「さーあ、召し上がれっ!」
満面の笑みを浮かべて、ミネアがテーブルの上に所狭しと料理を並べる。
クリームソースのパスタ、味付き挽肉をパイ生地で包んだミートパイ、冬野菜の葉のサラダ、芋のポタージュスープ、白身魚の香草焼きに鶏肉のトマト煮込み。
どれも手の込んだ温かい料理ばかりで――ポタージュスープを飲み込んで、ピアニィは目を輝かせた。
「美味しい…っ! ミネアちゃん、お料理上手なんですね!!」
「えへへ、とーぜん…って言いたいところだけど、そのスープとミートパイはゲイリーさんから分けてもらったものなんだ、実は」
悪戯っぽくちろりと舌を出しながら、ミネアは運んできた飲み物を各自に渡す。
「はいアンソン、お酒。…だけどお代わりはたくさんあるから、どんどん食べてね。――ナーシアは水、ピアニィ様達は紅茶でよかったよね?」
「あ、はいっ、ありがとうございます!」
二客のティーカップを受け取り、アルにひとつを渡す。その動きに、ナーシアが視線を止めた。
「………アルが、紅茶? それも食事中に?」
「まあ、城じゃ姫さんがいつも飲んでるからな。付き合いで慣れた」
軽く肩を竦め、アルは目の前にあったパスタを口に運ぶ。ホウレンソウの苦味とベーコンの塩気が、こくのあるクリームに良くあっていた。
「…ふぅん」
呟いたナーシアも、鶏肉の煮込み料理に手をつける。ナーシアの好物は、正に彼女の好みの味と煮込み具合に仕上がっていた。
「香草焼きも、美味しいです…アルに作ってもらったのを、思い出しますね」
ピアニィはどこか懐かしそうに、隣でミートパイを切り分けていたアルに微笑みかける。
「プロと比べんなよ…ありゃ、材料が採れ立てだったのと、腹が減ってたからだって」
軽く顔をしかめて――どこか、照れくさそうな表情で、切り分けたミートパイを口に放り込む。果実酒のデキャンタを持ってきたミネアが、その会話に目を丸くした。
「…アルは、こう見えても料理上手。修業していた頃は、いつもアルが食事を作っていた」
大き目の酒器を受け取りアンソンに渡しながら、ナーシアが補足する。
「って、そりゃお前が俺に押し付けてきたからだろ!?」
「手合わせで負けたほうが料理当番、と決まっていた。アルが勝てなかったのが悪い」
「――――………」
返す言葉もなく――仏頂面で、アルは大き目の鶏肉にフォークを突き刺した。
その様子にくすくすと目を細めながら――内心に、どこかささくれたものを感じながら、ピアニィは優雅な動きでパスタを口に入れる。
レイウォールの姫君として育ったピアニィはもちろん、行儀作法や礼法において完璧なマナーを誇っている。
ナーシアも出自は騎士の出であるし、潜入任務の際に困らないように、ある程度の上流階級の作法を身につけてもいた。
家を飛び出して十年、剣術三昧の日々を送っていたアルも――王家をも相手取る大商人の子として、幼いうちにマナーについては叩き込まれている。
―――その結果、食卓は大変に行儀よく和やかなものになった…ただ一角を除いて。
「やー、やっぱ、ミネアの料理は美味しいよねえっ! ――あ、ミートパイお代わり―っ!!」
むしゃむしゃがつがつ。ぱくぱくもぎゅもぎゅ。――なんと言うか確かに、作っている側とすればこれだけ思い切りよく食べられると嬉しいだろう、というくらいの勢いで。
口の中に料理を詰め込んでは飲み下し、果実酒の杯をかぱかぱと空けるアンソンの姿に、ナーシアは深く溜息をついた。
「…………………アンソン、あなた、確か騎士の家柄で嫡男だったわよね……?」
「ふぇ? ふぁんかいっふぁ? ナーシア」
「いいから早く口の中のものを飲み込みなさい」
夫婦漫才というよりはまるっきり親子のようなやり取りに、ピアニィも思わず苦笑しながら懸命にフォローを入れる。
「え、えーと…アンソンさん、お酒が入ってるから…」
「アンソンはいつもこんな感じだよ? アタシが初めて会った時も、凄い食べっぷりだったもん」
「あ、あぅ……」
困ったように笑うピアニィをよそに、すっかり酒の回った赤ら顔のアンソンが杯を掲げてアルを指差した。
「おー、そぉだ、アル・イーズデイル〜! 酒盛り付き合うって言ったのに呑んでないぞぉ〜!」
「…あー、わかったわかった。メシ食ったら付き合ってやるから、ちょっと待ってろよ。ったく…」
典型的な絡み酒に苦笑しながら、アルはサラダを手元に引き寄せる。空いた手が何かを探して動くのに気づいて。
「アル、何か―――」
ピアニィが声をあげかけた時、ナーシアが静かに動いた。まるで、それが当然というように、塩の小瓶をアルの前に押しやる。
「アル。塩」
「ん、さんきゅ」
言葉少なに。受け取ったアルもごく自然に、当たり前のことのように塩をサラダにかける。
