DREAMS COME TRUE
最終更新：ID:d2nh3AVkag 2020年07月07日(火) 01:59:46履歴
それは、走馬燈のように流れていた。
「このアレフ、お嬢様の思いに我が身を以てお答えいたしましょう」
「そこで待ってろ、今ぶん殴ってやる！」
「私、ずっと友達がほしかったから」
誰しもが抱き、誰しもが見て。
「僕は、妻のことを愛してなどいなかった」
「飽いたな、少し」
「バカ、ほんとにバカよ……」
そして、絶望していった。
「泣くぐらいなら、笑ってほしい」
「おれ、お前の……ともだちに、なれた……か」
「大丈夫です。私が苦手なことは嘘をつくことだから」
けれども、それは希望をくれた。
「それでも俺は忘れることが出来なかったんだ」
「うん、私も。約束したもんね、ずーっと一緒だって」
「あたしが全てを終わらせるんだ」
そんな、誰かの"夢"の数々。
「これが、私のやりたいこと。どうしても貫きたい、私の道」
「もうずっと、離しませんから」
「ええ、いつまでも、貴方のお側に。リュカさん」
命尽きても、願いとして残り続ける、それ。
「人は……人は、生きているからこそ、夢を見るんだろう？」
「大切なもの……俺も見つけたぜ？ なァ――――勇者サマ」
「俺が護り抜くと誓った姉さんは、後にも先にも一人だけだっ！」
その中の、ある一つの真実。
「お兄ちゃん、あのね――――」
それを手にしたとき、彼女は目を覚ました。
最後の壁、ロッシュにとって踏み越えるべきそれは、ある意味では死体だった。
血と傷だらけの体、虚を見据えた瞳、ひゅうひゅうと聞こえる弱々しい呼吸。
とん、と押してしまえば、おそらく倒れて起きあがってこないと思える有様でも、彼女は起きあがってきた。
そう、今のロッシュが乗り越えるべきは、彼女自身ではない。
彼女を起きあがらせるほどの強い力、心、それこそが"最後の壁"なのだ。
「……夢」
ようやく視点をロッシュに合わせ、ゆっくりと口を開く。
単語一つ呟いただけでも、血混じりの咳を苦しそうに繰り返す。
そんなにも苦しそうで、死んでしまいそうなのに。
ソフィアは、退くことを選ばない。
「夢を、見てたんだ」
「夢？」
上の空にも思える言葉に、ロッシュは問いかける。
今更、何を夢見るというのだろうか。
もう、この世界には"絶望"しかなく、待っているのは"死"だけだと言うのに。
「いや、見てたと言うよりは、見させられてた、かもな」
問いかけに応じるように、いや、ある意味では無視するように、ソフィアは言葉を返す。
ソフィアが見ていたのは、決して己の夢ではない。
自分ではない、誰かが描いて、抱いて、叶えた、時には挫折した。
何かが彼女の元に運んできた、無数の"夢"。
ただ、ただ、それが流れていくのを。
ソフィアは、見つめていただけに過ぎないのだ。
「ふうん」
ロッシュは興味がなさそうに、軽い返事を返す。
実際、露ほどにも興味はない。
何がどうなって彼女を突き動かして、起きあがらせてきたとしても。
自分がやることは、それを乗り越えることなのだから。
けれど、純粋な疑問はわき上がる。
だから、素直にそれをぶつけることにした。
「ま、君が悠長に夢を見ている間に、ごらんの有様さ。
仲間も武器も残ってないし、君は今にも死にそうときてる。
だというのに、君は今更立ち上がって何をするって言うんだい？」
そう、今の状況は傍から見ようが見まいが絶望的。
これがもし演劇だとするならば、粗方の観客は結末を読んでしまう。
覆せる要素なんて、どこにも見あたらないと言うのに。
彼女は何故、起きあがってきたのか？
長い、長い時間が過ぎる。
返事はなく、焦点の合っていない血塗れの顔で、ソフィアはロッシュを見つめ続けていた。
どう控えめに見ても"無視"に近いそれに、ロッシュはわずかに眉間に皺を寄せる。
それに気づいたのか、ソフィアはゆっくりと口を動かし始めた。
「大金持ちになって、いい女を侍らせて、うまい酒におぼれる毎日を過ごす」
飛び出したのは突拍子もない話だった。
問いかけへの答えとも取れるが、そうだとすればバカバカしすぎる。
そんなくだらないことで本当に起きあがってきたのだとすれば、今すぐにでも殺してやりたいくらいだ。
けれど、当のソフィアは全く動じない。
ロッシュから視線を逸らし、何かを憂うようにありもしない空を見上げて。
ただ、言葉を続けていく。
「……ある一人のオッサンはよ、そんな生活をずっと夢見てた」
それは、他人の"夢"。
ごくごく普通の、ちょっとだらしない一人の男が抱いていた夢だった。
どれだけ災難に見舞われて、死にそうな気持ちを抱いたとしても。
その夢だけは、決して諦めることなく、胸に抱き続けていた。
そう、この殺し合いに巻き込まれて、死んでしまうその直前まで。
ずっとずっと、願い続けていた。
「もちろん、そんな簡単に叶うわけがねえさ。
けれども、オッサンは一点の妥協も許さず、その夢をひたすらに追い続けた。
"誰もが羨ましがるような大金持ちになりますように"って。
毎日、毎日、ある意味では祈り続けていたんだ」
それは、一人の男の"夢"。
叶う、叶わないではなく、"抱く"こと。
自分が望むこと、自分が夢見ること。
それを"自分"が"諦めて"しまったら、どうしようもない。
誰かが叶えることは、自分の夢ではないのだから。
だから、男はそれを願い続けた。
いつの日か、それが叶うその時まで。
一つ、大きく息を吐く。
鮮明になっていく意識とは裏腹に、張りつめた空気は鉛のように重い。
凍てつく大地のように冷たい眼差し、それを見てもう一度息を吐く。
やけに落ち着いている理由は、自分でも理解できない。
けれど頭は働くし、口は動く。
まるで、誰かに動かされているように。
ふ、と誰にも見えない小さな笑いを作ってから、言葉を続ける。
「"強い奴と戦いたい"、"友達を作りたい"、"幸せになりたい"。
どんな小さなことでも"夢"は"夢"だ。
願い続けてこそ、生まれるものがある」
今語ったのは、一人の男の夢。
それ以外にも、夢はたくさんある。
そして誰もがそれを"抱き続けて"いた。
叶わないと知って、抜け殻のような体になっても。
叶わないと知って、誰かを傷つけてしまっても。
叶わないと知って、世界に絶望し尽くしても。
誰も、誰も、その"夢"を諦めなかった。
「諦めたり、妥協すりゃ、そこで"終わり"さ。
そうなっちまえば、もう"夢"でも何でもねえ」
そう、"諦めて"しまえば"終わり"なのだから。
本人が願わなければ、叶う夢も叶わなくなる。
それは、ある意味では"人が死ぬ時"でもある。
"夢"を"願う"からこそ、"人"は生き続ける。
だとすれば、夢を失ってしまえば、それは死人と大差ない。
「……言いたいことはそれだけ？」
わざとらしく言葉を切ったソフィアに対し、ロッシュは再び問いかける。
まるで、当てつけかのように言葉を投げつける彼女の意図を、もう一度探るために。
顔は少し反ったまま、上から下へ見下ろす視線もそのままに。
ただ、彼女の反応を待ち続けた。
再び、長い長い時間が訪れる。
何かを見ているようで何も見ていない彼女との間に、冷たい風が流れたような気がして。
ゆっくりと目を閉じ、もう一度開いた時。
「何だ、ひょっとしてまだ勘違いしてやがんのか」
口を開いて語り出したソフィアは、笑っていた。
「今抱いているものが、"自分"の"夢"だって」
そこにあったのは、"哀れみ"の感情。
蔑むような目と、嘲るような口元と。
何よりも、途端に目を合わせてきたことに、何よりも腹が立って。
「……何だと？」
今までで一番低い声に、一番濃い殺気を乗せて。
まるで銃弾のように、その一言を放つ。
それは、確かにソフィアの胸を貫いた。
けれど、問題など何もないかのように、ソフィアは笑い続ける。
己を飲み込んでしまいそうな殺気など、今や恐怖の対象ではない。
そう言わんばかりに口を開き、言葉を続けていく。
「世界を救いました、同時に居るべき世界を失いました。
だからこの世に夢も居場所もありません、絶望しながら生きます。
けれど、世界を作りかえることが出来るなら、自分が望む世界を生み出してやります」
子供が子供を馬鹿にするように、ソフィアはロッシュの今までを茶化していく。
ソフィアがロッシュの今までをそこまで知らないからこそ出来ること。
いや、知っていれば余計に酷く笑い飛ばせたかもしれない。
勿論、話を聞いている側のロッシュは、とっくのとうに笑っていない。
それを見たソフィアも、ゆっくりと笑みを消しロッシュを見つめ直していく。
「結局テメぇの都合のいい世界を作り上げて悦に浸ろうってだけだろ？
そんなもんを"夢"と呼んでたまるかってんだ」
手の甲を下に向けて挑発的に指を差し、ソフィアはロッシュの奥へと踏み込んでいく。
"願い"が叶わないのならば、生み出してしまえばいい。
今、ロッシュが成そうとしているのはそれだ。
けれど、ソフィアはそれを否定する。
それは、"夢"を"叶えて"なんかいないのだから。
自分の満足する場所を、自分の手で生み出して、そこに逃げ込んでいるだけ。
願いも、誇りも、希望もないものを、夢と呼ぶことなど出来ない。
「……だったら、僕に"死ね"とでも？
自らで奪っているのだから、悔やむ権利すら無いというのかい？」
剣を突きつけたまま、ロッシュは嘲り返す。
その笑いは、明らかにソフィアを見下していた。
自分の望む世界は、自分が奪い去った。
けれども、そうしなければ世界は滅んでいた。
選べたのは、世界の望む世界か、自分の望む世界を取るか。
だけど後者を選ぶことは、世界が許してはくれなかっただろう。
ああ、自分も"あいつ"と同じなのだ。
世界に縛られて、自分の望むことなど叶えられなくて。
そうして、世界に残されて、一人で、何も出来なくて。
願うことは世界が望まないこと、ならば、それを諦めるしかない。
「僕は、いつまで辛い思いをすればいいんだよ」
笑いながら、初めての弱音を漏らす。
そう、自分は弱い。
世界という絶対的な存在には抗えない。
自分が何を望もうと、自分が何を願おうと、叶いっこないのだ。
だから、だからこそ、自分のこの手で"世界"を作るのだ。
自分の望みを、願いを、全てを受け入れてくれる世界を。
そのためならば、他人の夢も、他人自身もどうだっていいのだ。
たった一人のエゴだと言われても、構わない。
この辛い思いを消し去るには、もうそれしか道が無いのだから。
自分の欲望のために、全てを滅ぼし、世界を作る。
それだけが、ロッシュが"救われる"為の、たった一つの道だと思っているから。
「はぁ？ 知るかよ。てめェがどんだけ悲劇のヒロインだったかなんて、塵ほども興味が無ぇ」
僅かにさらけ出した本音の返答は、ナメた挑発だった。
いや、ある意味ではもっともらしい反応なのかもしれない。
ソフィアからすれば、ロッシュも他人だ。
自分一人で悲哀に浸るだけならば勝手にすればいい。
けれど、それで何かを滅ぼそうというのならば、話は別だ。
後ろにある過去や本人の気持ちなど、どうだっていい。
他人の気持ちを考えれない奴の気持ちを考える必要なんて、どこにあるのだろうか。
