ニアリームの街を越え、旧アヴェルシア領へと向かう道中――レイウォール兵に追われる一行はひたすらに隠れ進むことを余儀なくされていた。
ピアニィの望むように、むやみに命を奪う戦いはしない。――となれば、命の助かった追っ手から情報が漏れることは必然となる。
それゆえに、見つからぬように身を潜めつづける旅路であった。

夜の闇に隠れながら――繁みに身を潜め、街道を伺っていたベネットが、一つ小さく頷いた。
「……大丈夫そうでやんす。行くなら今でやんすよっ」
そう囁き、自ら先行して後続の仲間を手招きする。それにナヴァールが続き、街道をわたって振り返る。
「さ、殿下もお早く――」
「あ、はいっ…」
呼ばれたピアニィが、一歩を踏み出した瞬間。草に足をとられて、姿勢が崩れた。
ずるりと足が滑り、倒れると思ったその時に――温かな、しっかりとした感触が、背中を支える。
「……大丈夫か、姫さん。気をつけろよ」
至近距離から聞こえる声で――アルに抱きとめられたことに気付いて。

「…きゃああああああああああああああああああああああああああっ!」

ピアニィの口から甲高い悲鳴が飛び出した。
「…ひ、姫さんっ…何を突然…っ」
慌てて身を離し、耳を押さえてアルがうめく。己の身を庇うように抱きしめて、振り向いたピアニィの顔は――真っ赤に上気していた。
「………ご、ご、ごめんなさいっ……あの、つい、声がっ…!」
「―――アル、怒らないから言ってみろ…何をしたのだ?」
「って、何にもしてねえっ!? 俺はただ――」
妙に優しい微笑を浮かべるナヴァールに、噛み付きそうな勢いでアルが叫び返す。…隠密行動中であることも忘れて。
「――ふざけてる場合じゃないでやんす! 兵士が戻って来たでやんすよっ!!」
抑えた声で、ベネットが鋭い叫びを上げる。男ふたりはすかさず口をつぐみ、聞こえる足音に意識を集中した。
「…近いな」
「――二手に分かれたほうが良かろう。この先に沢があるはずだ、そこで落ち合おう…殿下を頼むぞ」
「って、おいっ―――」
早口で囁いて、ナヴァールはさっさとベネットと共に背を向け、林の中へ消えていく。
取り残されたアルとピアニィの耳に、ざくざくと土を踏みしめる兵士達の足音が届いた。――迷っている時間は、なさそうだった。ひとつ舌打ちをして、アルはピアニィの手を掴む。
「…しょーがねえな。姫さん、声出さねえように口塞いでろ――行くぞ」
素直に手で口を押さえたピアニィを横目で確認しながら、アルは夜の林へと走り出した。

――沢に程近い繁みの中に身を潜めながら、ナヴァールとベネットは周囲を警戒していた。
「…それにしても、あっしがピアニィ様と組んだほうが良かったんじゃないでやんすか? また悲鳴をあげてたら――」
ぽそりと呟いたベネットに、ナヴァールは何かを含むようににんまりと笑った。
「――なに、ああいう時は、どちらに対しても荒療治が一番だ。おそらく合流する頃には治っているだろうよ」
「そういうもんでやんすかねえ。あっしには、わかんないでやんす――」
溜息をつきながら言ったベネットが、空を仰ぐ。風が吹き、月にかかる厚い雲を散らしていた――。

