帝国の竜神様12

「……」
「ふむ。中々じゃの」
 愛国丸の特等船室(わざわざ撫子用に突貫工事で元に戻したそうな)で俺と撫子はくつろいでいるように見えるならそいつは目がおかしいのだろう。
 ちなみに、それに対する答えはNOだ。というか誰だ?こんな無駄な所に気を回した馬鹿は?
「あの博打打ちに決まっているではないか」
 だろうなぁ。こんなしゃれを本気でやる力はあの人だろう。
 俺の目の前に広がるダブルベッドの上に撫子はぴょんぴょん飛び跳ねて俺を見つめていた。
「おい、博之。
 ベッドの隣にある箱に入っているこの黒いトカゲの丸焼きはなんじゃ?」
 サンショウウオの黒焼き……わかってやってやがる。あの長官分かってやっていやがる。
 いいかげんに撫子を抱いてやれという事か。
 帝国は何よりも撫子を失うのが怖いのだ。
 撫子は、俺の指示なら従うという事を再三再四明言しているが、それをいつ破るかという不安を常に持っているのは当然のことだろう。
 ならば、抱いてきちんと恋人同士にしてやれと考えるのは悪い話じゃない。
 改めて、部屋の装飾に興味しんしんな撫子を見つめる。
 撫子が嫌じゃないのは間違いがない。
 どっちかといえば好きな方にはいる。
 大陸でのあいつの自由奔放さを追い掛けている俺がいた。
 それを好意というなら好意だろう。
 あいつとの馬鹿げたやりとりに心休まる俺がいた。
 何しろこいつと出会ってから、かれこれ女を買いに行っていない。
 気づいてみれば、こいつは俺の生活の一部になっていたんだよなぁ。
 撫子を眺めながら、窓の外に広がる夜の海を見つめる。
 撫子のいた場所。撫子が暮らしていた場所。撫子が帰るべき場所。
 本当ならば、撫子はこっちに帰るべきではないのか?
 じゃあ、帝国は……俺はどうすればいい?
 どうせいつものように頭の中を覗いてはいるのだろうが何も言うつもりも無く、窓の外に浮かぶ赤と青の月を眺めている。
「あのな、撫……」
 その言葉の続きはノックによってかき消された。
「メイヴです。
 食事ができたそうなので食堂の方にお越しください」
「わかった。
 いこうかの。博之。
 どうしたのじゃ?
 憮然とした顔をして」
「なんでもない」
「言葉の続き、楽しみにしておるでの」
 俺の心を見透かして、撫子は先に食堂に下りていった。

 食堂はカレーだった。
 考えれば、日本時間では金曜日だったな。
「うまいのぉ♪」
 すっかりカレーが気に入った撫子が実においしそうにカレーを食べているのをよそに、この船団を率いる西村祥治少将、木村昌福大佐(愛国丸船長)以下幹部連中に、俺、撫子、遠藤、メイヴはみかけた不審船について対策を話し合っていた。
「私達の世界では、日本のある世界みたいに海の真ん中を渡って行く能力はありません。
 普通、ガレー船で陸地伝いに交易をするのです」
 メイヴの言葉に、遠藤がすばやく反応した。
「見張りの言葉だと見かけたのは帆船だそうだ。
 ガレー船の世界でそんな機動力を持つ船の連中がろくでもないやつなのは間違いがないな」
「あれ一隻だと思うか?」
「一隻なら襲ってこないだろう。でもついてきているのだろう?」
 木村大佐が首を縦に振った。
「つかず離れずでついてくるの」
「仲間は呼ばれたとみるべきですね。
 『遠見の鏡』という、日本のある世界でいう無線機にちかい魔法アイテムがあります」
 メイヴが木村大佐の言葉を引きついで、仲間を呼ばれた可能性を示唆した。
「しかし、帆船とはな。
 魚雷は撃てないな」
「喫水が足りないので魚雷が帆船の下を通り抜けて行きます」
 西村少将の感慨深そうな声を木村大佐が引きつぐ。
「魚雷高いしな」
「博之。魚雷って高いのか?」
「お前と帝都で空中戦やった零戦より高い」
 木造船にそんな高価な必殺兵器を使う気はまったくない。
「追い払う、もしくは全速で逃げるというのは?」
「多分捕捉されます。
 地の利は海賊達にありますし、この世界では魔法が使えますから。
 海賊にも雇われ魔法使いがいるでしょうから、空を飛ばれて捜索されたらどうしようもありません」
 参謀の一人が提案したが、メイヴに否定的に返される。
「じゃあ、空母がいるな……」
 さすがに空母はおいそれと出せる訳にも行かず今ある戦力でどうこうしないといけない。
 もちろん、俺含め海軍軍人は帆船に負けるとはまったく思ってはいなかった。
 問題は、そんな帆船が俺達を襲ってくる根拠の方である。
「切り込みでしょうね。
 船で接近するのではなく、魔法を使って海賊を船に上陸させるつもりでしょう」
「確かに海賊の戦法だな。
 いつごろ襲ってくるかな?」
 西村少将の問いかけに、メイヴが首をかしげて答えた。
「見つけてから仲間と合流するまで考えると明日の夜では」
「では、それまでは警戒しつつ明日の夜の海賊の来襲を迎え撃つとするか」
「撫子さま。
 月の位置から緑竜海に来られたのはわかりますが、これからどちらの方に?」
 テーブルの中央には、メイヴ達黒長耳族から聞いて作り上げたこちらの世界の世界地図が置いてあった。
「うむ。わらわが住んでいた西の竜宮は後で行くとして、まずはこのあたりで一番大きな港町」
 カレーのスプーンが北西部のある一点にて止まった。
「イッソスに行こうかと思うてな」
 ぽたり。地図にカレーが垂れた。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「何を見ているのじゃ!博之!!」
「いや、地図の染みを」
「気にするでないっ!!!」
 気にするって。

