主に哀咲のTRPG(CoC)用wiki。ほぼ身内様向け。「そこのレディ、ティータイムの御供にクトゥルフ神話は如何かな」





僕は。

暗闇にゆっくりと沈んでいく。神の寝返りは酷く世界を揺らしてしまった。なんてことはない事象に巻き込まれただけなのだ、我々は。
そうと知っているのは恐らく少数だろう、むしろ僕だけなんじゃないだろうかとも思ったが、いや、誰かしらがきっと気付いている。僕たちの手の届くことがない果ての居城で寝返りを打っただけの王がいることを。
僕自身の最期の記憶は、泣き叫んで苦しいと思って、けれどひたすらに数式をあれやこれやし続けていたということだった。それが何の意味を持つのか、多くの人には理解されないだろう。家族も友達も、言葉にはしがたい大切なモノを次々と炎に亡くした僕みたいなことなんて、理解されたって何もないのだから。瞬きをする。涙のようなものが上へ散って行った。
もう物理法則だってこの世界にはないのだ。それを悟った僕に希望はなかった。在りもしない希望に縋っている方が今はもはや惨めだって思えば少しはこうやって堕ちるだけの最後もまだなにか見える気がした。
吐く息に色はない。暑さも寒さも感じない。この意識がまだ残っていることがそも疑問であるはずだったが、僕が最後の希望としたそれは、そういったものを楽しむ酷い嗜好があったことを思えば、残されている意味も分かった。
要はあきらめの悪い人間ほど、そいつは弄りがいのあるおもちゃだと思うのだ。
僕はあきらめの悪い人間だったろう。全てなくしてる癖に。守れなかったと泣きながら世界を存続させようとしていたこの心の在りようほど天秤で測れないものはないだろう。それを観察するだけなら、きっと僕だって興味深いって思う。だから、そいつのことを決して誹りはしなかった。そも人間というものが、そいつに似ているからこそこうやって気の迷いにしてやられているんじゃないか。
思うことも考えることも言葉にしたいこともたくさんある。
人生は百年と言われ始めた世界でこうもあっさりと終末が来てしまったことを考えたら信じたくないだろう。理不尽だと考えるだろう。しかもこの終末は僕らが描いていた神の御許に還る為のそれらの破滅ゆえの美しさなどないただ悪逆非道を極めた何かでしかなかったのだ。
でも僕はそんなこと知っていた。人間がそう指さす神など稀なもので、ほとんどは悪魔だとか死神だとかと呼ばれるものがこの世で一番「神」に値する存在なのだと。そしてそんな神ほど積み木でできた城を崩すだけのように僕たちが支配したと思っていた人間によるヒエラルキのピラミッドを食い荒らして終わりに帰すのだ。
ただ、そう、僕はある意味選ばれたと言ってもいいんだろう。
その終わりに帰す瞬間に、息をしていることを赦されたのだと。最悪だろうと最低だろうとどんな罵詈雑言を重ねても選ばれたのだから、そうなんだ。
眠りに入ったときのような、ふわふわとした心地の酩酊を繰り返す。ただ何となく落ちていると思っていたけれど、実際にはどういう風になっているかは分からない。そも、落ちていたのならいい加減―――マントルとかに身が投げ込まれてこの意識が吹っ飛んでもおかしくないだろう。
月日がいくら経ったかはもうわからない。数えるのは最初の数時間で止めた。やろうと思えば一か月ぐらいなら数えられるだろうという自負はあったが、もう疲れていたのだ。
思い出すのは自分自身の人生と、あっけなさと、薄れゆく記憶の風景だけだ。
『ねぇ、――――。』
声の色は思い出せないのに、彼女が言った言葉は覚えてる。彼女の存在は覚えているのにその表情はぼやけている。あっけない人間の記憶の在りように僕は泣くという情動しか発揮できなかった。
僕みたいな屑に、僕みたいな下手くそな愛し方を肯定してくれた君。
『いってらっしゃい。』
いつもみたいに。
その一言だけで送り出してくれた、彼女。
……僕は間違えたんだ。
国の権力だとか、意地とか、どうせそんなもの風前の灯火だったんだから、全部、全部を振り切って最期まで家族の側にいればよかったんだ。どうせ僕にはどうしようもないことだったんだから、全部あきらめて、余命を生きる重篤患者のように清く生きれば、燃えてしまえばよかったんだ。
僕は、選ぶことが出来たはずだった。僕には逃げ道があったはずだった。でも、期待されたら、僕みたいな屑でも期待なんてされたら、応えたく、なったんだ。
白衣を着るなんて数年ぶりで。でもその時の僕の頭は冴えていた。いくらでも解けた。いくらでも考えた。いくらでも僕は問いかけられる疑問に答えを呟いた。
