主に哀咲のTRPG(CoC)用wiki。ほぼ身内様向け。「そこのレディ、ティータイムの御供にクトゥルフ神話は如何かな」



俺はしがない医学生だった。勉強は真面目にしていたし、自分でできそうな訓練は進んでやっていた。それは早くに母を亡くしたということもあったけど、祖父や父が、しっかりしていた人だったからだと思う。
医学部をどうにか卒業して試験にも受かって、研修もちゃんと受けて。
そうして病院に勤めるようになった頃には俺の「真面目さ」は普通のように受け入れられていた。別に構わないし、それで業務に影響が出るわけでもなかった。
学生の頃、父が不思議な怪我で入院したことを時折思い出すぐらいで。その時、近所の人が手を貸してくれたことは覚えている。その人たちは、難しい話を祖父としていた。
俺は、……よくわからないから、ただ勉強をつづけた。必要があれば話もしたが、そこはよく覚えていない。
そして、数日後にその人たちが安堵した表情で歩いているのを見かけてお礼が言いたくて、声をかけた。母の墓参りの途中だった。
あの人たちに何があったかは詳しくは知らない。けれどたぶん、俺たちのせいで何か面倒になっていたんだとは分かった。
申し訳ない気持ちながら、それでも父のことについて話した。今はもう元気になって、……。母のこととも向き合うようになって。それから。
あの人たちは笑って、そうかと言ってくれた。
そんなことがあった。
あの時は医学部を志望していた学生で、今は医者だ。
俺はずいぶんと偉くなったものだと自分ながら、褒めてやりたい気持ちになる。真面目だけが取り柄の人生、故に俺は時折こうして「頑張ったな」と振り返ってみることをしていた。そうすると、少し辛い仕事も楽に思えることがあった。
誰かを助ける仕事だと、皆は言うけれど。実際は難しいんだ。
手で拾えない命はいくらでもあるし、なんなら突然、知らないところで消えてしまう命だってここにはある。誰かのミスでぽろりと落ちてしまうものもあって、全てが思い通りに行くわけがないのだと、ここまできて俺は悟った。
今も、そんな、瞬間を見ている―――。

その姿に祖父を重ねながら、俺はせめてできることをしていた。
少しでも楽になれるように痛み止めを点滴させ、楽な体勢を探し、薬の配合や食事のバランスまで考えた。祖父は少し前に亡くなってしまったが、それは老衰に近い、眠りのようなものだったから、俺は誰もがそんな眠りのような穏やかさであってほしいと、考えていた。
難しい、ことだった。
ついにこの患者の家族が電話で呼び出しされることになった。止められなかった。不意の発作に、電話という機器が発達した今でも集まれる人は少ない。
何より、真面目な表情を作って必死に被っている医者の俺の目の前ですら、患者の目の前ですら、何処か面倒そうな顔をするその「家族」がいることに、俺は憤っていた。
この人は、辛い病気ながら俺の言うことを頑張って理解しようとして、協力してくれて、何かあればちゃんと話してくれた、医者と患者という関係においてはとても良い人であった。
時折語る孫のことや、家族の話も楽し気で満足の行く世界だったのだと言っていたのに。集まった中のほんの少しの色味でしかないのだが、彼の人生の最後にそんな顔をするなと言いたかった。
もちろん、純粋に老人の最期を看取る為に来た家族もいらっしゃっている。その中でよくもまあそんな顔ができるものだと、反吐が出そうだった。
「……発作からもう三時間は経ちます。ご家族の方は、もう?」
けれど、俺が唯一医者としての立場で冷静に話をできるのは、そいつしかいなくって。妻だろう人の泣き声を聞きながらもかったるいなというような風に肩を竦めた男性は、ぼやく。
「ええ、まあ、義母はもう亡くなっていますし、親戚にも連絡はしましたし、もう来ないです」
「そうですか。……」
医者は問わなければならない。
こういう間際の時に。その人の命を。
「延ばす」か、「延ばさない」か、について。
男性は言う。構わない、もういい十分だろうと。浮ついた悲しみを塗り込めた言葉で。その言葉に妻だろう女性が涙ながらに叫ぶ。甲高い声は酷く耳障りだった。
「先生ッ、先生どうにか、」
どうにか?
俺は溜息しか吐き出せない。だって、どうにかしようとしていた頃にあんたらはまともに話も聞かなかったじゃないかって。
こんな最後の取り返しの行かないレベルまで来て、「どうにかしろ」だなんて、あまりにも無理な要求だ。外から見たら非情な医者に宣告されるか弱いひと、のように見えても、実際かかわってくればそれは害悪とも認識できた。
俺は、俺の仕事をした。
けれど、誰も褒めてくれない。
少し、心が傷んだ気がした。
「……残念ですが、もう手は尽くした後ですよ。ただ、人工呼吸器を……」
俺の言葉を飲み込んだ女性が俺の胸倉をつかむ。おっとこれはなかなか例を見ない乱暴さだった。酷く取り乱した「ように」見える彼女は実際としては、そこまでではないのだろう。
「あなた医者でしょ!」
ほら、こういう。
どれだけ俺が取り組んでいたとしても、最後だけ見に来る人間は、こういうのだ。自分勝手だ。
もしかしたら、母が亡くなったとき―――自分も同じようなことをしてしまったのかもしれないとは思った。けれど、それを反省した後に同じことを繰り返されるのは、とても苦痛でしかなかった。
俺はどうして医者になったんだっけ、と思ってみて、母を救いたかった、そう思って。それは出来やしないことなのだと分かっていたはずの気持ちに区切りをつけて。
また、誰かが旅立っていくのを見送った。
……大学病院という場所は、全てを全て、治す場所じゃないんだ。治せる場所じゃないんだ。
書類を作成しながら、俺は温くなった珈琲で涙をのみ込んだ。


