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## 笠覆寺《りうふくじ》
 笠覆寺《りうふくじ》は尾張國星崎の庄笠寺村にある。聖武天皇の代に善光上人《ぜんくわうしやうにん》が、靈木を感得して熱田明神の神勅《しんちよく》に從ひ、十一面觀音の尊像を彫みて安置したのが、即ち當寺の本尊である。
 はじめは小松寺といつて、勅願所《ちよくぐわんじよ》とさへなつてゐたが、中古兵火のために堂塔を燒かれ、靈像のみ空しく野中に殘つて、徒に風雨に曝され、見る影もなき有樣となつた。
 こゝに鳴海《なるみ》の長者の侍女に、稀代《きだい》の美人があつたが、常に此の十一面の尊像を信仰《しんかう》して數月の間一日も缺かさず參詣した。或日のこと、例の如く參詣すると、急に夕立が降つて來て、靈像雨に濡《ぬ》れ、一入哀れに見ゆるので、自分の被つてゐた菅笠《すげがさ》を取つて、像の頭に被せ參らせた。
 すると其頃都から、中將|兼平《かねひら》卿といふ人が、東國へ下向するとて、此の地を通りかゝつたところ、見ると如何にも美しい一人の女が、笠もなく雨の中に彳んでいるので、不憫なことに思ひ、わざ/\鳴海の長者を訪れて、此の女を貰ひ受け、其まゝ連《つ》れて都に歸り、深く寵愛する程に、女はやがて妊娠《にんしん》して、遂に簾中にまで進んだ。
 かくて女は又此の地に下り、寺を建てゝ、かの靈像を安置したが、これは醍醐天皇《だいごてんのう》の延長八年頃のことである。かういふ不思議な因縁によつて、此の本尊は今も猶菅笠を被つて居るといふ。(東海道名所圖會)

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