主に哀咲のTRPG(CoC)用wiki。ほぼ身内様向け。「そこのレディ、ティータイムの御供にクトゥルフ神話は如何かな」

概要

さよならを言いにきた
タイトル:【同じシナリオタイトルでシナリオ書こうぜ企画】#さよならを言いにきた / りえこ 様(@ lie00800_)
制作:哀咲
システム:CoC
傾向:RP、ほぼ一本道

使用に関して:
改変、リプレイ等公開自由。制作者もしくはwikiのURLを明記してください。



シナリオ


<あらすじ>
さよならを言わせてほしい
次第に更けて行く朧夜に
―――私は明日死ぬだろう


<キャラシについて>
何かしらの信念をはっきり持っていた人格がよい。志や野心の類でもよい。
それらを折られた(将来の夢が叶わなくなった程度〜守りたいものを守れなかったなど様々でよい)失意の中にある探索者を推奨とする。


<舞台>
立葵の群れ(現代日本想定)


<推奨人数>
一人


<その他事項>
第六版制作のため、七版使用時には数値改変が必要である。RPを中心に行うシナリオであり、技能の可否は重要とはいえない。
キャラクターシートの情報量を深めるためのものと割り切るのがよい。
またKPには、森鴎外著『高瀬舟』に目を通しておくことをお勧めする。



<葵花咲く>
君には目指していたものがあった。思っていたものがあった。願っていたものがあった。
望んでいたものがあった。それを突くようなことは薮に棒を入れるのと同じことだろう。
人は時に膝をつく。どれだけ出来た人間だろうと何かしらで土を見る。
それが悪いだなんて誰が言ったのか。
ただ、それに疲れてしまっただけだ。ただそれに限界を見てしまっただけだ。
むしろ心が完全に砕ける前に土を見て、振り返る暇があったことがもはや救いだろう。
だが、それをよしとするほど人は物心を俯瞰できない。道を総合的に評価しない。諦めたことを否定する。
声が震えても。体が震えても。悲鳴を上げる全てを無視してもなおまだ、まだ。
そんな世界に、疲れた魂なんていつの時代も、いつの日でも、どこでも、どこにだっているだろう。
そう、例えば君のような。

がたん、ごとんと揺られる感覚に。ああ、電車を思い浮かべる。適度な揺れが眠りを誘い、船を扱がせる。
半永久的な機関のようにすら感じられる。がたん、……ごとん。母の、父の、祖母の、祖父の。
きょうだい、家族のだれか。腕の中にいたころはいつもこうだったのだろうか。いつからきみは、

『ひとりになったんだい』

声に、船が弾けて消えた。
瞼をどけた目がつかんだ光景はあまりにも現実味がなかった。いつこんな場所に来たんだ。
天へ立ち昇る緑の線。夏が近づいてきた色の空。
線だと思っていたものには小さなものから大きなもの、白いもの、淡い桃の色を写し取ったもの、真っ赤に染め上がったもの。さまざまな花が開いている。
振り返っても同じ光景、右を見ても左を見ても同じ緑と花が続いていた。
だが、驚きのあまりに床だろう何かから体を離した貴方はぐらりと揺れる土にたたらを踏む。
目の前に鏡でも置いてあるのだろうか。いやそんなものはない。貴方が揺らした船の上。
目の前の姿も少し揺らいでバランスを取るように腰かけた木製のシートに手の平をつけた。
いや、シートなどという単語が似合うものではない。向かい合うように貴方たちはある。
ふたりを乗せて進むのはみすぼらしく頼りない、現代では観光資源にすらされる、川下りに使われるような木だけで組み合わされた川舟だ。

" 次第に更けて行く朧夜に、沈默の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべつて行つた。 "

そんなどこかの国語の教科書の一文を思い出したのはなぜだろう。(0/1d3)


