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ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期

 ネタバレありありなので注意してください。

 ダンガンロンパシリーズの、最新作です。筆者は、1と2と絶対絶望少女はやっていますが、3のアニメは全然見ていません。

 今作は、1と2を踏襲したミステリー作品になっています。16人の超高校級の高校生が才囚学園という閉鎖空間に集められて、コロシアイをさせられるわけです。

<大オチ>
 いきなり大オチをバラすと、16人がやらされていたことは、外界の視聴者への放映を前提とした「ダンガンロンパ」というテレビ番組的なコンテンツだったわけです。当然その点は16人には伏せられており、偽の記憶まで植え付けられていますが、何とはともあれ自分たちがやっていた「コロシアイ」はあくまで見世物のドキュメンタリーだったのです。で、しかもこの「ダンガンロンパ」は人気コンテンツらしくて、今回で53作目だという設定になっています。タイトルの「V3」も、53を指したものです。
 殺し合いを最後まで生き残っていた主人公たちは、最後に自分たちが黒幕に勝ってしまえば、視聴者が熱狂し、また新シリーズが作られて、自分たちのような被害者が出ると危惧し、このゲームから降りる決断をします。

 まあそれは、いいんですけど、この決断に至るまでに、主人公たちによって外界の「視聴者」は「コロシアイを見世物にして楽しんでいる」という趣旨の非難を散々言われます。でも、コロシアイをエンターテインメントとして楽しんでいるのは我々ゲームのプレイヤーも一緒なので、そこに強烈なメタフィクション的構造があるわけですが、今まで感情移入してきたキャラクターから最後の最後に「人の命の奪い合いなんかに熱狂してどうすんの?」とボコスカ言われることで、胸糞悪く感じる人は相当いると思います。

 でもまあ、人間って命が奪われることにエンターテインメント性を見出す醜い存在だというのは真実なので(それを「醜い」と評価するかどうかは議論があり得ると思いますが)、別にいいと思います。人が死ぬミステリーや、人を殺すアクションゲームはこの世に氾濫しているわけですから。人間のこのような醜さをまずは受け容れないと、話が前に進んでいかないですからね。敢えてその耳の痛い真実を暴露する決断をした作り手たちに、筆者は賛意を表したいと思います。

 とはいえ、エンターテインメントである以上、お金を出して作品に触れてくれたお客さんをいい気持ちにさせる必要があるので、お客さんに不快な思いをさせてしまうこの手のオチは、本来やってはいけないことです。やってはいけないことであっても、エンターテインメントの嘘を暴きたいとか、真実をさらけ出したいとかいった理由でこの手のオチをやることもありますが、大部分は「こういうオチでも逆にウケるのではないか」という勘違いで作られていることの方が多いと筆者は感じています。何かの拍子で、痛い・苦しいエンディングの作品がウケることはたまにありますから。ウケるものとウケないものの違いは、ほとんど運だけではないかと筆者は考えています。

<トリックについて>
 1章・2章・3章ではピタゴラスイッチ的なトリックが出てきます。
 ミステリーではよくあるんですが、ああいうピタゴラスイッチ的なトリックが出てくると筆者は興醒めしてしまいます。これは、断言できますが、あの手のトリックを現実でやろうとすると、絶対1回ではうまくいきません。特に焦った犯人が現場にある道具しか使えない状況でテンパりながら急場しのぎで作ったピタゴラ装置なんか、ゴールにたどりつけるはずがないです。何度も実験しながら細かく緻密に修正していかないと、成功は覚束ないものです。それが一発で成功してしまうミステリーは、やっぱり奇跡的なのです。

 例えば1章のトリックだって、被害者がどのくらいの時間あの位置にいるかは読めないし、砲丸がどのくらいの時間で被害者のもとにたどりつくかもそれこそ実験しないと分からないし、砲丸の道程はずっと下り坂のようには見えなかったうえに通気口の中に障害物があるかどうかも分からないので砲丸が途中で止まってしまうかもしれないし、砲丸がたどりついたとしても被害者の脳天に正確に当たるかは分からないしで、不安要素だらけなのです。

 まあ、エンターテインメントなのか。

 と、いうことを1章終了時で書いたら、最終章で実は砲丸は外れていたということが分かりました。ならばよし!
 これも、ピタゴラスイッチ的なトリックへのアンチテーゼを意図して入れ込んだものかもしれません。褒めすぎちゃいけないね。


<パロディについて>
 なんか、全体的にパロディ的な発言が増えています。モノクマ達のみならず、生徒たちからもパロディ的な発言が頻繁に飛び出します。とはいっても、大部分は元ネタである他作品の何かをなぞっただけの「白裸のパロディ」です。他作品のキャラの口癖を誰かが言うとか、そのキャラと似たような扮装をしているとか、そういうレベルのものです。
 「白裸のパロディ」は、原作を知っていればクスッとできますが、知らなければ何一つおもしろくありません。パロディというのは、漫然とやればおもしろいというもんではないのです。笑いは、ズレから生まれます。パロディは、大元はパロディ元を揶揄するものであって、誇張等によってパロディ元そのものが内包しているズレを客に気付かせるツッコミの手法です。まあ、「パロディ」と呼ばれるものには他の手法で笑いを生み出す種類のものもあるわけですが、とにかく、何らかの工夫をしてズレを生み出さないと元を知らない人を笑わせることはできません。そういう工夫がないまま「白裸のパロディ」を繰り返すのは、工夫する能がない場合や工夫する労力が惜しい場合の手抜きのやり方です。その手の適当さ、というか「こんなもんでいいだろ」感が目についてしまったのは、残念でした。

 あと、パロディ発言のみならず、終盤にかけてどんどん雰囲気が重苦しくなっていってもネタ発言をするキャラクターがモノクマ以外にもかなりいる(特に学級裁判中は顕著です)ので、「雰囲気が壊れる」などと言って気にする人は気にするんじゃないかなあ。



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