学校では教わることのない日本の自虐史観を省いた歴史を年表にまとめたもの。

帝国政府は九国条約国会議に関する本月二十日付白耳義政府の招請に回答するの機会に方り、詳細従来の経緯を敍し、弘く其の所信を中外に闡明せんとす。

一、
支那は辛亥革命以来幾多政権の興亡ありたるも其の一貫せる対外政策は排外にあり。殊に中国国民党が国民政府を広東に樹立し中央政権獲得の手段として大正十三年連蘇容共政策を採って以来其の排外政策は一層尖鋭露骨と為り支那民衆の排外思想亦頓に熾烈を加うるに至れり。之が為列国にして既得の権益を犠牲に供したるもの比々皆然らざるなきは今尚世人の記憶に新たなる所にして、殊に最近十年支那は排外政策の目標を主として帝国に置けり。帝国は夙に東亜諸国の親善提携が東亜安定の枢軸なるを確信し鋭意之が実現の為努力し来り、就中隣邦支那が民国革命以来次第に国家意識に目覚め来れるは日支の依存関係を強靭ならしむる所以なりとし帝国の歓迎せる所にして、帝国は努めて支那の正当なる国民的要望に副わんとするの政策を採り、或いは支那の関税自主権回復に率先協力し、或いは治外法権撤廃に関する支那の要望に対して好意的態度を表明する等、只管日支親善の増進に努力すると共に支那が之に順応し来らんことを待望せり。然るに南京政府は帝国の斯くの如き同情ある態度を多とせざるのみならず、却って益々排日の武器を翳し支那に於ける帝国の権益を潰滅せしめずんば已まさらんとするの概を示し、特に最近数年来は排日及び抗日を以て国内を統一、南京政権強化の具に供し、軍隊、学校に於いては排日を以て精神教育の根幹と為し、純真なる幼少年時代より善隣を仇敵視するの思想を注入するが如き世界に其の類を見ざるの暴挙を敢てし、其の結果帝国の平和なる通商、経済上の活動の妨害は固より我が居留民の安住をも脅威するに至り、進んでは組織的恐怖行為に迄発展し、単に茲一両年の例に微するも、昭和十年十一月の上海に於ける水兵殺害事件より汕頭、成都、北海、漢口、上海に於ける帝国官民の殺害、長沙、汕頭に於ける邦人住宅の爆撃等戦慄すべき事件の続発を見たり。深く事態を憂いたる帝国政府は隠忍以て幾度か南京政府の猛省を促したるも其の効なく、折柄客年暮の西安事件発生し茲に国民党共産党の妥協成り、共産分子は抗日の旗幟の下に北支竝に満洲国擾乱を企図するに至り、其の勢の赴くところ遂に本年七月七日盧溝橋に於ける支那軍の日本軍不法攻撃事件を惹起するに至れり。

二、
右事件発生するや帝国政府は之を以て日支間の大事に立至らしめざらんことを期し、直に事態不拡大局地解決の計を立て、作戦上多大の犠牲を忍んで派兵を見合わせ、戦機を逸するを覚悟の上、二十数日に亙り積極的軍事行動を差控え、以て慎重処理の手段を尽くしたるに反し、南京政府は却って梅津何応欽協定を蹂躙して南京政府直属の大軍を続々北上せしめ、帝国軍隊を脅威すると共に現地支那軍を扇動するの挙に出で、事態は遂に全面的衝突に迄発展するに至れり。蓋し排日を国内統一の具とする南京政府は、最近両三年日本を目標として国民に対し盛んに軍事思想を鼓吹する一方、多量の武器輸入、要塞の構築、軍隊の訓練等により急速に軍備を強化したる結果、支那軍憲は自負の念に駆られ国民亦自力を過信するに至り、帝国に対して戰を挑むの風潮国内に瀰漫し、既に今回の事変前支那の言論機関は日本及び日本人を敵国又は敵人と呼んで憚らざりしものにして、一度盧溝橋に事起こるや、南京政府は自ら醸成したる国内情勢に駆られ、帝国の慎重なる態度及び局地解決の方針も遂に施すに由なかりし次第なり。
事態は斯くの如くして拡大せられ、北支のみならず中南支各地に於ける帝国臣民は愈々生命の危険に暴さるるに至り、遂に多年営々建設せる生活の本拠を棄て各地より全面的に引揚ぐるの已むなきに至れり。他方上海に於いては、南京政府は従来共昭和七年の停戦協定を遵守せず非武装地帯内に密に堅固なる陣地を構築する等着々戦備を整うる所あり、於茲帝国政府は本年六月特に協定関係国会議の開催を求め、支那側の注意を喚起したるが、支那側は聊かも其の態度を改めず、北支に於ける衝突勃発するや、公然停戦協定を蹂躙して正規軍を非武装地帯に侵入せしめ、遂に八月九日帝国海軍将兵の惨殺を契機として愈々租界攻撃の鋒鋩を現し、帝国政府が停戦協定関係国とも連絡し隠忍に隠忍を重ね、作戦上重大なる不利を忍んで、軍事衝突回避の為最後の瞬間迄百方努力したるにも拘らず、支那側は突如租界防備の帝国軍隊及び我が居留民に対し空爆砲撃を加え、寡少なる陸戦隊は固より帝国三万の居留民鏖殺を企図するに至れるを以て、事茲に至りては帝国としても自衛の為反撃するの余儀なきに至れる次第なり。
以上に依り明らかなる通り今次事変の根源は南京政府の徹底的排日政策に存し、事態拡大の直接原因は南京政府が梅津何応欽協定を侵犯し中央軍を大挙北上せしめ、又上海に於いて停戦協定を蹂躙して兵を租界に進めたるにあり。茲に至って遂に帝国は已むなく自衛の為蹶起し、此の機会に於いて東亜百年の平和確立の為南京政府の反省を求めつつある次第なり。依って今次事変解決の要締は南京政府に於いて飜然其の非を改め排日政策を抛棄し日支提携の我が国策に協調するにあるのみ。

