※後半、ジニー一人称注意です。



山間の町であるバーランドの冬は早い。
十一月には既に、街も人も山も、冬の支度を終えている。
――しかしその丘だけは、まるで時が過ぎる事を忘れたように、秋の花が一面に咲き誇っていた。

とりどりの色をたたえた花に、ピアニィは感嘆の声をあげた。
「すごい―――こんなにたくさん、まだお花が咲いてるなんて」
小さな丘を、一面に秋の花が覆っている光景は、今が晩秋である事を忘れそうな不思議なものだった。
「確かに凄いな。ここまで咲いてるとは思わなかった――」
あたりを見回しながら、アルも驚いた声を上げる。…その様子に、ピアニィは振り返ってくすりと笑った。
「………アル、ここの事はジニーちゃんに聞いたんでしょう?」
「―――アイツ、喋ったのかよ」
庭師の名前に、アルが不満げに唇を尖らせる。恋人の妙に子どもっぽいしぐさに、ピアニィは今度は声を上げて笑った。
「違います、あたしも聞いたんです。この時期でもまだお花の見られるところはありますか、って。アルと、見に来たかったから――」
「…同じ事考えたのかよ。まあ、それなら別に――」
怒りの行き場を無くしたようにもごもごと口を濁すアルに、ピアニィはもう一度声を上げて笑う。

…帝紀八一二年、十一月。
この月は後の歴史上においても、大陸全土が戦乱の様相を見せ始める混乱の月として知られることとなる。
メルトランド滅亡に端を発する、二大国の緊張が伝染したかのように――それまで沈黙していた国々が一斉に蜂起し、大陸各所で戦端の火の手が上がっていた。
そのような情勢の中で、女王ピアニィの心労は大きく――執務の合間に、息抜きと称してアルがピアニィを連れだしたのがこの丘だった。

「初めてこいつが役に立ったな。まあ、コレが最後って訳でもなねえだろうけど」
アルは懐から取り出した、大きな金メッキの鍵を見て笑う。小鳥の意匠が施された鍵は、バーランド宮の秘密の門――通称、「鳥籠の扉」を開くためのもの。
「――――でも、あんまり長くは居られないですよね」
アルのものと対になる鍵を、こちらもポケットから取り出しながら――ピアニィはかすかに寂しげに微笑んだ。
「……その事なんだけどな、一応旦那には言質取ってる。日が傾くまでに帰ってくれば良いってよ」
鍵を見つめて佇むピアニィに歩み寄り、アルは意識してのんびりした声を出す。執務を取り仕切る軍師の名前に、ピアニィの翡翠の瞳が見開かれた。
「ナヴァールが……っ!?」
「――最近、姫さんが思い詰めすぎるってな。多少息抜きしねえと、持たないって心配してたぜ」
―――連れ出すから文句を言うな、と強引にねじ込みに来たアルに、竜人の軍師はそう言って快諾した。
一人で抱え込みすぎないように―――との伝言に、ピアニィは申し訳なさそうに顔を伏せた。
「……ダメですね、あたし。まだまだみんなに心配かけてばっかりで――」
「女王になって日も浅いんだ、そんなもんだろ。大体、みんなお前が大事だから心配してるんだ。あんまり気にするな」
ぽんぽんと、安心させるようにアルはピアニィの薄紅色の頭を軽く叩く。―――けれど、ピアニィの表情は暗いままで。
「―――だけど、あたしにはもっとできる事があるはずです。しなければならない事も。それなのに――」
焦りの滲む声を上げるピアニィの口元を、アルの指がそっと抑える。
「……思い詰めるなって、言ったばかりだろうが。ここにいる間だけでいい、あんまり深く考え過ぎるな」
「―――だけどっ……!」
国を、民を、人を――思うがゆえに反発の声をあげたピアニィを、アルはそっと抱きしめた。
「――――今だけでいい、全部忘れろ。何も……考えるな」
囁いて、アルは口付ける。―――彼の女王を、彼だけの少女にするために。


