨日12月12日、
立教大学で入不二基義君の
「運命論」の講演があり、
湘南高校「文芸部」同輩のよしみ、
加えて立教大学文学部の末席をけがすものとして
講演を拝聴、高校卒業以来の旧交を
講演後の懇親会&二次会でも暖めました。

入不二「運命論」は論理学の排中律、同一律などをつかい、
それに時間意識=「いま」を加えることで形而上化をほどこし、
結局は「いま」を全体に横溢させるというもの。
そこでは、「必然」と「偶然」の弁別も無意味になり、
そのことで同一律が「必然」=「偶然」という
非同一の同一となって
過激に融即化してゆく。

水際立ったような論理展開でひきこまれた。
けれどもその時間は
切片で切られて極度に抽象化されている。
僕は詩の実作の経験から
「偶然の必然化」「必然の偶然化」によって
創作「時間」の厚みという着眼がさらに出る、
それが「運命論」の進むべき、
さらなる局面ではないかという話を酒席でした。

入不二君が、酒を一滴も飲まないことに
アル中気味の僕としては「へへえ」とおもう。
彼と僕との個性のちがいはそういうところにも現れている。

それと。

入不二「時間論」は彼の鮮やかな百メートル疾走の実績から
出ているのではないか、
そこで彼は「ゼノンの矢」の逆説を考えたにちがいない。

では入不二「運命論」の原基は何か。
か〜んた〜んにわかっちゃった♪
秘密は彼の奥さんにある。
けれど恐ろしくてこれ以上はいえない(笑)

いずれにせよ愉しい一夜だった。
僕の学生、たくろーくんの質問にも
入不二くんは誠実に応えていたなあ



時間論についてはいま考えていることはみっつ。

ひとつはプルーストで、
「無意識は言語のように構造化されている」ではないが、
時間はすでに内在的に構成化されていて
これを身体レベルで綿密に実証化したのがプルーストだった。
たとえばこういうプルーストを
僕は古谷実のマンガ『シガテラ』論に援用した。

もうひとつは連句(歌仙)で
前後のつなぎに「ズレ」がはらまれることで
流れ総体に「時間」が全体化される局面があるということ。
これはたぶん僕の詩作原理でもある。
いま演習で巻いている歌仙は
いずれこの日記欄で完成版をご覧にいれます。

最後が映画。時間の編集加工という問題。
連句にもこれは通じるのだが、
結局、時間は形而上学の「外側」で
ある種の織物として発明され、
そこに物質性が保たれることで
物語作法をもこえる場合があるということ。

タランティーノ『パルプ・フィクション』や
フィルム・ノワール、
それとみとちゃんの卒論じゃないが
押井アニメなどがそうだ。
それらは作品であり時間であり脱時間なのだ。

ま、今度は講談社メチエで本を出す入不二くんの活躍をみて
自分もやるべきことが多いと気合が入った

<入不二のコメント>

thanx 阿部君

会うのは、高校卒業以来ではあっても、著作やネット上の情報から
想い描いていた「大人になった」阿部君と、一致していて嬉しかった。
猥雑でありかわいらしく、ねちっこいと同時に脱力しているような
心地よさがある・・・という阿部君です。

 阿部君が念頭においている、
「偶然の必然化」「必然の偶然化」と、
講演で私が言ったような、「無様相の現実は、偶然でもあり必然でも
ある」というのは、全く別のことだということが、昨日話すことで、
よく分かりました。

 私の話では、必然性とか可能性とか偶然性という(通常は区別され
ている)様相が、「現に」という現実性においては、一つに潰れて
しまうということに、主眼があるのですよ。そのように一つに潰れる
ことが、「現実=運命」という場面であると。

 まあ、こういう「哲学的な」話の中身云々よりも、とにかく
阿部君と再会できてあれだけ楽しくおしゃべりができたことが、
昨日の最大の収穫です。


<阿部くんのコメント>

へへっ、僕の人物評、うまいね(笑)



そうだね、入不二くんのいっているのは
あくまでも厳然たる「必然と偶然」(の同等性)で
(当然、これを考察するのが運命論の要件となる)、
僕のいったのは「必然化と偶然化」(の同等性)で
これが出て来るのは「時間=運命と闘う」作品生成論の局面でした。

「現に」という着眼は素晴らしい。
ただその「現に」に舞い込んでくる「出来事」には
二様あるのではないか、という話もしましたね。

ひとつは「自分の頭を掻く」といった
経験則的に因果律が生じないような出来事。
もうひとつは「僕が入不二君を殺す」といったような、
対象にほどこした結果によって
さらに主体の運命が再規定されてゆく
因果律的・相補的な出来事。
後者のほうは、取り合わせ上、
数学的な限界を内包しているのではないか

排中律、
「Pは真であるか、もしくはPは真でない」というふうに
Pで分割をおこなうことによって
たしかに「全体」が擬制されてゆく。
これは入不二くんのいうように言語的魔術です。
それはむろん論理学的には正しいのですが
ところがPのもつ本来的な任意性をみつめてゆくと
それが実感的にちがうという感触も生ずる。

つまりどんなに部分を足しても
全体にいたらないこと、
そのことが全体だという見解もあるのじゃないか
(不可知論じゃなくて)

昨日は酔払ってそんなあやふやなことまで
口走っていた記憶がありますが、
よく考えると「釈迦に説法」だったなあ(笑)

ただ僕は入不二「時間論」「運命論」が
作品生成論に入ってゆく今後の展開を期待しているのです。

入不二くんの50歳代の仕事とはそれでないか
(と、勝手に想像したりする♪)



あ、もう一個。

「現に」の横溢と
「このもの」性とは認識上、リンクしますが、
この「この」を試練にかけることもできます。

カフカ的箴言をここで捏造してみましょう。

私は身体だが、「この」身体は私ではない。

否定斜線を入れられた「このもの」から
表現がさすらいだすことが
実感としてたしかにあるとおもう。
ま、これも「作品生成論」からの見地ですが

「この」はあるのか「現に」はあるのか

佐々木さんが「時間には未来しかない」と
ハイデガー経由でブツブツつぶやいていたのが可笑しかった

【2009年12月13日記】

◎ 2009年12月10日(木) 立教大学での講演の準備は、ほぼ終わる。中島義道さんの哲学塾では時間切れになって話せなかった後半も話せるように、逆に前半を思い切って圧縮することに決める。このところジムでのトレッドミル上のランニングだけでは満足できなくなってきていて、暇を見つけては自宅周辺で走ることも追加している。今日も5劼曚描る。だんだんと深入りしていく予感・・・・。【2009年12月10日記】

◎ 2009年12月5日(土) このところ「旧友との再会」が続いているが、本日は夕方の演習を終わらせた後に、池袋にて甲斐基文氏(東京薬科大学生命科学部教授)と15年ぶりに再会して夕食を共にする。甲斐さんはフランス言語学が専門で、この9月に神戸の甲南女子大学から東京薬科大学に異動してきて、遠からず再会できるだろうと期待していた。仕事上の話があって会うことになったのだが、メインはいっしょに教えていた頃から現在に至るまでの駿台の話。共通の知人であるたくさんの講師たちの名が、話の俎上に。また、二人が同じスポーツクラブ(の別の支店)に通っていることが分かり、その点でも意気投合する。【2009年12月6日記】

◎ 2009年11月28日(土) 今日はmixiを通じて、高校時代の友人(文芸部でいっしょ)である阿部嘉昭氏(評論家・詩作者・立教大学特任教授(サブカル論))とコンタクトをとりあうことができた。彼のジャンルを越境する活躍ぶりやファン・学生たちからのオマージュは、遠くから見ていて知っていたけれども(阿部嘉昭ファンサイト参照)、ようやく高校時代以来(だと思う)話をすることができた。
 阿部君から、「そういえば君は百メートル走が異様に速かった。フォームも独特。ピッチ走法なのに「跳び」が大きく、忍者みたいだった(笑)光陰矢のごとし♪あそこから君の時間論が胚胎したとおもってる(笑)」と言われたのは、けっこう嬉しかった。「かつて走るのが速かった」 ということが、自分のアイデンティティに深く組み込まれていることは、(前にここにも書いたくらいだから)もちろん自覚していたけれど、こう言われて嬉しいということは、やっぱりそうなんだなと改めて思った。12月12日(土)の立教大での講演会では、再会できる見込み。
 これから、「哲学文献講読演習」の授業である。【2009年11月28日記】

◎ 2009年11月26日(木) 霜さんが「霜栄雅」という名で出品している「青山御流いけはな展」(流祖 園楽山公 生誕800年記念)を、妻といっしょに霞ヶ関ビル34階「霞会館」に観に行く。よく分からないが、他のものと違う感じが、霜さんらしい。妻は、自分の一番好きなダリア・黒蝶が使われていることを喜んでいた。【2009年11月27日記】


◎ 2009年11月23日(月) これから、中島義道さんの「哲学塾カント」へ、「形而上学的な運命論について」の講義をするために出かけてきます。配布用のレジュメがA4だと7枚になったが、しゃべり終わるだろうか・・・。
 11時すぎまで懇親会に出て、帰宅。やっぱり、全部話すのは無理だった。(途中で質疑応答が入ったとはいえ)2時間しゃべって、およそ半分くらいのきりのいいところで、まとめをすることになる。その代わり、論理をとばすことなく話をゆっくり展開できたので、よしとしたい。中島義道さんから、『足裏影』について、「ラブレターをとってあるという箇所を読んで、読むのをやめました」と言われる(中島的!)。教室で宮崎尊さんとすれ違い、ご丁寧な挨拶を受ける。宮崎さんとは、かつて駿台で講師としていっしょだった時期があり、お目にかかるのは20年ぶりくらい。【2009年11月23日17時25分記,2009年11月24日帰宅後追記】

 市ヶ谷の中島哲学塾は、宮崎尊さんのSONJUKUの教室を使わせてもらっているようです。私の講義の前に、おそらく宮崎さんが英語の授業をしていたのでしょうね。だから、すれ違ったのでしょう。
 大学院生の頃私が駿台で教え始めた時、宮崎さんは、もちろんすでに有名講師でした。その後彼は駿台を去るので、話す機会はありませんでした。今度機会があったら、伊藤和夫先生の思い出話など、してみたいなと思っています。
 私もラジオ講座に出演したことがあるんですよ!ただし、山口大学への赴任と重なってしまったために、一回だけで終わり。初回で「はじめまして」という挨拶で始まり、その放送の最後で「事情により、私の講義はこの一回で終わりです」という他に類を見ない講義でした。【mixiでのカプリコさんのコメントへの応答を転記、2009年11月25日追記】


◎ 2009年11月18日(水) 夜7時に、霜栄さん・福崎伍郎さんと三軒茶屋で待ち合わせて、三宿の「春秋」へ。こうして3人でいっしょに食事をするのは、1991年の『アセント』での鼎談の時以来。お互いの近況から始まって、駿台・東進など予備校の現状分析、駿台の思い出話、今後何をやっていくかの話、さらに死の話に至るまで、18年のブランクなど全く関係なく話に花が咲き、場所を「ゼスト」に移して、夜中の2時すぎまで過ごす。今日もまた、別の飲み会が予定されている。【2009年11月19日記】


◎ 2009年11月11日(水) 51回目の誕生日である。女優の田中美佐子さんが、一つ年下の同じ11月11日生まれ。映画「ダイヤモンドは傷つかない」が懐かしい。先週、演習生たち(小谷野さん・山田さん・諸岡くん・櫻井さん・秋山くん)が、Decadence du Chocolatのチョコレート6種類をプレゼントしてくれた(みんなどうもありがとう!)。Yuzu cha(柚子と抹茶の香りのホワイトチョコレートガナッシュ)の色合いが特にすてき。家では、(誕生日ケーキとして)lafruttaのマロンクリームのロールケーキをいただく。立教大学からは、12月の講演のポスターが研究室に届いていた。【2009年11月11日記】


◎ 2009年11月3日(火) 今回は、週3回ペースでのトレーニングを継続できている。この3ヶ月で体重を3〜4塒遒箸擦燭掘△腹周りも(まだまだとはいえ)改善の兆しが見えた。何といっても「感動的」だったのは、もう走ることなんてできない身体なんだろうと思っていたのが、少しは走れるようになったこと。ランニングマシーン上ではあるが(実際の道で走るより楽なので)、1時間は走り続けられるようになり、距離としては8劼らいは休まずに走れるようになった。それでも、ボクシングスタイルのエクササイズを30分やったら、息が上がってしまうし、次の日は筋肉痛である。キックボクシングをリアルでやっている息子を尊敬してしまう。【2009年11月3日記】

