その日、私はバーランド宮の庭を歩いていた。


王都はノルウィッチに変わったけれども、遷都に伴った事務作業とかは色々、さまざま、山積みにあるのだそうで。
陛下やナヴァール様といった皆様は、月に何度もバーランド宮にお戻りになっている。
もとよりバーランド宮の庭師である私は志願して、その移動に随行させていただいている、のだった。

気になったところを高バサミで整えながら、数週間ぶりになる庭を歩く。
そうして、庭を一回りしかけたころに、鮮やかな紅が見えた。
「…陛下? どうかなさいましたか?」
庭のひと隅にちょこんと、ピアニィ陛下が立っておられる。
お仕事の合間の休憩でいらっしゃったのだろう陛下は、私の声に驚いた様子で振り向かれた。
「――――あ、ジニーちゃんっ。あの、これ、何でしょう…?」
おずおずと陛下が示されたのは、土を細かく砕いて積み上げたような盛り上がり。
「あー…蟻塚ですね。こんな大きいの、いつの間に…」
言いながら近づいた私は――――声を失う。
こんな大きいの、とは言った。けども、ここまで大きいとは思わなかった。
目の前に立つ蟻塚は、小柄なピアニィ様の背丈にも迫るくらい。ここまでの物を作る蟻は、バーランドあたりにはいなかったはずだけど…。
「蟻塚…じゃあ、アリさんの巣ですよね――――」
翡翠の色の瞳を、驚いたように瞠ったままで。陛下は一歩、ソレに近づき――踏み出した瞬間、足元が崩れた。
「きゃあぁ……っ!?」
「へ、陛下っ…………!!」
蟻塚の周りは、蟻が詰み崩した影響で土が柔らかいことがある。ましてこの大きさとなれば、なおさら。
そういう柔らかい土にはまったのかと思ったのは、一瞬。崩れた地の底に飲み込まれそうになった陛下に、私は必死で腕を伸ばし――――


………頬をつけた地面は、痛くない程度には柔らかい。私が横になっても沈まないということは、何かで固めてあるんだろう。
「う……ん………ジニーちゃん!? ジニーちゃんっ、どこですか!?」
今目を覚ましたらしい陛下が、私を探して大きく声を上げる。
「大丈夫です、おそばにおります陛下。下から失礼します」
「え…………ぁ、ああっ!? ご、ごめんねジニーちゃん、今降りますからっ!?」
私の背中の上で、陛下はたいそう慌てておられた。が、陛下を土に汚さずにすんで私としては結果オーライである。
「大丈夫ですよー、陛下は羽のように軽いですから♪ お気になさらずに〜」
…ほんと、何食べてんだろうってくらい軽い陛下が背中からお降りになった。私も、手探りで自分の荷物を確認しつつ立ち上がる。
掴んで落ちたのは、仕事に使う色んな道具と愛用の槍。とりあえずランタンを探し当てて、最大の光量であたりを照らした。
まず確認すべきは自分の居場所、ということで。上を見れば、紅茶のカップほどの大きさに光る空がある。まだ、日は高いみたいだ。
黒っぽい土の壁はやはり固められていて、足がかりは多い。高さとしては、私なら何とか登れそうなくらい。いざとなれば陛下をおんぶして登ることになるだろう。まあ、体力はあるし。
陛下と私が立っている穴の底は、大人が数人も入ればいっぱいになってしまいそうだった。そして――
「あ、あれ…横穴ですね」
陛下の指さされた先には、確かに楽に通れそうな大きな横穴が開いていた。ランタンを掲げてみたけれども、横穴の奥にまでは光は届かない。
どこまで行くのかわからないし、こんな穴があるとは思わなかったから、調査もした方がいいとは思うのだけれども。それでもいったん、戻った方がいいだろう。
「ですねえ。とりあえずは、いったん地上に――――」
戻りましょうと言って、足場を確かめるつもりで真上にランタンを掲げて、私は凍りついた。
さっきまでは、黒っぽい土で固められていたはずの土壁が――黒い。黒々とした、硬質なものの集まりでびっしりと覆われている。
ランタンのあかりに鈍く光るそれが、生き物――――蟻の表皮だと気づいて、さすがに悲鳴をあげそうになるのを何とか飲み込んだ。
「――――――ッ、じ、ジニーちゃん、こっち……!!」
横穴のほうに目を凝らしておられた陛下が、細い悲鳴をあげる。慌ててランタンを向けると、横穴もびっしりと蟻たちで覆われているのがわかった。
…それにしても、でかい。今までみたどんな蟻よりも大きい。長い後足まで入れて測ったら、確実に陛下の背丈を追い越すだろう。
ただの蟻であるはずが無い。少なくとも私の知る限り、バーランドに存在していた生き物じゃない。…そもそも、生き物かどうか。
警戒しながら槍を準備しかけた私の腕を、陛下が引いた。
「……何か、聞こえませんか――声…」
どこか、夢見るような陛下のお顔が気になりはしたけど……横穴のほうの音に集中してみる。すると、確かに声がした。
『………其方に問う…フェリタニア女王、ピアニィであるか…? 我が元に、来よ……疾く、来よ……』
女性――らしい声。けれども、こんなところにまともな人がいるはずもない。罠か、そうでなくたって危険には違いない。
その声の導く方向の蟻たちが引き、道を作る。明らかに、誘うように。どう考えたって逃げるが勝ちだと思うけれど、陛下を抱えて突破できそうな数でもなくて――私は一瞬迷ってしまう。
「………いか、なきゃ。呼んでます…あたしを…」
何よりも――ぼうっとしたお顔で、陛下はその声のほうへと歩き出そうとなさる。慌てて私は前へ飛び出した。
「へ、陛下――――失礼しますっ!!」
腕をつかんで止めようとした――んだけど、華奢なお体のどこにという力で私の方が引きずられそうになる。
これは、おそばについて行くしかないだろう。ランタンを掲げ、槍を手に、私は何とか陛下のすぐうしろにつく。背後で、蟻たちがまた道を塞ぐ気配がした。