※    ※    ※


「………ジニー。アル殿をお見かけしなかったか」
庭掃除をしていた私に、そう声をかけてきたのは警備隊長のネルソンさんだった。
「アル様ですか? えーと、朝の鍛錬をお見掛けしたきりお会いしてないですよ」
―――出来うる限り不自然にならないように、演技をしてる素振りも見せないように、気をつけて返事をする。
カンが良いというか、気回しがいいというか、よく気がつくところがあるからなあ、この人。
「……そうか。陛下も外の空気を吸いに行くと仰ったきりお姿を見ないし、どうされたのか…」
―――その分ちょっと堅物といおうか、想像力の無いところもあるんだけど。
女王と騎士といえども、妙齢の男女が揃って行方不明という時点で多少は察しても良いと思う。本人達隠してるつもりでも、バレバレなんだし。
「……正門、裏門とも通った者は居ないというし、城の中におられるはずなんだが……」
そう言って、考え込んだ様子でネルソンさんは眉を寄せる。―――ええ、まあ、あの扉ないことになってるしね。いまや私にも開けられないし。
「………なにか、不測というか不穏な事態でも? しばらくは出陣とかないって聞きましたけど…」
あんまり深刻な様子に不安になって、思わず聞いた私に、ネルソンさんは軽く首を振った…眉間の皺はそのままに。
「いや、そう言った事態はないが……何かあったときでは遅いからな」
まあ、たしかに。この間のレイウォール軍の襲撃には驚いたし、恐ろしくもあった。―――大勢亡くなったし。
――だけど。思い詰めすぎの警備隊長殿に、私は子どもの頃――城勤めの者の子や孫で寄り集まっていた頃の名前で呼びかける。
「……大丈夫だよ、ネルソン兄ちゃん。陛下もアル様も、何かあったらすぐ帰ってきて下さる――この間だってそうだったでしょ?」
拍子抜けしたような、ぽかんとした顔になって、ネルソン――兄ちゃんは私を見た。
「――――お前にそう呼ばれるのは、ずいぶん久しぶりだな、ジニー」
懐かしそうに笑う兄ちゃんの顔から、ようやく眉間の皺が消える。――この人も、一人で背負い込みすぎるタイプだよなあ。
「まあ、庭師と警備隊長だからねえ。あのチビデブハゲの頃は、こっちは閑職だったし」
「女の子がはしたない。ちゃんと執政官殿といいなさい」
「兄ちゃん、それはどっちかというとお母さんの台詞だよ」
他愛のない、気楽な会話。明るい笑い声を上げて、兄ちゃんはふと空を仰いだ。
「―――こんなに笑うのも、久しぶりだな。私はずいぶん気を張りすぎていたようだ」
「張りすぎた弦は切れやすい、磨かぬ槍は曇りやすい。―――ナイジェル様に良く言われたっけね」
多少のモノマネをこめた私の声に、兄ちゃんは真面目な警備隊長の顔に戻る。―――似てなかったかな。
「…そうだな。磨かぬ槍になるわけにもいかん。あてもなく探し回るよりは、訓練に戻るとしよう」
「―――やっぱり、出陣とかあるの?」
聞き返した私に、ネルソンは首を横に振る。
「いや――ただ、備えておきたいだけだ。この先に何が起こるか、分からないからな……」
大丈夫でしょ、といいかけた私の口元を、晩秋の冷たい風が通り抜けた。
―――なんとなく。何かが起きるんじゃないかという不安が、私の中にもかすかに伝染したようだった。
「…明日の訓練、参加しても良いですか。ちょっと鍛えておきたいんで」
箒を握ってそう言った私に、ネルソンさんは真剣な顔で頷いた。
「もちろんだ、歓迎する。―――怪我はしないようにな」
「いやそれは無理でしょ訓練で」
思わず突っ込んだ私の背中を、もう一度風が駆け抜けた。


