6.ヨッパと分かれ道

 海はとても穏やかでした。甲板の上には何人かのブリーダーが、そのパートナーのモンスターと一緒に乗っていて、
それぞれにお喋りをしていました。いぶちを乗せたモンスターのブリーダーも、やはり何か目的があるのでしょう。
近くのブリーダーと遠征について打ち合わせをしています。今は話し相手のいないいぶちでしたが、穏やかな船の上
から水平線を眺め、こういう風景は本当に落ち着くなーと思い、なんだか気分が良くなって、モンスターの毛並みに
癒されつつ、少しうとうとし始めました。

 しばらくはゆったりとした時間が続き、心地よく癒されたいぶちはすっかり眠ってしまいました。
 この穏やかな時間はいつまでも続くと思われましたが、状況が変わったのは、その少し後でした。

「やべぇっ!」

 操舵主が急に叫んだので、いぶちは目を覚ましました。相変わらず、心地よいモンスターの上に居たいぶち
でしたが、船が大きく揺れたので、事態の急変に気付きました。海は大荒れです。穏やかな波はどこへやら。
お天気もすっかり悪くなって、まるで嵐のようです。操舵主の腕は確かだったので波に呑まれることはなさそう
ですが、船は上といわず下といわずとにかく揺れ、小さないぶちは目を回しそうでした。
 とにかく手近なもの(と言っても、乗せてくれたモンスターの背中の毛しかありませんが)に必死につかまって、
いぶちは波が治まるのを待つしかありませんでした。途切れ途切れに聞こえる内容からすると、どうやら目的地とは
別のところに流されているみたいです。モンスターにしっかりとつかまって、いぶちは「早く治まりますように」と、
心から思いました。

 どれくらいの時間が経ったでしょうか。

「キター!」と誰かが叫びました(それが悲鳴ではなく歓喜の声だったのでいぶちは「えええー?」と思いました)。
嵐が収まって開けた視界に、白い砂浜が飛び込んできました。

 船が接岸するや否や、乗っていたブリーダーとモンスター達は一斉に駆け出しました。
いぶちを乗せたモンスターも言うに及ばす駆け出します。途切れ途切れの会話からすると、ここは特別な場所で、
稀少なドロップ品を得られるみたいです。とは言え、いぶちには相棒がありませんから、このモンスターと
ブリーダー達の活躍に頼る他はありません。モンスターはどんどん駆けて行って、そのまま砂浜を抜けて、
茂みの中を走り回りました。あんまりぐるぐる動くので、いぶちはすっかり参ってしまい、ふとした拍子に、
茂みの中へと振り落とされてしまいました。いぶちを乗せていた人懐っこいモンスターですが、今は野良
モンスターを追いかけるのに忙しく、いぶちを落としたことに気付かないまま、ブリーダーと一緒に、砂浜の方へ
走って行ってしまいました。

「あーもう!」といぶちは言いました。こうなると、ドロップ品どころではありません。船に戻れるかどうかの
心配まで加わって(だって、いぶちが船に乗っていたのを知っているのは、ここではあの人懐こいモンスターだけ
ですからね)、いぶちは途方に暮れました。そうしてとぼとぼと歩いていると、いつの間にか茂みの奥に入って
いて、何メートルか先の木の大枝から、誰かがじっと見つめているのに気付きました。

「こんばんはー」

 一体誰だろうといぶちが思っている間に、枝の上の方から声を掛けられました。

「・・・こんばんは」といぶちは、ちょっとおずおずと切り出しました。相手がどういう人なのか、いや人なのか
どうかさえ、さっぱり分からなかったからです。でも、声の主は機嫌良さそうに、にっこりと笑っただけでした。

「悪い人ではなさそうだね」といぶちは思って、先を続けました。

「こんばんは、初めまして!あの、私はここからどっちへ行ったらいいのでしょう・・・」

「それはえーと、どこへ行きたいかによるんじゃないかなあ」と声の主。

「帰れさえすれば、どこでもいいんですけど――」といぶち。

「ならどっちへ行ってもいいんじゃないかな」と声の主。

「でもどこかへは帰りたいんです」といぶちは、説明するように付け加えました。

「ああ、そりゃどこかへは着くよ、間違いなく。たっぷり歩けばね」

 いぶちは、これは確かにその通りだと思ったので、別の質問をしてみました。

「この辺りには、どんな人が住んでいるんですか?」

 いぶちがそう尋ねると、声の主は「よっ!」と言って木の枝から降りました。そしていぶちの前にやってくると、
こんな風に説明を始めました。

「あっちの方向には」と声の主は、右の手を伸ばしました。

「笠屋が住んでる。それとあっちの方向には」ともう片方の手を伸ばします。

「プリンが住んでる。好きな方を尋ねるといいよ」

「プリン?」

 怪訝な顔をして、いぶちは声の主を見つめました(だって、普通、プリンは食べるものであって、どこかに
住まわせるものではありませんからね)。しかし声の主は、それが当たり前だという風にして、やっぱりにっこりと
笑っているのでした。

