永遠の嘘をついてくれ
最終更新：ID:d2nh3AVkag 2020年07月07日(火) 01:34:09履歴
全ては始まったはずだった。
立ち塞がったロトの先祖達を斬り捨て、光の向こうへと吸い込まれていく。
その先には仲間達が待っている。
各々、差し向けられた“絶望”を薙ぎ倒してきっといるはずだ。
「全く、これで漸く終わりかな」
カインの頭にあったのはこれからの展望だった。
もっとも、それを考えるのは大元である“絶望”を倒してからだろう。
闇へと堕ちていく最中に見た光景ではロッシュが相対していたが、決着はついたのか。
「まぁ、ロッシュだしなぁ」
けれど、心配は全くしていない。
ロッシュならば例え“絶望”が相手であったとしても、余裕綽々といった表情で戦い、そして勝つはずだ。
生き残りの仲間達の中でも一二を争う強さを誇る彼ならば――きっと大丈夫である。
（どうせ、へらへらと笑っているんだろうな。想像も容易いね）
そんな、戯言じみたモノをつらつらと考えている内に光の向こうへと完全に吸い込まれたようだ。
原理はわからないが、五体満足で思考に曇りはない。
先程の四人を倒し、試練は乗り越えられたということなのか。
「やあ、カイン。君が一番乗りみたいだね」
「ロッシュ……？」
徐々に明かりが薄れ、視界が晴れていく。
闇で覆われているからはっきりはしないが、どうやら元の場所へと戻ってきたらしい。
視線を向けると、相も変わらずおちゃらけた笑顔が目に映る。
声をかけてきたのは“絶望”ではなく、やはり、ロッシュであった。
「アイツは、元凶の奴は？」
「うん、勿論倒したよ。僕がこの手でしっかりと」
だが、何かが違う。本能的にカインはロッシュが見せた今までの笑顔と何処かでズレを感じていた。
そして何よりも、いつもの笑顔の影に、嘘をつき続けたカインと同じ顔がある。
虚無の色しか湛えることのない鉱石のような瞳でありながら、その内面は酷く輝き滾っている。
強い意志で本当の自分自身を隠しているかのような表情だ。
「これで、全部終わりだね」
そう言って、ニッコリと笑う彼の姿はいつものおちゃらけた風を装っている。
何かを誤魔化すかのように、ふんわりとした笑顔だ。
「だから、カインは心配しなくても――」
普段通りの表情だというのに。
どうしてこんなにも今のロッシュに違和感を覚えてしまうのか。
喉に魚の骨が残っているかのようなむず痒さを受ける。
加えて、嘘つき同士にしかわからない微妙な差異を直感で感じてしまったのだ。
「ねぇ、ロッシュ」
瞬間、脳裏に過るのは数刻前に見た彼の素顔。
カインを一蹴したあの時に浮かべたロッシュの真実。
何も映っていない、誰も見ていない、無表情。
それは今の笑顔と通じるものがあって。
「何を隠しているの？」
「おいおい、僕が隠し事をするような奴だと思うかい？」
「そういう奴だろう。よく知っている。というかさ、前にも言っただろ」
正直、勘弁してほしいぐらいだ。
ロッシュと真正面から相対するのは気力がいる。
いつもは煙に巻いて昼行灯を演じる彼はその実、底の見えぬ強さを持っていることを。
カインは腰に携えた剣の柄に手を当てる。
次いで、刃が弧を描く。抜き放たれた王者の剣は変わらず美麗な銀色を誇り、カインの横顔をくっきりと映している。
「僕に嘘が通じると思うな。上っ面を見破るのは得意だってもう忘れたのかい？」
「あっはっは――――――――さすが、カインだねぇ」
そうして、彼は表面上に張り付けた笑顔を崩し、今度こそ本当に笑う。
目を細め、釣り上がった口元は三日月に歪み、くつくつと声を上げ蔑んでいた。
嘘つきに嘘をつくなんて、滑稽だと嘲笑う。
――気づかなければ、見破らなければ、生きていられたのに。
どうやら、自分は藪蛇を突いてしまったかのようだ。
しかし、このままロッシュに対して自分だけが黙っていれば、仲間達も同じく騙されていたはずだった。
ロッシュの思惑が読めない現状、それだけは避けなければならない。
「それじゃあ、用件だけをちゃちゃーっと言うよ？ 色々とやりたいことあるから、見逃してくれない？」
「はっ、できないね。放っていたら何をするかわからないんだ、お前は。やましいことじゃなければ、堂々と言えばいいんだから」
当然、彼の提案をカインは即座に拒否。
ここまで来て大人しく頷いておくなど、今更できない。
賽はとっくに投げられ、ロッシュをどうにかするといった決断はカインの中では決定事項だ。
場合によってはこの剣に懸けて、彼を止めなければならないのだ。
「そっか、そっか。断っちゃうか〜。どうしても、だめぇ？ 君達にはそこまでして邪魔する理由はないと思うけど？」
「くどい。元凶は滅ぼして、仲間も……全員生きている。今に他の皆もやってくるはずだ。
そうしたら、全員で元の世界に帰るんだ。どこに不満があるんだい？」
そう、仲間も全員生き残って、各々元の世界に帰る。
それが、一番まとまった終わり方であり、自分達にとって最良の結末なはずだ。
「交渉決裂、かぁ。なら、仕方ないね」
「――――ッ！」
瞬間、辺りに散っていた圧力が一気に固められた。
思わず、カインは後ろへ飛び退り剣の柄を強く握りしめる。
ふと彼を見ると、だらしのない表情はとっくに消え去り、その手には剣が携えられていた。
切っ先には殺意が充満して、煌めきも増している。
「君が僕の道を阻むなら、斬るしかない。半端に相手をするのは失礼だし、何より――そんなやわな手抜きで止まる君じゃあない。
そうなっちゃったら、選択肢は唯一つ。この手で、完膚無きまでに。カイン、君を殺すしかないよね」
刹那、ロッシュの姿が掻き消えた。
咄嗟に、握りしめた剣を前方へと向け、微かに見えた銀色に上手く合わせ振り翳す。
澄んだ剣閃がぶつかり合う。
眼前のロッシュはいつもの気障ったらしい笑みを浮かべ、そっと口ずさむ。
ついてこれるかい、と。それに、カインは舌打ちで返し、接敵。
踏み込んだ脚力が地面に伝わり、全身の血潮に伝わっていく。
「思惑はわかっているよ、仲間が来るまで食い止めるって感じ？ やっぱり君は“僕”だねぇ」
「いいや、僕は、“カイン”だ。この忌々しいロトの血も、僕が受け継いだものなんだ。
ロッシュ、お前と僕は決定的に違う」
少し前なら顔を真っ赤にしていた軽口も、今では鼻歌交じりに受け流せる。
ロトに対しては既に決着をつけた。
もう、ロトの名にも縛られることはない。
「……一皮むけたねぇ。心境の変化でもあったりした？」
「実はご先祖様達と剣を交わしてきたんだ。勿論、僕が勝ったけど」
「ふーん、ロトの血脈はもういいのかい？ あんなにも執着していたのに」
「ああ。否定した所で何も変わらない。その血も含めて、僕なんだから」
薙がれた剣筋を躱しながら、カインは慎重に機を見極める。
アレルとはまた違った強さを持つロッシュは正直、やりにくい。
まっすぐに力押しをするだけならまだしも、彼は搦手を多用する。
そんなことをしなくても強いのにもかかわらずだ。
「羨ましい限りだよ。確固たる自分を持てて、人生最絶頂ってやつかい？」
彼はこうして減らず口を叩き続けている。
まるで、道化のように高みから嘲笑っていた。
立っている場所が違う。今も、ロッシュはカインなど全く見ていない。
カインの先にある何か――彼の本質である“やりたいこと”だけをただ見つめている。
「どんなに口を弄しても、出てくるのは減らず口ばかり。そうやって本当のことを喋らないからムカつくんだよ」
軽やかに閃いた剣が火花を散らす。
二つの刃の舞踊が金属音を背景音にして戦場に鳴動し始めた。
凪いで、裂いて、貫いて、描いて。
何合か続いた剣閃も回数を増す毎に鋭さを増していく。
「答えろよ、ぶちまけろよ！ 僕達は、仲間じゃないのか！