◎ 2009年10月31日(土)・11月1日(日) 青山祭で土曜日の授業がないため、今年は東大での哲学会に出席することができた。土曜日は山上会館での懇親会後に、高橋久一郎氏・信原幸弘氏・伊佐敷隆弘氏・加藤和哉氏と共に中華料理店に寄る。日曜日の午前中、大谷弘氏の発表(「ウィトゲンシュタインの哲学的方法」)の司会をして、塩谷賢氏の発表(「双対性の図式について ― 時間の探求に向けての方法論的試み」)で2点ほど質問をした後、二十数年ぶりに学食で昼食。学会終了後は、藤村龍雄先生・鈴木泉氏・古荘真敬氏とCAFE de CRIE 本郷通り店でお茶をして帰る。【2009年11月1日記】

◎ 2009年10月25日(日) 「告知」のところに、12月12日(土)に予定されている、立教大学大学院・文学研究科比較文明学専攻主催公開講演会「運命論の哲学」のお知らせを載せました。『時間学研究』第3巻が、山口大学時間学研究所よりようやく届いたので、掲載した拙論「「私の死」と「時間の二原理」」を「公開原稿」のところにアップ。pdfのページ付けはpp.17-30だが、最終的にはpp.15-28になったようである。【2009年10月25日記】

◎ 2009年10月17日(土) 大学院入試の面接と演習の授業。授業後イメージフォーラムに寄って、19時からの回の「アンナと過ごした4日間」を観る。ポーランド出身のイエジー・スコリモフスキ監督の17年ぶりの新作である。窃視と接触、変質(変態)と愛、滑稽と物悲しさ等々が紙一重という感じ。川を流れる牛の死体、病院の火葬場でのレオンの仕事、死にかけた祖母、睡眠薬で昏睡するアンナ、そして時間が止まったようなポーランドの田舎町の風景・・・・、死に死にした(生き生きしたの反対)雰囲気が、「情熱」や「事件」を取り巻いている。【2009年10月17日記】

◎ 2009年10月14日(水) 教授会が比較的早めに終わったので、青山キャンパスから自宅まで歩いて帰ってみるかと、ふと思い立つ。渋谷を越えて246をまっすぐに三軒茶屋まで進み、茶沢通りから烏山川緑道に入って、世田谷の自宅まで、1時間半かからずに到着。9匱紊らいの距離だと思われるので、およそ時速6劼琶發い討い燭海箸砲覆襦4世咾辰靴腓蠅砲覆辰燭、なかなか爽快。この程度なら、また歩いて帰ってもいいかなと思う。【2009年10月14日記】

烏山川緑道・万葉の小径

◎ 2009年10月4日(日) 本日は駿台予備学校の第2回全国模試だったはず。なんでそんなことを書いているのかというと、国語(現代文)の第2問(かな?)で、私が書いた文章(「一回性と反復」、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)所収)が使われたはずだから。予備校ではもう教えていないとはいえ、講師の人たちとも教務・学務の人たちとも、お付き合いが続いている。今回は、私の文章が出題されるということになって、現代文科の講師の方々から前もって相談を受けて、解答例や解説に対しても助言をすることになった。出題文の筆者自身が模試問題の作成に関わるという、なかなか有り難い経験をさせてもらって、楽しかった。しかも、数多くの受験生に私の文章を読んでいただけたのも、幸運であった。受験生の皆さん、お疲れさまでした。【2009年10月4日記】

◎ 2009年10月3日(土) 午後から夕方まで、院ゼミと哲学文献講読演習。夕食後に、「The Sky Crawlers(スカイ・クロラ)」(押井守監督)の3回目の観賞。草薙水素とフーコの counterpart 的な照応関係、娼澆肇灰董璽犬領省にある古伊万里焼、草薙水素のメガネのかけ外しの持つ意味、ポルシェの車種変更などの細部を、すべて確認しながら観ることができた。これらは、DVD付属の冊子にも記述されているが、さらに冊子に書かれていない点で気づいたこともある。最後の「ティーチャー」との戦闘場面で、字幕は「"ティーチャー"を撃墜する」と書かれているが、函南優一は実は "I'll kill my father." と言っている。それにしても、この映画を観ると煙草を吸いたくなる。【2009年10月3日記】

◎ 2009年9月23日(水) 学士会館308号室にて、午後1時〜6時まで cogito 研究会。久しぶりに、たっぷり哲学の議論ができて、お腹が満たされた感じ。前半は、植村恒一郎さんによる「J.バトラーにおけるジェンダーとセックス ――フーコーとの比較、あるいは gender, sex, sexualityの差異について」の発表。後半は、拙著『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)の合評会。荒武裕一郎さんと山田有希子さんが、コメンテーター・質問者。

 荒武さんは、「ゲームの階梯」を材料にして、「ゲームの変更・変化」に関する論点を展開し、質問を提示してくれた。山田さんは、「寸止めの先へ」というテーマのもと、私の他の著作との関連をつけながら、『足裏影』内に表れた「落差を反復する私たち」の議論を、まだスタティックな段階から動性(ダイナミクス)を獲得する段階への移行として、詳細に腑分けしてくれた。さらに、その「私たち」=関係性と対照する仕方でのプレレベル(無関係)の問題を取りあげ、さらに時間の問題へと接続してくれた。前もってレジュメを頂いたこともあって、私のレスポンスもかなり十分にできたと思うし、応答することではっきり分かったこともあって、とても有意義だった。(後半から参加した田島正樹さんが、山田さんに言及するときに「このお嬢さん・・・・」と言ったのが、田島的 humor を醸し出していた。)

 研究会後は、参加者のうち10名でいつもの中華料理店へ。田島正樹さんの家族(特にお父さん!)に関する話と、植村VS田島による「社会契約論VS革命的法創造」の議論が面白く、盛り上がった。さらに9時過ぎから11時過ぎまで、御茶ノ水駅前に場所を移動して、田島正樹・今村健一郎・青山拓央と私の4人で、お茶。田島さんによる「日本の哲学者評(大森荘蔵・黒田亘・廣松渉・渡邊二郎・・・・etc.)」を拝聴することができて、まさに痛快の一言。【2009年9月24日記】

mixi日記のコメントから:
・ あれだけ厳しく批評しながら、にもかかわらず陽気で楽しく、かつ味を感じさせてくれるのは、田島さんだからできる「技」で、他の人には真似できないでしょう。
・ 今回は、最後の4人のお茶会まで含めて、近年の研究会の中でも、かなり楽しさ満載だったように思います。そのかなりの部分が、田島さんのキャラのおかげでしょう。 【2009年9月15日追記】

◎ 2009年9月22日(火) 今日はちょっと不思議な組み合わせの3人で、昼食・お茶@Good Honest Grub(すべて美味しかったが、Eggs Benedictが特にお薦め)。私(50歳)と、昔の教え子で今は広告関係の会社の取締役をやっているH氏(38歳)と、彼の知り合いつながりの高校3年生のお嬢さんの3人という組み合わせ。その高3の女の子が、哲学科志望であり、かつ私の本の読者でもあるということから会うことになる。進学相談かつ哲学談義かつ種々の雑談で、3時間すごす。映画「がんばっていきまっしょい」の頃の田中麗奈を、もっと理屈っぽくした感じの、楽しい高校生だった。【2009年9月22日記】

◎ 2009年9月19日(土) 夕方から新宿へ散歩に出かける。夜の新宿をあてもなく歩くのは、とても気持ちが落ち着く私の楽しみの一つ。新宿末廣亭のあたりをしばらくぶらぶらしてから、「桜吹雪が風に舞う」新宿店で、夕食にラーメン「赤ドラ」。
 その後、やっぱり観ておこうと思って、9時からの「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を観賞。この時期この時間帯でも満席。外国人のカップルもけっこういる。挿入歌に森山良子の「今日の日はさようなら」と赤い鳥の「翼をください」が使われているのが、昭和的な私の小中学校時代を思い出させる(前者はキャンプファイヤーのとき、後者はクラスごとの合唱大会などでよく歌われていた)。そういえば、庵野秀明氏は『ラブ&ポップ』の中でも、フォーククルセイダーズの「あの素晴しい愛をもう一度」を使っていた(フォーク好き?)【2009年9月20日記】

◎ 2009年9月18日(金) 心理学科に所属しているので、門外漢ではあっても、心理学系の本や論文を読む機会が時々ある。先日読んだ或る本の中で「エビデンス・ベイスド」という表記を見て、えっ?「ド」? evidence-based のカタカナ表記は「エビデンス・ベイスト」じゃないの?と思った。中学生の時に習う「語尾の音が[t]以外の無声音の場合には、その後に付く-edの発音は[t]」というやつなのでは?それとも、私が、その世界の慣習を知らないだけなのか・・・・。でも、堂々とこう表記されているのを見ると、何だか落ち着かないのだが。【2009年9月18日記】

◎ 2009年9月17日(木) (2009年7月12日(日)に記したように)予約していたテレビ朝日 21世紀新人シナリオ大賞ドラマ「ゴーストタウンの花」のDVDが届いて、3回繰り返し観てしまう。柳川しおり(桜庭ななみ)の、メガネや髪型で抑制(抑圧)していながら、それでも見え見えのかわいさに、何度でも魅了される。武田啓(永山絢斗)の静かな存在感が、この起伏の小さなドラマを締めていること、秋山リナ(波留)の媒介役がとてもうまく働いていることを再確認する。そして、DVDならではの収穫は、脚本家・福田健一氏のインタビュー映像を観ることができたこと。その風貌や語り口が、「ゴーストタウンの花」の素直で淡いストーリーとあまりにも対照的で、「えっ、この人がこんなお話しを書くの?」という感じで、とても印象的であった。【2009年9月18日記】
 


◎ 2009年9月16日(水) 授業は来週からだけれども、午前から夕方まで会議等4つあって、すでに後期が始まってしまった感じ。空き時間を利用して、リブロ渋谷店まで出かける。川上未映子さんが、リブロの「著名人の本棚」で、拙著『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)を選書の一冊としてくわえて下さったので、記念に見にいく。各本につけられたコメントが楽しい。【2009年9月16日記】

  

◎ 2009年9月12日(土) 都立新宿高校の文化祭(朝陽祭)に出かける。三男・義顕のクラス2年B組の演劇「魔法にかけられた!」を観るのが主な目的。これは、「Enchanted(魔法にかけられて)」を基にしたラブ・コメディー。義顕は、バツイチの弁護士ロバート役で、アニメの世界の姫ジゼルを救う。彼が所属する写真部の教室にも行ってみた。高円寺で撮った路地や猫の写真が、彼の作品として展示されていた。私も高校時代の文化祭で(もう30年以上も前だが)、文芸部のメンバーで演劇をやったり、友人たちと映画(「赤い傘」会澤尚美原作・黒川学監督・入不二基義主演、友人役で大橋充直や大野悦子らが出演)を制作して上演会をやったりしたことを思い出す。中学とも大学とも違う、どちらにもない特有の雰囲気とノリがあるという点は、昔も今も変わらない。【2009年9月12日記】
 

◎ 2009年9月7日(月) 今期最後の朝カル「哲学の読書会」。ようやく第1章を読み終える。受講者の中の9名と、京王プラザホテル「樹林」にてお茶会。隠れてしまって写っていない方もいますが、竹下哲郎さん撮影の写真を載せます。次期の「哲学の読書会」は、2月15日・3月1日・3月15日・3月29日の4回で第2章を読む予定。【2009年9月8日記】


◎ 2009年9月2日(水) 飼い猫のキドは、簞笥などの引き出しに入るのが好き。体重で引き出しが傾いでいる気も・・・・。
 ネコの魅力の一つは、「両極端を行き来するところ」だと思っています。
 だらだら・ふにゃふにゃしていると、いきなり俊敏になるところ。
 愛らしい顔をしているなぁと思って見ていると、大あくびをして、般若のように切れ上がった口を晒すところ。
 すり寄って甘えてくると思えば、そっけなくそっぽを向くところ。
(かわいい顔をしているくせに)「ガブリ」や「ドロ」である点(ガブリエル・ドロ・キド参照)も、その両極端の一端です。 【2009年9月2日記】

 