何気ない一連の動作が、息をするようにあまりに自然で――ピアニィは言葉を飲み込んだまま、凍りついたように動けない。
「………別に、大した事じゃないから。サラダを食べるのにアルが何か探していたら、たいがい、塩。それだけ」
「―――ん? どうした、姫さん」
ピアニィの様子に気付いたナーシアが、かすかに困ったように眉を寄せる。アルも振り向き顔を覗き込むが、ピアニィは硬直したままでいた。
―――なんでもない、当たり前のように。相手の好みがそれほど染み付く、それだけの期間、ともに修業していたのだから当然だ。
そう、自分に言い聞かせながら――けれど、テーブルの上に置いた小さな拳に、ピアニィは知らず力をこめていた。
―――相手の食の好みや、それを探すタイミング。それが、当然のように身についている関係なんて、それではまるで家族か……
「なーんだよー、まるで夫婦みたいだぞお前らー? うらやましくなんかないんだからねー」
「――――――――…!!」
生来の正直…というか空気の読めない気質が、酒の力で増幅でもしたのか、アンソンがへらへらと笑いながらからかう。
それは、確かに――ピアニィが一瞬思い浮かべ、即座に打ち消した言葉。急激な感情の変化に、頬が熱くなる。
「って、恐ろしいことを言うなっ!? 誰がこんな奴と…っ、姫さんもいいから落ち着け!!」
言われたアルは、血相を変えて否定する。こちらを見た視線が上向いていることで――ピアニィは、自分がその場に立ち上がっている事に初めて気づいた。
「―――二人とも、あとで話し合いましょう。…大丈夫? 顔色が悪いけど」
「………え…いえ……はい、大丈夫…です…」
ナーシアの静かな声に、呆然としたままピアニィはゆっくりと腰をおろし、そのまま顔を伏せてしまう。
――食事中に立ち上がるなんて、なんて行儀の悪いことをしてしまったんだろう…恥ずかしい…
王家の娘として、厳しくしつけられたはずの作法が吹き飛ぶほどの動揺。その根源を、かすかに予感しながら――唇を噛み締める。
「や、ほら、じょーだんだよじょーだん。ピアニィ女王〜。よかったら水をどうぞ〜」
「……あ…はい、ありがとうございます…」
アンソンがふやふやと笑いながらアルの厳しい視線をかわし、透明な液体の入ったコップを差し出す。
それを受け取り、ほとんど機械的に半分ほどを呷る。――口の中が、酷く乾いていた。
「―――ふぅ………っ」
息をつき、コップをテーブルに戻す。その瞬間、比喩でなく――世界が揺れた。
「……………っ、ぇ……なに、これ…?」
体が液体になってしまったように頼りなく、真っ直ぐに座れているかどうかさえ自信がない。フラリ、と視界が大きく揺れて――
「―――――姫さんっ!!」
テーブルに倒れこみかけたピアニィを、アルが素早く支える。頭を揺らさないように気をつけて仰向かせると、浅い呼吸から酒精の香りがした。
その隣で、ナーシアはピアニィのおいたコップに顔を寄せ、においを嗅ぐ。見た目は水だが、漂うのは果実の香り。――アンソンが飲んでいたのと同じ、リンゴの匂い。
「…アンソン。あなた、水に果実酒を混ぜたわね?」
「――………っ!?」
誰何ではなく、断定。鋭い闇紫の視線と、怒りに燃える琥珀に射貫かれても、酔いの回ったアンソンはなおもヘラヘラと笑っていた。
「や〜、だって、みんなで飲んだ方が楽しいじゃない〜。酔っ払いのした事だし、許されるよ、うん」
そう言って杯を干し、デキャンタから新たな酒を注ぐ。アルの喉から、低い唸り声が漏れた。
「………てめぇ…っ!!」
「――アル、ここはいいから。早くピアニィを介抱しなさい。悪酔いは急変する事があるから」
「あ、あぁ…わかった」
激昂し、ピアニィを抱えたまま足を踏み出しかけたアルを制して――ナーシアは奇妙なほどに静かな声で退出を促す。
「それと、ミネア。悪いけど、料理を片付けてしまって。もう食べていられそうにないし」
「りょーかいっ。日持ちするように作ってるから、明日でも大丈夫だよ」
女王を抱きかかえたアルと、料理をまとめてトレイに乗せたミネアがそれぞれに立ち去る。
足音が遠ざかるのを、しっかりと確認してから。ナーシアは、手に持っていたコップ――果実酒の水割りを、一気に飲み干した。
「さて、アンソン。あなたの理屈でいくと、酒を飲んだ酔っ払いのすることは許されるのよね…?」
「―――――………え…あ、あの、ナーシアさん?」
奇妙なほどに静かな、優しい笑顔を浮かべるナーシアから、アンソンはじりじりと距離を取る。
アルコールの築いた高い壁の向こうから、凍りつくような恐怖が溢れ出していた。
「みんなで飲んだ方が楽しいんでしょ? あ、お酒のせいで手元がすこぅし狂っても、しょうがないわよね〜」
ゆっくりと近づいてくるナーシアの姿を――アンソンは悲鳴さえあげられないまま、引きつった顔でただ見つめていた。

