帝国の竜神様 異伝 ゼラニウムの物語 その六
イッソスのはずれにある公共墓地はその場所柄から早朝に人が居るはずもなく、ここを訪れている人影は待っているベル以外全くなかった。
「待った?」
「いえいえ」
アニスはベルが酒場で出合った時と同じ深紅のドレスをつけて現れた。
「で、大事な話って何?」
ベルはただ黙って一冊の本を取り出す。
「その本で私はガースルに脅されていたのよ。
あの場所に無かったから何処にいったかと思っていたけど、『ゼラニウムの物語』は貴方が持っていたのね。
それ、読んだ?」
「ええ。
太守は貴方に勇者としての地位を与え、このイッソスを守護して欲しいと」
遠くから見たら友人同士の会話に聞こえない感じもしないではない二人の顔には、闇に覆われて表に出ない感情があった。決意と諦めという感情が。
「こんな時、なんて顔をしていいか分からないわ」
抑揚のない声で呟くアニスにベルはただ見つめるしか出来ない。
「思ったのだけど、どうして貴方は太守家に使えているの?
この人間世界は人間外の人種には厳しいわ。
貴方が、そこまでする義理もないと思うけど」
アニスの何気ない問いに、本を読んでゼラの事を知っているゆえにベルは寂しそうに笑った。
「そうね。
しいていうなら、貴方と同じ理由かな。
前の太守に優しくしてもらった。
その優しさが私を太守家に縛り付けるの」
人は何かに縋らないと長久の生の中で希望を持てない。
ゼラは愛だった。
ベルは優しさだった。
それだけで、本質は違わない。
「なら、私の答えも分かっているでしょう?」
銀の扇を開いてアニスは宙に浮かぶ。
「ええ。
だから、連れ帰るわ!
頭と心臓が生きているなら四肢切断までは許されているのよっ!」
「その言葉、そっくりそのまま返してあげるわ!」
アニスの放ったマジックミサイル十数発が一斉にベルに襲い掛かるが、ベルは呪札を取り出してばら撒き、風の呪文で宙に散らす。
ベルの体毛をつけた身代わり札は拡散してマジックミサイルはその散らばった札に空しく当たる。
その隙にベルは墓の影に隠れ、アニスは宙に浮いたままベルを探していた。
アニスは手をあげて魔法で死霊を召喚する。
その召喚に応じて湧き出るゾンビやスケルトンやゴースト等の低級アンデッド。
この間のアンデッド掃討のために核となるマナが見つからず数体しか作れない。
そして、ベルはこの戦場で事を行う上でダガーを銀製品の対魔装備に切り替えていたりする。
ベルのダガーが苦も無くゾンビを切り裂き、ゴーストを霧のように消しさる。
ベルが数秒前に居た場所で爆音が轟く。
アニスが召喚したアンデッドごと巻き込んで火弾を撃ち込んだらしい。
次々に炸裂する火弾にベルがあぶり出されるが、逃げるどころかアニスに向かって突っ込んでくる。
「猫耳族の跳躍力をなめるなぁぁ!!」
肉体強化の飴を舐め、一気に浮いているアニスとの間合いを詰める。
途中でばら撒かれた身代わり札は、まだ散らばってマジックミサイルは役に立たない。
アニスは手をベルの方にかざして防御盾の魔法を発動するが、それこそベルの狙っていた瞬間だった。
防御盾の魔法にダガーを構え加速していたベルが衝突する。
その慣性は衝撃としてアニスに伝わり浮遊の魔法で浮いていただけのアニスは吹き飛ばされる。
苦も無く着地するベルに対して、受身も取れずにアニスは地面に落ちた。
緋色のドレスは土と血で穢れ、口から血を流したアニスが起き上がった時には、ダガーを構えたベルが正面に迫っていた。
火薬による炸裂音が墓場に轟いたのはそんな時だった。
胸元に赤い血の花を咲かせるベル。
何かを口にしようとして声に出せずに倒れるベルを、アニスはただコマ送りのように眺めるだけだった。
噂に聞いた事がある。
火弾よりはるかに強力な爆発を帝国人は操り、それでマンティコアを沈めたと。
「辰馬……」
アニスは振り返り、その武器である銃を撃った辰馬を呆然と見ることしかできなかった。
「いつ……から気づいたの……」
ベルが二重スパイである事についてだろうと辰馬はその理由を口にした。
「アニスと会った酒場で。
ベルは『太守家の奥領地』と言った。
太守の本拠はこのイッソスなのに先に奥領地という単語が出てきた。
そこに何かあるか知ってないと出ない言葉にまず違和感を覚えた」
