これは入不二基義(いりふじ・もとよし)のWikiです




2019年全日本マスターズレスリング選手権大会・青のシングレット(左)が入不二


第18回 全日本マスターズレスリング選手権試合 F(61歳〜65歳)58kg 入不二第技邱


青山学院大学研究者情報のページ
Scrapbox: https://scrapbox.io/irifuji-home/
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講談社のHPの『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)の紹介ページ

研究社のHPの『英語で読む哲学』(研究社)の紹介ページ

春風社のHPの『哲学の挑戦』(西日本哲学会編)の紹介ページ

NHK出版のHPの『Q わたしの思考探究(1)』(NHK「Q」制作班 編)紹介ページ

講談社のHPの『<私>の哲学 を哲学する』(講談社)の紹介ページ

朝日出版社のHPの『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)紹介ページ

筑摩書房のHPのちくま学芸文庫版『相対主義の極北』紹介ページ

筑摩書房のHPの『哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する!』(ちくま新書)紹介ページ

勁草書房のHPの『時間と絶対と相対と ―運命論から何を読み取るべきか』(双書エニグマ14)紹介ページ

NHK出版のHPの『ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか』(シリーズ・哲学のエッセンス)紹介ページ

講談社のHPの『時間は実在するか』(講談社現代新書)紹介ページ

告知
(以前に告知したものは、こちら→以前の告知にあります)

◎ 入不二基義『現実性の問題』(筑摩書房)
2020年8月8日発売

装幀と目次の紹介動画


筑摩書房 『現実性の問題』スペシャルページ




【2020年8月8日記】

◎ NPO法人スポーツ指導者支援協会作成の「ざまあみやがれ シニアアスリートの新しき挑戦 入不二基義編「レスリング」」が完成しました。


スポーツ経験のなかった大学教授が51歳にしてレスラーになった!
 
青山学院大学教授の入不二基義さんは、それまで格闘技の経験がないだけでなく、スポーツ経験もほとんどなかったが、キックボクシングで勝利をおさめた息子さんの姿を見て、レスラーを目指したくなったという。普通なら、50歳を越えて初めてレスリングの世界に飛び込むなどあり得ない話だろう。58歳になった今の目標は68歳まで続けることだというが、世代を超えた仲間との出会い、ライヴァルとの闘いをもっとも楽しんでいるのは、新しい世界に挑戦し続けている彼自身にちがいない。

【2017年4月23日記】


公開原稿
2018年東北大学入試 国語【一】コメントと解答例(©入不二基義)

機チ澗療なコメント
供セ笋硫鯏例と設問へのコメント
掘ヅ賈迷膤悗痢崕仟螳嫂泙塙嵒勝
検ジ軻匹砲弔い討離灰瓮鵐
(東北大の入試で使われた私の文章(「私たち」に外はない)を筆者自身が解説し、設問に答え、予備校が作成した解答例を検討するという「変な文章」です。)
「現実の現実性と時間の動性」 in 『哲学論叢』第44号, 2017(京都大学哲学論叢刊行会), pp.1-15.

編著『英語で読む哲学』(研究社)の「はじめに」の部分

「概念を動かしてみる」東京書籍 ニューサポート 高校国語vo.22 特集「大学への国語」

「映画『Love Letter』の図書室」(青山学院大学図書館報AGULI 86号(2009.11.01)特集「図書館での出会い」):『足の裏に影はあるか?ないか?』に載せたエッセイの補遺みたいなエッセイ  

「 中島敦『山月記』『名人伝』」(青山学院大学図書館報AGULI 75号(2006.11.1)特集「お薦めの本」): 野村萬斎らによる芝居「敦ー山月記・名人伝」を観た直後だったので書いたエッセイ     

「「語りえぬものを語る」ことで語られないこと―相対主義・他者・相貌・自由―」(What is not Spoken of in “Speaking of the Unspeakable”― Relativism, Others, Aspects, and Freedom―)<哲学雑誌『語りえぬもの』(有斐閣)第127巻第799号, 2012年所収予定原稿>

「無についての問い方・語り方―「無ではなくて存在」ではなく―」(The Way of Speaking of Nothingness ― It is NOT that there is something rather than nothing.)Heidegger-Forum Vol.6, 2012.pp.22-37.所収)

田島正樹著 『神学・政治論 政治哲学としての倫理学』(勁草書房)へのコメント(2010年3月28日(日)cogito研究会,学士会館)
なお、ララビアータ(田島正樹の哲学的断想)の2011年06月22日に、上記コメントへの田島さんの応答・再批判があります。

「私の死」と「時間の二原理」」(『時間学研究』第3巻,山口大学時間学研究所,pp.15-28,2009年3月31日発行・10月に公刊)=|AA|

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「「論理」をはみ出していく「現実」」(『心理臨床研究』第9巻巻頭言, 青山学院大学大学院文学研究科付置心理相談室発行, 2009年3月発行) 註:この原稿は、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)所収のエッセイ「あるパズル」の続編として書かれている。「あるパズル」の後に読んでいただく方が、いっそう分かりやすいと思われる。

「プロタゴラス説のあるべき姿」(『ギリシャ哲学セミナー論集』Vol. III /2006, pp.15-30.)


身辺雑記(メモ)
◎ 2020年8月14日(金) 「転倒の充満」

8/18発売 現代思想2020年9月臨時増刊号 総特集=コロナ時代を生きるための60冊 入不二基義 「転倒の充満 ーー 三上真司『イエス運動・マルコ・哲学』」を寄稿しています。
先ほど落手。画像で見たときにすぐ分かったが、やはり水戸部功さんの装幀だ。

