「その呼び方なんだけど、問題があると思うんだ」



ベルクシーレへ向かう道中――未だ旧メルトランド領内に留まる一行は、とある宿屋で食事をとっていた。
自然とフェリタニア組・グラスウェルズ組に分かれて座ったテーブルで、正面に座るアルとピアニィに、アンソンは冒頭のセリフを口にした。
「…呼び方…ですか?」
「俺が姫さんって呼んでるのが、か?」
いまいちピンと来ない様子で首をひねるふたりに、ナーシアも頷いて同意を示した。
「私もそう思っていた。確かに、これから先は特に問題」
ナーシアの(珍しい)同意に、勢い込んでアンソンは頷き、言葉を続ける。
「だよね? 問題あるよねやっぱり! 仮にも騎士が、しかも女王に向かって『姫さん』っておかしいとずっと―――」
「……………アンソン、問題はそこじゃないから」
いかにも頭痛がします、というジェスチャーと共にナーシアは深々と溜息をつき、アンソンのお喋りを遮ってアルとピアニィに向き直る。
「――――ここから先は、グラスウェルズ正規軍の駐屯地を掠めなければいけないし、その先のファリストル城を越えたら本国に入る。
私としては、移動中にそっちの身元を晒して無駄な時間はかけたくないし、そちらも同様だと思う」
「まあ、そりゃもちろんだ」
「はい。弟さんの身も心配ですし、会議の開催もありますし――」
神妙な顔で頷いたふたりに、ナーシアは沈黙を持って同意を示し、冷静に言葉を繋いだ。
「…姿かたちについては、ファリストル城まで行けば何とかなる。伝手もあるし。――問題は言動。呼び名一つでも、余人に正体を探る手ががりを与えることは避けたい」
「つまり、姫さんに偽名を使えってことだよな」
念を押すように言うアルに――ナーシアは小さく首を横に振った。
「ただの偽名では、とっさの場合に反応が遅れたり、本名の方に反応してしまう可能性が考えられる。道中は長いし、ぼろが出やすくなる」
「………それって、すっごい条件が厳しいよね。ピアニィ女王には自分の事だとわかって、他の人には身元のわからない名前って…」
アンソンの呟きに――ナーシアは冷たい視線を横に流す。
「―――本来なら、町にも入らず野営で過ごして人目を避けたいところなのに、あなたが毎回宿を取った方が良いって主張してるからでしょう」
「いや、だって、仮にも貴人だよ!? 野営続きってわけに行かないでしょ!? 僕らだけならまだしもだけど、こちらの為に仕方なく――」
慌てるアンソンに、ピアニィは大きな瞳を瞬かせてにっこりと笑う。
「あたしなら平気ですよ? 野外活動には、昔から慣れてますし」
「………昔って、元レイウォールの王女が……野外活動…?」
「――――まあ、それはともかくだ」
思わず額に汗を流すアンソンに、ごまかすようにアルが言葉を被せる。
「要は俺達が、今使ってる以外の呼び名に慣れないといけないが、その候補が問題――って訳だな」
「そういう事。―――何か、いい案は?」
アルのまとめにナーシアが頷き、そのまま視線をピアニィに移す。闇紫の瞳に真っ直ぐ見つめられて、ピアニィは俯いて考え始めた。
「んー……小さい時の呼び名とか、どうでしょう? 兄様たちが――ステラ姉様は最近までですけど、あたしの事をピィと呼んでましたから、それで」
「…………他の人間は、知らない呼び名?」
ナーシアに問われたピアニィの顔に、かすかに寂しげな微笑が浮かぶ。
「小さい時に、ほぼ家族の前でだけですから。逆に言うと、この名前であたしだとわかる人は――兄様のかなり近しい関係者だということになります」
「あぶり出しにもなるわけか。それは確かに、ちょうどいいかもね」
「―――………」
ピアニィの言葉にのんきに頷くアンソンの前で――アルはそっと、テーブルの下でピアニィの手を握った。
「………じゃあ、それで♪ これからあたしの事は、ピィと呼んでくださいね♪」
殊更に明るく、にっこりと笑うピアニィからかすかに目を伏せて――ナーシアは頷き、そのまま視線を今度はアルに向けた。
「―――じゃあ、アル。ここで練習」
「れっ!?」
「れ、練習、ですか!?」
慌てて声を上げた二人に、至って冷静にナーシアは頷きを返す。
「一番名前を呼ぶことが多いのは、当然だけどアル。そのアルがぎこちなく呼んでいたら、偽装の意味がない。というわけで練習」
「………わ、わかったよ……」
ナーシアの隙のない正論にしぶしぶ頷いて、アルは体の向きを変えてピアニィに正面から相対し―――


