ライト兄弟による人類初飛行よりも約10年以前から玉虫型飛行器を開発をしていた二宮忠八は,その開発に成功しなかった.一方,ライト兄弟は人類初の飛行機の開発に成功する.その違いを様々な角度から考察してみたい.

1908年(明治41年)
京都の精米所跡地と精米用のエンジンを同時に購入する.

参考文献[1]p440
2棟の精米所と2馬力の発動機を購入した.
「初めて日本に自動車が姿をみせたのは,八年前の明治三十三年であった」との
記述からこの購入は明治41(1908)とわかる.

また,この年,忠八の母が他界したことも数ページ前に書かれているので,年号に
間違いはないであろう.

忠八が有人飛行の構想を建てたのは1891年とされているので,それから数えて17年
後にはじめて推進用のエンジンを手に入れたことになる.
かれの執念には,ここでも感服する.

実に,ライト兄弟の初飛行成功の5年後に,忠八は初めてエンジンを手に入れている.
ライト兄弟は初飛行の成功をあまり公開していなかったし、日本にも伝わっていなかった
ので、忠八がなにも知らずに飛行器つくりをしても不思議はない。

しかも2馬力なので,そのエンジンそのものでは,有人飛行は不可能であることは,
当時の忠八にもわかっていた.

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