僕は、……その時初めて、本当に人の為に、僕の頭の中の知識を吐き出したんだろう。地球を紐解いて、土くれに混じってでも生き残る術を探す僕らに必要な知識は、何個だってあってよかった。
白衣の中でも僕は特異だった、単純に若いということもあった、それにしたって、「世界の終わりを前にした者」ではないと言われた。実際自分ではそんなつもりはなかったから当然とも言える。
死ぬ気も生贄になる気もなかったんだよ。
少なくとも、最初に白衣を着た日にはね。
僕に報せを持ってきたのは僕のペットだ。蛇だよ。結構愛嬌があってね、癖になると病みつきになる。蛇が言うんだ。
とてもじゃないが生きていけるような環境ではないって。
それはわかる。でも、僕の蛇がそこまで言うだなんて余程のことなんだ。余程のことだった。そして次に蛇が来たときには、鱗が焼けただれていたのを覚えている。
それでも蛇はちゃんと教えてくれた。
彼女が死んだってね。
わざわざ焼け跡に残った指輪を持ってきて、僕にごめんなさいっていうんだ。僕は……取り乱したと思う。次に気が付いたときは蛇の尾の下敷きにされていたからだ。
ごめんなさいという蛇を宥めた。少なくとも僕のペットを誰かに見られるわけにはいかなかった。
外は、研究所の外は暴動だらけでとてもじゃないが、平穏に生きていける世界じゃないらしい。資源も水も、食料が枯渇したなら、金持ちが長生きできる世界になる。金持ちが恨まれる世界になるのは当然だってわかるだろう?
だけど金があるからといって善意だけで人を助けたらどうなるだろうか。最初は感謝されるかもしれない。でも、続けていけば、施しを受ける人は思うだろう。
「裏があるんじゃないか」
「屈辱だ」
「見下しているんだ」
「余裕があるって見せびらかしている」
……それが、ひとってもんだからさ。
少なくとも世界はそういうふうになって、生き残りの時間が長いものと短いもので分かたれたようだった。短いものは短いもの同士でも争い、時折長いものを襲う。長いものはただひたすら安全な場所を求めていく。どれだけ極めても動物的なそれらは変わりやしないんだ。
研究所も、移転することになった。
正しく言うなら暴動で潰されて、生き残りはアメリカに行けって言われたんだ。僕はイングランドにいたんだ、大西洋を泳げっていうのか。まったく、形骸化した国っていう機構ほどうつろなものはないよ。
泳げ、とは言ったものの、外に出てみればとても面白い光景だった。
全部干からびて、海がなくなっていたから。海が蒸発しきるまでの算術の答案はもっと長いはずだった。僕が出した答案だった、それを見たときに、僕は、何かが壊れるような音を聞いた気がする。
最初は、蛇を移動手段にしていた。僕は四匹、手元に置いていたけれど、彼女に一匹、とある息子に一匹貸していた。彼女へ貸した蛇は僕に謝る為に戻って来たが、息子へ貸した蛇は帰ってこなかった。
余程のことがなければそう殺されやしないだろう。だから、逆に言えば、そういうことなんだろう。唯一本当に心を赦して全てを教えていた息子が、先に逝ってしまったかもしれない現実も確実に心を軋ませている。
つまりは三匹が僕の手元にいたわけだが、一匹は彼女のところからくるまでに相当疲弊していた。だから休ませてやろうと思った。
僕は言った。
「お前は悪くないよ。だから、少しお休み」
廃墟の中で、それはもう、よく眠っていることだろう。
今は二匹が私と共に来ていた。僕が最初に選んだ蛇と、その次に選んだ蛇、奇しくも長く共にある子らだった。その子らも飲まず食わずとはいかない。僕とは違ってひとだったものを食うことはできたが、それも干からびた世界では稀な方だろう。
二番目が、力尽きた。
大西洋の恐らくはど真ん中。本当なら冷たい水の底でだ。本来ならこんな風に遺骸をひとに見せるようなことのない生き物だ。煙草やらなんやらの嗜好品はとっくに底をついて、火を灯すものもなかったから、その子の鱗で穴を掘った。土に触れることにこんなにも嫌な気分を覚えたのは、恐らく初めてだったろう。
埋めてやっても供えるものもなく、またアメリカを目指した。
実際分かっていた気がする。アメリカもどうせ同じようになってるって。だから驚いたんだ、迎えが来たことに。悪路をものともしない大きな車が排気ガスを出して走って来る様を見たときにはついに幻覚を見たと思った。蛇に隠れるように言って、それを待ってみれば、僕の目の前で止まって、僕の名を確認した。
僕の名前だった。
