帝国の竜神様50

1942年 5月26日 マリアナ諸島 サイパン 愛国丸

 言いたかったんだろうなぁ。
 てかてかに飾り付けて、お姫様……というかもはや花魁太夫にしか見えない撫子に対して最初に出た言葉がそれだった。
 話は二日ほど巻き戻る。
 地中海で『第二次クレタ海戦』と命名された英艦隊と伊仏連合艦隊の激突は英艦隊まさかの敗北という結果に終わり、英艦隊がアレキサンドリアに後退するにも関わらず英国クレタ上陸軍は攻撃を続行するというぎりぎりの状態というニュースがマリアナに飛びこんできた頃、マリアナにいる俺達に英米合同で匿名全権大使派遣の通知が来たのだった。
 前々から胸をゆらして「よろしい」と言いたかった撫子はメイヴに特命全権大使と信任状捧呈式を調べさせ、
「わらわもしたいのじゃ!」
 と駄々をこねた結果、信任状捧呈式は太平洋ど真ん中のマリアナで出来る限り派手に行われる事になった。
 特命全権大使達が来るアスリート飛行場から愛国丸が接岸している港までのちょっとした距離、大使達を乗せてのパレードをする事になろうとは。
 それがらみで増えた書類の束に井上中将と南雲中将は絶句したとか。かわいそうに。
 最初は馬車を持ってこさせようとしたのだが暑さで馬が参ることで断念。
 どうせ撫子に会いに来るのだからと石人形に馬車を引かせればいいやという事で東京から馬車を慌てて輸送機で持ってこらせ、大使達の周りを黒長耳族の巫女が警護するという形で愛国丸にまで来てもらう事になった。
 そして、警護につく黒長耳族の娘さん達なのだが馬がないので代わりのもので大使達のお供をしなければならない。
 ゆっくり走っても車は人の足よりはるかに速いのである。
 島中かけまわってバイクを借りて、それでも足りないのでダレスの了解の下グアムからもバイクを高値で買取り、やっぱりまだ足りないので自転車でついてゆく事に。
 えてして、女はこういうイベントには派手にする傾向がある。
 しかもそのイベントを実質的に取り仕切っているのならば、その派手さは更に加速する。
「巫女服だけでは華々しくないので旗でもさしましょうか?」
 とほざきだしたのがメイヴ。
 彼女が見ていたのが東京から取り寄せた戦国絵巻とか大名行列巻物とかだからさもありなん。
「私達が、この世界のこの国で生きてゆくためにも、この国の文化風習に溶け込んでゆく事は大事な事なのですよ。
 だからこういう式でできるだけこの国の昔の風習に合わせようと」
 メイヴの言っている事は分かるのだが、この国、江戸と明治の境で豪快に文明開化して西洋風に切り替えているのは……多分理解できないだろうなぁ。
「博之みるのじゃ!」
 後ろから飛びついて、背中に豪快に胸を押し付ける馬鹿竜様は俺の目の前に一枚の紙を見せ付ける。
 書かれているのはどうやら家紋らしい。
「ん…桜じゃないな」
「鈍いのじゃ!博之。
 わらわの名前のこの国の紋章なのじゃ!」
 納得。撫子紋か。
 撫子の花色の桃色は分かるのだが、何故に背景が緑なのだ?
「向こうの世界では竜でしかなかったので、体の色で区別していたのですよ。
 だから名前ではなく緑竜としかよばれなくて」
 メイヴの説明に撫子が嬉しそうに頬をくっつけてじゃれる。
「お主がくれた名前で作った紋章じゃ。
 わらわに名前をくれた博之だからこそ一番に見せに来たのじゃぞ!
 どうか?……わらわに似合っていると思うか?」
 最後の方は不安そうに尋ねるので、頭をなでながら褒めてやる事にした。
「おう。似合っているぞ」
「メイヴ聞いたか!
 博之が似合っていると言ってくれたのじゃ!」
 ぴょんぴょん飛び跳ねる馬鹿竜をほほえましそうに眺めていると今度はメイヴが家紋を差し出した。
 こちらは丸に撫子。ちゃんと主に気を使っているあたりメイヴ分かってやがる。
「撫子様に付き従う者達はこの紋をつけさせようと。
 長耳、黒長耳族だけでなく獣耳族の一部も撫子様に従うようになったので、この手の団結の象徴はきっと皆喜びます」
 メイヴが微笑むと、馬鹿竜に振り回されているだけに本当に幸せそうに見えるから不思議だ。
「博之。何かわらわとメイヴの扱いが違うのじゃが?」