かつて世界を滅ぼそうとした魔王と違い、明確に"捨て去ろう"としてきているというのに。
"かわいそうな過去"に同情してやる余裕なんて、どこにあるというのか。
そんなものは、"無い"。
ましてや向こうは自分だけ良ければいい、なんてエゴ全開でこちらに向き合ってくるのだ。
ならば、同じ対応をされても文句は言えないだろう。
そうしてソフィアは、ゆっくりと顔を変えていく。
かつて"二度"、魔王に相対した時と同じ顔へと。
「諦めて、逃げて、嘘を吐いて、それを繰り返して。
自分の気持ちが満たされたつもりになって、空しさだけを刻んで。
今もそうだ、またそれを繰り返そうとしてる」
ソフィアは、全てを知っているわけではない。
ロッシュという人間が、どんな思いで今までを過ごしてきたのかも、分からない。
けれど、今のロッシュは"逃げ"を繰り返しているようにしか見えないのだ。
現実から逃げて、世界を拒絶して、自分の中に引きこもって、そして他人の夢を奪おうとしている。
もう、受け入れることなんて出来ないのだろう。
「はっ、僕は諦めてなんかいない。
前を向いて、望んだことに向かってしっかりと歩いているよ。
嘘は付いても、逃げたりなんかしてないさ」
焦点の定まらない笑顔が、それを物語っている。
それが"夢"だと、自分の望むことだと信じきっているから。
手にはいる訳が無かった、自分の"居場所"だと思っているから。
ロッシュは、もう"前"しか見ない。
いや、もう前しか"見れない"のだ。
一つ、ため息が漏れる。
それは、ソフィアの口から。
まるで、頑なに"夢"を語るロッシュにあきれ果てるように。
「じゃあ、聞くが」
そして、核心へと踏み込んでいく。
「周りを一度でも振り向いたか」
周りの人間、それは"居場所"のある人間。
持つ者は持たぬ者の苦しみなど分からない。
ましてや、一度持っていた物を失った者の悲しみなど、到底分かりっこない。
理解されないと分かり切っているのに、どうしてそれを語らねばならないのか。
返ってくる答えなど、どうせろくでもないと分かっているのに。
首を、横に振る。
「テメぇの居場所がない、なんて誰が決めたんだ」
誰が決めた？ 自分？ 他人？ いや、誰でもない。
それを決めたのは、世界であり、運命だ。
自分が過ごした世界は失われ、自分ではない自分が過ごした世界を、自分が過ごすことになった。
誰から見ても、明白だ。
元よりその世界の存在ではない者に、居場所なんてあるわけがないのだ。
ため息を、一つ吐く。
「望んだ世界でないなら、望むような世界に変えることをしたのか」
世界を変える？ 冗談じゃない。
世界をどれだけ変えようとも、自分が過ごした世界が戻ってくるわけではない。
同じ顔をした存在も、よく似た他人でしかない。
己が望む世界は、どうあがいてもそこには無かった。
何かが一つ変わった所で、自分の世界はそこにはない。
目を閉じ、肩を竦める。
否定、否定、否定。
ある意味では拒絶の姿勢を、立て続けにとり続ける。
ソフィアの投げかける問いかけなど、もうとっくのとうに"捨て去った"のだから。
僕が僕である限り、そして世界が世界である限り。
この望みは叶うことなど無いと、知っているから。
「……そんな"諦め"の末の"妥協"を、"夢"と言えるわけがねえだろ」
そんなロッシュの答えを、ソフィアは諦めだと一刀両断する。
願うことも、望むことも、"夢"ではない。
妥協であるし、諦めであると、言い放った。
「自分自身で勝手に決めて、諦めて、かわいそうな人間を演じて。
それでいて"世界を滅ぼす"ってんだからな。ホント、ある意味じゃ魔王だぜ」
止めどなく飛び出す言葉に、感情を乗せて。
ソフィアはロッシュへと弾丸を撃ち込んでいく。
それが届かないとしても、心を貫かないとしても。
ソフィアは、その引き金を引き続けた。
ひたすらに、ひたすらに、引き金を、引く。
「諦めてんじゃねえよ！！」
それは、いつか言えなかった言葉。
終わりへと向かっていった、孤高なる賢者へ言うべきだった言葉。
誇り高き意志と共に放った弾丸は、魔王の心を貫かない。
「終わり？ 破滅？ 消え去る居場所？ だったら何だってんだ！
終わったんなら、やり直せばいいだろうが！！」
それは、誰かが言った言葉。
終わりを迎えたのならば、もう一度始めればいいと、愛すべき妻に放った言葉。
これ以上ない愛と共に放った弾丸は、魔王の心を貫かない。
「てめェが！ てめェの世界で！！ やれることなんていくらでもあっただろうが！！」
二つの言葉を皮切りに、ソフィアはありったけの気持ちを弾丸にして放つ。
最後まで愛を諦めなかった、姫の信じる気持ち。
破滅を望んだ男が最後に見た、仲間を信じる気持ち。
愛すべき者は心にいる、そして信じるべきものもそこにある。
ソフィアは知っている、"真実"が、それを教えてくれるから。
「それでも見ないふりをして、ただ逃げた先で誤魔化して作り出したものを！！」
それらから目を背けて、"絶望"したなんて言って。
ただ逃げているだけの目の前の男に、それに振り向いてもらうために。
突きつけるべき真実を、言葉にして。
「"夢"だなんて、言ってんじゃねえ！！」
一気に、放つ。
「もういい、御託は聞き飽きた」
返事は、冷たい一言。
右、左と首の骨をならし、ロッシュは静かに剣を構える。
明確に示されるのは、拒絶の構え。
死に体の人間の最後の言葉くらい聞いてやるか、と思ったのが間違いだった。
また無駄な時間を使ってしまった、と後悔しながら。
最後の壁を打ち砕くために、手に力を込める。
「僕の夢と未来のために死んでくれ、ソフィア。
この世界で、君が一番邪魔なんだ」
もう加減の必要など、どこにもない。
傷だらけの少女に向けるには、ちょっと贅沢すぎる力を込める。
一気に駆け抜けだした後は、剣を振るうだけ。
最後の壁を砕くのに必要は、たったそれだけ。
ようやく、長きに渡った"夢"が叶う時が来たのだ。
彼女を苦しめていた、血統の聖剣もない。
彼女を支えてくれた、仲間達の命もない。
彼女を守ってくれた、幼なじみもいない。
もう誰も、ソフィアを守ってくれないし、自分自身でも守ることなど出来ない。
ロッシュの振るう刃が、ソフィアを目前まで捉える。
迫り来る死が、輪郭を作り徐々に現れているというのに。
ソフィアは、その最後まで、涼しい顔をしていた。
天高く、突き抜ける"音"。
血が吹き出す音でも、肉が裂ける音でも、骨が断たれる音でもない。
それは、確かに"金属音"だった。
ソフィアの命を奪うはずだったロッシュの剣は、その瞬間に遙か彼方へと弾き飛ばされていた。
何が起きたのか、ロッシュには理解できない。
確かに振り下ろしたはずの、致死の一撃。
普段より多少弱くても、弱り切った少女を殺すくらいなら、十分すぎる威力のもの。
けれど、それは命を奪うに至らなかった。
物言わぬ肉の塊と化すはずだった少女は、水平を描くように右手を振り抜いたまま。
ロッシュの目の前に、立ちはだかるように立っていた。
「……夢は夢、願い続けるからこそ、"夢"と呼べる」
ゆっくりと、小さく、けれどもはっきりと聞こえる声。
ソフィアが呟き始めたとき、水平を切ったままのソフィアの右手に、剣を象った光が見えたような気がした。
それだけではない、右手を振り抜いた彼女の姿には、確かに重なって見えた。
ソフィアと同じ顔をした"誰か"が、一人だけではなく、何人も、何人も。
それに気づいているのか、気づいていないのか、ソフィアは言葉をそのまま続ける。
「希望も、絶望も、そこから生まれる」
そう、この世界は"夢"が生み出した世界。
人々が抱く絶望が、それに立ち向かう為の希望が、力を持つ。
確かに、ロッシュは絶望が持っていた力を捨てきった。
けれど、それは絶望が抱えていた、僅かな力に過ぎない。
人々が生きて、前を向いて、夢を見続けるのであれば。
新たな希望も絶望も生まれ、それが力となる。
そして、その源流たる夢は、一匹の狼が彼女に託したもの。
命尽きようとも、引き継がれる物。
それは、確かにそこにあった。
「そして諦めの"妥協"じゃ、絶対に出せない力が、な」
ゆっくりと手を戻し、リラックスした姿勢で、ロッシュへと語りかける。
凛とした目が、しっかりとロッシュを捉える。
それは、立ち向かう"反逆"の目。
死の恐怖も、圧倒的な支配も、彼女を押さえつけるには至らない。
たった一人だけれど、一人ぼっちではない彼女を、もう誰も縛ることなど出来ない。
力を手にした彼女は、ただ、前を向く。
託された"夢"を、その手で守り抜くために。
「……なるほど、ね」
乾いた笑いが、こぼれる。
いくら捨て去っても、"夢"は生まれ続ける。
そこに"人"がいる限り、いつまでも、いつまでも。
何度捨て去ろうと、振り払おうとも、気が付けばもう生まれている。
そして、それは"力"を持つ。
一つ一つ、個々は弱い力だとしても。
多くの"絶望"を払うための、"希望"の力を生み出していく。
ああ、"夢"が"夢"である限り、そして誰かがそれを覚えている限り、決して消えはしないのだろう。
誰かの夢を捨て去ることなど、不可能なのかもしれない。
「僕は、今の道こそが正しいと信じた」
だが、仮にそうだったとしても。
もう、片道切符は渡してしまった。
後戻りなど許されない道を進むことを、自分で選んだ。
だから、一本の道を駆け抜けていく。
他人の全てを泡沫にしてでも、その"願い"をつかみ取ると、心に強く刻み込んだ。
「だから、斬った」
決意の証は、全てここにある。
血の宿命を、世界を呪い、それでもなお"それ"と向き合うことを決めた勇者を、斬った。
選ぶことから逃げず、己のやりたいこと貫き通した一人の天使を、斬った。
万物の愛情を知るため、未来の世界のために魔を纏った魔術師を、斬った。
そして、姉を、仇敵を、己を乗り越えるために、全てと戦ってきた男を、斬った。
邪魔をするのであれば、斬る。
それだけの、こと。
「今更"諦める"とすれば、それこそ彼らに失礼だろう」
引き返しても、もう何も残っていない。
それこそ、彼らの命を無駄に奪っただけになる。
何のために命を、夢を、願いを奪ったのか。
それは、一本道の先にある"願い"を、この手にするために。
対価と咎は支払った、あとは走るだけ。
「"貫く"よ、僕は」
己の願いを"諦めない"ことを、ロッシュはもう一度口に出す。
必要ないものを、全部ここに"置いていく"ために。
決意を再び胸に、刻み込む。
「……はっ」
笑う。
嘲る訳ではない、ただ純粋に、感心しているから。
真実は、その全てが真とは限らない。
時には"偽り"も"真実"になり得る。
今だってそう、彼にとっては見据えたそれが、"夢"なのだ。
「来いよ、ロッシュ。もう、これ以上言葉はいらねーだろ」
なれば、ここから先は"夢"と"夢"のぶつかり合い。
一つ息を吐いてから、徒手空拳を構え、ロッシュを人差し指で招いていく。
そう、これは"喧嘩"だ。
いわば、ソフィアもまた"願い"を叶えたいだけなのだ。
他人の夢を値踏みする事なんて、出来るはずがない。
けれど、願いを叶えるための道、その先でどうしてもぶつかり合ってしまうのならば。