辰馬についてきたリールがベルに治癒魔法をかけるが血が止まらない。
「次に、この墓場でのガースルとの戦闘。
ベルに攻撃が集中していた、ガースル暗殺の犯人じゃないかと疑った」
全部推論の話だが、当たってしまった事が辰馬は悔しい。
「で、決定打は魔術協会に行った後で俺がアニスとしけ込むのに何もしなかった事だ」
物置小屋の中、四人でやった時に一番多くねだったのがベルだった。
そんな執着心が強いベルが、引っかくという治癒できる行為で引き下がったのが納得できなかったのだ。
「だから、別の目的があると踏んだのさ。
だとしたらそれはアニスだろうと。
ボルマナから警告も受けていた。
アニスが一人で片付けようとして俺を眠らせたのが想定外だったが」
辰馬たちの活動は人間と獣耳族でペアを組み、それを黒長耳族がサポートする。
ベルにも辰馬にも魔術協会の後、黒長耳族の監視がついていたのだった。
だから眠らされた辰馬はこうしてここにいる。
辰馬の種明かしを聞きながら口から血を流してベルは笑った。
「あはっ……ドジっちゃった……
かけてあった魔法障壁を破るなんて……凄い……」
「喋るな!ベル!
今、傷の手当てをするから……」
その辰馬の口を塞いだのは血まみれのベルの唇。
「やめて……今幸せなんだから……
す……好きな……男に抱かれて死ぬなんて……最高の終わり方だと思わない……」
血まみれの手から辰馬に渡されるゼラニウムの物語を辰馬は弾いて地面に叩きつける。
「馬鹿野郎!
俺はこんな終わり方認めないぞ!
一緒に冒険に行くんだろうが!」
自分で撃っておきながら理不尽な事を叫ぶ辰馬にベルは力なく笑う。
「そうよね。
冒険……いくんだったよね……
辰馬にみせてあげたい……この世界はこんなに……」
そのまま目を閉じる。
アニスの目にはリールが力なく首を横に振り、辰馬が空を見あげて涙をこぼさないようにする姿しか見えなかった。
内海とボルマナが大灯台から広場前まで降りた時には既に朝日が昇り、尖塔から浄化の歌が聞こえる。
「終わりました。
全て上手くいったそうです」
テレパスで伝えられたボルマナの報告に、内海は肩の荷を降ろした風に背伸びをした。
「こんな仕事は正直私の管轄外だと思うのですがねぇ」
その冗談に珍しく真顔でボルマナが突っ込んだ。
「仕方ありません。
館長の言葉を借りるならば、こちらに馴染める人間は貴重ですから大事にしてもらわないと」
意外そうな顔をする内海にボルマナが怪訝そうに尋ねた。
「どうしました?」
「いえ、ボルマナ君も言うようになったなと」
「上司の仕込みがいいものですから。
上への報告と太守家への釈明、よろしくお願いします」
しかめっ面をした内海は真顔に戻って改めて大灯台を眺める。
エルミタージュとの会話の果てで内海が思い出したのは平家物語の終幕、灌頂の巻。
大原寂光院にて後白河法皇と建礼門院徳子のあまりにもの寂しい語らいだった。
後白河院は平家追討の平家追討の院宣を出したが、彼の息子高倉天皇の妻が平家一門の徳子であり孫の安徳天皇だった事がこの悲劇を生む。
栄華を極めた平家一門が壇ノ浦で滅んで安徳天皇は壇ノ浦に沈み、徳子は入水すれど源氏の武士に助けられ京に送られる間陵辱されたという。
後白河院は己の権勢を守りたかったのだろうし、勃興する武士勢力を掣肘したかったのだろう。
だが、その結果彼は孫を見殺しにし、息子の妻に地獄すら生ぬるい生き地獄を味合わせたのだった。
国が、一族が滅ぶというのはこういうものだったのだ。
内海の口から自然と平家物語の冒頭が口から紡がれる。
「祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり」
その知らない歌をボルマナは黙って聴くしかなかった。
「沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす」
内海は思い知る。この世界でも人間というのは愚からしい。
星で街を潰された街が行った己を守る行為が敵対した街の殲滅というのだから。
「おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし」
呟きながら己の心に尋ねる。
その愚かさを帝国は笑えるのか?