 食事後、遠藤を誘ってバーに。
 撫子には「男の話」と強引に説き伏せて部屋に戻ってもらっている。
「遠藤。お前、メイヴに手を出したってな」
「ああ、俺の芸者で磨かれたテクニックでメロメロ……」
「『三分でしたわ』とメイヴ本人に聞いたのだが」
「いやぁ、月が綺麗だなぁ!
 月見酒としゃれこもうじゃないか!!」
 あ、聞かなかったことにしたな。こいつ。
「ちょいとまじめな話がある。
 それがらみで」
 ふざけていた遠藤のグラスが止まる。
「ついに撫子とするのか?」
 そこまで言って、遠藤も気づく。
「確かに、三分はまずいな……」
「だな」
 あの撫子のことだ。所構わず、
「わらわが床上手でないばっかりに博之を三分しか持たせられなかったのじゃ。
 わらわは、博之の物失格なのじゃ!」
 と泣き出しかねん。
 その時の精神的打撃と「よくも撫子を泣かせやって」としっと団と化した連中からの生命的危機からどう逃れればいい?
 やるからにはきちんとのろけるぐらいのものを。
 だから、その戦訓を聞きに遠藤を連れ出したという訳だ。
「まじめに言うぞ。真田。
 あれはやばい。なんというか、体の理性がきかん。
 胸を触れば脳が解けるように、褐色の腹を触れば体がうずく。
 声も吐息も魔法のように俺を縛るし、喘ぐ度にぴこぴこ動く耳を見ていたら自分がけだものになるのがわかる。
 あっというまに撃墜されたのはちゃんと理由があるのさ」
 こいつとは兵学校からの長い付き合いで、大陸での女狂いに共に付き合ってくれていたからこいつが人様よりそれなりに上手いのは知っているつもりだ。
 そいつで三分だ。
 で、そんな遠藤を三分でノックアウトにした連中の親玉お姫様を抱こうというのだから……
「なぁ、30秒で満足させられる房中術ってあったかな?」
「お姫様がお前を殴り倒すのがそれぐらいでないか?」
 頭を抱える馬鹿二人。わかっているのだ。馬鹿だというのは。だが、これはプライドの問題なんだ。
「何を2人で真剣に話しているかと思えば……」
「うわっ!!」
「どこから現れやがったっ!メイヴっ!!」
「いや、だから後ろのドアから」
 不意に隣に現れてグラスを揺らすメイヴに狼狽する俺達2人。
「気配を消して近づくんじゃねぇっ!!」
 遠藤の悲鳴にころころと微笑んでグラスを傾けるメイヴ。
 絶対こいつ分かってやってやがる。
「いえ、撫子様が喜色満面で『博之がやっと抱いてくれるのじゃ!メイヴ!!』とそれはそれは上機嫌で報告なされて」
「ほぶっっっっっっっ!!!」
 豪快に俺のバーボンが霧と化した中、メイヴの口調が更に丁寧になる。
「で、『三分』で終わらない様にと、撫子様がご満足するように博之様にあるものをお渡しすべく参上した次第で」
 あ、遠藤がグラスをもったままテーブルに突っ伏して痙攣してやがる。
 ことり。
 テーブルの音に桃色の液体の入った小瓶が置かれた事に俺も遠藤も気づく。
「私達長耳族用にする為の媚薬ですわ♪」
「あるんだ。そんなの」
「古代魔法文明時には精製方法は確立していたとか。
 人間の性欲は偉大ですので」
 グッジョブ。古代魔法文明の性欲。
「メイヴたん。俺にも一つもらえないかなぁ?
 それを使って、今夜再戦を……」
 下心見え見えの遠藤の誘いににっこりメイヴは微笑んでその先を話す。
「けど、一度使うと、もう長耳族でしか満足できないとか」
「うっ!」
 あ、遠藤が固まった。
「使ってしまえば、大和撫子も、チャイナ美人さんも、ロシア美女さんも、グラマーアメリカ人も、知的英国美人も、微乳北欧少女も、みんな満足できなくなるんですよ♪」
「ヴぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!」
 あ、真剣に悩んでやがる。こいつ。
「まぁ、竜や竜の眷属ならば大体これでききますから。
 エルフや、ダークエルフや、サキュバスや、ドライアドや、ドラキュリーナや、マーメイドや、ドラゴニアンや、ハービーとか抱き放題ですが」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
 メイヴは遠藤をからかって遊んでやがるし。
 俺は小瓶を取って撫子の待つ部屋に戻ることにした。
「博之さま」
 後ろからメイヴが声をかけ、俺の歩みを止めた。
「長いこと撫子さまの近くでお顔を見てきましたが、あんなに幸せそうな顔を見るのは初めてでございます。
 どうか、撫子様を幸せにしてあげてくださいませ」
 気配で頭を下げたらしいメイヴに軽く手を上げて俺はバーを出て行った。