【2020年8月14日記】

◎ 2020年8月13日(木) 「慧眼なる読者」

入不二基義『現実性の問題』(筑摩書房)へのアマゾンレビュー[https://amazon.co.jp/dp/4480847510/]といい、第2章「現実性と潜在性」の重要性に着目したツイート[https://twitter.com/aimai_fuzzy/status/12939133182...]といい、慧眼なる読者の存在に驚かされている。
aimai @aimai_fuzzy 難易度が高いという噂の入不二基義『現実性の問題』の読み方ですが、僕は第二章「現実性と潜在性」をじっくり何度も読むのが良いと思う。この章を理解して面白いと思えるかが『現実性の問題』を楽しめるかの鍵となる。
Tod 哲学界のエッシャーによる神と現実の融合   デビュー作『相対主義の極北』から一貫している入不二哲学の美しさは、エッシャーの絵画になぞらえることもできよう。本作は入不二本人が「最大・最深」と自賛するほどの大作・傑作に仕上がっている。 「はじめに」の導入部分として語られるエピソードからして出色である。「離別と死別はどこが違うのか」現実と非現実を考察する始発点として、これほどふさわしくキャッチーなエピソードはあるまい。 転校による別れと死亡による別れを立て続けに体験した入不二少年は、その葬式の席で「引っ越しと死ぬことは似ているね」と発言する。大人たちはそんな入不二に対し、困惑しつつ腹立たし気にたしなめる。引っ越しと死ぬことは全然違う。引っ越した友だちとは会おうと思えば会える。しかし死んだ人とは会いたくても二度と会えない。要するに可能性の有無の問題なのである。   しかし入不二少年は納得しない。どちらも実際に会わないのであれば、会わないという現実においては何も違いはないのではないか。可能性を考えるのであれば、死者にだって例えばあの世でいくらでも会える可能性はあるだろう。大人たちは生者と死者を区別したいがために、会わないという現実の中に無理やり(伸縮自在な)可能性をねじ込んでいるだけではないのか。「(会わないという)現実だけを見るな」と言っておきながら「(非現実的な可能性は無視して)現実だけを見ろ」というのは出来レースではないのか。死を特別視しないという入不二少年の態度は、後の(人間を超越した)入不二哲学を端的に予告していると言えよう。   第一章では本書全体を俯瞰するモデルとして、ウロボロスの環として知られる円環モデルが登場する。始発点がとりあえず「(何であれ)何かが起こった(起こっている)」という所与の事態に設定されているのは、前著『あるようにあり、なるようになる』における入不二運命論とも通底しており、入不二哲学の一貫性を感じる。そこから「(そもそもまだ)何も起こっていない」というゼロとしての真の始発点が考察されるものの、1から0へ遡るためには否定を経由しなければならない、すなわち「否定」は「肯定」よりも遅れてしかやってくることができない、とする洞察は、入不二のデビュー作『相対主義の極北』の解説で野矢茂樹が嫉妬を交えて絶賛していた入不二節の面目躍如といったところであろう。「第一歩」だと思われた方こそが「始発点(第〇歩)」であり、「始発点(第〇歩)」だと思われた方がむしろ「第一歩」であるという循環は、この円環モデルが必然的なものであることを予感させる。   「更にもう一歩」として「起こったことは起こらなかったことへと変えられない」という「二重否定による肯定」と、初発の「否定が存在しない肯定」とのあいだの「一致とズレ」、そこに排中律を読み込んで、その排中律の適用によって(1)始発的な「現実」、(2)可能的な「現実」、(3)潜在的な「現実」、をあぶりだし、さらにそれとは別の次元の現実、「回る現実」と「回す現実」の水準を分けるという議論も図を見ればよく理解できる。「現実とは力である」という入不二のテーゼはここで見えてくる。すなわち平面的な円環モデルを循環させる立体的な力こそ、「それが全てでそれしかない」現実の現実性なのである。   「反実仮想」の段階では優位だった「現実」が、「可能性の領域」へと進むことで縮小し、さらに「潜在性の場」へと転回するに至って、「潜在的現実」から「顕在的現実」への転回が準備される。「潜在無限色」としての「黒」というアナロジーも秀逸である。「論理(同一率・排中律・矛盾律)」「様相(可能性と潜在性)」「時制(未来性と過去性)」のそれぞれの観点から円環プロセスを論じるパートは、この議論の背景に横たわる壮大な射程を感じさせる。入不二哲学の集大成と呼ぶにふさわしい内容であり、その筆致には異様なまでのテンションの高さを感じる。   「おわりに」で入不二哲学はついに神に接近する。アンセルムスが言うところの神「それより大きなものは何も考えることができない何か」とは、正に現実にほかならないであろう。あたかもエッシャーが絵画の世界で二次元と三次元の融合を実現しているように、「現実性こそ神である」という副題のついたその終章で、神という最も虚構的な存在者と現実との融合を、入不二は言語の世界で実現している。 デビュー作『相対主義の極北』において、入不二は「外部なき私たち」という新たな概念を提示した。本作『現実性の問題』において入不二は、全てを包摂する力としての現実性を析出している。「私たち」=「現実性」=「神」という等式は成り立つのだろうか。汎心論と汎神論は融合するのだろうか。入不二の著作の歴史そのものがあたかもウロボロスの環を描いているようでもあり、エッシャーの絵画を彷彿とさせるその数学的美しさは、反論を許さない入不二哲学の完全性の象徴であるように思われる。 ともあれ本書がユニークかつオリジナリティーにあふれた、日本哲学史に残る名著であることは疑う余地がない。シンプルな装丁と32ページにもおよぶ著者自身による索引を含む重厚な佇まいもまた、すでにして名著の風格を漂わせている。

【2020年8月14日記】


◎ 2020年8月10日(月) 「死者の雰囲気」

『現実性の問題』(筑摩書房)には、宣伝用の小パンフが挟まっています。
なぜか私の写真が載っていますが、そのぼかし具合から「死者」の雰囲気が漂っています!


【2020年8月10日記】

◎ 2020年8月8日(土) 「『現実性の問題」「追記」を解説した授業動画」
入不二基義『現実性の問題』(筑摩書房)の公刊前(2020年6月)に、授業で「追記とあとがき─Actu-Re-alityについて」部分についてオンライン講義を行った。
その冒頭15分程度の紹介動画。最後には、その授業についての受講生のメモ・コメント例を載せていますのでご一読を。

本の「追記」を読むのに、少しだけ役に立つかもしれません。

『現実性の問題』p.394で、「実際に」と「現実に(現に)」は異なるという話をしているので、授業では「実際性」と「現実性」の区別と重なりを、より詳しく解説した。動画は、その話の冒頭部分。

私の授業に興味がありましたら、ご覧下さい。オンラインでのライブ講義ですが、私の場合は、黒板がバーチャルになっただけで、内容もやり方も通常の講義とまったく同じ。思い返せば、駿台時代の授業と比べても、受験のための英語と哲学という話題の違いはあれ、やはり同じ。




◎ 2020年8月7日(金) 「「『現実性の問題』スペシャルページ」」
 入不二基義『現実性の問題』が発売になるのを受けて、筑摩書房のHPに「スペシャルページ」が開設されました。
「試し読み」として、「はじめに 「現実性の問題」の始まり」が全文読めるようになっています。

試し読み可の「はじめに」の「1 離別と死別」では、私の小学生の頃のエピソードが、本書「おわりに」の「1 アンセルムス体験」では湘南高校文芸部の頃の話が、そして「2 思考と存在と現実性」では東京大学に入学した頃の話が登場します。




【2020年8月7日記】

2020年7月31日(金)「別丁扉を見て欲しい」

筑摩書房の増田さんから『現実性の問題』の見本刷りを受け取る。別丁扉をぜひ見てもらいたい。鏡的なシルバー(こちらが写り込んでしまう)と、乱れ重なるタイトル・著者名たち。


見本に挟まっていた新刊案内。始めは、7月中旬発売になっていた。


『現実性の問題』は432ページあるが、比較のために422ページある厚めの本(画像下の本)と並べてみると、むしろその本より細い。紙の厚さの違いが、こういう差になるということがよく分かる。


カバーのシンプルな佇まいに対して、一皮剥くと別丁扉の乱舞的な重なりが現れるというのが、水戸部さんがこの本の内に透かし見た姿なのかもしれませんし、あるいは、カバーの方は私の注文にしたがって自分の流儀を抑制したので、別丁扉の方で爆発させたのかもしれない。いろいろ想像したくなる。