しばらく歩いて行くうちに、通路はより深く地の底へ潜っていくみたいだった。陛下は疲れたご様子も見せず、黙々と進んでゆかれる。
見えるのは土壁と無数の蟻たちだけ。あまりの単調さに、むしろ私の方が先に音を上げそうだ。
そんな行軍の先に、薄ぼんやりとした光が蟻の外皮に照り返っているのが見える。――目的地、だろうか。
大きく開けた広場のようなそこには、やっぱり蟻が満ち満ちていた。ヒカリゴケで覆われた壁と天井のおかげで、動くのに不自由はなさそうだ。
そして―――床中を埋め尽くす黒い蟻が、陛下のために道を作る。
『ようやく、来たか…待ち侘びたぞ、女王よ。余分もついておるようだが構わぬ、さぁ…我が元に―――』
広場の中心、蟻たちの群れている場所からその声はした。
陛下を引き寄せた声の主は、長い黒髪に黒いドレスをまとった、『妖艶』という言葉をわかりやすく書き表したような女性。床に座っているのか、姿勢は低い。
美人には違いない。だけど、悪い魔女みたいに真っ赤な唇がニィっと釣りあがる様は、そしてこちらを見る目の光は、ただの人間のものには到底見えなかった。
背中がぞっとするようなあの光を、私は何度も山で見たことがある。あれは、相手を餌としか見ない――捕食者の目だ。
「は…い………」
普段とは違うぼんやりとした声でお答えになって、前に出ようとなさる陛下を、私は抱きつく勢いで強引に引きとめた。わーほそーい…いやいや、違う。
「―――陛下っ!! しっかりなさってください!! アル様もナヴァール様も、上で陛下のお帰りをお待ちです!!」
「ナヴァー…ル……、アル…っ…?」
私の声に、陛下の大きな若葉色の瞳に見る見る生気が戻られる。うーむ、わかりやすい。
同時に、私を引きずっても前に行こうとしておられた足も止まる。大きな瞳をぱちくりとされる陛下から、私は安心して手を離した。
「ジニー…ちゃん? え、あの、ここは!? あたし、一体―――」
どのあたりから記憶が無いのか、戸惑っておられる陛下に説明しようとした私を、憎々しげな声が遮った。
『……余分めが、余分なことをしやる…!』
顔をゆがめてそう言った女性は、座り込んでいた床から立ち上がる――と、思っていた。だけどそこにあるのは、ドレスの裾じゃなくて―――蟻の腹部。
「な………っ!?」
「ぇ…っ、魔…物……!?」
悲鳴を上げかける私と、驚きの表情で硬直なさる陛下の前で――蟻の体をもった女は再び邪悪な笑みを浮かべた。
『まあ、良い…。新たな女王を迎える我が子らの滋養となれ、余分な娘よ…!』
女の声に、声を持たないはずの蟻たちがぎちぎちと顎を鳴らす。気味の悪い音の中で、陛下が厳しい表情で私に囁いた。
「ナヴァールとベネットちゃんに、聞いたことがあります。エリンディルに、大きな蟻の姿の魔物がいるって…確か名前は、インフェストアント。
女王蟻を頂点に、人間を襲って寄生し繁殖する、恐ろしい生き物だって……!!」
陛下の声が聞こえたのか、女――――いや、女王蟻が高らかに笑う。
『異邦の地に流れ出でて作り上げた我が帝国は、次代の女王を迎えこの地の人間どもを喰らってますます大きくなろう…!
フェリタニアの女王よ、そなたは我が産みし新たな女王蟻の依り代となるのだ。地上の女王の次は地底の女王となれるのだ、光栄であろう?』
くく、と嘲笑う女王蟻に、陛下は―――
「そんなこと……許すわけにはいきません!! あなたたちを、ここで倒します!!」
腰のベルトに下げていたミスティックロッドを構え、凛とした表情で立ち上がる。
私ももちろん、陛下を庇える位置に移動して槍を構える。傷のひとつだって陛下にはつけさせないと、決意して槍を握り直したとき。

