帝国の竜神様 異伝 ゼラニウムの物語 その二

 イッソスに日本人がいる以上、正式な外交関係はともかく双方の窓口は必要になってくる。
 イッソスの湾の入り口にあたるグラ海峡の外れにあった海賊「海の牙」の砦跡は改修されて帝国の商館としてあてがわれている。
 ここに詰めている人数は常に百人を切らない。
 買い付ける黒長耳族・獣耳族を船が来るまで預かり、来た船からダコン商会に渡す本土からの商品を受け取る為にここはイッソスの人間にすら宝の砦とありがたくない呼称を受けているのだった。
 最初、ダコン商会の方から用心棒を借りたが、交易の拡大の為に警護の人間が必要になり、本土で職にあふれている大陸帰りの将兵を雇ったのだった。
 他国首都に外交関係のない軍人を入れるという外交上まずい行為を避ける為に、表向きの身分は神祇院管轄であるこの商館に駐在員となっている。
 更に買い取った黒長耳族や獣耳族で使える人間を選んで商館従業員にしている。
 ベルなどもそんな一人だ。
 小隊規模の将兵に使える黒長耳・獣耳娘達で守る砦は、お宝狙いの盗賊を数度撃退し、イッソスでも有数の難攻不落な拠点と認識されている。
 だが、朝帰りで寝たままのベルを乗せた馬を引っ張りながら、門まで歩く辰馬を止めようとする人影は見えない。
「魔法ってのは便利なもんだ」
 砦の周囲に張られた探知魔法の結界が侵入者を知らせるので、最初から許可証に彫られた呪印を持っているベルと辰馬はその結界に引っかからないのだ。
「よぉ、朝帰り。
 お盛んな事で」
 門番の兵士が軽口を叩きながら門を開く。
 辰馬に声をかけた兵士は階級的にそんな口をきける身分ではない。
 だが軍隊ではないし、ここに来る連中は基本的に本土で暮らせないはみ出し者ばかりである。
 こうやってうまが合えばこんなやりとりでからかわれるが、辰馬はそれが嫌いではなかった。
「やかましい。
 お前だって、買い取った女とどうせやっているんだろうが」
 買い取った長耳族・獣耳族はここで船が来るまで過ごすのだが、性奴隷として性行為しか心にない者も多い。
 そんな彼女等は船に乗せる間駐在員が好きに使っていいという役得があったりする。
「まぁな。
 ここに来て女に不自由しなくなったのはいい事だが、毎日毎日女漬けというのも飽きるもんでな。
 街に出て人間の女でも買おうかと」
 朝から品の無い冗談を飛ばすが、辰馬は呆れるように肩をすくめた。
「結局、女を抱くのは一緒か。
 そういや、えらく上等な人間の女を見かけたぞ。人間の高級娼婦」
「ほう。そりゃあ誰だ?」
「『歌妃』アニス。
 この間ここに来たディアドラって黒長耳族の女と同じだけの値段が必要だとか」
「馬鹿野郎。
 さすがに俺たちの手の届く女を言えよ。
 抱くのに金貨が必要な女なんて抱けるわけ無いだろうが」
 ちなみに、ディアドラを連れてきた時は即座に船に連れて行かれたので『千夜一夜』と歌われた彼女の味を誰も確かめてはいない。
 砦の中に入り、まだ寝たままのベルを抱きかかえて辰馬は門番に尋ねる。
「館長は起きているか?」
「起きているだろうよ。
 館長もお前さんの報告が聞きたいとか」