譲れないものを貫き通すために、己の力を振るわねばならない。
誰かのためではなく、自分のため。
世界も何も関係ない、たった二人だけの、ちっぽけで、この上なく大きな戦い。
退く理由なんて、どこにもない。
「ああ、そうだね」
ソフィアの誘いに乗るように、ロッシュはつけていた盾を投げ捨てる。
これから始まる戦いには、それは必要ないから。
素手を構える理由なんて、はっきりしている。
この真っ暗闇の中、持っていた剣は吹き飛ばされた。
それを探しに行く時間などある訳もない。
その身に残された魔力は、傷を癒すのに使い切ってしまった。
だから、信じられるのはこの身のみ。
己の未来を、この手で掴むために。
ロッシュは、正真正銘最後の戦いへと、赴いていく。
拳を構えたまま、静かに向き合う両者。
場所が場所なら、びゅううと風が吹いていたかもしれない。
すうっと、同じタイミングで息を吸い込み、吐き出していく。
そして、前を見据える。
その先に映る、乗り越えるべき存在を捉えて。
「この僕が――――」
「アタシが――――」
二人は、未来へと走っていく。
「切り開く！！」
「ブチ抜く！！」
開戦の合図は、二人の叫び。
突き出される拳と拳。
全身の力が込められたそれは、防御など省みることはない。
互いにのばしたその手は、互いの頬へと突き刺さる。
自らが向けていた力と逆方向の力が、上半身に襲いかかる。
不思議と時間の流れがゆるやかになり、じわりじわりと自分の体が仰け反っていくのが分かる。
そして、これ以上仰け反れない、と自分の中でも分かった時。
ふわり、と両足が浮いたのとほぼ同時に、時の流れが元に戻り、互いに吹き飛ばされていく。
力を殺しきれず、腕を、足を、体を打ち付けながら地を転げ回る。
だが、倒れている時間はない。
全身を使って速度を殺し、どうにか回転を止めたと同時に、その場に立ち上がっていく。
右、左、瞬時にあたりを確認する。
迎え撃つべき存在を、その目に映すために。
そして、互いにその存在を目に焼き付けた時。
「がっ」
出遅れていたのは、ソフィアの方だった。
防御など間に合うわけもなく、拳が頬に再び突き刺さる。
もう一度見えない地を舞うかと思いきや、仰け反ったその体は何かに引き留められる。
そんなことが出来るのは、たった一人しかいない。
初撃の一発を当てたロッシュが、ソフィアの両肩をしっかりと握りしめていた。
しっ、と僅かに息を吐き出す声と同時に、ロッシュの片足がブレる。
「ご、あっ」
仰け反った姿勢のまま、反撃も防御も許されないソフィアの体に、大砲のようなロッシュの片足がめり込んだ。
声にならない声がソフィアから漏れ、目が虚空を捉える。
内蔵の方から抉り込むように打ち込まれたその一撃は、ソフィアの持つ空気を根こそぎ搾り取っていた。
「げ、ふっ」
無防備なままのソフィアの体に、再びロッシュの膝が突き刺さる。
空気というクッションを失った腹部への一撃は、確実に内蔵を刺激していく。
ごぽっ、と喉の奥底から透明な液が溢れ出す。
口の中を焼く酸味と、気道が塞がれる不快感が、ソフィアの意識を支配する。
「はぁっ！」
ロッシュはとどめと言わんばかりに、少し下がってから飛び上がりつつ膝を突きだしていく。
初撃、追撃から更に一線を引くように、打ち出された一撃を受け止めれば、内蔵だけでない、全身の骨にまで悪影響が及ぶだろう。
けれども、ソフィアの両手は動かない、守ろうにも守るためにすべきことへ、移れないのだ。
こうしている間にも、無情にもロッシュの膝はソフィアの腹部へと吸い込まれていく。
そして、膝から放たれる砲弾が、ソフィアに着弾しようとしたとき。
「がぁぁぁぁ！！」
ソフィアは仰け反った姿勢から、高速で頭を振るった。
武術もへったくれもないただの頭突きが、ロッシュの鼻柱に突き刺さる。
思わぬ反撃によろめくロッシュ、それを見逃さないソフィア。
鋭い角度から繰り出されたローキックが、ロッシュの足下を掬っていく。
すてん、と派手に転ぶロッシュに合わせ、ソフィアが肘を立てて倒れ込んだ。
「ごふっ」
突き刺さる肘、苦悶の声を漏らすロッシュ。
先ほどのソフィアのように、腹に貯まっていた空気を全て吐き出してしまう。
濃度の高い連撃に、一瞬だけ意識を手放しそうになる。
それは、もちろん無防備な時間。
ソフィアは見逃すことなく、倒れ込んだロッシュへと覆い被さっていく。
抵抗できないよう、両腕を下半身で押さえ込むように。
そして、豪腕が振り上げられる。
「おっ、るああああっ！！」
ごしゃっ、と鈍い音と共に、ロッシュの頬にソフィアの拳が刺さる。
それを初撃として、一発、二発、三発、とソフィアの拳が鈍い音を奏でていく。
ロッシュは抵抗しようにも腕を封じられているので、思うように反撃できない。
だが、黙って殴られている訳にもいかない。
「おああぁぁぁぁっ！！」
ここ一番で雄叫びをあげながら振りかぶるソフィアに対し、ロッシュは口をすぼめ、何かを射出していく。
それは、へし折れた歯。
口の中を簡易的な砲口にする事で、それなりの速度で折れた歯を射出していく。
こつん、と当たった血混じりの歯は、僅かにソフィアの意識をそらすことに成功し。
その一瞬で、ロッシュは一気に下半身へと力を込める。
バネのように跳ね返った下半身から繰り出されたつま先が、ソフィアの後頭部をしっかりと捉える。
拘束の力が若干弱まったのを確認して、ロッシュは上半身を反らし、ソフィアの体をのけていく。
どさっ、と倒れるソフィア、そして起きあがるロッシュ。
「ごふぁっ」
寝そべったソフィアが起きあがってくる前に、ロッシュはその腹部に蹴りをかましていく。
かっ、と目を見開き、僅かな酸素を全て吐き出していく。
一度ならず二度、三度と強烈な蹴りがソフィアに突き刺さっていく。
肉だけではない、骨が軋み、折れていく音が響きわたる。
そして、ロッシュはそのままとどめを刺そうと、ソフィアの頭に標的を切り替えていく。
片足が振り上げられ、狙いをすました一点へと直進していく。
「しゃぁぁぁっ！！」
だが、ソフィアの心はまだ折れきっていない。
動く手と足を使って、己の体を砲弾のように僅かに射出し、ロッシュへと飛びかかっていく。
そして、蹴りかかろうとしていたロッシュの軸足に、思い切り噛みついていく。
予想もしていなかった一撃と、見た目以上の激痛に、ロッシュは思わずよろめいてしまう。
その隙を生かしてソフィアは立ち上がり、重ねた両腕をお返しと言わんばかりに振るう。
金槌のような一撃が、ロッシュの後頭部に襲いかかり、顔面から地面に叩きつけられる。
だが、ソフィアは攻めの手を止めない。
ロッシュの後頭部を鷲掴みにし、そのまま片手で持ち上げていく。
そして、がら空きの腹に向けてまずは一発、拳を打ち込もうと腕を振るう。
それとほぼ同時、ロッシュの腕も振るわれる。
互いの拳が互いの腹に突き刺さり、両者ともに少し後ろに後ずさる。
けれど、倒れ込むことはなく、そのまま相手をにらむように捉えて。
「おおおおぉぉぉぉ！！」
「ああああぁぁぁぁ！！」
振り抜いた渾身の一撃は、はじめのように互いの頬に突き刺さり。
ふわり、と浮いた後に、両者は吹き飛んでいった。
ああ、なんて戦いなのだろう。
泥臭くて、野蛮で、原始的で。
戦いの礼儀も作法も何もない、単なる力のぶつかり合い。
どこまでも全力で、どこまでも必死で、どこまでも夢を見る。
手にしたい物を手にするために、倒れるわけにはいかないから。
二人は、吹き飛ばされた先でゆっくりと起きあがる。
「へ、へへへ」
同時に、笑い声が漏れる。
だらりと両腕を下げ、顔を俯けたまま、低い声で笑い続ける。
その姿は、どこまでも正気で、どこまでも狂っていた。
「ふ、ふふふ」
それに応じるように、笑う。
同じように両腕をぶら下げ、顔を俯けたまま、低い声で。
その姿もまた、正気でいながら、狂っていた。
「いいパンチしてんじゃねか、効いたぜ」
頬をさすり、ロッシュの方を向いてソフィアは笑う。
まるで、それ以外は何も無かったかのように、笑う。
決して、笑顔を消すことなく、笑い続けた。
「そっちこそ、もしかして武闘家やってた？」
まるで鏡写しのように、ロッシュも笑う。
ソフィアと同じように、頬をさすり、あとの傷には目もくれず。
決して、笑顔を消すことなく、笑い続けた。
「……どうしてこんなにも、楽しいんだろうな」
「ああ、それには、同感だ」
傷だらけの体で、泥だらけで殴り合って、笑いあう。
誰が見てもこう言うだろう、「子供の喧嘩」だと。
けれど、それは彼らが長らく忘れていたある感覚を掘り起こしてくる。
いつからだろう、必死にならなくなってたのは。
いつからだろう、何かに向かわなくなったのは。
いつからだろう、こんな大事な事を忘れたのは。
前を向いて、必死になって、ボロボロになっても進む。
少し前までそうだったはずなのに、すっかり忘れていた。
今、蘇るのはその気持ち。
何かに向かって必死になって、進んでいく心。
「けどよ、やっぱ、"これ"だけは譲れねえなあ」
「ああ、それにも、同感だ」
似たようで、まるで違う。
一生出会うはずなど無かった二人が、一生分かりあえない願いを叶えるために、向かい合う。
こんな世界でなければ、戦うことも、出会うこともなかっただろう。
けれども、こんな世界でなければ、それを叶えることも出来なかった。
全く、運命というのはどこまでもいたずらが好きらしい。
そんな皮肉をもう一度笑いながら、ゆっくりと構えに入る。
「アタシの限界はあと一発、それを乗り越えればテメぇの勝ちだ」
肉は腫れ、骨は折れ、正直立っているのが不思議なレベルの傷を抱えて。
ソフィアは、握り拳をロッシュへと突き出す。
それは、二度目の宣戦布告。
言い訳も、妥協も、後悔も、敗北もしない。
そのための最初で、最後の予告。
ぐぐぐ、と力を込め直し、ソフィアは低姿勢で構えていく。
もう、言葉など必要もない。
ロッシュもまた、その構えに対し、息を整えてから構えていく。
目線の先、そこに互いの姿を捉えて。
一度だけ、ふと笑って、笑みを消していく。
「行くぜ」
だっ、と駆けだしていくソフィア。
対するロッシュは、一歩も動かない。
攻めきることを選んだソフィアと、受けきる事を選んだロッシュ。
それが、互いにとって必要なことであり、信じられる力であったから。
ただ、その時を待っていた。
そして、手を伸ばせば拳が届きそうな場所にソフィアがやってきた時。
「"皆"ッッッッッ！！ "心"のぉぉぉォォォォオオオオ！！」
構えから、大きく引いた拳が、風を切って。
「いっっっっっちげきぃぃぃぃぃぃぁぁぁぁあああああ！！」
ロッシュへと、一直線に振り抜かれていった。
対するロッシュが選んだことは、動かない事だった。
ソフィアの一撃に匹敵するほどの拳を打ち込む訳でもない。
テリーを葬ったときのように攻撃を受け流すわけでもない。
危険性を最大限に取り除き、安全に一撃をやり過ごす方法。
それは、防御を越える大防御。
ロッシュの組んだ鉄壁の構えに、ソフィアの拳が突き刺さっていく。
ずしん、と今までで一番大きな音が響く。