……合掌。


※    ※    ※


頭を揺らさぬよう、注意深くピアニィを客室のベッドに横たえて、アルは大きく息を吐いた。
とりあえず、呼吸が楽になるように――と、ミスティックガーブの前面の編み上げ紐に手をかける。
手早く真紅のローブの前を開け、姿勢が楽になるよう背中に枕を当てた時――少女の瞼が薄く開き、翡翠の瞳がかすかに揺れた。
「………ある……?」
「――気がついたか、姫さん。気分悪くないか? 大丈夫か?」
ぼんやりと呟くピアニィの顔を覗き込もうと、身を乗り出す。その瞬間――下から伸びてきた細い腕がアルの首に巻きつき、強引に引き寄せられる。
「―――………っ…!?」
不意をつく動きに逆らえず、そのままアルはピアニィの上に倒れこんでしまう。問いただそうとした唇に、桜色のそれが押し当てられた。
「………ちょ…っ、姫さんっ、酔っ払ってんのか…!?」
跳ね上がる鼓動を、熱くなる身体を押し隠して腕を解き、慌てて身体を引き離す。――その腕を、小さく細い指が掴んだ。
「――むぅ…酔っ払ってひゃら、いけまふぇんかぁ…っ」
紅い顔で、据わりきった目で、舌足らずな声で。わかりやすく悪酔いした少女の姿に、アルは盛大に溜息をつく。
「いけなかねえけどよ……ともかく、水持って来るから、もうしばらくおとなしくしてろ」
薄紅の髪を撫で、ベッドから降りようとすると――ピアニィの目が険しくなリ、掴んだ腕に全身で縋りついた。
「いっちゃ、ひゃめ…っ! ナーシアさんのとこにも、ミネアちゃんのとこにもいっちゃだめなんだからぁ…!!」
「って、何でだよっ!? 水取りに行くだけだろうが!?」
「やらやらやらぁ!! あたしからはなれちゃ、やあぁっ…!」
身を起こしたアルの首にしがみつき、ピアニィは取り乱した叫び声を上げる。その背を宥めるように撫で、アルは再び大きな溜息をついた。
「………どうしたってんだよ、急に。何度も言っただろ、俺は――」
「……………わかってまふぅ。あたしは、だって、アルの事好きなんだから…っ」
意味のわからないことを呟きながら、それでもピアニィは腕を離さない。三度目の溜息とともに、アルは少女の華奢な背中を抱きしめた。
「……わかってるよ。俺だって、お前の事が――ピアニィが好きだ。だから少し、落ち着け」
「――――だったら……っ!!」
普段なら、互いの気持ちを言葉で確かめて――それだけでピアニィは嬉しそうな微笑を浮かべる。
けれど、この日のピアニィは――瞳の端に涙を浮かべて、抱きついた腕を離して、逸らせないほどの近くからアルを見つめた。
「だったら―――どうして、愛してるって言ってくれないんですか……っ!?」
「――――…………っ」
殴られたような衝撃とともに、アルは息を詰め口を噤む。――それは今まで一度も口にした事のない、言葉。
「……姫さん………酔って…」
「そうですあたし酔ってますっ!! だから、今しか言えないんですっ!! ――アル、答えて下さい。あなたはあたしを、愛していますか?」
普段の、春の陽光を思わせる天真爛漫な姿からはかけ離れた、激情に身を任せた翡翠の瞳が、真っ直ぐにアルを貫く。
「―――…………」
気圧され、言葉を返すこともできずにいるアルの前で――ピアニィは目を伏せ、膝の上に拳を握る。
「………アルが、あたしを――大切に思っててくれてることは、わかってます。だけど、それなら尚更…はっきりした言葉が欲しいんです。
あたしはずっと、あなたのそばにいたい。…口にすることさえ許されないってわかっているけど、あなたのためなら国だって棄てられるのに――」
「―――――ピアニィ!!」
溢れる感情のままに、女王としての責務を放棄する言葉を口にしたピアニィを、アルは険しい顔で咎める。