◎ 2009年8月31日(月) 授業はなくとも会議等の仕事が入ってくるので、今年は、これまでの夏休みのように執筆に専念することができない。本日も午後から、人事関係の面接と会議。夕方、暴風雨の中、宮益坂上にある澤乃井渋谷本店に寄る。山菜うどんを食べてから、朝日カルチャーセンター(新宿)での講座(哲学の読書会)へ向かう。講座修了後は、10時半くらいまで受講生の中の6人といつものようにお茶会。ほとんど「死」に関する話をしていたように思う。水曜日もまた、人事関係の会議あり。【2009年9月1日記】

◎ 2009年8月29日(土) オープンキャンパスの仕事。夏休みも終わりの時期だしインフルエンザのこともあるし、参加者は少なめなのかと思っていたら、まったく反対で「大盛況」だった。私の担当は、教員による個別相談。心理学科の個別相談なのに、フーコーとか形而上学ということばを相談の中で出してきた女の子がいて、とても驚く。3人の心理学科の教員が控えていて(もちろん私以外は心理学が専門。というか私だけが例外)、その中でたまたま私のところにまわって来たわけで、相談者の彼女にとってもよき偶然だったのかもしれない。【2009年8月29日記】

◎ 2009年8月23日(日) 大森のゴールドジムサウス東京アネックスへ、高2の三男(義顕)のキックボクシングの試合(デビュー2戦目)を妻と観戦しに行く。KAMINARIMON 東京大森大会。3分1R・7ポイント制の試合で、義顕が先に7ポイントを制してTKO勝ち。これが初勝利。いいなぁ、リング上で戦えるというのは。私が憧れているだけでやれなかったことを、三男は実現している。小比類巻道場の選手のセコンドに、あの小比類巻氏がついていたのを見て、ビックリすると同時に得した気分。
 mixiの日記に上記と同内容のものを載せたら、びっくりしたことに、義顕の今日の対戦相手だった25歳の方からコメントがつきました。おもしろいです。

 「渋谷スクランブル」所属のキックボクサーの増田博正さんのブログに、昨日の結果について書いてありました。
写真もあったので、こちらにも拝借します。前から2列目右から3番目の、顔の絵が描いてあるTシャツを着ているのが、三男・義顕です(よく見えないでしょうが)。
【2009年8月23日記・8月24日追記】


◎ 2009年8月21日(金) 日本ブリーフサイコセラピー学会での基調講演とシンポジウムと懇親会。他分野の学会で哲学の話をするのはなかなか難しいけれども、懇親会での反応を見ていると、けっこう興味を持って聴いていただけた様子。私の方でもちょっとだけ工夫をしたつもり。19歳の時に精神科のカウンセリングに通わされて医者から言われたこと・私が医者に向かって言ったことで話を始めておいて、90分の講演内容(私の死と時間の二原理)を踏まえて最後に、哲学的観点から言えば、医者が19歳の私にどう言うべきだったと今の私が思っているかという話で締めくくるという構成にした。

 シンポジウムで、他のお三方の先生に私の方からコメントしたことを少しだけ記録として残しておくと・・・、野村直樹先生(文化人類学)のリズムや同調を重視した時間を「D系列」と呼ぶことの呼称のまずさを指摘。また、その時間と区別して道元的なmeta-timeを導入していることを評価したうえで、その道元的なmeta-timeが、橋元淳一郎先生(物理学)の「時空長ゼロ」の考え方と実は関連していることを指摘。すなわち、過去と未来に挟まれた部分(境界)としての「今」ではなくて、その区別そのものが登場してる場(全体)としての「今」が、前後裁断的な「今」であり、「私とアンドロメダ銀河は時空長ゼロで結ばれている」という発想なのではないかという指摘をする。また、橋元氏の「生命の主体的意思」というポイントは、議論そのものの方向性(力)としては、実は生物を越えてもの(全存在)へと拡張されていくことになるのであって(スピノザのコナトゥス?)、氏が強調するような「物理と人間(生物)、あるいは機械と生命的創造」という<対>を突き抜けてしまうはずだという予想を述べる。森俊夫先生(臨床心理学)に対しては、「アフォーダンス」という考え方の持つモナド的・曼荼羅的な側面、あるいは神秘的なほどに強い実在論的な側面という点を対抗的に付け加える。また(個人的に話したときに)、森氏は「自分は、時間の平等原理(等質原理)の側だ」と言うので、「新しい未来を今創り出しているという森氏の強調点は、むしろ時間の特異点原理(非等質原理)に通じているはずだ」という反論を述べる。

 懇親会では、とつぜん挨拶させられることになり、シンポジウムで話せなかった「物理(客観)でも心理(主観)でもない領域としてのメタフィジックス」という話を(懲りずに)させてもらう。
【2009年8月22日記】

◎ 2009年8月19日(水) 明後日の講演で使用するPPファイルの作成を終える。ほんとうは、黒板を使いながら授業のようにしゃべりたいのだが、会場が約700名収容のガウチャー・メモリアル・ホールという大会場で、パイプオルガンも設置されている礼拝堂壇上から(まるで牧師のように?)話すので、PPを使用するしかない(該当ページの「3」をクリックすると動画も見られます)。
 2009年6月28日(日)の雑記(メモ)に書いた通りになっている。つまり、煙草を基本的には吸わなくなってしまった。禁煙したのではなく、ただ自然に吸わなくなった。「基本的には」というのは、教授会の休憩時間には、同僚の丸山千秋先生からもらって吸っているし、飲み会の席で吸う人がいるともらい煙草をしているから、完全にゼロというわけではないということ。完全なる喫煙者でも完全なる非ー喫煙者でもない、この曖昧な状態がもう2ヶ月続いている。【2009年8月19日記】

◎ 2009年8月18日(火) 霜さんとの飲み会から帰ったのは、午前3時過ぎなので、昨日と同じような時間帯。
 霜さんからは、『足裏影』のさらに<先>で、書くべきだと霜さんが思っていること(思わされたこと)を聞かせてもらう。重く大きな宿題を、受け取った感じ。

 青学で教えている学生から、「先生がそんなに短距離走がお速いとは、なんだか意外です!」と言われてしまったので、次のように返答。
「私の今の体形からは想像しにくいかもしれませんが、短距離走は得意中の得意で、50M走だともっと記録がよかったです。小学校から高校までずっと、リレー等の選手に選ばれていました。中学の時に相撲で県大会に出たことがあって、見に来ていた親方衆から「いい運動神経をしているねぇ。これで体が大きければ欲しいのだが」と言われて、体をポンポンと叩かれたことがありました。また、軟式野球でピッチャーをやっていたときは、球速130劼禄个討い泙靴燭掘∩膿佑箸靴討蓮▲船咾任呂△蠅覆らも、身体能力はかなり高い方だったのだと思います。」【2009年8月18日記】

◎ 2009年8月17日(月) 昨日の夜から朝方まで、世界陸上(ベルリン)の100Mの準決勝と決勝を観たために、徹夜に近い状態。それでも、ウサイン・ボルト選手の9秒58(世界新)という驚異の走りが堪能できたので満足。ボルト選手は、まだ伸びる余地というか余裕を感じさせるので、遠からず9秒5は出るのではないか。cf. http://www.youtube.com/watch?v=NL-RQYROMr0
 私も高校時代までは、(陸上の選手でも何でもない割には)短距離走はかなり速い方で、12秒ちょっとで走っていた。走れなくなった今でも、その当時は可能だった「疾走感」だけが体に残っていて、地面との摩擦がないような速度で走っていくという夢を、時々見る(一方、空を飛ぶ夢というのをみたことがない)。本日は、これから下北沢で霜栄氏と飲み会。【2009年8月17日記】

◎ 2009年8月11日(火) 新宿「なだ万アプローズ」にて、講談社の上田哲之さん・永井均さんと3人で夕食をとりながら、本についての相談。和食とイタリアンの両方ということは知っていたが、そこにハワイアンの音楽とダンスも加わっていて、コンセプトがよく分からない。
 「<私>の言語論的存立構造の哲学的研究」のシンポジウム部分をもとにした書籍化が、講談社より単行本・共著の形で実現できることになる。これから、永井・入不二・上野・青山・古荘5人が原稿を書き加えたうえで、1年後くらいには出版できる見通し。【2009年8月11日記】

◎ 2009年8月5日(水) 世田谷パブリックシアターに、内野聖陽・伊藤歩の二人芝居『BLACKBIRD ブラックバード』(デビッド・ハロワー作、栗山民也演出)」の夜の公演を観にいく予定。
「15年前の少女誘拐事件に端を発する男女の愛憎と、驚くべき意外な結末を描き、その衝撃的な内容で瞬く間にLONDON、NYを駆け巡った問題作が、遂に日本で上演されます。
二人の間にあったのは、果たして愛だったのか、それとも虐待だったのか。真実は、ふたりだけが知っている。」(HPより)【2009年8月5日記】

 嗚呼、「二人芝居」は、「ほぼ二人芝居」だったのか・・・・。
「BLACKBIRD ブラックバード」とは?
「青い鳥」じゃないということ?
あるいはThe Beatles のBlackbird ?
(...You were only waiting for this moment to arise.)

"Bye Bye Blackbird"というジャズ・スタンダード曲もあるようだし、
"Blackbird”にキュビスム的に迫った詩として、
Wallace StevensのThirteen Ways of Looking at a Blackbirdもあるし・・・・。

 15年前の「事件」の舞台となったNewcastleの東のTynemouthは、レイとウーナが芝居の中で語るとおりの、小さくて寂しい海岸町のようだ。
【2009年8月6日 観劇後追記】




◎ 2009年8月4日(火) 研究打ち合わせのために上京した山口大学時間学研究所所長の辻正二先生と、青山でお茶(AOビルカフェ・テーブル)と夕食(ピッツェリア・トラットリア ナプレ)。その後、車で新宿に移動して、京王プラザ「樹林」にて11時半ごろまで過ごす(高田馬場での飲み会帰りの妻も合流)。久しぶりに夜の首都高を気持ちよく走って帰宅。【2009年8月5日記】
AOビル ナプレ


◎ 2009年8月2日(日) 夕方トレーニングの後に、世田谷線三軒茶屋駅すぐ近く(シアタートラム側)のカフェ・マメヒコ(Cafe Mame-hico)に寄る。珈琲といっしょに生姜と小豆の水羊羹を注文。日曜日ということもあって、(下の写真の)大きいテーブルもいっぱい。とてもいいお店なので、もっと空いているときに、またゆっくりと来てみたい。テーブルチェックで、しかもその場で、店員さんが大きなバッグから小銭入れを出してお釣りをくれるのも、いい。【2009年8月2日記、8月3日追記】

 

◎ 2009年7月31日(金) 相模原キャンパスで2コマ監督をして、ようやく試験が終了。明日から何日かは、採点三昧。あまりにも体が鈍っているので、久しぶりにジムへ行って汗を流す。

 一昨日、立教大学の佐々木一也さん(東大哲学科の先輩)から講演依頼があり、引き受ける(立教大学大学院文学研究科・比較文明学専攻主催の年末の講演会。これかな?)。「運命論の哲学」というタイトルで、喋らせてもらう予定。

 それにしても、立教大の文学部には知り合いがたくさんいることに、改めて気づく。文芸・思想専修で特任教授をやっている阿部嘉昭氏は、湘南高校時代に文芸部でいっしょだった友人で、英文の藤巻明氏と教職の下地秀樹氏は、東大駒場のときの同級生(LIII 6)で、日本文学の石川巧氏は山口大学で教えていた時からの友人。比較文明学には、時間学研究所の立ち上げのときからお世話になっている北山晴一氏もいるし、山口大学でいっしょに哲学研究会などをやっていた林文孝氏もいる。【2009年7月31日記】

◎ 2009年7月28日(火) 本日は試験監督。空き時間を利用して、シアター・イメージフォーラムに、「美代子阿佐ヶ谷気分」(原作:安部愼一、監督:坪田義史)を観に行く。
 『ガロ』1971年3月号に掲載されていた、安部愼一の漫画「美代子阿佐ヶ谷気分」を映像化したもの。70年代的な創作活動と同棲生活、安部の精神の病みと美代子の裸体の存在感等々に、自分の同棲時代の風景を、いくぶん重ねながら見てしまう。【2009年7月28日記】

◎ 2009年7月26日(日) 午前中に一仕事を済ませて、大島保彦さんとお昼をいっしょして雑談した後、学士会館でのcogito研究会(13:00-18:00)へ直行。今回は、1.今村健一郎氏「ジョン・ロックの所有権(property)論」と2.壁谷彰慶氏「世界選択について―「選ぶ」と「進む」と排中律―」。終了後は、発表者のお二人を含めて5人でいつもの中華料理店で夕食会。【2009年7月26日記】