<後も逢はむと>
高瀬舟という川を由来にした名前を持つ舟は、緑の宿る土の上を器用にがたごとと進んでいる。探索者はどうやら舟の
舳の方、板張りに直に座っている。目の前の―――自分とまったく同じ姿かたちをした影法師は、艫側の船梁に腰かけているようであった。
どうしてこんなところにいるんだろう。
どうして鏡に映したような自分が目の前に座っていて、あたりには天へ昇るような花ばかりがあって、高瀬舟は土の上を歩んでいる。
貴方の背の方へ舟は進んでいる。がたり、ごとりと体を揺らしながら。
目の前の顔は、こちらを見てはいるが口を開く様子はない。
出口も何もなく、ただ多くの花を身にまとう緑の天幕は青空に突き刺さるように伸び、いや今も伸びているように見える。
舟の進む音に誤魔化されているが、身を軋ませる音が足裏から身体を巡る。
何故だろう。
植物が成長を続けるのは自然だとも。それなのにそれは拙いのだ、と脳が警鐘を鳴らしている。
弾丸を撃ち込まれて捻り潰されていくような痛みを幻覚のなかに感じた。
暗闇ではない。昼間だ。狂気を浮かべる月はない。あるのは正義の太陽である。それなのに幻の中に浮かぶ痛みは輪郭をはっきり持っている。

周囲に<目星>:あたりは自分より二回りほど大きい垂直な茎で覆われている。地面に垂直な茎に対しまた垂直に花茎がついている。
色は白や赤、紫に近いものもあれば時折黄色に見えるものすらあるようだ。
<聞き耳>:舟の立てるがたごと、という物音以外に聴こえるものがあるとすれば自分と、鏡映しのような姿が発生させる呼吸という生きる音。
それらに紛れながらもまだ空へ向かって伸びていく茎の成長音。(0/1)
植物に<知識-10>、<博物学>、<化学>など:アオイ科の多年草、タチアオイのように見える。
タチアオイは1mから3mは伸びるので周りの大きさ自体もまだ自然な範囲だ。
舟に<知識/2>、<人類学>、<歴史>など:川舟の一種、高瀬舟であると言える形状をしている。
京都を流れる川を由来にしたそれは、一つの舟というよりかは、物語としての方が見知っているかもしれない。

風がない。受ける帆もなければ、漕ぐための櫂もなく、掻くための水面もないここで、どうやって舟が前に進むための力を得られるのか。
人に振動を与えるほどのエネルギーを持ち得るのだろうか。
ふらついた足は堪え切れず、再び貴方を舟の床に戻すだろう。
目の前の姿はそのさまを見て笑ったように見える。視線が近くなった貴方を見下しているように見える。
心から蔑むそれは憎たらしい。憎たらしい、なにを知ったような顔で笑うのか。
「何をそんなに急いている?」と、堪え切れない喉の震えが笑い声となり言葉に混じっている。同じ形、同じ色。それなのに抱いているものが違う。
「遠島に往く舟に親族が乗ることがない独り身で、なにを急くことがある」

「遠島」という言葉に<日本語>、<アイデア>、<知識>:流刑。遠島と呼称するのは特に離島への島流しである。
本土で処されるよりも離れた土地に一人取り残される方がより苦痛であるとし、重い刑罰とされていた。
ほか、文化人や戦争、政争に敗れた貴人に対して、死刑にすると反発が大きいと予想されたり、助命を嘆願されたりした場合に用いられた。
島のほかに山奥を流刑地としている場合もある。

では目の前のお前は咎人を護送するための番か?いいや、その姿は自分なのだ。そんなわけがない。そもそも流刑なんて今はすたれた刑罰だ。
知識があれば貴方はいくらでもそんなわけがないというための素材が頭の中から引き出されるだろう。知識がなければそれこそ間抜け面を晒すだけだ。
何かを言い返せば影法師は呆れたように肩を竦めるだろう。間抜け面を晒しても呆れたように溜息を一つ。
昨日の記憶はあって、確かに現実に生きていたと分かる。なのに意識が繋げたのは此処。
それが異質なのは確かな問題なのだが、もっと重要なことは、「何もわからない」ことだろうか。
ここから抜け出すための術も向かい合うそれも、ここが何を表すのかも。ただ、空にはちゃんと空気があるらしく遠くから雲が流れてきてうっすらと太陽を隠した。
此処は確かに貴方の居場所ではなく、此処には意図せぬ危険が潜んでいる、気がする。それでもなお大人しくしていられるほど、貴方は潔いモノであったか。