……一瞬、ほんの微かに、女王蟻の浮かべる笑みが深くなった。

そして―――私は首筋に焼けた火箸を近づけられているような、嫌な焦りを感じて。

「―――――陛下っ!!」
考えるより早く体は動き、それまでいた位置から陛下を庇いに走り出す。だけど、一瞬だけ遅かった。
「きゃあっ……!!」
細い悲鳴と共に、陛下の華奢なお体が土の上に倒れこむ。
そのおみ足に傷をつけた蟻が、二撃目を繰り出そうと頭を振り上げたところに飛び込んで、迷うことなく槍を突き出した。
白い魔法の光を帯びた穂先が膨れた腹に突き刺さり、蟻はギチギチと悲鳴(らしきもの)をあげる。
私は構わずそのまま持ち上げぶん回し、蟻たちを数体蹴散らす。僅かにあいた隙間に蟻たちが殺到する隙に、私は陛下のお側に屈み込んだ。
「陛下っ! ピアニィ様、大丈夫ですか!? お怪我は…!」
見れば、陛下の細い脚を覆うニーソックスが切り裂かれ、僅かに血が滲んでいる。…蟻め、許すまじ。
改めて決意する私をよそに、陛下は気丈なお顔で頷いてくださる。…僅かに、呼吸が荒い。
「は、はいっ、そんなに深くはないです。だけど、足に力が入らなくて……それに、手が…」
そう言って陛下の掲げられた小さな掌が、私が手当てしようと触れた足が――震えている。まさか………。
私がその可能性に辿りついた時、再び女王蟻の楽しげな高笑いが響いた。
『我が子らの造りし毒の味はどうだ? せいぜい身動きが取れぬようになるだけ、安心せい。余分を始末して大人しくなった所で、女王の卵を抱かせてやろうではないか』
…予想通りではある。ただし、最悪の。愕然としたお顔の陛下を背にかばって、私は槍を構えなおして声を張り上げた。
「……これ以上、陛下には足の一本だって触れさせません!」
―――だけど、内心では冷や汗が流れつづけている。陛下を庇って傷を受けるのは構わない、むしろそれが私の役目だ――いつもなら。
だけど毒があるなら…一度だって攻撃を受けることは出来ない。私はまだ、アル様のように気力だけで毒を撥ね退ける技量は持っていない。
二人揃って動けなくなってしまったら、そこから先には最悪の結末しかない。幸い、この囲みを走り抜けることはできるから、あとは陛下を抱える隙さえあれば―――
「…………ジニーちゃん」
そんなことを考えていると、背後から細く可憐な声が私を呼んだ。不安とか迷いを押し隠し、何とか笑顔を作って肩越しに振り向く。
「はいっ陛下! すぐに、地上までお連れしますから――少々お待ちくださいっ!!」
土の上に座り込んだままの陛下が、すこしおつらそうな顔で私を見上げている。視線だけで何とかまわりの蟻どもを牽制した私に、陛下はもう一度声をかけて下さった。
「―――走れます、よね?」
「もちろんでございますとも! 陛下お一人抱えたって――」
勢い込んで力こぶなど作って見せようとした私に、陛下は小さく首を横に振られた。


「……だったら、ジニーちゃん。あたしを残して、先に外へ出てください。時間は稼ぎますから」


そう言ってふわりと、とても儚く透明な笑顔を浮かべられる陛下に、私は言葉をなくしてしまった―――。

「女王蟻のねらいは、あたしひとりです。それにジニーちゃんなら、囲まれても抜けられるはず―――」
「……………ゃ………です……」
陛下のお言葉は途中から耳に入らなかった。弱々しく首を振る私を、陛下は少し困ったような顔で見つめられて。
「……そうすれば傷つくのは一人で済みますし、助けも呼びに行ける―――これが一番、いい方法なんです。……お願いです」
真っ直ぐに私の目を見ておっしゃると、陛下はもう一度微笑を浮かべられた。
それはとても綺麗で、真っ直ぐで、優しくて―――――胸が痛くなるような笑顔。ご自身が傷つくことをいとわない、覚悟の笑み。
普通に考えたら、陛下は私の御主君で、その上にこんなお顔をされて―――――逆らえるわけが無い。
だけど………………だけど。溢れ出しそうな感情を一度、槍を握る手に力をこめて、歯を食いしばって堪えて―――私は腹の底から声を出した。

「―――――――いや、です…嫌ですダメです絶対にっ!! 陛下を置いて私だけ逃げることなんて、できませんっ!!」

「ジニーちゃん、でも…」
私を止めようとする陛下の声を、聞かないようにまた声を張り上げる。…もう一度お願いされたら、心が折れそうだった。
「陛下がお望みならどんな敵とも戦います! 生き延びろとおっしゃるなら、泥水を啜っても生き長らえて見せます!! 逃げろと仰せなら地の果てまでだって逃げます!!
だけど、陛下が傷つくことがわかっていてみすみす逃げることは、絶対に絶対にできません!!」
いつの間にか私は、すっかり陛下に向き直っていた。戸惑うように眉を寄せ、もう一度口を開こうとする陛下より先に、私は思いのたけを叫ぶ。
「陛下はっ…優しいから、ご自分のせいで私が傷つくって思って、それがお嫌なんだってわかってます! だけどそれなら私だって、陛下が傷つくのはいやです!
―――私は…陛下が、ピアニィ様が大好きですからっ、大好きな人が傷つくのは見たくないんですっ!!」 


