ファリストル城に一行が到着した、翌日の午後。
「――――……………」
扉をを開けたアル・イーズデイルは、その場の光景に――たっぷり三十秒沈黙した。
「あ、アル! どうですか? 似合います?」
くるりとその場で回るピアニィは、裾の長い黒い修道服を着ている。頭には同色で厚地のベール、スカートにはなぜか太腿付け根近くまであるスリット。
記憶とは違い、ピアニィはその下にニーソックスを履いているが…見覚えのあるデザインのシスター姿。それは――間違いなく、かつて自分の着せられたもの。
「…何、考えてんだ、ナーシア…ッ」
「伝手からの荷物が着いたから、変装」
喉の奥から出した低い声に、ナーシアは事も無げにしれっと答えた。

―――到着した日にナーシアの言った『伝手』から『手段』が届いたと、ナーシアから連絡があったのは昼食の席。
それに関し、準備があるから――とナーシアは自室にピアニィを連れて行き(ついていこうとしたが、拒否された)、それから一時間ほどでアルも呼び出されたのだが――

「変装ったってな、何でよりにもよってこの服なんだよ!? お前は俺をからかうのがそんなに楽しいのかっ!?」
「それは勿論。――だけど、これにはきちんと理由がある」
「……………理由…?」
あっさり即答したナーシアに気力を削がれながらも、アルが問い返す。一つ小さく頷いて、ナーシアは修道服姿のピアニィを掌で示した。
「見ての通り、普段のピアニィ女王の姿とは大きくイメージが違うし、特徴的な髪の色も隠れる。常時ベールを被っていられる姿なんて、花嫁衣裳か修道女だけ」
「そもそも花嫁衣裳は常時じゃねえだろ。ってか、それなら染め粉とかで髪を染めれば――」
即突っ込みを入れたアルに、少女ふたりが同時に首を横に振る。
「…そんなことしたら、髪の毛痛んじゃいますよぅ。せっかくここまで伸ばしたのに」
なんとも女の子らしい――が、全くこの場にそぐわない理由でピアニィは唇を尖らせ。
「染め粉や薬では、雨や水に濡れたときなどのとっさの場合に対処しきれない場合がある。その点、修道女のベールを無理矢理剥がそうと言う人はまずいない」
冷静な表情で、ナーシアが理由を掲げていく。――女性二人の複数同時攻撃に、アルは若干うんざりした顔をした。
「…まあ、それはわかった。だけど、なんだってわざわざ――修道服なら、他にもあるはずだろうが」
疲れた声で理由を尋ねると、ナーシアは口の端をわずかに吊り上げて笑みを作る。―――アルの背中を、悪寒が走った。
「ミネアに伝言したの、聞いたでしょう?『アルにも準備してもらう』って」
「…………って……………………まさか―――」
顔を引きつらせ、思わず一歩下がったアルの目の前で。さっきまで何も持っていなかったはずのナーシアの両手に、手品のように品物が現れる。
ひとつは、ピアニィが着ているものと同じデザインの修道服――当然、女性用。
もうひとつは――嫌というほど見覚えのある、液体を詰めた小瓶。
「――――――なんでお前が、そんなものを持ってんだよっ!?」
悲鳴じみた叫びをあげ、大きく飛び退るアルに――笑顔のナーシアが迫る。
「だから、言ったでしょう。伝手からの荷物が届いた、って。さ、何も言わずにこれを飲んで」
「――――まさか…伝手って、ナヴァールの旦那かよっ!?」
「えぇ!? な、ナヴァールが…っ!?」
さらりと返された答えに、アルとピアニィが同時に叫ぶ。遠くノルドグラムを目指しているはずの竜人が、何故ここに荷を送れるのか…聞いたところで恐らく意味はない。
「…ところであの、ナーシアさん…ナヴァールから届いて、アルがこの反応ってことは――ソレ、やっぱり…」
「そう。性別変化の秘薬」
「言うなぁぁぁぁぁぁっ!?」
改めて確認されて、アルは耳を塞いで大きな叫びを上げる。聞かなかったからといってどうなるものではないが。

それは、数ヶ月前――止むに止まれぬ国家的な事情で、旧アヴェルシア領内にある修道院に潜入するためにアルが服用した秘薬。
人体にはまったくの無害、という妖しげなその薬を飲む事で、アルの体は完全に女性に変化した。
ナーシアの力を借り(させられ)て、修道院に収められたピアニィの亡母の手記を取り返す任務は達成できた。酷い目には遭ったが。
しかもその後、ナーシアのせいで、一度でも最悪な『性別変化』を、何度もさせられる羽目になったのは――アルにとって、最新のトラウマである。

