帝国の竜神様52

1942年 5月28日 マリアナ諸島 サイパン 某所

「いいな。
 何も言うな。
 とりあえず首を縦にだけ振ってろ。
 そして、できるだけおしとやかに振舞うんだぞ」
「分かっておるのじゃ。
 博之は心配性だのぉ。
 そんなにわらわが信用できないか?」
(はい。まったく信用できません。
 日ごろの行いを鑑みるにお前を信用するぐらいなら、不倶戴天の陸軍将校を信用した方が同じ日本人なだけあってまだましです)
「博之。
 心の声が丸聞こえなのじゃ」
 むーっと睨む撫子だが、今はそんなご機嫌取りをする事すら忘れていた。
 ついに六者協議の本交渉が始まるのだから。

 帝国側交渉団は以下の面子にて交渉を行う事になった。
 団長および議長が撫子。
 副代表がメイヴ、野村・吉田の本土派遣組。
 補佐がフィンダヴェアと本土から来た外務省職員と異種族いっぱい。
 六者協議第一回交渉は顔合わせという事も兼ねて晩餐会から始まった。
 さて、この六者協議の流れを見てゆこう。
 ここに集まった五国(日・英・米・豪・新)は撫子にマリアナの竜に対する要求を頼む前段階、その後撫子はマリアナの竜と交渉し、五カ国の要求に対する可否を五カ国に伝える後段階という二つに分かれる形になる。
 前段階では撫子が議長として振舞う事もあり、野村団長が日本代表となる。
 なお、この晩餐会は皆の顔見せという位置づけだが、それを額面どおりに受けとる人間は誰もいないはすだと信じたい。
「なんじゃ?
 ただ美味しい物を食べて微笑んでおればいいのじゃろうが??」
 多分……。
 そして晩餐会は華やかに幕が開いた。
 魔法で適度に冷やされた洋館内に礼装で次々とパーティ会場に現れる紳士の面々。
 それを迎え撃つのはメイヴを筆頭とする黒長耳族の和服美女の面々。
 わざと黒長耳族のままと日本人に化けた黒長耳族とをならべて笑顔で媚を売り、友好と情報を買ってゆくのだ。
「マリアナの竜の皆様。お着きになりました」
 皆の視線が入り口に集まり、その視線をものともせずにひれから足に変えてミクロネシア衣装を身に纏った人魚達が笑顔で会場に入ってゆく。
 ほとんど裸か水着に近いが、水の中で着衣を嫌がる彼女達の最大限の譲歩だったりするがのりは未開の蛮族だろうか。
 まぁ、ほんの100年ほど前まで日本も同じ様にこの紳士達に見られていた事は棚に上げておく。
 礼服で会場に入ったはいいが、各国代表団の紳士ぶりとメイヴ達の淑女ぶりに場違いな場所に来たと既に後悔真っ只中。
「何で壁際にいるのですか?お兄様」
 十二単の綾子が優雅に俺の前に近づく。
「場違い加減に後悔していた所でね」
 俺がここにいるのは、「撫子の主人(飼い主)」という理由以外に無い。
「けど、撫子さんの主を続けるのであれば、このような場の中央に常に引っ張られるのですわよ。
 お兄様はそれを望んで撫子さんを選んだのではなかったのですか?」
 言葉に棘を含ませながら綾子がグラスを差し出す。
 中の朱色の液体は戦争で入手が難しくなったフランス産の高級ワイン。
 持ち込んだのは米国で、サンタクロースエアラインの品の一つである。
「そうなのだがな。
 時々それがたまらなく滑稽に思う事がある」
 綾子相手に不安をこぼす。
 ホストである二匹の竜は流暢な英語で次々と挨拶に来る外交官達に自慢の肢体を見せ付ける。
 南海の女王と化したマリアナの乙姫様は胸と股間部だけ布で隠し、その上から南海の民の民族衣装である赤色の花のパレオをまとっている。
 この衣装の発祥はタヒチらしいが思った以上にこの太平洋の島々は交流が盛んだったらしく、列強の植民地支配による遠洋航海禁止令まで丸太の船で太平洋を渡っていたとか。
 あれだけ肌と胸を露出させているのに卑下な思いというより優しさと母性溢れる笑みで外交官と談笑している姿は母なる海を統べる竜の面目躍如か。
 その隣で花魁撫子はその笑みで男を釣る。
 彼女に群がる大国のエゴすらその姿に相応しく、妖しく言葉で彼女の思うままに誘う。
 優雅に、言葉に出すのではなく笑みに感情をこめてその曖昧さで海千山千の外交官を翻弄する。
「あいつはああいう場が似合うな」
 返すことがない言葉のつもりが、綾子に答えられた。  
「ご存知ですか?