 あ、テレパスで聞いていたらしく馬鹿竜がじと目で睨んでやがる。
「そんな事はないですよ。
 博之様は撫子様を一番大事に思っていらっしゃいますよ」
「メイヴ、本当なのか?」
「そうですとも。
 その証拠に毎日撫子様をお抱きになって、一番多く精をもらっているじゃないですか。
 一番大事にしてもらっている証拠ですわ」
「なるほどなのじゃ!」
 それで納得するな。馬鹿竜。
「何を騒がしくしているかと思えば」
 綾子が入ってきたらしく、そっちの方に顔を向けて……
「何かおかしいとおっしゃるのですか?お兄様?」
「いえ。まったくおかしくはございません。はい」
 そりゃ、綾子は華族令嬢だからドレスぐらい持っていても問題はないと思っていたが、十二単姿で来るとは思わなかった。
「家から送ってもらっただけです!
 撫子さんが花魁姿でメイヴさんが巫女服姿で和服ぞろいしているのにドレスなんて着られないじゃないですか。
 大体、撫子さんも私と同じような格好をしないといけないのにこっちがいいと駄々をこねて」
 扇子で口元を隠してため息をつく姿がまた雅なのも大原の家の血のなせる業か。
「こっちの方がわらわは欲情的だから好きなのじゃ!」
 まぁ、花魁だしな。
 藍色に撫子の花を飾った着物と自慢の黒髪を結ってうなじを晒した姿はたしかに欲情的ではある。
「ほら、博之も認めてくれたのじゃ」
「テレパスで直に聞き出さないでください!撫子さん!」 
 とはいえ、本来撫子が着るのは十二単の方が相応しいのも事実なのだが。
 まぁ、彼女たちの式典だ。彼女たちの好きにやらせておこう。
 そう思った俺はその二日後にとことん後悔する事になる。
 アスリート飛行場に護衛戦闘機をつけた旅客機が四機着陸する。
 周りは兵士(礼装服)によって厳重に警備されている。
 旅客機の一機は米国、残り三機は英国なのだが格納庫から見ていた千葉主任はふと疑問を覚えた。
「イギリスさん、何であんなに人を連れてきているんだ?」 
 先頭に日本人に化けた黒長耳族の娘を肩に乗せた石人形二体がすじんずしんと歩き出してパレードは始まった。
 サイパン島には民間人もおり、その数は万を超えていた。
 彼らが日の丸を振りながら、先頭を歩く巨人に歓声をあげる。
 馬車を引っ張る石人形は一台につき二体。
 業者台に巫女姿の女性が澄ました顔で馬車を操ってゆく。
 馬車の脇にはバイクが並び、運転の出来る日本兵が礼服を着て沿道の観客にその威厳を見せ付ける。
 自転車で馬車についてゆく巫女さんもあくまに優雅で凛々しく。
 なお、観客の中に寄航中の休暇で見物に来ている(という建前の)米兵も混じっていたりするが気にしない。
「すげえなぁ。
 竜神様が来て、巫女さんに魔法を授けたって本当だったのじゃなぁ」
「神国日本とはまさにこの事じゃ。
 なんまんだぶなんまんだぶ……」
「しかし、この巫女さん達美人じゃのぉ。
 おらの息子の嫁に来てくれんかのぉ」
 沿道の観客の歓声を一身に浴びて馬車は港に到着する。
 取材に来ていた、日・米・英の記者たちが一斉にカメラを大使達に向ける。 
 停泊中の日米両艦隊から打ち上げられる、礼砲。
 海中から顔を出した人魚達(いやがる彼女達だけど、がんばって上半身だけ水着を着せた)の歓迎の歌を耳にしながら全権大使達は愛国丸に乗船したのだった。
「で、だ。
 ここまで華々しくやらかして、わしらを書類の海に溺れさせたのは誰だ?」
 礼服を着て俺と遠藤に迫る南雲中将の声がもの凄く怖い。 
「自分ではないですよ」
 遠藤。てめぇ事実なだけにさっさと俺を見捨てやがったな。
「と、いう事は真田少佐。君か?
 大量の式典準備の電報を打たせて、マリアナに二十機以上も輸送機を着陸させて、東京から毎日来る説明と嫌味の電報を受け取る羽目になったのは君のせいかな?」
 真っ青になって首を左右に振る。
「自分ではありません!
 全ては竜神様の式典に帝国の威信をかけるという政治的配慮のたまものであり」
 必死になって官僚的答弁で逃げを打つ俺に控え室で着付けをしていた撫子が助け舟を出した。
「だって、格好つけねばならぬ式じゃろうが。
