「…………アル。お食事までまだ、時間ありますよね…?」
アル・イーズデイルの肩に寄り添い、身を預けていたピアニィが――ふと体を起こす。
「――ああ、多分な。どうかしたのか?」
顔を覗き込むと、ピアニィはかすかに困惑した様子で俯く。
「……えっと、あの…食事の前にできたら、お風呂に入っておこうかなって…着替えも、その、したいですし…」
ずっと歩いて、埃っぽくなってますし――と、もごもごと呟く姿に、アルは思わず笑ってしまう。
「なんだ、そんな事か。だったら、俺はあっちの部屋に行ってるから、ゆっくり入るといい。どっちにしろ、荷物も片付けてねえしな」
先ほどの少女――ミネアに二部屋を開けてもらったのに、入ったのは荷物を置いた一瞬だけだ。椅子代わりにしていたベッドから身を起こし、アルは扉に向かって歩き出す。
「俺も少し、休むわ。―――後で、迎えに来るから」
「あ、はいっ。じゃあ、後で――」
ぽんぽんと軽く、薄紅色の頭に手を置いて。立ち上がった少女に小さく笑顔だけを返して、アルは隣の部屋へと移った。
――室内はシンプルだが殺風景ではなく、適度な広さと品の良い調度が居心地の良い空間を作り出している。
小さなソファとテーブル、大きめのベッドと備え付けの浴室、落ち着いた色合いの壁にかかった鏡。扉を閉めそれらを見回したアルの耳に――かすかな笑い声が聞こえてきた。
『………粗野なばかりかと思ったが、意外に騎士らしいところもあるものだな? 見直したぞ』
「――――――っ! 誰だ…っ!?」
警戒の視線を送るが、室内に人の気配はない。とっさに剣に手を伸ばしかけるが、聞こえた声に敵対する意思は感じられず――アルは戸惑いながら気配を探りつづける。
『驚かせてすまぬな、異邦の剣士よ。われはここだ』
再び掛けられたそれは、壁にかけられた鏡から聞こえていた。じりじりと、距離をとりながら覗き込めば――
「………あんた…誰だ…?」
鏡に映るのはアルの姿――ではなく。額の真ん中で分けた長い髪と、理知的な顔立ちに、裾の長い簡素なローブを纏った、ひとりの女。
『こちらの姿で現れることは稀であるのでな。無礼をお許し願いたい。――われはこの城、ファリストル城。レディ・キャッスルと呼ぶものもある』
「………ファリストル城………レディ・キャッスル…?」
オウム返しに呟きながら、懸命に事態を理解しようと努める。確かに、ファリストル城はそれ自体がエクスマキナ――心をもった機械であると、聞いてはいた。
「……つまりアンタは、この城で――それと、あのミネアって子供の本体でもある、って事で…いいんだよな?」
『理解が早くて、助かる。その通り、われとミネアは同じものを見て感じ、記憶している』
何とか頭を整理しながら、アルの口にした言葉に、女――レディ・キャッスルが頷く。そしてそのまま、すまなそうに視線を俯けた。
『―――その上で、謝罪せねばならん。先程、隣室でのそなたと主の話、見聞きさせてもらった』
「――――――…………っ!!」
レディ・キャッスルの言葉に、アルの顔に瞬時に血が昇る。隣の部屋、という事は――無意識のうちに口元を押さえたアルに、虚像の女は軽く微笑む。
『…そなたと主の間柄については、今は措くとしよう。それよりも聞きたい事がある。――ナーシアをメルトランドに、とは、どういうことか?』
冷たく硬質な声に、冷静さを取り戻して――アルはひとつ頷きを返す。
「……言ったとおりだ。メルトランドを再興するには、王の石とヒースに選ばれた巫女が要る。あんたも聞いているんだろう、ナーシアが選ばれたことは」
『――聞いてはいる。しかし、何故だ? 国は滅び、ナーシアは次代への約束をしたのみのはず。何故に今、滅んだ国を再興させようとする?』
厳しい顔に、攻撃的な言葉に、苛立つような響きが混じる。それが不安から来るものだと、アルの直感は読み取った。
「メルトランドが滅んだ事で、多くの人が苦しんでる。それを放っておくことは出来ない…ってのが、うちの姫さんの考えだな。それだけじゃねえだろうが――」
竜人の軍師が張り巡らせた、様々な策を思い返して、アルの眉がかすかに曇る。対峙するレディ・キャッスルの声に、表情に――紛れもない怒りが灯った。
『――己で納得できぬ策に、何故加担する? 滅びたものは捨て置けばよいではないか。…何故、ナーシアが担ぎ出されねばならぬ!?』
吐き出された焦燥に、苛立ちに――アルもまた、不審げな光を瞳に宿す。
「…あんたこそなぜ、そこまでナーシアにこだわる? それこそ、今はグラスウェルズにいるんだから、メルトランドの事は関係ねえだろ」
『…………理由はある。メルトランドは、われを縛りつけた国で――ナーシアはわれの、最も大切な友だ』
まるで本物の人間のように、乱れた呼吸を落ち着ける素振りをして――レディ・キャッスルは静かに告げる。
「ナーシアが…?」
『そうだ。われに初めて、心があれば人と呼べる、友となれると示してくれた。――われは、あの娘を失いたくはない』
一転して不安げな顔で、鏡の中の女は自らの肩を抱く。それは、鋼で作られた城であるエクスマキナの、心からの言葉。