「――――ああ、そうだな。良く言った」


そのとき上から降ってきたのは、聞きなれたというのも生ぬるいような、馴染んだ声。
振り返ろうとした私と、身を乗り出しかけた陛下の前で、物凄い突風が巻き起こる。思わず顔を覆って、目を開けると――――蟻どもの蹴散らされた広場の中、声の主が立っていた。
枯葉色の、裾がかぎ裂きになったマント。細身の背中に負われた、飾り気のない銀の双剣。収まりの悪い赤銅色の髪が、ご自身の巻き起こした剣風の名残に揺れている。
「―――――アルっ……!!」
感極まった声の陛下に、アル様は振り返ろうとせず。代わりに、私の方に琥珀色の視線だけが飛んできた。
「………見上げた根性だ、誉めてやる。まだ、戦えるな?」
「は、はいっ、アル様っ! だけど、アイツら毒が…かすり傷でも受けたら危険ですっ!」
焦って返事をする私の声に惹かれたように、すっかり蹴散らされたあたりの蟻どもの中から一隊が起き上がって攻撃を仕掛けてくる。
明らかにこっちを狙った攻撃に、慌てて防御姿勢をとると――――目の前に、光の壁が出現して蟻たちを弾き飛ばし、倒れたところには銃弾が降り注いだ。
「―――かすり傷でも、か。ならば、かすり傷をも受けなければ、問題あるまいな」
「ちぃ姫様、隊長っ! ご無事でございまして!?」
目の前の光景にひたすら驚いてる私に答えたのは、横合いから飛んできた穏やかな声だった。
振り返った先にいたのは、ケセドの杖を掲げたナヴァール様と、ライフルを構えて心配そうなカーシャちゃん。
「ぶ、無事です、けど―――アル様もナヴァール様もカーシャちゃんまで、なんでここにっ…!?」
「それにお答えするのは、少々時間がかかりますね。今の事態を鑑みるに、あとでお話したほうがよろしいかと」
間近で聞こえた声に、飛び上がりそうになりながら振り向く。いつの間にやら、私の横に執事さん――――エイシスさんとメイド長のマリエスさんがいた。
「し、執事さんっ!? マリエスさんも、いつの間になんでっ――」
「何故と言われれば、害虫駆除も執事の勤めだから――でしょうか」
さらりと言って穏やかないつもの笑顔を浮かべる執事さんと対象的に、マリエスさんの表情は緊張感に満ちていた。
小柄なマリエスさんは陛下のお側に膝をつくと、お手をとり顔色を見て、眉を寄せたままで言い難そうに切り出す。
「――――解毒には時間のかかる類のものの様ですわ。アル様、ジニーさん、陛下をしっかりお護り下さいませ」
「…わかってる」
「……はいっ!!」
無愛想に言葉を返すアル様の横で、私は改めて槍を構える。そこへ響いたのは、女王蟻の怒りに満ちた咆哮。
『おのれ…おのれおのれ! 人間どもめぇっ!! 子らよ、喰らってしまえい!!』
アル様が開いた隙間を埋めるように、新たな蟻どもが進み出る。ギチギチと顎を鳴らす無機質な行軍の上に、今度は雨のような矢が降り注いだ。
「ひゃっほ――!! 撃ち放題でやんすぅぅぅ!!」
「おいおいそりゃ、どー聞いても悪役のセリフだぜ?」
ベネット様のハイテンションな声、それを諌めるような…というか、からかうようなギィ様の声が、広間の奥から聞こえてくる。
見てみると、だいぶ蟻が減った空間の向こう、壁に大きな穴が開いてるのが見えた。皆さんはきっと、ここから入ってきたんだろう。
そして、そこにいるのはお二人だけではなかった。
「ドランさんっ、援護して! マルセルさんは支援お願いします!!」
凛とした声に続き、明るい色のポニーテイルがふわりと宙に浮いた。――アキナ様だ。
「りょーかいナリ! 《フライト》もかかったナリよ!!」
「支援は任せろ。…お前だけでは危なっかしいからな」
大きな帽子を直しながらマルセル様が杖を掲げ、アキナ様へ加護の光を送る。その隣で、ドラム缶――もとい、ドラン様が頭のふた(?)をあけて宝石を放り込んだ。
「拡散《ウォータースピア》、発射ナリィ――っ!!」
開いた蓋から砲塔が現れ、蒼く輝く水の砲撃を行う。その射線に載ったみたいに浮かび上がると、空中を走ってアキナ様が蟻の一群に斬りかかった。
「エンジェルファイヤー、参上っ!! アル兄様とピアニィ様には触れさせないんだからぁ――!!」
…あー、相変らずだなあ、アキナ様は…。状況も忘れ、思わずぽかんと見送ってしまった私の視界に、ナヴァール様とカーシャちゃんに襲い掛かろうとする蟻の姿が映る。
「あぶな……っ」
