カメラ、写真に関連した漫画を紹介するWikiです。

著者ゆうきまさみ
掲載誌・連載時期週刊少年サンデー'85.34号〜'87.32号
単行本小学館文庫全5巻

 私が文筆をものするきっかけになった背景には「月刊OUT」の影響が多分にあると思われます。尤も読みはじめたのは「美少女戦士セーラームーン」の頃で、投稿をしようかどうか手を拱いている内に休刊になってしまいましたが。
 とかく読者コーナーが充実していたのが特徴で、
「○○についての定義付け」
「××して一言」
「『□□は△△だった』という書き出しでショートストーリーを作ろう」
 というテーマ投稿から、
「つげ義春氏の漫画を読むと、元ネタの分からないパロディの由来は大体これだと分かる」
「うちの社会科の先生はトライダーG7で経済の勉強をしたそうだ」
「花火を買ったらレシートに『音響機器』と書かれていた」
「某番組で出演者に大きな声でつっこんで、画面に顔をアップで映されたのは私です」
「公園で子供連れの外人さんにヴァイオリンで『キラキラ星』を弾いてあげたら『アリガトウ』と言ってもらった」
 という日常の面白い出来事までかなり広く読者に門扉を開いてました。自分の好きなことについて好き勝手語り合うというのが好きな私ですから、上記のような面白い話を書く自信こそなかったものの、セーラームーン特集ページ(私が贔屓にしている火野レイの人気が高かったので)と共に、読者コーナーは毎号の楽しみでした。結局「OUT」も、同じく読者コーナー主体だった「ファンロード」も休刊してしまった理由に、インターネットの普及でこういう話をブログやホームページで好きなように書けて没出しされることもないという事情があるのではないかと思ってます(これも時代の流れですな)。
 読者以外でも古谷徹氏や古川登志夫氏や山本正之氏がエッセイやフィクションストーリーを連載されてましたし、常連投稿者に武梨えり氏や奥谷かひろ氏がいらしたこともつとに有名です。そして本誌でデビューを飾って、当時からOUT読者からの多大な支持を受けて以降長らく第一線で活躍されているゆうきまさみ氏。この方のファンになるきっかけが、これから紹介する「究極超人あ〜る」という方は多いのではないでしょうか。私の高校の写真部においても備品として私が入った頃から少年サンデー版の単行本全9巻がアサヒカメラやカメラマンと一緒に本棚に並んでおり、部員の聖典とされておりました。私の高校における文化部の実情はこの漫画に登場する光画部、漫研、映研等の弱小クラブとさして変わらないような部員が個人の好きなように部活を楽しんでいる感じで、写真部もまさにそうでした。だもんだから我々の世代ばかりか、この漫画がリアル進行していた頃と高校時代がシンクロしていた私より2〜3年上のOBの皆様が光画部に共感しないはずもありません。流石に漫画に登場する超人野球(学校の階段で野球をする)や仮装して駅で修学旅行へ行く面々の見送りまではやらないにせよ、連絡ノートには読後の感想が書かれてました。
 では前置きはこれくらいにして本題に入りましょう。

