明治四二年(一九〇九年)九月四日北京ニ於テ調印
明治四二年(一九〇九年)九月八日官報揭載
前文
大日本國政府及大耡∪府ハ滿洲ニ於テ雙方共ニ關係ヲ有スル事項ヲ明確ニ議定シ將來ノ誤解ヲ防キ以テ兩國善隣ノ關係ヲ咋澹妊縫札爛灰肇魎望シ茲ニ左ノ條款ヲ訂立セリ
第一條
新法鐵道ノ敷設
耡∪府ハ新民屯法庫門間ノ鐵道ヲ敷設セムトスル場合ニハ豫メ日本國政府ト商議スルコトニ同意ス
第二條
大石橋營口支線
耡∪府ハ大石橋營口支線ヲ南滿洲鐵道支線ト承認シ南滿洲鐵道期限滿了ノ際一律耡▲妨魎團好襯灰批蹈乏沙拈ノ末端ヲ營口ニ延長スルコトニ同意ス
第三條
撫順及煙臺ノ炭鑛
日耘脊∪府ハ撫順及煙臺兩處ノ炭鑛ニ關シ和平商定スルコト左ノ如シ
甲 耡∪府ハ日本國政府カ上記兩炭鑛採掘權ヲ有スルコトヲ承認ス
乙 日本國政府ハ耡▲琉貔撻亮艝泪鯊砂泥激蹈望綉兩炭鑛ノ採炭ニ對シ耡∪府ニ納稅スルコトヲ承諾ス右ノ稅率ハ耡他處ノ石炭ニ對スル最惠ノ稅率ヲ標準トシ別ニ協定スヘシ
丙 耡∪府ハ上記兩炭鑛ノ採炭ニ對シ他處ノ石炭ニ對スル最惠ノ輸出稅率ヲ適用スルコトヲ承諾ス
丁 炭鑛ノ區域竝ニ一切ノ細則ハ別ニ委員ヲ派シテ協定スヘシ
第四條
滿鐵沿線ノ鑛務ノ合辨
安奉鐵道沿線及南滿洲鐵道幹線沿線ノ鑛務ハ撫順及煙臺ヲ除キ明治四十年卽光躬綾住闇東三省督撫カ日本國總領事ト議定セル大綱ヲ按照シ日耘脊⊃優旅舊ト爲スヘク其ノ細則ハ追テ督撫ト日本國總領事トノ間ニ商訂スヘシ
第五條
京奉鐵道ノ延長
京奉鐵道ヲ奉天城根ニ延長スルコトハ日本國政府ニ於テ異議ナキコトヲ聲明ス其ノ實行ノ辨法ハ地方ニ於ケル兩國官憲竝ニ專門技師ヲシテ妥實商訂セシムヘシ
右證據トシテ下名ハ各其ノ本國政府ヨリ相當ノ委任ヲ受ケ日本文及漢文ヲ以テ作成セル各二通ノ本協約ニ記名調印スルモノナリ
明治四十二年九月四日
宣統元年七月二十日
北京ニ於テ *1*
大日本國特命全權公使
伊集院彦吉(官印)
大耡欽命外務部尙書會辦大臣
梁敦彦(花押)
明治四二年(一九〇九年)九月八日官報揭載
前文
大日本國政府及大耡∪府ハ滿洲ニ於テ雙方共ニ關係ヲ有スル事項ヲ明確ニ議定シ將來ノ誤解ヲ防キ以テ兩國善隣ノ關係ヲ咋澹妊縫札爛灰肇魎望シ茲ニ左ノ條款ヲ訂立セリ
第一條
新法鐵道ノ敷設
耡∪府ハ新民屯法庫門間ノ鐵道ヲ敷設セムトスル場合ニハ豫メ日本國政府ト商議スルコトニ同意ス
第二條
大石橋營口支線
耡∪府ハ大石橋營口支線ヲ南滿洲鐵道支線ト承認シ南滿洲鐵道期限滿了ノ際一律耡▲妨魎團好襯灰批蹈乏沙拈ノ末端ヲ營口ニ延長スルコトニ同意ス
第三條
撫順及煙臺ノ炭鑛
日耘脊∪府ハ撫順及煙臺兩處ノ炭鑛ニ關シ和平商定スルコト左ノ如シ
甲 耡∪府ハ日本國政府カ上記兩炭鑛採掘權ヲ有スルコトヲ承認ス
乙 日本國政府ハ耡▲琉貔撻亮艝泪鯊砂泥激蹈望綉兩炭鑛ノ採炭ニ對シ耡∪府ニ納稅スルコトヲ承諾ス右ノ稅率ハ耡他處ノ石炭ニ對スル最惠ノ稅率ヲ標準トシ別ニ協定スヘシ
丙 耡∪府ハ上記兩炭鑛ノ採炭ニ對シ他處ノ石炭ニ對スル最惠ノ輸出稅率ヲ適用スルコトヲ承諾ス
丁 炭鑛ノ區域竝ニ一切ノ細則ハ別ニ委員ヲ派シテ協定スヘシ
第四條
滿鐵沿線ノ鑛務ノ合辨
安奉鐵道沿線及南滿洲鐵道幹線沿線ノ鑛務ハ撫順及煙臺ヲ除キ明治四十年卽光躬綾住闇東三省督撫カ日本國總領事ト議定セル大綱ヲ按照シ日耘脊⊃優旅舊ト爲スヘク其ノ細則ハ追テ督撫ト日本國總領事トノ間ニ商訂スヘシ
第五條
京奉鐵道ノ延長
京奉鐵道ヲ奉天城根ニ延長スルコトハ日本國政府ニ於テ異議ナキコトヲ聲明ス其ノ實行ノ辨法ハ地方ニ於ケル兩國官憲竝ニ專門技師ヲシテ妥實商訂セシムヘシ
右證據トシテ下名ハ各其ノ本國政府ヨリ相當ノ委任ヲ受ケ日本文及漢文ヲ以テ作成セル各二通ノ本協約ニ記名調印スルモノナリ
明治四十二年九月四日
宣統元年七月二十日
北京ニ於テ *1*
大日本國特命全權公使
伊集院彦吉(官印)
大耡欽命外務部尙書會辦大臣
梁敦彦(花押)
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