ついこの間まで大陸で泥沼の戦争を行って勝てず、竜がこなければ今頃は英米とまで戦争を行っていたというのに。
「たけき者もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ」
ああ、だからこそ共犯者としてエルミタージュの話に乗ることにしたのだと。
「あの本って結局何だったのですか?」
荷造りをしている辰馬にリールが話しかける。
「ただの記録書だった。
魔術師にとってたとえ間違っていても、その記憶は残すべきなのだと。
自分達が間違っているとしても、次代はその道を歩まずに正しい道を歩んで欲しいとさ。
それが、噂に尾びれがついて魔道書となった。
真実を隠したいエルミタージュ議員はその噂を否定せず。
議員の後悔の一冊って訳だ」
けど、記憶は消されても彼女に力は残り、知り合いもない彼女が生きてゆくには娼婦と魔術師にならざるを得なかった。
背嚢に生活道具を詰めた辰馬は立ち上がった。
「行くのですか?」
「ああ。館長から許可はもらってある。
結果的に太守家に喧嘩を売った形になったからな。
ほとぼりが冷めるまで冒険でもするさ」
「私はこの館にずっとお使えしていますので、何時でも帰ってきてくださいませ」
彼女は辰馬についていってもいいと思ったが、辰馬の処分の為に館に留まる事を選んだ。
深々と頭をさげてお辞儀をするリールに見送られながら、辰馬は砦の出口に向けて歩いてゆく。
ボルマナの慎重な調査の結果、太守家はまだ内海とエルミタージュが結託した事を知らなかった。
そして、ゼラの確証であるゼラニウムの物語はこちらが押さえている。
結果、速攻で動いた内海とエルミタージュによって、事件はベルの一件に矮小化された。
太守家側も巻き返しを図ったが、国政議会議長が太守家系列の人間ではない野心家のダミアンだった事が響き、ついに押し切られた形となる。
とはいえ、太守家もダークエルフを言い値で買いあさる帝国はお得意様だったし、帝国にとってもダークエルフを筆頭とする異種族購入は国の発展の為の命綱となりつつあった。
互いに争っても利がないのは分かっていたが、トラブルを起こした以上、なんだかの落とし前はつけないといけない。
内海はエルミタージュ議員に政治的仲介を頼みつつ、表向きはベルとアニスによる辰馬への痴情の沙汰という事で片付け、太守家にはボルマナの仲介でメイヴから魔竜玉十数個を譲渡するという形で手打ちが図られた。
勇者の育成についてはエルミタージュの働きで魔術協会の全面支援が取り付けられ、勇者の維持に必要な魔力も大量の魔竜玉を手に入れた事で当面問題はなくなった。
更に「イッソスが戦乱に巻き込まれたら困る」という戦時における帝国の介入ともとれる内海の言質を取り付ける事で、太守家はその矛を収めたのだった。
ベルは殺され、辰馬はアニスと駆け落ちという筋書きでイッソスから逃亡。アニスは駆け落ちするふりをして帝国内に逃げ込む手はずになっている。
帝国本土ではカッパドキア共和国に対して治外法権の要求も一部の意見として出されたが、正式な外交関係を持っていない事を理由に却下される事となった。
とはいえ、この一件におけるカッパドキアの不安定な外交状況と、イッソスの奴隷市場のみに依存する黒長耳・獣耳族供給体制は本土で問題となり、海軍の一部将校が提唱した異世界航路拡張計画の推進が決定された。
近く、カッパドキアを始めとする諸国と外交関係を構築し、撫子三角州からデロス同盟やイシス王国まで帝国の商船が出入りする事になるだろう。
辰馬は砦を出ようとすると扉にはアニスが待ち構えていた。
「寂しくなるわね……」
ぽつりと呟くアニスにいつもの明るさは無い。
「簡単にはくたばらないさ。
あんたは?」
「もうしばらくはここに隠れているつもり。
けど、近い内に帝国に行くと思う」
記憶を失っているとは言え、竜に対抗しえる勇者が転がり込むのだ。