 女は強いのですよ」
 二匹の竜を見ていた俺が綾子に言葉を返したのは、綾子が言葉を返してから彼女のワイングラスが空になる程度の時間を要した。
「強い?」
 意味の分からぬ俺に諭すように綾子は続ける。
「その強さは自分の為ではないのです。
 振り向かせたい人がいる。
 守りたい子がいる。
 そんな時女は強くなる。    
 静香お姉様が私に言ってくれた言葉です」
 姉の名前を聞いても今は動揺しない俺がいた。
 けど、その言葉を持って過去を思えば、いつでも姉に守られ、それに反発していた俺がいた。
 己のふがいなさに笑いがこみ上げ、ワインと共に己の弱さを飲み干す。
「男なんて、いつでも子供なものともお姉様はおっしゃっていましたわ」
 そんな俺を綾子が笑いながらそっと俺の耳に囁く。
「お兄様の不安、私が背負うのはダメですか?」
「え?」
「冗談です。今はですが」
 俺の困惑を感じたのだろう。綾子が嬉しそうに微笑む。
「主役の一人がこんな壁際で何をやっているのだか」
 そう言って近づいてきたのが、吉田副団長。
 さっきまで、英国のイーデン大使と皮肉と毒舌織り交ぜた交友をしていたのだが、毒が回ったのかグラス片手に俺達に近づく。
「主役はあの二人ですよ。
 さしあたって俺達は刺身のつまですから」  
 視線で吉田副団長に輪の中の撫子と乙姫様を指すと吉田が楽しそうに皮肉をこぼした。
「ふん。
 先ほどイーデン大使から聞いたが、あの二人の事を我々以外では『二人の女帝』と呼んでいるらしい。
 親任式といい、この席といい威厳は無駄なぐらいあるからな」
「二人の女帝って誰と誰でしょう?」
 綾子の疑問に吉田が面白そうに笑う。
「この場合、自国の君主を指すと不敬だから、英国のエリザベス女王やビクトリア女王は除外だな。
 となれば、ペチコート同盟と言われたオーストリア・ハプスブルク家当主マリア・テレジア、ロシア女帝エリザベータとフランス国王ルイ十五世の愛妾ポンパドール夫人(ポンパドール侯爵夫人)なのだろうな。
 なお、このペチコートと言うのは……」
「……ペチコートとは、スカートの下に装着する女性用の下着のようなものです。
 19世紀以前では女性用のスカート状ドレスのこと自体をペチコートと呼んだのですわ。吉田副団長」
「これは失礼。
 装飾品はレディーに聞くべき事でしたな」
 綾子の言葉取りに怒る様子も無く笑い飛ばして吉田副団長は話を続ける。
「さしあたって、撫子殿はポンパドール夫人であるとして、マリアナの竜神様はどちらの女帝なのやら」
「ペチコートは三枚揃わないと類似に使えませんよ。ミスター吉田。
 話に加わってよろしいかな?ミスター真田にミス大原?」
「ええ。どうぞ。ケネディ大使」
 綾子が流暢な英語でケネディ大使の話を促したので俺も黙って首を縦に振った。
「ペチコート同盟は七年戦争の時に結ばれた同盟です。
 そして、その戦争は北米やインドにも拡大した世界規模の大戦でもありました。
 ですが、その主軸はオーストリアとプロイセンの争いなのはご存知でしょう。
 その観点で太平洋を見れば、戦渦を交えている場所が一箇所だけある」
