帝国の竜神様47 前編

1942年 5月16日 昼 東京 海軍省

 海軍という組織は三つの組織によって構成されている。
 まず、軍政を管理する海軍省。
 次に、軍令を管理する軍令部。
 そして、現場となる連合艦隊の三つである。
 それぞれの長は、海軍大臣、軍令部総長、連合艦隊司令長官と呼ばれこの三人が一応海軍を動かすという形には法制度上なっている。
 なお、一応とついているのは日本特有の現場層の強さとか、中堅将校の空気とか、トップはお飾り的組織の考えとか、宮さまの介入とか色々あるので察して欲しい。
 で、そんな海軍三顕職が海軍省に集まって頭を抱えていたのも士官・将官達の間で話題なのに、従兵の漏らした「あの永野さんが寝てない」の一言でその会談の異様さを察したという。
 誰もがほぼ理由を把握していた。
 独ソ戦たけなわに英国のクレタ上陸という世界大戦の激動に、第七次異世界派遣船団の帰還によってもたらされた撫子三角州での陸軍の大損害。 
 どれもが頭を抱えるに相応しい話題なのだから。
 だが、頭を抱えている三顕職もそれだったら「どれほどいいだろうか」と呟く事だろう。
 彼らが頭を抱えるのは、それとは別のもっと切実な理由だったりする。