装幀と目次の紹介動画

【2020年8月1日記, 2日動画追加】

2020年7月26日(日) 「『現実性の問題』カバーの含意」

『現実性の問題』のカバーは、そういう意味合いもあるのかもしれないな。





【2020年7月26日記】

 2020年7月25日(土) 「ランキング入り」
こんなところ(Yahooショッピングの文芸書籍ランキング)で、ランキング入りしている。

【2020年7月25日記】

◎ 2020年7月24日(金) 「イベント告知」

【オンラインイベント】入不二基義『現実性の問題』(筑摩書房)刊行記念 入不二基義×斎藤哲也トークイベント「『現実性の問題』を哲学する!」
『現実性の問題』(筑摩書房)の刊行記念に、代官山蔦屋のオンラインイベント(zoomでのウェビナー)として、入不二基義×斎藤哲也の対談を行います。
8月21日(金)19:30〜21:30です。

代官山蔦屋のイベント案内の頁は、こちらです。

https://store.tsite.jp/daikanyama/event/humanities...



【2020年7月24日記】

◎ 2020年7月21日(火) 「『現実性の問題』(筑摩書房)」
『現実性の問題』(入不二 基義著 筑摩書房)2020年8月刊行


現実性こそ神である
――このテーゼは果たして何を意味するのか?
世界の在り方をめぐる
哲学的探究、
その最高到達点
筑摩書房創業80周年記念出版 
定価(本体価格3200円+税)
https://amazon.co.jp/dp/4480847510/


飯盛元章さんから「『現実性の問題』の装丁、シンプルで美しい!
入不二さんのテキストから受ける、無駄のないクリアな文で思考が展開されていく印象と、すごくマッチしている感じがする」と言ってもらえました。ここから、別丁扉の「崩れ」「乱れ」と繋がり、カバーを外したときの表紙も見て欲しいです。




こういうコメントもあったので、私も応答。


MI@inumra
なぜタイトルと著者のフォントサイズがほとんど(多分)同じなんだろう。けっこう奇妙な装丁である。
しかも高さそろえて同一のフォント。ミニマルさにみんな興味を示しているが、むしろ今言ったようなことの方が印象として最初に来るだろう。

そうなのです。書名と著者名が同じ水準になっているのは、なかなかないでしょう。著者名もまたデザインと化しているとも言えます。

「「現実性こそ神である」スピノザを彷彿とさせるテーゼ。『エチカ』にそのまま”Nihil aliud est realitas quam Deus.”なんて書いてありそうだ」(@YJR400)というコメントを受けて、
私は「本書の造語を生かすならば、"Nihil aliud est actu-re-alitas quam Deus."となります」とリプライした。
【2020年7月21日記, 22日追記】

◎ 2020年7月10日(金)「オンラインイベント」

『現実性の問題』(筑摩書房)の刊行記念に、代官山蔦屋のオンラインイベント(zoomでのウェビナー)として、入不二基義×斎藤哲也の対談を行う話が進行中です。
8月21日(金)19:30〜21:30を予定しています。乞うご期待。

【2020年7月10日記】

◎ 2020年7月8日(水)「ブックガイド用の原稿提出」

この号用の原稿を先ほど提出。私は紹介文「転倒の充満 ── 三上真司『イエス運動・マルコ・哲学』(春風社、二〇二〇年)」を6000字弱書きました。

http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3460


三上真司『イエス運動・マルコ・哲学』(春風社、二〇二〇年)
については、
http://www.shumpu.com/portfolio/752/
【2020年7月8日記】

◎ 2020年7月5日(日) 「『現実性の問題』のオビ文と紹介文」

『現実性の問題』(入不二 基義著 筑摩書房)

現実性こそ神である
――このテーゼは果たして何を意味するのか?
世界の在り方をめぐる
哲学的探究、
その最高到達点

筑摩書房創業80周年記念出版  
定価(本体価格3200円+税)

「現実は何処に繋がっている?離別と死別の比較から始まり、現実性という力が、神へと至るプロセスを活写した希代の哲学書。入不二哲学の最高到達点がここにある。」

【2020年7月5日記】

◎ 2020年7月4日(土) 「『現実性の問題』の装幀」

今回の装幀では、「カバー・帯・表紙・別丁扉」というセットで眺めると、より強く「一つの世界」が感じられる。読者にもその感を共有していただけたらいいな。

ネタばれ感がありますが、ひとこと。色使いが私の希望通りになっている点、さらに、カバーのミニマム・シンプルと別丁扉における「乱れ(崩れ)」の対照が、著者としてはとても気に入っています。カバーを脱がせたときの、表紙も希望通りになっていて、ニンマリしました。

【2020年7月4日記】


◎ 2020年7月1日(水)「ブックガイド用原稿執筆中」

現代思想2020年9月臨時増刊号 総特集=〈危機〉の時代を生きるためのブックガイド用の原稿を執筆中。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3460

【2020年7月1日記】

◎ 2020年6月30日(火)「アクチュリアル」

「現実性こそ神」も章タイトルとしては「おわりに 現実性こそ神である」として残しました。私の場合は「リアルよりアクチュアルより、アクチュリアル」になりますね(笑)
そうだ、帯にも「現実性こそ神である」が入ります。

【2020年6月30日記】

◎ 2020年6月25日(木)「見抜かれている」

私の「あとがき」解説(昨日の日記を参照)を聴いた聴講生のコメントが「鋭い」。こちらにも残しておきたい。

>引用始め
そういえば、先生があとがきについて解説するなかで、何度も、その時の記録を自分のために残したかった、というようなことをおっしゃってましたよね。
その時思ったのが、先生は、もしかしたら、本文のほうも、そのような動機で書いているのではないか、ということです。
先生は、何か真理を書き残したいとか、世に向かって何かを主張したい、というような動機が(ないとは言わないけれど)弱くて、どちらかというと自分のそのときの思考やアイディアを昆虫標本のように保存したいという動機で本を書いているのではないか、なんて思っちゃいました。で、自分の本について講義するのは、この昆虫標本きれいでしょ、なんて広げて見せている感じがしました。
>引用終わり
【2020年6月25日記】

2020年6月24日(水)「「あとがき」解説」

昨日(2020年6月23日)の講義では、近刊『現実性の問題』の「あとがき」を解説するという変な(?)授業をした。聴講生のコメントは「ここまで詳細に自分の「あとがき」を解説するとは!」「本書『現実性の問題』に対する入不二先生の熱い思い入れが伝わってきました。」

【2020年6月24日記】

◎ 2020年6月23日(火)「版元ドットコムより」

ようやく『現実性の問題』(筑摩書房)の紹介文付きの告知が出ました。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784480847515

現実性の問題
入不二 基義(著/文)
発行:筑摩書房
四六判 432ページ
定価 3,200円+税

現実は何処に繋がっている?離別と死別の比較から始まり、現実性という力が、神へと至るプロセスを活写した希代の哲学書。入不二哲学の最高到達点がここにある。


最後の32ページ分は、索引です。




2020年6月22日(月)「筋肉と思考」

こんな風に言ってもらっているが、長生きしてたくさん仕事をしたいとは思わない。しかし、筋肉(身体)が思考と文章に影響を与えることは、その通りだろうと私も思う。近著『現実性の問題』の思考と文章は、レスリングを始めて以降のものなので、体幹の安定性も持久力も技のきれも増しているはず。



【2020年6月22日記】


◎ 2020年6月20日(土)「レスリング+哲学」
こんなやり取りもあります。

【2020年6月22日記】

2020年6月19日(金)「論理と物語」

この方が私の特徴として言ってくれている「論理と物語」は、来月末に出る『現実性の問題』(筑摩書房)についてもあてはまる。
「はじめに」は、子どもの頃のエピソードで始めているから。慧眼なる読者だ。


ジェイミーの哲学の倉庫 9 哲学的雑記 > 入不二基義 より
https://sites.google.com/site/jamiezphilosophy/tes...


