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強い風が、外套をたなびかせる音が聞こえる。
眼下に広がり、街を彩る光の奔流。
その光でさえ届かぬ高層ビルの屋上に、彼は立っていた。

火の消えかけた煙草を、微かに震える指で手に取る。
深く息を吐き、改めて自身の体に目をやる。
外套に薄く滲む血。動かすたびに苦痛を伴う手足。体中に刻まれた無数の傷跡。
限界が近いな。そんな考えを頭によぎらせながら一人苦笑した。

一際強い風が彼の身体を掠めて吹き抜けていく。
そして気付く。吹き荒れる風の音が微かに変わった事に。

「早かったな…。まぁ来るとすればあんただろうとは思っていたが…予想以上だ」

夜の街並みに視線を向けたまま、自嘲気味に微笑みながら声を掛ける。
その背後には、一振りの刀を携えた黒衣の男。
口を堅く結び、怒りとも憐みともつかぬ視線を彼に向けていた。

「黒須…貴様に問う。…何故、このような暴挙を?」

しばしの沈黙の後、ようやく口を開いた黒衣の男…御門清十郎は静かにそう言った。
手にした煙草を街明かりに向けて放り投げ、黒須鉄狼はゆっくりと振り返る。
その顔は街明かりの逆光を受け、奇妙に歪んで見えた。

「何故、か。あんたには分かっているはずだ。俺が何故こうなってしまったか…」
「…『機関』の真実…か?」

御門の答えに黒須は、口の端を釣り上げて笑みを浮かべた。
まるで「その通りだ」とでも言わんばかりに。

「俺は自身の正義を成し遂げるために『断罪者』となった。
 だが俺は…『機関』に関する新たな真実を知るたび、失望を繰り返した…。
 これでは俺達は…連中の走狗ではないか、とな」

展望台の柵に背中を預け、黒須はそう呟く。
そんな黒須の姿を、御門は微動だにせずに見つめていた。
まるで彼の吸う息、吐く息、一挙一動の全てを眼に焼き付けるかのように。

「この答えの代わりといっちゃなんだが、俺も一つあんたに聞きたいことがある。
 あんたほどの男が、連中の実態や企みを知らないはずは無いだろう。
 だがあんたはそんな現状を甘んじて受け入れ、間接的にとはいえ連中の繁栄に寄与している…。
 いいのか?それで…。支配され、利用され…あんたは人としての誇りを失ってしまったのか?」

長い沈黙が続いた。
だが黒須は返答を急がせることはしなかった。
御門が口の回る男ではない事を知っていたし、何より黒須自身納得のいく答えが欲しかった。
ならばゆっくりと考えを巡らせる時間を与えた方が良い。そう思っての事だった。

「…『機関』の、狗…か。そうだな。我々断罪者は、すべからくそういう立場であると言えよう」

重々しく口を開いた御門がそう返答したことに、黒須は少なからず衝撃を受けた。
御門は断罪者という組織の筆頭構成員の肩書を持つ男である。
その男が、自らの誇りを穢すような事実を…「己を狗である」という事を認めたからだ。

「…あんたは…誇りを穢されても尚、連中の狗である事に耐えられるのか?」

問いをさらに重ねる事が礼を失する行為だと承知はしている。
だが黒須は御門の真意を聞き出さずにはいられなかった。

「…誇りと信念だけで正義を執行できれば苦労はせん…。
 私が『断罪者』と『機関』の繋がりを知っても尚、今の立場に在り続けるのは…連中の存在が必要だからだ」
「必要、だと?」

意外な返答に、黒須は言葉を詰まらせた。
その声に呼応するように、空に立ち込めた暗雲が稲光を放ち、唸り声を上げる。
雨粒が混じった風が荒れ狂い始め、対峙する二人の外套を濡らす。