※    ※    ※


翌日。
警備隊の別棟の前、訓練場にいる私を見て、アル様は驚いた顔をなさった。
「…………何で、ここにいるんだ」
「訓練の為です。警備隊長殿に許可は頂きました」
槍を掲げて言うと、アル様はさらに渋い顔になる。
「別に、庭師の本業しててもいいだろうが。仕事に戻れよ」
「そうは参りませんっ。この城に何かあったとき、皆様をお守りせねばなりませんからっ」
…まあ、私程度の実力では肉の盾がいいとこなんだけども。それでも、出来ることはして置きたい…できるだけ。
私の気負った顔がおかしかったのか、アル様はくすりと笑うと――訓練用の刃を潰した剣を取った。
「―――いい気合だ。だったらすぐに本業に戻れるよう、一番に相手してやる」
訓練用の剣は、はっきり言ってなまくら以下の鉄の棒だ。だけど、アル様の手に収まるとあっという間に殺傷兵器に見えてくる。
二本の鉄の棒を、構えるでもなく下げたままで。アル様は私に小さく頷いた。
「―――来な」
「………一番槍、ジニー・パウエル! 参りますっ!」
自分に気合を入れるために、腹の底から声を出して。私は槍を――構える前に走り出した。
途端、穂先が白く光を帯びる。その光に、軽くいなそうとしていたらしいアル様の目の色が変わった。
「――――…っ!」
「っでええりゃあああああぁぁぁっ!!」
槍を、貫く為でなく剣のように重さと勢いを使ってぶん回す。
はっきり言って反則だけど、体力と筋力差を埋める方法がコレしか思いつかない。
――が、私の振るった槍はアル様の鉄剣一本にあっさり流された。
だが、予想範囲内。流された勢いを使ってそのまま距離を取り、今度はちゃんと槍を構える。
「―――流星槍か。面白いもん持ってきやがったな」
私の槍を言い当てて、アル様がにやりと楽しそうに笑う。
流星槍――シューティングスター。振るう前に走ると鋭さを増す、魔法の槍。穂先に刻まれた星の紋様を見えるように構え直して、私も笑う。
「私みたいな落ち着きのないのには、コイツが一番向いてますので!」
言うが早いが、また走り出す。とにかく体力に任せて突撃、時々フェイントがてら立ち止まって連撃。それが私の作戦だった。
……結果はまあ、予想通りというか。
十回ほど突撃したところでスタミナが切れ、連撃もさらさらと流されて、一度もまともに剣を振るってすらもらえず。
体力が尽きた私が訓練場のすみっこに転がったのは、訓練開始から三十分もしない頃だった。
「………うあー。……空が青ーい」
「………何をやってらっしゃるんですの、アナタは」
大の字になって空を見ていた私の視界に、厨房付きメイドのマリエスさんの顔が入ってくる。
小柄で童顔ながらたいそう優秀、かつ私より年上で既婚者――というマリエスさんは誰にでも丁寧に話す。
「…体力回復中です。マリエスさんは、何で」
「軽食の差し入れです。それと、何かあったときの救急箱代わりですわ」
そういえばこの人はアコライトだった。とりあえずそのまま転がっていると、マリエスさんは深く溜息をついた。
「…本当に何をやってらっしゃるやら。無茶や無謀と、勇気は全く違うものでしてよ?」
「成功した無茶を、勇気というんじゃないですかねえ」
のんびりとした声で私が返すと、マリエスさんの細い眉がきゅっと寄せられる。
「屁理屈をおっしゃらないで」
「…まあ、あながち間違っちゃいないんだけどな」
ぴしゃりと言ったマリエスさんの後ろに、苦笑したアル様の顔が見えた。
慌てて礼をするマリエスさんと起き上がろうとする私を面倒くさそうに押しとどめて、アル様は私の顔を覗き込む。
「ああいう戦法使うんなら、今の倍は効率よく動くべきだな。怪我はしてねえはずだから、もうちょっと寝とけ」
「―――怪我のひとつもしてないのが、むしろ悔しいんですけどね」
ひとつも実力を見せられずあしらわれた証拠なわけで。そう言って顔をしかめた私に、アル様は感心したような顔をして――
「……そういう、負けん気の強いのは嫌いじゃねえけどな。もう少し鍛えたら、また相手してやるよ」
琥珀色の瞳に楽しそうな色を浮かべて、本当に爽やかに微笑む。
―――………たっぷり十秒。沈黙してから、私とマリエスさんは同時に大きく溜息をついた。
「………な、なんだよその溜息は」
本気で困惑しているらしいアル様に、若干うんざりしながらマリエスさんと私で釘をさす。
「……………アル様。そのような態度、陛下のおられぬところで御取りになるのは如何なものかと存じますわ」
「あー、陛下のいらっしゃるところでも、他の人に見せちゃダメですよ、絶対に」
「確かにそうですわね。――つまりは、陛下以外にお見せになるには相応しくない態度かと」
本気で諭す私たちに、まだ戸惑いながらもアル様は無言で頷いた。やれやれ。
…ご本人を前に失礼だけど、感情のベクトルが『陛下>>>>アル様』な私と、最愛の旦那様以外の男は『カカシ以下』と言い切るマリエスさんでなかったら。
しかもちょっとアル様を憎からず思っているような女性なら、今ので確実に恋に落ちているだろう。
アル様本人に、自覚全くなし。困ったもんだ、ほんとに。
「………もっとも陛下も、そういうところがおありですけれどもね」
こちらの考えを読んだように、マリエスさんが私にしか聞こえない声で呟く。……似たもの同士って事かしら。
「………ところでアル様、例の丘には行って見られました?」
居心地悪そうにしているのを見かねて話題を変えると、アル様はほっとした顔で頷いた。
「ああ、あんなに咲いてるとは思わなかったよ。大したもんだな、驚いた」
「そう言っていただくと、ご紹介した甲斐がありますよ」
嬉しそうにしてらっしゃるので『ところでどなたと?』と突っ込むのはヤメにしておく。命の危険が怖いし。
「…さて。俺は訓練に戻るから、適当に休んで体力回復したら、とっとと本業に戻れよ」
じゃあな、と軽く手を上げて挨拶し、アル様は背を向けて訓練場の中心へ戻っていく。
それを見送ってから、マリエスさんがそういえば、と小さく呟いた。
「………わたくしも昨日は驚きましたわ」
「マリエスさんが、ですか?」
ようやく頭を起こして、私は聞きかえした。沈着冷静、エクスマキナなんじゃないかと噂までされるマリエスさんが驚くなんて、何があったんだろう。
「ええ。だって―――」
目を丸くする私の前で、マリエスさんは凄絶というか何というか――とても艶っぽい微笑を浮かべた。
「…陛下の昨日のお召し物の背中から、秋の花の押し花がたくさん出てきたものですから」
―――なるほど。


ずいぶん前に書いたのをしまっていないことに今更気づく…!
マリエスさんの初出です。そしてひょっとしなくとも、ネルソンさんを扱ったのはこれが唯一……(笑)

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