「…わかってます、あたしだって、そんなことは望みません。だけどそれほどに、何と引き換えても構わないくらいに、あたしはあなたを――」
少女の声が大きく震え――伏せた顔から零れた、大粒の涙がシーツに染みを作る。
「………アル、答えて下さい。―――お願いです」
「――――俺、は…」
細かく震える小さな肩を前に、アルはただ――困惑していた。胸の中にある感情を、もつれた糸を解くように、少しずつ口にしていく。
「………俺には、フェリタニアに――姫さんのそばにいる、理由がある。師匠の死のわけを知る為に、バルムンクを追うって言う理由が」
「――――」
顔を伏せたままのピアニィの肩が、大きく揺れる。アルの師、剣聖テオドール…その死に関わるバルムンクと、竜輝石。ピアニィとアルを繋ぐ絆は、本来その上に成り立っている。
「……今はまだ、バルムンクの目的もわかっちゃいない。師匠の事も――俺の目的は何も、果たされていない。
何の決着も、けじめもつけないままで――お前の一生を左右するようなことを言うわけにはいかない」
砂のように、渇いた声で。琥珀の瞳を、目の前の少女から逸らして。――アルは冷たく、言葉を紡ぐ。
「……………本当なら、この気持ちを告げてお前に触れる事だって――許されることじゃないと、俺はそう思ってる」
本人の気持ちがどうあれ、ピアニィは王族で、女王だ。自分の気持ちが抑えられなかったからという理由で――半端な気持ちで、触れていい相手ではない。
「――――――ごめん、なさい……あたしの、我が儘で――」
――アルの事情も、バルムンクの事も、充分すぎるほどに理解している。それでも想いを告げたのは、ピアニィがそうしたかった、という個人的な理由だ。
自分が追い詰めなければ、アルを苦しめることはなかった――顔を上げられぬまま、ピアニィは謝罪の言葉を口にしようとする。
…その肩を、アルは強く引き寄せ、胸に抱きしめた。
「……アル…っ!?」
「――――そう、思ってた。さっきまでは…これが一番、お前の為になるんだって」
驚き、大きな声をあげかかったピアニィの背中を、暖かな手が擦る。優しい声が、耳に届く。
「……ごめんな。ピアニィを泣かせるだけの選択が、お前の為のはず、ないよな」
「―――――アル……っ!」
先程とは違う涙で濡れた声で、アルの名を呼んで。胸元にしがみつくピアニィを、アルも強く抱き返した。
「…………多分俺は、逃げてたんだと思う。お前からも、自分の気持ちからも。――だけど、俺がまだ何も成し遂げてないのも、本当だから」
わずかに腕を緩め、少女の泣き濡れた紅い頬に手を添えて顔を上向かせる。翡翠の瞳に、決意を秘めた琥珀の視線を重ねて。
「……今は、一度だけ。この夜だけしか言わない――情けないけど、それが今俺に出来る最低限のけじめだ」
「―――――……っ」
ピアニィは小さく息を詰め、視線を逸らさずに――その言葉を待つ。
正面から愛しい少女の顔を見つめ、アルは真摯に、自らの想いを口にした。



「…愛している、ピアニィ。」



「―――アル…っ、あたし、も…」
答えようとしたピアニィの声が震え、嗚咽に紛れて言葉にならない。再び溢れた涙が、頬を濡らす。
「――ああ。わかってる…」
その涙を拭い、優しく微笑んで―――アルはそっと、ピアニィの震える唇に口付けた。







コレだけは!これだけはしっかり書きたかった!!
お料理を美味しそうに書くのが目標でした。王子にはまだ遠い…!
アンソン君の末路については、このすぐ後のお話になる『※震える声に口付けを・EX※』でどうぞ。

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