「絶対に飲まねえぞ俺は!? なに考えてやがんだ、お前はっ!?」
喚き散らすアルに、ナーシアは宥めるように声をかける。
「いいじゃない、初めてじゃないんだし」
「一度で充分だったのを何度も飲む羽目になったのは、お前のせいだろーがっ!?」
「あ、そうだったんですか。アルったら何にも教えてくれなくて…その節はありがとうございました、ナーシアさん。フェリタニア女王として御礼を申し上げます」
ぽん、と手を合わせたピアニィが、場違いなほど丁寧に頭を下げる。当時の事情は、(アルが口を噤んだ為に)女王たるピアニィにすら秘密にされている。
「どう致しまして。―――アル、いい加減に観念して」
「ちゃっちゃと済まそうとすんなっ!? 大体、今更女になる理由がねえだろうが!?」
こちらも丁寧に返礼するナーシアに、アルが壁を背にして怒鳴り散らす。
「大丈夫、今回は武装を制限されてはいないから剣も持てるし、今回の修道服はマジカルチェイン相当」
「それのどこがどう大丈夫なんだか言ってみろっ!?」
「………あの、ナーシアさん。良かったら、アルにちゃんと理由を話してあげてくれませんか?」 
怒号の飛び交う(怒鳴っているのはアルだけだが)二人の間に割って入り、ピアニィはおずおずと言葉を紡ぐ。
「…あたしも、前に無理矢理みたいに頼んでしまったけど――何も言わずに、って言うのはさすがにアルも辛いと思います。アルも、話を聞いてくれますよね…?」
「………姫さん…」
怒鳴りすぎたのか、肩で息をするアルの前で――ピアニィはにっこりと笑って見せる。ナーシアも一つ、小さく頷いた。
「了解した。――元々、理由を聞かれたら話すつもりだったのを、忘れていたし」
「………おぉい…あぁ、もういいから話してくれ」
突っ込みを入れかけて、気力が尽きたようにアルが項垂れる。再び頷き、ナーシアはとうとうと語り始めた。
「理由はいくつかある。一つは、ピアニィを隠すため。同行者四人のうち、ひとりだけがシスター姿なのは唐突で、重要人物を隠す為と疑われる可能性がある。シスター二人と聖騎士なら、巡礼や神殿に急用があるという理由でごまかせる」
「…だったら、お前がやれよ…」
もはや疲れ切ったのか、弱々しい突っ込みはナーシアに黙殺された。
「二つ目は移動手段の確保。四人中三人が女性なら、馬車を借りて移動しても不自然には見られない。私が変装する選択をしないのは、この為」
「…………って、この格好で街中だの街道だの移動すんのかよっ!?」
「当然でしょう。そのために変装するんだから」
拒否反応を示すアルと、それをさらりと流すナーシア。口を挟む余裕もなく、ピアニィはただハラハラと見守った。
「そんなもの、幻竜騎士団ならいくらでも…ッ」
「―――三つ目。あなたが、目立ち過ぎるから」
食ってかかったアルの目の前に、三本指を立てたナーシアの手が突きつけられた。
「…俺が?」
「ピアニィがいくら変装しても、隣に立っているのが『赤毛で顔に傷のある、四本の剣を持った二刀流の剣士』では、見る者に疑いを抱かせる。前にも言ったけど、余人に事情を詮索されるような事態は、できるだけ避けたいの」
「確かに、グラスウェルズの人とも戦ってますから―――アル、顔が知られてますよね…」
ナーシアの掲げた理由に、ピアニィが納得して幾度も頷く。
「納得してもらえたところで、アル。何も言わずにこの薬を」
薬を差し出されたアルが、何故かやたらと愛想のいい笑顔で問い返す。
「………ナーシア、ひとつ聞きたい。今上げなかった理由に、面白いからってのは含まれてるのか?」
問われたナーシアも、明るく快活な笑顔で答えた。
「そんなこと。―――大前提に決まってるでしょう。…さ、薬を」
「誰が飲むかああぁぁぁっ!?」
プツンと一本何かがキレたような叫びを上げて、アルは室内に背を向けて扉に手をかけた。
「あ、アル……っ」
追いすがろうとしたピアニィを、掌で制して。ナーシアは凍りつきそうな冷たい声で断定した。
「もめている時間はないの、アル。これは決定事項。あなたには薬を飲んで、女性の姿で移動してもらう」
「知るかっ!俺は絶対に飲まねえからなっ!?」
「いいえ、飲んでもらう。明日の出発は朝食の後―――食事や飲み物に混ぜても、効果は出るから」
「―――………っ!」
奥歯が削れるのではないかというほどの歯軋りをして、アルは乱暴に扉を開けると部屋を飛び出した。
「な、ナーシアさんっ、いくらなんでも、あんな言い方…! アルだって、怒るに決まってます…っ!」
剣士の去った部屋で、ピアニィはナーシアに詰め寄る。
「―――でしょうね、だけど…これで説得しやすくなった」
「…え……説得…?」
ナーシアの静かな声に、ピアニィは大きな目を瞬かせた。