「そうなんだ、どうもありがとう!」

 疑問に思っても仕方なさそうなので、いぶちはお礼を言いました。それからちょっと遠慮がちに
「あの―」と言いました。まだ声の主の名前を聞いていなかったからです。

「ああ、ぼくのことはヨッパとでも呼んでくれ」

 察しよく、声の主は答えました。

「・・・酔ってるんですか?」といぶち。

「週末はだいたい」と声の主。それから続けて

「やみなべさんのイダル飛ばしに参加するの?」と言いました。

「え?ああ、ヨッパさんもお知り合いなんですね!」といぶち。

「しようかどうか迷っていたんだけど、まだ申し込みを済ませていないんだ」

 いぶちがそう答えると

「ほうほう。そこで会おうね」と言って、声の主は消えました。

 いぶちは大して驚きませんでした。へんてこなことが起きるのに、もう慣れちゃったからです。
 そして声の主が居たところを見ていると、いきなりまた現れました。

「ところでちなみに、開催日はいつ?」と声の主。

「聞くの忘れるとこだった」

「それは聞いてないんだ」といぶちは、声の主が普通のやり方で戻ってきたのと変わらない声で、静かに言いました。

「そっか、うん分かった」声の主は、また消えました。

 いぶちはちょっと待ってみました。声の主がまた出てくるかもと思ったのです。が、そのまま出てこなかったので、
一分かそこらしてから、プリンの住んでいる筈の方に歩きだしました。

「どっちも気になるけど、まずは会ってみないとね。でも、プリンが住んでるってどういうことだろ?
やっぱりモンスターなのかな・・・」

 ふと目をあげると、また声の主がいて木の枝に座っています。

「参加するって言った、それとも不参加?」と声の主。

「まだ決めてない。それと、そんなにいきなり出たり消えたりはちょっと・・・くらくらしちゃうから!」

「はいはい」と声の主。それから

「それにしても、君。大きさが変わるって面白いね」と言い「酔っ払ってるからそう見えるのかな」と呟くと、
今度は、とてもゆっくり消えていきました。

 声の主にそう言われて、いぶちは体の大きさが変わり始めているのに気が付きました。今度は大きくなって
います。そして広場に居たときと同じ大きさに戻ったところで止まったので「やった!」と小躍りしました。
それから、この大きさなら船にらくらく乗れると思いついて、砂浜の方へ走って向かいました。

 でも残念!いぶちが砂浜に戻ったとき、船はもう出港していました。あの人懐こいモンスターも、
既に遥かな海の上です。こちらから見ても、やっと船だと分かる位なので、向こうがこちらに気付くことは
難しいでしょう。いぶちは仕方なく、茂みの中に戻りました。

「それにしても―」

 いぶちは思いました。

「どうして急に大きくなったんだろ?」

 しばらくは、その理由を考えるのに夢中でした。そして、気力薬の効き目が切れたんだろうという結論に
達した頃、いぶちは、声の主と出会った大枝のところに着きました。ここからは、道が二つに分かれています。

「ええと―」といぶちは言って、それから声の主が言ったことを順に丁寧に思い出していきました。

「あっちの方向には、笠屋が住んでる」

 いぶちは、声の主がそうしたように、同じところに立って、右の手を伸ばしました。
それが済むと今度は左の手を伸ばして

「あっちの方向には、プリンが住んでる・・・だっけ?」と確かめると、くるりと向きを変えて、
プリンが住んでいる筈の方へと、歩みを進めました。

 ほんのしばらく歩くと、プリンのおうちが見えてきました。間違いないと思ったのは、にわかには信じがたい
大きさのプリンが、ででんと鎮座していたからです。あんまり大きなプリンだったもので、見ただけで胸焼けを
起しそうになって、それが治まるまでは、ちょっと近づきたくありませんでした。それでもなお、びくびくしながら
近付いて、その間もこう思っていました。

「やっぱり笠屋さんの方に会いにいけば良かったかなあ!」

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