街道沿いの窪地に身を潜めながら、周囲を確認し――アルが大きく息をついた。
「…姫さん、とりあえず手、外しとけ」
振り返って言われ、ピアニィはこくりと頷いて、口を押さえた手を外す――それから小さく、おずおずと囁いた。
「………あの…アルさん、手、を――」
「ん? ああ――悪ぃ」
掴まれたままの手が離れ、ピアニィは胸の鼓動を押さえるように俯く。
その様子を、どう誤解したのか――赤銅色の髪をかきあげて、アルは困ったような声を出した。
「……ともかく、もうちょっとだけ悲鳴は我慢してくれよ。俺が嫌いなのはしょうがねえけど――」
「き、嫌いって、どうしてそうなるんですかっ!?」
アルの言葉に、ピアニィは慌てて顔を上げ、抑えた声で抗議する。
「いや、触ったら悲鳴あげるから、嫌われてんのかと――違うのか?」
「ち、違います…! アルさんが嫌いなんてそんなっ」
「じゃあ、どうしてあんな声出すんだよ…」
「それ、は……」
困り果てた表情のアルの前で、ピアニィはどう説明すべきか迷って、再び俯いてしまう。
「―――わからないんです。なんて言うか、居ても立ってもいられないというか、落ち着かない気持ちになって…気がついたら声が出てしまっていて…」
自分でもどうしていいかわからないんです、と。ピアニィがそう呟くと、アルは小さく溜息をついた。
「……とりあえず、慣れていくしかねえだろうな。庇いに行くたびに悲鳴上げられたら、たまったもんじゃねえし」
「…そうですね。が、頑張りますっ」
頷いたピアニィの髪を、風がふわりと舞い上げる。――雲が切れ、大きな月があたりを照らした。
折しも満月だったらしく、周囲はかなり見晴らしが良くなっている。振り仰いだ月があまりに美しくて――
「―――綺麗……」
ピアニィは目を細め、うっとりと月を見つめて囁いていた。さやかな風が髪を揺らし、木の葉を歌わせている。
ふと気がつくと、アルがこちらを見つめて呆然としている。
「…アルさん? どうか、しましたか?」
子どもみたいだと思われただろうか。そう思いながら声をかけると――ひとつ瞬きして、アルが慌てたような声を出した。
「――い、いや、何でもねえ。こう明るいと、見つかりやすくなるから…」
言いかけたアルが口を噤み、ピアニィにも静かにするよう手振りで合図する。風に乗って、少し先から声が流れてきた。
「……いたか? よく探せ!」
「傷つけることなくお連れするように、と――」
兵士達のざわめきに耳を澄ませていたアルが、小さく舌打ちする。ちらりと空を見あげ、眉をしかめて――剣士は枯葉色のマントを肩から外した。
「………姫さん。しっかり口押さえとけよ」
囁いたアルが、寄り添うようにピアニィに近づく。思わず息を呑んだピアニィが慌てて口を押さえると――アルは、自分達の頭の上にマントを被せた。
出来るだけ小さく、見つかりにくいように身を縮め、息を潜める。いわば、布に囲まれた密室の中で――どうしても顔が、身体が近づいて、息遣いまで大きく聞こえて――ピアニィは目を閉じて動悸を押さえようとする。
けれど、目を閉じたことで――余計にアルを身近に感じてしまう。胸の高鳴りが大きすぎて見つかってしまうのではないかとさえ思ったその時――
「………行った、みたいだな」
溜息と共に囁きながら、アルがそっとマントをずらす。火照った頬に、夜風がひんやりと心地よくて、ピアニィも思わず大きなため息をついていた。
「声、出さなかったじゃねえか。頑張ったな」
枯葉色のマントを再び肩に巻きながら、アルがにやりと子どものように笑う。ピアニィも、その笑顔につられるように笑っていた。
「――頑張りましたっ。誉めてください、アルさん」
「おぉ、偉い偉い。……立てるか?」
軽く言いながらアルが差し出した手を――ピアニィはごく自然に取り、立ち上がる。
「…行きましょう。ナヴァールとベネットちゃん、きっと待ってます」
胸を張って言うピアニィに、感心したように一度、目を丸くして――アルは小さくうなずいた。
「ああ。はぐれるんじゃねえぞ、姫さん」
「―――はいっ」
大きく頷き、夜の空気を胸いっぱいに吸い込んで――ピアニィは心を落ち着かせる。
……胸の動悸は治まらない。逆に、強くなった気さえする。
だけど、叫びだしそうな落ち着かなさはもう無い。――少なくとも表面的には。
―――きっと大丈夫。アルさんはここにいるんだから。
理由のわからないままの不安に、一応の決着をつけて――ピアニィは前を行くアルの背中について、歩き出した。


「―――ナヴァール! ベネットちゃんも、大丈夫だった?」
ようやく沢にたどり着いたピアニィに声を掛けられて――ベネットは目を丸くした。
足場の悪い岩を下りるピアニィの手を、しっかりとアルが支えている。……悲鳴のひの字も上げすに。
「…こちらは無事です。そちらも、どうやら――大丈夫だったようですね」
「………まあ、なんとかな」
微笑むナヴァールに、肩をすくめてアルが答える。…その様子に、ベネットはほっとしたように大きく息をついて――
「な〜〜んだもう、心配したでやんすよ姫様っ♪」
ピアニィの華奢な背中を軽く突くと――バランスを崩した王女は、目の前にいたアルの胸にすがり付いてしまう。
「……あ…っ」
「―――っ……」
ピアニィとアルの顔が、瞬時に真っ赤に染まり――

「きゃ、あああああああああああああああああああああああっ!!」

………風とともに悲鳴が吹きぬけた沢に、恐ろしいほどの静寂が降りて、数瞬。
『……あっちだ! 確かに今――』
『急げ、逃げられるぞ――』
ざくざくと踏みしめる靴音とともに、兵士達の号令の声が響いた。

「………ぬう、これはまずい――」
ナヴァールが悠然と呟きながら、逃げられる道を探し。
「――あれ? えーと、その、あっしのせい…?」
ベネットが冷や汗を流しながら、林の中を先行する。
「ベネットてめえ…あとで覚えとけよっ!?」
顔を赤くしたまま、アルが叫んで――
「…す、すいませんっ…! もうもぅ…っ」
同じく顔の赤いピアニィが、アルに手を引かれて走り出す。

―――バーランドへの道は、まだ遠い。



〜後記〜
…自分、この締め方好きだな!!(笑)
タイトルがかなりこっぱずかしいですが、内容はもっとこっぱずかしい。
目指したものは古めの少女漫画的ラブコメでした。
達成できたかどうかは、お読みくださった方の判定にお任せします。

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