あなたが傷つくのを、見たくない。
―――だから心に、嘘をつこう。

あなたを、失いたくない。
―――だから心を、凍らせてしまおう―――


「アルさん。……あたしとの約束、無かったことにしてください」

あたしの言葉に。
アルさんはただ、呆然とあたしを見つめていた。

こうなる前からずっと考えていたことを、何とか言葉にして伝える。
――あの地下牢での約束は、あまりにも大きな枷となって、あたし達に降りかかって来た。
『あたしを護り、安全な場所まで届ける』その約束のために、剣を振るうアルさんの背中に――ずっと、強い不安を感じていた。
ただひとりで、剣を振るい続けるあなたが、いつか消えてしまいそうで。
あたしを救ってくれた、この約束のせいであなたを失うのなら――

アルさんの顔が、あたしの言葉がこぼれるたびに、白くこわばる。
つらくて苦しくて――目を逸らしてしまいたかったけど、それだけは出来ないと必死に視線を合わせる。
紅の魔族に刻まれた紋章の痛みも、気にならなかった。――それよりずっと、心が痛かった。

「でもそれで……、姫さんはどうするんだ……?」
あたしの言葉を拒否するように首を振って、力無くアルさんは言った。
「……あたしは――大丈夫ですよ」
何にも根拠の無い、言葉。
大丈夫なんて、大嘘だ。あなたとはもう、二度と会えなくなるかもしれない。――だけど。
叫びだしそうな心を、凍りつかせて。あたしは何とか、微笑んで見せた。
―――あなたを傷つけたくないから。失いたくないから――

「……わかった」
長い沈黙のあとで、そう言ったアルさんの琥珀の瞳に、酷く傷ついた表情が浮かんだ。
その瞳のまま、あたしに背中を向けて――部屋を出て行く足音を聞きながら、あたしは再び意識を失った。


胸に刻まれた紋章が深く脈打つたびに、幾度もの痛みがあたしの体を襲う。
まるで波間に漂う木の葉のように、あたしの意識は深く沈んでは浮き上がる。
――そんな中で。傷ついた琥珀の瞳だけが、あたしの意識を繋いでいた。
ごめんなさい、だけど、あなたを傷つけたくないから。――永遠に失いたくないから。
「アル、さん……」
どうか、生きていて。――あたしのせいで傷つかないで。

「―――姫さん。おい、大丈夫か」

痛みに霞む世界に、遠ざけたはずの優しい声が響いて。
あたしはゆっくりと、目を開けた――


※    ※    ※

「…馬ぁ鹿者どもがぁ! 惑わされるな、前面に出ているふたりは囮だ! 後衛をねらえぃ!」
ヒュー兄様の近衛、キンバリーの男性にしては甲高い号令が、丘のふもとに響く。
その号令に従って、ベネットちゃんに剣を向けていた騎士の一部隊が転進して、あたしのほうに向かってきた。
「こっちに……!」
儀礼剣――赤き斜陽の剣に手をかけながら、あたしは慌てて身構える。
「…しょうがねえな。ま、一隊くらいは誤差範囲、か…」
舌打ちしながらも、妙にのんびりとした声でアルさんが呟いた。
「ご、誤差って…こっち来ますよ…!」
「―――大丈夫」
あたしの泣き言に、アルさんは背を向けたまま――キンバリーから視線を外さずに答えた。
何の飾り気も無い、その言葉に――あたしは、焦りや不安がすうっと消えて行くのを感じた。
「さて、まずは―――邪魔者を片付けるか」
周りを、二十人からの騎士に取り囲まれながら、アルさんは無造作にそう言って――両手の剣を振るった。
ただそれだけで、嵐のような風が巻き起こり…あの時地下牢で見たのと同じ光景が、あたしの目の前で繰り返される。
剣を構えていたはずの騎士たちが、声も無く倒れ伏して――その中心にアルさんがひとり、佇んでいた。
「――では、次はこちらへ、アル」
ナヴァールの朗々とした声が、アルさんを呼ぶ。その声に導かれるように、アルさんの脚が軽く地を蹴り――
…気づいた時には。あたしに向かって来ていたはずの騎士たちが、同じように倒れ伏している。
「…こんなもんか。ありがとよ、旦那」
「何、礼には及ばぬよ」
軽い調子で交わされる会話を、あたしは呆然と見守った。そして、もうひとり――
「な……っ、き、貴様らぁ…っ!」
あたしと同じように、呆然としていたらしいキンバリーが、声を上げる。けれど、それが言葉になるより早く。
「アル、次はこっちでやんすよ〜!」
「おう、今行くわ」
明るいベネットちゃんの声が、再びアルさんの足を動かした。風のようにその姿がかき消え、次に現れたのは――キンバリーの目の前。
「――……!」
慌ててハンマーを構えるキンバリーの前から、アルさんの姿がまた消え…キンバリーの傍らに立つ巨人の前で、十字の形に光がひらめいた。
―――ゆっくりと、山が崩れるように、巨人がその場に倒れる。
その向こう側に――剣を振り切った姿勢のままで、アルさんが無造作に立っていた。

――その背中に、もうあの時感じた危うさは無い。
あたしを護る、というその約束は――ひとりきりで戦う為でなく、みんなで支えあう為の約束。

「そっちの竜には、魔法が通る――姫さん、いけるな?」
「はいっ、大丈夫です!」
背中越しに掛けられた言葉に――あたしは笑顔で答える。




大丈夫。その飾り気のない言葉を、胸に刻んで。












〜後記〜
ノベル2巻267ページと、リプ1巻1話クライマックスを絡めて見ました。
…キンちゃんが楽しかったです(笑)

裏テーマは、『大丈夫』という台詞。
アル、ノベルでもリプでも頻繁にこの言葉を口にしています。
この言葉に励まされる陛下の姿が書きたかった…のと、どう見てもお前ら両想いですという関係を内から(笑)

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