1.たぬきの穴をまっさかさま

いぶちは自宅でパソコンのまえにすわって、なんにもすることがないので退屈しはじめていました。
一、二回はみんなの話している話題に合わせて発言してみるけれど、そこにはついていけない会話しかないのです。

「あーぁ、退屈だな…」

会話にはさっぱりついていけないし、もういい加減パソコンを閉じていっそ眠ってしまおうかといぶちは思いましたが、
今日に限っては、それは何だか勿体無いような気がしたので、退屈しのぎにフォルダを開いて、
友達からもらった画像を眺めてみることにしました。

イベントのお祝いだったり、オフ会の記念だったりと、沢山の画像が並んでいます。
いぶちは何だか懐かしくなって、時間が経つのも忘れて、一枚一枚めくっていきました。

「あー、こんな絵も描いてもらったっけ」
「常連客が仮面とタヌキって何だよ」

そんなことを思って眺めていると、何だか変な音が聞こえてきました。
いぶちは不思議に思って、後ろを振り向きました。

そこへいきなり、オレンジたぬきが近くを走ってきたのです。

それだけなら、まったく珍しくも何ともありませんでした。
更にいぶちとしては、そのたぬきが「わぁい!ちこくしちゃうぞ!」と叫んだのを聞いたときも、それがちっとも
へんてこだとは思いませんでした
(あとから考えてみたら、そこにたぬきが居ることだけは不思議に思うべきだったのですけれど、
でもこのときには、それがごく自然なことに思えたのです)。



でもそのたぬきが本当に、おなかのポケットから携帯電話をとりだしてそれを眺め、またあわてて駆け出したとき、
いぶちも立ちあがりました。
というのも、おなかのポケットなんかがあるたぬきは以前に見覚えがあるし、
そこからとりだす携帯をもっているたぬきなんて一人よく知っているぞ、というのに急に気がついたからです。
そこで、オフ会でもあるのかと興味しんしんになったいぶちは、たぬきのあとを追っかけて部屋を出て、
それが庭先の、おっきなたぬきの穴にとびこむのを、ぎりぎりのところで見つけました。

次の瞬間に、いぶちもそのあとを追っかけてとびこみました。いったいぜんたいどうやってそこから出ようか、
なんてことはちっとも考えなかったのです。
 たぬきの穴は、しばらくは地下鉄の構内みたいに複雑につづいて、それからいきなりズドンと下におりていました。
それがすごくいきなりで、いぶちがとまろうとか思うひまもあればこそ、気がつくとなにやら深い井戸みたいなところを
落っこちているところでした。
 井戸がとっても深かったのか、それともいぶちの落ちかたがゆっくりだったのかもしれません。
だっていぶちは落ちながら、まわりを見まわして、これってどうなるんだろうと考えるだけの時間がたっぷり
あったからです。まずは下をながめて、どこに向かおうとしているのかを見きわめようとしました。でも暗すぎて
何も見えません。それから井戸の横のかべを見てみました。するとそこは、食器だなと本だなだらけでした。
あちこちに、地図や絵が貼り付けられています。いぶちは通りすがりに、たなの一つからびんを手にとってみました。
「煌石の雫」というラベルがはってあります。が、空っぽだったので、とてもがっかりしてしまいました。
下にいる人を殺したくはなかったので、びんを落とすのはいやでした。
だから落ちる通りすがりに、なんとか別の食器だなにそれを置きました。