お前が背負ってるモノが何か、僕は知らない。けれど、知ったら一緒に背負えるかもしれないだろ」
自然と話す言葉にも力が入る。
カインを始め、他の仲間達はある程度ではあるものの、自分が抱えているものを打ち明けている。
重りにしろ決意にしろ、何かしら譲れないと断ずる誓いをである。
されど、ロッシュはまだ、自分達に腹を割って言葉を交わしていない。
強いて言えば、カインに見せたあの一面ぐらいだろうか。
「ふざけるなよ、畜生っ！ 何カッコつけてるんだよ！」
元の世界で一緒だったテリーにさえも、その内はわからないままだ。
もうちょっと頼ってくれてもいいんじゃねぇか。
彼は少しだけ寂しそうに、そう言っていた。
「正直に話せって、思ったことをそのまま言えって言ってくれたのは、ロッシュじゃないか……！」
いつだってロッシュは誰かを救う側だった。
怒りも哀しみも全部受け止めて、それらの感情を前に向かわせるように誘導していた。
決して、その内を明かすこと無く、ロッシュは怖いぐらいに“勇者”であり続けた。
「だから、今度は僕の番だ。僕がお前を救う側に立つ」
けれど、その本質が嘘であったとしたら。
何かを抱えて、目的を最初から持った上で動いていたとしたら。
まだ見えていない真実が其処にあるはずだ。
そして、そんな彼に一番近いのは同じ嘘つきである自分だろう。
一度、彼と剣を交えた時、投げかけた言葉が今になって脳裏に浮かび上がる。
ロッシュはかつてのカインであり、妹を数度失っている。
そこから導き出される結論は、自然と理解できた。
「まさか、カインがそんなことを言うようになるとはねぇ。出会った頃からは想像もつかなかったよ。
いや、これでも褒めているんだ。今のカインは本当に――――――強くなった」
ロッシュが最良と言えない理由。
彼が幸せになるには、足りないピースが揃った。
「そこまで言うなら、冥土の土産代わりに聞かせようかな。とはいっても、僕の目的は変わらないけどね」
喪ったモノの再誕。
この世界に来る前から、ロッシュは喪っていた。
なんてことはない、悲劇が起こる前から彼は悲劇の中にいた。
故に、この殺し合いの中でも平常心を保つことができる。
他の誰よりも、他者を見て投げかけてほしい言葉を紡ぐのだ。
「まあ、とりあえずさ。僕の辿った旅路は大体知ってるでしょう？」
「テリーからも聞いたよ。それはもう、見事な勇者っぷりだったんだって」
「他の人でも務まるレベルでしかないボンクラさ、大したことじゃない」
その双眸に込められたのは何だったのか。
彼は“絶望”を倒し、何をなそうとしているのか。
「でも、そんなことはどうだっていい。そう、どうでもいいんだ。論点はそこじゃない」
魔王を倒す旅路をどうだっていいと言いのける程にロッシュの根幹はどうしようもなく重いのだろう。
じくじくと膿んだ彼の願いは飽和し、既に溢れているはずだ。
その証拠に、彼の表情に柔らかな笑顔はない。
言うならば、願い以外の総てを棄て、全力で願いを叶えにいく殉教者のようだった。
それに加えて、彼の口から語られる追想はあまりにも乾いていた。
第三者が語るかのように、ロッシュは客観的に物事を見過ぎている。
それがどこか恐ろしくて。
ロッシュの世界には何もないんじゃないかと不安になるぐらいだ。
「ねぇ、カイン。君はろくでもない牢獄みたいな故郷とはいうけれど、帰る場所がある。歪で腐り果てていても、待ってくれる人がいる
君自身を待ってくれる人が少しでもいるんだ」
激しさを増していく剣閃は幾重にも線を張り巡らせ、カインを押し殺していく。
防戦一方に陥っている現状、カインは致命傷を避けるだけで精一杯だった。
最初こそは互角に打ち合えると思っていた。
力量よりも消耗具合。
ロトの先祖四人を打ち倒し、満身創痍であるカインとは裏腹に、ロッシュには傷一つ見受けられない。
同じ自分とはいえ無傷で打ち勝ったロッシュの底知れなさを改めて感じる。
「でも、僕にはそんな場所も人も残されていない。僕じゃない“僕”がいるべき世界なんだ」
そして、均衡が破られた。
バイキルトでも唱えたのかと錯覚するぐらい威力を増した切り上げでカインの姿勢がふらついた。
刹那、背後に気配。いつのまにかに回り込んだロッシュに対処する余裕はなかった。
言葉を返す暇もなく、カインの視界は逆さまになる。
ロッシュは振り向きざまにカインの襟首を捻り上げ、そのまま片手で宙に浮かせてしまう。
そのまま勢いを止めること無くカインの身体を弧の軌道で地面に叩きつけた。
「諦めない。僕はその言葉だけを信じて此処までやってきた。ラブアンドピース、穏やかに流れる日常が欲しくて戦ってきた。
ああ、そうだ、夢に溺れて現実を投げ捨てた僕にとって、其処は紛れも無く楽園だった。
妹もいて、穏やかな故郷もあって――僕が本当に欲しかった世界が広がっていたんだ」
そして、追撃として振り下ろされた剣を上手く剣で合わせることで押し留める。
金属同士が擦れあう音が耳に入ってくる。
「けれど、皆、夢なんだ。居場所も大切な人達も消えてしまう、他の誰もが消すことを良しとした夢こそが――僕の本物だった。
大切なものは何もかもが夢だった。泡沫に消えることを定められた過去だったっ！」
そのまま振り抜かれ、カインの身体は宙を舞う。
何とか着地出来たと思ったら、ロッシュは即座に接敵している。
カインは即座に態勢を立て直し、防御の構えを取る。
限界を超えろ。余計な感覚は総て削ぎ落とせ。
繰り出される斬撃の雨を総て往なしながら、視線はロッシュから逸らさない。
「残されたのは僕じゃない“僕”の居場所だけ。必ず帰ってきてと願われているのは……僕じゃない“僕”だ。
それじゃあ、僕は帰ってこなくていいのかなあ？ それ以前に、僕の居場所は其処にあるのかなあ？」
「……あるさ。ロッシュが望めば、あるんだ。居場所はあるんじゃない、作るものだから」
凪いで、吹き飛ばされる。
牽制代わりに撃ち放った突きも安々と弾かれ、カインの身体は金属音と共に後方へと吹き飛ばされる。
勝てない。カインはロッシュに、決して勝てない。
コンディションの差もあるが、覚悟の開きが圧倒的だ。
カインにロッシュを殺すつもりはないが、ロッシュはカインを殺す気である。
殺意という付随物は両者の戦いに大きな開きを見せる。
「カイン、君の言ってることは正しいよ。喪ったモノは二度と帰ってこない。
覆してはいけないものが絶対にある、その証を拭うのは禁忌であり咎である。
ああそうさ、居場所なんて作ればいい！
世界を狭める必要なんか無いし、いつかはきっとって願えば――なんてさ。ああ、正しいことぐらい理解している」
拙い頭を総動員させ、カインは思考を重ねる。
このまま劣勢となってしまっては、何も成せない。
吹き荒ぶ剣風の嵐に顔を苦くしながら、ロッシュを睨む。
全ての作業を終えたかのような表情をしている彼にカインの怒りは収まらなかった。
「けれど、僕は新しい居場所よりも、元の居場所が欲しいんだ。青臭い瑞々しい楽園が、一番なんだよ」
側頭部から斬り込まれてくる剣閃を弾き返しながら、カインは譲らない。
決して、後ろへと下がらないし倒れてなるものか。
死と隣合わせの極限状態であっても、意志は離さない。
「身勝手な理想だよね。確定した終末をひっくり返すのに、過去も現在も未来も塗り替えるなんて。
変わらざるをえないのは自分だった、そうさ変わらなくちゃ狂ってしまう！ それしか選択肢がないことに絶望して！
模範解答を選ぶことで満足する道しかない現状にさあ！」
改めて、気づいてしまう。
どうしようもなく、彼はまっすぐだ。
故に、戻ることができない。
何故、彼を止められる奴がいなかったのか。
否、止められる仲間はいたはずだ。