「ゼラニウムの魔道書か。
 本当にそんなものがあると思うかねぇ?」
 帝国イッソス商館館長兼内務省神祇院魔法局局長の内海正蔵は辰馬とベルの報告に厄介そうな顔をしたままため息をついた。
「かの書の話題はイッソスの裏で仕事をしている者で知らぬ者はおりません。
 少なくとも我々はそれがあるものとして行動をしておりました。
 おそらく我ら以外の者も」
 こちらの大国も同じような判断をしていると言外に匂わせて話す黒長耳族の娘ボルマナ。
 買い取られた中で内海に使えると判断され、実質的に帝国のイッソスでの諜報を取り仕切っている責任者である。  
 辰馬とベルに裏取りをさせていたゼラニウムの魔道書の話は、ボルマナが言うとおり有名な話であるしボルマナ自身もそれを報告していた。
 だが、あえて人間である辰馬と買い取られた猫耳族のベルにその裏取りを命じたというのは、黒長耳族の情報に全幅の信頼をおいていないという内海のメッセージでもあった。
「ボルマナ君の報告は正しかったという訳だ。
 神堂君にベル君、手間をかけさせて悪かった。
 二人は、またいつものように冒険者の宿と盗賊ギルドでの情報収集を。
 ボルマナ君。これからもよろしく頼む」
 二人に対する形式的な謝罪は、ボルマナに対する「疑って悪かった」という謝罪でもある。
 その事をボルマナはしっかり読み取っていたし、それを好意的に捕らえている。
 買われてすぐ要職につけるも、信用できるかテストするあたり少なくともこの上司は馬鹿ではない。
「で、魔道書についてはどうするの?」
「おい。少しは口を慎め……」
 敬意もなにも考えてないベルの質問を辰馬は嗜めようとして内海に視線で止められる。
 買われた時からこんな様子だった彼女ゆえに、内海も気にする事無く手を左右に振りながらつまらなそうに口を開く。 
 なお、彼女が内海に拾われたのは彼女がイッソスの元盗賊ギルド員だったからである。
 借金を帝国に肩代わりしてもらったおかげて、ベルは正規のギルド員として振舞う事ができた。
「何も喧嘩を吹っかける訳じゃありません。
 ただ、これからの友好の為にお互いの事を知ろうというだけの事なのですから。
 貴方達二人をはじめ、まだまだこちらに馴染める人間は貴重なのです」
 辰馬以外にも日本人でイッソスの街に入っている人間は数人いる。
 日本人と案内の獣耳娘を組ませ、黒長耳娘が背後からサポートをするのが活動の基本である。
 もちろん、そのまま獣耳娘を出すと捕まってまた奴隷とされるので、日本人が一応飼い主という扱いだった。
 ベルが辰馬の飼い猫と一応なっているのはこんな理由だったりする。
 辰馬とベルに言外に手を出すなと命じた内海は真面目な顔で首をすくめた。
「ただでさえ、盗賊ギルド内部の混乱が拡大しつつあるというのに。
 世の中、真面目に仕事する人間にどうしてこんなに辛く当たるのでしょうねぇ」
 苦笑しながら内海は窓の外に視線をずらす。
 この後、カッパドキア共和国の使者がこの商館に来る事になっていた。
 目的は「盗賊ギルドの長ガースルの変死について」。
 何しろ彼が死ぬ間際まで彼と権益について話していたのは帝国である。
 しかもガースルが執着していたディアドラを、カジノでボロ勝ちした上で多額の金貨で買い取るという離れ業までやってのけている。
 容疑者として外せる訳がなかった。
「ボルマナ君。
 一応聞くけど、やってないよね?」
 その眼光は前職であった特別高等警察の犯人を見るような内海の尋問にボルマナは揺るがずに即答した。
「殺る必要がありません。
 この程度で殺るなら他の手を考えます。
 我々はよそ者ですから、他人のシマで好き勝手して報復されたら防ぎ切れません」
 内海とボルマナは互いににらみ合う。
 それが終わったのはドア向こうのノックと第三者の声だった。
「はい」
「館長。よろしいですか?」
「どうしました?」
 肩で揃えられた髪を揺らし、能面のような表情を出さない顔で入ってきたのはカチューシャをつけた犬耳メイド。
 ベルと同じく買われて拾われた後に、この商館のメイド長を務めている彼女の名前はリールという。
 リールは均整のとれた胸と尻はメイド服をつける事で仕事人という風格を感じさせる。
 だが、館内の雑務を取り仕切るメイドとしてでなく、高度な戦闘訓練も受けているあたり、前の持ち主は何を考えているのだろうと内海に思わせた優秀すぎる女である。
 話はそれるが、組織人であり警察なんて職についていた内海は、一人の人間ができる限界というのを踏まえ、数とそれを動かす命令系統の効率化を常に考えている。
 その為、一人で万能に仕事をこなすリールに与えた内海の最初の命令が、リールに獣耳族を組織化して使えるようにする事だった。
 これがリールとってかちんときたらしい。
 忠誠対象がご主人様一人(この場合内海)に向けられ、一人で何でも出来たしそれが許されたゆえに、他者が足かせでしかないリールはメイドの組織化より自ら仕事をする事を選んでしまう。
 おまけに、外での情報収集に日本人と組ませたら、彼女が全ての仕事をしてしまうので街の中で浮いてしまい、コンビの解消を内海に願う始末。
 とはいえ本土に送るには、リール一人で商館内雑務が急速に軽減されるほどの万能なのでメイドとして商館に置かざるを得ない。
 で、リールの方もボルマナが評価されているのに、自分が内海に評価されない事を不満に思っていた。
 そんな二人を部屋の人間は知っているので部屋の空気が見る見る下がる。
「カッパドキア共和国より、騎士キーツ様がお話があるとお見えになっております」
 リールの方に視線は向けずにボルマナを睨み続け、その本音に嘘はないと感じたのだろう。内海はパンと軽く手を叩いた。
 この場の話し合いは終わりという口調で先の事を告げる。
「じゃあ、使者の方にはうちは無関係だと伝えておきます」
「納得しますか?」
 辰馬の軽口にやるせなさそうに笑って内海が冗談を言ってこの場はおひらきとなった。
「させるのが私の仕事ですから」