 ケネディの言葉に吉田が人の悪い笑みを浮かべた。
「貴国とハワイに居座った竜の事ですな。
 なるほど。ハワイの竜がマリア・テレジア女帝ですか。
 ならば、エリザベータ女帝がマリアナの竜神様。
 不思議ですなぁ。
 七年戦争はロシアのエリザベータ女帝の死去によって崩壊しプロイセンが生き残った。
 そして、そのプロイセンを支援していたのは植民地獲得戦争をフランスと行っていたイギリス。
 さしあたって、イギリスが負けつつあるあたりを除けば、外交的状況が不思議なぐらいに良く分かりますな」
 吉田の皮肉にケネディはあえて気づかないふりをした。
 過去の歴史の薀蓄を紐解いて、現状認識を確認するあたり外交と呼ばれる上流階級の知的水準の高さを伺わせる。
 そりゃ、維新の元勲達も鹿鳴館なんぞを作って踊る訳だ。
 何処に薀蓄に織り交ぜた本音が潜むか分かりゃしない。
「しかし、不思議なものですな。
 フランスとイギリスはドーバーを挟んだ隣国同士なのに殖民地で死闘とは。
 本土決戦はしなかったのですかな?」
「互いに本土を荒らして勝っても復興の金がかかるなら赤字ではありませんか。
 殖民地獲得、ひいては自国の利益の為に争うのに赤字になる戦争など本末転倒ですな。
 事実、英仏両国とも財政難からこの戦争から手を引いていますからな」
 さすが財界出身のケネディ大使。その財界としての指針は間違いがない。
「ご高説はもっともですが、普墺両国が聞いたら激怒するでしょうな。
 『我らの血で金を稼ぐとは』と」 
 吉田副団長が相槌を打つ間に、つんつんと横で綾子がつつく。
 テレパスは撫子やメイヴ仲介で行われるからこういう二人がいない場合はひそひそ話にそれ相応の手段がいる。
 吉田副団長とケネディ大使の歴史談義を聞くふりをしながら俺は手を後ろに組み、綾子は袖を隠れ蓑にして俺の手に指で文字を書く。
(分かっていますか?
 米国は英国と帝国が経済的に結べる可能性を指摘しているのですよ)
 俺は綾子にだけ分かるように首を横に振った。まったく気づいてなかったのだから仕方ない。
 ため息一つついて綾子は俺の手に文字を書いた。
(米国とドラゴンの争いの背後に英国と帝国がいる。
 力関係はおいといて、この二カ国がこれ以上争えば経済的不利を我々もこうむる。
 だからこの争いを終わらせよう。そこまで言っているのです。ケネディ大使は)
 顔は微笑を浮かべたまま手を震わせるなんて高等貴族技術が俺もできるとは思わなかった。
 たしか、事前の打ち合わせでは帝国―撫子協定の破棄および修正を大使の私案という形で提示してきたはず。
 ん?
 米国とドラゴンの争いに英国と帝国がいる?
 帝国はまだハワイの竜とは何も交渉など行っていないのに???
 綾子の手に返事を書く。
(おかしくないか?
 なんでケネディ大使はこの協議にそこまで肩入れするんだ?
 帝国―撫子協定の破棄および修正と繋がらないが?)
 綾子がじっと俺の目を見つめてため息をつく。その『分かってらっしゃらないのですね。お兄様』と目で語るのはやめて欲しい。
(米国はこの世界大戦で何処と交易をする事で儲けているのですか?)
(そりゃ、英国…あ!)