全てが夢に消えるものだった。
避けられぬ喪失だったのだ。
「僕は此処に来て確信したよ。選択肢の広がりを、ね。
諦める必要なんて無い、何かを捨てる必要なんてない！
僕を認めないなら世界も過去も現在も――全部変えてしまえばいいんだってね。
偏に言って我儘さ。到底満点の解答じゃない、バツが付けられるものだ」
ただ一人、夢の為なら。
結局、ロッシュはだだをこねたに過ぎない。
他の誰もが納得し、折り合いをつけた事象を認めないと突っぱねたのだ。
彼は、言葉の通り、やりたいことしかやらない質だった。
困っている人を助けるのも、誰かを護るのも、魔物を討つのも、世界を救うのも――全部、彼がやりたかっただけであって。
「その願いを叶えるということは、僕らが辿った旅路すら踏み台となってしまう。
当然、この世界で起きた何もかもを真っ白にすることも孕んでいる。
君が誓った妹への愛も、育んだ友情も、全てを台無しにする最低の所業だ」
だって、その手は――人間の手だから。
握ってやれる、離さないでいるには彼の力は弱すぎたから。
「でも、そんなのは願いの前では瑣末なことだ。
夢が夢のままで在り続けることが許されるなら。
無くしてしまった未来を見れるなら。
彼女が流した血の涙を、僕が拭ってやれるなら。
夢の中でしか生きれない彼女達が、僕を見てくれるなら」
なればこそ、選ぶしかなかった。
大切な人達がいる世界が救えるチャンスがほんの一欠片でも残っていたなら。
そこに懸けるしかなかった。
「僕は、選んだよ。世界に引かれた境界線でさえも曖昧にして、総てを夢のままで維持することを選ぶ」
帰る故郷も待ち人もいない世界に戻るぐらいなら、彼は――“魔王”となろう。総てを意のままに動かす“悪”でいい。
零さざるを得なかったモノがあったから。
それを拾うことが悪なら、ロッシュは悪を成す。
他者を害してでも、幸せになりたいと焦がれる心に、正直になる。
「カイン。君は選ぶべきだ。僕を殺すか、殺さないか。でないと、何にもできずに死んじゃうよ？」
もう問いかけは済んだし、答えも得た。
言葉に出さずともわかっている。
カインは、そんな“悪の魔王”を放置なんて出来ない。
前に進むことを彼らに誓ったカインは、その願いを否定しなければならない。
「殺さないさ。さっきも言っただろ、起こった死はもう変えちゃいけないものだ。
仲間が死んで、妹が死んで。その度に僕は苦しんだ。けれど、それでも乗り越えるって決めたんだ。
それこそが、人間として生きる上で大切なことだって知ったから！」
そうでなければ、嘘になる。
あの時流した涙も、あの時伝えてくれた“ありがとう”も、死に際に託してくれた未来も。
生きていく意味を知ったからには、それを履行するのが自分の役目だ。
「…………君も、死にゆく全てを受け入れたものが美しいなんて語るのかい」
「美しいとかじゃない。それが、僕達が背負わなければならない、正しさだからだ。
他の全てを誤魔化しても、これだけは誤魔化しちゃ駄目なんだよ。
僕達は、死んでしまった彼らの分まで――世界を見なくちゃいけない」
何が本当で、何が嘘か。
きっと、大切な論点はそこではなく、自分が貫きたいモノが定まっているのかについてだ。
今も褪せない“最後”は、カインをここまで押し上げるに至った。
時には優しく、時には強く。
彼らの思いはずっと、自分の背中を押してくれた。
故に、カインの剣は彼らの意志と共に在る。
貫くのは自分と仲間達が誓った明日へと進む勇気。
迷いは、ない。
「止めるよ、ロッシュ。僕達は仲間だから、さっ！」
「……止めれるものなら、ね」
光の雷と強嵐を剣に纏わせて、受け継がれた剣技を振るう。
ロトの末裔の生き残りが振るう絶技が剣の秘伝書を糧に、発動される。
全身に加重された痛みと疲れを無視し、カインは地面を蹴り上げて疾走を開始する。
改めて振り返ると、この空間は現実感に乏しかった。辺り一面は闇で染まっているのに、ロッシュの姿は明瞭だ。
地面もきちんと踏み締めることができ、まるで大地の上に立っているようだった。
そして、空気は冷たくて、静かだ。二人の振るう剣閃の鳴き声と呼吸の音しか此処では聞こえない。
夢か、現か。今自分がいる世界は一体どこなのだろう、と。
関係ない。今は眼前にいる馬鹿野郎を止めることだけを念頭に入れておけばいい。
駆ける、懸ける、翔ける。
自慢の素早さを最大限に利用し、目的の仲間目掛けて一直線だ。
目線は変わらずロッシュを向いている。向かう先も間違えていない。
後は、光よりも速く、この斬撃をぶちまけてロッシュの目を覚まさせるだけだ。
「ギガ――ッ！」
いつだって、自分は後悔してばかりだった。
ハーゴン討伐の旅に出た時も、もょもと達が死んでいく時も。
肝心な時に決断が遅れ、迷っている間に事態は悪化してしまう。
だからこそ、今度はもう迷わない。
自分がすべきこと、貫きたいこと。それらに嘘をつかないように。
絶対に、止める。自分が乗り越えられたことだ、ロッシュにできないはずがない。
「ブレイクッ！！！」
けれど、心の奥底でほんの少しばかり、諦観が混じっているのは否定できなかった。
満身創痍であるカインと比べて、ロッシュは全く消耗していない。
どう足掻いても、自分はここで死ぬ。
万が一にもダメージを与えることができても、ロッシュを止めるには至らないだろう。
カインの道はどうしようもなく詰んでいる。
「断ち切れろ、ギガスラッシュ」
飽和して今にも弾けそうな重く澱んだ空気の中、二つの雷光が交差する。
総てを撃ち貫く風雷を纏わせた絆の一撃と眼前の障害物を薙ぎ払う勇者の一撃。
闇を明るく照らす雷光が辺りにショートする。
散った火花がまるで星屑のように綺麗に彩られ、まるで夜空のようだ。
「貫けぇえぇぇえぇぇぇぇ！！！！！！」
口から漏れ出した叫び声は、言外に渾身の一撃を表していた。
涼しい顔をしているロッシュと違い、カインはいっぱいいっぱいだ。
なけなしの魔力を懸けた一撃はカインにとって最高の一太刀である。
雷光の塊は衝突し、咆哮を上げ、拡散されていく。
そして、互いに上段から振り下ろした雷光は破裂し、世界を震撼させ、消えていく。
「二重奥義――っ！」
だが、カインにはまだ続きがある。
炸裂させるトドメの一撃は一つじゃない。
受けるものを焼き尽くす槍の奥義――ジゴスパーク。
片方の手に握ったメタルキングの槍には既に装填されている。
「爆ぜろ、獄雷っ！！ジゴ、スパーーーーーークッ！！！！」
推して受けよ、本気の想いを。
相手は大技を使った後で、瞬時に対応できないはずだ。
加えて、放つのは秘伝書に記されていたとっておきの奥義、太刀打ちするにはそれなりの技で受け止めなければならない。
（その一瞬を、突く！）
ジゴスパークを対処する僅かの隙で、決める。
強張った顔を無理やり締め直し、膨れ上がった力を足に込めて――――！
「飲み込め、黒雷。ジゴスパーク」
ポッキリと、力の源が折れた。
決死の思いで放った秘奥義が、あっさりと相殺された。
カインの動きが、止まる。
今にも駆け出しそうな身体に、急停止の信号が鳴り響く。
「悪いね、そのとっておきらしい技――僕は使えるんだよ。秘伝書なしで」
必中と確信した攻撃が呆気無く防御されるなど、誰が予想ができようか。
カインにとって唯一無二と信じていた一撃は、
その致命的な隙をロッシュが見逃すはずもなく。
「終わりだ、カイン。君を殺すことで、僕は覚悟を更に固められる」
剣が突き出される。悲しそうに、ロッシュが笑う。
最後の剣閃を躱せないカインの拙さに対してなのか、それともこうすることでしか貫けない自分の拙さに対してなのか。
つながりが、絶たれる。
力を喪った身体が、血飛沫と悲鳴を上げた。