◎ 2009年7月25日(土) 一日中、日本ブリーフサイコセラピー学会・第19回東京大会09青山基調講演用のPower Pointファイルの作成(ガウチャー・メモリアル・ホール礼拝堂での講演のため、会場が大きくて黒板等が使えない。仕方なくPPを使用予定)。半分程度は終了。
 祖父母のところに下宿している大学生の次男が、久しぶりに夜やって来る。しかし妻は、その次男の戸山高校時代のバスケ部メンバーのお母さん方と、神楽坂での飲み会に出かけていて留守。長男は私のRX-8でドライヴに出かけているし、三男は渋谷のジムへ行っているのか、あいにくみんな留守。【2009年7月25日記】

◎ 2009年7月20日(月) 朝日カルチャー講座「哲学の読書会」第3期の初日。新規の人も数人いる。第1期・第2期に読んだ箇所を復習するために資料を配布してしゃべったら、1時間かかってしまう。後半1時間でようやく、特殊な二人称用法の話へ進む。【2009年7月21日記】

◎ 2009年7月18日(土) 前期打ち上げの飲み会を、卒業生(昨年度の夜哲メンバー)+今年度の演習生で、鳥良・青山店にてやる。その後宮益坂方面へ移動して、二次会・三次会までやって、最後は終電に間に合わなくなった人も・・・・。今回最大のトピックは、T君の新しい彼女が、メンバーみんなが知っていて、夜哲の会にも参加していたあの「魔性の美女」Kさんであること、そしてそのことにまつわるT君の深き悩みと流した涙。このような若き喧噪に飲み込まれた次の日は、50歳を越えたおじさんにとっては、その反動でぐったり(楽しかったけどね)。【2009年7月19日記】

◎ 2009年7月16日(木) 「図書館での出会い」というテーマで、図書館報用の原稿(1200字程度)を依頼されている。いい機会と考えて、『足裏影』所収の「Love Letter」では書けなかった「図書室」シーンに焦点を絞った映画紹介を書いてみた。タイトルはそのまま、「映画『Love Letter』の図書室」。【2009年7月16日記】

◎ 2009年7月15日(水) 本日は会議一つ。心理学科の小俣和義、薬師神玲子、坂上裕子の各先生と4人で、CIVETTAにて昼食会。その後、セレブ・デ・トマトに移動して、午後4時までお茶(私は珈琲、他の3人はそれぞれ種類の違うトマト・ジュース)。

 朝日出版社のページ内にブックファースト京都店『足の裏に影はあるか?ないか?』入不二基義先生ブックフェア!というページがあることに気づく。【2009年7月15日記】

◎ 2009年7月12日(日) 土曜の夜は、息子たちはそれぞれ遊びに出かけているし、妻も友人たちとの飲み会で、深夜になっても誰も帰って来ない。そんな時、たまたま、テレビ朝日 21世紀新人シナリオ大賞ドラマ「ゴーストタウンの花」の再放送(0:30-1:25)をやっているのを見つけて、一人で観る。とてもとても気に入ってしまう。桜庭ななみが演ずる柳川しおりも最高。秋にDVD化が決定していることを知り、早速予約。

 日曜午前中に、都議選の投票を近所の中学校で済ます。これから、上野修さん、永井均さんと、品川で昼食会(BOBOS Shinagawa  Queen Alice)。「<私>の言語論的存立構造の哲学的研究」のシンポジウムを中心に書籍化する件に関しても、相談する予定。【2009年7月12日記】

◎ 2009年7月10日(金) ブックファースト京都店の神内冬人さんが、ブックフェアの現場の画像を送って下さったので、「告知」の中に載せました。一枚目を見てもらうと分かるように、私の顔写真+飼い猫のキドの顔写真がパネルになっています。【2009年7月10日記】

◎ 2009年7月8日(水) 本日は午後から会議2つ。
 小説家の横田創(よこた・はじめ)さんという方が、
 今発売中の『すばる』8月号(集英社)・紀行特集「すばるさんぽ部」の、
「原宿・千駄木・代々木上原 意識の自然学」というエッセイの中で、
『足裏影』を取り上げてくれています。(書影も載っています)

 公園・絵本・料理・哲学・詩というパートに分かれている「散歩記」になっていて、
余白的な散歩と思いが、適度な速度で移動していく感じが、とても気持ちのいい文章です。
 「あらかじめ失われた(ている)」という表現が、何度か繰り返されることの余韻と、
途中で「わたしは」が「わたしたちは」に変わる箇所があって、待ち合わせの相手は
誰だったのかな?という思いが、読後に残りました。

 横田さんの文章の中に出てくる入不二基義は、実際の私よりも「かっこいい」感じがします。
文章だけで出会っていて、面識がないからこそ、こういう良きことがもたらされるのでしょう。

 たとえば、こんな感じです。一部分だけ引用します。

「入不二基義は文化人類学者や社会学者と、さらには文芸評論家や小説家と同じ位相で
哲学をする。彼の思考の中ではいつも経験と思惟が背中合わせに「無関係という関係」の
中で向き合っている。(・・・)」(p.138)

「(・・・)そこでわたしたちが彼の思考とともに目にすることとなる景色はいつも爽快で、
意識の自然を、その絶望を、小菅刑務所とドライアイスの工場(坂口安吾)を眺めるように
見ることができる。(・・・)」(p.139)

 その他、画狂人ホルスト・ヤンセンや『良いおっぱい悪いおっぱい』の伊藤比呂美や料理の
レシピなども登場する、楽しい「散歩紀行」です。ぜひお読み下さい。【2009年7月8日記】

◎ 2009年7月6日(月) ブックファースト京都店でのブックフェアは、先週末から始まったようです。テーマと選書を上の方の「告知」のところに載せておきました。ご参考までに。【2009年7月6日記】

◎ 2009年7月5日(日) 霜康司氏(霜栄氏の弟、私はやっさんと呼んでいる)からのご招待で、「トーキング・トゥ・テロリスト」を観るために、東池袋のあうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)へ妻と出かける。
 イギリスの劇作家 Robin Sones 氏の戯曲を、霜康司氏と演出の古城十忍氏が翻訳。アイルランド共和軍(IRA)の元メンバーや、パレスチナ、ウガンダ等で実際にあった事件の実行組織の元メンバー、そしてイギリスの元国務大臣や外交官らに取材をして集めた証言を再構成した「ドキュメンタリー・シアター」という形式の舞台。

【2009年7月5日記】

◎ 2009年7月1日(水) 午後から、図書館関係の委員会。
 『週刊朝日』で書評を書いてくれた朝山実さんが、
日経ビジネス・オンライン」の 「トップ > ライフ・健康超ビジネス書レビュー」で、
『足の裏に影はあるか?ないか?』を哲学してみよう〜とことん考えることの効用という記事を書いてくれています。ご参照ください。【2009年7月1日記】

◎ 2009年6月30日(火) 「告知」のところに、綾女欣伸さんが送ってくれた「選書フェアのパネル」を載せました。
 本日の「読売新聞」朝刊の2面「顔」に、日本時間学会の初代会長として、辻正二先生(山口大学人文学部教授・時間学研究所所長)が紹介されていました。

【2009年6月30日記】

◎ 2009年6月28日(日) 土・日のみ内部を一般公開している「明治生命」を見学しに、妻といっしょに丸の内へ出かける(要人来日のため、首都高を含めて検問中の警官だらけ)。地下一階のオイスター・バー&シーフード・レストランで、ランチメニュー+生牡蠣を食す。この3週間ほど、喉の調子が悪いために、煙草を吸っていないし吸いたくならない。特にやめようともやめたいとも思っていないのだが、このまま吸わなくなってしまうのかもしれない。

  

【2009年6月28日記】

◎ 2009年6月25日(木) 綾女欣伸さんからの連絡で、火曜日に発売されている『週刊朝日 7月3日号』(6月23日発売)に『足裏影』の書評が掲載されていることを知る。朝山実氏に「まじめと遊び心の詰まった異色さだ」と評していただきました。 以下の画像が、『足裏影』の書評部分の拡大です。

  

【2009年6月25日記】

◎ 2009年6月24日(水) 午後から会議3種類。夕方5時半〜7時まで cafe les jeux(カフェ レ ジュ)にて、心理学科の北村文昭先生と、日本ブリーフサイコセラピー学会・夏の大会で依頼されている基調講演(「時間と死」)に関する打ち合わせと、哲学心理学談義。本日、妻は友人と軽井沢に遊びに行っているので、夕食は一人で外食。30分以上待つ経堂の鰻屋「寿恵川 」でうな重を食す。

 昨日の「大人になって振り返ってみた中学三年生」のさらに「裏話」みたいなもの(mixiのコメントのやり取りの中で書いたもの)を追記。【2009年6月24日記】

◎ 2009年6月23日(火)「雑文」のページに、かつて書いた(私的なものに近い)文章を2つ載せてみました。

「大人になって振り返ってみた中学三年生」(付記:2000年1月、山口市立白石中学校で(当時長男が中三に在籍)、「大人になって振り返ってみた中学三年生」という文章の作成が、父母に対して求められた。卒業を目前に控えた中学三年生に対して、配布された文章である。)

「保護者代表挨拶」(付記:2000年3月 山口市立白石中学校の卒業式で、保護者代表挨拶のための元原稿)
【2009年6月23日記】

◎ 2009年6月22日(月) 咳が止まらず微熱が続いているので、医者に行って薬を出してもらう。昨日「父の日」のプレゼントに、今年から社会人になって働き始めた長男から、ZIPPOのセットをもらってびっくり。【2009年6月22日記】

◎ 2009年6月21日(日) 体調不良がずっと続いている。
 ブックファースト京都店でのブックフェア(7月上旬〜7月末)のための「テーマ設定と選書とコメント」を終える。まだアップするのはまずいでしょうから、ブックフェア開始以後に、ここにも載せます。【2009年6月21日記】

◎ 2009年6月17日(水) 昨日から熱があって、のどが痛い。
 7月上旬〜7月末の予定で、ブックファースト京都店において、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)を中心にした、私の著書+選書のブックフェアをやっていただけることになりました。ご担当の神内(かみうち)さんから、編集者の綾女欣伸さんにお申し出がありました。

 私がテーマ・コンセプトを設定して、選書した本(15冊〜20冊、うち10冊ほどコメント付き)が自著といっしょに並びます。「入不二ワールドをより多面的に読者に向けて発信する選書フェア」とのことです。

 上の「告知」のところには、神内さんからのメールも転載させていただきました。ご覧下さい。
【2009年6月17日記】

◎ 2009年6月14日(日) 午後6時半に高尾山口で待ち合わせて、送迎バスに乗り合掌造りの集落「うかい鳥山」へ。友人の霜栄氏の誘いで、駿台現代文科のメンバーの集まりに参加する。霜さんの他は、飯田満寿男先生、稲垣先生、小金丸先生、駿台文庫の菊田さんと私で、合計6人。午後8時過ぎから「蛍タイム」。全座敷が消灯となり、小雨の中、蛍が放たれる。山口で見ていた自然に飛んでいる蛍とは違ってどこかぎこちなく、演出の幻想的音楽が余計。別の座敷の幼い子供たちは、真っ暗になったのが恐くて泣いていた。
 (私が駿台をやめて山口へ赴任する頃にご一緒して以来)十数年ぶりに飯田満寿男先生にお会いできて、「足裏影」のエッセイ集のことなどを含めて、お話しをすることができた。飯田先生のように、引退後も下の世代から敬愛され続ける「重鎮」(あるいはチェック機構)が、駿台現代文科の「背後」に控えていることは、組織のあり方に独特の「奥行き」を与えていると思う。しかし、この善き構図も、飯田先生一代限りの「個人芸」の世界なのかもしれない。
 11時頃解散のあと、霜さん・小金丸さん・私の3人は、下北沢に移動して、3時頃まで2次会。(また組織論のような話であるが)「異能(異才)」による中心と「政治的権力」の中心が、状況の偶然の中で一致してしまうことにより、独特の反感や劣等感情を周囲に醸成するということについて、私の分析を語る。【2009年6月15日記】

◎ 2009年6月13日(土) 明治大学(政治経済学部経済学科)の内田洋平君から問い合わせがあり、本日より「哲学文献講読演習」に、参加することになる。他大学からの参加者は2年ぶり。青学生にも刺激になり、いい雰囲気。卒業生(昨年度の受講生)にも声をかけて行う予定の「夜哲の会」は、7月18日(土)18:30〜に決定。幹事は心理学科4年の秋山豪君。【2009年6月13日記】