 冒険者の宿は常に人で賑わっている。
 一攫千金を夢見た冒険者はこの場で明日の栄光を夢見、今日の挫折を忘れようとしている風にも見えた。
 冒険者の実態は何でも屋に近い。
 貴族のペットの猫探しから、辺境開拓地の化け物退治、山賊盗賊討伐に、農家の臨時人手募集……などなど。
 そんな中で、今、人手が圧倒的に足りないのは傭兵であり、壁には相場の倍近い値段でロムルスに本拠を置く商会の傭兵募集の羊皮紙が新しく張られていた。
「カルタヘナ、相当押しているんだな」
 辰馬はぽつりと呟いて考え込む。
 いくら戦争が勇者達によって決められるとはいえ、勇者達全てに戦争ができるわけが無い。
 街の警備に物資の移送、墓穴堀りに相手の兵士との戦闘とやる事はいくらでもある。
 だから、他の国まできて相場以上で傭兵を頼むというのは、その手の仕事が自国民で賄えないほどロムルスは押されていると判断したのだ。 
 辰馬はカウンターの空いている所に適当に座る。
「エールを。あと何か食い物」
 銅貨を数枚カウンターに置くと主人が銅貨を取ってちゃかす。
「部屋はいいのかい?」
「今日は相手がいないんでね」
 ベルを連れて部屋にしけこんだ所を覚えていたのだろう。ばつが悪そうに辰馬は笑ってごまかす。
 主人がエールを辰馬の前に置き、主人が真顔で辰馬に話す。
「金が続くあんたにはちと安い仕事かもしれないが、依頼がある。
 聞くかい?」
「こういう場合、聞いてから返事をするものだと思うが?」
「ここに来る連中は、そもそも金に困っているからその返事であんたが金に困ってないほど成功したか、金に困らない階級の人間と分かっちまう。
 気をつける事だな」
「金持ちなんぞになった覚えはないんだとけなぁ……
 で、話の続きを」
 北海道の農家の三男坊が、異世界では金に困らない階級と言われると辰馬とて苦笑するしかない。
「盗賊ギルドの方がごたごたしているおかげで回ってきた仕事だ。
 昨日のベル嬢ならギルド員だから手続きもかからなくて済む」
 話した覚えが無いベルの事を知っているのはベルが有名だからか、それとも主人が辰馬やベルの裏を取ったか。
(両方だろうな)
 と、辰馬は心の中で呟く。
 だから二人込みで主人は依頼を持ってきたのだろう。
 冒険者の宿も信用商売である。
 「この宿に依頼を持ち込めば失敗する」なんて風評が出たら宿を閉めないといけないので、重要な依頼は宿の主人が認めた人間に限られる。  
 辰馬が今から聞く話はその類の話らしい。
「何、あんたの腕なら大丈夫だろうよ。
 墓場のアンデッド退治さ」
 具体的な話を聞いて辰馬が可否を口にしようとした矢先、酒場が騒がしくなる。
 入り口の方を向くと昨日と同じ服を着たアニスが入ってきた所だった。
「高級娼婦ってのはそんなに暇なのかね?」
 呆れたような辰馬の口調に宿の主人も苦笑するしかない。
「あれは趣味みたいなものだと当人から聞いた事がある。
 金はもう遊ぶほど稼いだから、客を選ぶのだと。
 未来の勇者様を見つけるのが彼女の楽しみだってよ」  
 彼女は自らの体を売り物にしているだけではない。
 イッソスの郊外に屋敷を構え、彼女自身が娼婦を集めてそこを娼館として客を取らせている。
 アニスの指導の元、花の源氏名を与えられた娼婦達は「イッソスの花園」と呼ばれる高級娼婦として西方世界では有名である。
 アニスを見つめる二人だが、そのアニスが真っ直ぐこっちに向かってくるのを他の冒険者連中が放つ嫉妬の視線と共に受け止める。
「がんばれ。未来の勇者様」
「ちょ……」
 とばっちりを避けようと主人は奥に引っ込み、辰馬の抗議の声が出る前にその艶のある声は辰馬の耳に運命のように届いたのだった。
「ここ空いているかしら?」
「空いてない。
 予約席なんだ」
 即答で断る辰馬に、きょとんとしたアニスは少しだけ首をかしげた。
「あら、昨日の犬耳さんかしら?」
 くすりと笑いながら、アニスは辰馬が「予約席」と言った辰馬の隣に平然と座る。
 鼻をくすぐる香水の香りが辰馬に警戒感をかきたてる。
 称号持ちの娼婦の恐ろしさを辰馬は今はっきりと感じていた。
 腰まで届く黒髪はむき出しの肩を隠すように美しく輝き、その豊満な胸には大きなルビーのネックレスが赤い光を放っていた。
 肘まで包む緋色の手袋に包まれた右手に持つのは銀色の装飾が施された扇。
 頭のサークレットも銀細工で額に魔晶石が宿の灯りに輝きを返している。 
「魅了の魔法でもかけたと思った?」
「っ…」
 思っていた事を先に言われて辰馬は言葉に詰まる。
 そんな辰馬を見てアニスは楽しそうに笑う。
「私はアニス。
 貴方の名前は?」
 優しく耳元で喘ぐような自己紹介に、辰馬は短く答えた。
「シンドーと呼んでくれ」
「よろしく。シンドー君」
 その言い方に少しカチンと来た辰馬が口を開く。
「あのなぁ、その目上目線の物言いは……」
「だって目上ですもの。
 貴方が赤ちゃんだった時から私はこのお仕事やっているのよ」
「……」
 ここまで公言されると腹が立つより、自分が異世界の常識に慣れていない事をいやでも思い知らされる。
 この世界は人間でも望めば、辰馬がいた世界よりはるかに長く生きる事ができる。
「の、割には若作りだな」
「ひどい。
 日々のお手入れは欠かさずやっているのにぃ……
 シンドー君って私の事嫌い?」
 実に白々しくいじけてみせるアニスに辰馬はため息をつく。
「会ったばかりの人間に対して好意を向けられるほど、俺は優しい人生を送ってない。
 で、何の用だ?」
 アニスは辰馬の腕を取って、その手を自らの豊満な胸に当てさせて囁く。
「こんな商売の女が、男に声をかけた。
 考えられる事は一つじゃないの?」
 手に感じる暖かくて柔らかい胸のふくらみの感触が気持ちよい。
「あいにく、アンタを抱くだけの金は持ってない。
 もっと金持ちを捕まえる事だな」
 ぶっきらぼうに断るが、辰馬の手はその気持ちよいふくらみから手を離すことができない。
「私がお金に困っていると?
 そうね、貴方が今受けようとしていた仕事の依頼で手を打ってあげるわ」
 辰馬の手にはその膨らみの先から出っ張った何かを感じてしまい、それが辰馬の理性を容赦なく責める。
「おい!
 俺はまだ仕事を受けるなんて……」     
 その辰馬の口を押さえたのはアニスの緋色の手袋をつけた指先。
「ね♪
 続きは部屋で聞いてあ・げ・る」
 辰馬はその指を振りほどく事はできなかった。
 揉んでいた胸の手を離すことができなかった。
 そして、悪戯っぽく微笑むアニスの笑顔を曇らせたくなかった。
「ごゆっくり」
 宿の主人の呆れ声と男性冒険者達の嫉妬の視線を浴びながら、エスコートするように辰馬はアニスの手をとって二階に上がらざるをえなかったのだった。
 その後のダンスが闇夜の中、裸で行われたのは言うまでも無い。