音が聞こえなくなっていく、色が褪せていく、世界は狭まっていく、夢が消えていく。
「だから、安心して――死ね」
肉を貫く音が、耳に入る。
力強くはない。美しくはない。優しくさえもない。
だが、その音色はひどく切ない。
腹部を貫いた剣が寸分の違いなく、急所を抉っていた。
回復呪文で治る傷ではない、致命傷だ。
遅れてやってくる激痛は体内の汗を根こそぎ奪い、視界を点滅させる。
体の力が血と共に抜けていく。闇の中に、血河が流れ出す。
掌から柄が零れ落ち、だらりと手首が地面を向いている。
「君が僕を殺す気でいたら、もっと切迫していたと思う。カイン、君の中で僕は――そこまで救うに値するモノだったのかい？」
「はっ……仲間、なんだ、当たり前、だろ。僕は、もう……仲間を信じずに後悔するのは、嫌なんだよ」
横薙ぎに引き抜かれた身体から噴出する鮮血がロッシュを赤く染める。
痛みを訴える声が、辺りに響いた。
カインは膝をつき、そのままうつ伏せに倒れようと体の力を抜く。
そう、それで、終わりだ。
この勝負は――ロッシュの勝ちであり、カインの負けである。
後は潔く、他の仲間達に任せたらいい。
「生憎と、ここで倒れたらさぁ……ッ！ 嘘つきはお前一人になっちゃう、だろ？
そんな可哀想な環境に、嘘つき一人って、惨め、じゃん？」
口から吐き出された血塊は決して見逃せる量じゃない。
血に染まった剣はこのまま放置していると錆となって朽ち果てるだろう。
腹部の傷から見える臓器は破裂し、今にも零れ落ちそうだ。
だが、倒れない。カインは未だ両足で立っていた。
ロッシュの視線をしっかりと受け止め、その双眸で見返している。
「はは、ははっ！ それもそうだね！ カインにしては気が利いてるねぇ〜」
「そうだろ？ 僕は、これでも気遣いだけは完璧なんだ。昔から、本当に、昔から……さ」
流した血液はどれほどだろうか。
満身創痍を通り越して、死に体同然の身体はもう思うように動かない。
視界は薄れ、手の力は気を抜くとどこまでも緩慢になってしまいそうだ。
「だから、お前を止めて、みんなと一緒に、帰るんだよ。どうしようもない世界に、手ぇ、引っ張ってさ」
ポッカリと空いた穴は風通しがいいのか、空気が流れる音が聞こえてくる。
喪われていく。今まで培ってきたモノが、抜け落ちていく。
グチャグチャに潰れた内蔵はとっくに機能を停止していた。
今も、声が出せることに不思議を覚えるくらいだ。
奇跡。ありふれた言葉ではあるが、最後に神様がくれた機会を有難く受け取ろう。
「現実でも、いつかは夢に、なるじゃないか」
一歩。吐き出した血の海に足が取られそうになった。
二歩。持っていた王者の剣が地面に落ちた。
三歩。腹部からずれ落ちた臓器を踏み潰した。
四歩。視界にはもはやロッシュしか映っていない。
五歩。最後の力を振り絞って、握り拳を作る。
六歩。ロッシュの頬目掛けて、思い切り振り抜いた。
「言ったはずだよ。僕には帰る場所も待ってくれる人も残されていない」
振り抜いた拳はロッシュへと届いた。
子供が戯れで繰り出す弱さの結晶のような拳であったが、確かに届いたのだ。
ぽすんと、軽い音が鳴った。接着剤で張り付いたかと思うぐらい、カインの拳はロッシュから離れない。
残った生命を使ったトドメの一撃は、ロッシュへと一発食らわすことができたのだ。
「諦めない、絶対に。君達を斬り捨ててでも、僕は願いを叶えるよ」
けれど、それは別の言葉で言い換えると、避ける価値さえないということだ。
身体の芯から絞り出したかのようなか細い声だった。
受けた拳を振り払うことなく、ロッシュの表情は淡々としていた。
彼の双眸に雫はない。頬に伝った涙跡もない。
「馬鹿、だよ。出会った時から、今まで――ずっと、ずぅっと……一人で抱えて。
素直に、助けてくれ、って、言えよ。そんな、取り繕った無表情、似合わないんだよ。
いつもみたいに、ラブアンドピースって馬鹿みたいに連呼して、笑え、よ……っ！」
対称的に、地面へとずれ落ちていくカインの目には涙が溜まっていた。
本気で自分に向かい合ってくれた証拠だ、その想いに報いることは出来ないが、尊いものである。
カインの言葉は、ロッシュには染み渡らない。
理解はされど、受け止められない。
ただ、それだけの話だった。
ロッシュは倒れゆくカインに対して一瞥し、終わりの世界へと進んでいく。
別れの言葉は、ない。ありがとうもさようならも、ない。
黙って背中を向いて、一人の旅路を突き進む。
涙は、今も溢れなかった。
そんな自分が、少しだけ嫌になった。
◯
血の海に沈み、カインは笑みを浮かべた。
否、既に自分が笑っているかどうかすら定かではない。
感覚もなくなり、視界も真っ暗でロッシュの姿も消えている。
ゆっくりと、しかし着実に。
死へと向かっている自分の身体に対してため息をついた。
結局、カインは止められなかった。
ロッシュの進む道を少しだけ遮ったに過ぎない。
後悔も残るが、自分にできることは総てやり尽くした。
後は、残りの仲間達が彼を押し留めてくれることを願う他ない。
「ねぇ、アイラ、もょもと、あきな、リア。僕、頑張れたかなあ」
朧気な意識で呟いた言葉は思いの外、はっきりと認識できた。
無茶ばかり、あれから自分はどれだけ変われただろうか。
彼らの意志を継いで戦ったはいいものの、それが本当に誇れるものかどうかはわからない。
継ぎ接ぎだらけの理想に、張りぼての勇気。
そんな弱くて浅ましいカインでも護りたかったモノがこの胸にある。
「君達に誇れるぐらい、真っ直ぐに、生き抜いたかなあ……っ！」
彼らの意志に恥じぬ生き方をしたかった。
カインは仲間を護れなかった人間だ。
結んだ想いを引き継ぎ、貫くことしか道が残されていなかった人間だ。
まさしく、期待外れ。カインは彼らの期待――生きてほしいという願いに応えられなかった。
最低だ、物語の終わりとして失笑ものだ。
しかし、涙は溢れなかった。この結末を満足しているのか、表情は死んでいないはずだ。
だから安心して――。
「…………幾ら待たせたからってさ、君達、出てくるの早過ぎ」
どうやら、安心が過ぎているようだ。
ふと顔を上げると二人の少年少女が此方を振り返り手を差し伸べていた。
蒼の少年と朱の少女。
此処に来る前は嫌というぐらいに顔を見合わせた仲間だ。
少年は無愛想ながらも頬に赤みがあり、少女は困ったように笑っている。
「その、なんだ……おつかれ」
「お、お、おちゅかれしゃまでした！」
黄泉路ぐらい、静かに歩きたいのに。
どうやらこの二人のお守りはまだまだ続きそうだ。
「はいはい、ありがと。それよりさ、君達に言いたいこと、たくさんあるんだ。
まあ、歩きながらのんびり話そうよ」
差し伸べられた手を握り返し、カインは勢い良く立ち上がる。
そのまま彼らの横に並び、朗らかな表情を見せた。
「ああ。それともう一つ、待ち人がいる」
「ずっと、ずっとお兄ちゃんが来るまで此処にいるの！って言ってたんですよ」
歩くような速さでいい。
長い、長い路を“四人”で進み、彼らとの本当の旅路を始めよう。
もう彼らに対して嘘をつく必要もないし、壁も取り払われた。
くだらないことに一喜一憂できる子供に、戻れたから。
「約束、したからな」
遠くに映る一人の少女にカインは言葉を紡ぐ。
懐かしそうにはにかんで、笑う。
「ずっと、一緒だって」
血脈に縛られた『ロト』は、もういない。
【カイン（サマルトリアの王子）＠DQ2 死亡】
【残り5人】
【"夢"】
【ロッシュ＠DQ6】
[状態]：健康、“絶望”を掌握
[装備]：銀河の剣＠DQ9、トルナードの盾@DQ7、星降る腕輪@DQ3
[道具]：支給品一式、剣の秘伝書@DQ9
[思考]：諦めない。夢を、かなえるために。