<延ふ田葛の>
何もわからないことは理解したろう。なら、情報を持ち得るのは現状見えている全てがそうだ。
勢いに任せて投げ出すほど命とりなこともない。茎はやはり音を紛れさせて、少しずつ空を覆っていく。
「何処へとも知れぬ場所へ流されるその心を聞かせてくれ」
などと、目の前のうつしみが嘲るのも、だんだん慣れすら覚えることだろう。ただ一つ、癇に障るものがあるとすれば。
「お前は―――できなかった」
訳知り顔で話し始めた木偶の坊を、蹴り落としたい気持ちさえあっていい。黙らせたいだとかそういう焦燥もあっていい。
「できなかったから、今、流されているのだ」
心辺りは自分自身の中にあるだろう。
大事な何かを、ぽっかりと落としてしまった空間がその答えだ。どうして目の前のこいつが知っているのか。
さぁ?さて、どうだったか。だが、影を写すことができるほど、自分のソレは、はっきりとバレているのだ。(0/1)
「……別に。できなかったからなんだ。人生すべてが壊れるほどの物事であったか?いや、全然。
これはあくまで人生の色どりのなかの一つにすぎず、失意に色づいただけのもの」
自身の口が愚鈍になっていくほど、目の前の自分は軽薄なほど舌を回す。
『" どこといって自分のいていい所というものがございませんでした。 "』
舟ががたんと音を立てる。いや、―――いや?
音が消えていく。がたごととゴンドラのように震えていた船体が本来の在り方を発揮する。先で水を切り、静かに流れる。
水がまるで土中から這い出る蛆虫のように溢れていた。
黒々としていた。土がすぐに見えなくなる。
「平安を望んだ。率直でいたかった。見合わぬ大志を望んでみたり、似合わない威厳や高貴を身にまといたくもなる。
単純な愛がほしくて熱烈に恋すらしたけれど。けど?」

植物に推測が立てられている場合、<アイデア>、<博物学>:タチアオイの花言葉の数々であると予想がつく。

「生きる為には食わねばいけない。食う為には金がいる。金を得るには仕事をする。仕事を得るには世間様を走り回る。
人様に認められる者であるべきと。―――そうして手にした今の平和に、見たくもないものを見てはいないか」

今の自分では信じられない手口の詐欺で金をかすめ取られる人がいる。
勿論その人が悪いわけではないが、生まれたときの何か、のせいで生きるだけならハードルを下げられる人だとか。
そもそも生きることに迷いを覚えない人もいるだろう。
人様の知らぬところで消えてゆきたいと思う人もいる。誰かに目に留めてほしくって都心の夜景に消える人もいる。
ありとあらゆる人が無限に生えている。
何かを得るために何かを吐き出さずともいい人がいる。同情を得られる罪で生き延びる者さえいる。
知らない満足の上限値を知ってしまった人がどうしようもなく這いまわる。
十露盤の桁が換わるだけで何百通りもある生き様を。今さらどうしたって。

「足りない。足りない。もっと、」

貪欲だ。人は貪欲だ。
辺りがすっかり水に浸っても、花は咲き誇り、茎は軋んで空へ空へ。気が付けば三回りは大きくなってしまったか。
その先にある空は雲に流されて入れ替わったかのように水をそのまま空に上げたかのように黒い。
正義の太陽が、狂気の満月に入れ替わっている。

「もし、病気になったら。もし、事故にあったら。もし、災害に遭ったら。
もし、仕事がなくなってしまったら。蓄えはあるか?もっと。もっと入りはしないか?」
「もっと。もっと。明日に困らないほどの蓄えを。一年を越すに困らない蓄えを。
五年を越すに、十年を、恋人に結婚を迫られたら。子供ができたら」