色々な意味で彼女を最高待遇で遇するだろう。
「この世界に居る限り、私は勇者でしかないと思い知ったから。
あっちに行ったら何か変わるかもしれないしね」
アニスは丁重に遇される。
けどそれは勇者として。竜神撫子を殺しうる兵器として。
それは、今の生活とどう違うのだろうか辰馬には分からない。
「あ、これは選別ね……」
ウインクをしたアニスが辰馬に抱きついて優しく口づける。
辰馬は突然の事で動けず、声が出たのはアニスが離れてからだった。
「ちょ、いきなり……」
「ただの冒険者には高すぎる、歌妃アニスの唇よ。
続きがしたかったらたくさんのお宝を持って帰ってきなさい。待っていてあげるから」
その笑みが可笑しくて。
その優しさが痛くて。
琢磨は笑った。
「ああ、帰ってきて千夜アニスを買ってやる」
「期待しているわ。千夜の途中で枯れても知らないから」
だから歩き出そう。琢磨にベルが見せたかったこの世界を。
「行ってくる」
「いってらっしゃい」
アニスの視線を後ろから感じつつ辰馬はゆっくりと歩き出す。一歩。一歩。前へ。
イッソスから歩いて最初の宿場町で辰馬は宿を取り、酒場で酒を頼む。
とんとんと背中をつつく指。
「凄いものだな。
俺の後ろを取るなんて」
振り向いて笑う。
そこには旅姿をしたアニスがいた。
「だって、これが本職ですから」
けど、楽しそうに笑う仕草やその声はベルだった。
辰馬が撃った時にベルの急所を外していた。
だが、太守家の他の間諜がいる可能性を含めて治癒呪文をかけつつ眠りの魔法をリールがかけて、ベルを死んだものとして扱ったのだった。
そして、辰馬はアニスと駆け落ちをする手はずになっているが、帝国に招聘されるアニスの変わりに誰かがアニスに化けねばならなかった。
かくして、肉体変化の魔法で人間のアニスに化けたベルがここにいる。
「もう少しイッソスを離れるまではその姿でいろよ。
あと、またたびエールは頼むな。ばれる」
露骨に不機嫌な顔をするベルに辰馬は笑った。
「そういえば、辰馬って刀を抜かないのはどうして?」
気づいていたらしいベルの質問に辰馬が苦笑する。
「刀で人を切る感触が忘れられなくてな。
抜くのが怖くなったんだが、そうも言ってられないしな。
俺の背後にお前がいるから守らないと」
辰馬はやっと自分の弱さを認めたから口に出来たのだが、聞くベルに取っては告白以外の何者でもなかったりするのに辰馬はまったく気づいていない。
「ばか。
こんな場所でそんな事言わないでよ」
赤くなってもじもじするアニスというもの可愛いものだと辰馬は思ったが、口に出す愚かな行為はしなかった。
だから、口に出してベルに尋ねたのは別のこと。
「さて、何処に行こうか?」
その問いにアニスそっくりな口調と仕草でベルが答えた。
「とりあえず、宿の寝室なんていかが?」
二人して笑いながら口付けを交わす。
そんな二人を誰も気にはしなかった。
こうして冒険者神堂辰馬の物語は始まる。
帝国の竜神様 異伝
ゼラニウムの物語 終
「待った?」
「いえいえ」
アニスはベルが酒場で出合った時と同じ深紅のドレスをつけて現れた。
「で、大事な話って何?」
ベルはただ黙って一冊の本を取り出す。
「その本で私はガースルに脅されていたのよ。
あの場所に無かったから何処にいったかと思っていたけど、『ゼラニウムの物語』は貴方が持っていたのね。
それ、読んだ?」
「ええ。
太守は貴方に勇者としての地位を与え、このイッソスを守護して欲しいと」
遠くから見たら友人同士の会話に聞こえない感じもしないではない二人の顔には、闇に覆われて表に出ない感情があった。決意と諦めという感情が。
「こんな時、なんて顔をしていいか分からないわ」
抑揚のない声で呟くアニスにベルはただ見つめるしか出来ない。
「思ったのだけど、どうして貴方は太守家に使えているの?
