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【定義】

江戸時代の学僧面山瑞方師による『学道用心集』への提唱を、侍者の慧観が筆録した。明和3年(1766)8月28日に「遠孫第二十九世沙門慈方面山」の署名で序が著され、また、巻尾には明和3年5月吉旦に「住肥谷永国寺沙門可翁叟円髄謹書」と署名された奥書が収録されている。刊行について、『面山広録』巻26に収録された年譜では「明和五年(1768)」の項目に、「学道用心集聞解及び四行観聞解板成る」とあって、この年に刊行されたことが分かる。全2巻であった。現在では、『曹洞宗全書』「注解三」巻に収録されているため、容易に閲覧出来る。

【内容】

面山師は『学道用心集』の成立経緯を以下のように示す。
この集十章を分て、中に天福二甲午三月と云こと両所見へたれば、祖師三十五歳にて、興聖建立の年に当る、この年に奘祖始て参侍せらる、十章を集て一冊となして題号を安せられしは、それより十年過て、越に山居の後と見へたり、 乾巻・1丁表

つまり、道元禅師35歳の時に成立したが、それらを集めて1冊の本にしたのは、越前に移転されてからと指摘される。これは、『学道用心集』が後に永平寺で開版されたことに由来する見解であろうか。つまり、『学道用心集』は永平寺6世・曇希禅師の時代に開版(延文版)されたことが知られるが、その件についても以下のように示される。
この用心集の、延文版の本は、ついに見あたらず、明暦二丙申孟夏の開版の、素本あり、これは今年より、百十年以前なり、次に寛文十三癸丑の版の頭書あり、別に余先年、序を入れし素本あり、文字写誤多し、今この聞解の本文は、三本を用て、文字を考正す、 坤巻・26丁表〜裏

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