 いぶちは思いました。「でもこんなに落ちたあとなら、もう階段をころげ落ちるなんて、なんとも思わないよ!
もうみんな、わたしが只のドジっ娘だとは思わないね! ええ、寝落ちして椅子から落っこちたって、
もう一言も文句を言わないよ!」(そりゃまあそのとおりでしょうけど)
 下へ、下へ、もっと下へ。このままいつまでもずっと落ちてくのでしょうか?
「もうどのくらい落ちたんだろ」といぶちは声に出して言いました。
「そろそろ地球のまん中くらいにきたはず。えーと、そうなると何だっけ・・・マントル?地核?だっけ?
距離は――わからぬ」
(つまりね、いぶちは教室の授業で、こんなようなことをいくつか勉強していたわけ。
で、このときはまわりにだれもいなかったから、もの知りなのをひけらかすにはあまりつごうが
よくはなかったんだけれど、
でもこうして暗唱してみると、さっぱり覚えていなかったってことね)
 しばらくして、いぶちはまた始めました。「このままいくと明日の仕事には絶対に間に合わないね!
事後申告で有休通るかなー・・・っていうか、いつまで続くんだ、コレw」
 あんまり長く落ちるので、何だか面白くなってきましたが、何か手掛かりになるものがないかと思って、
いぶちは辺りの壁を見回しました。が、相変わらず誰が描いたか分からないような
(いや、明らかに誰が描いたか分かるものも幾つかありましたが)絵が延々と貼られているだけでした。
 下へ、下へ、もっと下へ。ほかにすることもなかったので、いぶちはまたしゃべりだしました。
「こんな時間まで起きてるのって、図鑑のSS撮ってたとき以来だね!」(SSってのはスクリーンショットのコト。)
「クオレ!ハティ!リコッテー!!ロラーン!!サービス終了しちゃったけど、大好きだよー!!!
もふっもふもふもふもふっ!!!!」いぶちはいささか眠くなってきて、ちょっと夢うつつっぽい感じで、
こうつぶやきつづけました。
「はぁ・・・サービス再開してくれないかな・・・」
とそのときいきなり、ズシン!ズシン!いぶちは小枝と枯れ葉の山のてっぺんにぶつかって、
落ちるのはもうそれっきり。

 けがはぜんぜんなくて、すぐにとび起きました。見上げても、頭上はずっとまっ暗。
目の前にはまた長い通路があって、まだオレンジのたぬきがその通路を踊りながら走っていくのが見えました。
これは一刻も無駄にできません。
いぶちはびゅーんと風のようにかけだして、ちょうどたぬきがかどを曲がりしなに「ひゃっはー!」と言うのが
聞こえました。そのかどをいぶちが曲がったときには、かなり追いついていました。
が、たぬきはどこにも見あたりません。
そこは長くて天井の低い廊下で、蛍光灯の淡い光で明るくなっていました。
 その廊下は扉だらけでしたが、どれも鍵がかかっています。いぶちは、廊下の片側をずっとたどって、
それからずっともどってきて、扉を全部ためしてみました。
どれも開かないので、いぶちは廊下のまん中をしょんぼり歩いて、いったいどうやってここから出ましょうか、
と思案するのでした。

 いきなり、小さな三本足のテーブルにでくわしました。ぜんぶかたいガラスでできています。
そこには小さなキーロッドがのっているだけで、いぶちがまっ先に思ったのは、これは廊下の扉のどれかに
合うんじゃないかな、ということでした。でも残念!
 鍵穴が大きすぎたり、それとも鍵が小さすぎたり。どっちにしても、扉はどれも開きません。
でも、二回目にぐるっとまわってみたところ、さっきは気がつかなかったひくいカーテンがみつかりました。
そしてその向こうに、高さ40センチくらいの小さなとびらがあります。
さっきの小さな金色の鍵を、鍵穴に入れて試してみると、嬉しいことにぴったりじゃないですか!
 開けてみると、小さな通路になっていました。ラックルの頭くらいの大きさしかありません。
ひざをついてのぞいてみると、それは見たこともないようなきれいなお庭につづいています。
こんな暗い廊下を出て、あのまばゆい花だんや綺麗な噴水の間を歩きたいなぁ、といぶちは心から思いました。
でも、その戸口には、頭さえとおらないのです。「頭がつかえたら寝違えたみたいになるね」といぶちは考えました。
「ああ、スノードロップみたいにちぢまれたらな!できると思うんだ、やり方さえ分かれば」というのも、
近ごろいろいろへんてこりんなことが起こりすぎたので、いぶちとしては、本当にできないことなんて、
じつはほとんどないんだと思いはじめていたのです。
 その小さな扉のところで待っていてもしかたないので、いぶちはテーブルのところに戻りました。
別の鍵がのってたりしないかな、となかば期待していたのです。あるいは少なくとも、巨大化育成・・・違った、
小型化育成の仕方の載っている攻略本でもないかな、と思いました。
すると今度は、小さなびんがのっかっていて(「これってさっきは絶対になかったよね!?」といぶちは言いました)、
そしてびんの首のところには紙の札がついていて、そこに「のんで」ということばが、
おっきな字できれいに印刷されていました。