私は哲学が好きだ。
私は大学の哲学科も出ていないし、哲学書ばかり読んでいる訳でもない。いわゆる素人だ。
それでも、哲学をすることと、哲学に詳しいことは違うのだから、私のような素人でも哲学をすることはできると考えている。
いや、更に言えば、私がしていることは、哲学科の教授や、過去の偉大な哲学者と、全く同等、または(私にとっては)それ以上の意味で哲学なのではないかと考えている。
そのような大それた意味で、私は哲学が好きだ。

そんな自分以外の哲学者にあまり興味が無い私が、その著作を読んでいる数少ない哲学者の一人に入不二基義がいる。
彼は、論理的に構造化された極めて形而上的な哲学を語る。そこには、日常的な実感や、人間的な情緒に訴えて理解する余地はない。
その構築された美しさが私は好きだ。そこには、確実に、ある種の正しさがある。
ただ、私がここで紹介したいのは、彼の哲学の中身ではなく、彼の文章の特徴についてだ。
彼の哲学書には、だいたい、導入としてのエッセイ的な短文がある。その内容は、例えば、仏教の説話であったり、彼自身の家族との間でのちょっとした出来事であったりする。
彼はそこで、その本全体のテーマの方向性を示そうとする。
構造化された美しい形而上学的な世界を、論理ではなく物語で示そうとする。
当然、導入としての短文では、形而上的な世界を表現し尽くすことはできない。表現は失敗する。
だからこそ本編が必要となる。
そういう点では、これは映画の予告編のようなものとも言えるかもしれない。
ここを立ち読みして興味が惹かれたら、買って本編も読んでね、ということだ。
しかし、私はそこに、予告編と本編以上の関係があるのではないかと思う。
導入部は、本編では語りえないことを語っているのではないだろうか。
つまりは、形而上的な世界を表現するためには、美しい論理だけでは足りず、心に訴える情緒的な物語が不可欠だということを意味しているのではないだろうか。
いや、形而上的な世界、のようなたいそうなものでなくても、何かを伝達するということには、論理と物語の二つが不可欠なのではないだろうか。
そのことを構造的に示しているのが、入不二の哲学書の冒頭の情緒的なエッセイと、それに続く論理的な本編なのではないだろうか。

【2020年6月19日記】

◎ 2020年6月16日(火) 「3倍」

今年度の講義は、『現実性の問題』の「追記とあとがき」から始めた。
7回かけて、本日”Actu-Re-ality”に籠めた意味を説明し終えた。
2回分の話のつもりでいたら、3倍かかった。
講義で喋った内容まで含めていたら、「追記」ではなく第10章になっていたかもしれない。

【聴講生の受講メモより】
・力の認識の水準と力の存在の水準は異なる(もはや可変的ジャンケン関係ではない)。
・実際性の水準(Reality)と現実性の水準(Actuality)は異なるが、両者は重なる部分も持っている。
・実際性とは不等号性であり、突破性である。現実性とはその水準をさらに超えた突破性である。
・「実際に」を同じ水準で無限に繰り返しても現実には届かない。むしろ現実はすでに働いており、繰り返しを駆動している力である。
・それはSubjectが無であると同時に全て(Object)であったのと同型である。
・Actu-Re-alityという語順は、一番外側で働く現実の力と、内側での実際性の繰り返しをも表現している。

さらにこんな感想を伝えてくれた。

哲学史上まだだれも言ったことのないオリジナルの哲学を聴講するというのは、教える側もそうでしょうがなかなかに緊張感・臨場感があるスリリングな経験です。哲学史や哲学研究の授業をすでに結果が分かっている試合のビデオ鑑賞に例えるならば、こちらはさしずめ今現在行なわれている試合のライブ中継といったところでしょうか。


【2020年6月16日記】

2020年6月11日(木)「7年前」

これが7年前か・・・。近刊の『現実性の問題』でもまた、増田健史さんにお世話になったわけだが、今の彼はすでに(4年前から)取締役である。感慨深いものがある。



【2020年6月11日記】

2020年6月10日(水)「湘南高校の後輩」

湘南高校の後輩が、こういうルートで私の本の読者になってくれるということもあるんだな。


湘南高校の「歴史館に先生の名前が載っていて」というのは、これです。

【2020年6月10日記】


2020年6月9日(火)「イタコ」
オンライン講義だから控えていたのに、今日は、ノンストップでしゃべり倒してしまいました。かなり「イタコ」状態。

「実際に」と「現実に」の違い(実際性と現実性の差)について、70分間以上何かに憑かれたようにしゃべっていた。

【2020年6月9日記】


◎ 2020年6月8日(月)「e-hon 告知」

『現実性の問題』(筑摩書房)の告知が、e-honに出ました。

https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refBook=978-...

【2020年6月8日記】

2020年6月5日(金)「分からなくなる」

哲学の授業の中で、こんな風に言うことがある。
「ふつうの勉強では、分からないことを分かるようにする。でも哲学では、分かっている(と思った)ことが実は分からないということが分かるようになる。」


【2020年6月5日記】

◎ '2020年6月4日(木)「カバー・帯」

『現実性の問題』(筑摩書房)のカバー・帯のデザイン案が届く。装幀家の水戸部功さんが、こちらの希望をくみ取ってくれていて、自分でイメージしていたものに近い仕上がり。帯には「現実性こそ神である」が入る。

【2020年6月4日記】

◎ 2020年6月3日(水)「矢吹太郎」
矢吹太郎 (近藤正臣)と結城真吾(近藤正臣)は、ほぼ同じ演技。これ分かる人がいるかなぁ。

矢吹太郎は、「クラスメート〜高校生ブルース」という学園サスペンス・ドラマ(全6回・武原英子主演)での、近藤正臣が演じる医学部志望の受験生です。その喋り方・優越性の発出・前髪のふりあげ・芸術肌(ピアノではなく絵を描く)において、結城真吾とかなり似ています。