同時に、弾けるような軽い音が鳴る。
音の正体など、探るまでもない。
ただ、骨が粉々になった、と言う事実だけが、そこに残る。
「あああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ！！！！！」
だけど、それで止まるなんて、誰が決めたのだろうか。
食いしばった歯から、体の無数の傷口から、そして力を込めた目から。
ありとあらゆる場所から血を流し、ソフィアは拳を振るうことをやめない。
けれど鉄壁は崩れない、崩すには力が足りない。
ソフィア一人では、絶望を乗り越えることが出来ない。
己の勝ちを確信して、ロッシュは笑おうとする。
そうして開けた口が、開きっぱなしになった。
今、ロッシュに相対するのはたった一人。
世界中でたった一人残された孤独な少女、ソフィアだけだ。
けれど、彼女が託されたのは、背負っているのは何だ。
それは、人々の夢。
希望を思い描き、絶望を突きつけられ、それでも抱き続けた。
その命尽きようとも、願いは消えることはない。
それを願い続ける限り、そして誰かがそれを刻んでいる限り。
"命"は尽きようとも、"夢"は潰えない。
無数の影が、ソフィアに重なる。
勇者が、少年少女が、伝説が、友達が、家族が、幻が、楽園が、竜族が、天使が、魔王が。
ソフィアと共に、拳を振るう。
そう、ソフィア一人ではない。
"皆"の"心"を乗せた、最初で最後の"一撃"だった。
防御を越える大防御の構えも意味を成さないそれが、ロッシュの体に響きわたる。
悲鳴を上げる全身は、徐々に徐々に防御を解いていく。
ここで退くわけにはいかないのに、これで最後だというのに。
ロッシュの思いとは裏腹に、拳はロッシュへと刻み込まれていく。
そうして、構えたはずの防御は消え失せて、晒してしまった無防備な顔面に。
"全て"の"夢"と"思い"を乗せた一撃は、ゆっくりと、けれども確実に、突き刺さった。
ふわ、と体が浮いていく。
最後に感じ取ったのは、その感覚だった。
ふ、と目を覚ます。
燦々と輝く太陽と、心地の良い風がロッシュをやさしく撫でる。
おかしい、と思うも、何がおかしいのかは思い出せない。
ただ、大事な何かを失っていたような気がして、仕方がない。
もやもやとした気持ちを抱えながら、ゆっくりと起きあがった時であった。
「ここに居たんですか、探しましたよ」
一人の少女が、ロッシュに声をかける。
はっ、と振り向き、構えを作って、すぐに解く。
そこに立っていたのは、ロッシュがよく知る、そしてロッシュが知らない少女、ターニアであった。
ふふ、と天使のように笑うその姿は、紛れもない本物だ。
……本物？ 何故彼女の存在を疑う必要があるのか。
引っかかって消えない違和感の正体を探ろうとしたとき、ずいっとターニアがロッシュへと近寄っていった。
「あの、ロッ……いや」
手を握り、名前を呼ぼうとする。
けれど、名前を呼びきることなく、ターニアは言葉を切る。
そして、頬を赤らめて、それでもはっきりとロッシュの目を見て、言葉を続ける。
「お兄ちゃん」
いつの日か、そう呼んでもいいと言ってもらった呼び名で、彼を呼ぶ。
「今日は、私の願いを叶えに来ました」
そして、ターニアはロッシュの目を見て、はっきりとした声で。
「私と――――」
それは、男のすぐ側にあった。
一人の少女が願い、思い描いた。
男が世界を憎むが故に、それを見つめられなかった。
とても近くて、とても遠い。
男がその手で自ら閉ざしてしまった、自分が掴めたはずの夢だった。
けれど、それは巡り巡って男の元へやってきた。
"いつか、彼が願ったように、僕が生きていけますように"
それはいつの日か、消える間際にそんな事を願った男が、いたからだろうか。
夢を運ぶもの、夢と戦うもの、夢を護るもの。
彼らのおかげで消えずにいられた願いは、こうして男へとたどり着けたのだ。
そう、これは一人の少女の小さな願い。
男は、その願いを抱きしめた。
だからもう、失わないだろう。
居場所も、望む未来も、大事な人も。
この手に、あるのだから。
目を、ゆっくりと開く。
その先に、もう男はいない。
吹き飛ばされたのか、それとも消え失せたのか。
何にせよ、もう人の気配はない。
この何もない世界に、ソフィアはたった一人残されてしまった。
「……テメェか」
ふと、視線を足下に下ろして呟く。
そこにはどす黒い闇に染まりながら、それでも輝きを放つ果実が転がっていた。
ゆっくりと屈み込んで手を伸ばし、ソフィアはそれを拾っていく。
「"光あるところには闇がある"……だったか。
それと同じように、希望の裏側には絶望がある」
手に取るだけで感じられる強大な負の力。
絶望と呼べる全てのものが、そこには確かに詰まっていた。
初めて見るはずなのに、そう見えない、不思議な感覚のまま、ソフィアはそれを見つめ続ける。
「希望を、吸い過ぎたんだな」
知っていたのか、察したのか、ソフィアはゆっくりと口を開く。
ある世界で、願いを受け止め続けた"女神の果実"。
だが、それは希望を受け止めるだけではなかった。
同時に生まれる絶望、それすらも願いとして、果実は受け止め続けた。
結果、深い深い絶望が実を結び、世界を滅ぼさんとする力になった。
そうして、九つの世界は歪み、大きな絶望を与えんとする"殺し合い"が始まったのだ。
そして今、果実が纏っていた黒い靄は、ゆっくりとソフィアを犯そうとうねりをあげてソフィアを包もうとする。
「でも、大丈夫だ。どんなに大きな絶望が襲ってきても、アタシら人間はより大きな"希望"を生み出しちまう」
ゆっくりと、笑う。
夢を見れること、前を向けること、諦めないこと、そして"希望"を生み出すこと。
自分を今、こうして立たせてくれているのも、その力のおかげと知っているから。
残されたその力を、果実に向けて放っていく。
「こんな風に、な」
ふわり、と優しい光がソフィアの手から溢れ出す。
ソフィアの体を包み込まんとしていた闇が、すうっと引きはじめ、虚空へと昇っていく。
するすると果実を軸に溶けたそれが、するりと切れたとき。
ソフィアの手には、黄金に輝く果実が残っていた。
それとほぼ同時、まるで糸が切れたかのようにソフィアの体が崩れ落ちた。
「……ちっ」
舌打ちをしながら、体を動かそうとする。
けれど、体はおろか腕も指も何もかもが、ぴくりとも動かない。
どれだけ願っても、どれだけ力を込めても、微動だにしないのだ。
時間切れか、と自分の中で納得する。
というより、ロスタイムを多く生きすぎた。
絶望と希望の力の爆発、あの時に命はとうに尽きていた。
けれども、無数の夢が彼女を立ち上がらせた。
数多もの願いが、夢が、"願われていたこと"を忘れられないために。
"願い続ける力"で、彼女の命となっていたのだ。
そして、それはもう叶えられた。
夢と現実の境は、もう変えられることもない。
願いは願いとして、夢は夢として、これからも生き続ける。
だから、もうソフィアは動けない。
死人は死人と、ただ死んでいくだけ。
だけど。
「……これだけは、持ってけねえな」
最後の最後。
冥土に持って行くわけにはいかない物を、その手から放っていく。
いつか、どこかで、誰かがそれを刻んでいてくれますようにと。
自分を立ち上がらせてくれた、その力の源を、全て空へと放っていく。
翳した手のひらから、光があふれて昇っていく。
それを全て見届けてから、ゆっくりと握り拳を作り、笑う。
そして、ゆっくり、本当にゆっくりと。
目を、閉じていく。
心地の良い風、草木は揺れて、花の香りが一面を包み込む。
「よう」
そこに立っていた、一人の少女に声をかける。
「やっと、一緒だ」
それは、ソフィアの"願い"だった。
絶望を生み出すために作られた一つの世界。
けれども絶望は、光り輝く希望に滅ぼされた。
世界を保つ力など、もうどこにも残っていない。
闇を、死んでいった者達を、全てを飲み込んで。
崩れて、壊れて、消えていく。
【ビアンカ＠DQ5 死亡】
【ゼシカ＠DQ8 死亡】
【テリー＠DQ6 死亡】
【ロッシュ＠DQ6 死亡】
【ソフィア＠DQ4 死亡】
【バトルロワイアル 終了】
【生還者 0名】
一閃、一閃、一閃。
剣が踊り、刃が舞う。
切り刻まれる魔物たちの骸は増える一方。
けれども、魔物の数は一向に減る兆しはない。
それもその筈、かつて剣神と呼ばれた少年が見据える先。
そこには、かの国を滅ぼしたと言われる"絶望の箱"が鎮座しているからだ。
謎の軍勢による襲撃の第一報を受け、向かった先の正体がこれだ。
際限なく魔物が現れ続ける今の状況は、正直言って良好とは言えない。
後方支援のセティアがいなければ、とうに力尽きていただろう。
だが、そのセティアの魔力も、もう残り少ない。
しかし、逃走に方針を変えようにも、退路を確保することが出来ない。
どうあがいてもじり貧の、絶望的な状況が続く。
せめて、セティアだけでもと活路を探そうとしたとき。
「チャッピー、危ない！！」
知らぬ間に肉薄していた、一体のキラーマシンが少年の命を奪わんと剣を振るう。
その攻撃はすんでのところで弾いたものの、体は地面に倒れ込んでしまう。
この魔物の軍勢の中、隙を晒すというのがどういうことなのか、考えなくても分かる。
剣が、棍が、槍が、拳が、牙が、無数の力が。
たった一人の少年に、襲いかかった。
一発の、爆発音。
イオナズンに近いそれと共に、刃の風が巻き起こる。
嵐のように現れたそれは、一気に魔物たちを飲み込んでいった。
そして、その中央に立っていた者。
それは、帽子やマントなど、少しちぐはぐな装飾に身を纏った、鎧の騎士だった。
万が一の可能性を考え、少年は急いで剣を構えようとする、が。
「大丈夫か」
抑揚の抑えられた声と、差し出された手。
金属故に冷たいはずなのに、どこか温かいそれを手に取り、少年はゆっくりと立ち上がる。
そして、少年が起きたのを確認し、騎士が手を離す。
するとそこに剣のようで剣ではない何かと、盾のようで盾ではない何かが音もなく現れていた。
「さあ、行こう。おれは"絶望"と、戦いに来た」
「待ってくれ」
今にも魔物の軍勢に飛び込まんとする騎士を、少年は呼び止める。
そんな時間がないのは重々承知なのだが、だとしても聞いておきたかった事がある。
「名前を、教えてくれないか」
その問いかけに応じるように、騎士は少年の方を振り向いて答える。
「おれか？ おれは――――」
いつの日か、誰かが願って、空に向けて託した。
ある人々が願い続けた夢を、泡沫にしないために。
その体に願いと希望を刻み込んだ、夢より生まれし一人の戦士。
その名は――――
「――――希望の戦士、サイモン」
夢は、終わらない。
希望を、誰もが抱くから。
未来はいつも、そこにある。
【Dragon Quest Battle Royal II Fin...】
「このアレフ、お嬢様の思いに我が身を以てお答えいたしましょう」
「そこで待ってろ、今ぶん殴ってやる！」
「私、ずっと友達がほしかったから」
誰しもが抱き、誰しもが見て。
「僕は、妻のことを愛してなどいなかった」
「飽いたな、少し」