「――――――ピ…ピィ……?」
「…………………は、はいっ………」


妙に改まった声でのアルの呼びかけに、ピアニィもぎこちない返事を返し――ふたり同時に真っ赤になった顔を伏せる。
「………ねえ、ナーシア。コレ、笑うところ…?」
「笑いたければどうぞ。後の保障はしないけど」
「だよねえ…」
それを正面で見ていたアンソンとナーシアが囁きあうのも、ふたりの耳には入る様子もなく。
「………って、な、慣れてる呼び名じゃなかったのかよ…」
「――――いえ、あの、アルに呼ばれるとなんだか…緊張しちゃって…っ」
「あー、じゃあナーシア、僕らもなんか愛称で呼び合おうか! 親睦のために!!」
どこからどう聞いても『互いの呼び名に照れる新婚夫婦』みたいなやり取りに、耐えられなくなったアンソンが若干壊れた声を上げる。―――が、相手はナーシアなわけで。
「………それに、何の意味が?」
冷たいを通り越して痛いほどの視線に、呆れ果てた声で返されるが、アンソンもめげずに反撃する。
「いや、だから――あ、ホラ、僕も身元がわかるといろいろめんどくさい身分だからさっ、ナーシアがつけた愛称で呼んでよ!」
「わかった。じゃあアンポンタン」
「って、愛称のほうが長いよっ!?」
こちらもすっかり夫婦漫才じみてきたやり取りに、今度はピアニィが耐えられなくなって噴き出した。
「―――っ、ごめ、なさい…っ…お、おかしくて……っ! あ、あはははははっ!」
おなかを抱えて笑い出すピアニィの明るい笑い声に、場の空気が一瞬で和やかなものになる。
すっかり緩んでしまった空気の中で、苦笑したアルがアンソンの肩をぽんと叩いた。
「………ま、頑張れよ。アンポンタン」
「いやいやっ、アル・イーズデイルには言われたくないぞっ!?」
「ってだからなんで人をフルネームで呼ぶんだよっ!?」
ぎゃあぎゃあと、立ち上がってまで騒ぎ出した男二人をよそに――ピアニィは正面に座るナーシアに、笑顔で呼びかけた。
「―――ナーシアさんも、あたしの事はピィって呼んでくださいね」
「……貴女の名前を呼ぶ場面が、そうそうあるとも思えないけど」
「――――あ、あぅ…」
冷静な言葉一つで返されて、ピアニィはしょんぼりと俯いてしまう。その萎れ方を見たナーシアは、小さく溜息をついて――
「……………機会があったら、努力する。それでいい?」
困ったような声で、一応の承諾を示すと――ピアニィは『花のような』と評される、あでやかな微笑を浮かべた。
「はいっ。よろしくお願いします!」


ベルクシーレへの道は―――まだまだ遠い。


…その後。
ナーシアより『常日頃から、ピアニィの事はピィと呼ぶ』ようにと強制され、事情が事情なので渋々従ったアルであったが、

『呼ぶたびに、お互い真っ赤になって動きが止まる』
『呼び名に気を取られすぎて、会話までぎくしゃくして不自然極まりない』

――――等の不都合が生じた為、呆れ果てた顔のナーシアに
「…………もう、そのままでいいから。何か、別の方策を考える」
…と宣言され(匙を投げた、とも言う)呼び名については今まで通りとなった。
また、この後は街道沿いにグラスウェルズ兵が増えてきた為に、しばらくは野営で凌ぐとナーシアが宣言、それに(アンソンをのぞく)全員が賛成した。


…『見上げれば星の天蓋』へ、続く。




ブログ発表時とはちょっと改稿バージョン。
名前呼びネタは、本文にもあって嬉しかったのですが、何度も言うけどそこじゃない(笑)
アンソン君が、どんどんお馬鹿…もといムードメーカーになってきます。
ここまでじゃないかなあ、とも思うんですが…まあいいか(オイコラ)

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