【2020年6月4日記】

◎ 2020年6月2日(火)「概念の錬金術」
授業の中で言った「概念の錬金術」という説明の仕方が、かなり好評のようであった。

"Actu-Re-ality"という造語を生成する話を「錬金術」の比喩で授業で説明していて、actualityから二方向のベクトルを取り出し、realityから二方向のベクトルを取り出し、それらを混交させるということをやっています。その中では、subjectとobjectの意味(関係)変容も生じます。

もちろん、近著の『現実性の問題』(筑摩書房)のタイトルの解説でもあります。受講生には、公刊前なのでゲラPDFを配布しながら、オンライン講義を行っています。

【2020年6月2日記】

ちなみに、昨日の授業では、受講学生からの"subject"についての質問に答えるのに一コマ分使うことになった。社会人の聴講者もいて、次のように受講メモを残してくれた。
【2020/06/02受講録】
・主体が客体へと繰り込まれることによって、主体の無限後退が発生する(No Subject)。
・無限後退の力それ自体に主体を見ることもできる(Object全体としてのSubject)。
・すなわち主体(Subject)とは無であると同時に全てである。
・Subject(力それ自体:Actualityの存在論化)とObject(力の現われ:Actualityの認識論化)は究極において一致する(重なる)。
・存在論・認識論・意味論は可変的ジャンケン関係にある。
【感想】
・哲学史でもなく哲学研究でもなく、正真正銘の哲学の授業だということを改めて感じました。
・受講している学生たちはみんな驚いているのではないでしょうか。哲学の歴史を概観するのでもなく、古典を精確に読むのでもないこのような授業は、少なくとも私の学生時代にはなかったものです。

板書の一例

【2020年6月3日記】

◎ 2020年5月28日(木) 「三校ゲラ」

『現実性の問題』(筑摩書房)の三校ゲラのPDFが届いて、チェック中。装幀は、ラフが出てくるのを待っている状態。

【2020年5月28日記】

◎ 2020年5月22日(金)「黒板」
オンライン講義での、デジタルだけどアナログ的な黒板使用。


右図は、意味論的な(概念の)水準に対する存在論的な(ものの)水準のはみ出しを表し、左図は、認識論的な(心の)水準に対する存在論的な(力の)水準のはみ出しを表す。更にそのはみ出しどうしのはみ出す重なりが、Actu-Re-alityを生成する。『現実性の問題』の追記の話より。

【2020年5月22日記】

2020年5月6日(水)「演習もラジオ的」

多人数講義ではない数人の演習でも、みんな顔出しを選ばない。ビデオはオフでの演習。テキストを画面共有しながら、ラジオ番組でパーソナリティによるゲストへのインタビューによって番組が進行するように、私がする問いに学生に答えてもらいながら、精読が進む。ポイントはやはりラジオ的という点。

【2020年5月6日記】

2020年5月5日(火) 「目次を読んで90分」

今日のオンライン講義では、出版前の『現実性の問題』の目次を画面共有して、この目次をどう読むのかや、あとがきから入る読み方などについて話した。actualとrealの違いを受講者に考えてもらって、sugukikuにその場で書き込んでもらい、全員で共有。これは、来週のActu-Re-alityの話の準備。

【2020年5月5日記】

◎ 2020年5月3日(日)「二年前」
二年前。なんと平和だったことか。いまは、みんな元気ではあるけど、集まることもできない。

【2020年5月3日記】

2020年5月1日(金)「オンライン講義初日」
午前10時すぎ:人生初の自宅からのオンライン授業が、私もあと一時間弱で始まります。


無事に終了!学生のコメント・感想も上々。

午後のオンライン講義も、無事終了。
基本は、中学生の頃に聴いていた「深夜放送」のノリのつもりでやりました。顔出しも最初だけで、ラジオと違うのは、資料提示の画像がある点だけで、しゃべりの構成は、ラジオ的。


【2020年5月1日記】

◎ 2020年4月24日(金)「再校ゲラ」
『現実性の問題』(筑摩書房)の刊行は6月かな。本日、ようやく再校ゲラのPDF版を受け取った。
連休中は(といっても、休日も授業日に変わってオンラインで講義をするので、例年より忙しいのだが)、再校チェックに集中。
本文が、ちょうど400ページぴったりになった。これに事項索引・人名索引が、20〜30(?)ページ加わる。画像は、タイトルと目次。




【2020年4月25日記】

◎ 2020年4月21日(火)「索引提出」
事項索引+人名索引も「ほぼ完成」して、担当編集者に提出。表組みのままだと、40ページ超えになった。
編集者からは、「索引にここまで圧倒されたのは、本当に初めてのことです」というコメントをもらった。
【2020年4月22日記】

2020年4月20日(月)「もうしばらくお待ちください」

待っていてくれる読者がいるのは、ありがたい。5月刊行の予定で進めていましたが、コロナ禍に襲われて、出版社・印刷所・取次・書店…など関係各所が影響を受けていて、進行が遅れています。もうしばらく、お待ちください。400ページ越えの厚い一冊になります。


【2020年4月20日記】

2020年4月17日(金)「復刊」

『時間と絶対と相対と』(勁草書房)が復刊されます。
→ 勁草書房の当該頁

近刊の『現実性の問題』(筑摩書房)は、『相対主義の極北』(ちくま学芸文庫)『時間と絶対と相対と』(勁草書房、以下の引用参照)『あるようにあり、なるようになる』(講談社)に連なり、更にその先まで考察を進めることを意図した本です。

コロナ禍のせいで進行が遅れている近刊の『現実性の問題』(筑摩書房)ですが、その新刊と同時期に『時間と絶対と相対と』(勁草書房)が復刊されるのは、グッドタイミングです。

『現実性の問題』は、初校ゲラのチェックは終わっていて、いまは再校ゲラが出るのを待っている状態です。諸方面で動きが止まっていたり遅くなっているので、待つしかありません。その代わり、「類例のない」索引を作成して、この待ち時間の有効活用をしているところです。

【2020年4月17日記】

2020年4月8日(水)「索引例」
作成中の索引の一部分を晒すと、こんな感じになっている。作るのが大変。

ゼミ生のコメント。「絵画の場合,画家がどんなモチーフを選んだかは一目瞭然ですが,哲学書の場合は論の運びに注意が向くのでそこに登場するモチーフだけを取り出して見てみることは少ないように思います。索引は,本文に登場したモチーフたちが並べ収められた倉庫みたい」。



【2020年4月9日追記】

2020年4月2日(木)「『現実性の問題』初校校正中/伊藤和夫先生の索引」
『現実性の問題』(筑摩書房)は、いま初校の校正中です。同時に索引の作成もやっていて、これがかなりの量になってきているし、とても時間がかかる作業。
5月刊行予定だったのですが、(昨今の事情もあり)6月になってしまうかもしれません。しかし、渾身の一冊にします!

