ライト兄弟による人類初飛行よりも約10年以前から玉虫型飛行器を開発をしていた二宮忠八は,その開発に成功しなかった.一方,ライト兄弟は人類初の飛行機の開発に成功する.その違いを様々な角度から考察してみたい.

人類初の飛行機による有人飛行に成功したのはライト兄弟だということを,ほとんどの人は知っていると思う.
いっぽう,それよりも少し以前に,
日本にも同じ様なチャレンジをしていた人物が存在していたことを、どれくらいの人が知っているだろう。

「虹の翼」(吉村昭 著)は二宮忠八という,そんな人物を描いている.
ライト兄弟はじめケイリー卿やリリエンタールという航空史上でも有名な偉人達と並べることができる,大空への挑戦者が
日本にもいたのである.



玉虫型飛行器を構想した二宮忠八のこの小説を読んでみて,初期の飛行機の写真などを見て気持ちが高ぶった少年時代の感覚が蘇ってきた.
しかし,さすがに半世紀も生きてきた今の自分の胸中は,少年時代のそれとまったくおなじというわけにはいかない.
二宮忠八は飛行器の開発に失敗するが,一方アメリカのライト兄弟は人類初の飛行機開発者として歴史にその名を残した.
両者の置かれた状況には,様々な違いがあったということは容易に想像できるが,では,それがなぜそのような状況になったのか?
単なる偶然の重なりなのだろうか?
といった疑問が湧き上がってきた.

戦前,二宮忠八はライト兄弟よりも先んじて,飛行機開発を手がけた偉人として,大いに国威発揚に利用されたらしい.
戦後,それではライト兄弟の偉業が隠れてしまうとGHQが懸念したのか,学校の教科書からも二宮忠八は姿を消すことになる.

そういった政治的な思惑とは,一切切り離して,忠八とライト兄弟が辿った飛行機開発の
具体的な事実を比較しながら明らかにしたい.

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