 華々しくやらねばわらわも博之のつかえるこの国も格好がつかぬではないか」
 黒長耳族の娘二人に着付けをさせながら言ってのける撫子。
 今回の式典用に京都から取り寄せたのだから、見た目だけは極上品花魁がそこにはいた。
「そういうのは我が国の諺で『張子の虎』というのだが、知っているか?」
「なんじゃそれは?」
 きょとんと首を傾ける撫子。
 真珠と鼈甲かんざしが南海の太陽にきらきら光る。
 これで暑くないのかと不思議でしょうがないのだが、撫子の体に冷気を纏う魔法を常時かけているそうな。
 さり気に着物の軽量化魔法までかけているあたり女ってのは凄い。
 ためしに花魁の衣装を持った時にはその重さにびっくりした記憶がある。
「紙でできた虎の人形でこう首を振る……」
 かくかくと俺が首を振ると楽しそうに笑う撫子。
「面白そうなのじゃ!
 今度本物を見せて欲しいのじゃ」
 はいはい。お姫様。東京に帰ったら買ってあげますとも。
「約束なのじゃ。忘れるでないぞ」
 撫子と俺の会話に怒りを削がれた南雲中将を今度は綾子がとりなす。  
「どちらにせよ、記者まできてこの式典をやったのですから、陸軍が何か企んでも止める事はできないと思いますが?」
 ゆっくりとした動作で口元を扇子で隠し、淡々とした声で十二単姿の綾子に宥められると南雲中将をついに口を噤んだ。
 その記者達を呼んだ綾子が南雲中将をとりなすあたり、滑稽というかなんと言うか。
 帝国の利益を考えていたのは間違いないだろうが、単に自分の晴れ姿を撮ってもらいたいと考えていたのではないかと邪推してしまう。
「分かった分かった。
 これ以上、わしの面倒を増やすんじゃないぞ」
「悪いのですが、これしきの事は面倒と言わない方がいいですよ」
 入ってきた井上中将は言葉と一緒にため息を吐き出した。
「竜神様が受け取る信任状は四枚だそうな」
「四枚?
 米国と英国じゃないのか?」
 南雲中将の声が露骨に低くなる。増えた二枚の信任状に厄介ごとを感じたからだ。
「オーストラリアとニュージーランドも全権大使を派遣したそうだ。
 英米はこの席で太平洋の事を決めるのかも知れんな」
 井上中将の言葉に黙り込む男性陣。
 たしかに帝国は英米との関係改善を望んではいた。
 だが、あまりにも進展が速すぎる。
 オーストラリアやニュージーランドまで含めるとなると太平洋全域の話し合いになる。
 そしてそこまでの取り決めなど現場の独断専行で決められないが、おそらく東京の何処にもそのビジョンすらできていないだろう。
「何じゃ何じゃ。
 女のほうから裸になって抱きついたのに固まっていたら愛想をつかされるぞ」 
 テレパスで男達の困惑を読み取ったらしい撫子が呆れながら笑い飛ばす。
 えてしてこういう土壇場での度胸は女のほうが強いというのは本当らしい。
 じっと笑い飛ばす撫子を見ていた男性陣に撫子は面白そうに言ってのけた。
「安心せい。
 博之の手前、無様な事はせぬ。
 大船に乗った気で安心してみておるのじゃ」
「撫子様。全権大使の方々がお着きになりました。
 食堂の方にお越しくださいませ」
 巫女姿のメイヴが呼びにきて、ぞろぞろと移動する中、井上中将の小声が耳に入ってきた。
「大船か……
 きっと、『タイタニック』って書かれているのだろうな」
 かくして、撫子の後ろにいた日本人たちは笑いをこらえるのに必死にならねばならなかった。

 差し出されし信任状は四枚。
 部屋の両端に俺や遠藤、南雲中将や井上中将が見ている中、
 巫女服メイヴと十二単綾子を左右に控えさせた撫子は、花魁太夫さながらの神々しいほどの妖艶さで全権大使から差し出される信任状を受け取る。
 そして、その大きな胸を揺らして、言いたかった一言をゆっくりと口から出したのだった。

「よろしい」
 

 日米英の茶番劇の宴は佳境に。
 そして世界はその茶番劇をじっと見守っていた。

 帝国の竜神様 50
2008年02月19日(火) 16:55:19 Modified by nadesikononakanohito




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