索引作成していて思い出したのは、伊藤和夫先生は自著の索引にものすごく拘っていたこと。
『ビジュアル』執筆中だったと思うけど、その索引の原稿を私に示しながら、いかに普通の索引と違うかを力説していた。
今、その気持ちがよく分かる。

単なる事項の抽出・羅列ではない索引、つまり、ご自身の体系に裏打ちされた固有の秩序を備えた索引といったところでしょうか。
伊藤先生との酒席で、私が上記のような特徴が、先生の索引にはありますよねと言ったとき、伊藤先生はとても嬉しそうだった。
本を、索引から再構築して読むという楽しみがあることを知らないのって、もったいないなと思う。


【2020年4月2日記】

2020年3月29日(日) 「哲学的文章の読書会」

濃い授業ができた。50分×6コマという設定のところ、7コマ分やってしまった。受講者も多様で、大学生・高校教員・ライター等々。受講者の質問も的を射たもので、読みを深めるのに貢献してくれた。今後続けるなら、近刊自著『現実性の問題』(筑摩書房)を精読する講座にしてもいいかなと考えている。
【2020年3月29日記】

◎ 2020年3月27日(金)「授業」
見直してみて、使っているアプリケーションも私の喋り・説明も、私のふだんの授業とほぼ同じ感じということが分かった。私がどんな風に授業をしているかを知りたい方も、ご視聴下さい。

昨年度から、黒板をまったく使わなくなったので、まさに授業も、この動画と同じ感じになっている。


【2020年3月27日記】

◎ 2020年3月27日(金) 「高校入試」
広島大学附属高校は、2020年度の入試問題(国語)で、私のエッセイ「ゲームの階梯」を出題していて、中学三年生にはなかなかハードな良問だと思った。

【2020年3月27日記】

◎ 2020年3月26日(木)「Zoom」
Zoom 初体験。息子たちとオンラインで家族会議。

【2020年3月26日記】

◎ 2020年3月23日(月)「索引作成」
ゲラを読み返しつつ、索引作成のための語彙抽出を行っていると、自分の語彙世界を俯瞰できる。その世界は大きくも小さくも見えて、不思議な感じ。
【2020年3月23日記】

◎ 2020年3月19日(木) 「初校」
『現実性の問題』(筑摩書房)の初校ゲラチェック中。同時に、索引に載せる語句の抽出も。

【2020年3月19日記】

◎ 2020年3月17日(火)「すぐれたレポート」

先日のライブ配信「無関係/断絶を哲学する 飯盛元章×入不二基義」( https://youtu.be/I-kCT26CZl4 )を視聴してくれた方が、ブログにレポートを書いてくれました(『連続と断絶』・『断絶と無関係』の話)。すぐれたコメント・考察になっていると思うので、ぜひご一読下さい。

http://dialogue.135.jp/2020/03/17/danzetsu/

【2020年3月17日記】


◎ 2020年3月16日(月)「英文と事柄」
WhiteheadのProcess and Realityからの引用文ですが、英文としては難しくないけれども、事柄そのものが難しいので、すっきり入ってこないのは当然。
むしろ、その齟齬感こそが、哲学することへの第一歩とも言えます。


先日の配信の中で、提示した英文です。
https://youtu.be/I-kCT26CZl4
【2020年3月16日記】

◎ 2020年3月15日(日)「お早めに」
もう少ししたら、いったん削除されます。編集後に整えたものがアップされる予定ですが、もとのままでご覧になりたい方は、お早めにご視聴ください。
https://youtu.be/I-kCT26CZl4

【2020年3月15日記】

◎ 2020年3月14日(土)「打ち上げ」
昨日の配信・録画に立ち会ってくれたメンバー4人と共に、6人で放送終了後に夕食。

【2020年3月15日記】

◎ 2020年3月10日(火) 「人文書院からの告知」
「連続と断絶」の刊行記念イベントがYouTubeliveにて3月14日 17:30から開催することが決定いたしました
「#無関係と断絶」で質問募集中とのことです!
↓↓↓linkはこちらから↓↓↓
【『連続と断絶』刊行記念】飯盛元章×入不二基義 無関係/断絶を哲学する youtu.be/I-kCT26CZl4 @YouTubeさんから

【2020年3月10日記】

◎ 2020年3月8日(日)「予告」
もう少し予告。
飯盛さんは第6章で「四つの断絶」をまとめている。これに二方向のコメントを加えたい。
一つは、その四つ(1〜4)には入ってない0番目に――しかも「多性と新しさ」ではなく――根源的な断絶性が見出せないかという方向。
もう一つは、4では、断絶性の深まりは不十分ではないか、という方向。
【2020年3月8日記】

◎ 2020年3月7日(土)「準備ほぼ完了」
元々は明日開催予定だった対談なので、ほぼ準備終了。飯盛さんによる「断絶」についての考察を、さらに掘り進むような話をするつもりです。
#無関係と断絶
https://youtu.be/I-kCT26CZl4
【2020年3月7日記】

◎ 2020年3月6日(金) 「書物復権」
私の10年以上前の著作『時間と絶対と相対と』(勁草書房)が、書物復権のリクエストにより、(5月頃)復刊されるというお知らせが届いた。めでたい。
5月といえば、新著の『現実性の問題』(筑摩書房)も出る予定なので、古い子どもと新しい子どもが一緒に世に出る。

【2020年3月6日記】

◎ 2020年3月5日(木) 「ライブ配信URL確定」

飯盛元章×入不二基義 トークイベントのURL が確定しました。

http://youtu.be/I-kCT26CZl4

Twitterにて「#無関係と断絶」で質問募集中!

【2020年3月5日記】

◎ 2020年3月5日(木) 「ライフ・ヒストリー補遺」

ライフ・ヒストリーついでに言えば、「歪みの矯正」という視点で振り返ることもできる。「大学院生→アカデミック・ポスト」というルートを躓きなく進むほど、俗世に疎くなって「歪み」が生じうる。私もまた例外ではないが、予備校という「俗世」に一時期たっぷり染まったことによって、その「歪み」はいくらかは矯正された(少なくとも相対化された)。そういう意味では、駿台講師時代は、私にとって人生を学ぶ(大人になる)ための砂場でもあったことになる。ついでに言えば、東京圏でしか生活したことがないことから来る「歪み」や、学生時代の中心が勉強勝負だったことから来る「歪み」も、山口という地方で生活することや、レスリング経験を積むことによって、少しは矯正されたような気もする。

【2020年3月5日記】

◎ 2020年3月3日(火) 「ライフ・ヒストリー」

(予備校講師時代に限定してではあるが)ライフ・ヒストリーを語って下さいというインタビューを、京都大学の大学院生(予備校文化を研究テーマの一つとしているFさん)から受けた。私も61歳になったから仕方がないのだが、27歳の若者からこういう注文があること自体が、「爺」の域に入った証拠である。いずれ研究ノートという形で、資料として活字化されるらしい。

私のほうも「備忘録」として、どんなことを語ったかの概略をメモしておこう。インタビュアーからの「お題」は、三期に分けて語ってくれというものだったので、自分の10年にも満たない予備校講師経験ではあるが、初期・中期・最後期の三つに分けて語ることになった。