「断罪者に与する者は、各々が自身の正義を貫き通すことが可能なだけの戦闘力を持つ。
 だがいかに強大な力を持とうとも、所詮は個人の力だ。すぐに限界に突き当たる。
 更に、我々の正義執行には情報操作、報道管制、証拠隠滅など…様々な工作が必要だ。
 その全てを行うには、膨大な時間と資金が必要となる…」
「………」
「そう…貴様も知ってのとおり『機関』はそういった事態におけるバックアップを行っている。
 我々が心置きなく正義を執行出来るのは、連中のお陰でもあるのだ。
 そして『機関』は工作活動の過程で、連中にとって有益となる情報や実利を得る。
 『断罪者』と『機関』は、理想的な共生関係にあると言えるだろう…」

淡々と事実を語る御門を前に、黒須は歯噛みした。
その理屈は分かる。『断罪者』から離反し、『機関』の支援を受けられなくなった者の末路が今の自分自身だからだ。
だがそれでも、他人に支配されながら正義を執行する事は、彼には受け入れがたい事だった。
自分自身の意思で決めた正義を、自身の力で執行する。それこそが彼の行動原理なのだから。

「…どうやら俺は、あんたを過大評価していたようだ。
 誇りを捨てて狗に成り下り悪を裁く、か。とんだ茶番劇だな」
「確かに…連中の狗になる事で、人間としての誇りは失ったと言えるかもしれん。
 だがそんな物は、正義執行者たる我々には元より不要。
 我々断罪者にとっての最優先事項は『正義を貫き通す』事だ。
 その為の後ろ盾を得るに必要ならば、人としての誇りなどいくらでも捨ててやる」
「………!」
「『機関』は我々を全力で支援し、我々は己の信念に基づき悪を断つ。ただそれだけだ。
 その裏で連中がどのような利を得ていようと、我々の関知するところではない」

黒須は足元が崩れ、奈落に落ちるかのような感覚を味わっていた。
そして改めて認識する。断罪者は既に心も身体も人ならざる集団なのだと。
その中に在って自分は、誇りを重んじる『人』であり過ぎたのだと。

「兵藤、久遠寺、葛葉、諏訪部…彼の者たちも承知の上、それでもなお断罪者に籍を置いている…。
 だが、貴様ほどの男が…。私の方こそ、貴様を買い被っていた様だな…」
「そう、か…。成る程な…フフ…フハハハ…ハ…」

その事実を理解した時、黒須の口から自然と笑い声が漏れた。
喜びも悲しみも無く、一切の感情を排した虚無に満ちた笑い。
よろめく身体を鉄柵に預け、力なく項垂れる彼の姿は紛れも無く『人』だった。

「…最後にもう一つ、聞かせてくれ。俺はこれから…どうなる?」
「貴様が我々の元に帰参するというのであれば何も起こりはしない。
 この騒動も『機関』によって無かった事にされ、貴様は今後も我等と共に活動を続ける事になるだろう」
「…それを、拒んだ場合は?」

御門の顔に、僅かな表情の変化が見て取れた。
常人であれば気付かない程の僅かな差異だったが、黒須はそれを見逃さなかった。
一瞬の沈黙の後、御門は言葉を続ける。

「…断罪者という組織を脱退した者は存在しない。
 いや…脱退を企図した者はもう「どこにも居ない」と言った方が正しいか…」

そう返答し、御門は手に持った刀に視線を落とす。
ああ、やはりそうかと、黒須は一人納得する。
『機関』の情報を探る過程で手に入れた、『断罪者』に関する機密情報。
そこに記されていた御門清十郎のパーソナルデータ。
『断罪者』の筆頭構成員であり、通称『粛清者』と呼ばれる者。

「…出来れば、このまま行かせてほしいって言うのは…叶わない望みなのだろうな」
「残念だがその通りだ…。だが安心しろ、我々が貴様の分まで正義を執行する」

薄明かりに包まれたビルの屋上で、二人の男が対峙する。
お互いの手に握られるのは白き刃。

「本気で来い。手負いの狼を侮るなよ。油断すればその喉笛…食い千切るぞ!」
「…最早、問答無用…参る!」

飛沫を上げて、二つの影が舞い踊った。
「兄…さん…?」

空耳かな?と、その少女は小首をかしげた。
雨音と遠雷の合間に、不思議な声が聞こえた気がしたのだ。
街の中では絶対に聞こえる筈の無い声…。
鋭く冷たい、狼の遠吠えが。


『兇気ノ断罪者 完』

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