『…何故に、ナーシアを連れてゆく? フェリタニア女王が、そなたの主が再興を急ぐのは、統一帝(アルドワルダ)の座を欲するがゆえか?』
手にした幸せを、ぬくもりを護るように。レディ・キャッスルはアルに鋭い視線を向ける。それを受けて――剣士はゆっくりと、首を横に振った。
「…違う。さっきも言ったろう、姫さんは、メルトランドの連中が苦しんでるのが見てられねえってだけだ。統一帝なんてそんなもの、望んじゃいない」
『では何故だ? 王たるものが、統一帝の座を望まずして、何を望む――?』
理解できないと、困惑した様子のレディ・キャッスルに――かすかな苦笑を交えて、アルは言葉を返した。
「あいつが――姫さんが望んでるものは、平和だ。この大陸から争いをなくして、誰もが幸せに暮らせるように…って、な。あんたにわかってもらおうとも思わねえが――」
――その言葉に。鏡の中の女は、呆けたような表情になる。
『…………平和………だと…?』
「…ああ。絵空事みたいだけどな、あいつは本気だ。そのために、ずっと―――」
『――――……ふ…っ』
アルの呟きに、胸の奥から深く息を吐くような女の声が被る。訝しげに振り向いた、アルの目の前で――――
『……っは、はははははははっ……あ、っははは…っ…』
虚像の女は突如、快活な笑い声を上げる。目の端に涙を溜め、体を折り曲げ腹を押さえて、心の底からの笑いを爆発させていた。
その笑いは、鏡の中だけに留まらなかった。呆然とするアルの周りの壁が、レディ・キャッスルに呼応して揺れさざめく。
それは隣の部屋で入浴していたピアニィにも、広間で話し込んでいたナーシアとミネアにも、会場のギルドハウスで休んでいた多くの戦士達にも知れるほどに。
いつしか、巨大なファリストル城全体が、明るく楽しげな笑い声を上げていた。
「…………理解されなくてもいいとは言ったがな…笑いすぎだろ」
腕を組み、仏頂面で。低い声をこぼす剣士に、レディ・キャッスルは涙を拭う動作付きで笑いすぎを謝罪した。
『……あぁ…すまぬな。…だが、これが笑わずに居られようか…!』
まだ笑いに揺れる女の顔は明るく、確かにミネアと同じ楽しげな表情をしている。その晴れ晴れとした顔に、アルは思わず眉をしかめた。
「だから、笑い過ぎだっての。一体何が、そんなにおかしいんだよ?」
『―――すまぬ、な…絵空事と笑ったわけではない、信じて欲しい…だが、どうにもおかしくてな』
笑いを何とか収め、鏡の中で大きく手を広げて。芝居がかったような調子で、虚像の女は高らかに声をあげた。
『…大陸をほぼ縦断する自由な女王と、ここを動くこともない不自由な城であるわれとが――望む事が同じとは!! 
この戦乱の世に、平和を望んでいるなどと口にするものが、われの他に居るとは――愉快で仕方がなくてな』
「―――同じ…望み?」
琥珀の瞳を瞬かせるアルに、ようやく落ち着いた様子で――レディ・キャッスルは静かに頷き返した。
『そうだ。最もわれの場合は、身の回り程度のものであるがな。人の争う姿も、命を落とすのも、好きではない』
城でありながら――或いは、城であるがゆえに。優しい言葉を口にするレディ・キャッスルに、アルは得心したような表情になる。
「…だったら――姫さんの言う事を、全部とは言わないが信じて欲しい。あいつは確かに、本気でみんなの幸せを願ってるんだ」
静かな懇願に、鋼の城が返すのは――迷い。
『…………理解はする。だが、われはやはり――ナーシアと離れることを、望みはしない』
不安げに揺れる、声と表情に。アルは静かな、優しい微笑を浮かべて言葉を紡いだ。
「…なあ、あんた。ナーシアが最初の友達だ、って言ったよな?」
『――そうだ。われを、人として扱った…初めての友だ』
「だったら、覚えておきな。友達ってもんは、べったり傍にいなくたって友達に変わりねえって。
――それに、アイツは離れたくらいで友達やめるほど薄情な女じゃねえよ」
十年来の昔馴染みで、最悪といえるほどに人をからかうのが好きな少女。それでも、ナーシアが信義に厚いのは、アルもよく知っている事だった。
『……そうだな。われはまだまだ、人との接し方を学んでいかねばならぬようだ――感謝する、剣士よ』
「別に、俺は大した事は言ってねえって」
深く頭を下げたレディ・キャッスルを、アルはどこか照れくさそうな顔で制する。――鏡像の女が、悪戯っぽい笑顔を見せた。
『…礼と言っては何だが――そなたたちが宿泊している間は、この二部屋で見聞きした事は口外せぬと誓おう。なんなら、人払いもしておくが…?』
「―――――って、この階、そもそも人来ねえだろっ!? つーか、まず見聞きするの前提かっ!?」
真っ赤な顔で、即座にツッコミを入れるアルに、レディ・キャッスルは再び快活な笑いを返した。
『冗談だ。見聞きもせぬさ、もちろん。――さて、夕食の支度にかかるとしよう』
ひらひらと手を振り、女が消える直前に――アルは確かに、小さな声を聞いた。


――――ありがとう、と。




レディ・キャッスル、あっさり出て来てんのな…(笑)
アルさんとの会話は楽しいです。さらっと駄々漏れるところが。

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