日本の歴史年表

昭和十一年十一月十三日

一、
近時ソビエト連邦は所謂五か年計画等により国内建設の歩を進むると共に鋭意国防の充実を計り殊に極東地方に於ける軍備の強化に付いては異常の力を注ぎつつあるは、顕著な事実であります、欧州方面に於いてはソビエト連邦は隣接諸国との間に漸次不侵略条約又は侵略国定義条約等を締結し次て国際連盟に加入し殊に客年に至り佛国及びチェコスロバキアとの間に相互援助条約を締結して欧州方面に於ける其の国際的地歩を強化し来ったのでありますが、其の結果は自然前記極東軍備の増大と相俟て東亜方面に対するソ連の圧力を加重しつつあるものであります。
二、
次にソ連邦とコミンテルンとの表裏不可分の関係に付ては茲に改めて申す迄もなく又コミンテルンの赤化工作の詳細に付ては別に御手許に差上げました調書の通りでありますが、茲に二、三最も顕著なる事例を挙げますれば、コミンテルンはロシア革命当初欧州諸国の赤化に力を注ぎたるも、其の予想に反し欧州各国の政治的経済的基礎の鞏固なるに鑑み、赤化工作の主目標を東亜に移し、爾来赤化の侵寇は特に外蒙古、新疆及び支那本部方面に拡大し、昭和六年には江西省瑞金に於いて中華ソビエト共和国中央政府の樹立を見、共産軍の数三十五万余を算するに至り、其の後蒋介石の武力討伐に依り瑞金は一昨年十一月陥落し、江西ソビエト区は抛棄せられたのでありますが、コミンテルンの中国共産党を通しての対支活動は客年の第七回世界大会以来抗日人民戦線の結成なる新戦術に依り引続き活動を加えつつある状況であります。
満洲国に於いてはコミンテルンは現在日満当局の厳重なる警戒取締りに拘らず中国共産党満洲省委員会を指導して各地の細胞組織の扶植及び各種兵共匪の懐柔誘導に努むると共に遊撃運動に力を注ぎつつありて赤色パルチザン隊は各地に出没し居り同国に於けるコミンテルンの暗躍も亦之を軽視するを得ざる状況に在るのであります
欧州方面に在りてはコミンテルンの活動は最近スペインに於ける所謂人民戦線運動に於いて最も目覚ましきものがありまして今次同国の動乱に於いてコミンテルン及びソ連が如何に他国の内部関係に立ち入り工作せるか又之が現存国家の安寧及び国際平和の擾乱の源をなすものであるかが極めて明瞭に実証せられて居るのであります。
三、
前述の如きソビエト連邦の極東方面に対する武力的迫力の増大及びコミンテルンの赤化工作は日満両国の安全に対する直接の脅威なると共に我東亜政策の遂行上最も重大なる障碍をなすものでありまして、右は現下帝国の当面せる対外問題中正に最大緊密の事案なりと認めらるるのであります
事態右の如くなるを以て現内閣に於いては帝国対外政策の重点をソ連の東亜に対する侵寇的企図の挫折竝に赤化進出の阻止に置き国防の充実と相俟って外交手段に依り右目的の達成を致す方針を確立したのであります
四、
然るに獨逸に於いては昭和八年ヒトラーを首領とするナチス政権の確立以来峻烈なる反共産主義的政策を実行し、之と共にソ連との関係は頓に悪くなり又前述のソ佛及びヒソ致間の相互援助条約の締結は獨逸に対し尠からざる反感と不安を与えて居るのでありますが一方コミンテルンは客年の第七回世界大会の決議に於いて特に日本及び獨逸を以て敵となし之に対する統一戦線結束を以て全世界の共産党の任務として居るのでありまして、要するに獨逸は対ソ及び対コミンテルン関係に於いて概ね帝国との立場を斉しくし、国防上竝に赤化対策上帝国との協調提携を便とすべき事情に在るのであります。
五、
敍上の如き次第に依りまして、前述の政府の方針実行第一歩として、獨逸との提携を策し、本年春武者小路大使が帰任致します際に旨を含めて獨逸側の意向を打診せしめることと致したのでありますが、先方に於いても熱意を有することが確かになりましたので、爾来同大使をしてリッペンドロップ大使との間に交渉を重ねしめたる結果、今回本協定案を得るに至ったのであります、而して右案文に付てはリッペンドロップ大使を駐英大使として英国に赴任する都合ありしにより赴任前之を確定し置く為客月二十三日武者小路大使をして「リ」大使との間にイニシャルを了せしめたのであります（中略）
六、
最後に一言付加し度きは帝国政府としては固よりソ連に対し我より進んで事端を滋からしむる意図なく日満ソ間の国境に関する諸問題の如きに付ても之が解決を計る為折角ソ側との間に交渉を継続して居る様な次第でありまして、従って本件日獨協定の締結協定に当たりても本協定に依りソ連を牽制するの効果を大ならしむる一方之に依りてソ側を過度に刺激せざる様出来得る限りの工夫を加えたのであります、即ちコミンテルンに対する協定の条文に於いてコミンテルンと「ソ」連邦とを同一視するが如き措辞を用いざりしことの外、附属協定及び其の付属文書を秘密のものと為したるが如き、何れも右趣旨の用意に出ずるものであります。就きましては本件に付宜敷御審議を願います。