―――あなたはきっと知らない。

―――それであたしが、どれほどに救われたかを。


「………ベネットちゃん、眠っちゃいましたね」
あたしの呟きに、夜中用の炭を熾していたアルさんが顔を上げる。
「海から上がってきたらしいからな、疲れてるんだろう。そのままにしとけ」
「そう、ですね」
ベネットちゃんは『間違えたでやんすぅ』とか『あっしは不幸でやんす…』なんて寝言を言いながら、地面の上に直接丸くなって寝ていた。ほんとに犬みたいだな――と思ったけど、アルさんが嫌がりそうなので口には出さないでおく。
「姫さんも、疲れてるだろ。今日はもう寝ちまえ」
お布団のかわりに、動物達に集めてもらった枯葉をベネットちゃんにかけていたら、アルさんがそう声をかけてきた。
――だけど、きょう一日に起きた出来事がめまぐるしすぎて、ちっとも眠くない。
それに、もう少しアルさんとも話していたい――と思った時。当のアルさんが、あたしの考えがわかったみたいにこちらを向いた。
「―――あのな、姫さん。眠くないから疲れてないと思ってるんだろうが、そりゃ単に気が高ぶってるだけだからな。悪いことは言わねえから、もう寝ろ」
怒っているような、ぶっきらぼうな声だけど――あたしの身体を気遣ってくれるのがわかる。…でも、アルさんだって休みたいはずなのに。
「だけど、アルさんだって牢屋から出たばかりで――」
「俺はいいんだよ、それこそ牢屋から出て自由の身なんだからな。ベネットだって漂流してるよりはマシになったはずだ。――だけどあんたは、今日までの城暮らしから逃亡の身の上だ。明日からの環境の変化に備えて、少しでも体力を温存しとけ」
あたしの反論に、焚き火に枝をくべながらアルさんはすらすらと答える。…まるで、あたしがなんて言うか予想していたみたいに。
ちょっぴり子ども扱いされたような、悔しい気分になって――あたしは、アルさんにひとつ交換条件を出した。
「…じゃあ、横になってますから、眠くなるまで一緒にお話してください。それならいいですか?」
「………まあ、そのくらいならな」
小さく溜息をついたアルさんの赤銅色の髪が、焚き火の灯りに照らされて鮮やかに揺れる。あたしも頷いて、枯葉で作った寝床に横になった――。
確かに疲れていたみたいで、横になった途端に瞼が下がってくる。今にも落ちそうな瞼を何とか引き上げて、あたしは気になっていた質問をした。
「そういえば、アルさんはレイウォールの人じゃないんですよね? ――なのになんで、あたしの名前を知っていたんですか?」
地下牢で出会った時――アルさんは確かにあたしの名前を言った。本気で疑問だったのだけれど、アルさんはまったく事も無げに答える。
「姫さん――街中に出たこと無いんだろ。あんた自分が思っているよりずっと有名人だぞ? レイウォールの街中だったら大概、あちこちに『プリンセス・ピアニィ』の肖像画が飾られてる。王都から結構離れたところでも、町じゅう探せば一枚や二枚出てくるんじゃねえか――」
そこまで言って、アルさんは不意に口を閉じた。――その沈黙の意味が、あたしにも、わかってしまった。
「………じゃあ、今度はそれが、手配書みたいになっちゃいますね」
あはは、と笑いながら―明るく言ったつもりだった。けどそれが失敗しているのは、アルさんの顔を見ればわかった。
―――本当に、今朝までは…あたしの歌を喜んで聞いてくれていた近衛の騎士たち。
街に出れば、手を振ってくれていた人たちが、明日からは逃れるべき追っ手になるのだと――あたしはこのときようやく実感した。
「………本当に、もう寝ろ。何も考えるな、ってのは無理かも知れねえが…」
溜息をつきながら言うアルさんに、あたしは即座に言葉を返した。
「嫌です。眠くないんです」
「―――姫さん、あんたな……」
「嫌です。………眠りたくないんです」
―――兄様から、城の皆から、国からも追われた。子供のようだけど…今眠ったら恐ろしい悪夢を見てしまいそうで。
何とか眠気を覚まそうと、瞬きを繰り返すあたしに――アルさんは赤銅色の髪をかき回し、また溜息をついた。
「……しょうがねえ姫さんだな。ったく…」
そういうと、立ち上がって焚き火を回り込み、あたしに近づいてくる。――少しだけ緊張したあたしには気づかない様子で、アルさんはあたしの横に腰をおろした。
「……ここにいるから。姫さんが悪い夢見てる様子だったら、遠慮なくたたき起こしてやるよ。―――だから、もう眠れ。大丈夫だから」
背中越しに掛けられた、何にも根拠のない、飾り気のない言葉。
だけど、それだけでとても安心して――あたしは安らいだ気持ちで眠りに落ちていく自分を感じた。
―――でも、あとひとつだけ。
「――――アルさん。あなたは、あたしを護ってくれるんですよね……?」
眠たい声で、小さく呟いたあたしに――アルさんは振り向いて答えてくれた。
「――ああ、約束だ。必ず安全な場所まで、あんたを連れてってやる」
「―――――はい。約束、ですよ…」
眠りに落ちる、最後の意識で笑顔を作って、あたしは瞼を閉じた。

―――あなたはきっと知らない。
あなたがしてくれた約束が、『レイウォールの王女』でない、何もかも失くしたあたしに、最初に与えられたものだという事を。
たった一人の、『ピアニィ』という娘の為だけに結ばれた、最初の約束だということを。
―――それであたしが、どれほどに救われたかを。
何もかも失ったから、ただこの約束に――あなたにすがりたいだけかもしれない。
けれど、それでも。あなたを無くす時がもしも来たら、あたしは全てを投げ打つだろう。

あたしにはもう、なにもないから。

あなたのほかに、なにもないから。










〜後記〜
ノベル2巻、ノルドグラム城脱出直後の野営シーンです。
…読み直したら、この時点で既にアルさんが思いっきりデレているのに噴きました(笑)
「可哀想な王女に元気を取り戻してもらいたい。」って!あんた!

なんとゆーか、ただの煮えポエムになってる気配もしますが気にしない!(笑)
こういうのいっぺんやって見たかったのですよ…。

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