"それ"に気づいたのは、山を降りる時だった。
その日も俺は、趣味の山歩きで県境の山に来ていた。
初夏の風が清々しい。
山頂で昼飯を食い終えると、しばらく休憩してから下山を始めた。
その途中で、何かの気配を感じて振り返った。
辺鄙な山のせいか、登山道には俺以外誰もいない。
小さな水溜まりに青葉が浮かんでいた。
「・・・気のせいか」
俺は再び歩き始めたが、またピタリと足が止まってしまった。
さっきからずっと視線を感じる。ぐるりと振り返ってみても、やはり誰もいなかった。
水溜まりが日光を反射してきらめいていた・・・水溜まり?
俺はそこで奇妙なことに気づいた。そういえば、水溜まりの脇を通り過ぎた覚えなんて無い。
さっきも、今も。そもそも他に、どこも地面は濡れてなんかいない。
「・・・・・・」
心なしか早足になりながら、俺は歩き続けた。
10分ほど歩いた頃だろうか。さすがに神経質すぎたか思って振り向くと、またあった。
同じ場所に、同じ大きさの水溜まりが。
「ッ・・・!」
何の変哲もない水溜まりだ。だが、その平然さにむしろ背筋がぞっとした。
俺はナップザックを背負ったまま小走りに駈け出した。
途中で振り返ると、決定的なものを見てしまった。
付いてきている。水溜まりがぐねぐねと蠢き、俺の後を追ってきていた。
「来んな!来るんじゃねえ!」
俺は走りながら怒鳴ったが、水溜まりは意にも介さない様子だった。
むしろ俺が気づいたことに気づくと、いっそう速度を上げて追ってきた。
恥も外聞もなく、俺は全力で駆けていた。ナップザックなんか背負っていられない。
俺は荷物を捨て、登山道を駆け下り続けた。
「はあっ、はあっ・・・!」
整備されているとはいえ、山道だ。
体力に自信のあった俺でも、しばらくすると息が上がってきた。
そろそろ撒けたかと思って振り向くと、思わず悲鳴が漏れた。
もう二三歩分の距離まで迫っている。
「あ゛っ!」
驚きと焦りで石に躓いた・・・と思ったときは手遅れだった。
景色がスローモーションのように流れた後、俺は砂利で強かに身体を擦ってしまった。
背後の気配が、ぴたりと止まった。
いつの間にか風もやみ、辺りは生温い空気が漂っていた。
「ひっぁ!?」
"それ"が俺の足に触れた瞬間、なぜか上擦った声が漏れた。
恐る恐る後ろを見ると、
まるでアメーバのように動く水の塊が、俺の足をくすぐるように弄っていた。
俺が不覚にも感じてしまったことに気づいたのだろうか。
ぐねぐねとはにかむように揺れると、"それ"は触手状に腕を伸ばしてきた。
服の中にゆっくりと侵入していく。
「うあっ、ァ・・・!」
"それ"が俺の肌を這いまわる。
まるで性的な愛撫のようだった。
慌てて服の上から抑えたが、
"それ"は指の隙間を縫ってどんどん胸の方に上がってくる。
主導権を女に握られた、一方的な性交のようだった。
「なんっ、なんだよぉ!」
"それ"が這った場所が、疼くように火照っている。
服の上から"それ"を押しとどめようとしていた指を、つい動かしてしまった。
むふっと鼻の穴が膨らむ。まるで性感帯のようになった肌がそこにあった。
思いっきりここで抜きたいという情欲と、
コイツはいったいなんなんだという恐怖で俺の顔が歪んだ。
「やばっ、ぁあ!」
いつの間にか、"それ"が俺の顎までたどり着いていた。
何をする気なのかはわかった。コイツは、俺の身体の中に入ろうとしている。
こんなんに入られたら、いったい俺はどうなっちまうんだ!?
口を閉じる暇もなく、間抜けに開いた俺の口に"それ"が入ってきた。
塩っけのある不思議な味が広がる。
意外なほどの旨みに、"それ"を思わず飲み込んでしまった。
「ぁあ゛ー・・・」
俺は安堵の溜め息を漏らした。
身体を強張らせていた緊張が、恐怖が、すうっと引いていく。
なんだか奇妙な感覚だった。俺の身体が、自分のものじゃない気がする。
俺は立ち上がろうとしたが、まるで立ち方を忘れたように腰を抜かしてしまった。
あれ?どうやって・・・立つんだっけ?
それどころか、感情さえ自分のものではなかった。
頭では異常な事態だと解っていたが、俺の心にあるのは喜びだけだった。
うれしい。ウレシイ。嬉しい。
俺の顔にだらしない笑みが浮かぶ。
この身体が手に入ったことが、嬉しくてしかたない。
自分の身体のはずなのに、そんなことを感じていた。
「はへっ・・・うへへ」
俺は四つん這いになると、堅くなった股間をズボンに擦り付けるように動かした。
あぁ・・・気持ちいい。もっと気持ちよくなりたい。
だが手を伸ばそうとして困惑した。
手って、どうやって使えばいいんだ?
知識としてはあるのだが、自分が今まで手を使ってきた実感がまるでない。
人間じゃない何かが、人間の知識を急に与えられて困惑しているようだった。
俺はふーふーと性的に興奮したまま、四つん這いで歩きまわった。
(あの木がいい)
俺はふらふらと白樺の樹に近づくと、交尾するときのように前足を持ち上げた。
そのまま抱きつくような態勢になると、スコスコと腰を降り始めた。
どうやら下着の中で変な方向を向いたまま勃起したらしく、
今すぐにでもチンポジを直したい気持ち悪さがある。
だがそんな簡単なこともできないまま、俺は無我夢中に腰を振りつづけた。
「お゛っお゛っお・・・あ゛ひっ!」
ペースなんぞ考えない単純な自慰で、あっという間に絶頂に達した。
股間がぐちょぐちょに湿り、不快なほどにベトつくが、何も出来ない。
口からもだらだら涎を垂らしたまま、俺は四つん這いで森の奥へ入っていく。
もっとだ。この身体を自分のものにするには、もっと俺たちを飲まなきゃいけない。
何かに憑かれたように獣道に分け入って行くと、
しばらくして小さな泉が眼に入った。俺の興奮が最高潮に達する。
そのまま泉に近づくと、顔を近づけてゴクゴクと水を飲み始めた。
・・・うめえ。一口飲むほどに、頭の奥が痺れてくる。
自分のものでない記憶がどんどん混じってくる。
長いくちばしで木の実をついばんでいた記憶。
冬ごもりに備えてウロにどんぐりを隠した記憶。
人里に降りて騒ぎになった記憶。
今までに泉にやって来た、山の動物たちの記憶だった。
みんな俺たちのものになったのだ。この体も、もうすぐ俺たちのものだ。
泉の水を飲むたびに、チンポがびゅくびゅくと精を散らす。
もっと水が欲しくなった俺は、ざんぶと泉に飛び込んだ。
泉も触手を伸ばし、俺をやさしく包み込んでくれる。
俺はケダモノのような奇声を上げながら、何度も果て続けた。
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