だんだんとそれは自分らしくないことを口走るかもしれない。だが、それはそうだろう。自分ではないのだから。
辺りは夜に暗く染まり、花の色も不安に見えてくる。それでも月明かりに強く輪郭を残す白は、酷く目立っていた。

周囲に<目星>:確かに空へ空へと伸びている茎ばかりだが、どうも白い花を持つものは舟に近い高さにあることに気が付く。
一部の花に<博物学>、<化学>:ゴジアオイのように見える。植物界のサイコパスなどと悪名高い花だ。
グレーな話だが35℃でも発火する、などというような…。

「人の未来を思う心に果てなんてない。過去を呪いたくなる重さに果てなんてない。現実を、受け止めるだけの余裕があるのか?ない。
子供のころ夢にみた未来はなくて。子供のころ誰も引き留めてくれなかったと呪い続けて。それでも生きる。
死ぬのが怖いから?誰かが辛い思いをするから?生きる方がよっぽど惨いことであると思っていながら、他人は言う。簡単に死ぬな」

満月の光が酷く、影法師の縁をどす黒く、血のように紅く描いて世界にうっすら浮かび上がる。こういう時に限って雲は流れてこない。
力に訴えるようなことは影法師はしないし、恐らくしないだろうという謎の確信が胸にある。
ただ、水の上に舟があるという当然の摂理のせいで、隠れていた茎が軋む音が重なりあって合唱となす。
せめて軽やかなワルツであったなら気持ちもまだ晴れたろうが、生憎ながら聞こえる歌は、
言葉にもならない雑衆の有象無象の音であり、規律ある楽曲のそれとは程遠く、鼓膜を虐めて見せる。(0/1)
「生きる糧がないのに生きる理由とは?誰か、血の繋がったものの足を引っ張って這いつくばる人生の何に価値がある?
蝶と花よと可愛がられるのは幼子の特権であって、せいぜいが二十歳までだろうよ」
影法師は手を伸ばした。舟の近場に咲く白い花に。高く月に照らされた彩のある花たちとは何処か違う形に見えるだろう。厭な予感がしている。
手を止めるように言い含めるのも、予感を口にしないのも自由だ。どちらにしても、指先は花弁をなぞるに終わる。
『" わたくしは今日まで二百文と云ふお足を、かうして懷に入れて持つてゐたことはございませぬ。 "』

そろそろ影の紡ぐ語が繋がって線を描き始めるだろう。
ぼんやりと思い出すそれは、高学年ぐらいの教科書の最後の方にいた気がする。陰鬱な雰囲気と古い言葉遣いは、ひどくマッチして独特さを産んでいた。
森鴎外「高瀬舟」からの引用であると気が付いていい。

「人は権利を重んじるように成長した。一人の存在の価値を求める。ゆえに過ちを犯したものでも即座に命を奪うことはしない。
"どうも飛んだこゝろえちがひで"してしまったことなら、世間も同情してくれる。背景を勝手に空想する。だが真実は本人の心にのみ存在する。本当は―――?」
剃刀と、寝込んだ弟の話だったか。遠く夢想する。傷口の表現が幼心にはいやにグロテスクに響いたし、音読を訊かされる親兄弟も厭だったろう。
だけど、今までの時の流れを持って、グロテスクは意味のあるものへ昇華する。
「本当は自分が救われたかっただけではないのか?あえて牢獄に入って、一定の価値を証明されるのは如何か?
誰かに認識され続ける世界は?心砕いてなお成し得ないこの世界に存在し続けなければならない時間の分、少しでも如何様にするべきではなかろうか」
もはや笑うことを渋る様子も隠すさまもない目の前の存在は醜悪で、
でも何処か核心を撫でつける風のようにも思え、二重三重にも重なる価値感の差に眩暈すら覚える。
空はもう黒く。僅かな月明かりが水を照らす。
きらきらと光る面に映り込む花の数々だけは美しいが、成長に軋む悲鳴の中に、まるで事切れる直前の、手前の、あと数刻を―――。
待ちたくないというような、ひゅう、という喉が息を漏らしているような音を聴いた。
それを漏らす喉は何処か。信じたくはないが、目の前の影であった。(1/1d3)