◎ 2009年6月8日(月) 夜7時から、聖イグナチオ教会にて、坂部恵先生の通夜の儀に出席。
 控え室で、お嬢さんと十数年ぶりにお話しをすることができてよかった。ミサの終わりに、喪主(奥様)より、坂部先生の最期の言葉のご紹介があり、その冒頭部分は「この世界は素晴らしいところだった」というものでした。
 終了後、知り合いの先生お二人と、坂部先生が指導教官だった学部時代の友人(彼と会うのも十数年ぶり)とそのパートナーの方もいっしょに、5人で夕食をとりながら、坂部先生の思い出話などをする。【2009年6月8日記】

◎ 2009年6月4日(木) 坂部恵先生がお亡くなりになったことを、新聞の訃報欄で知る。
 私の大学・大学院時代の本来の指導教官は黒田亘先生だったが、黒田先生が早くにお亡くなりになったために、その後の形式上の指導教官を、渡邊二郎先生に、さらに坂部恵先生に引き継いでいただいた。坂部先生の思い出を、一つ二つ書き記しておきたい。
 『足裏影』のプロローグに書いた「ある先生から呼ばれて・・・・」という話は、実は坂部先生のことである。そのときにもう一つ言われたことがあって、それは「娘をよろしく」ということであった。当時、私はバイトで駿台予備学校で英語を教えていたのだが、坂部先生のお嬢さんが私の授業を受講していたのである(就職前の大学院生としては、予備校で「活躍」していることは、指導教官には隠しておきたかったのだが、全部ばれていた)。
 お嬢さんが第1志望の大学に合格された後、私は、百合ヶ丘時代の先生のご自宅に招待された(妻もいっしょに)。「院生」としてではなく、「娘の先生」として。家庭の中での坂部先生は、いつもと違った印象で、何だか恥ずかしげで、いつもより「小さく」「大人しく」なっているような感じがした。
 私たち家族が山口へ引っ越す直前のことだが、坂部先生が、奥様の運転する車で、私の自宅(川崎市生田)まで来てくださったことがあった。当時私が飼っていた「カイロス」という名の犬を見たいからとおっしゃりながら、離れた土地へ赴任する教え子を激励しに来てくださったのである。
 その後は何年かに一度くらいの割合で、学会等でお会いしていた。ある懇親会の席で、新しい生活を始めたということを、とても嬉しそうに語っていた坂部先生が忘れられない。ご冥福をお祈りしたい。合掌。【2009年6月4日記】
 
◎ 2009年6月3日(水) 今日は夕方から会議。セノオこうじさんという方が、『足裏影』所収の「ゲームの階梯」について、更なる考察を展開してくれていますので、リンクを載せておきます。【 2009年6月3日記】
現実に階梯はあるか? ないか? (1)
現実に階梯はあるか? ないか? (2)

◎ 2009年5月31日(日) 一日中場所を変えながら寝ころがって小説を読み続けるという、至福の一日。ただし、妻も同じものを読んでいるために、喧嘩にならないように同じ本を二冊買うはめに。まだ何時間か読み続けられそう(現在・夜九時半過ぎなので)。【2009年5月31日記】

◎ 2009年5月30日(土) 青山学院大学の卒業生で、私の授業を受講していた堂園幸司さんが、クローズドの掲示板に「足裏影」の感想を書いてくれました。ご本人の許可を得て、哲学随想『足の裏に影はあるか?ないか?』のページに転載しました。【2009年5月30日記】

◎ 2009年5月27日(水) 一日会議・5種類。夜は、イタリアンの老舗「アントニオ」南青山本店にて、綾女欣伸さん・逸見陽子さんと3人で、「足裏影」の反省会。今の私の気持ちとして、「松田行正さんの装幀が、とても強力な持続力を持っていて、時間が経つにしたがって、いっそう私の中に深く深く浸透してきていて、毎日愛でていること」等を伝える。その他、編集者と著者の関係の問題や、綾女さんの編集者としての将来のことや、それぞれの親との確執の話などなど・・・、話題は尽きなかった。最後に少しだけ、「哲学の読書会」を本にするという(ひょっとすると)次の企画(になるかもしれないもの)について、私の方からアイデアを述べる。【2009年5月27日記】

◎ 2009年5月24日(日) 本日は午後から、友人の招待により大相撲・千秋楽(両国国技館)を観戦に行く予定。優勝決定戦や三つ巴の可能性もあるが、はたしてどうなるか。
 【帰宅後の追記】「興行」の興行らしさ、相撲取りとすれ違うと分かる「鬢付け油」の甘い匂いなどは、テレビ観戦では分からない最たるものかな。日馬富士が優勝決定戦を制して、座布団が舞ったときに、麻生首相についていた屈強なSPたちが立ち上がって、飛んで来る座布団と「対決」していた(これも仕事なのだろう)。【2009年5月24日記】

◎ 2009年5月21日(木) 高校生の息子から、saveとspareの違いについて質問された。以下、私が試みた説明。
 saveとspareには、意味がほぼ重なっている領域(I)と、意味が異なる領域(II)の両方がある。いわば、saveとspareを二つの円だとすると、二つの円は重なりつつ、ずれているので、その重なりとズレの両方をうまく捉えるのがいい。
 まず、「意味がほぼ重なっている領域(I)」から。
 saveは<全体あるいは部分を、力が及ばないように取り除けておく>ことで、spareは<余分・予備として、力が及ばないように取り除けておく>ことである。どちらも、「取り除ける」「省く」という点では、等しい(ニュアンスの違いはあるとしても)。だから、saveとspareは、ある程度、置き換え可能な(どちらも使える)場合がある。
 しかし、共通(共有)部分を持ちながらも、saveとspareには以下のような「意味が異なる領域(II)」もある。
 saveは<取りのけておいたものを、使わずに保管する>ことに強調点があるのに対して、spareは<取り除けておいたものを、別途利用する>ことに強調点がある。すなわち基本的には、前者は「使わない(とっておく)」、後者は「使う」という「逆方向」のベクトルを持っている。
 この点に注目すれば、以下のような選択問題は、容易になるのではないか。3.はセンター試験の問題らしい。1の「(時間を)割く」という訳語と、2の「(時間を)節約する」という訳語を比べてみると、saveとspareのベクトルの違いがよく表れている。

1. Excuse me, could you (save, spare) me a few minutes?
(すみませんが、ちょっとお時間をいただけませんか。)
→ 「余分な時間を割いて、私のために使う」のだから“spare”を選択。

2. The airport express train will probably (save, spare) you about 15 minutes.
(エアポート・エクスプレスに乗れば、おそらく約15分節約できる。)
→ 「(かかる全体時間のうちの)15分という部分を、使わないですむ」のだから“save”を選択。

3. Susan gave up her job, so she has a lot of time to (save, spare).
(スーザンは仕事を辞めたので、(余分に)使える時間がたくさんある。)
→ 「仕事で埋まっていた時間が浮いて、その余分になった時間を別途利用できる」のだから“spare”を選択。

4. I will miss his fifth birthday. Have fun and (save, spare) me some cake.
(彼の5歳の誕生日に行けなくて残念。楽しんできてね。私の分もケーキを取っておいて。)
→ 「ケーキの一部を食べずに、そのままとっておく(別途利用しない)」のだから、“save”を選択。

 この説明方式を使うと、たとえば、
We will (  ) no effort in providing necessary assistance and cooperation.
という文では、spareが利用されることが圧倒的に多く、saveの使用はなくはないがspareと比べると少数であることも、説明がつきそうだ。【2009年5月21日記】

◎ 2009年5月16日)(土)土曜日は授業が入っているので、授業がある時期に行われる学会等は出席できない(日本哲学会の日だけど)。
 研究室にて、埴谷雄高を研究対象にしている院生(立教大学大学院博士課程・日本近代文学専攻)と2度目の会談(cf.2009年4月26日(日)の記述)。指導教員の石川巧氏が友人だということもあって、哲学に関しては、個人的に研究上のアドバイスをしていくことになる。
 演習の授業で、学生がなかなかいい質問をするので、嬉しくなる。「(こんなに鋭いのに)心理学をやっているのでは、もったいないんじゃない?」という「問題発言」をしてしまって、学生たちは苦笑。【2009年5月17日記】

◎ 2009年5月14日(木) 朝日新聞朝刊2面・全5段広告の一部に、若島正さんのことばを添えて、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)の広告が出ました。【2009年5月14日記】

◎ 2009年5月12日(火) 昨日11日(月)の夕方から2時間、新宿京王プラザ「樹林」にて、NHK出版の大場旦さんと、NHKブックスの執筆についての打ち合わせ。まだ書き始めてもいない講談社メチエの『運命論の哲学(仮題)』が終わった後の仕事なのに、もう目次案まで提出(笑)。大場さんの「強面」(編集者としての手腕)ゆえか?その後、筑摩書房の増田健史さんも合流して、同じ京王プラザホテルのイタリアンレストラン「フォルトゥーナ」で、3人で夕食会。お二人の「足裏影」評なども聞かせてもらう。【2009年5月12日記】

◎ 2009年5月11日(月) 「公開原稿」に、「「論理」をはみ出していく「現実」」(『心理臨床研究』第9巻巻頭言, 青山学院大学大学院文学研究科付置心理相談室発行, 2009年3月発行)を追加。この原稿は、「あるパズル」(『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)所収)の続編である。【2009年5月11日記】

◎ 2009年5月10日(日)<2> 仕事がようやく一段落した日曜日なので、シネマヴェーラ渋谷に、「緑魔子伝説」のシリーズで上映中の、『帰って来たヨッパライ』(監督:大島渚、1968年、主演:加藤和彦、北山修、端田宣彦、佐藤慶他)と『あらかじめ失われた恋人たちよ』(監督:清水邦夫、田原総一朗、1971年、主演:石橋蓮司、桃井かおり、加納典明他)を観に行く。エッセイ集の中で(「あらかじめ失われた・・・・」で)扱った『あらかじめ失われた恋人たちよ』が本日と12日(火)に上映されることもあって、映画館のご厚意で、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)を、パンフレットの横に置いていただけることになる。そちらの「偵察」も兼ねて。【2009年5月10日記】

 担当編集者の綾女欣伸さんも、シネマヴェーラへ『あらかじめ失われた恋人たちよ』を観に行ったそうで、写真を撮って送ってくれました。写真でも分かりますが、オリジナルのポップ(のようなもの)も作ってくれていました。5月22日までの特集期間中、置いていただけるそうです。【2009年5月10日追記】



◎ 2009年5月10日(日) ML(IRIFUJI_FanClub)の管理人・竹下哲郎さんが、神田の東京堂書店の「書評でとりあげられた本です」コーナーに、『足裏影』が置かれていたことを報告してくれました。添付してくれた写真を、(ちょっとぶれているけど)記念に貼り付けておきます。【2009年5月10日記】



◎ 2009年5月7日(木) ようやく、2つの仕事を終了。一つは、シンポジウム「〈私〉とは何か―永井均に聞く」をテープ起こしした原稿の「入不二担当分」の直し(科研報告書用、なおこれをもとに本を作る計画もあり)。もう一つは、『時間学研究』第3巻(山口大学時間学研究所)に掲載予定の論文「「私の死」と「時間の二原理」」(40枚ほどの原稿)の執筆。【2009年5月7日記】

◎ 2009年5月5日(火) 昨日5月4日(月)の「合評会&飲み会」は、9人参加(下の写真には、撮影者ともう一人が写っていません)。新宿「結庵」にて19:00〜22:30、その後場所を「樹林」に移して24:00まで。(哲学好きのメンバーが集まっているとはいえ)一般読者の「生の声」を聞くことができて、しかもこんなに自分の本のことばかり喋って歓迎される場というのは、有り難いものです。私の方は、私信で寄せられた感想を紹介したり、作成過程でのエッセイの順番の変遷についてや、自分としていちばん好きなエッセイはどれかなどの話もしました。【2009年5月5日記】




◎ 2009年5月4日(月) この連休中に『時間学研究』(山口大学時間学研究所)に掲載予定の原稿「「私の死」と「時間の二原理」」を仕上げなければならないので、どこにも出かけられない。唯一の息抜きは、本日の夜、ML(IRIFUJI_FanClub)のメンバーたちが企画してくれた、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)の合評会&飲み会に参加すること。【2009年5月4日記】

◎ 2009年4月29日(水) 本日午後、「ウエスト青山ガーデン(WEST AOYAMA GARDEN)」にてお茶。テラス席は日差しが強すぎて長居できず。【2009年4月29日記】