「バカ、ほんとにバカよ……」
そして、絶望していった。
「泣くぐらいなら、笑ってほしい」
「おれ、お前の……ともだちに、なれた……か」
「大丈夫です。私が苦手なことは嘘をつくことだから」
けれども、それは希望をくれた。
「それでも俺は忘れることが出来なかったんだ」
「うん、私も。約束したもんね、ずーっと一緒だって」
「あたしが全てを終わらせるんだ」
そんな、誰かの"夢"の数々。
「これが、私のやりたいこと。どうしても貫きたい、私の道」
「もうずっと、離しませんから」
「ええ、いつまでも、貴方のお側に。リュカさん」
命尽きても、願いとして残り続ける、それ。
「人は……人は、生きているからこそ、夢を見るんだろう？」
「大切なもの……俺も見つけたぜ？ なァ――――勇者サマ」
「俺が護り抜くと誓った姉さんは、後にも先にも一人だけだっ！」
その中の、ある一つの真実。
「お兄ちゃん、あのね――――」
それを手にしたとき、彼女は目を覚ました。
最後の壁、ロッシュにとって踏み越えるべきそれは、ある意味では死体だった。
血と傷だらけの体、虚を見据えた瞳、ひゅうひゅうと聞こえる弱々しい呼吸。
とん、と押してしまえば、おそらく倒れて起きあがってこないと思える有様でも、彼女は起きあがってきた。
そう、今のロッシュが乗り越えるべきは、彼女自身ではない。
彼女を起きあがらせるほどの強い力、心、それこそが"最後の壁"なのだ。
「……夢」
ようやく視点をロッシュに合わせ、ゆっくりと口を開く。
単語一つ呟いただけでも、血混じりの咳を苦しそうに繰り返す。
そんなにも苦しそうで、死んでしまいそうなのに。
ソフィアは、退くことを選ばない。
「夢を、見てたんだ」
「夢？」
上の空にも思える言葉に、ロッシュは問いかける。
今更、何を夢見るというのだろうか。
もう、この世界には"絶望"しかなく、待っているのは"死"だけだと言うのに。
「いや、見てたと言うよりは、見させられてた、かもな」
問いかけに応じるように、いや、ある意味では無視するように、ソフィアは言葉を返す。
ソフィアが見ていたのは、決して己の夢ではない。
自分ではない、誰かが描いて、抱いて、叶えた、時には挫折した。
何かが彼女の元に運んできた、無数の"夢"。
ただ、ただ、それが流れていくのを。
ソフィアは、見つめていただけに過ぎないのだ。
「ふうん」
ロッシュは興味がなさそうに、軽い返事を返す。
実際、露ほどにも興味はない。
何がどうなって彼女を突き動かして、起きあがらせてきたとしても。
自分がやることは、それを乗り越えることなのだから。
けれど、純粋な疑問はわき上がる。
だから、素直にそれをぶつけることにした。
「ま、君が悠長に夢を見ている間に、ごらんの有様さ。
仲間も武器も残ってないし、君は今にも死にそうときてる。
だというのに、君は今更立ち上がって何をするって言うんだい？」
そう、今の状況は傍から見ようが見まいが絶望的。
これがもし演劇だとするならば、粗方の観客は結末を読んでしまう。
覆せる要素なんて、どこにも見あたらないと言うのに。
彼女は何故、起きあがってきたのか？
長い、長い時間が過ぎる。
返事はなく、焦点の合っていない血塗れの顔で、ソフィアはロッシュを見つめ続けていた。
どう控えめに見ても"無視"に近いそれに、ロッシュはわずかに眉間に皺を寄せる。
それに気づいたのか、ソフィアはゆっくりと口を動かし始めた。
「大金持ちになって、いい女を侍らせて、うまい酒におぼれる毎日を過ごす」
飛び出したのは突拍子もない話だった。
問いかけへの答えとも取れるが、そうだとすればバカバカしすぎる。
そんなくだらないことで本当に起きあがってきたのだとすれば、今すぐにでも殺してやりたいくらいだ。
けれど、当のソフィアは全く動じない。
ロッシュから視線を逸らし、何かを憂うようにありもしない空を見上げて。
ただ、言葉を続けていく。
「……ある一人のオッサンはよ、そんな生活をずっと夢見てた」
それは、他人の"夢"。
ごくごく普通の、ちょっとだらしない一人の男が抱いていた夢だった。
どれだけ災難に見舞われて、死にそうな気持ちを抱いたとしても。
その夢だけは、決して諦めることなく、胸に抱き続けていた。
そう、この殺し合いに巻き込まれて、死んでしまうその直前まで。
ずっとずっと、願い続けていた。
「もちろん、そんな簡単に叶うわけがねえさ。
けれども、オッサンは一点の妥協も許さず、その夢をひたすらに追い続けた。
"誰もが羨ましがるような大金持ちになりますように"って。
毎日、毎日、ある意味では祈り続けていたんだ」
それは、一人の男の"夢"。
叶う、叶わないではなく、"抱く"こと。
自分が望むこと、自分が夢見ること。
それを"自分"が"諦めて"しまったら、どうしようもない。
誰かが叶えることは、自分の夢ではないのだから。
だから、男はそれを願い続けた。
いつの日か、それが叶うその時まで。
一つ、大きく息を吐く。
鮮明になっていく意識とは裏腹に、張りつめた空気は鉛のように重い。
凍てつく大地のように冷たい眼差し、それを見てもう一度息を吐く。
やけに落ち着いている理由は、自分でも理解できない。
けれど頭は働くし、口は動く。
まるで、誰かに動かされているように。
ふ、と誰にも見えない小さな笑いを作ってから、言葉を続ける。
「"強い奴と戦いたい"、"友達を作りたい"、"幸せになりたい"。
どんな小さなことでも"夢"は"夢"だ。
願い続けてこそ、生まれるものがある」
今語ったのは、一人の男の夢。
それ以外にも、夢はたくさんある。
そして誰もがそれを"抱き続けて"いた。
叶わないと知って、抜け殻のような体になっても。
叶わないと知って、誰かを傷つけてしまっても。
叶わないと知って、世界に絶望し尽くしても。
誰も、誰も、その"夢"を諦めなかった。
「諦めたり、妥協すりゃ、そこで"終わり"さ。
そうなっちまえば、もう"夢"でも何でもねえ」
そう、"諦めて"しまえば"終わり"なのだから。
本人が願わなければ、叶う夢も叶わなくなる。
それは、ある意味では"人が死ぬ時"でもある。
"夢"を"願う"からこそ、"人"は生き続ける。
だとすれば、夢を失ってしまえば、それは死人と大差ない。
「……言いたいことはそれだけ？」
わざとらしく言葉を切ったソフィアに対し、ロッシュは再び問いかける。
まるで、当てつけかのように言葉を投げつける彼女の意図を、もう一度探るために。
顔は少し反ったまま、上から下へ見下ろす視線もそのままに。
ただ、彼女の反応を待ち続けた。
再び、長い長い時間が訪れる。
何かを見ているようで何も見ていない彼女との間に、冷たい風が流れたような気がして。
ゆっくりと目を閉じ、もう一度開いた時。
「何だ、ひょっとしてまだ勘違いしてやがんのか」
口を開いて語り出したソフィアは、笑っていた。
「今抱いているものが、"自分"の"夢"だって」
そこにあったのは、"哀れみ"の感情。
蔑むような目と、嘲るような口元と。
何よりも、途端に目を合わせてきたことに、何よりも腹が立って。
「……何だと？」
今までで一番低い声に、一番濃い殺気を乗せて。
まるで銃弾のように、その一言を放つ。
それは、確かにソフィアの胸を貫いた。
けれど、問題など何もないかのように、ソフィアは笑い続ける。
己を飲み込んでしまいそうな殺気など、今や恐怖の対象ではない。
そう言わんばかりに口を開き、言葉を続けていく。
「世界を救いました、同時に居るべき世界を失いました。
だからこの世に夢も居場所もありません、絶望しながら生きます。
けれど、世界を作りかえることが出来るなら、自分が望む世界を生み出してやります」
子供が子供を馬鹿にするように、ソフィアはロッシュの今までを茶化していく。
ソフィアがロッシュの今までをそこまで知らないからこそ出来ること。
いや、知っていれば余計に酷く笑い飛ばせたかもしれない。
勿論、話を聞いている側のロッシュは、とっくのとうに笑っていない。
それを見たソフィアも、ゆっくりと笑みを消しロッシュを見つめ直していく。
「結局テメぇの都合のいい世界を作り上げて悦に浸ろうってだけだろ？
そんなもんを"夢"と呼んでたまるかってんだ」
手の甲を下に向けて挑発的に指を差し、ソフィアはロッシュの奥へと踏み込んでいく。
"願い"が叶わないのならば、生み出してしまえばいい。
今、ロッシュが成そうとしているのはそれだ。
けれど、ソフィアはそれを否定する。
それは、"夢"を"叶えて"なんかいないのだから。
自分の満足する場所を、自分の手で生み出して、そこに逃げ込んでいるだけ。
願いも、誇りも、希望もないものを、夢と呼ぶことなど出来ない。
「……だったら、僕に"死ね"とでも？
自らで奪っているのだから、悔やむ権利すら無いというのかい？」
剣を突きつけたまま、ロッシュは嘲り返す。
その笑いは、明らかにソフィアを見下していた。
自分の望む世界は、自分が奪い去った。
けれども、そうしなければ世界は滅んでいた。
選べたのは、世界の望む世界か、自分の望む世界を取るか。
だけど後者を選ぶことは、世界が許してはくれなかっただろう。
ああ、自分も"あいつ"と同じなのだ。
世界に縛られて、自分の望むことなど叶えられなくて。
そうして、世界に残されて、一人で、何も出来なくて。
願うことは世界が望まないこと、ならば、それを諦めるしかない。
「僕は、いつまで辛い思いをすればいいんだよ」
笑いながら、初めての弱音を漏らす。
そう、自分は弱い。
世界という絶対的な存在には抗えない。
自分が何を望もうと、自分が何を願おうと、叶いっこないのだ。
だから、だからこそ、自分のこの手で"世界"を作るのだ。
自分の望みを、願いを、全てを受け入れてくれる世界を。
そのためならば、他人の夢も、他人自身もどうだっていいのだ。
たった一人のエゴだと言われても、構わない。
この辛い思いを消し去るには、もうそれしか道が無いのだから。
自分の欲望のために、全てを滅ぼし、世界を作る。
それだけが、ロッシュが"救われる"為の、たった一つの道だと思っているから。
「はぁ？ 知るかよ。てめェがどんだけ悲劇のヒロインだったかなんて、塵ほども興味が無ぇ」
僅かにさらけ出した本音の返答は、ナメた挑発だった。
いや、ある意味ではもっともらしい反応なのかもしれない。
ソフィアからすれば、ロッシュも他人だ。
自分一人で悲哀に浸るだけならば勝手にすればいい。
けれど、それで何かを滅ぼそうというのならば、話は別だ。
後ろにある過去や本人の気持ちなど、どうだっていい。
他人の気持ちを考えれない奴の気持ちを考える必要なんて、どこにあるのだろうか。
かつて世界を滅ぼそうとした魔王と違い、明確に"捨て去ろう"としてきているというのに。
"かわいそうな過去"に同情してやる余裕なんて、どこにあるというのか。
そんなものは、"無い"。
ましてや向こうは自分だけ良ければいい、なんてエゴ全開でこちらに向き合ってくるのだ。
ならば、同じ対応をされても文句は言えないだろう。
そうしてソフィアは、ゆっくりと顔を変えていく。