立ち塞がったロトの先祖達を斬り捨て、光の向こうへと吸い込まれていく。
その先には仲間達が待っている。
各々、差し向けられた“絶望”を薙ぎ倒してきっといるはずだ。
「全く、これで漸く終わりかな」
カインの頭にあったのはこれからの展望だった。
もっとも、それを考えるのは大元である“絶望”を倒してからだろう。
闇へと堕ちていく最中に見た光景ではロッシュが相対していたが、決着はついたのか。
「まぁ、ロッシュだしなぁ」
けれど、心配は全くしていない。
ロッシュならば例え“絶望”が相手であったとしても、余裕綽々といった表情で戦い、そして勝つはずだ。
生き残りの仲間達の中でも一二を争う強さを誇る彼ならば――きっと大丈夫である。
（どうせ、へらへらと笑っているんだろうな。想像も容易いね）
そんな、戯言じみたモノをつらつらと考えている内に光の向こうへと完全に吸い込まれたようだ。
原理はわからないが、五体満足で思考に曇りはない。
先程の四人を倒し、試練は乗り越えられたということなのか。
「やあ、カイン。君が一番乗りみたいだね」
「ロッシュ……？」
徐々に明かりが薄れ、視界が晴れていく。
闇で覆われているからはっきりはしないが、どうやら元の場所へと戻ってきたらしい。
視線を向けると、相も変わらずおちゃらけた笑顔が目に映る。
声をかけてきたのは“絶望”ではなく、やはり、ロッシュであった。
「アイツは、元凶の奴は？」
「うん、勿論倒したよ。僕がこの手でしっかりと」
だが、何かが違う。本能的にカインはロッシュが見せた今までの笑顔と何処かでズレを感じていた。
そして何よりも、いつもの笑顔の影に、嘘をつき続けたカインと同じ顔がある。
虚無の色しか湛えることのない鉱石のような瞳でありながら、その内面は酷く輝き滾っている。
強い意志で本当の自分自身を隠しているかのような表情だ。
「これで、全部終わりだね」
そう言って、ニッコリと笑う彼の姿はいつものおちゃらけた風を装っている。
何かを誤魔化すかのように、ふんわりとした笑顔だ。
「だから、カインは心配しなくても――」
普段通りの表情だというのに。
どうしてこんなにも今のロッシュに違和感を覚えてしまうのか。
喉に魚の骨が残っているかのようなむず痒さを受ける。
加えて、嘘つき同士にしかわからない微妙な差異を直感で感じてしまったのだ。
「ねぇ、ロッシュ」
瞬間、脳裏に過るのは数刻前に見た彼の素顔。
カインを一蹴したあの時に浮かべたロッシュの真実。
何も映っていない、誰も見ていない、無表情。
それは今の笑顔と通じるものがあって。
「何を隠しているの？」
「おいおい、僕が隠し事をするような奴だと思うかい？」
「そういう奴だろう。よく知っている。というかさ、前にも言っただろ」
正直、勘弁してほしいぐらいだ。
ロッシュと真正面から相対するのは気力がいる。
いつもは煙に巻いて昼行灯を演じる彼はその実、底の見えぬ強さを持っていることを。
カインは腰に携えた剣の柄に手を当てる。
次いで、刃が弧を描く。抜き放たれた王者の剣は変わらず美麗な銀色を誇り、カインの横顔をくっきりと映している。
「僕に嘘が通じると思うな。上っ面を見破るのは得意だってもう忘れたのかい？」
「あっはっは――――――――さすが、カインだねぇ」
そうして、彼は表面上に張り付けた笑顔を崩し、今度こそ本当に笑う。
目を細め、釣り上がった口元は三日月に歪み、くつくつと声を上げ蔑んでいた。
嘘つきに嘘をつくなんて、滑稽だと嘲笑う。
――気づかなければ、見破らなければ、生きていられたのに。
どうやら、自分は藪蛇を突いてしまったかのようだ。
しかし、このままロッシュに対して自分だけが黙っていれば、仲間達も同じく騙されていたはずだった。
ロッシュの思惑が読めない現状、それだけは避けなければならない。
「それじゃあ、用件だけをちゃちゃーっと言うよ？ 色々とやりたいことあるから、見逃してくれない？」
「はっ、できないね。放っていたら何をするかわからないんだ、お前は。やましいことじゃなければ、堂々と言えばいいんだから」
当然、彼の提案をカインは即座に拒否。
ここまで来て大人しく頷いておくなど、今更できない。
賽はとっくに投げられ、ロッシュをどうにかするといった決断はカインの中では決定事項だ。
場合によってはこの剣に懸けて、彼を止めなければならないのだ。
「そっか、そっか。断っちゃうか〜。どうしても、だめぇ？ 君達にはそこまでして邪魔する理由はないと思うけど？」
「くどい。元凶は滅ぼして、仲間も……全員生きている。今に他の皆もやってくるはずだ。
そうしたら、全員で元の世界に帰るんだ。どこに不満があるんだい？」
そう、仲間も全員生き残って、各々元の世界に帰る。
それが、一番まとまった終わり方であり、自分達にとって最良の結末なはずだ。
「交渉決裂、かぁ。なら、仕方ないね」
「――――ッ！」
瞬間、辺りに散っていた圧力が一気に固められた。
思わず、カインは後ろへ飛び退り剣の柄を強く握りしめる。
ふと彼を見ると、だらしのない表情はとっくに消え去り、その手には剣が携えられていた。
切っ先には殺意が充満して、煌めきも増している。
「君が僕の道を阻むなら、斬るしかない。半端に相手をするのは失礼だし、何より――そんなやわな手抜きで止まる君じゃあない。
そうなっちゃったら、選択肢は唯一つ。この手で、完膚無きまでに。カイン、君を殺すしかないよね」
刹那、ロッシュの姿が掻き消えた。
咄嗟に、握りしめた剣を前方へと向け、微かに見えた銀色に上手く合わせ振り翳す。
澄んだ剣閃がぶつかり合う。
眼前のロッシュはいつもの気障ったらしい笑みを浮かべ、そっと口ずさむ。
ついてこれるかい、と。それに、カインは舌打ちで返し、接敵。
踏み込んだ脚力が地面に伝わり、全身の血潮に伝わっていく。
「思惑はわかっているよ、仲間が来るまで食い止めるって感じ？ やっぱり君は“僕”だねぇ」
「いいや、僕は、“カイン”だ。この忌々しいロトの血も、僕が受け継いだものなんだ。
ロッシュ、お前と僕は決定的に違う」
少し前なら顔を真っ赤にしていた軽口も、今では鼻歌交じりに受け流せる。
ロトに対しては既に決着をつけた。
もう、ロトの名にも縛られることはない。
「……一皮むけたねぇ。心境の変化でもあったりした？」
「実はご先祖様達と剣を交わしてきたんだ。勿論、僕が勝ったけど」
「ふーん、ロトの血脈はもういいのかい？ あんなにも執着していたのに」
「ああ。否定した所で何も変わらない。その血も含めて、僕なんだから」
薙がれた剣筋を躱しながら、カインは慎重に機を見極める。
アレルとはまた違った強さを持つロッシュは正直、やりにくい。
まっすぐに力押しをするだけならまだしも、彼は搦手を多用する。
そんなことをしなくても強いのにもかかわらずだ。
「羨ましい限りだよ。確固たる自分を持てて、人生最絶頂ってやつかい？」
彼はこうして減らず口を叩き続けている。
まるで、道化のように高みから嘲笑っていた。
立っている場所が違う。今も、ロッシュはカインなど全く見ていない。
カインの先にある何か――彼の本質である“やりたいこと”だけをただ見つめている。
「どんなに口を弄しても、出てくるのは減らず口ばかり。そうやって本当のことを喋らないからムカつくんだよ」
軽やかに閃いた剣が火花を散らす。
二つの刃の舞踊が金属音を背景音にして戦場に鳴動し始めた。
凪いで、裂いて、貫いて、描いて。
何合か続いた剣閃も回数を増す毎に鋭さを増していく。
「答えろよ、ぶちまけろよ！ 僕達は、仲間じゃないのか！
お前が背負ってるモノが何か、僕は知らない。けれど、知ったら一緒に背負えるかもしれないだろ」
