差別・偏見やヘイトスピーチを助長する「嫌韓」デマ・中傷に対抗・反論するウィキです。

「嫌韓」の主張


伊藤博文は韓国併合に慎重な立場だったが、安重根が伊藤を暗殺したために韓国は併合された。

反論


暗殺される前に伊藤博文は併合賛成に「転向」していた。

「マンガ嫌韓流」第8話「日韓併合の真実」では安重根について「…韓国併合に慎重な姿勢を示し併合賛成派を抑えていた伊藤博文を殺害したテロリストね」「彼のテロ行為が併合への動きを加速させたのよ」「伊藤博文という韓国の良き理解者を愚かなテロ行為によって自ら失い/もはや日本と合併するしか韓国が生き残る道はなかったのよ」と書いています(P211)。果たしてこれは正しいのでしょうか。

伊藤が韓国併合に慎重だったというのは事実です。その伊藤が主張し、推し進めていたのは韓国の併合ではなく「保護国化」でした。「保護」というとソフトなイメージが抱かれそうですが(※注)、その実態は外交権をはじめとした国家としての権利を奪うという属国化、植民地化でした。伊藤が特派大使として直接的に締結に関わった1905年の第二次日韓協約(乙巳条約)は日本が韓国の外交政策を「監理指揮」するという内容で、韓国は日本の「仲介」なしには諸外国と条約を結ぶことができなくなりました。王宮を日本軍が取り囲む中、「マンガ嫌韓流」が「韓国の良き理解者」と評している伊藤は、韓国皇帝や大臣を恐喝・脅迫して(「余り駄々を捏ねる様だったら殺ってしまえ」という発言さえあったという逸話も残っています)強制的に調印させました。その翌年の1906年、伊藤は初代韓国統監に任命され、その翌年に調印された第三次日韓協約(丁未七条約)で韓国の立法・行政権を統監が握ることになりました。また伊藤の意向により、韓国の軍隊も解散させられます。

結局「併合に慎重」だった伊藤が行った「保護国化」も韓国の主権を奪うという意味では大筋では「併合」と変わりません。単に方法論が異なるだけです。しかしその伊藤も、韓国国内の激しい抗日運動を受け、最終的には強硬派の主張する併合論に同意せざるを得ませんでした。

なお、安重根によって暗殺された時、伊藤はすでに統監の職を辞しており、日本は韓国併合の準備を進めている最中でした。よって「安重根が伊藤博文を暗殺したせいで併合への動きを加速させた」というのは誤りです。



関連記事:テロリストである安重根を英雄視するとは!?

(※注)
たとえばナチスドイツも、オーストリアを併合する前に「保護国化」しています。

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