この人間世界は人間外の人種には厳しいわ。
貴方が、そこまでする義理もないと思うけど」
アニスの何気ない問いに、本を読んでゼラの事を知っているゆえにベルは寂しそうに笑った。
「そうね。
しいていうなら、貴方と同じ理由かな。
前の太守に優しくしてもらった。
その優しさが私を太守家に縛り付けるの」
人は何かに縋らないと長久の生の中で希望を持てない。
ゼラは愛だった。
ベルは優しさだった。
それだけで、本質は違わない。
「なら、私の答えも分かっているでしょう?」
銀の扇を開いてアニスは宙に浮かぶ。
「ええ。
だから、連れ帰るわ!
頭と心臓が生きているなら四肢切断までは許されているのよっ!」
「その言葉、そっくりそのまま返してあげるわ!」
アニスの放ったマジックミサイル十数発が一斉にベルに襲い掛かるが、ベルは呪札を取り出してばら撒き、風の呪文で宙に散らす。
ベルの体毛をつけた身代わり札は拡散してマジックミサイルはその散らばった札に空しく当たる。
その隙にベルは墓の影に隠れ、アニスは宙に浮いたままベルを探していた。
アニスは手をあげて魔法で死霊を召喚する。
その召喚に応じて湧き出るゾンビやスケルトンやゴースト等の低級アンデッド。
この間のアンデッド掃討のために核となるマナが見つからず数体しか作れない。
そして、ベルはこの戦場で事を行う上でダガーを銀製品の対魔装備に切り替えていたりする。
ベルのダガーが苦も無くゾンビを切り裂き、ゴーストを霧のように消しさる。
ベルが数秒前に居た場所で爆音が轟く。
アニスが召喚したアンデッドごと巻き込んで火弾を撃ち込んだらしい。
次々に炸裂する火弾にベルがあぶり出されるが、逃げるどころかアニスに向かって突っ込んでくる。
「猫耳族の跳躍力をなめるなぁぁ!!」
肉体強化の飴を舐め、一気に浮いているアニスとの間合いを詰める。
途中でばら撒かれた身代わり札は、まだ散らばってマジックミサイルは役に立たない。
アニスは手をベルの方にかざして防御盾の魔法を発動するが、それこそベルの狙っていた瞬間だった。
防御盾の魔法にダガーを構え加速していたベルが衝突する。
その慣性は衝撃としてアニスに伝わり浮遊の魔法で浮いていただけのアニスは吹き飛ばされる。
苦も無く着地するベルに対して、受身も取れずにアニスは地面に落ちた。
緋色のドレスは土と血で穢れ、口から血を流したアニスが起き上がった時には、ダガーを構えたベルが正面に迫っていた。
火薬による炸裂音が墓場に轟いたのはそんな時だった。
胸元に赤い血の花を咲かせるベル。
何かを口にしようとして声に出せずに倒れるベルを、アニスはただコマ送りのように眺めるだけだった。
噂に聞いた事がある。
火弾よりはるかに強力な爆発を帝国人は操り、それでマンティコアを沈めたと。
「辰馬……」
アニスは振り返り、その武器である銃を撃った辰馬を呆然と見ることしかできなかった。
「いつ……から気づいたの……」
ベルが二重スパイである事についてだろうと辰馬はその理由を口にした。
「アニスと会った酒場で。
ベルは『太守家の奥領地』と言った。
太守の本拠はこのイッソスなのに先に奥領地という単語が出てきた。
そこに何かあるか知ってないと出ない言葉にまず違和感を覚えた」
辰馬についてきたリールがベルに治癒魔法をかけるが血が止まらない。
「次に、この墓場でのガースルとの戦闘。
ベルに攻撃が集中していた、ガースル暗殺の犯人じゃないかと疑った」
全部推論の話だが、当たってしまった事が辰馬は悔しい。
「で、決定打は魔術協会に行った後で俺がアニスとしけ込むのに何もしなかった事だ」
物置小屋の中、四人でやった時に一番多くねだったのがベルだった。
そんな執着心が強いベルが、引っかくという治癒できる行為で引き下がったのが納得できなかったのだ。