自然と話す言葉にも力が入る。
カインを始め、他の仲間達はある程度ではあるものの、自分が抱えているものを打ち明けている。
重りにしろ決意にしろ、何かしら譲れないと断ずる誓いをである。
されど、ロッシュはまだ、自分達に腹を割って言葉を交わしていない。
強いて言えば、カインに見せたあの一面ぐらいだろうか。
「ふざけるなよ、畜生っ！ 何カッコつけてるんだよ！」
元の世界で一緒だったテリーにさえも、その内はわからないままだ。
もうちょっと頼ってくれてもいいんじゃねぇか。
彼は少しだけ寂しそうに、そう言っていた。
「正直に話せって、思ったことをそのまま言えって言ってくれたのは、ロッシュじゃないか……！」
いつだってロッシュは誰かを救う側だった。
怒りも哀しみも全部受け止めて、それらの感情を前に向かわせるように誘導していた。
決して、その内を明かすこと無く、ロッシュは怖いぐらいに“勇者”であり続けた。
「だから、今度は僕の番だ。僕がお前を救う側に立つ」
けれど、その本質が嘘であったとしたら。
何かを抱えて、目的を最初から持った上で動いていたとしたら。
まだ見えていない真実が其処にあるはずだ。
そして、そんな彼に一番近いのは同じ嘘つきである自分だろう。
一度、彼と剣を交えた時、投げかけた言葉が今になって脳裏に浮かび上がる。
ロッシュはかつてのカインであり、妹を数度失っている。
そこから導き出される結論は、自然と理解できた。
「まさか、カインがそんなことを言うようになるとはねぇ。出会った頃からは想像もつかなかったよ。
いや、これでも褒めているんだ。今のカインは本当に――――――強くなった」
ロッシュが最良と言えない理由。
彼が幸せになるには、足りないピースが揃った。
「そこまで言うなら、冥土の土産代わりに聞かせようかな。とはいっても、僕の目的は変わらないけどね」
喪ったモノの再誕。
この世界に来る前から、ロッシュは喪っていた。
なんてことはない、悲劇が起こる前から彼は悲劇の中にいた。
故に、この殺し合いの中でも平常心を保つことができる。
他の誰よりも、他者を見て投げかけてほしい言葉を紡ぐのだ。
「まあ、とりあえずさ。僕の辿った旅路は大体知ってるでしょう？」
「テリーからも聞いたよ。それはもう、見事な勇者っぷりだったんだって」
「他の人でも務まるレベルでしかないボンクラさ、大したことじゃない」
その双眸に込められたのは何だったのか。
彼は“絶望”を倒し、何をなそうとしているのか。
「でも、そんなことはどうだっていい。そう、どうでもいいんだ。論点はそこじゃない」
魔王を倒す旅路をどうだっていいと言いのける程にロッシュの根幹はどうしようもなく重いのだろう。
じくじくと膿んだ彼の願いは飽和し、既に溢れているはずだ。
その証拠に、彼の表情に柔らかな笑顔はない。
言うならば、願い以外の総てを棄て、全力で願いを叶えにいく殉教者のようだった。
それに加えて、彼の口から語られる追想はあまりにも乾いていた。
第三者が語るかのように、ロッシュは客観的に物事を見過ぎている。
それがどこか恐ろしくて。
ロッシュの世界には何もないんじゃないかと不安になるぐらいだ。
「ねぇ、カイン。君はろくでもない牢獄みたいな故郷とはいうけれど、帰る場所がある。歪で腐り果てていても、待ってくれる人がいる
君自身を待ってくれる人が少しでもいるんだ」
激しさを増していく剣閃は幾重にも線を張り巡らせ、カインを押し殺していく。
防戦一方に陥っている現状、カインは致命傷を避けるだけで精一杯だった。
最初こそは互角に打ち合えると思っていた。
力量よりも消耗具合。
ロトの先祖四人を打ち倒し、満身創痍であるカインとは裏腹に、ロッシュには傷一つ見受けられない。
同じ自分とはいえ無傷で打ち勝ったロッシュの底知れなさを改めて感じる。
「でも、僕にはそんな場所も人も残されていない。僕じゃない“僕”がいるべき世界なんだ」
そして、均衡が破られた。
バイキルトでも唱えたのかと錯覚するぐらい威力を増した切り上げでカインの姿勢がふらついた。
刹那、背後に気配。いつのまにかに回り込んだロッシュに対処する余裕はなかった。
言葉を返す暇もなく、カインの視界は逆さまになる。
ロッシュは振り向きざまにカインの襟首を捻り上げ、そのまま片手で宙に浮かせてしまう。
そのまま勢いを止めること無くカインの身体を弧の軌道で地面に叩きつけた。
「諦めない。僕はその言葉だけを信じて此処までやってきた。ラブアンドピース、穏やかに流れる日常が欲しくて戦ってきた。
ああ、そうだ、夢に溺れて現実を投げ捨てた僕にとって、其処は紛れも無く楽園だった。
妹もいて、穏やかな故郷もあって――僕が本当に欲しかった世界が広がっていたんだ」
そして、追撃として振り下ろされた剣を上手く剣で合わせることで押し留める。
金属同士が擦れあう音が耳に入ってくる。
「けれど、皆、夢なんだ。居場所も大切な人達も消えてしまう、他の誰もが消すことを良しとした夢こそが――僕の本物だった。
大切なものは何もかもが夢だった。泡沫に消えることを定められた過去だったっ！」
そのまま振り抜かれ、カインの身体は宙を舞う。
何とか着地出来たと思ったら、ロッシュは即座に接敵している。
カインは即座に態勢を立て直し、防御の構えを取る。
限界を超えろ。余計な感覚は総て削ぎ落とせ。
繰り出される斬撃の雨を総て往なしながら、視線はロッシュから逸らさない。
「残されたのは僕じゃない“僕”の居場所だけ。必ず帰ってきてと願われているのは……僕じゃない“僕”だ。
それじゃあ、僕は帰ってこなくていいのかなあ？ それ以前に、僕の居場所は其処にあるのかなあ？」
「……あるさ。ロッシュが望めば、あるんだ。居場所はあるんじゃない、作るものだから」
凪いで、吹き飛ばされる。
牽制代わりに撃ち放った突きも安々と弾かれ、カインの身体は金属音と共に後方へと吹き飛ばされる。
勝てない。カインはロッシュに、決して勝てない。
コンディションの差もあるが、覚悟の開きが圧倒的だ。
カインにロッシュを殺すつもりはないが、ロッシュはカインを殺す気である。
殺意という付随物は両者の戦いに大きな開きを見せる。
「カイン、君の言ってることは正しいよ。喪ったモノは二度と帰ってこない。
覆してはいけないものが絶対にある、その証を拭うのは禁忌であり咎である。
ああそうさ、居場所なんて作ればいい！
世界を狭める必要なんか無いし、いつかはきっとって願えば――なんてさ。ああ、正しいことぐらい理解している」
拙い頭を総動員させ、カインは思考を重ねる。
このまま劣勢となってしまっては、何も成せない。
吹き荒ぶ剣風の嵐に顔を苦くしながら、ロッシュを睨む。
全ての作業を終えたかのような表情をしている彼にカインの怒りは収まらなかった。
「けれど、僕は新しい居場所よりも、元の居場所が欲しいんだ。青臭い瑞々しい楽園が、一番なんだよ」
側頭部から斬り込まれてくる剣閃を弾き返しながら、カインは譲らない。
決して、後ろへと下がらないし倒れてなるものか。
死と隣合わせの極限状態であっても、意志は離さない。
「身勝手な理想だよね。確定した終末をひっくり返すのに、過去も現在も未来も塗り替えるなんて。
変わらざるをえないのは自分だった、そうさ変わらなくちゃ狂ってしまう！ それしか選択肢がないことに絶望して！
模範解答を選ぶことで満足する道しかない現状にさあ！」
改めて、気づいてしまう。
どうしようもなく、彼はまっすぐだ。
故に、戻ることができない。
何故、彼を止められる奴がいなかったのか。
否、止められる仲間はいたはずだ。
全てが夢に消えるものだった。
避けられぬ喪失だったのだ。
「僕は此処に来て確信したよ。選択肢の広がりを、ね。