たぶん、疲れていたとは思う。
でも仕事を放棄するということには至らずに今日も俺は真面目に働く。俺の顔を見て安堵する患者もいれば、治らないことに苛立つ患者もいる。人の在り様をまざまざと見せつけられている。
常に携帯している端末が音を鳴らした。誰か急変でもしたんだろうかと、もう何とも反応の薄くなった手でそれを持ち上げて耳に当てる。
『梶原先生、手術、入れますか』
業務的な連絡でしかないそれに自分の手元のスケジュールを確認する。特に今日に特別大切な手術や何かが入っているわけでもなかった。
「そうですね、回診を看護師の方にでも代わっていただけたら……」
『分かりました、ではお願いしても?』
「はい、どういった症例で?それとも緊急外来ですか」
『緊急です。救急車から連絡があり、もう数分で到着の見込みです。出血性ショックの症状があり、意識はない、20代男性、A型……』
「そうですか、外傷かな。……ではこのままそちらに行きますので準備を」
俺は端末の通信を切って、普段は「走るな」と徹底された廊下を走りだした。白衣が揺れ、聴診器が胸を打つ。ナースステーションによって、手元の資料を引き継いだあとそのまま緊急移動のエレベーターで緊急外来の手術室へと向かう。
息を切らして緊急外来の区分けまで来た頃には、もう十分な情報が出ていた、はずだった。
けれども戸惑いの声が視られて、俺はふうと荒い呼吸を整えながらも用意されたカルテを確認する。……左腕切断?しかも肘や手首、といった部分ではなく、肘の関節より上……。
思い浮かぶのは最近よくニュースにもなっていたとある事件の話だ。大体手遅れの患者がこんな大学病院に運ばれてくることはない。だからこそ、不思議でもあった。
「20代で結構鍛えてるみたいなら、体力はあるね、とりあえず、やってみるしか、ないか」
俺は自分に言い聞かせるようにそうぼやいて、周りを促す。助手を選んでどういうアプローチで行くかを少しの言葉で決める。消毒して着替えて。
もう慣れた作業ではあった。でも、いつでも緊張する作業だった。
それを乗り越えて迎える患者は、見た目もまだ青年で、大学生あたりだろうことが見て取れた。まだ生きるべき命であることは此処の誰もが認識している。出血性ショックで意識がないというわりには、投薬ですぐに落ち着いて取り戻したらしい、脈は安定し麻酔科の医師も問題ないと頷く。
なら、あとは出来ることをするだけなんだ。
まだ若くて、たぶんこんな風に病院には縁のないはずの青年。彼の腕をどうするか。
本来なら、生命活動の優先であるこの場面でも。
俺は。
(だいじょうぶ、真面目だけが取り柄、練習は、何度もしただろう)
繋げることを、選んだ。
綺麗な断面と適格な保存処置を施されたそれを見たときに、助手に入った医師と頷きあった。できる、と。
「……頑張ろう」
青年に語るように俺は呟いて、縫合する為の器具を手にした。
結果だけ言えば、恐ろしいほど上手くいった。麻酔の眠りからまだ醒めない青年に繋がれた電子機器の画面を見つめながら俺は増えてしまったカルテに必要事項を書き込んでいく。
まるで彼自身が、腕が、まだ繋がっていたいと言っているかのように、俺の手はするり、するりと細かい組織全てを繋げていった。自分でも吃驚するぐらい、細やかな作業をあっさりとやってのけてしまった。
彼の為に救急車を呼んで同伴した人間は家族ではないらしいが、連絡先を知っていると手際よく呼び出しをかけていった。俺は手術を担当した医者として話さないといけない。彼の腕のことを。
恐らく残ってしまう縫合痕、そして、繋がったとはいえ元通りに動くかはまだ分からないことを。憂鬱だ。実に憂鬱だった、だってまた「先生、どうにかして」だなんて言われる確率は彼の方がよっぽど高いのだ。
若いから。
彼は結局、22歳の社会人相当だった。近くの国立法大に通っていた、下手すれば俺なんかより数倍でかいことを成し遂げるかもしれない未来を持った司法試験の為に勉強していた学生。アルバイト先、ひいては就職先として探偵事務所に入り込んでいたらしく、そちらの方の証明書も出てきた。随分と、真面目な子だろうなと俺は思った。
そうしているうちに、廊下が騒がしくなってくる。来たんだろう、この子の家族が。
せめて礼儀は尽くさねばと、カルテをわきに抱え、席を立ち白衣のしわを伸ばす。タイミングよく入室のノックの音が響き、俺はどうぞ、と一言だけ零した。
がらり、と引き戸のそれが開かれても、飛びつくように来る母親の姿もそれを押し留める父親らしき姿もなかった。彼よりも、俺よりもいくつか年上だろう男性が二人、それよりかは少し若いだろう男性二人だけ、なんと片方は白衣を片手に持って、聴診器を白衣のポケットに押し込んでいる辺り同業者だ―――……、だった。
同業者が来たことに何よりも驚いてしまったが、一番年長らしき人が、脈拍を示すそれを見て安堵の息を吐く。
「うちの子がどうも、世話をかけまして……」
などと、心配はしているがそれよりもというような言いぶりで顔を上げたその人の顔に。
俺は、見覚えがあった。相手も恐らく記憶の端に引っかかったのだろう、少しだけ首を傾げた。
よく見れば、ここにいる全員が俺の記憶に引っかかった。あの時、父を助けてくれたのは、……。
言葉を無くしておろおろと視線を泳がせた俺に、同業者らしい、その人は額に浮いた汗を拭きとりながら眼鏡の位置を正して口を開いた。
「弟を助けていただき、ありがとうございました、先生」
何よりも当然だ、と言わんばかりの口ぶりに他の男性も頭を下げながら、ありがとうと口にする。その中でも、一番記憶に残っている琥珀の目をした彼は快活に笑いながら俺に近づく。
「腕切断って言ってたから、驚いたけど、……まさか繋げるとは思ってなかったわ。弟のこと、考えてくれたんですね、本当、ありがと」
そう言い切ると、彼らはわらわらと"弟"を囲むようにしてベッドに近づいて、まだ未覚醒の彼の頬を突いたりしている。
まるで、慣れているかのようだった。
残った、最年長らしきすらりとした背丈を持つおよそ日本人とは思えない顔立ちのいい男は、冷静に俺に向き直った。
「あいつらは放っておいて、お話して頂いても?」
あの時とは違って、お互い社会人としての口ぶりに、俺は一つ噛みしめてからカルテを確認する。そうして彼の具合を説明して、時折返される相槌に、とてもではないが緊張した面持ちのまま話しきる。
「……まあ、仕方ない。うん、腕が繋がっただけ運がいいな。いい医師にあたったようでよかった。痕は別に気にしないと思いますけど、運動とかはリハビリ次第……ですかね」
恐らくそうなると答えれば、あいまいになりがちな答えにもはっきりと頷いた彼は夕焼けが落ちて真っ暗になった窓の向こうを見やった。兄弟、それに囲まれるベッドと、俺たちが反射して映っている。
翌日、目を覚ました青年は己の腕が繋がっていることにまず驚きを示した。
曰く。
「繋がらなくても仕方ないと思ってました」
とだけ、呟いた。
その仕方ないにどれだけの事案が入っているのだとしても、きっと昔の俺以上に深い理由がある気がした。俺はこれを誇る気にはなれず、応急処置がよかったんだと口にしている。
それを知ったかのような口ぶりで、年相応とは言えない雰囲気をした青年はくすりと笑った。
「いえ、何より先生が繋げようとしてくださったから。面倒な手術だったでしょう、ありがとうございます」
こんなにも誰かの一件でたくさんの礼をもらったのは、初めてかもしれない。
そう思いながらもカルテを書き込む。
彼の名前は、「林沢 冬馬」という。