◎ 2009年4月26日(日) 昨日蔦珈琲店にて、石川巧さん(立教大学教授・日本近代文学)から依頼されて、立教大学大学院博士課程の院生(日本近代文学専攻)と会って、埴谷雄高と哲学などについて話をする。
 26日(日)の毎日新聞の朝刊「今週の本棚」に、拙著『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)の書評が出ていることを知る。webでも読めるようです→若島正氏(京都大学教授・アメリカ文学)による「果てしなき思考の逸脱」というタイトルの書評です。「・・・・入不二基義という奇観・・・・」という表現には、思わず(^_^;)。
 そういえば、飯倉洋一さん(大阪大学教授・日本近世文学)のブログでは、「近世流にいえば「畸人」である。」と言われていたしなぁ。「奇(畸)」はキーワードか?【2009年4月26日記】

◎ 2009年4月18日(土)の夜から、ウィルス性胃腸炎のため嘔吐と下痢を繰り返し、悲惨な状態で過ごしていたが、22日(水)になってようやく回復(まだ体力は万全ではないが)。この間遅れてしまった二つの仕事を再開せねば。【2009年4月23日記】

◎ 2009年4月16日(木) このところ、シンポジウム「〈私〉とは何か―永井均に聞く」をテープ起こしした原稿の直しと、『時間学研究』(山口大学時間学研究所)に掲載予定の原稿「「私の死」と「時間の二原理」」の執筆を、平行してやっている。前者のテープ起こしした原稿を読んでいると、自分の発言なのに、今となっては何を言おうとしているのかよく分からない箇所がある(嗚呼!)。【2009年4月16日記】

◎ 2009年4月13日(月) 田島正樹さん(千葉大学教授・哲学)が、ご自身のブログ「ララビアータ」で、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)の評を(私宛の手紙も転載して)書いてくださっている。私の方も、田島さん宛のはがきを転載しつつ、コメント。【2009年4月13日記】

◎ 朝日カルチャーセンター・新宿の講座(哲学の読書会)の受講生たちとやっているMLがあります。その管理人である竹下哲郎さんが、『足裏影』の感想をMLにアップしてくれました。ご本人の許可を頂いたので、(メンバー以外の)多くの読者にも読んでもらえるように、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)のページの下の方に、転載します。【2009年4月12日記】

◎ 2009年4月11日(土) 本日から新年度の授業開始。夜は新宿にて、石川巧・霜栄と三人で終電まで飲み会(この三人で集まるのは、一年ぶりくらいか)。
 amazonの『足裏影』に初レビューがついている。レビューアーの「お気に召すまま」さんは、「(・・・)話題は多岐にわたる。だが全体を通読すると、そこには一貫して何とも言えない”解放的な気流”が流れているのを感じる。」と書いてくれている。著者としては嬉しいひとことである。【2009年4月12日記】

◎ 2009年4月10日(金) 『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)の略称は、「足裏影」がいいのでは? 本のタイトルについては、逸見陽子さんがメールの中で、「得体の知れない「何か」に問いかけられているような気がして(改めてタイトルの「良さ」を感じた)」と書いていて、この感覚は面白いと思いました。たしかに、あの装幀の雰囲気と相まって、正体不明の妖怪みたいな存在から、答えを迫られているような感じもあるかな。【2009年4月11日記】

◎ 2009年4月8日(水) 水曜は一日会議日。7日(火)近江屋洋菓子店(神田店)に妻と出かける。ドリンクバー+ケーキを試す。買って帰った「清美オレンジのムース」が絶品。近江屋洋菓子店の本郷店は、学生・院生時代によく通ったお店だが、神田店は初めて。お店のページに加えておこうと思う。【2009年4月9日記】



◎ 2009年4月7日(火) 本日の朝日新聞朝刊・東京本社版(大阪、名古屋、西部本社版は04月09日掲載)の2009年4月7日の「サンヤツ(三八ツ)」広告に、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)が出ています。リンクはこちら。  【2009年4月7日記】




◎ 2009年4月4日(土) 新入生歓迎会の準備と本番で、ぐったり。以下の写真は、ジュンク堂(新宿店)の哲学コーナーにて撮影したもの(私の撮影ではないです)。【2009年4月5日記】



◎ 2009年4月3日(金) 午後から、明日の新入生歓迎会の(交流委員の学生たちによる)準備に立ち会う。今日は、綾女欣伸さんは三省堂本店(神保町)をチェックしてきたそうで、写真を送ってくれました。【2009年4月3日記】



◎ 2009年4月2日(木) 昨日(4月1日)は、心理学科2年生のオリエンテーションのために、相模原キャンパスへ。遠藤健治先生といっしょ。本日、綾女欣伸さんが、恵比寿駅ビル内の有隣堂に『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)が置かれている写真を送ってくれたので、以下にアップします。【2009年4月2日記】



◎ 2009年3月31日(火) ある人から、書店に行って『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)をさがしたけど見つからない、と言われたので、ひとこと。本日が取次搬入のようなので、4月2日(木)には書店に並ぶと思います。【2009年3月31日記】

◎ 2009年3月30日(月) 「告知」のところに、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)の立体的な画像を追加。【2009年3月30日記】

◎ 2009年3月30日(月) 飲み会のため、昨夜(今朝)4時半頃にタクシーで帰宅。帰宅しても眠れないままネットを見ていたら、友人の飯倉洋一さん(大阪大学)が、彼の忘却散人ブログに、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)の感想を書いてくれていることに気づく。書評第1弾であると同時に、嬉しく励まされるコメントをいただいたので、ここにもリンクを貼っておきます。【2009年3月30日記】

◎ 2009年3月28日(土) cogito研究会(於:学士会館)、14:00-19:00 野村智清「排中律を読み解く」、青山拓央「(小見出しより)分岐問題、作用と決定、多世界説、単線的決定論、現実主義と可能主義」。研究会後は、いつもの中華料理店で9時過ぎまで夕食会。【2009年3月29日記】

◎ 朝日出版社のHPに『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)の紹介がアップされています→ここ
 本日、綾女欣伸さん・逸見陽子さんとお会いして、見本本を受け取りました。「ようやく、ここまでたどり着いた」という感じ。松田行正さんに担当していただいた装幀は、いい意味で「不思議な」表紙に仕上がっていますし、帯を外したときの「反転」など、いくつかの「仕掛け」も面白く、類のないカバーです。ぜひ手にとって、その面白みを確かめていただければ、と思います。【2009年3月25日記】

◎ 2009年3月23日(月) 心理学科2008年度生の卒業パーティと謝恩会(於:青学会館)。こんなにたくさんのドレスアップした美しい女性たちとパーティを楽しめるのは、心理学科の教員の「役得」かも。今年の4年生では、特にゼミ生の原真幸さんと保屋野慎司くん、演習生の加藤美沙さん・平田和之くん・高東義幸くん・平野誠くんたちとは、(3年生の時以来)楽しい2年間を過ごすことができました。みなさん、ご卒業おめでとうございます。
 ↓謝恩会後に撮った写真です。

【2009年3月24日記,3月26日追記】

◎ 2009年3月20日(金)〜22日(日) 山口大学へ出張。20日(金)日本時間学会設立準備委員会に外部委員として出席。21日(土)時間学特別セミナーにおいて、「「死の捉え方」と「時間のメタ様相」」というタイトルで発表。22日(日)時間学研究所の初代所長の井上愼一先生の退官記念パーティに出席。【2009年3月22日記】

◎ 2009年3月19日(木) 紀伊國屋BookWebのページには、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)の表紙画像と詳しい紹介が出ています。amazonのページには、画像と紹介はまだ。【2009年3月19日記】

◎ 2009年3月19日(木) 2009年3月27日刊行の 『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)のカバー(帯なしと帯あり、松田行正さん作)の画像をアップしました。【2009年3月19日記】

◎ 2008年3月18日(水) 下記の「時間学特別セミナー」(山口大学・時間学研究所)についての案内が、ここにあります。【2009年3月18日記】

◎ 2009年3月16日(月) 朝日カルチャーセンター・新宿の「哲学の読書会−『転校生とブラック・ジャック』を読む」の4回講座(2/2, 2/16, 3/2, 3/16)の最終日。次期の4回は、7/20, 8/3, 8/31, 9/7の予定。記念に竹下哲郎さん撮影の写真を一枚。10時半まで、いつものように受講生とお茶。
 この数日は、3月21日(土)に「時間学特別セミナー」(山口大学・時間学研究所)で話す予定の、「「死の捉え方」と「時間のメタ様相」」のレジュメを作成中。【2009年3月17日記】


◎ 2009年3月10日(火) 上記「告知」のように、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)は、3月25日に見本刷り、3月31日配本(奥付記載の刊行日は「3月27日」)、書店に並ぶのは4月あたま、ということになりました。「こういう本を、ずっと書きたいと思ってきた。」(←これ、帯の文言の一部でもあります)という本を、ようやく出版できます。【2009年3月10日記】

◎ 2009年3月7日(土)〜3月8日(日)
 シンポジウム「〈私〉とは何か―永井均に聞く」出席のため、大阪大学・21世紀懐徳堂スタジオへ。60名ほどの出席者があり、時間も延長して盛況のうちに終了。シンポジウムの中身(一部)に関しては、以下のメモを参照。

 夜は、石橋で懇親会の後、永井・勝守・古荘・青山・私の5人で、梅田のカフェで12時まで過ごす。翌日、上野・永井・私の3人で、昼を京町堀の「アースカフェ」で過ごして、午後2時過ぎの新幹線にて帰京。

 以下、私の発表に対する(特に)永井さんからの応答、およびその後のやりとりの中から、私が特に重要な論点として受け取ったことを、メモとして残す。細かい論点は、他にもいくつもあるが、それは省略。

(0)
 現実性の「この」と「私」「今」等とのつながりという問題が、最大の争点だったと思う。この争点に関して、「入不二←永井→青山」のように、入不二と青山が両極で対立し、永井がその中間的なポジションという関係にあったと思う。

 私(入不二)は、「この」が特に「私」や「今」に付くことを、「方便」「きっかけ」としてはその役割を認めつつも、それを通して捉えられる「現に」という現実性は、「私」「今」にだけ付くものだとは考えない。むしろ、現実性の「この」は、何にでも付きうる(いや現にあるゆるものに付いている)と考える。すなわち、「現に」という現実の全一性(それが全てで、それしかないこと)は、いわゆる「私」(意識や主観等)という問題場面とは、(その場面が現実性を理解する適切な方途の一つではあっても)ほんとうは関係がないのだと考える。

 それに対して、青山は、「この」の後に来るものには、一定の範囲が本質的にあって、何らかの基準によって選ばれていると考える。また永井は、現実性の「この」が、入不二的な離脱性を持つことをある程度認めつつも、なお青山的な限定(主観や心や意識などに関するものが来る)ことを保持しようとする。そのような意味で「中間」である。

 【追記:私(入不二)としては、青山の言うような「基準」が働いていることを否定しないし、する必要もないと思う。私自身も、「方便」「方途」としては、一定の何かが後ろに来ることは認めるわけだから、適切な「方便」「方途」としての「基準」はあっていいし、あるはずである。

 ただし、現実性の「この」の後に来るものは、「心的な領域」という基準ではないだろうと思う。むしろ、「全体」という表象を形成しやすいもの(全てを覆うと考え得るもの)というのが、基準ではないかと考える。ある種の傾向性を持った人は、心的な領域が「全体」を覆うと考えやすいから、意識や主観が来ると「この」が付くことを納得しやすいのである。しかし、必ずしも「心的領域」である必要はない。たとえば、「世界」は、現実性の「この」の後に来るが、「椅子」は来ないと感じられるとすれば、これも前者が「全体」を表象し、それに対して後者は「部分」を表象させてしまうからである。

 なお、なぜ「この」「これ」という表記だけが特権的に選ばれて、「私」「今」等の方ではないのかと言えば、通常の「私」「今」の用法に残る「内包」性を捨てて、内包無関与的な現実性を表そうとするためである。しかも、通常の「この」「これ」の用法に残る「近接性」は、「現実には外がないこと」、いわば「遠隔性がないこと」を表象するのに相応しいと考える。】
 
(1)
 「マイナス内包」を追加するという論点に関して、永井の応答は、追加することもしないことも、どちらも可能であり、その違いは「立場」的な相違に過ぎないというものであった。言語ゲーム的あるいは反実在論的な哲学的立場においては、「マイナス内包」的なものを無意味なものとして退けるが、それに反対する立場は可能であるし、これまでにもあった。どちらの立場にしても、基本の図式は共有しているので、大きな問題ではない。