諦める必要なんて無い、何かを捨てる必要なんてない！
僕を認めないなら世界も過去も現在も――全部変えてしまえばいいんだってね。
偏に言って我儘さ。到底満点の解答じゃない、バツが付けられるものだ」
ただ一人、夢の為なら。
結局、ロッシュはだだをこねたに過ぎない。
他の誰もが納得し、折り合いをつけた事象を認めないと突っぱねたのだ。
彼は、言葉の通り、やりたいことしかやらない質だった。
困っている人を助けるのも、誰かを護るのも、魔物を討つのも、世界を救うのも――全部、彼がやりたかっただけであって。
「その願いを叶えるということは、僕らが辿った旅路すら踏み台となってしまう。
当然、この世界で起きた何もかもを真っ白にすることも孕んでいる。
君が誓った妹への愛も、育んだ友情も、全てを台無しにする最低の所業だ」
だって、その手は――人間の手だから。
握ってやれる、離さないでいるには彼の力は弱すぎたから。
「でも、そんなのは願いの前では瑣末なことだ。
夢が夢のままで在り続けることが許されるなら。
無くしてしまった未来を見れるなら。
彼女が流した血の涙を、僕が拭ってやれるなら。
夢の中でしか生きれない彼女達が、僕を見てくれるなら」
なればこそ、選ぶしかなかった。
大切な人達がいる世界が救えるチャンスがほんの一欠片でも残っていたなら。
そこに懸けるしかなかった。
「僕は、選んだよ。世界に引かれた境界線でさえも曖昧にして、総てを夢のままで維持することを選ぶ」
帰る故郷も待ち人もいない世界に戻るぐらいなら、彼は――“魔王”となろう。総てを意のままに動かす“悪”でいい。
零さざるを得なかったモノがあったから。
それを拾うことが悪なら、ロッシュは悪を成す。
他者を害してでも、幸せになりたいと焦がれる心に、正直になる。
「カイン。君は選ぶべきだ。僕を殺すか、殺さないか。でないと、何にもできずに死んじゃうよ？」
もう問いかけは済んだし、答えも得た。
言葉に出さずともわかっている。
カインは、そんな“悪の魔王”を放置なんて出来ない。
前に進むことを彼らに誓ったカインは、その願いを否定しなければならない。
「殺さないさ。さっきも言っただろ、起こった死はもう変えちゃいけないものだ。
仲間が死んで、妹が死んで。その度に僕は苦しんだ。けれど、それでも乗り越えるって決めたんだ。
それこそが、人間として生きる上で大切なことだって知ったから！」
そうでなければ、嘘になる。
あの時流した涙も、あの時伝えてくれた“ありがとう”も、死に際に託してくれた未来も。
生きていく意味を知ったからには、それを履行するのが自分の役目だ。
「…………君も、死にゆく全てを受け入れたものが美しいなんて語るのかい」
「美しいとかじゃない。それが、僕達が背負わなければならない、正しさだからだ。
他の全てを誤魔化しても、これだけは誤魔化しちゃ駄目なんだよ。
僕達は、死んでしまった彼らの分まで――世界を見なくちゃいけない」
何が本当で、何が嘘か。
きっと、大切な論点はそこではなく、自分が貫きたいモノが定まっているのかについてだ。
今も褪せない“最後”は、カインをここまで押し上げるに至った。
時には優しく、時には強く。
彼らの思いはずっと、自分の背中を押してくれた。
故に、カインの剣は彼らの意志と共に在る。
貫くのは自分と仲間達が誓った明日へと進む勇気。
迷いは、ない。
「止めるよ、ロッシュ。僕達は仲間だから、さっ！」
「……止めれるものなら、ね」
光の雷と強嵐を剣に纏わせて、受け継がれた剣技を振るう。
ロトの末裔の生き残りが振るう絶技が剣の秘伝書を糧に、発動される。
全身に加重された痛みと疲れを無視し、カインは地面を蹴り上げて疾走を開始する。
改めて振り返ると、この空間は現実感に乏しかった。辺り一面は闇で染まっているのに、ロッシュの姿は明瞭だ。
地面もきちんと踏み締めることができ、まるで大地の上に立っているようだった。
そして、空気は冷たくて、静かだ。二人の振るう剣閃の鳴き声と呼吸の音しか此処では聞こえない。
夢か、現か。今自分がいる世界は一体どこなのだろう、と。
関係ない。今は眼前にいる馬鹿野郎を止めることだけを念頭に入れておけばいい。
駆ける、懸ける、翔ける。
自慢の素早さを最大限に利用し、目的の仲間目掛けて一直線だ。
目線は変わらずロッシュを向いている。向かう先も間違えていない。
後は、光よりも速く、この斬撃をぶちまけてロッシュの目を覚まさせるだけだ。
「ギガ――ッ！」
いつだって、自分は後悔してばかりだった。
ハーゴン討伐の旅に出た時も、もょもと達が死んでいく時も。
肝心な時に決断が遅れ、迷っている間に事態は悪化してしまう。
だからこそ、今度はもう迷わない。
自分がすべきこと、貫きたいこと。それらに嘘をつかないように。
絶対に、止める。自分が乗り越えられたことだ、ロッシュにできないはずがない。
「ブレイクッ！！！」
けれど、心の奥底でほんの少しばかり、諦観が混じっているのは否定できなかった。
満身創痍であるカインと比べて、ロッシュは全く消耗していない。
どう足掻いても、自分はここで死ぬ。
万が一にもダメージを与えることができても、ロッシュを止めるには至らないだろう。
カインの道はどうしようもなく詰んでいる。
「断ち切れろ、ギガスラッシュ」
飽和して今にも弾けそうな重く澱んだ空気の中、二つの雷光が交差する。
総てを撃ち貫く風雷を纏わせた絆の一撃と眼前の障害物を薙ぎ払う勇者の一撃。
闇を明るく照らす雷光が辺りにショートする。
散った火花がまるで星屑のように綺麗に彩られ、まるで夜空のようだ。
「貫けぇえぇぇえぇぇぇぇ！！！！！！」
口から漏れ出した叫び声は、言外に渾身の一撃を表していた。
涼しい顔をしているロッシュと違い、カインはいっぱいいっぱいだ。
なけなしの魔力を懸けた一撃はカインにとって最高の一太刀である。
雷光の塊は衝突し、咆哮を上げ、拡散されていく。
そして、互いに上段から振り下ろした雷光は破裂し、世界を震撼させ、消えていく。
「二重奥義――っ！」
だが、カインにはまだ続きがある。
炸裂させるトドメの一撃は一つじゃない。
受けるものを焼き尽くす槍の奥義――ジゴスパーク。
片方の手に握ったメタルキングの槍には既に装填されている。
「爆ぜろ、獄雷っ！！ジゴ、スパーーーーーークッ！！！！」
推して受けよ、本気の想いを。
相手は大技を使った後で、瞬時に対応できないはずだ。
加えて、放つのは秘伝書に記されていたとっておきの奥義、太刀打ちするにはそれなりの技で受け止めなければならない。
（その一瞬を、突く！）
ジゴスパークを対処する僅かの隙で、決める。
強張った顔を無理やり締め直し、膨れ上がった力を足に込めて――――！
「飲み込め、黒雷。ジゴスパーク」
ポッキリと、力の源が折れた。
決死の思いで放った秘奥義が、あっさりと相殺された。
カインの動きが、止まる。
今にも駆け出しそうな身体に、急停止の信号が鳴り響く。
「悪いね、そのとっておきらしい技――僕は使えるんだよ。秘伝書なしで」
必中と確信した攻撃が呆気無く防御されるなど、誰が予想ができようか。
カインにとって唯一無二と信じていた一撃は、
その致命的な隙をロッシュが見逃すはずもなく。
「終わりだ、カイン。君を殺すことで、僕は覚悟を更に固められる」
剣が突き出される。悲しそうに、ロッシュが笑う。
最後の剣閃を躱せないカインの拙さに対してなのか、それともこうすることでしか貫けない自分の拙さに対してなのか。
つながりが、絶たれる。
力を喪った身体が、血飛沫と悲鳴を上げた。
音が聞こえなくなっていく、色が褪せていく、世界は狭まっていく、夢が消えていく。
「だから、安心して――死ね」