<私は明日死ぬだろう>
立葵の群れの目指す先にあっさりと昇り詰めた満月は、普段目にしているものよりも、幾分気にしているからだろうか。
観測に慣れていないからだろうか。眩しく、ただの衛星にしては己で輝く術を持つものに見える。
目が慣れてきて、夜闇に視線を通せるようになった。ぼやけていた物の線引きがはっきりとし、水面の揺れも確認できるほどだ。
影法師の喉から胸元のあたりが激しく上下するのも見えた。
少しずつ音がはっきりしてくる。葵たちの悲鳴よりも一つ手前になってくる頃に、ただ一つのことに気が行った。

いつから自分が咎人の側であると認識したのか。誰もそんなことを言っていない。
「独り身で遠島への舟に乗っている」とは言ったが、目の前の影は誰も、貴方自身を罪ありきとは言っていない。
酷くまるでこちらが悪いというような口ぶりを繰り返してはいたが、本当に貴方を罪に問いたいのなら舟から叩き落としたってよかったはずだとも。
無意識に手が胸元を、探っていた。袖口を探っていた。けれど、二百文というお足を持ってはいない。持たされてはいない。
手探りを見て、なにを探しているのかを理解したのだろう咎人は自らの胸元を探り当て、
麻紐にいくつも硬貨が通ったものを手の平にどすりと重たげに持ち、バレたかと言わんばかりに肩を竦める。
それを正確に数える術はその道の専門家でなければ知らないだろうが、二百文(九六銭)分である。
探索者がそれを確認し終われば、その文銭はまた懐かどこかへ仕舞われる。
「お前しか知らない」
声がさびれて、小さく、喉笛の隙間風に負けていく様をまざまざと見せつけられる。聞かせられる。
「何をもって餓えもせず凍えもせずと、言いきれるのか」
左手が押さえつけた喉からついに、鉄錆の臭いの塊が這い出てくる。
それは舟の床にびしゃりと落ちて、流れる川にも零れ落ちたがこの明かりの中でさえ、見間違えるほどの黒々さであった。
「心得違いかどうかさえ。」
果たして、なにを問いかけたかったのか。
「生き死にのこたえも。」
ついに声は本当に、最期の事を伝えるだけに紡がれた。
『" どうぞ手を借して拔いてくれ "』
押さえつけた左手がそっと離れていく。黒く変色した血がぼとぼとと品もなくただ泥のように床に落ちる。
もうとっくに死んでいてもおかしくはないが、きっとそれだけではこいつは死なないのだろう。
ぼんやりと眺めていれば血液で汚れた手を伸ばして手をつかみ、自らに近づけていく。
喉元まで指先が届くと見えていなかったはずなのにそこにしっかりと存在する刃の柄が、こつりと爪との確執で揺れた。
ぐにゅり、と皮膚とも血肉の塊とも言えない何かの感触に胃からせり上がるものがある。(1d3/1d6)

平安を望んだ。率直でいたかった。見合わぬ大志を望んでみたり、似合わない威厳や高貴を身にまといたくもなる。単純な愛がほしくて熱烈に恋すらしたけれど。

けれど結果はなんだったろう。
胃から上る熱を堪え切ったと思えば、今度は瞼の裏が熱くなる。鼻の付け根がひりひりとする。
感情と身体と、心自体がそれぞれのものに追いついていない不条理なまでの、不具合のさまに頭の先っぽだけは冷えていた。
思えば今まで感じていた危機感や嫌な予感と表現すべき感情は薄れている。
今あるのはこの指に触れた柄をどうしようというぐるぐるとした、終わりのない思案の偶像。
影法師は、びしゃびしゃと血を終わりなく吐き出し続けながら、やがては人を恨むような目で、『早くしろ』と訴えかける。
時間がかかれば、かかるほど目は憎悪を増していく。
ただ、力はもうないようで。無理にでも手の平をということはない。
やがて堪え切れなくなるまで―――、お互いを睨む視線の応酬は続くのだ。