「金が無い」
 最初に言ったのは嶋田繁太郎海軍大臣。
 その一言に、山本五十六連合艦隊司令長官も、永野修身軍令部総長も「俺達を集めて何を言っているんだ?こいつ?」という顔をするが、それぞれ組織の長になるぐらいの頭を持っているのでその一言でぴんと来た。
「予算か」
 山本長官が確認の言葉を投げかけ、嶋田大臣がただ頷き、永野総長は顔を真っ青にして言葉すら発しない。
 海軍中央もうすうすとは感づいていたのだが、対米戦が回避され大陸から足抜けした時点で総力戦体制の見直しが行われる事が避けられない情勢ではあった。
 そうなった時、軍事予算で真っ先に削られるのが比重の大きい海軍予算であるという事も。
 もちろん、海軍だって手をこまねいていた訳ではない。
 政府を無視してイギリスに裏取引を持ちかけ、中立国のタイに法人を作って英国向けに艦隊をレンタルしてレンタル料を稼いだり、陸軍と航空機運用の統一をもちかけて航空機開発を整理したり……などなど。
 それでも、船は飛行機より戦車よりも大きく、維持費は膨大なものになる。
 何しろ、船は浮べているだけで油が減ってゆくものなのだ。
「丸五・丸六計画白紙で船台に乗せている物はもったいないから作るで押し通したろ。
 あれで大蔵の恨みを買った。
 で、陸軍の100万の動員解除だ。
 大蔵と陸軍が手を組んだ」
 淡々と事実だけを言う嶋田海相。
 なお、この三人の中では一番真面目で、それゆえに去年12月の対米戦突入寸前まで正攻法しか使わず陸軍の暴走を止められなかったという過去を持つ。
「いや、それは困るぞ。
 ただでさえ米国が対竜戦で大規模戦時体制に移行して艦隊を増産しているというのに。
 帝国も付き合って更に増やさないと、このままでは対米六割どころか対米三割すら維持できないじゃないか」
 真っ青になっている永野総長の気持ちも分からないではない。
 ランチェスターの法則だと、二倍の敵に当たればこちらが全滅しても敵は七割は残る事になるし、攻撃三倍の法則に従うなら、こちらは何をやっても勝てないという事になる。
 もはや作戦も何もあったものではない。
「たしか、対ソ戦を陸軍は準備しているんじゃないか?
 その予算を海軍にも……」
「かりにその状況になったとしても沿海州沿岸、北樺太を爆撃するだけで終わるじゃないか。
 その程度の予算しか回ってこないよ」
「あと、この間のソ連の無線封鎖で第一航空艦隊を出撃させたが、あれでも大蔵から嫌味をいただいてる」
 永野総長の必死の逃げ道を山本長官と嶋田海相があっさりと塞ぐ。
「どうするんだ!
 このままじゃ艦隊整備どころか、現行の艦隊維持すら出来ないじゃないか!!」
 永野総長の叫びに山本長官も嶋田海相も誰も追随しない。
「永野総長。
 今の帝国で、18年後半には配備が始まり既に起工されている戦艦が10隻に空母11隻を建造している合衆国海軍に追随できると思うか?
 それに2年前の海軍拡張法で今の連合艦隊を上回る船をやつらは作り始めているのを忘れているわけではないだろうな」
「あと口にするのも恐ろしい事だが、アメリカ海軍はハワイの竜退治の為に40年の量を上回る予算がおりている事もお忘れなく」
「……」
 嶋田海相と山本長官の冷徹な突っ込みに永野総長もやや顔を戻して今度は山本長官に話を振る。
「山本長官。
 この戦力でアメリカと戦えるのか?」
「無理ですな」
 あっさりと一言。
 これで終わらないから山本長官は色々と恨みを買ったりするのだが、当の本人は気づいているのかわざとしているのか。
「もっとも、ハワイのドラゴンが居座ってくれている以上は増強している合衆国海軍と戦わなくていいみたいなので、連合艦隊とすればこの状況が一分一秒でも長く続いて欲しいと思うものでありますが」
 実に他力本願極まりないが、現場からすれば必敗必死の対米戦を異世界から来た竜が引き受けてくれているのだ。
 そりゃ、竜神様と崇めたくもなるだろう。
「待て。
 じゃあ、庇護下にある撫子殿を使って英米と仲を取り持つ為にマリアナまで船を出しているのはどういう了見だ?」
 同期である嶋田海相の問いに山本も少し言葉を崩して答えた。
「そりゃ、ハワイの竜が米国に負けた後の事の為さ。
 まぁ、1.2年はハワイの竜は暴れるだろうが、数で押せるのならばあの竜はいずれ敗れる。
 そうなった時に米国と戦わなくてすむようにするのが今、帝国の取れる最善の手だろうに。
 英国に恩を売り、米国に恩を売り、臥薪嘗胆の元で米国の隙をつくしかないだろう。
 二人は、19年後半以降の大増強された合衆国の大艦隊と戦いたいのかね?
 戦いたいなら喜んで僕はこの職をおりるよ」
 と、言ったと同時に仲良く首を左右に振る嶋田海相と永野総長。
 金は無いわ敵は異常に増えるわで現場最前線に立ちたい物好きはそうはいない。
「とりあえず話を金に戻そう。
 このままだと大蔵を説得できん。
 陸軍ですら100万の兵を除隊させたというのに」
 陸軍という言葉に三人の顔が苦々しく歪む。
 大陸撤兵の決断と100万将兵の動員解除は、何も得る事無く終わった大陸での戦争終結とその後遺症に苦しむ陸軍の政治的アピールに他ならなかった。
 彼らは兵士を除隊させる事で大陸での戦争の責任問題の幕引きを図ろうとしていたのだった。
 そして、同じような幕引きを対米戦に向けて準備しつつそれが不要となった海軍にも求められているのだったのだが、それを海軍の殆どの将官は理解していなかった。
「米国との戦争に必要なんだでは駄目か?」
 ストレートに言ってのけたのは永野総長。
 艦隊の整備は金も時間もかかる以上、仮想敵国としての米国に追随するのは戦略としては間違ってはいない。
「問題は、どうして米国と戦うのか?
 大陸権益の対立が米国との衝突が背景にある以上、その大陸権益も大陸から足抜けした結果、政治的妥協が図れる事が可能なはず。
 僕が大蔵官僚ならそう答えますね」
 山本長官が永野総長の答えに対して嫌味な大蔵官僚の真似をしてちゃかして答えるが、その顔は笑っていない。
「問題は、艦隊整備予算の打ち切りにある。
 船は一朝一夕にできるものではないから、一度予算に穴があくとその回復は合衆国海軍の増強を考えるに致命的になる。
 大蔵が金をくれない以上、いざとなったら英国への艦船レンタルを更に拡大して金を確保しないと……」
 嶋田海相も口に手を当てて考えながらも目は空ろに泳いでいた。
 そして、三人とも誰も話さなくなって従兵が持ってきたコーヒーが冷たくなった頃。
「そうだっ!!」
 永野総長の魂の叫びに何事かと顔を合わせた二人に向けて永野総長は最良の案であろうと思っている事を披露した。
「戦争をすればいいじゃないか!!!」
「は?」
「何処と?」
 同時に突っ込んだ二人に対して永野総長は早口でまくしたてる。
「何処でもいい!!!
 戦争が無いから予算が下りないという大蔵へはそれで十分対抗できる!」
 『何言ってんだ?この人』的視線で見られていたのを感じていたのだろう。
 ごほんとわざとらしく咳をして永野総長は改めて口をゆっくりと開いた。
「何も米国に戦争をふっかけろと言っている訳じゃない。
 大蔵と陸軍が手を組んだという事は、対ソ戦での手打ちができているという事だろう。
 大蔵は金を出すのにやぶさかではないというサインなんだよ。
 なら、陸軍の戦争たる対ソ戦では無く海軍の戦争に金を出させればいいんじゃないか」
「総長。おっしゃる事は分かるのですが……」
 嶋田大臣がおずおずと尋ねると山本長官が後を受けるように鋭く切り込んだ。
「で、対英と対独、どちらとやるつもりで?」
「決まっているだろう」
 山本の問いに自信満々に永野総長は答えを口に出した。
「勝てる方だ」


