帝国の竜神様閑話15

 昭和17年度における日本の産業はどのようなものだったのか?
 後に前半の苦悩と後半の歓喜と呼ばれる昭和17年日本帝国の経済的転換点はこう呼ばれる事になる。
 竜という摩訶不思議な異世界生物によって第二次世界大戦の参戦を回避した日本帝国は、その年の前半部を大陸での戦争の清算にあてていたのだった。
 まず、国家財政はすでに破産寸前の所にあった。
 陸海軍予算は国家財政の37%、日中事変の諸経費が別枠で四割近くに達し、GNPにおける軍事生産は23%に達していた。
 軍事というのは究極の消費財と言われている。
 結局は何も生まないからだ。
 つまり、国家財政の4/5、国民総生産の1/5をどぶに捨てていたと言っても過言ではない。
 これを大陸足抜けによって清算した。
 軍事費を毎年10%削減、五年後には国家財政の20%(22%が目標)に、GNPにおける軍事生産を12%に抑える事を目標にしたのだった。
 その流れを受けて17年予算が成立する。
 春に行われた大陸からの撤兵および動員解除とバンコク商会を通じたインド洋通商活動、植民地及び本土の公共事業と設備投資が帝国経済再生の第一歩となる。
 予算面における軍事費圧迫の解消は戦時国債の償還と低利国債への借り換えによって凌ぎ、バンコク商会の通商活動が必要な資源と資金を少しずつ帝国に注いでいったのだった。
 この第二次大戦期に成長した企業はその業種の部首を文字って「糸偏長者」(繊維)、「金偏長者」(鉱山・鉄鋼・金属)、「船偏長者」(造船・海運)の三種に分かれる。
 日本の産業は米国に繊維を売ることで成り立っている。
 日米に直接交易航路が無く、オーストラリアを用いた三角貿易を持ってしても、その価格競争力を有していた日本の繊維産業はこの戦争で逼迫している欧米に繊維を売りまくった。
 綿花の産地であるインドは工場のある英本土に綿を持ち込めず、その加工を日本に頼むしか無かったからである。
 労働コストが無きに等しいインドの綿花をやはり無いに等しい日本の工場で世界に売りさばく。
 とはいえ、一番の売り手である米国への経済制裁は解除されていないので英国製というみかじめ料を英国に払っての三角貿易でなのだが。
 三角貿易の関係上その製品はオーストラリア製とされ、その金は英国と帝国にそれぞれ転がり込み、英国は戦費(それでも足りない)に、帝国は竜州開発の原資にあてる事になる。
 特に、帝国の新領土となった竜州開拓は英国資本の合弁事業となり綿花とセットで進められ、インドより安く、量が多い竜州産紡績の価格競争力は20世紀後半まで世界一を維持できると試算されていた。
 次に、鉱山・鉄鋼・金属産業だが、竜州開発と第二次大戦期の造船業の急発展によって急成長を遂げる。
 この産業は10年単位での投資を必要とするのだが、帝国が手に入れた竜州開発における公共投資が常に需要を支える形となり、企業は次々と投資を促進させてゆく。
 最後の造船と海運だがこれが短期的には一番帝国に金を生み出した。
 大西洋は独逸潜水艦の跳梁が未だ激しく、米国の参戦がまだ行われなかった昭和17年時は英国一国で大西洋を支えなければならず、西太平洋からインド洋は日本の独断場となる。
 そこで集められた金や物は独占企業と化したバンコク商会(帝国内財閥も出資して肥大化が進められていった)が一元管理をし、帝国に還流したのだが当時の帝国商船隊は600万トンしかなく、とてもこの二つの海洋交易を支配できる状況ではなかった。
 この時に船と船員を供出して帝国以上に暴利を貪ったのは米国である。
 竜をさけてオーストラリアを基点とした三角貿易だが、西大西洋とインド洋を航行する米国船は船籍を日本やタイにして独逸潜水艦の跳梁から逃れたのである。
 世界の海に一日に三隻の割合で建造された米国のリバティシップが溢れる結果となったが、それをもってしても世界の船舶不足は解消されなかった。
 結果、帝国造船業もそのおこぼれをもらう事になる。
 統制経済の解除を行わず、統制経済をもって売れる船(戦時標準船)を量産。その価格はリバティ船よりも安く日本海運業を支える事になった。
 これらの産業促進における公共投資だが10年にも渡る戦争の為に手を入れる所は多岐にわたっていた。
 まず、国内物流の改善による道路舗装・鉄道改修・港湾拡張の公共工事、工場建設における電力増大に伴う電力確保のダム建設、それらの事業を行うに当たって必要な人材の育成。
 それを帝国は泥縄式に解決していった。
 帝国産業における構造的問題は賀屋興宣蔵相(東条内閣)が看破したように、戦争によって引き起こされた物不足にあった。
 その物不足の解消のためにも、帝国における戦時統制経済は、緩和はされども継続される事になる。
 東条内閣より代わった小磯内閣は竜州2000万殖民構想をぶちあげ、その年の終わりには大陸帰りの兵士等を中心とした第一次殖民隊約20万人が竜州の地にて開墾を始める事になる。
 入れ違いのように、異世界からはこの年だけで約10万の黒長耳族・獣耳族が帝国に逃れ、彼女達による物流改善を目的とした公共工事が本土各地で行われる事になった。
 特に昭和15年・16年と凶作続きで食料供給に不安が出ていたこの時期に魔法を行使した農業生産および収穫高の拡大は世論の沈静化に大いに役立つ事になった。
 彼女達は農業だけでなく公共事業にも積極的に関与した。
 道路舗装・鉄道改修・港湾拡張の公共工事はほぼ全て彼女達が関与し、短期間かつ低予算で開発されてゆく。
 その効果は工事が完成する昭和20年時には劇的に変わり、大戦景気に沸く帝国の経済発展の下支えをはたす事になった。
 地方経済改善の為に、商法を改定して株式会社の設立を容易にし地方地主層の大規模農業を促進。
 異世界向けの地方特産品生産等で雇用を維持していた地方はこの株式会社化で所有と経営の分離を促進し、帝大出の社員の登用による地方企業の近代経営移行に大きな役割を果たす事になる。
 だが、近代経営の移行と公共事業の低予算省力開発は地方部に大規模の失業者を出す事が分かっていた事もあり、その対策に帝国政府は四苦八苦する。
 小作農対策については、物流改善と大戦景気が双方絡み人手の足りない工場労働者として働くか、竜州に殖民するかという選択肢が与えられる。
 特に鉄道運行の改善による出稼ぎの容易化は都市部人口の流入を招き、造船と繊維業の人手不足は彼ら出稼ぎ労働者の大きな雇用先となっていった。
 民需の復興、竜州開発、英米のおこぼれを貰う大戦景気の便乗。
 この17年後半に起こった以下の状況があと半年遅ければ、致命的なインフレと共に帝国経済は破綻の坂を転がり落ちていっただろう。 
 事実、昭和17年以降通貨は安定傾向に入り、インフレが沈静化に向かった為に小作争議及び労働争議は縮小傾向を示してゆく事になった。
 当時の大蔵官僚はこの17年度を「指一つで崖にしがみ付いて奈落に落ちずに済んだ」と日記に残している。
 政治的には激震続く日本帝国だが、経済的にはその回復の目と半世紀に及ぶ経済成長は既にこの頃から見えていたのだった。


 あるエコノミストの著書『円の王子様』より抜粋


 帝国の竜神様閑話15
2010年10月07日(木) 19:27:41 Modified by nadesikononakanohito




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