私が警告を発するより早く。黒衣の影が踊るような足取りで舞い、蟻たちを次々と倒してゆく。
シンプルなスーツにケープを纏ったその姿は、見慣れたリアちゃんの服装だけど、その動きは―――
「ぼさっとしてないで、陛下をしっかり護りなさい! こっちは任せていいから!!」
長い髪を三つ編みに結うこともなく背中に流しながら、振り向いた女性は両手にナイフをきらめかせている。
「は、はいっ、リゼットさん!!」
慌てて返事をし、陛下を護るため真正面へと向き直る…そのころにはもう、あれだけいた蟻の姿は半分以下に減っていた。
『おのれ………おのれ………我が、帝国を…!!!』
呪詛の言葉を吐きながら、女王蟻はすさまじい形相で私たちを見下ろしていた―――。
「…うるせえよ」
低い声で、アル様が呟く。両手に握った剣が、小さく軋む音が聞こえた。
「ただでもごちゃごちゃと喋るやつは嫌いなんだ。おまけに、こちとら最高に機嫌が悪いと来てる」
…何で機嫌が悪いかは、大体わかってしまった。背後の陛下が一瞬怯えた気配がする。そして――私も正直、女王蟻よりアル様が怖くて鳥肌が立った。
静かに、ただ、静かに。アル様が、両の手の剣を構える。
「―――――グダグダ言ってねえで、かかって来い。ぶった斬ってやる」
『…ぁぁぁぁぁあああああああああアアアアアアァァァアアアァアアァァァッ!!!』
すっかり魔獣の本性をあらわにした女王蟻が、聞き苦しい叫びを上げながら脚を振り上げ、襲い掛かる――私とアル様を通り越して、陛下に!!
『次代ノ女王…依リ代……ヨコセェェェエェェエェエエエエ!!』
マリエスさんに治療されていた陛下を庇うべく、アル様が二本の剣を十字に構え、女王蟻の巨大な脚を受け止める。
大きさと鋭さからすると死神の鎌みたいなそれは、じわりと染み出す毒に濡れている。そして―――その脚は、もう一本あった。
当然ながら、一本の脚を受けているアル様は動けない。二本目の脚が振り下ろされる場所に、私は後先も考えず飛び込んだ。
へし折られるだろうと思いながらも、槍をかざして受け止める姿勢を作る。私が毒を受けても、アル様なら一人で倒せるはず、問題なし――
…と、思った瞬間。私の目の前に、光り輝く障壁が現れた。
「…まったく。いつもながら無茶をなさるんですから…」
呆れたような声で言いながら、マリエスさんが片手を挙げて光の障壁を展開している―――アル様に向かって。
……あれ? じゃあ、私の前のこの障壁は―――
「仕方があるまい。無茶をするのはフェリタニアの国民性――ともいえなくはないからな」
横手から、苦笑まじりの穏やかな声がする。振り返ると、ナヴァール様が私に向けて白銀の竜を刻んだ杖を掲げておられた。
…つまり、この障壁はナヴァール様が張ってくれたものなのか。ありがたい…。
『ギイイイ、ィイイイイイイイイッ!!』
攻撃を両方とも受けられた女王蟻は、苛立ったような叫びを上げる。その耳障りさに眉をしかめる私に、深刻な軍師様の声が届いた。
「…だが、この魔獣――書物で読んだものより強化されているようだな。調査をしてみたいところではあるが、この状況ではそうも行くまい。
―――――アル、こやつの弱点は腹だそうだ。油断はするなよ」
「……ああ。わかってる」
そう呟いたアル様が、両の手に力をこめる。それを嫌ったか、恐らく女王蟻は体勢を立て直そうとしたんだと思う。
押し込んでくる力が緩んだ瞬間を、アル様ほどの剣士が見逃すはずもなく――――瞬間、鋼の光が十字に線を曳いた。
『ギィイイイイイいいいぃぃぃアアアァぁぁぁアァぁぁぁぁっ!?』
柔らかな腹を斬り裂かれて、女王蟻が今までで最大の悲鳴をあげる。
よろよろと身を引き、怒り狂った表情のままで歯軋りをする――その音に、蟻たちがざわめき動いた。
今までと違った動きを見せる蟻たちに、それまで静観していた執事さんが静かな声を上げる。
「…まとめて動かれると厄介ですね。一気に片付けてしまいましょう―――ジニーさん、よろしいですか?」 
「え、あ、はいっ、わかりました! ……アル様っ、執事さんに『合わせて』くださいっ!!」
「? ―――わかった」
何をするのか理解して――私は慌てながら隣のアル様に声をかける。訳のわからない言葉だけど、ちらっと寄せられた琥珀色の視線が頷いた。
先ほどの歯軋りが合図だったんだろう。残っていた蟻たちがざわざわと蠢き、女王蟻のそばに集まって隊列を整える。
ぎりっと歯をもう一度、女王蟻が鳴らしかけたとき。