「何で俺なんだ?」
「私が見込んだからじゃ駄目?」
「生憎そこまで自分の事を自惚れてはいない」
「じゃあ、秘密。
 全てを教えるほど私達は親しくないでしょ。
 もっとお互いを知らないと」
「なんであんな所で歌っていたんだ?」
「私の彼が冒険者だったのよ」
「その彼氏は?」
「帰ってこなかったの。
 最初は彼を待つ為に歌っていたのよ」
「どうして娼婦に?」
「過去を待つのに疲れちゃったの」
「過去か。
 俺もそんなのを忘れたくてここまで来たんだけどな」
「忘れられるわ。
 未来は常に真っ白だから。
 楽しい未来で過去を隠してゆくの」
「アニスの場合、それが男に抱かれる事だった?」
「そうね。
 昔、何をやっていたかほとんど忘れちゃった。
 だから、今こうして抱かれている記憶とかが愛しくて仕方ないの」
「俺も隠す事ができるかな。
 過去を……」
「シンドーの場合、それはなぁに?
 私でよかったら、いくらでも貴方の過去を隠してあげるわ。
 だから、私をもっと抱きしめて。
 私の勇者さま……」


 朝帰りの辰馬にベルは近寄って顔を近づけてくんくん。
 アニスの香水を嗅ぎ取られて修羅場が発生した事はイッソス商館の業務記録に書かれる事になる。



帝国の竜神様 異伝 ゼラニウムの物語 その三
2010年10月07日(木) 19:02:16 Modified by nadesikononakanohito




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