かつて"二度"、魔王に相対した時と同じ顔へと。
「諦めて、逃げて、嘘を吐いて、それを繰り返して。
自分の気持ちが満たされたつもりになって、空しさだけを刻んで。
今もそうだ、またそれを繰り返そうとしてる」
ソフィアは、全てを知っているわけではない。
ロッシュという人間が、どんな思いで今までを過ごしてきたのかも、分からない。
けれど、今のロッシュは"逃げ"を繰り返しているようにしか見えないのだ。
現実から逃げて、世界を拒絶して、自分の中に引きこもって、そして他人の夢を奪おうとしている。
もう、受け入れることなんて出来ないのだろう。
「はっ、僕は諦めてなんかいない。
前を向いて、望んだことに向かってしっかりと歩いているよ。
嘘は付いても、逃げたりなんかしてないさ」
焦点の定まらない笑顔が、それを物語っている。
それが"夢"だと、自分の望むことだと信じきっているから。
手にはいる訳が無かった、自分の"居場所"だと思っているから。
ロッシュは、もう"前"しか見ない。
いや、もう前しか"見れない"のだ。
一つ、ため息が漏れる。
それは、ソフィアの口から。
まるで、頑なに"夢"を語るロッシュにあきれ果てるように。
「じゃあ、聞くが」
そして、核心へと踏み込んでいく。
「周りを一度でも振り向いたか」
周りの人間、それは"居場所"のある人間。
持つ者は持たぬ者の苦しみなど分からない。
ましてや、一度持っていた物を失った者の悲しみなど、到底分かりっこない。
理解されないと分かり切っているのに、どうしてそれを語らねばならないのか。
返ってくる答えなど、どうせろくでもないと分かっているのに。
首を、横に振る。
「テメぇの居場所がない、なんて誰が決めたんだ」
誰が決めた？ 自分？ 他人？ いや、誰でもない。
それを決めたのは、世界であり、運命だ。
自分が過ごした世界は失われ、自分ではない自分が過ごした世界を、自分が過ごすことになった。
誰から見ても、明白だ。
元よりその世界の存在ではない者に、居場所なんてあるわけがないのだ。
ため息を、一つ吐く。
「望んだ世界でないなら、望むような世界に変えることをしたのか」
世界を変える？ 冗談じゃない。
世界をどれだけ変えようとも、自分が過ごした世界が戻ってくるわけではない。
同じ顔をした存在も、よく似た他人でしかない。
己が望む世界は、どうあがいてもそこには無かった。
何かが一つ変わった所で、自分の世界はそこにはない。
目を閉じ、肩を竦める。
否定、否定、否定。
ある意味では拒絶の姿勢を、立て続けにとり続ける。
ソフィアの投げかける問いかけなど、もうとっくのとうに"捨て去った"のだから。
僕が僕である限り、そして世界が世界である限り。
この望みは叶うことなど無いと、知っているから。
「……そんな"諦め"の末の"妥協"を、"夢"と言えるわけがねえだろ」
そんなロッシュの答えを、ソフィアは諦めだと一刀両断する。
願うことも、望むことも、"夢"ではない。
妥協であるし、諦めであると、言い放った。
「自分自身で勝手に決めて、諦めて、かわいそうな人間を演じて。
それでいて"世界を滅ぼす"ってんだからな。ホント、ある意味じゃ魔王だぜ」
止めどなく飛び出す言葉に、感情を乗せて。
ソフィアはロッシュへと弾丸を撃ち込んでいく。
それが届かないとしても、心を貫かないとしても。
ソフィアは、その引き金を引き続けた。
ひたすらに、ひたすらに、引き金を、引く。
「諦めてんじゃねえよ！！」
それは、いつか言えなかった言葉。
終わりへと向かっていった、孤高なる賢者へ言うべきだった言葉。
誇り高き意志と共に放った弾丸は、魔王の心を貫かない。
「終わり？ 破滅？ 消え去る居場所？ だったら何だってんだ！
終わったんなら、やり直せばいいだろうが！！」
それは、誰かが言った言葉。
終わりを迎えたのならば、もう一度始めればいいと、愛すべき妻に放った言葉。
これ以上ない愛と共に放った弾丸は、魔王の心を貫かない。
「てめェが！ てめェの世界で！！ やれることなんていくらでもあっただろうが！！」
二つの言葉を皮切りに、ソフィアはありったけの気持ちを弾丸にして放つ。
最後まで愛を諦めなかった、姫の信じる気持ち。
破滅を望んだ男が最後に見た、仲間を信じる気持ち。
愛すべき者は心にいる、そして信じるべきものもそこにある。
ソフィアは知っている、"真実"が、それを教えてくれるから。
「それでも見ないふりをして、ただ逃げた先で誤魔化して作り出したものを！！」
それらから目を背けて、"絶望"したなんて言って。
ただ逃げているだけの目の前の男に、それに振り向いてもらうために。
突きつけるべき真実を、言葉にして。
「"夢"だなんて、言ってんじゃねえ！！」
一気に、放つ。
「もういい、御託は聞き飽きた」
返事は、冷たい一言。
右、左と首の骨をならし、ロッシュは静かに剣を構える。
明確に示されるのは、拒絶の構え。
死に体の人間の最後の言葉くらい聞いてやるか、と思ったのが間違いだった。
また無駄な時間を使ってしまった、と後悔しながら。
最後の壁を打ち砕くために、手に力を込める。
「僕の夢と未来のために死んでくれ、ソフィア。
この世界で、君が一番邪魔なんだ」
もう加減の必要など、どこにもない。
傷だらけの少女に向けるには、ちょっと贅沢すぎる力を込める。
一気に駆け抜けだした後は、剣を振るうだけ。
最後の壁を砕くのに必要は、たったそれだけ。
ようやく、長きに渡った"夢"が叶う時が来たのだ。
彼女を苦しめていた、血統の聖剣もない。
彼女を支えてくれた、仲間達の命もない。
彼女を守ってくれた、幼なじみもいない。
もう誰も、ソフィアを守ってくれないし、自分自身でも守ることなど出来ない。
ロッシュの振るう刃が、ソフィアを目前まで捉える。
迫り来る死が、輪郭を作り徐々に現れているというのに。
ソフィアは、その最後まで、涼しい顔をしていた。
天高く、突き抜ける"音"。
血が吹き出す音でも、肉が裂ける音でも、骨が断たれる音でもない。
それは、確かに"金属音"だった。
ソフィアの命を奪うはずだったロッシュの剣は、その瞬間に遙か彼方へと弾き飛ばされていた。
何が起きたのか、ロッシュには理解できない。
確かに振り下ろしたはずの、致死の一撃。
普段より多少弱くても、弱り切った少女を殺すくらいなら、十分すぎる威力のもの。
けれど、それは命を奪うに至らなかった。
物言わぬ肉の塊と化すはずだった少女は、水平を描くように右手を振り抜いたまま。
ロッシュの目の前に、立ちはだかるように立っていた。
「……夢は夢、願い続けるからこそ、"夢"と呼べる」
ゆっくりと、小さく、けれどもはっきりと聞こえる声。
ソフィアが呟き始めたとき、水平を切ったままのソフィアの右手に、剣を象った光が見えたような気がした。
それだけではない、右手を振り抜いた彼女の姿には、確かに重なって見えた。
ソフィアと同じ顔をした"誰か"が、一人だけではなく、何人も、何人も。
それに気づいているのか、気づいていないのか、ソフィアは言葉をそのまま続ける。
「希望も、絶望も、そこから生まれる」
そう、この世界は"夢"が生み出した世界。
人々が抱く絶望が、それに立ち向かう為の希望が、力を持つ。
確かに、ロッシュは絶望が持っていた力を捨てきった。
けれど、それは絶望が抱えていた、僅かな力に過ぎない。
人々が生きて、前を向いて、夢を見続けるのであれば。
新たな希望も絶望も生まれ、それが力となる。
そして、その源流たる夢は、一匹の狼が彼女に託したもの。
命尽きようとも、引き継がれる物。
それは、確かにそこにあった。
「そして諦めの"妥協"じゃ、絶対に出せない力が、な」
ゆっくりと手を戻し、リラックスした姿勢で、ロッシュへと語りかける。
凛とした目が、しっかりとロッシュを捉える。
それは、立ち向かう"反逆"の目。
死の恐怖も、圧倒的な支配も、彼女を押さえつけるには至らない。
たった一人だけれど、一人ぼっちではない彼女を、もう誰も縛ることなど出来ない。
力を手にした彼女は、ただ、前を向く。
託された"夢"を、その手で守り抜くために。
「……なるほど、ね」
乾いた笑いが、こぼれる。
いくら捨て去っても、"夢"は生まれ続ける。
そこに"人"がいる限り、いつまでも、いつまでも。
何度捨て去ろうと、振り払おうとも、気が付けばもう生まれている。
そして、それは"力"を持つ。
一つ一つ、個々は弱い力だとしても。
多くの"絶望"を払うための、"希望"の力を生み出していく。
ああ、"夢"が"夢"である限り、そして誰かがそれを覚えている限り、決して消えはしないのだろう。
誰かの夢を捨て去ることなど、不可能なのかもしれない。
「僕は、今の道こそが正しいと信じた」
だが、仮にそうだったとしても。
もう、片道切符は渡してしまった。
後戻りなど許されない道を進むことを、自分で選んだ。
だから、一本の道を駆け抜けていく。
他人の全てを泡沫にしてでも、その"願い"をつかみ取ると、心に強く刻み込んだ。
「だから、斬った」
決意の証は、全てここにある。
血の宿命を、世界を呪い、それでもなお"それ"と向き合うことを決めた勇者を、斬った。
選ぶことから逃げず、己のやりたいこと貫き通した一人の天使を、斬った。
万物の愛情を知るため、未来の世界のために魔を纏った魔術師を、斬った。
そして、姉を、仇敵を、己を乗り越えるために、全てと戦ってきた男を、斬った。
邪魔をするのであれば、斬る。
それだけの、こと。
「今更"諦める"とすれば、それこそ彼らに失礼だろう」
引き返しても、もう何も残っていない。
それこそ、彼らの命を無駄に奪っただけになる。
何のために命を、夢を、願いを奪ったのか。
それは、一本道の先にある"願い"を、この手にするために。
対価と咎は支払った、あとは走るだけ。
「"貫く"よ、僕は」
己の願いを"諦めない"ことを、ロッシュはもう一度口に出す。
必要ないものを、全部ここに"置いていく"ために。
決意を再び胸に、刻み込む。
「……はっ」
笑う。
嘲る訳ではない、ただ純粋に、感心しているから。
真実は、その全てが真とは限らない。
時には"偽り"も"真実"になり得る。
今だってそう、彼にとっては見据えたそれが、"夢"なのだ。
「来いよ、ロッシュ。もう、これ以上言葉はいらねーだろ」
なれば、ここから先は"夢"と"夢"のぶつかり合い。
一つ息を吐いてから、徒手空拳を構え、ロッシュを人差し指で招いていく。
そう、これは"喧嘩"だ。
いわば、ソフィアもまた"願い"を叶えたいだけなのだ。
他人の夢を値踏みする事なんて、出来るはずがない。
けれど、願いを叶えるための道、その先でどうしてもぶつかり合ってしまうのならば。
譲れないものを貫き通すために、己の力を振るわねばならない。
誰かのためではなく、自分のため。
世界も何も関係ない、たった二人だけの、ちっぽけで、この上なく大きな戦い。
退く理由なんて、どこにもない。
「ああ、そうだね」
ソフィアの誘いに乗るように、ロッシュはつけていた盾を投げ捨てる。
これから始まる戦いには、それは必要ないから。
素手を構える理由なんて、はっきりしている。