執事さんが、懐から取り出したダンシングナイフを音もなく抜き放ち――――真っ直ぐに鞘に収める。
澄んだ金属音が、広間に響いた。

その音に気をとられた蟻たちが、瞬間静止する。
隙のできた瞬間に――――無数の矢が、銃弾の雨が、蟻たちの上に降り注いだ。
アキナ様の両手剣が、リゼットさんの両手のナイフが、ドラン様の魔法がひとかたまりになった蟻をなぎ払う。
私ももちろん、槍を掲げて蟻の群れに突っ込んだ。白い光を帯びた穂先が、蟻の一角をまとめてぶっ飛ばす。

そして。
女王蟻の正面に立ったアル様は、両手の双剣を構えることもなく。
「……失せろ」
押し殺した声がそう言ったのは、聞いた。だけど、構えるところは見えなかった。

気づいた時には、女王蟻の巨大な体が、砂山を踏み潰したみたいに崩れ落ちていた。
アル様は刃の汚れを払うように大きく振ってから、二本の剣を鞘に収める。
マリエスさんの背丈ほどもありそうな女王蟻の長い脚が、数回ぴくぴくと動き――――完全に止まる。
その瞬間に、僅かに残っていた蟻たちも同じように動きを止めた。
「…女王蟻と命を同じくする第一世代、というところかな。もはや、復活することもあるまい」
ナヴァール様が静かにそう言った瞬間、肩の力が抜ける。私はずっと、緊張していたんだと――その時になって、初めて気づいた。



―――――――――――戦闘、終了。


「…陛下っ!!」
だからといって、完全に安心できるわけもなく。私は慌てて、マリエスさんに背中を支えられている陛下のところへ駆け戻った。
「少しずつですが、痺れは抜けてきたご様子ですわ。じきに、お足元もしっかりなさいますでしょう」
マリエスさんがそう請け合い、陛下も弱々しいながらも笑顔を返してくださった。
「そうですか…よかった〜……」
「ご苦労様でした、ジニーさん。…お忘れ物ですよ」
へたり込んだ私に執事さんが声をかけてくれ、アタマにぽんと何かが載せられる。
「…ボンネット?」
それは私の愛用の、庭仕事用の白い帽子。…落とした事さえ気づいていなかった。いつ落としたんだろう…穴に落ちた時は、そういえばなかったような?
首をひねる私に、陛下を治療する手を止めぬまま、マリエスさんが微笑んでくれた。
「それがあったから、ここまで探しに来ることが出来たんですのよ」
―――いわく。休憩に出たまま戻らない陛下を探して庭に出たベネット様が、崩れた蟻塚の前に落ちてたボンネットを発見されたのだという。
私のものであると気づいて、辺りを詳しく調査したら、土の上に陛下の足跡も残っていて、それが穴に向かって消えているのがわかった――んだそうな。
「はぁ、そーなんですか……って、じゃあ、あっちの横穴はどこからどうやって? それにアキナ様たちは――」
ボンネットをかぶりながら言う私に、執事さんは『話せば長いことながら』と前置きをして、話してくれた。
 
…何でも、バーランドに残ってお城の掃除をしている人たちの中で、『地下から妙な物音がする』と話題になっていたのだそうで。
バーランド宮の地下には牢屋があるけど、当然ながら誰もいない。で、そんな情報が多数寄せられたことを重く見た執事さんが、ナヴァール様に相談。
ナヴァール様は、護衛として随行していたエンジェルファイヤーの皆様に、地下の探索をお命じになったんだという。
執事さんも一緒に行って調べたけども、手がかりは何もでてこなかったんだそうで。その時、マルセル様は仏頂面で――――


『ナヴァールめ、無理難題を押し付けてくれる…。こんなところから侵入しようと言う敵などいるものか。
 断言してもいい、この壁を崩したとしても、何も出てくるはずかないっ!』


そういって、地下牢の壁をコツンと杖で叩いたのだそうな。
その瞬間。石造りの壁はガラガラと崩れ、蟻の作った大きな通路に道が通じた、という訳で。……………マルセル様らしすぎる。
ちなみにそのあとは、呆然と硬直するマルセル様を残した皆さんでナヴァール様に報告。
同時刻くらいに戻られたベネット様から陛下が穴に落ちたと聞いて、その地下通路が陛下のいる所に通じている可能性が高い、と御判断なさり―――
すぐにでも一人で飛び出していきそうなアル様を宥めつつ、城内にいたメンバーで簡単に捜索隊を結成、ここまで来られたのだとか。
「はー………なるほど…」
話を聞き終え、思わず溜息をついた私の後ろに―――気配がひとつ。
「―――――………っ…」
私の背後に視線を向けられた陛下が、お顔を強張らせる。かすかに逸らした視線が、泣きそうだった。
気配が誰のものかなんてことは、見ないでもわかる。物凄く怒っていることも。
背後の気配――アル様が、小さく息を吸う音が聞こえた。陛下が身を縮めて、怒鳴られる衝撃に耐えようとなさるのを見た、その瞬間―――。

……私はすかさず体の向きを変えて、両手と頭を土の床につけた。
「申し訳ありませんっ!! このたびの事は、全て、私の責任ですっ! すべてのお咎めは私に…! 陛下を御責めにならないで下さい!!」