初期は、自分が商品としてかなりの価値を持つことを初めて知って、その興奮に、のめり込んで行く時期。中期は、その価値(の認知)をベースにして、仕事の中で自由に遊べる(好きなようにできる)態勢を確立していく時期。そのような「我が儘」という価値を共有できる友人や職員と連帯して企画を成功させていく中で、「自由に遊ぶ」楽しさは(一人よりチームでやる方が)増大することを知っていく。共同で仕事をすることの快楽を身を以て学んでいくのが、中期。しかし、私の「我が儘」はさらに貪欲なため、この仕事を介したよき友人関係が、自分の商品価値をベースにして成り立っているという構造自体に、不満を覚えていくことになる。予備校という場の文法に相応しくないほどの「無条件的な交わり」を夢想するほどになっていた。そうすると、初期から続いていた(いや増大していた)興奮や快楽は、そのまま逆に、「疲れ」「倦み」の原因へと反転することになった。その結果、(人気絶頂の時期でありながら)早く去りたいと思うようになっていく。これが最後期。

この短い予備校講師経験の中で身につけたこと学んだことは、その後の私のあり方の「基本形」となり、新たな展開ももたらすことになる。それはまた別のヒストリーである。

【2020年3月4日記】

◎ 2020年3月3日(火)「YouTubeライブ配信「飯盛元章×入不二基義 無関係/断絶を哲学する」

YouTubeライブ配信「飯盛元章×入不二基義 無関係/断絶を哲学する」は、
飯盛元章さんのYouTubeチャンネル http://youtu.be/OH675okUcCM で、3月14日土曜日・17:30からライブ配信されます。


下記イベントは中止になりましたが、その代わりに、飯盛元章さんとの対談「無関係/断絶を哲学する」を、YouTubeでライブ配信することになりました。
3月14日(土)の17:30〜 です。90分〜120分くらいの予定で話します。

配信URL等は、決まりましたらお知らせします。
http://youtu.be/OH675okUcCM
もしこの時間帯が空いていましたら、視聴をご検討下さい。


【開催中止】飯盛元章 × 入不二基義トークイベント「無関係/断絶を哲学する」 『連続と断絶―ホワイトヘッドの哲学』(人文書院)刊行記念
https://honyade.com/?p=96493 @honyade_comさんから

【2020年3月3日記】

◎ 2020年2月29日(土) 「交差形「あるようになり、なるようにある」」
質問に応答して。

「あるようになる」と「なるようにある」という交差形は、非時間的なあり方が時間的な生成の内へ組み込まれることと、時間的な生成自体は非時間的に一挙であること、その両者のあいだでの「組み込み合い」を表します。

「非時間的に」というのは、「時間経過とは無関係にただ忽然と」ということ。

この話は、拙著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)で、交差配列として出てきます。また、「忽然」は、5月刊行予定の『現実性の問題』(筑摩書房)で、「今」「現在」を論じるところで活躍するキーワードです。

【2020年2月29日記】

◎ 2020年2月28日(金) 「文体クイズ」
おもしろい!
特に問4・問5を読んでみて!

https://note.com/free_will/n/naf0d27d6a097


【2020年2月28日記】

◎ 2020年2月28日(金) 「イベント中止と動画配信の予定」




【2020年2月28日記】

2020年2月26日(水) 「旧教養部・同窓会」

昨夜は、新宿の韓国料理店モンシリにて、山口大学教養部教員時代の「同窓会」と称して、5人(それぞれ大阪・名古屋・埼玉・東京に勤務)が集まった。全員がまだ30代のときに、教養部に専任のポストを得て出会った。お互いの個人研究室もすぐ近くで、私生活もコミで濃厚な友人関係が展開されていた。それぞれの時期に、山口大学を去って他大学に異動した点も共通点。専門分野も違うメンバーで、当時は「超域研究会」という、お互いの研究を他分野の人にレクチャーする研究会もやっていた。久しぶりに会ってみると、20年・30年の空白など一挙に跳び越えて、あの頃のノリにすぐ戻る。それは、学生時代の友人関係ととてもよく似ている。まだ学生みたいな助教授時代だったということなのだろう。

【2020年2月27日記】

◎ 2020年2月25日(火) 「英語バージョン」
・ 青山学院大学HPの教員コラム、入不二基義「哲学の練習をしよう」の英語バージョンです。
・ 英語の勉強になりますよ。
https://research.a01.aoyama.ac.jp/english/insights...


・ 日本語バージョンは、こちらです


【2020年2月25日記】

◎ 2020年2月19日(水) 「論文の最後段落」
『中部哲学会年報』51号に掲載予定の拙論「レスリング行為と「マリオネット問題」」の最後の段落は、次のようになった。
第1節でクライストの小説から「マリオネット問題」を抽出し、第2節と第3節でその問題をレスリング行為に適用した。第2節では、「マリオネット問題」の核心部分に対して、レスリング行為が親和的であることを確認した。鍵は、レスリング行為における「全体性と部分性」「自動性と操作性」であった。第3節では、「マリオネット問題」の危うさに対して、レスリング行為が抑制的に働くことを確認した。鍵は、レスリング行為固有の身体性と、そこに働く「力」の動物的な原始性、あるいは「岩盤」として働く即物的なリアルにあった。さらに第4節では、「危うさ」と「抑制」の〈あいだ〉=第三の道を、プロレス行為に見出そうとした。「ヨシヒコ」という極めてプロレス的な現象に焦点を絞って、「マリオネット問題」の拡張を考察した。小説とレスリングとプロレスが、家族的類似(ウィトゲンシュタイン)を描き出したことになる。

拙稿「レスリング行為と「マリオネット問題」」は、5月の連休明けくらいにweb公開される予定の『中部哲学会年報』51号で、読めるようになります。

【2020年2月19日気】


◎ 2020年2月17日(月)「増設講座」
【増設のお知らせ】
駿台教育探究セミナー「哲学的文章の読書会」ですが、3月29日(日)の講座は定員満了で締め切られましたので、〈4月5日(日)9:50〜16:30〉の設定で、同一文章・同内容の講座を増設します。



【2020年2月17日記】

◎ 2020年2月16日(日)「ヨシヒコ」
・ 執筆中の「レスリング行為と「マリオネット問題」」では、ヨシヒコ(VS飯伏幸太)にも言及することになった。

抜粋「(・・・)いわば、操られるように操って受動を能動し、その能動的な操りもまた、プロレスの展開の渦に巻き込まれて、能動が受動される。(・・・)」
【2020年2月16日記】

◎ 2020年02月15日(土)「かなり的確に把握されてしまいました(^^)」

【2020年2月15日記】

◎ 2020年2月13日(木) 「飯盛元章さんと対談をします」
飯盛元章さんと対談をします
3月8日(日)19:30〜21:00
ジュンク堂池袋本店
『連続と断絶―ホワイトヘッドの哲学』(人文書院)刊行記念
無関係/断絶を哲学する

孤高の哲学者ホワイトヘッド。彼は、あらゆるものが関係しあう連続的な宇宙像を描き出しました。飯盛元章著『連続と断絶』は、現代の「思弁的実在論」の議論を足がかりにして、ホワイトヘッドが描く連続的な宇宙のうちに、架橋不可能な「断絶」を見つけ出すことを試みています。

本トークセッションでは、「無関係」をひとつのキーワードとされ、5月には集大成的著作『現実性の問題』(筑摩書房)を出版予定である入不二基義さんと共に、「無関係/断絶」をテーマに哲学的思索を深めたいと思います。

https://honto.jp/store/news/detail_041000042271.ht...