同日夜 横須賀 料亭「小松」

「はっはっは。
 そりゃ、君も災難だったねぇ」
 昼の海軍省での実に救いようの無い三顕職会談が終わり、山本は愚痴を堀にぶつける事を肴に盃を重ねる。
 既に芸者も下げて二人の飲みあいも一時間、互いに愚痴と苦労が吐く息と共に出る。
「笑い事じゃないぞ。
 ありゃ、戦争ができるなら英独どっちでもいいという感じだったぞ。
 対英戦なんぞやってみろ。
 この戦争が終わって、竜を片付けた合衆国と決戦なんぞ必敗以外の何者でもないじゃないか」
 程よく酔いも回って山本は堀に酒を注ぐが堀は堀で笑ってばかり。
「だから、英国仲介で必死に米国と戦わないようにするわけだ。
 その涙ぐましい努力は私の所に来ているからありがたいといえばありがたいが」
 英国の船員こみの艦船レンタルと英国の戦時需要の余波は日本の民間造船業界に波及して海軍向け以外の所は全て英国向け艦船を作っている最中である。
 堀が盃を置いて左右を見渡して、真顔で山本にぽそりと呟く。
「で、我らの金の鶏たるバンコク商会だが、この間大増資をして船舶を買いあさっているぞ」
 山本も真顔になって盃を置く。
 バンコク商会の株主はロイズと海軍の二者しか居ない。
 海軍はこれ以上金は出せないし、ロイズは戦争による保険料支払いに苦しめられているはずである。
 大増資というのは第三のスポンサーが現れた事に他ならない。
「何処だ?」
「聞いて驚け。スイス銀行だ」
 スイス銀行というのは正式には存在はしない。
 中立国であるスイスに籍を置くプライベートバンク群の総称をスイス銀行と呼んでいるのだ。
「あっこがなんでうちに?
 独逸の間接投資か?」
 スイスはその国境を全て枢軸に囲まれているのに侵略されていない。
 同じ中立国だったベネルクス三国を侵略した独逸とは何だかの密約が結ばれていると噂はされていた。
「いや、出先は英国資本らしい。
 国際社会は複雑怪奇とは良く言ったものだ。
 出資担保は全部英本土にある土地登記や中東の石油利権だったりするんだよ」
 堀の話はこうだった。
 万一、独逸が英本土に侵攻してブリテン島や中東を制圧した場合、その持ち主が帝国ならば独逸の同盟国という事もあり無茶はしないだろう。
 帝国も自分のものになっている英国資産を独逸に吹き飛ばされたくは無い。
 同じ理由でもし帝国が対英宣戦布告した場合、その英国資産は文字通りだたの紙と化す。
 この取引が狡猾なのは、帝国の手の届かない財産であり実際の管理は英国が行っている所にある点だ。
 独逸について自力で元の利権を取り戻そうとしても、インド洋を越えて大西洋や地中海を越えて債権回収なんぞ出来るわけが無い。
 そして、バンコク商会が稼ぐ利益の一部は配当という形でスイス銀行経由で英国資本に還元される。
 もちろん、金は何処で受け取っても構わない訳だ。カナダでも、オーストラリアでも。
 互いが互いの信用によって成り立つ商取引が資本主義なのだから、日本が配当を得続ける為にも英国への配当も払い続けなければならない。
「で、その大増資した金で合衆国から大量のリバティ船とコルベット共々買い付けて、当然船員も合衆国国民で大西洋からインド洋に……ってどうした?」
 堀の話を聞いていた山本が、堀の方を見ずにじっと考えているのを見て掘も口を閉じる。
「今頃、英国側からそんなアクションを起こす理由が無い。
 あるとするならば、英国が握っていて帝国が知らない何かで動いているはずなんだ」
 バンコク商会の事といい、マリアナの竜捜索といい、英国は帝国が不思議がるぐらい帝国に対して下手に出ていた。
「この件だって、つまりやばそうな所の金を帝国のものにして拾わせて独逸といがみ合わせる類のものだろう。
 英国が行っている対帝国工作の一環じゃないのか?」
 不意に、山本が己の手を叩く。
「それだ。
 やばそうな所だ。
 英国は本土や中東がやばそうな所と考えているんだ」
 堀がその言葉の意味を味わった後、盃を手に取ろうとして震えた手で酒がこぼれた。
「現状、独ソ戦で手一杯の独逸に本土や中東へ攻撃が出来る訳が無い。
 と、いう事は……」
 堀も山本も、己が一番望んでいない可能性を英国が考えている事に愕然としつつその言葉を口にした。
「英国は、独ソ戦は独逸の勝利で終わると考えている」
 と。
 二人とも黙ったまま酒にも手を出さない。
 しばらくして、やっと山本が一息つくように盃を口につけ、堀も自ら盃に酒を注ごうとしたときに、障子向こうから女の声が聞こえた。
「失礼します。
 こちらの席にお客様が参られていますが?」
「誰だ?」
 女中の声は二人に米内光政と告げたのだった。
2007年11月21日(水) 20:46:58 Modified by nadesikononakanohito




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