「―――――――っ」
「じ、ジニーちゃんっ…!?」
アル様が絶句し、ピアニィ陛下が戸惑ったような声を上げられたのが聞こえる。
「た、隊長っ!?」
「…ちょっと、ジニー!?」
カーシャちゃんの、リゼットさんの驚いた声がする。…執事さんとマリエスさんの声がしないのは、呆れてるからかもしれない。
「ふぅむ、なかなか見事な土下座でやんすな。ま、あっしには敵わないでやんすがね?」
「…城内に妙な習慣を広めないでいただきたい」
「てゆーか、アンタが教えたのかよ」
妙に自慢げなベネット様に、マルセル様とギィ様が突っ込みを入れている。
「アレが土下座かぁ〜…」
「アキナさんはおぼえなくていいナリよ」
興味津々、といった声で言うアキナ様を、ドラン様がたしなめている。ちょっと意外だったりして。
「ジニーちゃん、あの、頭を上げてくださいっ…」
陛下の困惑したようなお声に、それでも、なお。地面に頭をつけっぱなしの私に、アル様も困ったような声で話し掛けてくる。
「………別に、お前のせいじゃねえだろ。頭上げて、そこどけ」
「いいえ、私のせいです! 私が陛下を、力づくでもお止めして地上に出ていたら!! それより、蟻塚を見つけたときすぐにナヴァール様にお知らせしていたら!! こんなことにはならなかったはずです…!!」
―――そうだ。いくらだって、こんなことになる前に防げたはずなんだ。顔を伏せたまま唇を噛む私に、涙まじりの陛下の声が降ってきた。
「そんな……違いますっ、あたしが……!!」
「いいえ、陛下――――お庭で起きたことは、庭師である私の責任です! どうぞすべての罰は私に……!!」
地面に頭を擦り付ける勢いで懇願する私に―――アル様が、深く深く溜息をついた。
「――――――――………わかった。姫さんには、何も言わねえ。それでいいんだな」
「ついでに、責任の所在を確認するのは、上に戻ってからのほうが良かろうな。マリエス、陛下のお加減はどうかな?」
どこか面白そうなナヴァール様の声に、丁寧なマリエスさんの返事が重なる。
「毒の影響はほぼ抜けられたかと存じます。陛下、お体に動かしづらいところは―――」
途中から声が切れるのと同時に、軽い足音が地面に伝わって――私の隣に気配が寄り添う。
「…頭、上げろ。もういいから」
呆れたような、諦めたようなアル様の声に、私はようやっと頭を上げた。…おでこ痛い。
「あぁ、こんなに土が……」
横合いから伸びてきた華奢なお手が、私の額を払ってくださった。
「そんな、もったいないです陛下っ。…申し訳ありません。陛下を、お守りできなくって」
私が情けない笑顔になると、対照的に陛下が泣きそうな顔をなさった。…そんなお顔、させたくなかったのに。
「さて、それでは―――――そろそろ上に戻って、地上の光を浴びる頃合かと。お茶の支度も手配しておりますので」
ポンと手を叩いて執事さんが声をかけると、お腹を空かしていたらしいベネット様を先頭に皆さんが動き始めた。
どこか不機嫌なままのアル様に手を取られた陛下がお立ちになり、そのお側にはマリエスさんが付き添う。
慌てて立ち上がった私の頭に、ごちん―――と、ちょっと強めの拳骨が落ちてきた。
「本当に――――陛下もだけど、そういうのはよしなさい。自分を投げ出そうなんて思わないで」
振り返ると、普段よりもきつい目つきのリゼットさんが立っていた。だけども――――
「……え、と。なにがですか?」
「…………さっき陛下を庇ったでしょう。忘れたの?」
言っている意味が本気でわからなくって問い返すと、リゼットさんがさらに険しい目つきになった。………だけど。
「庇うなんてそんなっ。私が陛下をお護りできなかったのはホントですから―――」
悔しくて、唇を噛み締める。―――リゼットさんが何故だか、呆れたような溜息をついた。

それから後のことは、たいした話は何もない。
広間に戻ったら、本当に人数分のお茶の準備が整っていて、執事さんの手回しのよさに舌を巻いたり。
その執事さんとナヴァール様が協議した結果、庭の蟻塚と穴は潰して埋めて、地下の広間は補強材をいれて資材置き場にすることになったりとか。
即座に庭仕事に戻ろうとした私が、激怒したマリエスさんに『きちんと診察をして状態を確認するまでは仮眠室で謹慎』を言い渡されたりだとか。
何かと大騒ぎだった一日は、それくらいの出来事と共に終わっていった―――――。