それからの道はあまり覚えていない。僕自身が歩いたわけではないが降り注ぐ日差しはあまりにも残酷だった。車の中でなけなしの水と冷やされたタオルを渡されたあと、恐らく熱中症で僕は意識を失っていた。南北戦争の負傷兵を運ぶ荷車のような光景。
僕みたいに国からアメリカを目指して海だったそこを歩いていた者たちが道中でも拾われた。僕と同じ研究者だ。僕が海の消滅予告の解答をした者だと知れば、賞賛してくれた。……それが間違いだったことにはあえて皆触れていなかったように思う。
むしろ一番正当に近いという点に関しては褒められるべきだ、というような腫物のような扱いだ。少し楽になった意識の中で、呻き声を聴いた。
たぶん心が駄目になったんだろうその研究者はついぞ言われることのなかった悪意を僕に吐いた。
『お前みたいな若造が、……』
そう、僕は青二才だ。
どれだけ実際に物事をこなしたところで、人間の積み重ねた年数の権威には勝てないのだ。
憤慨した彼をどこか遠く、霞みのかかった頭で見ていた。
彼はある程度罵ったあと、僕の反論がないのを見てさらに怒ったようだった。こんな世界でそんな風に感情を激しく動かしていたらすぐに死ぬ。
誰もがそれを知っていたし、気が狂っていない周りは冷えた目で見ていた。僕は僕なりに自衛もできるが、何もする気も起きなかった。
目の前で人間の上半身がその口に呑まれるのを見た。
僕の蛇だ。
ちゃんとついてきていたのだ。そんな義理なんてないのに。僕を守る為に悪意を食った蛇は、僕を見て何処か笑っているように見えた。笑う為の器官すらはっきりとしない生き物なのに。
〈ぼく、もう、だめだから、せめて、ね〉
そうしわがれた声で本当は可愛らしい心を持つその蛇は男の下半身も飲み込んで、いや、呑み込もうとしてそのまま息絶えた。
涙が出るほどの余裕もなかった。
だけど。
最後に僕を僕と言う存在がなくなったのは確かで、それに後悔を覚えたのも確かだ。僕は狂っていたのかもしれない。霧に塗れた日から分からなくなっていたのかもしれない。だからこんな風に蛇をペットだというほどには家族の一人と認めていたのかもしれない。しわがれた声で呼ばれることをよしとしていたのかもしれない。
どれも推測の域を出ない。
けれど、辛かった。
もう誰も、僕のことを守ってはくれない。もう誰も僕のことを案じてはくれない。もう僕を引き留める人も誰もいない。
だけど、僕を僕として求める人はいる。僕の答えを欲しがる人はいる。
不思議な感覚だろう?誰も僕の証明はしてくれないのに、皆が僕に期待する。恐らくこの残り滓のような世界で一番高いところに行けるっていうだけで。
僕は期待に応えたかった。でも、応えるだけの心はなかった。
アメリカの研究所で、その数式を自分の手帳から見つけ出して試算した。
解けるなと、あれだけ何度もやり直した数式がするりと紐解けていくのを感じれば、そう思う。
するり、と抜けていく数式はまるで誘っているか、いやまさに誘っていたのだろうね。
期待が、僕の胸をよぎった。
やり直せるかもしれない。
期待に応えて、しかも僕の全てを取り返せるかもしれない。
……。
そんなこと、できやしないのにね。
淡い期待はすぐに絶望に変わった。だって分かってしまったんだ。これを解き終えたら正気ではいられないって。だからもし僕のすべてを取り戻せて、彼女を、僕が愛して欲して独占した全てが戻ってきても、その価値を再び定めることはない。
僕は僕ではいられないんだ。
つまり、世界を引き換えに僕と言う個のすべてがなくなる。それでは僕は何のために世界を救おうだなんて大層なことを願ったのか。
僕は彼女を、僕のものすべてをこの世界に、平穏という世界に置いておきたかったから全てに応えたんだ。
数式の紐解きが半分を過ぎたころ、僕は僕の終わりを悟った。
その時には少しずつ、影が囁いていた。
『間に合わないよ』
そう、囁いていた。でも手は動くんだ。やめたくてもやめられないんだ。僕が願ったものすべて僕が欲した全て僕が愛したこの世界にあった全て、この手に戻らずに僕の心が消え去るのだとしても、もう止められなかった。
なら、いっそもう、一刻も早く彼女のところに還りたい。
還れるのかな。
いや、還れないだろう、僕は。
様々な推考が流れる。枯れたと思っていた涙は、ぽたりとインクのように落ちた。
もし僕が上手くやったとしても、上手くやった僕自身は保証されずに波に掻き消される。彼女がまた止まった針を進め始めてもその先に僕はいない。確定事項として。
僕が上手くやったとして、僕の意識が保証されたとしても。僕が僕としてあるかは、また別の問題で。
僕の意味は。