「…アル、少し…いいですか?」
割り当てられた部屋に籠もっていたアルの耳に、控えめなノックと小さな声が届く。
「…あぁ。開いてるぞ、姫さん」
僅かな間の後―――相変わらずシスター姿のままのピアニィが、遠慮がちに扉を開けた。
ベッドの上にあぐらをかいていたアルが、思わず眉をしかめる。
「…まだ、そんな格好してんのかよ」
「あぅ、その…あたしがコレ着るのは決まってるから、動きに慣れるために着ていた方がいい、って…」
申し訳なさそうに身を縮めながら、ピアニィは静かにベッドの端に腰掛ける。
「……アル。ナーシアさんは―――ロッシュさんが心配で気が急いているんだと思います。それで、あんな言い方に…」
「…アイツの場合、まず俺をからかう目的が先にあるんだろうがな」
「………で、でも、あたしたちに――というか、ロッシュさんに時間がないのは、確かですよっ」
小さく拳を握り締め、身を乗り出してピアニィが力説する。―――確かに、そのことはアルも承知していた。
王宮に人質として囚われた、ナーシアの唯一の身内のロッシュ。彼の身に迫る最大の危険は、ロッシュ自身が危険である事を知らないことだろう。
こうしている間にも、ロッシュはそれと知らぬ間に、自ら死の顎へと飛び込んでいるかもしれないのだ。気の急くナーシアの気持ちもわからなくはない――だが。
「…俺が目立つってんなら、頭から布でも被ってりゃ済むだろ。馬車だのの移動手段だって、幻竜騎士団って名前で調達できるはずだ。なんだってわざわざ――」
ぶつくさと文句を言うアルに、ピアニィは座りなおして姿勢を正す。
「―――それなんですけど。実は、着いた荷物の中に、あたし宛ての手紙も入っていたんです」
「…手紙?―――ナヴァールの旦那か?」
女王ピアニィを守り、フェリタニアを発展させる為の軍師の策は、しばしば女王自身の思惑さえも飛び越える。今回も、そうした策のひとつだという事だろう。
「はい。…手紙によれば、ナーシアさんは今回幻竜騎士団の名前を出すことはないだろう、と――」
ピアニィの語る、ナヴァールの手紙の内容に曰く――ピアニィの連行(もしくは暗殺)に失敗した上で、ロッシュ救出に動く現在の行動は、ナーシアの上司への離反行動に当たる。
まして、同行しているのが連行できなかったはずのピアニィ自身――となれば、警戒もされるし、途中で吟味などと言って足止めされるかもしれない。
そして、最短距離を行くために幻竜騎士団の名で馬車を調達すれば、当然ながら直属の上司であるゴーダ伯にも動向を知られる結果となる。
秘密裏に、しかも最速でロッシュの元にたどり着く。そのために、アルを女性化してでも――ナーシアは最短距離を最大速度で行こうとしていた。
…………長い話の終わりに、アルは大きく溜息をつく。
「……そういう理屈も、ナーシアの気持ちも――わからなくはねえけどな。だからって、何も――」
「理屈も感情もわかるなら――あたしからもお願いします、アル。また、女の子になってもらえませんか?」
胸の前に手を組み合わせ、上目遣いで――懇願するピアニィの姿はまさに、神に祈る修道女そのままだ。
かすかに潤んでさえいる翡翠の瞳から目を逸らし、アルは何度目かわからない溜息をつく。
「…………あのな、姫さん。今回だけはそれは逆効果だぞ。―――誰が好き好んで、惚れた女の前であんな格好したがるんだよ」
「―――――ぇ…あっ…」
ぼやきめいたアルの言葉に、ピアニィの顔が瞬時に耳まで紅く染まる。――最後にアルを引き止めているのは、意地に近い男としての矜持だった。
――微妙な沈黙が数瞬続いた後で、ピアニィはおずおずと、赤みの抜けない顔を上げた。
「……でも、あの――姿が変わっても、アルはアルです、から…女の子の姿でも、あたし――嫌いになったりしません、よ…?」
だから、お願いです――と、上目遣いに囁くピアニィに。
アルは深く深く、胸の奥から大きく息をついて――――
「………出発は、朝食の後だったよな。ナーシアの奴に言っといてくれ、メシ食い終わったら自分で飲むから、何も混ぜんな、って」
「―――アル……じゃあ…!」
「………ここまで来て、今更じたばたしてもしょーがねえからな。諦めてやるよ」
赤銅色の髪をがりがりとかき回しながら、盛大に溜息をつくアルの腕に、ピアニィは満面の笑みでしがみついた。
「ありがとうございます、アル…っ!」
「……い、いいから早く、ナーシアに知らせて来てくれ…」
「はいっ、わかりました!」
笑顔のまま部屋を飛び出したピアニィの足音が、遠くに消えていくのを聞きながら――アルはもう一度、盛大に溜息をついた。