 そういう事か。
 七年戦争における英仏の植民地争いをなぞらえるなら仏の位置にいる帝国がインドを荒らすことを英国は極端に恐れている。
 それは、英国に多大な貸付を行うことによって利益をあげている合衆国にとって絶対に避けないといけない事項でもある。
「どうかしましたか?お兄様?」 
「すまない。少しぼんやりしていた」
 頭をかきながら考えを整理する。
 米国にとって、竜そのものが不倶戴天の敵なのは間違いない。
 とはいえ、竜だけでなく世界大戦にも目を向けなければならず、そこに撫子を味方につけた帝国がどのように絡むかを米国は恐れているのだろう。
 忘れそうになるが、我が大日本帝国は独逸第三帝国と軍事同盟を結んでいる。
 竜と枢軸同盟の結合など英国にとって悪夢でしかなく、英国に貸し付けている米国もそれは絶対に避けないといけない。
 と、同時に米国の取らなかったオプションも見えてくる。
 合衆国がその有り余る物量にものを言わせるなら、三国+竜同盟でも打ち勝てたのだろう。
 だが、ハワイ奪還に失敗し先の西海岸爆撃で本土攻撃というものを体験したモンロー主義な合衆国市民は竜以外の敵の増加を望まない。
 そして、独ソ戦はモスクワの陥落目前、下手したらソ連の連合国脱落まで視野に入っている。
 この交渉は英国の都合だ。
「お兄様。何をお笑いになっているのですか?」
 顔が笑っていたらしい。
 さぞいやな笑みを浮かべていたのだろう。何しろ、この協議の攻め方がやっと分かったのだから。 
 俺の思考はそこで中断した。
 我らが主役たる撫子がずかずかと俺に向かってやってきたからだった。
「博之、なんでそんな壁にいるのじゃ。
 わらわが真ん中で応対しているというのに、綾子と内緒話など薄情なのじゃ!」
 見ていたらしい。お姫様はおかんむりだ。
「そう思うなら機嫌を取るのじゃ。
 さしあたって、この衣装でも誉めてもらおうかのぉ」
 花魁姿で手を腰に当てられて誉めろといわれましても。
 それに来るまでに散々褒めたじゃないか。
「わかってないのぉ。博之。
 女は何度も何度も好きな男に褒められるのが嬉しいのじゃ」
 実にわざとらしく肩をすくめてため息なんぞつくな。
 また、これが堂に入っているから困る。
「まぁまぁ。ミス撫子。
 我々がミスター真田を引きとめたのです。
 どうかご容赦していただけたら。
 麗しいお方にため息は似合いませぬ」
 横から口を挟んだケネディ大使の声に撫子が頭に手をあてて口を開く。
「たしか、米国のケネディ大使だったかの?
 博之と違って礼儀正しいものじゃ。
 だが、博之に惚れているから、なびかんがのぉ」
 まぁ、この馬鹿竜は堂々と公然とのろけやがって。聞いている俺のほうが恥ずかしいじゃないか。
「男冥利につきますな。ミスター真田」
 ケネディ大使がちゃかす傍らで撫子が何か考えるしぐさで口を開く。   
「米国か。
 以前博之の上司から聞いた話だが、お主等の国にはわらわが世話になっているこの国に戦争を諦めさせるだけの、工場や油田があるとか」
 多分あまり分かっていないままに言ってやがると思っていた俺は次の言葉に仰天した。
「その時疑問に思ったものじゃ。
 そこまで恐れるのならば何故、わらわに命じてそれらを海の底に沈めてしまわぬのかを」
 ぴたりと場の空気が固まった。
「そ、そんなことを貴方はできるのですか?」
 ケネディ大使がゆっくりと声を押し出すのに撫子はまったく気づいていない。
「わらわ一人では無理だが、我らで『アトランティス』と人が呼んでいた大地を沈めた事があるぞ。
 おぬしの国も凄いのだろうが、わらわもなかなかのものであろう」
 笑い飛ばすが、場の空気が氷点下にまで下がっているのにやっと気づいたらしい。
「酒の席の冗談じゃ。
 気にするでない」
 いや、気にするだろうに。

 俺はこの一件ではっきりと悟った。
 この交渉は荒れると。

 帝国の竜神様 52
2008年04月09日(水) 17:17:16 Modified by nadesikononakanohito




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