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## 愛欲僧《あいよくそう》(天)
 ある所に至つて道心堅固《だうしんけんご》な僧があつた。戒律《かいりつ》を重んじて、道を歩くにも、蟻《あり》の子を踏《ふ》むことさへ恐れてゐた。されば朝《あした》には講演《かうえん》を行じ、夕には經論《きやうろん》を誦《じゆ》し、かくて年月を積《つ》む程《ほど》に世人は此の僧を生佛《いきぼとけ》として崇《あが》めた。
 所がこの僧の講演の席《せき》に、いつも必ず參《まゐ》り來る、一人の若《わか》い女があつた。年とつた僧は、遉《さすが》に此の女を見て、胸《むね》の血の湧《わ》くを覺《おぼ》え、はては懇《ねんごろ》に語り合ふやうになつた。僧は内心《ないしん》の苦悶《くもん》を打ちあけて、我意《わがい》に從《したが》へと迫《せま》つた。女はそれに對《たい》して『御志《おこゝろざし》は有り難く存じますが、僧の形《かたち》では從ふこと出來《でき》ません。どうか世間《せけん》普通《ふつう》の俗《ぞく》の姿《すがた》に成つて下さい』と答《こた》へた。
 飽《あ》くまで執着《しふぢやく》深い僧は、忽ち優婆塞《うばそく》の姿に成つて、首尾《しゆび》よく本意を遂《と》げた。生佛《いきぼとけ》と崇《あが》められた僧の、此の淺ましい行事《ぎやうじ》を見聞《みき》きした者は、もはや誰一人|歸衣《きえ》する者もなく、はては其日の衣食《いしよく》にすら窮《きゆう》する身の上に成つた。
 僧は餘儀《よぎ》なく、山に薪《たきゞ》を採つて町《まち》に賣《う》りなどして、細々《ほそ/\》ながら煙《けむり》を立てゝ居た。或日のこと、鹿《しか》を獲《と》らうとして弓矢《ゆみや》を携《たづさ》え、山林を徘徊《はいくわい》して居ると、圖《はか》らずも昔の同法《どうほふ》の羅漢《らかん》に出會《であ》つた。羅漢は友の此の淺《あさ》ましい姿を見て、悲しさやる方なく、涙を流《なが》して耻《は》ぢしめたので、僧は初めて長夜《ちやうや》の迷《まよ》ひを覺《さ》まし、其|場《ば》で弓矢を切り棄《す》てゝ、再び出家|遁世《とんせい》の身となり一身に行い濟ましたといふ。(寳物集)

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