痕の残ってしまった腕も、別段前と変わらない動きをしている。最初こそ重く感じたが、それは一度切り離されて片方を失った軽さを体が覚えてしまったからだろうと自分で一人納得しながら、冬馬は真面目な顔でカルテに向き合っている先生の横顔を見ていた。
「よくなってるね」
そう呟いた声は安心で一杯だった、きっとこんな手術はそうないだろうし、当たり前だ。
「おかげさまで」
俺はそう呟いた。
俺の片腕は下手すればなくなっていたかもしれない、だなんて思ったりするけどそれはそれでいいぐらいには大切な何かを救い上げることができた。
腕の対価には十分すぎるほど重い情報を。それをつなぎとめてくれたこの若そうな医者には感謝の念しかない。だから、冬馬は一つ、礼代わりにこんな報告をした。
「先生、俺、受かったんですよ」
入院を余儀なくされて勉学を休まざるを得ず、大丈夫かと心配された国家試験。
「司法試験」に。
何に、と聞こうとしたのだろう彼は、思い至ったかのように、ああ、と口にした。
そして、とてもうれしそうに笑ってくれた。
別に何に感化されたとかそういうわけじゃなくって、興味を持っただけだったけれど。
一個の何かを手にした時こうして笑ってくれる人がいる幸せを、冬馬は知っていた。
家族、兄弟たち、親戚たち、みんな勉強が出来るけれど。
それでも俺がこうして物事をクリアしたときに、よくやったと褒めてくれる人がいるのなら。そんな人を増やせたなら。
だから、どんな小さなことでもいい。


俺にできることをしよう。

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