この真っ暗闇の中、持っていた剣は吹き飛ばされた。
それを探しに行く時間などある訳もない。
その身に残された魔力は、傷を癒すのに使い切ってしまった。
だから、信じられるのはこの身のみ。
己の未来を、この手で掴むために。
ロッシュは、正真正銘最後の戦いへと、赴いていく。
拳を構えたまま、静かに向き合う両者。
場所が場所なら、びゅううと風が吹いていたかもしれない。
すうっと、同じタイミングで息を吸い込み、吐き出していく。
そして、前を見据える。
その先に映る、乗り越えるべき存在を捉えて。
「この僕が――――」
「アタシが――――」
二人は、未来へと走っていく。
「切り開く！！」
「ブチ抜く！！」
開戦の合図は、二人の叫び。
突き出される拳と拳。
全身の力が込められたそれは、防御など省みることはない。
互いにのばしたその手は、互いの頬へと突き刺さる。
自らが向けていた力と逆方向の力が、上半身に襲いかかる。
不思議と時間の流れがゆるやかになり、じわりじわりと自分の体が仰け反っていくのが分かる。
そして、これ以上仰け反れない、と自分の中でも分かった時。
ふわり、と両足が浮いたのとほぼ同時に、時の流れが元に戻り、互いに吹き飛ばされていく。
力を殺しきれず、腕を、足を、体を打ち付けながら地を転げ回る。
だが、倒れている時間はない。
全身を使って速度を殺し、どうにか回転を止めたと同時に、その場に立ち上がっていく。
右、左、瞬時にあたりを確認する。
迎え撃つべき存在を、その目に映すために。
そして、互いにその存在を目に焼き付けた時。
「がっ」
出遅れていたのは、ソフィアの方だった。
防御など間に合うわけもなく、拳が頬に再び突き刺さる。
もう一度見えない地を舞うかと思いきや、仰け反ったその体は何かに引き留められる。
そんなことが出来るのは、たった一人しかいない。
初撃の一発を当てたロッシュが、ソフィアの両肩をしっかりと握りしめていた。
しっ、と僅かに息を吐き出す声と同時に、ロッシュの片足がブレる。
「ご、あっ」
仰け反った姿勢のまま、反撃も防御も許されないソフィアの体に、大砲のようなロッシュの片足がめり込んだ。
声にならない声がソフィアから漏れ、目が虚空を捉える。
内蔵の方から抉り込むように打ち込まれたその一撃は、ソフィアの持つ空気を根こそぎ搾り取っていた。
「げ、ふっ」
無防備なままのソフィアの体に、再びロッシュの膝が突き刺さる。
空気というクッションを失った腹部への一撃は、確実に内蔵を刺激していく。
ごぽっ、と喉の奥底から透明な液が溢れ出す。
口の中を焼く酸味と、気道が塞がれる不快感が、ソフィアの意識を支配する。
「はぁっ！」
ロッシュはとどめと言わんばかりに、少し下がってから飛び上がりつつ膝を突きだしていく。
初撃、追撃から更に一線を引くように、打ち出された一撃を受け止めれば、内蔵だけでない、全身の骨にまで悪影響が及ぶだろう。
けれども、ソフィアの両手は動かない、守ろうにも守るためにすべきことへ、移れないのだ。
こうしている間にも、無情にもロッシュの膝はソフィアの腹部へと吸い込まれていく。
そして、膝から放たれる砲弾が、ソフィアに着弾しようとしたとき。
「がぁぁぁぁ！！」
ソフィアは仰け反った姿勢から、高速で頭を振るった。
武術もへったくれもないただの頭突きが、ロッシュの鼻柱に突き刺さる。
思わぬ反撃によろめくロッシュ、それを見逃さないソフィア。
鋭い角度から繰り出されたローキックが、ロッシュの足下を掬っていく。
すてん、と派手に転ぶロッシュに合わせ、ソフィアが肘を立てて倒れ込んだ。
「ごふっ」
突き刺さる肘、苦悶の声を漏らすロッシュ。
先ほどのソフィアのように、腹に貯まっていた空気を全て吐き出してしまう。
濃度の高い連撃に、一瞬だけ意識を手放しそうになる。
それは、もちろん無防備な時間。
ソフィアは見逃すことなく、倒れ込んだロッシュへと覆い被さっていく。
抵抗できないよう、両腕を下半身で押さえ込むように。
そして、豪腕が振り上げられる。
「おっ、るああああっ！！」
ごしゃっ、と鈍い音と共に、ロッシュの頬にソフィアの拳が刺さる。
それを初撃として、一発、二発、三発、とソフィアの拳が鈍い音を奏でていく。
ロッシュは抵抗しようにも腕を封じられているので、思うように反撃できない。
だが、黙って殴られている訳にもいかない。
「おああぁぁぁぁっ！！」
ここ一番で雄叫びをあげながら振りかぶるソフィアに対し、ロッシュは口をすぼめ、何かを射出していく。
それは、へし折れた歯。
口の中を簡易的な砲口にする事で、それなりの速度で折れた歯を射出していく。
こつん、と当たった血混じりの歯は、僅かにソフィアの意識をそらすことに成功し。
その一瞬で、ロッシュは一気に下半身へと力を込める。
バネのように跳ね返った下半身から繰り出されたつま先が、ソフィアの後頭部をしっかりと捉える。
拘束の力が若干弱まったのを確認して、ロッシュは上半身を反らし、ソフィアの体をのけていく。
どさっ、と倒れるソフィア、そして起きあがるロッシュ。
「ごふぁっ」
寝そべったソフィアが起きあがってくる前に、ロッシュはその腹部に蹴りをかましていく。
かっ、と目を見開き、僅かな酸素を全て吐き出していく。
一度ならず二度、三度と強烈な蹴りがソフィアに突き刺さっていく。
肉だけではない、骨が軋み、折れていく音が響きわたる。
そして、ロッシュはそのままとどめを刺そうと、ソフィアの頭に標的を切り替えていく。
片足が振り上げられ、狙いをすました一点へと直進していく。
「しゃぁぁぁっ！！」
だが、ソフィアの心はまだ折れきっていない。
動く手と足を使って、己の体を砲弾のように僅かに射出し、ロッシュへと飛びかかっていく。
そして、蹴りかかろうとしていたロッシュの軸足に、思い切り噛みついていく。
予想もしていなかった一撃と、見た目以上の激痛に、ロッシュは思わずよろめいてしまう。
その隙を生かしてソフィアは立ち上がり、重ねた両腕をお返しと言わんばかりに振るう。
金槌のような一撃が、ロッシュの後頭部に襲いかかり、顔面から地面に叩きつけられる。
だが、ソフィアは攻めの手を止めない。
ロッシュの後頭部を鷲掴みにし、そのまま片手で持ち上げていく。
そして、がら空きの腹に向けてまずは一発、拳を打ち込もうと腕を振るう。
それとほぼ同時、ロッシュの腕も振るわれる。
互いの拳が互いの腹に突き刺さり、両者ともに少し後ろに後ずさる。
けれど、倒れ込むことはなく、そのまま相手をにらむように捉えて。
「おおおおぉぉぉぉ！！」
「ああああぁぁぁぁ！！」
振り抜いた渾身の一撃は、はじめのように互いの頬に突き刺さり。
ふわり、と浮いた後に、両者は吹き飛んでいった。
ああ、なんて戦いなのだろう。
泥臭くて、野蛮で、原始的で。
戦いの礼儀も作法も何もない、単なる力のぶつかり合い。
どこまでも全力で、どこまでも必死で、どこまでも夢を見る。
手にしたい物を手にするために、倒れるわけにはいかないから。
二人は、吹き飛ばされた先でゆっくりと起きあがる。
「へ、へへへ」
同時に、笑い声が漏れる。
だらりと両腕を下げ、顔を俯けたまま、低い声で笑い続ける。
その姿は、どこまでも正気で、どこまでも狂っていた。
「ふ、ふふふ」
それに応じるように、笑う。
同じように両腕をぶら下げ、顔を俯けたまま、低い声で。
その姿もまた、正気でいながら、狂っていた。
「いいパンチしてんじゃねか、効いたぜ」
頬をさすり、ロッシュの方を向いてソフィアは笑う。
まるで、それ以外は何も無かったかのように、笑う。
決して、笑顔を消すことなく、笑い続けた。
「そっちこそ、もしかして武闘家やってた？」
まるで鏡写しのように、ロッシュも笑う。
ソフィアと同じように、頬をさすり、あとの傷には目もくれず。
決して、笑顔を消すことなく、笑い続けた。
「……どうしてこんなにも、楽しいんだろうな」
「ああ、それには、同感だ」
傷だらけの体で、泥だらけで殴り合って、笑いあう。
誰が見てもこう言うだろう、「子供の喧嘩」だと。
けれど、それは彼らが長らく忘れていたある感覚を掘り起こしてくる。
いつからだろう、必死にならなくなってたのは。
いつからだろう、何かに向かわなくなったのは。
いつからだろう、こんな大事な事を忘れたのは。
前を向いて、必死になって、ボロボロになっても進む。
少し前までそうだったはずなのに、すっかり忘れていた。
今、蘇るのはその気持ち。
何かに向かって必死になって、進んでいく心。
「けどよ、やっぱ、"これ"だけは譲れねえなあ」
「ああ、それにも、同感だ」
似たようで、まるで違う。
一生出会うはずなど無かった二人が、一生分かりあえない願いを叶えるために、向かい合う。
こんな世界でなければ、戦うことも、出会うこともなかっただろう。
けれども、こんな世界でなければ、それを叶えることも出来なかった。
全く、運命というのはどこまでもいたずらが好きらしい。
そんな皮肉をもう一度笑いながら、ゆっくりと構えに入る。
「アタシの限界はあと一発、それを乗り越えればテメぇの勝ちだ」
肉は腫れ、骨は折れ、正直立っているのが不思議なレベルの傷を抱えて。
ソフィアは、握り拳をロッシュへと突き出す。
それは、二度目の宣戦布告。
言い訳も、妥協も、後悔も、敗北もしない。
そのための最初で、最後の予告。
ぐぐぐ、と力を込め直し、ソフィアは低姿勢で構えていく。
もう、言葉など必要もない。
ロッシュもまた、その構えに対し、息を整えてから構えていく。
目線の先、そこに互いの姿を捉えて。
一度だけ、ふと笑って、笑みを消していく。
「行くぜ」
だっ、と駆けだしていくソフィア。
対するロッシュは、一歩も動かない。
攻めきることを選んだソフィアと、受けきる事を選んだロッシュ。
それが、互いにとって必要なことであり、信じられる力であったから。
ただ、その時を待っていた。
そして、手を伸ばせば拳が届きそうな場所にソフィアがやってきた時。
「"皆"ッッッッッ！！ "心"のぉぉぉォォォォオオオオ！！」
構えから、大きく引いた拳が、風を切って。
「いっっっっっちげきぃぃぃぃぃぃぁぁぁぁあああああ！！」
ロッシュへと、一直線に振り抜かれていった。
対するロッシュが選んだことは、動かない事だった。
ソフィアの一撃に匹敵するほどの拳を打ち込む訳でもない。
テリーを葬ったときのように攻撃を受け流すわけでもない。
危険性を最大限に取り除き、安全に一撃をやり過ごす方法。
それは、防御を越える大防御。
ロッシュの組んだ鉄壁の構えに、ソフィアの拳が突き刺さっていく。
ずしん、と今までで一番大きな音が響く。
同時に、弾けるような軽い音が鳴る。
音の正体など、探るまでもない。
ただ、骨が粉々になった、と言う事実だけが、そこに残る。
「あああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ！！！！！」
だけど、それで止まるなんて、誰が決めたのだろうか。
食いしばった歯から、体の無数の傷口から、そして力を込めた目から。