ぼくは?

汚染される意識は恐怖を呼んだ。叫んだ。世界を、呪った。
愛されることを知ったあとの全てを失うということほど、無残で残忍で不幸で、何もかも。それでも手は止まらないんだ。
だから、だからこそ僕は叫んだんだ。
僕に期待を寄せた全てを恨んで。お前たちがいなかったら僕はもうとっくにあの腕のなかで眠ってるはずだったんだと、握りしめた指輪に吹き込める。
この指輪の持ち主はもうとっくにいないのだと実感するのにかかった月日はいくらほどだっただろうか。
寂しかった。
誰も僕のことを愛称で呼んだりしない。嫌いなファミリーネームで呼ばれてしまう。彼女とその家族の誘いに乗って、彼女の家の人間として名乗っていたらそんなことはなかったのだろうか。いいや、それは僕にとって、赦してはいけない事項だった。僕みたいなものがあんな綺麗なものを名乗るような、そんな出過ぎた真似、いや出過ぎた真似はしていたんだ、だって家族にはなったんだから。僕は。
誰か、僕のことを。
僕は。
あの時から誰も助けられやしない僕を、赦してほしい。
赦して。
熱いと、思った次には何かに呑まれるように意識が飛んだ。

そうして今に至っているわけだが、またふわりと意識が浮かび、目は暗闇を映す。光もないのにそれを暗闇と認識するのは人間の意識だろうか、はたして怪しいところだ。
「あなたはだれだ」
ふと、声がした。
久しぶりだった。他人の影を見るのは。
「……」
誰だっただろう。なんて答えたらいいんだろう。
僕の名前を呼んでくれたひとは、もういないから。
けれど、その人の持っている手帳のようにされた紙屑を見て、どうしてだか暗闇全てからその人を見下ろし見上げて横から覗いている僕にとって、その内容を認識するのはたやすいことだった、……つい笑ってしまった。
それに顔をしかめるのは仕方のないことだろう。水に流すよ。
「……まあ、ルーファスとでも呼んでくれたら」
だなんて嘯いた。
自分の名前でもあり、そうではない名前。
嫌いな名前。
誰も、呼んでくれなくなったうちの一つ。
世界を恨んでいる貴方が私の名前を呟く。
だから私は言う。
すまない、とだけ。
赦してくれとは言わない。言えない。
だけど、……僕でさえ救えなかったどうしようもない私を、赦してほしかった。
貴方の言葉を、拾い上げる。
沈み切った世界の中で唯一人の面影が残るこれは実に面白いものになるだろう。
喉が渇いた。
でも今は水の中のはずなのになあ。
不思議だ。
さて、とりあえずは、と男は遠い水面を目指す。
谷底から霊峰へ向かって。

深い底から再び這い上がる。

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