「だから、別の目的があると踏んだのさ。
だとしたらそれはアニスだろうと。
ボルマナから警告も受けていた。
アニスが一人で片付けようとして俺を眠らせたのが想定外だったが」
辰馬たちの活動は人間と獣耳族でペアを組み、それを黒長耳族がサポートする。
ベルにも辰馬にも魔術協会の後、黒長耳族の監視がついていたのだった。
だから眠らされた辰馬はこうしてここにいる。
辰馬の種明かしを聞きながら口から血を流してベルは笑った。
「あはっ……ドジっちゃった……
かけてあった魔法障壁を破るなんて……凄い……」
「喋るな!ベル!
今、傷の手当てをするから……」
その辰馬の口を塞いだのは血まみれのベルの唇。
「やめて……今幸せなんだから……
す……好きな……男に抱かれて死ぬなんて……最高の終わり方だと思わない……」
血まみれの手から辰馬に渡されるゼラニウムの物語を辰馬は弾いて地面に叩きつける。
「馬鹿野郎!
俺はこんな終わり方認めないぞ!
一緒に冒険に行くんだろうが!」
自分で撃っておきながら理不尽な事を叫ぶ辰馬にベルは力なく笑う。
「そうよね。
冒険……いくんだったよね……
辰馬にみせてあげたい……この世界はこんなに……」
そのまま目を閉じる。
アニスの目にはリールが力なく首を横に振り、辰馬が空を見あげて涙をこぼさないようにする姿しか見えなかった。
内海とボルマナが大灯台から広場前まで降りた時には既に朝日が昇り、尖塔から浄化の歌が聞こえる。
「終わりました。
全て上手くいったそうです」
テレパスで伝えられたボルマナの報告に、内海は肩の荷を降ろした風に背伸びをした。
「こんな仕事は正直私の管轄外だと思うのですがねぇ」
その冗談に珍しく真顔でボルマナが突っ込んだ。
「仕方ありません。
館長の言葉を借りるならば、こちらに馴染める人間は貴重ですから大事にしてもらわないと」
意外そうな顔をする内海にボルマナが怪訝そうに尋ねた。
「どうしました?」
「いえ、ボルマナ君も言うようになったなと」
「上司の仕込みがいいものですから。
上への報告と太守家への釈明、よろしくお願いします」
しかめっ面をした内海は真顔に戻って改めて大灯台を眺める。
エルミタージュとの会話の果てで内海が思い出したのは平家物語の終幕、灌頂の巻。
大原寂光院にて後白河法皇と建礼門院徳子のあまりにもの寂しい語らいだった。
後白河院は平家追討の平家追討の院宣を出したが、彼の息子高倉天皇の妻が平家一門の徳子であり孫の安徳天皇だった事がこの悲劇を生む。
栄華を極めた平家一門が壇ノ浦で滅んで安徳天皇は壇ノ浦に沈み、徳子は入水すれど源氏の武士に助けられ京に送られる間陵辱されたという。
後白河院は己の権勢を守りたかったのだろうし、勃興する武士勢力を掣肘したかったのだろう。
だが、その結果彼は孫を見殺しにし、息子の妻に地獄すら生ぬるい生き地獄を味合わせたのだった。
国が、一族が滅ぶというのはこういうものだったのだ。
内海の口から自然と平家物語の冒頭が口から紡がれる。
「祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり」
その知らない歌をボルマナは黙って聴くしかなかった。
「沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす」
内海は思い知る。この世界でも人間というのは愚からしい。
星で街を潰された街が行った己を守る行為が敵対した街の殲滅というのだから。
「おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし」
呟きながら己の心に尋ねる。
その愚かさを帝国は笑えるのか?