廊下を駆けてきたピアニィから、アルの了解を取り付けたと聞いて――ナーシアは満足げに頷いた。
「……だから言ったでしょう、説得しやすくなった、って」
「はいっ、ほんとにうまくいきましたね!」
ナーシアが実行したのは、説得や尋問でよく使われる手法であった。二人一組で対象に当たり、ひとりは厳しく、ひとりは優しく同情することで望む答えを引き出す――基礎中の基礎だ。
「―――だけど、アルが承知してくれたなら――貴女にもしてもらうことがある。心して聞いて」
「え、あ…はいっ」
居住まいを正し、真剣な表情のピアニィに――ナーシアは、同じく真剣な表情を装って告げる。
「……今後、薬が切れるまで、貴女とアルは同門の修道女として行動してもらう。アルの事は――そうね、『お姉さま』と呼んで、常に抱きついたり手をつないだりしてスキンシップを」
「…………え、あの…そ、それって必要なんですか…?」
「女性同士なんだから、端から見ても不自然じゃない。男子禁制の修道院で育っていれば、それくらいするのが普通」
「………は、はいっ………」
しれっと言うナーシアと対照的に、ピアニィの顔が紅く染まりうつむく。
「夜も、宿の部屋は同室になるから。――頑張ってね、『シスター・ピィ』」
そう言ったナーシアの口元に――楽しげな笑みが浮かんだ。

………そして、翌朝。
ふてくされた表情で修道服に身を包んだアル(女性化済み)の姿に、ミネアが目を丸くしてしみじみと呟いた。
「……二百年生きてても、知らないことって世の中にあるもんだねー…」
「まあ、知ってもどうなるものでもないし」
肩を竦めるナーシアの横で、さらにアルを落ち込ませる反応をしたのは、例によってアンソンであった。
「―――え、あの…あ、アル・イーズデイル…? え、えぇぇ、なんと言うかこう…妙に美人と言うか…」
「だあぁぁっ! そーいう反応されるとかえって対処に困るわっ!? いっそ笑えっ!?」
喚き散らす声も高く、睨む視線にも妙に色香が漂う。両側に腿の付け根近くまでスリットの入ったスカートで仁王立ちするから、目のやり場にまで困る始末で――
「…いや、その、うん………よ、良く似合うよ!」
「――――――………もう、お前、口きくな………」
がっくりと、壁に向かって絶賛落胆中のアルの背に――柔らかなものが当たった。
「元気出して下さいっ、アル――いいえ、お姉さま!」
「――――ひ、姫さんっ……!?」
後ろから抱き付いてきた、同じくシスター姿のピアニィと、その言動に――アルは目を見張る。
「もぅ…ダメですよお姉さまっ、ここから先はちゃんと、ピィって呼んで下さい! さ、行きましょう♪」
「って、ちょっ、だから抱きつくなって………」
シスター姿の美少女と美女が、絡み合うように歩き出す。―――その光景を、アンソンはぽかんと口を開けて見送った。
「い、一体……どーしたいの、ナーシア」
「―――さあ?」
短く一言だけを残し、黒衣の少女もまた歩き出す。


――――旅は続く。グラスウェルズへ。



コレだけは実現しなくてよかった? 短編『ストレンジミッション』再びの女性化ネタ。
こっそりと、この話のナー様はお気に入りです(笑)

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