抜いてやるか、やらないか。

物語のと同じ朧を持たない夏の月だけが全てを照らす。


<さよならを、>

柄を握り、刃を引き抜く。包丁で生肉を切ったときと同じような感触が何かの越しに伝わって、ぼたぼたと下劣な音を零す出血は止まった。
舟の床はずいぶんと黒くなってしまった。
影法師はふっと一息つくような心地の目になって、その床に沈む。抜いた瞬間に、喉を抉っていた剃刀はどこかへ飛んで行って―――。
不意に、熱を感じた。それは高熱でも冷え切ったものから来る反射の熱ではなく、ただ、人の温度に近い。
なにから発せられたものか、それだけが疑念だ。そしてそれはすぐに目に入り込む色となる。
ぱちり、と何かが爆ぜるような音。火元が何処からかはわからないが、空へ一直線を描いていた茎が根元の方から燃え盛るのを遠巻きに見ていた。
見ているしかなかった。
だって何もわからないのだから。
煙が空に立ち昇る。真っ黒な空に白い靄がかかっていく。ああ、そう。これから往くのは何処かの遠い島。
なら言うべきは、何だろうか。
真夏の夜空が、春の姿へと逆戻りしていく。
絶対という言葉が使えるほど、人生においてあり得ない現象をただ、見上げて。
目尻に溜まった何かを落とすために、瞼を下ろした。

END A 「梨棗黍に粟嗣ぎ」

生還:1d10
また逢おうというように葵の花が咲く:1d8
朧月夜:1d3


柄の感触から、おそるおそる指を離す。目にはもはや恨みなどという強い感情を宿せるほどの力がないと見えた。
ふらりと崩れ往く身体を掬い上げることもままならぬまま、影法師は黒い水面に身を投げた。
一際大きな水音がして、ああ、墜ちたと思う。
空は真夏の熱を持ったまま、ただ月の姿を投じ続ける。もう見たくはないのに。
降りかかった滴を払うこともできずに、ただ月を見上げていた。
それも数分のことだ、ゆっくりと伸ばし続けていたそれらは、養分を得たように完全に空を覆いつくす。
花が増える。美しい光景だとも。きっと。だが、それは、いったい誰の死にざまを持って描かれたものだろうか。
絶対という言葉が使えるほど、人生においてあり得ない現象をただ、見上げて。
目尻に溜まった何かを落とすために、瞼を下ろした。

END B 「くやしくぞ つみをかしける あふひ草」

生還:1d10
口惜しいことだ:1d6
真夏の夜の夢:1d6-1


どちらの分岐になったとしても、探索者は自然と朝に目覚める。たった一夜の夢であったらしい。
それにしては、酷く鮮明で感触も手に残り、臭いも色も覚えている。
これは背負い続けてきた負い目への別れの話であって、君を苛むだけではない朧月の夢。
別れ方は人それぞれ万ほどの数あれど、心にすくうものを理解するのは、自分だけ。
『" どこといって自分のいていい所というものがございませんでした。 "』
なんて、そんなことを言わせるぐらいならば。
せめて別れは自分で告げるべきであろう。


もしも、黒々とした水に自ら身を投げたり、嫌な予感を纏う白花を手折った場合など、
予感として探索者に与えていたトリガーに触れるようなことがあればSANCの発生や、ロストルートなどの派生を好みに合わせて改変してもよい。


<その他事項>
タイトル企画「さよならを言いにきた」参加作品。企画者さまに謝意を。
また、勘違いされやすいがゴジアオイは発火の可能性があるとは言われているも、
ゴジアオイが原因元となった火災の話はないと言ってよく、グレーな話であることを理解してほしい。
そして森鴎外著『高瀬舟』の考察や批評を行うための作品ではなく、探索者への問いかけの基点としているだけであることを承知願う。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

どなたでも編集できます