 「リベラルな校風」を持つ春風高校の光画部が主な舞台。そして部員が夏休みの撮影旅行で出会った、どこか間の抜けた転校生でアンドロイドのR・田中一郎を主人公として繰り広げられる学園コメディ、というのが大筋です。ところがこの光画部というのが写真を撮ったりフィルムを現像したりするような描写などほとんどなく、やっている事と言えば他の運動部からガメてきたボールやグローブでスポーツをして、新入部員が来れば宴会を開き、撮影旅行では専ら海水浴やキャンプに興じて当の部活では学園祭の写真展は過去の作品で水増しし、修学旅行での卒業アルバム用記念撮影役を仰せつかったものの写っていたのは光画部員ばかりで他の学生の思い出は残されてやしないと顰蹙を買う(それも数少ない良識派の部員、堀川椎子の手で何とか解決したけど)。と、「ピントぴったし!」、「瞳のフォトグラフ」、「銀塩少年」のような写真部漫画というよりも実態は純然たる学園コメディです。これをリアル連載当時より遅れながらも読む機会を得た高校生の私は、下手の横好きで写真を撮っていた自分と彼らを重ね合わせるのを楽しみにしていて、その点は残念と思いはしました。
「何だ、お前らのやってることは全然写真部らしくないじゃないか」
 とは言うものの、何回も読んでいくうちにコメディの魅力で引き込まれていくのがこの漫画なんですなw。主人公のR・田中一郎を筆頭に誰にも勝負を挑みたがり、卑怯な手段を使ってでも勝とうとする鳥坂先輩、まともなようでその実下ネタとジョークの好きな大戸島さんご、後に後輩として登場する女装のはまる美少年の兵藤信、野球部に入ろうとするも光画部の策略で強引に入部させられる曲垣剛、生徒会長の妹で過度の世間知らずの西園寺えりか等どこか一般からはずれている部員の面々やその脇を固める方が魅力的なのは元より、知っている人にはニヤリとさせられるような笑いも随所に含まれてますし(例:ダイヤモンドアイ、ゴジラ、サンバルカン、広瀬中佐等々)。私は「クルクルくりん」のようなノリの軽いコメディ(あの漫画もパロディの宝庫でした)は好きでしたもん。パロディの元ネタを知らなくても笑えちゃうのがいいのですし、その後自身が蚕が桑を食べるが如く、ゆうき氏が無名時代「月刊OUT」や「アニパロコミックス」に執筆されていた漫画を買っては読むキッカケになりましたもの。うん、そうして元ネタが分からずとも笑ってもらってこそのパロディですね(しみじみ)。

 そんな訳でもっともらしい活動を本格的にして、カメラ、写真関係の薀蓄話も出てくるエピソードはぼちぼち終わりに入ろうかという78〜79話くらいです(例外としてRが修学旅行の撮影にミノルタAF-Sを使っているカットもありましたが)。まず78話でキヤノンニューF-1、ニコンF3という現在においても日本のカメラ産業を担う両巨頭の当時の旗艦機(今見てもなかなかかっこいいなあ)が登場し、それなら撮影会を開催しようという事で79話でそうなるのですが、これがまたカメラと言い「撮影の基本」と言い良くも悪くも個性的なのですな。カメラはキヤノンAE-1Pやどこにでもありそうな一眼レフならまだ良かったけど、マミヤユニバーサルプレスには私も仰天しました。6×9判が伸ばせる引伸ばし機なんてそうそうないでしょうに。またある部員は110判の玩具カメラを持って来てました。今でこそトイカメラブームなんてのもあって、それで作品を撮ってる方もいるしそういう方を私は否定はしませんが、飽くまでトイカメラはトイカメラとしてしか認識されてませんでしたしねえ。事実最初は110判フィルムが入っていたレンズ付きフィルム「写ルンです」が発売数年後に35ミリフィルム入りにグレードアップされてその後110判の元祖は世間様から忘れられていったではないですか?
 とどめに主人公R・田中一郎のカメラは何かと言えば木工細工の自作で、オートフォーカスはあるがシャッターを押すとレーザー光線や謎の怪光線が出る物騒なカメラでした(このネタはOVA版でもありましたね)。
 さて写真を撮ろうという段になっての講釈が、万人が認める通り偏りまくってます。アラサー同士寄ってあ〜る関連の話題が出れば必ず出てくるものですがw。
「トライXで万全」
「これを4号か5号で焼いてこそ味がでる」

「逆光は勝利!」
「世はなべて三分の一!」
「ピーカン不許可!」
「頭上の余白は敵だ!」

 写真の心得がないと何が何やらではあります。まあこの頃写真はまだ今ほど裾野が広がってるって訳でもなかったですし。高校の地理の授業で地元の歴史のある場所を回るプチ遠足をして後でレポートを書きなさいって時間があったのですが、私がレポートに使う写真を撮るために一眼レフを持って行ったらそれだけでもお前凄いじゃないかとまで言われたのですもの。

 '91年には飯田線を舞台に繰り広げられる騒動を描いたOVAが発売され、'01年には DVDも発売されてます。それに先駆けてドラマ収録のイメージアルバムCDも三枚出ました。ニコニコ動画にもそれを使ったMADがありますが、機会があるならこちらも見たり聞いたりしてください。

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