「遅かったの」
「何、男の話は長いものさ」
 電気もつけずに撫子は窓の外に浮かぶ赤と青の月を眺めていた。
「僅かな時しか離れていないというのに……この月がこんなに懐かしいとは思わなんだ」
 白無垢の寝巻きの下、メイヴにでもしてもらったのだろう。ほんのりとコロンと共に撫子の甘い香りが顔をくすぐる。
「長い長い時を生きた。
 人間どもに使役されて嬲り者にされる事もあった。
 今とて、わらわは人間に対してさしていい感情を持っているわけではないわ」
 ぽつり。ぽつりと撫子は窓の月に向かって言葉を紡ぐ。
「じゃあ何で、今ここにいるんだ?」
 それは撫子に誘導された言葉。
「わかっておろう。博之。
 お主がおるからじゃ」
 この睦言の為の言葉のワルツ。 
「東京湾で零戦に負けたのがそんなに悔しかったのか」
「ああ、悔しかったぞ。
 何しろ、もう人間ごときに負けるはすがないと思っておったからのぉ」
 目尻に怒りの色が少しうつる。思い出すだけでも腹が立つらしい。
「嫌ならさっさと逃げるなりなんなりすればよかったじゃないか」
「そのつもりでおったわ。
 だがな、博之。
 そなたは、大事な物をくれたのじゃ」
 俺の方を振り向く撫子。その顔は姉と同じだというのに、俺は目の前の姉の顔を姉と認識していなかった。 
「大事なもの?」
 撫子は愛しそうに自分の豊満な胸に手を置いてゆっくりと口を開く。
「一つは名前じゃ。
 わらわを嬲り者にした者達はわらわを『牝』とか『ドラゴン』としか呼ばなんだ。
 わらわに『撫子』という名前をくれたのはお主がはじめてなのだぞ」
 頬を赤く染めて恥ずかしそうに視線を俺からそらす撫子にやさしく問いかけた。
「ほかには何を?」
「博之は、すぐわらわが何か間違えると馬鹿竜と叱るであろう。
 同じように、一緒に食事をし、一緒に戦場を飛び、床は別だったが一緒に眠る。
 わらわをきちんと同じ目線で見てくれたのじゃ」
 絶対的な力を持つ竜。
 それを同等に扱うというのは普通の人間はしない。
(ああ、そうか)
 不意に思いついた。
 俺は撫子に構いつつ、姉と遊んでいたんだ。
 そこには、頼りない姉と苦労性の弟しかいない。
「そうだな」
 撫子の隣に立って、頭に手をぽんと置いた。
「博之の手は暖かいな」
「そうかな」
 姉さんにはかなわないな。
 さんざんこの世でひねくれていた俺を立ち直らせるためにこんな馬鹿竜を押し付けるなんてな。
「馬鹿竜で悪かったのぉ」
 怒った顔をする撫子だが、俺の手はまだ撫子をなでている。
「いや、お前は姉さんの顔はしているけど、やっぱり馬鹿竜だよ」
 心からの言葉を口にして、それを勝手に読み取った撫子が分かるほど真っ赤になるのを見て、本当に愛しいと思った。
 照れくさいので、手を戻そうとしたら撫子に手を捕まれ胸元に押し当てられる。
「わらわはお主のものじゃ。
 どうかわらわを抱いてほしい」
 月明かりに照らされた撫子の真摯な願いに俺はもう片方の手を撫子の肩に乗せた。
「本当に馬鹿竜だな。撫子は。
 こんな時、人間は『愛している』と言うんだ」