 「のんで」は結構なのですけれど、でもかしこいいぶちは、そんなことをあわててするような人ではありません。
「いいえ、まずちゃんと見てみようっと。『毒』とか書いてないかどうか、確かめるんだ」といぶち。
というのも、お友だちに教わったかんたんな規則をまもらなかったばっかりに、装備を間違えて遠征したり、
年齢の計算を間違えて巨大化に失敗したりした仲間たちについて、
すてきな場面に幾つか出会わしたことがあったからです。
そういう規則というのは、たとえば指示具を背負ってお辞儀をすると胸を貫通するよ、とか、
お姉さまを怒らせると指示具を逆さもちにして船着場の裏に呼び出されるよ、とかですね。
そして『毒』と書いてあるびんの中身をたくさんのんだら、たぶんまちがいなく、いずれ困ったことになるよ、
というのも、いぶちはぜったいにわすれなかったのでした。
 でも、びんには「毒」とは書いてありませんでした。そこでいぶちは、ためしに味見をしました。
そしてそれがとってもおいしかったので(どんな味かというと、お刺身と、黒はんぺんと、わさびと、しょうゆと、
お出汁と、炊き立てのご飯をまぜたような味ね)、すぐにそれをのみほしてしまいました。
 「なんじゃこりゃー!?」といぶち。「小さくなってるー!?」
 そして確かにそのとおり。いぶちはいまや、身のたけたったの25センチ。これであの小さなとびらをとおって、
あのきれいなお庭にいくのにちょうどいい大きさになったと思って、いぶちは顔を輝かせました。でもまず、
もう何分か待ってみて、もっとちぢんじゃわないかどうか確かめました。これはちょっと心配なところでした。
「だってこのままロウソクみたいに、ぜんぶ消えちゃっておしまいになるかもしれない」といぶちはつぶやきました。
「そうなったらどうなっちゃうんだろ」そしていぶちは、ロウソクをふき消したあとで、
ロウソクの炎がどんなようすかを想像してみようとしました。
というのも、そんなものを見たおぼえがなかったからです。
 しばらくして、それ以上なにも起きないのがわかって、いぶちはすぐにお庭に行こうと決めました。
でもさすがドジっ娘のいぶち!扉のところにきてみると、あの小さなキーロッドを忘れてきたのに気がついたのです。
そしてテーブルのところに戻ってみると、絶対に手がとどきません。ガラスごしに、とてもはっきりと見えてはいます。
いぶちは途方にくれてぼんやりとそれを眺めました。試しにテーブルの脚を蹴ってみましたがびくともしません。
そしてがんばったあげくにつかれきって、かわいそうなこの子は、でろーんとなってしまいました。
 「いやいや!」といぶちは、ちょっときびしく自分に言いきかせました。「ここまで来たらやるしかないよね!」
いぶちが自分にする忠告は、とても立派なものが多いのです
(そこに邪魔が入らなかったことは殆どなかったんだけどね)。
そして時々は、自分に厳しく仕事をし過ぎて、うっかり寝落ちする程でした。
一度なんか、自分で締め切りをつくった絵を描き掛けで眠くなって、保存に失敗して落ち込むほどでした。
というのも、この熱意のある人は、納得がいくまで絵を描いたりゲームをしたりすることがとても好きだったからです。
「でも今はそれどころじゃないよね。なんとかあれを手に入れないと!」といぶちは考えました。
 やがて、テーブルの下の小さなガラスの箱が、いぶちの目にとまりました。
開けてみると、中にはとってもちっちゃなプリンが入っていて、カラメルで「たべて」と怪しげな字で書いてあります。
「こんな時間に食べるのはアレだけど」いぶちは少し考えましたが「凄く小さいし、食べちゃおう」といぶち。
「これで大きくなれたら、キーロッドに手が届くし!小さくなったら、扉の下からもぐれるな。
だからどっちにしてもあのお庭には行けるよね!」
 ちょっと食べてみて、いぶちは心配そうに自分に言いました。「どっちかな?どっちかな?」
そして頭のてっぺんに手をやって、自分がどっちにのびているかを確かめようとします。
ところが同じ大きさのままだったので、いぶちは「アレ?」と思いました。
そりゃ確かに、ふつうはプリンを食べるとそうなるのですが、
いぶちはへんてこりんなことを期待するのに慣れすぎちゃっていたもので、
人生がふつうのやり方でつづくなんていうのは、すごくつまんなくてばかばかしく思えたのです。
 そこでいぶちはそのままつづけて、すっかりプリンをたいらげてしまいました。

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