 【追記:永井の言う通りだと思うが、私が重視したいのは、以下の点である。永井がとりあえず立つと宣言した側(「言語ゲーム的あるいは反実在論的」な立場)の中に、すなわち『なぜ意識は実在しないのか』の叙述の中にも(中にこそ)、その逆の(「マイナス内包」的なものを許容する)方向が見いだせてしまう、という点である。私の「論点1」は、永井に違う立場の考え方をぶつけて、それを追加しようとしたのではなく、むしろ永井の叙述の持つ可能性(たとえば、「自立」化という方向性や「逆襲」という考え方)を、展開しようとしたに過ぎない(と思われる)。ということは、重要なのは、「図式の共有と立場上の違い」というよりも、「基本の図式の中での一方から他方への移行・転換」なのではないか。あるいは、両方の立場を同時に持たざるを得ない必然性。】

(2)
 「無内包(性)」に関わる議論が、最大の論点であることは、(0)に書いた点でも明らかである。特に永井が提示する疑義は、「この」はほんとうに完全に「無内包」なのか、私とか今など、意識や心に関するものに付かざるを得なくて、「内包」は残るのではないか。まったく「無内包」だとすると、現実性が現実性だけで自立して離存することになってしまわないか(現実性のオバケ?)、ということであった。

 この問いに対する私の応答の一つは、0.に書いた通りである。もう一つ応えておかなくてはならないのは、現実性の「この」が、特に心的な領域とは関係がない(あるいは「無内包」である)という主張は、現実性の「離存」を主張はしてはいないという点である。あくまでも、「現に」という現実性には、どんな「内包」も無縁・無関与であるということであって、その現実性が「内包」から離脱して、それだけで存在できるということではない。たしかに「無内包(性)」という用語もミスリーディングなところがある。「内包無関与(性)」と言い直した方が、いいのかもしれない。

 また、「無内包(性)」を、「実質」に対比された「形式(形相)」に重ねる理解が、上野の発表あるいはフロアからの質問の中に見られたが、これは誤解である。無内包(内包無関与)な現実(性)とは、もちろん「実質」ではないが、「形式(形相)」でもない。「現に」というあり方とは、そうなっているしかないという「仕方のなさ」であって、その意味での「受動性」である。「実質」「形式」と対比させてあえて言うとすれば、「力(の被り)」である。

(3)
 「「クオリアの逆転」が「後」で生じうるのだとすれば、それに相当することが、「始め」からすでに生じていたかもしれない」「「後」から生じうることは、いつ生じてもおかしくないし、「始め」から生じていてもおかしくない」という考え方を、私は、「時間の平等原理・等質原理」に結びつけて語った。しかし、永井はこれに疑義を表明して、前者は後者とは関係ないのではないかと指摘してくれた。

 なるほど。ここには、もう少し丁寧に考えなくてはいけない問題があることを、永井は示唆してくれた。むしろ、(一つの代替案として言えば)こう考えるべきかもしれない。クオリアの逆転の「始めから−化」には、意味論/存在論のあいだの優位性の転換が含まれているが、この転換の方こそが、むしろ時間の等質化・平等化をもたらしているのではないか、と。

(4)
 私のまとめのことば「<私>にはクオリアはない」に対して、永井は「<私>こそが唯一のクオリアだとも言える」と応答した。これは、お互い違うことを言おうとしているのではない。むしろ同じことを別の方向から言っているように思う。そして、永井は「そもそも「クオリア」は何を表しているか意味不明」とも付け加えた。まったく、その通りだと思う。いわば、「クオリア」という用語は、意味が通じ了解可能なときには、その用語は特に必要のないもので、その用語が必要になるときには意味不明になるというような言葉であると思う。
【2009年3月8日記】

◎ 2009年3月4日(水) シンポジウム原稿「<私>とクオリア ―マイナス内包・無内包・もう一つのゾンビ―」から、PPTファイルを作る作業も終わって、MLで送信。これで、シンポジウムのための私の準備は完了。【2009年3月4日記】 

◎ 2009年3月3日(火) 昨夜、「哲学の読書会」終了後に、綾女欣伸さんから、『足の裏に影はあるか?ないか? ―哲学随想―』(朝日出版社)のカバー(帯なし・帯あり)と本表紙のデータを見せてもらい、いくつか協議を経て確定する。帯の文言も、改訂を経て確定する。3月下旬出版の予定。本日は大学院の教授会で、夜は霜さんと久しぶりの会合。【2009年3月3日記】

◎ 2009年3月2日(月) 腰はまだよくならず、整骨院通いは続く。今夜は、朝日カルチャーセンター「哲学の読書会」の3回目。
 山口大学時代の友人・飯倉洋一さん(大阪大学)が、彼の忘却散人ブログで、『思想』(岩波書店)2009年第3号・No.1019 「瞬間と偶然をめぐって」の座談会についての感想を書いてくれているので、興味のある方はどうぞ。
 シンポジウム用の原稿「<私>とクオリア ―マイナス内包・無内包・もう一つのゾンビ―」ですが、読みたいという要望もあるようですので、アップして公開することにします。上記「告知」のシンポジウムお知らせのところに、リンクを貼ります。【2009年3月2日記】

◎ 2009年2月28日(土) 午後から大学院の入試業務。シンポジウム用の原稿「<私>とクオリア ―マイナス内包・無内包・もう一つのゾンビ―」の直しをしていると、きりがない感じ。完成とまでは言えないが、「今月中」という上野修さんに言われた締め切りの方を重視して、MLでメンバーに送信。これから、発表用のパワーポイントファイルを作成せねば。【2009年2月28日記】

◎ 2009年2月27日(金) 『足の裏に影はあるか?ないか? ―哲学随想―』(朝日出版社)の「束見本」(本文は白紙だが、実際の製本時と同じ紙で製作された見本のこと)が、綾女欣伸さんから届く。本文用紙は、「ラフクリーム琥珀」と「クリームエレガバルキー」という二種類の候補があるが、本の開きやすさ・読みやすさを考えて、「ラフクリーム琥珀」を選択ということになる。カバーを外した表紙としおり紐はお揃いの「ワインレッド」、「花切れ」と呼ばれる部分の「赤」との組み合わせがいい。装幀のデザイン一式は週明けにはあがる予定とのこと。あともう少しである。
 
 シンポジウム用の原稿「<私>とクオリア ―マイナス内包・無内包・もう一つのゾンビ―」は、完成に近づく。これからもう少し手直しをして、明日中には科研のメンバーには送信できる見込み。この原稿をもとに、パワーポイントのファイルを作成する仕事は、まだこれから。
 冒頭の部分だけ、以下にアップ。
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 本発表では、永井均著『なぜ意識は実在しないのか』(岩波書店, 2007年)の議論に依拠しつつ、次の相互に関連した四つの論点を考察する。以下、特に断らないかぎりは、引用文は同書からのものであり、ページ数のみを記す。

(1)永井の「第0次内包」に対して、「マイナス内包」という段階をさらに追加する。
(2)独在性の<私>・最上段の「これ」は、「無内包」であることを主張する。
(3)「無内包」性は、「ゾンビであること」に、さらにもう一つの意味を提供する。
(4)二つの時間の原理と「今秘性」との関連を探る。

 永井は、同書の「はじめに」ivページで、「ゾンビ」「意識」に関わる3つの主張と、それぞれの主張の複数の異なる意味について述べている。それとの関連で本発表のモチーフを言えば、次のようになる。永井が述べる「複数の異なる意味」をさらに増やし、弁証法的な段階をより複雑化する。
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【2009年2月27日記】

◎ 2009年2月22日(日)またまた腰を悪くしてしまい、座るのも立ち上がるのも一苦労。シンポジウム用の原稿「<私>とクオリア ―マイナス内包・無内包・もう一つのゾンビ―」が、さらに少し進展。論点は少しだけ変わって、次のような4つというのが、現段階。
(1)永井の「第0次内包」に対して、「マイナス内包」という段階を追加する。
(2)独在性の「私」・最上段の「これ」は、「無内包」であることを主張する。
(3)「無内包」性は、「ゾンビであること」に、さらにもう一つの解釈を提供する。
(4)「今秘性」の可能性を探る。
【2009年2月23日記】

◎ 2009年2月20日(金) シンポジウム用の原稿が、少し進展。副題をつけて、「<私>とクオリア ―マイナス内包・無内包・もう一つのゾンビ―」としたらどうかなと、思案中。せっかく進み始めたのに、明日はまた一日入試業務なので、中断せざるを得ない。あーあ。
 昨日、『足の裏に影はあるか?ないか? ―哲学随想―』(朝日出版社)の装丁に関して、カバーからソデへの流れの提示案が送られてきて、了承する。活字の印刷を発注したとのお知らせもある。【2009年2月20日記】

◎ 2009年2月19日(木) 昨日より、上記シンポジウム(ここにも案内あり)の原稿準備を開始。「<私>とクオリア」と題して、以前【2008年7月26日記】にもメモした点、(1)(第0次内包ではない)マイナス内包の水準 (2)記憶の不成立による今秘性の成立 (3)「これ」にはクオリアは(あるのでもないのでもないという仕方で)「ない」という自説について執筆予定。しかし今日は、一日会議なので先へ進めない。【2009年2月19日記】

◎ 2009年2月14日(土) 昨日、『足の裏に影はあるか?ないか? ―哲学随想―』(朝日出版社)の装幀ラフを手にして、楽しいおもちゃを買ってもらった子どものように、ドーパミンか何かが大量に出ているせいなのか、眠れない。12時過ぎに寝たのに3時には目が覚めてしまう。綾女欣伸さんからのメールを読むと、「松田さん、このラフをいただいたときに「耳なし芳一」という言葉もおっしゃっていました」とある。これには、驚く。昨日、ラフを見ながら、私は妻に「まるで耳なし芳一の世界だ」と言っていのだから。私の側と松田行正さんのあいだで「シンクロ」が生じている。そうなんです。「耳なし芳一」が、この装幀の一面をたしかに表しているのです。ああ、今日は、一日入試業務である。【2009年1月14日記】

 今日行われた立教大学の入学試験(社会学部、コミュニティ福祉学部・現代心理学部映像身体学科)・現代文第二問で、私のエッセイ「ゲームの階梯」が出ています。これもエッセイ集に収録されるんだけど。あとで自分でも解いてみます。【2009年2月14日追記】

◎ 2009年2月13日(金)『足の裏に影はあるか?ないか? ―哲学随想―』(朝日出版社)の装幀「新案」のラフが到着。ようやく、ここまで来たという感慨あり。まだみんなに披露できないのが残念なのだが、ちょっとした仕掛け・遊び心も入った「文字の世界」とでも言うべき表紙で、とても素晴らしい。「帯付」の案が五つ提示された中、私も編集者も「第二案」が一番いいという意見で完全に一致。よかった!
 pdfのラフ段階ではまだ分からない部分だが、松田行正さんは、(活版印刷の凸凹感ではなくて)金属活字のもつ「文字の佇まい」に徹底して拘っているとのこと。私の領分である「文章の佇まいの世界」と松田さんが取り組む「文字自体の佇まいの世界」との同調。装幀問題の着地点は、ここにあったという感を強くした。【2009年2月13日記】

◎ 2009年2月10日(火) 編集者との打ち合わせ二件。一つは、綾女欣伸さん・逸見陽子さんと会って、『足の裏に影はあるか?ないか? ―哲学随想―』(朝日出版社)の最終ゲラを渡す件。装幀の方は、松田行正さんに進めてもらっている「新案」のラフを木曜日くらいに見ることができそう。もう一つは、NHK出版の大場旦さんと会って、NHKブックスで執筆予定の哲学本に関して、コンセプトをすり合わせる話し合い。講談社メチエ(運命論の哲学)執筆後に始動する約束をする。本日夜は、ゼミ生+演習生との今年度最後の飲み会(夜哲の会)。
 岩波書店の互盛央さんから、論文+座談会が掲載される『思想』3月号が無事すべて校了になったとのお知らせメールが届く。3月号は、(3月はじめなのかと思ったらそうではなくて)2月25日(水)の発売予定とのこと。【2009年2月10日記】