【2020年2月13日記】

◎ 2020年2月7日(金) 「小西君の記事」
・ 私も練習でお世話になった小西央記君の記事。
・ 朝日新聞の「4 years 大学スポーツ(https://4years.asahi.com)」の記事「青山学院大レスリング・小西央記 真摯さと思いやりを貫き、新たな旅立ちへ」
https://4years.asahi.com/article/13099051

【2020年2月7日記】

◎ 2020年2月7日(金) 「論文執筆中」
・ 中部哲学会年報51号へ掲載するために、「レスリング行為と「マリオネット問題」」を執筆中。
・ この論文は、「レスリング行為/レスリングする身体」(『現代思想』二〇一九年1月号、現代思想の総展望2019、青土社、一四〇頁ー一五六頁)の続編的な論文である。
・ 「マリオネット問題」とは、クライストの「マリオネット芝居について」という短編小説から読み取れる、自動性と神の問題です。

【2020年2月7日記】

◎ 2020年2月1日(土) 「2019年12月 青山学院大学レスリング場にて」
・ えらそうに私(黄色いTシャツ)も写り込んでる。
・ 2019年12月某日、青山学院大学レスリング場にて。

【2020年2月1日記】

◎ 2020年1月30日(木) 「デジタルパンフレット」
・ 駿台教育探究セミナーの特別講座・入不二基義「哲学的文章の読書会」の案内文が公開されました。
・ デジタルパンフレット([https://www.sundai-kyouken.jp/dp/2020spr/])のp.10に掲載されています。
・ パンフレットが、予備校の案内書(講習用)の雰囲気だし、昔いっしょに仕事をした仲間たちの名前が多数あるし、懐かしい気分。

【2020年1月30日記】

2020年1月26日(日)『哲学者イリフジ、51歳でレスリングを始める ーその考察と体験と語りー』

・ 『現実性の問題』(筑摩書房)の次は、懸案の『哲学者イリフジ、51歳でレスリングを始める ーその考察と体験と語りー』(ぷねうま舎)の執筆へと進むことになる。担当編集者の中川和夫さんとメールで相談中。こちらは、来年には出せるかもしれない。

【2020年1月26日記】


2020 年1月19日(日)「第19回全日本マスターズレスリング選手権試合」
・ 昨日は「第1試合はあの方と再戦。楽しみだ」と書いたのに、あの方は棄権で再戦かなわず、初戦は不戦勝。
・ 準決勝に進んで、昨年の優勝者で今年も優勝することになる方に、タックルでテイクダウンされて股裂きからのフォールで秒殺。レベルが違いすぎる。
・ 画像は、表彰式と3位の賞状とメダル、そしてセコンドを務めてくれた松田コーチとのツーショット。



【2020年1月19日記】

◎ 2020年1月18日(土)計量通過
・ 計量通過。第1試合はあの方と再戦。楽しみだ。
【2020年1月18日記】

◎2020年1月14日(火)「減量」
・ 今回は例年になく減量に苦労。昨年来の本執筆への集中によりレスリングをしていなかったせいで、「(減量)サイクル」がこれまでのようには順調に発動しなかった。身体のシステムは正直だ。しかしようやく、一ヶ月前に63kgから始めた減量が、本日の朝になってようやく計量リミットの58kgまで辿り着いた。これで試合には出られそうだ。
【2020年1月14日記】

◎ 2020年1月3日(金) 「拙著刊行予定と目次の告知」
・ 2020年5月刊行予定、入不二基義『現実性の問題』(筑摩書房、タイトル英訳:The Problem of Actu-Re-ality)
『現実性の問題』は、私がこれまで書いてきた著書の中で、最大かつ最深の作品であり、『相対主義の極北』(ちくま学芸文庫)や『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)に連なり、更にその先まで考察を進めることを意図して書かれた。




【2020年1月3日記】

◎ 2020年1月3日(金) 「謹賀新年」
・ 年末年始も、提出した『現実性の問題』(筑摩書房)の原稿の手直し。本日、「提出原稿6」として担当編集者にデータを送付。
・ 原稿書きと本のことに注力していて、身体を動かしていないため、試合に向けて減量中なのに例年より体重が落ちない。


【2020年1月3日記】


2019年の身辺雑記(メモ)

2018年の身辺雑記(メモ)

2017年の身辺雑記(メモ)

2016年の身辺雑記(メモ)

2015年の身辺雑記(メモ)

2014年の身辺雑記(メモ)

2013年の身辺雑記(メモ)

2012年の身辺雑記(メモ)

2011年の身辺雑記(メモ)

2010年の身辺雑記(メモ)

2009年の身辺雑記(メモ)

2008年の身辺雑記(メモ)


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※この時計の時刻は、閲覧しているパソコンのものであり、必ずしも正確な時間とは限りません


著書


(別丁扉)
2020『現実性の問題』(筑摩書房)


表紙(正面+背)
2020『現実性の問題』(筑摩書房)


(カバー 平面)
2020『現実性の問題』(筑摩書房)



(カバー 立体)
2020『現実性の問題』(筑摩書房)


2019『運命論を哲学する』(森岡正博との共著、明石書店)


2017『香山リカと哲学者たち 明るい哲学の練習 最後に支えてくれるものへ』(ぷねうま舎)


2017 『現代哲学ラボ 第4号: 永井均の無内包の現実性とは?[Kindle版](哲楽編集部・編)


2016 『現代哲学ラボ 第1号: 入不二基義のあるようにありなるようになるとは? 』[Kindle版](哲楽編集部・編)


(カバー+オビ 立体)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)

(カバー 立体)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)


(カバー+オビ 平面)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)

(カバー 平面)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)

(表紙 平面)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)


2013『子どもの難問』(野矢茂樹編著、中央公論新社)<私の執筆は二編>


2013『英語で読む哲学』(編著、研究社)


2012『哲学の挑戦』西日本哲学会・編、春風社)


2011『Q〜わたしの思考探究〜 (共著、NHK出版)


2010『<私>の哲学を哲学する』(共著、講談社)


(カバー 帯なし)
2009 『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想 』(朝日出版社)

↑(帯をとると上のようになります)


(カバー+帯)
2009 『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想 』(朝日出版社)



2009 ちくま学芸文庫版『相対主義の極北』(筑摩書房)



2007 『哲学の誤読 入試現代文で哲学する!』(ちくま新書)



2007 『時間と絶対と相対と 運命論から何を読み取るべきか』(勁草書房)



2006 『ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか』(NHK出版, シリーズ・哲学のエッセンス )






2002 『時間は実在するか』(講談社現代新書)




2001  『相対主義の極北』(春秋社)



1993  『<思考する>英文読解』(駿台文庫・絶版)

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