 やさしく、ゆっくりと、撫子が『愛している』と言う前に、
 赤と青の月明かりの下、
 俺は撫子の唇に唇を重ねた。


 朝日がまぶしい。
 シーツが濡れて気持ち悪い。
 というか。床まで垂れてるし。
 三ヶ月ぶりだからやりすぎたかな?
 ぽりぽりと頭をかく。
 撫子はまだ甘えてくるしもう一戦と行こうとして、何かが頭にひっかかった。
「ぁ…どうした?博之?」
 絡んでくる撫子に口付けをして、俺はその引っかかったものに手をかけた。
「朝だな」 
「それは朝であろう…ぁ…こんなに明るいからのぉ…ん……」
 窓から青い空と青い海が動いて見える。
 動いて見える?
「そうか。ここは船の中だったなぁ」
「そうだぞ。わらわの世界の海の上で、わらわと博之は結ばれたのじゃ…ぁ…ん?」
 甘えていた撫子も何かか引っかかった。
 船…朝……朝食!!
「「メイヴが起こしにくるっ!!!」」
 裸で飛び起きる2人。
 普段なら傍若無人な撫子も珍しく狼狽している。
「は、早く着替えないとっ!」
「博之っ!着付けを手伝ってくれぬかっ!!」
「男の俺が女物の着付けなんて知るわけ無いだろっ!!」
「そうじゃったなっ!
 ええと、どれをどう着るのじゃ?」
 うろたえまくる俺達を嘲笑うように、こんこんとノックの音が聞こえてきた。
「博之様、撫子様。メイヴです。
 朝食ができたそうなので食堂の方にお越しください」
「わ、わかっ…むぐっ!!」
 撫子の口を強引に抑えて、
「悪い。気分が悪いんだ。
 朝食をこっちに持ってきてくれないか?」
「んっ……んぐんぐ……」
 ドア向こうのメイヴはしばらく考えた風な感じで、
「分かりました。朝食、ここにおいて置きますね」
 と言って、去っていった。
「はぁ……」
「びっくりしたのぉ……」
 手から逃れた撫子が安堵の息を漏らす。
「ん、メイヴは『朝食置いておきますね』と言ったな?」
 こっそりとドアを開けると、朝ご飯のお盆が二つ、バケツと雑巾とモップが二つずつメモつきで置いてあった。
 部屋にそれらを入れてメモを見る。

『匂いますよ。
 部屋を掃除して、お昼までには体を洗ってお越しくださいね。メイヴ』
 
 さすがサキュバス。こちらの事はお見通しだったか。
 つんつんと撫子が俺の頬をつつく。
「あ、あのな。博之。
 昼間でまだ時間があるのなら……んっ♪」
 撫子の唇を唇で塞いでから、お盆を取ってゆっくりとドアを閉めた。
 今度は時間を忘れないように撫子を可愛がらないと。


 結局、時間の空いた昼まで2人で部屋にこもって、とうとう匂いはとれなかった。
 で、遠藤には「サル」と罵られ(報復に「三分」と返したら「三分半だ」と訂正を求めてきた。あいつもやっているじゃないか)メイヴに生暖かい微笑を向けられ、西村少将は「若いっていいな」の一言で撃沈させられ、木村大佐は「男としてこれからもかわいがってやれ」とありがたい忠告を受ける羽目となった。


 帝国の竜神様 12
2008年01月15日(火) 10:46:43 Modified by nadesikononakanohito




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