◎ 2009年2月9日(月) 三男(高1)は渋谷のジムでキックボクシングを習っている。今日そこで練習相手になった人が、予備校で私に教わったことがある人だったと、先ほど帰宅してから伝えてくれた。練習時にお互いに名前を言い合うので、「いりふじ」と言うだけで「ばれてしまう」。この名前の「宿命」である。その私の教え子である「おじさん」は、ネットで見てみると言っていたそうなので、ここも見るかも。【2009年2月9日記】

◎ 2009年2月7日(土) 朝から夕方まで入試業務。『みすず』2009年1・2月合併号(読書アンケート特集)の中に、拙著『時間と絶対と相対と』の紹介を見つける。松野孝一郎氏(生物学)が、永井均著『なぜ意識は実在しないのか』(岩波書店, 2007)と、拙著『時間と絶対と相対と』(勁草書房, 2007)と、Henry.P.Stapp, Mindful Universe: Quantum Mechanics and the Participating Observer (New York, 2007)の三つを並べて、前述語判断/述語判断、運動・時間的な変化、現実の現在/可能的な現在、波動性/粒子性という視点(串)で貫いた紹介をしてくれている。【2009年2月7日記】

◎ 2009年2月5日(木) 『足の裏に影はあるか?ないか? ―哲学随想―』(朝日出版社)の原稿をもう一度読み直しながら、最終チェックをしている。何十回も(百回以上かも)読んでいる文章なのに、何度読んでも「古びる」ことも「あきる」こともまったくなくて、完成度が高いエッセイになっているなと思う(自画自賛!!)。【2009年2月5日記】

◎ 2009年2月4日(水) 綾女欣伸さんより『足の裏に影はあるか?ないか? ―哲学随想―』(朝日出版社)の三校ゲラが届く。これで最後の直しとなる。装幀の方では、松田行正さんの「新案」を具現化すべく素地の調査が終わって、「活版=凸版印刷」の利用も2色ならば可能という報告をいただく。「活版=凸版印刷」の利用は、松田さんからの提案で、文字の佇まいを表現するため。【2009年2月4日記】

◎ 2009年2月2日(月) 本日より朝日カルチャーセンター・新宿で、「哲学の読書会−『転校生とブラック・ジャック』を読む」の4回講座(2/2, 2/16, 3/2, 3/16)。授業とその後のお茶会の「興奮」のせいか、なかなか眠れなかったという報告がMLで複数ある。みなさん勤め人なのに、大丈夫なのだろうか?【2009年2月2日記、2月4日追記】

◎ 2009年1月31日(土) 午前から夕方まで卒論発表会。私のところのゼミ生二人(原真幸さんと保屋野慎司君)も無事に終了。昨年12月にやった学生たちと飲み会の写真を、高東義幸君が送ってくれたので、以下に一枚掲載。



【2009年2月1日記】

◎ 2009年1月30日(金) NHK出版の大場旦さんより、『ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか』(シリーズ・哲学のエッセンス)三刷のお知らせメールをいただく。今回の増刷で、この本も「万」台の部数の仲間入り。また、NHKブックスの執筆に関して話し合うため、近日中に会うことになる。

 本日届いた『科学哲学』41-2(日本科学哲学会)に、『時間と絶対と相対と ―運命論から何を読み取るべきか』(双書エニグマ14)の書評(伊佐敷隆弘氏による)が掲載されている。ちなみに、本号は書評がたくさん載っていて、永井均著『哲学塾 なぜ意識は実在しないのか』(岩波書店)の書評(水本正晴氏による)や、野矢茂樹著『大森荘蔵 ―哲学の見本』(講談社)の書評(青山拓央氏による)等も掲載されている。【2009年1月30日記】

◎ 2009年1月28日(水) 綾女欣伸さん・逸見陽子さんより、『足の裏に影はあるか?ないか? ―哲学随想―』(朝日出版社)の装幀に関して朗報が届く。松田行正さんから「新案」の提示があって、直感的に「これいい!」と思う。前回の案は「ない」の極地、今回の案は「ある」の極地という方向性を持つ。松田さんの「そのあいだにあるものは、自分にはどれも中途半端に見える」という考えに、私も全面的に賛成!まだコンセプトの段階なので、前回のように「舞い上がったり」「突っ走ったり」せずに、「もの」が出てくることを楽しみに待つことにする。【2009年1月28日記】

◎ 2009年1月25日(日)の日本経済新聞・読書欄に、『相対主義の極北』(ちくま学芸文庫)の短評あり。後半部引用:「(略)とことん考え抜く著者の姿勢が知的興奮をもたらす。哲学者の野矢茂樹による解説も短文ながら読みごたえ十分。紛れもない哲学の議論を堪能できる」と評していただきました。【2009年1月27日記】

◎ 2009年1月21日(水)は風邪でダウンして会議を休む。22日(木)『思想』(岩波書店)3月号(2009)に掲載される、座談会「瞬間と偶然をめぐって」(木村敏・小林敏明・植村恒一郎・入不二基義・斎藤慶典)の最終ゲラ(写真入り)が届く。40ページもあるボリュームのある座談会。通読して、直しのないことを確認。23日(金)の午後は、副査を担当する卒論の検討。夜は、筑摩書房の増田健史さんと二人で、文庫版『相対主義の極北』の完成を祝して食事会。新宿の貝専門料理店「はまぐり」で、楽しいひとときを過ごす。24日(土)〜25日(日)は、父親の十三回忌の法事のために、妻と二人で数年ぶりに大分へ。【2009年1月26日記】

◎ 2009年1月20日(火) 授業前にいつもの蔦珈琲店で、編集者の綾女さん・逸見さんと打ち合わせ。先週末のやり取りをふまえて、もう一度お互いのイメージの擦り合わせを行う。自分がどのようなイメージを好むかをいろいろな角度から語ることは、無意識と向き合うような作業だなと思う。これで装幀の再スタートとなるので、出版は3月にずれ込むかも。【2008年1月20日記】

◎ 2009年1月18日(日)下記の出版社との件、問題の所在をきちんと抉り出して、言うべきことを言い合ったことで、事態は少し好転。本の装幀に関して、もう一度仕切り直してトライすることに。
 月並みな言い方であるが、共同でやる仕事の基本は、少々痛みを伴っても、言いたいことを言い合うのが基本だと、改めて思わされた一件でした。【2009年1月18日記】

◎ 2009年1月17日(土) 昨日の何往復もした出版社の方とのやりとりで、疲労困憊。私は、松田さんの提案にインスピレーションと興奮をものすごく感じたのだが、それがあまりにも「極端な」「読者を拒絶した」試みであるということで、「社内合意を得られない」「装幀家の交代も考えなくては」とまで、言われてしまう。この溝は埋めようがないことが、繰り返しのメールの往復で分かる。
(「拒絶する」身振りが逆に「引きつける」力を持つということがある、というような「捩じれた」私の考えは理解してもらえませんでした。読者には徹底的にサービスすべきであると・・・・。) 
 これ以上こだわるならば、私の性格上、本そのものを出すのをやめるというところに突っ走る可能性がある。でも、もちろんそれは本意ではないので、もうこだわること自体をやめようかと思っている。「諦め」という語がふさわしいか。【2009年1月17日記】

 その後、永井均さんから「出版社を変えるという選択肢」や「出せばかなり売れると思うので」というアドバイスをもらって、少し元気を回復。もう少し粘ってみることに。【2009年1月17日追記】

◎ 2009年1月16日(金) 下記の本の装幀の件、一日にして「暗転」。下記の松田案(と私の思い入れ)は、出版社から完全に拒否される。今後どうなるかは不透明な状況へ orz ...。ジェットコースターのような一日。【2009年1月16日記】

◎ 2009年1月16日(金) 1月10日のところで書いた飯倉洋一さんのブログ(忘却散人ブログ)で、飯倉さん・上野修さん・私でやりとりした「ロマンチシズムとセンチメンタリズム」についての議論が、公開されています。ここ(2009年01月16日)をご覧ください。【2009年1月16日記】

◎ 2009年1月16日(金) 昨日からの興奮状態で、眠っている間もそのことを考えているようで夢に出てくるし、すぐに目が覚めてしまう。「そのこと」とは、哲学随想『足の裏に影はあるか?ないか?』(朝日出版社)の装幀のこと。編集者のお二人を介して、グラフィックデザイナーの松田行正さんに依頼していた装幀に関して、これまで試行錯誤しながらもなかなか決定打に至らなかった。しかし、昨日松田さんからいただいた「思い切った」提案が、私の考えていたこと・好みと、一致・共振した。そのために、頭の中で装幀のイメージが一人歩きして止められなくなって、興奮状態という状況。これは、子どもの頃に、欲しいものを買ってもらう前日の晩、眠れなくなっていたのによく似ている。【2009年1月16日記】

◎ 2009年1月12日(月) ペンディングにしていた原稿「「論理」からはみ出していく「現実」」の執筆を再開して終わらせる。『心理臨床研究』第9巻(青山学院大学大学院文学研究科付置心理相談室発行)の巻頭言として掲載予定。この原稿は、ラカンの「三人の囚人」のパズルを扱ったエッセイで、哲学随想『足の裏に影はあるか?ないか?』(朝日出版社)所収予定の「あるパズル」の続編を意図したもの。【2008年1月12日記】

◎ 2009年1月10日(土) 飯倉洋一さんのブログに、『相対主義の極北』の文庫版あとがきを読んでくれたこと、山口時代のことなどが書かれている。当時いっしょに山口大学教養部で過ごした上野修さんが、コメントしていたので、私もひとこと挨拶。【2009年1月10日記】

◎ 2009年1月7日(水) ちくま学芸文庫版『相対主義の極北』(筑摩書房)の発売日。amazon紀伊國屋BookWebbk1
 心理学科の北村文昭先生から、某学会の特別講演を依頼されていて、そのための相談をCafe les Jeux(カフェ・レ・ジュ)で午後4時〜5時半まで。いま書いている原稿「「論理」からはみ出していく「現実」」についてや、『思想』3月号に掲載される座談会で、木村敏先生たちと話した内容などを紹介して、そんな形而上っぽい話しかできませんが、それでもいいのでしょうか、という話をする。【2009年1月7日記】

◎ 2009年1月5日(月)『相対主義の極北』(ちくま学芸文庫)は、amazonではすでに予約を受けつけているようです。【2009年1月5日記】

◎ 2009年1月4日(日) 仕事開始。集中講義に行っていたために遅れていた提出書類の作成。依頼されている『心理臨床研究』第9巻(青山学院大学大学院文学研究科付置心理相談室発行)の巻頭言の執筆を開始(仮題「「論理」からはみ出す「現実」」、原稿用紙10枚)。【2009年1月4日記】

◎ 2009年1月1日 妻の実家(川崎)に新年の挨拶に出かける。夕飯までのあいだに、高校一年生の三男と二人でカラオケに出かける。高校生と大学生の選曲の傾向が近いことが分かる。帰りは長男がRX-8を運転したいというので、運転をまかせる。初めて自分の車の後部座席に乗るという経験をする。【2009年1月1日記】

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※この時計の時刻は、閲覧しているパソコンのものであり、必ずしも正確な時間とは限りません


著書


2017『香山リカと哲学者たち 明るい哲学の練習 最後に支えてくれるものへ』(ぷねうま舎)


2017 『現代哲学ラボ 第4号: 永井均の無内包の現実性とは?[Kindle版](哲楽編集部・編)


2016 『現代哲学ラボ 第1号: 入不二基義のあるようにありなるようになるとは? 』[Kindle版](哲楽編集部・編)


(カバー+オビ 立体)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)

(カバー 立体)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)


(カバー+オビ 平面)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)

(カバー 平面)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)

(表紙 平面)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)


2013『子どもの難問』(野矢茂樹編著、中央公論新社)<私の執筆は二編>


2013『英語で読む哲学』(編著、研究社)


2012『哲学の挑戦』西日本哲学会・編、春風社)


2011『Q〜わたしの思考探究〜 (共著、NHK出版)


2010『<私>の哲学を哲学する』(共著、講談社)


(カバー 帯なし)
2009 『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想 』(朝日出版社)

↑(帯をとると上のようになります)


(カバー+帯)
2009 『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想 』(朝日出版社)



2009 ちくま学芸文庫版『相対主義の極北』(筑摩書房)



2007 『哲学の誤読 入試現代文で哲学する!』(ちくま新書)



2007 『時間と絶対と相対と 運命論から何を読み取るべきか』(勁草書房)



2006 『ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか』(NHK出版, シリーズ・哲学のエッセンス )






2002 『時間は実在するか』(講談社現代新書)




2001  『相対主義の極北』(春秋社)



1993  『<思考する>英文読解』(駿台文庫・絶版)

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