肉を貫く音が、耳に入る。
力強くはない。美しくはない。優しくさえもない。
だが、その音色はひどく切ない。
腹部を貫いた剣が寸分の違いなく、急所を抉っていた。
回復呪文で治る傷ではない、致命傷だ。
遅れてやってくる激痛は体内の汗を根こそぎ奪い、視界を点滅させる。
体の力が血と共に抜けていく。闇の中に、血河が流れ出す。
掌から柄が零れ落ち、だらりと手首が地面を向いている。
「君が僕を殺す気でいたら、もっと切迫していたと思う。カイン、君の中で僕は――そこまで救うに値するモノだったのかい？」
「はっ……仲間、なんだ、当たり前、だろ。僕は、もう……仲間を信じずに後悔するのは、嫌なんだよ」
横薙ぎに引き抜かれた身体から噴出する鮮血がロッシュを赤く染める。
痛みを訴える声が、辺りに響いた。
カインは膝をつき、そのままうつ伏せに倒れようと体の力を抜く。
そう、それで、終わりだ。
この勝負は――ロッシュの勝ちであり、カインの負けである。
後は潔く、他の仲間達に任せたらいい。
「生憎と、ここで倒れたらさぁ……ッ！ 嘘つきはお前一人になっちゃう、だろ？
そんな可哀想な環境に、嘘つき一人って、惨め、じゃん？」
口から吐き出された血塊は決して見逃せる量じゃない。
血に染まった剣はこのまま放置していると錆となって朽ち果てるだろう。
腹部の傷から見える臓器は破裂し、今にも零れ落ちそうだ。
だが、倒れない。カインは未だ両足で立っていた。
ロッシュの視線をしっかりと受け止め、その双眸で見返している。
「はは、ははっ！ それもそうだね！ カインにしては気が利いてるねぇ〜」
「そうだろ？ 僕は、これでも気遣いだけは完璧なんだ。昔から、本当に、昔から……さ」
流した血液はどれほどだろうか。
満身創痍を通り越して、死に体同然の身体はもう思うように動かない。
視界は薄れ、手の力は気を抜くとどこまでも緩慢になってしまいそうだ。
「だから、お前を止めて、みんなと一緒に、帰るんだよ。どうしようもない世界に、手ぇ、引っ張ってさ」
ポッカリと空いた穴は風通しがいいのか、空気が流れる音が聞こえてくる。
喪われていく。今まで培ってきたモノが、抜け落ちていく。
グチャグチャに潰れた内蔵はとっくに機能を停止していた。
今も、声が出せることに不思議を覚えるくらいだ。
奇跡。ありふれた言葉ではあるが、最後に神様がくれた機会を有難く受け取ろう。
「現実でも、いつかは夢に、なるじゃないか」
一歩。吐き出した血の海に足が取られそうになった。
二歩。持っていた王者の剣が地面に落ちた。
三歩。腹部からずれ落ちた臓器を踏み潰した。
四歩。視界にはもはやロッシュしか映っていない。
五歩。最後の力を振り絞って、握り拳を作る。
六歩。ロッシュの頬目掛けて、思い切り振り抜いた。
「言ったはずだよ。僕には帰る場所も待ってくれる人も残されていない」
振り抜いた拳はロッシュへと届いた。
子供が戯れで繰り出す弱さの結晶のような拳であったが、確かに届いたのだ。
ぽすんと、軽い音が鳴った。接着剤で張り付いたかと思うぐらい、カインの拳はロッシュから離れない。
残った生命を使ったトドメの一撃は、ロッシュへと一発食らわすことができたのだ。
「諦めない、絶対に。君達を斬り捨ててでも、僕は願いを叶えるよ」
けれど、それは別の言葉で言い換えると、避ける価値さえないということだ。
身体の芯から絞り出したかのようなか細い声だった。
受けた拳を振り払うことなく、ロッシュの表情は淡々としていた。
彼の双眸に雫はない。頬に伝った涙跡もない。
「馬鹿、だよ。出会った時から、今まで――ずっと、ずぅっと……一人で抱えて。
素直に、助けてくれ、って、言えよ。そんな、取り繕った無表情、似合わないんだよ。
いつもみたいに、ラブアンドピースって馬鹿みたいに連呼して、笑え、よ……っ！」
対称的に、地面へとずれ落ちていくカインの目には涙が溜まっていた。
本気で自分に向かい合ってくれた証拠だ、その想いに報いることは出来ないが、尊いものである。
カインの言葉は、ロッシュには染み渡らない。
理解はされど、受け止められない。
ただ、それだけの話だった。
ロッシュは倒れゆくカインに対して一瞥し、終わりの世界へと進んでいく。
別れの言葉は、ない。ありがとうもさようならも、ない。
黙って背中を向いて、一人の旅路を突き進む。
涙は、今も溢れなかった。
そんな自分が、少しだけ嫌になった。
◯
血の海に沈み、カインは笑みを浮かべた。
否、既に自分が笑っているかどうかすら定かではない。
感覚もなくなり、視界も真っ暗でロッシュの姿も消えている。
ゆっくりと、しかし着実に。
死へと向かっている自分の身体に対してため息をついた。
結局、カインは止められなかった。
ロッシュの進む道を少しだけ遮ったに過ぎない。
後悔も残るが、自分にできることは総てやり尽くした。
後は、残りの仲間達が彼を押し留めてくれることを願う他ない。
「ねぇ、アイラ、もょもと、あきな、リア。僕、頑張れたかなあ」
朧気な意識で呟いた言葉は思いの外、はっきりと認識できた。
無茶ばかり、あれから自分はどれだけ変われただろうか。
彼らの意志を継いで戦ったはいいものの、それが本当に誇れるものかどうかはわからない。
継ぎ接ぎだらけの理想に、張りぼての勇気。
そんな弱くて浅ましいカインでも護りたかったモノがこの胸にある。
「君達に誇れるぐらい、真っ直ぐに、生き抜いたかなあ……っ！」
彼らの意志に恥じぬ生き方をしたかった。
カインは仲間を護れなかった人間だ。
結んだ想いを引き継ぎ、貫くことしか道が残されていなかった人間だ。
まさしく、期待外れ。カインは彼らの期待――生きてほしいという願いに応えられなかった。
最低だ、物語の終わりとして失笑ものだ。
しかし、涙は溢れなかった。この結末を満足しているのか、表情は死んでいないはずだ。
だから安心して――。
「…………幾ら待たせたからってさ、君達、出てくるの早過ぎ」
どうやら、安心が過ぎているようだ。
ふと顔を上げると二人の少年少女が此方を振り返り手を差し伸べていた。
蒼の少年と朱の少女。
此処に来る前は嫌というぐらいに顔を見合わせた仲間だ。
少年は無愛想ながらも頬に赤みがあり、少女は困ったように笑っている。
「その、なんだ……おつかれ」
「お、お、おちゅかれしゃまでした！」
黄泉路ぐらい、静かに歩きたいのに。
どうやらこの二人のお守りはまだまだ続きそうだ。
「はいはい、ありがと。それよりさ、君達に言いたいこと、たくさんあるんだ。
まあ、歩きながらのんびり話そうよ」
差し伸べられた手を握り返し、カインは勢い良く立ち上がる。
そのまま彼らの横に並び、朗らかな表情を見せた。
「ああ。それともう一つ、待ち人がいる」
「ずっと、ずっとお兄ちゃんが来るまで此処にいるの！って言ってたんですよ」
歩くような速さでいい。
長い、長い路を“四人”で進み、彼らとの本当の旅路を始めよう。
もう彼らに対して嘘をつく必要もないし、壁も取り払われた。
くだらないことに一喜一憂できる子供に、戻れたから。
「約束、したからな」
遠くに映る一人の少女にカインは言葉を紡ぐ。
懐かしそうにはにかんで、笑う。
「ずっと、一緒だって」
血脈に縛られた『ロト』は、もういない。
【カイン（サマルトリアの王子）＠DQ2 死亡】
【残り5人】
【"夢"】
【ロッシュ＠DQ6】
[状態]：健康、“絶望”を掌握
[装備]：銀河の剣＠DQ9、トルナードの盾@DQ7、星降る腕輪@DQ3
[道具]：支給品一式、剣の秘伝書@DQ9
[思考]：諦めない。夢を、かなえるために。
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