ありとあらゆる場所から血を流し、ソフィアは拳を振るうことをやめない。
けれど鉄壁は崩れない、崩すには力が足りない。
ソフィア一人では、絶望を乗り越えることが出来ない。
己の勝ちを確信して、ロッシュは笑おうとする。
そうして開けた口が、開きっぱなしになった。
今、ロッシュに相対するのはたった一人。
世界中でたった一人残された孤独な少女、ソフィアだけだ。
けれど、彼女が託されたのは、背負っているのは何だ。
それは、人々の夢。
希望を思い描き、絶望を突きつけられ、それでも抱き続けた。
その命尽きようとも、願いは消えることはない。
それを願い続ける限り、そして誰かがそれを刻んでいる限り。
"命"は尽きようとも、"夢"は潰えない。
無数の影が、ソフィアに重なる。
勇者が、少年少女が、伝説が、友達が、家族が、幻が、楽園が、竜族が、天使が、魔王が。
ソフィアと共に、拳を振るう。
そう、ソフィア一人ではない。
"皆"の"心"を乗せた、最初で最後の"一撃"だった。
防御を越える大防御の構えも意味を成さないそれが、ロッシュの体に響きわたる。
悲鳴を上げる全身は、徐々に徐々に防御を解いていく。
ここで退くわけにはいかないのに、これで最後だというのに。
ロッシュの思いとは裏腹に、拳はロッシュへと刻み込まれていく。
そうして、構えたはずの防御は消え失せて、晒してしまった無防備な顔面に。
"全て"の"夢"と"思い"を乗せた一撃は、ゆっくりと、けれども確実に、突き刺さった。
ふわ、と体が浮いていく。
最後に感じ取ったのは、その感覚だった。
ふ、と目を覚ます。
燦々と輝く太陽と、心地の良い風がロッシュをやさしく撫でる。
おかしい、と思うも、何がおかしいのかは思い出せない。
ただ、大事な何かを失っていたような気がして、仕方がない。
もやもやとした気持ちを抱えながら、ゆっくりと起きあがった時であった。
「ここに居たんですか、探しましたよ」
一人の少女が、ロッシュに声をかける。
はっ、と振り向き、構えを作って、すぐに解く。
そこに立っていたのは、ロッシュがよく知る、そしてロッシュが知らない少女、ターニアであった。
ふふ、と天使のように笑うその姿は、紛れもない本物だ。
……本物？ 何故彼女の存在を疑う必要があるのか。
引っかかって消えない違和感の正体を探ろうとしたとき、ずいっとターニアがロッシュへと近寄っていった。
「あの、ロッ……いや」
手を握り、名前を呼ぼうとする。
けれど、名前を呼びきることなく、ターニアは言葉を切る。
そして、頬を赤らめて、それでもはっきりとロッシュの目を見て、言葉を続ける。
「お兄ちゃん」
いつの日か、そう呼んでもいいと言ってもらった呼び名で、彼を呼ぶ。
「今日は、私の願いを叶えに来ました」
そして、ターニアはロッシュの目を見て、はっきりとした声で。
「私と――――」
それは、男のすぐ側にあった。
一人の少女が願い、思い描いた。
男が世界を憎むが故に、それを見つめられなかった。
とても近くて、とても遠い。
男がその手で自ら閉ざしてしまった、自分が掴めたはずの夢だった。
けれど、それは巡り巡って男の元へやってきた。
"いつか、彼が願ったように、僕が生きていけますように"
それはいつの日か、消える間際にそんな事を願った男が、いたからだろうか。
夢を運ぶもの、夢と戦うもの、夢を護るもの。
彼らのおかげで消えずにいられた願いは、こうして男へとたどり着けたのだ。
そう、これは一人の少女の小さな願い。
男は、その願いを抱きしめた。
だからもう、失わないだろう。
居場所も、望む未来も、大事な人も。
この手に、あるのだから。
目を、ゆっくりと開く。
その先に、もう男はいない。
吹き飛ばされたのか、それとも消え失せたのか。
何にせよ、もう人の気配はない。
この何もない世界に、ソフィアはたった一人残されてしまった。
「……テメェか」
ふと、視線を足下に下ろして呟く。
そこにはどす黒い闇に染まりながら、それでも輝きを放つ果実が転がっていた。
ゆっくりと屈み込んで手を伸ばし、ソフィアはそれを拾っていく。
「"光あるところには闇がある"……だったか。
それと同じように、希望の裏側には絶望がある」
手に取るだけで感じられる強大な負の力。
絶望と呼べる全てのものが、そこには確かに詰まっていた。
初めて見るはずなのに、そう見えない、不思議な感覚のまま、ソフィアはそれを見つめ続ける。
「希望を、吸い過ぎたんだな」
知っていたのか、察したのか、ソフィアはゆっくりと口を開く。
ある世界で、願いを受け止め続けた"女神の果実"。
だが、それは希望を受け止めるだけではなかった。
同時に生まれる絶望、それすらも願いとして、果実は受け止め続けた。
結果、深い深い絶望が実を結び、世界を滅ぼさんとする力になった。
そうして、九つの世界は歪み、大きな絶望を与えんとする"殺し合い"が始まったのだ。
そして今、果実が纏っていた黒い靄は、ゆっくりとソフィアを犯そうとうねりをあげてソフィアを包もうとする。
「でも、大丈夫だ。どんなに大きな絶望が襲ってきても、アタシら人間はより大きな"希望"を生み出しちまう」
ゆっくりと、笑う。
夢を見れること、前を向けること、諦めないこと、そして"希望"を生み出すこと。
自分を今、こうして立たせてくれているのも、その力のおかげと知っているから。
残されたその力を、果実に向けて放っていく。
「こんな風に、な」
ふわり、と優しい光がソフィアの手から溢れ出す。
ソフィアの体を包み込まんとしていた闇が、すうっと引きはじめ、虚空へと昇っていく。
するすると果実を軸に溶けたそれが、するりと切れたとき。
ソフィアの手には、黄金に輝く果実が残っていた。
それとほぼ同時、まるで糸が切れたかのようにソフィアの体が崩れ落ちた。
「……ちっ」
舌打ちをしながら、体を動かそうとする。
けれど、体はおろか腕も指も何もかもが、ぴくりとも動かない。
どれだけ願っても、どれだけ力を込めても、微動だにしないのだ。
時間切れか、と自分の中で納得する。
というより、ロスタイムを多く生きすぎた。
絶望と希望の力の爆発、あの時に命はとうに尽きていた。
けれども、無数の夢が彼女を立ち上がらせた。
数多もの願いが、夢が、"願われていたこと"を忘れられないために。
"願い続ける力"で、彼女の命となっていたのだ。
そして、それはもう叶えられた。
夢と現実の境は、もう変えられることもない。
願いは願いとして、夢は夢として、これからも生き続ける。
だから、もうソフィアは動けない。
死人は死人と、ただ死んでいくだけ。
だけど。
「……これだけは、持ってけねえな」
最後の最後。
冥土に持って行くわけにはいかない物を、その手から放っていく。
いつか、どこかで、誰かがそれを刻んでいてくれますようにと。
自分を立ち上がらせてくれた、その力の源を、全て空へと放っていく。
翳した手のひらから、光があふれて昇っていく。
それを全て見届けてから、ゆっくりと握り拳を作り、笑う。
そして、ゆっくり、本当にゆっくりと。
目を、閉じていく。
心地の良い風、草木は揺れて、花の香りが一面を包み込む。
「よう」
そこに立っていた、一人の少女に声をかける。
「やっと、一緒だ」
それは、ソフィアの"願い"だった。
絶望を生み出すために作られた一つの世界。
けれども絶望は、光り輝く希望に滅ぼされた。
世界を保つ力など、もうどこにも残っていない。
闇を、死んでいった者達を、全てを飲み込んで。
崩れて、壊れて、消えていく。
ここは世界の、終わり。
【ビアンカ＠DQ5 死亡】
【ゼシカ＠DQ8 死亡】
【テリー＠DQ6 死亡】
【ロッシュ＠DQ6 死亡】
【ソフィア＠DQ4 死亡】
【バトルロワイアル 終了】
【生還者 0名】
一閃、一閃、一閃。
剣が踊り、刃が舞う。
切り刻まれる魔物たちの骸は増える一方。
けれども、魔物の数は一向に減る兆しはない。
それもその筈、かつて剣神と呼ばれた少年が見据える先。
そこには、かの国を滅ぼしたと言われる"絶望の箱"が鎮座しているからだ。
謎の軍勢による襲撃の第一報を受け、向かった先の正体がこれだ。
際限なく魔物が現れ続ける今の状況は、正直言って良好とは言えない。
後方支援のセティアがいなければ、とうに力尽きていただろう。
だが、そのセティアの魔力も、もう残り少ない。
しかし、逃走に方針を変えようにも、退路を確保することが出来ない。
どうあがいてもじり貧の、絶望的な状況が続く。
せめて、セティアだけでもと活路を探そうとしたとき。
「チャッピー、危ない！！」
知らぬ間に肉薄していた、一体のキラーマシンが少年の命を奪わんと剣を振るう。
その攻撃はすんでのところで弾いたものの、体は地面に倒れ込んでしまう。
この魔物の軍勢の中、隙を晒すというのがどういうことなのか、考えなくても分かる。
剣が、棍が、槍が、拳が、牙が、無数の力が。
たった一人の少年に、襲いかかった。
一発の、爆発音。
イオナズンに近いそれと共に、刃の風が巻き起こる。
嵐のように現れたそれは、一気に魔物たちを飲み込んでいった。
そして、その中央に立っていた者。
それは、帽子やマントなど、少しちぐはぐな装飾に身を纏った、鎧の騎士だった。
万が一の可能性を考え、少年は急いで剣を構えようとする、が。
「大丈夫か」
抑揚の抑えられた声と、差し出された手。
金属故に冷たいはずなのに、どこか温かいそれを手に取り、少年はゆっくりと立ち上がる。
そして、少年が起きたのを確認し、騎士が手を離す。
するとそこに剣のようで剣ではない何かと、盾のようで盾ではない何かが音もなく現れていた。
「さあ、行こう。おれは"絶望"と、戦いに来た」
「待ってくれ」
今にも魔物の軍勢に飛び込まんとする騎士を、少年は呼び止める。
そんな時間がないのは重々承知なのだが、だとしても聞いておきたかった事がある。
「名前を、教えてくれないか」
その問いかけに応じるように、騎士は少年の方を振り向いて答える。
「おれか？ おれは――――」
いつの日か、誰かが願って、空に向けて託した。
ある人々が願い続けた夢を、泡沫にしないために。
その体に願いと希望を刻み込んだ、夢より生まれし一人の戦士。
その名は――――
「――――希望の戦士、サイモン」
夢は、終わらない。
希望を、誰もが抱くから。
未来はいつも、そこにある。
【Dragon Quest Battle Royal II Fin...】
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| 181:嘘吐き勇者の孤独な戦争 | 時系列順 | Fin... |
投下順 | ||
| 173:Hello, it's me. | ソフィア | あなたは しにました |
| 175:終わらない――歌を歌おう | ゼシカ | |
| 176:Be Alive | ビアンカ | |
| 177:その為に生きた | テリー | |
| 180:永遠の嘘をついてくれ | ロッシュ |
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