ついこの間まで大陸で泥沼の戦争を行って勝てず、竜がこなければ今頃は英米とまで戦争を行っていたというのに。
「たけき者もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ」
ああ、だからこそ共犯者としてエルミタージュの話に乗ることにしたのだと。
「あの本って結局何だったのですか?」
荷造りをしている辰馬にリールが話しかける。
「ただの記録書だった。
魔術師にとってたとえ間違っていても、その記憶は残すべきなのだと。
自分達が間違っているとしても、次代はその道を歩まずに正しい道を歩んで欲しいとさ。
それが、噂に尾びれがついて魔道書となった。
真実を隠したいエルミタージュ議員はその噂を否定せず。
議員の後悔の一冊って訳だ」
けど、記憶は消されても彼女に力は残り、知り合いもない彼女が生きてゆくには娼婦と魔術師にならざるを得なかった。
背嚢に生活道具を詰めた辰馬は立ち上がった。
「行くのですか?」
「ああ。館長から許可はもらってある。
結果的に太守家に喧嘩を売った形になったからな。
ほとぼりが冷めるまで冒険でもするさ」
「私はこの館にずっとお使えしていますので、何時でも帰ってきてくださいませ」
彼女は辰馬についていってもいいと思ったが、辰馬の処分の為に館に留まる事を選んだ。
深々と頭をさげてお辞儀をするリールに見送られながら、辰馬は砦の出口に向けて歩いてゆく。
ボルマナの慎重な調査の結果、太守家はまだ内海とエルミタージュが結託した事を知らなかった。
そして、ゼラの確証であるゼラニウムの物語はこちらが押さえている。
結果、速攻で動いた内海とエルミタージュによって、事件はベルの一件に矮小化された。
太守家側も巻き返しを図ったが、国政議会議長が太守家系列の人間ではない野心家のダミアンだった事が響き、ついに押し切られた形となる。
とはいえ、太守家もダークエルフを言い値で買いあさる帝国はお得意様だったし、帝国にとってもダークエルフを筆頭とする異種族購入は国の発展の為の命綱となりつつあった。
互いに争っても利がないのは分かっていたが、トラブルを起こした以上、なんだかの落とし前はつけないといけない。
内海はエルミタージュ議員に政治的仲介を頼みつつ、表向きはベルとアニスによる辰馬への痴情の沙汰という事で片付け、太守家にはボルマナの仲介でメイヴから魔竜玉十数個を譲渡するという形で手打ちが図られた。
勇者の育成についてはエルミタージュの働きで魔術協会の全面支援が取り付けられ、勇者の維持に必要な魔力も大量の魔竜玉を手に入れた事で当面問題はなくなった。
更に「イッソスが戦乱に巻き込まれたら困る」という戦時における帝国の介入ともとれる内海の言質を取り付ける事で、太守家はその矛を収めたのだった。
ベルは殺され、辰馬はアニスと駆け落ちという筋書きでイッソスから逃亡。アニスは駆け落ちするふりをして帝国内に逃げ込む手はずになっている。
帝国本土ではカッパドキア共和国に対して治外法権の要求も一部の意見として出されたが、正式な外交関係を持っていない事を理由に却下される事となった。
とはいえ、この一件におけるカッパドキアの不安定な外交状況と、イッソスの奴隷市場のみに依存する黒長耳・獣耳族供給体制は本土で問題となり、海軍の一部将校が提唱した異世界航路拡張計画の推進が決定された。
近く、カッパドキアを始めとする諸国と外交関係を構築し、撫子三角州からデロス同盟やイシス王国まで帝国の商船が出入りする事になるだろう。