数日後。

ノルウィッチに戻ってきた私が練兵場の片隅で顛末を話し終えると、思わぬ抗議が飛んできた。
「そんな……戦闘があったんなら、呼んで下さいよ〜隊長っ!! アル様に腕前を見ていただく機会が…!!」
騎士見習いで、アル様を慕うセラシュ君が悔しそうに拳を握ると、隣に立っていたラゼド君までむくれていた。
「留守番なんかおとなしくしてるんじゃなかったぜ…こっちは退屈でしょうがなかったってのに」
いくらなんでも、みんな引き連れて行ったらノルウィッチの守りがおろそかになってしまう。そう言い含めて置いて行った事が、まだ響いているみたいだ。
「…とはいえ、ナヴァール様によれば、あの魔獣は何者かに強化された形跡があるとのことでしたから…一緒に行っても、捜索には参加できなかったと思いますよ」
私と同じくバーランドには随行したものの、捜索隊には加わってなかったレティル君がフォローを入れた瞬間に、ラゼド君のシャツの裾を小さな手が引っ張った。
「ラ、ラゼド君…えと、あぶないこと、しないでね…」
おずおずと言うシェリアちゃんに、ラゼド君は完全に沈黙する。
「……でも、やっぱり、いっしょに行きたかったです…アリさん……」
なんかちょっとズレ気味なポイントで悔しがりつつ、ナナちゃんはネコミミをしょんぼりさせる。
そのナナちゃんに師匠と仰がれてるロキ君が、面白そうにけらけらっと笑った。
「でも、インフェストアントなんて、珍しいものが来るよね〜。あんまり出歩きそうにないのにさ」
「…そうですね、ナヴァール様もそれを――――って、え? ロキ君、インフェストアントの事知ってたんですか!?」
「まあ一応、って程度だけどね〜。おいらエリンディル出身だしね?」
確かにロキ君は、今は戦うことはできないけども、元々エリンディルで高レベルの『冒険者』だった、とか。
呆気にとられる私の前で、自他ともに認めるロキ君の相棒兼お目付け役のヘナさんが、きつめにツッコミを入れた。
「……ロキ。そういう事は、早めに言っておかないと、後から大変なことになるといいませんでしたか?」
「いやでも名前と習性くらいしか知らないんだよねぇ。実際遭ったことはないし」
慌てて弁解するロキ君の姿に、ティンさんがふわりと微笑んだ。
「ロキ君はうっかりさんですねぇ〜。じゃあ、シェリアちゃんの方が詳しいかもしれないですね?」
「ぇ、ぁ、はぃっ……インフェストアントに関する記述のある本は、バーランドの書庫に三冊、ノルウィッチの図書室に四冊あり、いずれもエリンディルからの伝来のものです。
このうち一冊は他の本の改訂版ですので、記述内容については変わりません。
その内容ですが、『繁殖初期段階の群れが駆け出しの冒険者によって駆除された』というものが数例紹介されているのみで、今回の事件と合致するような高レベル体の記載はありませんでした。
『エリンディル博物誌』の著者の類推によれば、繁殖を終え高レベル体に成長したインフェストアントは、その習性ゆえ町ひとつを痕跡も残さずに消滅させることが可能なのではないか、と……」
しゃきっとした口調だったシェリアちゃんの声が、急速に小さくなっていく。『スイッチの入った』シェリアちゃんをしてこの程度で済むんだから、本当に珍しい魔獣なんだろう。
そんなものがたまたまやって来てバーランドに流れ着いて、たまたま陛下を狙うなんてことは当然考えにくい。
―――――何となく、全員が押し黙ってしまった中で。ふっと、レティル君が私に顔を向けた。
「―――本当に。ジニーさんが無事で、よかったです」
本気で私を心配してくれたんだって事は、表情と口調でよくわかる。そう思ってもらえることは、すごく感謝すべきだってことも。
「………そう、ですね。でも――――」
なんて返そうか迷った一瞬に、足音と訝るような声が近寄ってきた。
「………なんだ? 稽古つけてくれっていうから来たら―――ずいぶんと多いな」
面倒見切れねえぞ、とぼやくアル様を、直立不動の姿勢でセラシュ君が迎える。
「お、おはようございますアル様っ!!」
「おはようございます♪ 私は、見学なんですよ〜」
ティンさんの柔らかな挨拶に続いて、みんなが口々にアル様に声をかける――その中で。

私は練兵場の踏み固められた土に膝をついて座り、傍らに槍を置いて――両手をついた。

「…………だから、お前は。それは止めろって、この間も言ったろうが」
私の姿を見咎めて、アル様が思い切り眉を寄せる。だけど、私は静かに首を横に振った。
「いいえ、先日のとは違います。……アル様の護るべき方を、代わってお護りできなくて――申し訳ありませんでした。そのことを、お詫びしたかったんです」
肘を曲げて頭は下げるけど、額は土につけず真っ直ぐに正面を見る。アル様の琥珀色の目に、しっかり視線を合わせた。
「――――私が、弱いから。陛下を一人でお護りできなくて、アル様との約束を破らせてしまったんです。…私のせいで」
悔しくて、喋りながらも奥歯に力が入る。膝の上で握った拳に、爪が手袋を破りそうなくらいに食い込む。
「――――――」
軽く目を細めるアル様を前に、私はもう一度土の上に両手をついた。

「……強く、なりたいんです。大切な人を護れるように。私を大事だといってくれる人を、安心させられるように。―――お願いです、私に、鍛え方を教えて下さい…!!」

――――深く深く、溜息をついてから。顔をあげた私に、アル様は真剣な表情で視線を合わせてくれた。
「……わかったよ。そういう事なら、遠慮も手加減もしねえ。こっちも思いっきり行くから、そのつもりで来い」
「―――望む、所です!!」
槍を手に立ち上がった私の口元に、自然と笑いが浮かぶ。それまで黙って見ていたセラシュ君が、慌てて挙手した。
「そ、それだったら、俺も参加したいです!!」
「俺もだっ! 今度こそ、一泡噴かせてやるぜ!」
「あ、わ、わたしも………!」
続いてラゼド君が両手剣を構え、ナナちゃんも進み出て輪に加わる。血気盛んなみんなの様子に、アル様も面白そうに笑顔を浮かべた。
「あぁ、いいぜ。多人数相手にした時の戦い方を、よーく見ておくんだな」
「…では、私たちは見学ですね。下がりましょう、ティンさん」
「はぁい♪ シェリアちゃんはどうしますか〜?」
攻撃には強くないヘナさんとティンさんが後方に下がる――けど、シェリアちゃんは杖をしっかりと握り締めた。
「わ、わたし……ラゼド君とか隊長さんの、お手伝いします…!」
言いながら輪に加わるシェリアちゃんを、ラゼド君が黙って庇う。
「―――援護は任せて下さい」
静かに微笑みながら、レティル君がみんなに魔法を飛ばせる位置に立つ。
全員が位置を決めた様子を見てから、私は大きく声をかけた。



「じゃ……いきますよっ!!」
強くなるために。大切なものを、護るために――――

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