三、
顧みるに近年南京政府をして排日に狂奔せしむるに至れる重要なる原因の一つは、往年満洲事変に際し、国際連盟が東亜現実の事態を無視して採択せる決議に依り支那の排日政策を鼓舞する結果を招来せるにあり。然るに国際連盟は今又卒然南京政府の提訴を取上げ、虚構の報告に依拠し深く事変の真因を究明する所なく、九月二十七日には防備最も厳重なる南京、広東の軍事施設爆撃を無防備都市の空爆なりと断定し、帝国を非難するの決議を為し、更に十月六日の連盟総会に於いて帝国の行動を以て九国条約竝に不戦条約違反なりと断定せるのみならず、進んで公然支那援助の決議を採択せいたるが如きは、列国の干渉を導入して帝国を抑えんとする南京政府の奸策を支援する結果と為り、支那の抗日決意を愈々鼓舞し事態の収拾を益々困難ならしむるものにして、往年の過誤を再び繰返しつつあるものと謂わざるを得ず。
抑も帝国今次の行動が支那側の挑発に対する自衛手段にして九国条約違反の問題を発生するの余地なきは明らかなるのみならず、近時支那に於ける赤化勢力の浸潤、国内情勢の変化等に依り東亜の事態は九国条約成立当時とは著しく異なれるものあり。
殊に今次招請せられたる九国条約会議参加国の大多数は畢竟前記連盟の決議に拘束せらるべきに依り、仮令帝国政府に於いて同会議に参加するも、満洲事変の際に於ける連盟の会議と同様到底公正なる結果を期待し得ず、況や東亜に殆ど利害の関係を有せざる諸国をも加えたる此の種の会議は徒に日支両国の民心を刺戟し、却って事態を益々紛糾せしめ、時局収拾に毫も資する所なかるべきを以て、帝国政府は茲に参加を拒絶せる次第なり。
帝国は今や挙国一致万難を排して南京政府の反省を求め事態の速やかなる解決に邁進せんとす。然れども帝国は固より列国との協調を顧念せざるものに非ず。只日支の紛争は東亜の安定に共同の責任を負担する両国間の直接交渉に依りてのみ之を解決し得べきものにして、要は両国協和の障碍と為り常に帝国の権益を脅威しつつある南京政府の排日政策と之と勾結せる赤化勢力とを排除し、以て日支提携に基づく東亜恒久の平和を確立するにあり。従って帝国は支那の民衆を敵視し、其の領土を侵略するが如き意図なきのみならず、却って支那国民の物質的精神的向上を祈念するものにして、外国の在支権益は飽く迄之を尊重しつつ列国と共に支那に対する文化的又経済的協調を期し居る次第なり。故に若し列国にして能く右帝国の真意を理解し、南京政府の反省を促すに適切なる措置に出ずるに於いては、茲に初めて今次事変の解決に関し帝国と協調の途を開くことを得べきなり。


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