辰馬は砦を出ようとすると扉にはアニスが待ち構えていた。
「寂しくなるわね……」
ぽつりと呟くアニスにいつもの明るさは無い。
「簡単にはくたばらないさ。
あんたは?」
「もうしばらくはここに隠れているつもり。
けど、近い内に帝国に行くと思う」
記憶を失っているとは言え、竜に対抗しえる勇者が転がり込むのだ。
色々な意味で彼女を最高待遇で遇するだろう。
「この世界に居る限り、私は勇者でしかないと思い知ったから。
あっちに行ったら何か変わるかもしれないしね」
アニスは丁重に遇される。
けどそれは勇者として。竜神撫子を殺しうる兵器として。
それは、今の生活とどう違うのだろうか辰馬には分からない。
「あ、これは選別ね……」
ウインクをしたアニスが辰馬に抱きついて優しく口づける。
辰馬は突然の事で動けず、声が出たのはアニスが離れてからだった。
「ちょ、いきなり……」
「ただの冒険者には高すぎる、歌妃アニスの唇よ。
続きがしたかったらたくさんのお宝を持って帰ってきなさい。待っていてあげるから」
その笑みが可笑しくて。
その優しさが痛くて。
琢磨は笑った。
「ああ、帰ってきて千夜アニスを買ってやる」
「期待しているわ。千夜の途中で枯れても知らないから」
だから歩き出そう。琢磨にベルが見せたかったこの世界を。
「行ってくる」
「いってらっしゃい」
アニスの視線を後ろから感じつつ辰馬はゆっくりと歩き出す。一歩。一歩。前へ。
イッソスから歩いて最初の宿場町で辰馬は宿を取り、酒場で酒を頼む。
とんとんと背中をつつく指。
「凄いものだな。
俺の後ろを取るなんて」
振り向いて笑う。
そこには旅姿をしたアニスがいた。
「だって、これが本職ですから」
けど、楽しそうに笑う仕草やその声はベルだった。
辰馬が撃った時にベルの急所を外していた。
だが、太守家の他の間諜がいる可能性を含めて治癒呪文をかけつつ眠りの魔法をリールがかけて、ベルを死んだものとして扱ったのだった。
そして、辰馬はアニスと駆け落ちをする手はずになっているが、帝国に招聘されるアニスの変わりに誰かがアニスに化けねばならなかった。
かくして、肉体変化の魔法で人間のアニスに化けたベルがここにいる。
「もう少しイッソスを離れるまではその姿でいろよ。
あと、またたびエールは頼むな。ばれる」
露骨に不機嫌な顔をするベルに辰馬は笑った。
「そういえば、辰馬って刀を抜かないのはどうして?」
気づいていたらしいベルの質問に辰馬が苦笑する。
「刀で人を切る感触が忘れられなくてな。
抜くのが怖くなったんだが、そうも言ってられないしな。
俺の背後にお前がいるから守らないと」
辰馬はやっと自分の弱さを認めたから口に出来たのだが、聞くベルに取っては告白以外の何者でもなかったりするのに辰馬はまったく気づいていない。
「ばか。
こんな場所でそんな事言わないでよ」
赤くなってもじもじするアニスというもの可愛いものだと辰馬は思ったが、口に出す愚かな行為はしなかった。
だから、口に出してベルに尋ねたのは別のこと。
「さて、何処に行こうか?」
その問いにアニスそっくりな口調と仕草でベルが答えた。
「とりあえず、宿の寝室なんていかが?」
二人して笑いながら口付けを交わす。
そんな二人を誰も気にはしなかった。
こうして冒険者神堂辰馬の物語は始まる。
帝国の竜神様 異伝
ゼラニウムの物語 終
2010年10月14日(木) 23:17:16 Modified by nadesikononakanohito